算数数学研究会で大いに学ぶ(長文)

先日、市の算数数学研究会の授業研究で指導・助言をおこなってきました。授業者は今年5年目の先生です。初任のころから何度かアドバイスをしてきた先生です。どのような授業をしてくれるのかと楽しみな反面、多くの方にわざわざ出かけてきてもらっての授業研究に耐えうるものになってくれるかちょっと不安もありました。

授業は3年生の因数分解による2次方程式の解法の最初の時間でした。子どもたちは明るい表情で授業に参加しています。授業者との人間関係がよいことがわかります。
(x+2)(x-3)=0が何方程式か問います。1次方程式と答えた子どもがいます。理由を聞くと文字が1つだからと答えます。明らかに間違いですが「なるほど」と受けて次にいきます。3次方程式という子どももいます。「3次方程式?今までやってきたの?」と返します。こういうやり取りでも子どもの言葉をしっかり受け止め、たとえ間違いでも「いいね」と答えてくれることをポジティブに評価します。とてもよい雰囲気です。しかし、どうしても挙手をする子ども、発言する子どもとだけで授業が進んでいきます。この場面で使うべきかどうかは別にして、まわりと相談させるなどの方法で多くの子どもに積極的に参加させることが必要です。
2次方程式という言葉が出たところで、確かめさせます。ここで、方程式を展開させますが、展開という言葉を押さえませんでした。この日の課題は因数分解をして解くものです。対になる数学の用語「展開」は子どもたちからぜひ出させたいところでした。
展開してx2-x-6=0として、「x2があるから2次方程式だね」と確認しました。わかっていて言ったのならいいのですが、この言い方は正しくありません。式の次数の定義から言えば、「最高の次数の項がx2だから・・・」というべきです。数学の教師であれば、常に正しい定義を意識した上で、どう扱うかを決めてほしいと思います。続いて、「先生はすぐに解ける」と子どもたちに伝えます。x=-2,3と言った後、本当かどうかどうすればわかるかと迫ります。子どもから代入という言葉を引き出し、指名して展開した式に代入させます。それぞれ左辺が0になることを確認して解になっていることを確認しました。しかし、本当はそれで十分ではありません。解になることはわかりましたが、それ以外にあるかどうかはまだわかりません。方程式を解くこととはすべての解を示すことですから、必要条件が押さえられていないのです。もちろん、ここでそのことを取り上げるのは混乱する可能性があるのですが、この日の授業をきちんと進めていくとこのことを押さえることができます。そのことをわかった上でどう扱うかを決めることが大切です。
ここで、(x+a)(x+b)=0のa,bの値を子どもに決めさせて授業者が解きます。子どもは一生懸命に値を言います。授業者は意図的に整数以外を入れさせようとしました。もしそうなら、「どんな数でもすぐに解くよ」と言って、「ところで数にはどんな種類があった?」と復習してもよかったところです。「整数」「分数」「有理数」「無理数」「実数」などを出させて、「じゃあ言ってみて」とすると、いろいろな数を出すことができたと思います。この授業では整数しか出ませんでしたが、aとbに同じ数を入れる子どもがいました。さあどうするかと思いましたが、「すごいね、これは明日やる問題だ」とほめておいて「今日は扱わないでおこう」と対応しました。発言した子どもはニコニコして納得していました。なかなか見事な受け方でした。いくつか答を言っていくうちに、a,bの符号を変えたものが解になることに気づく子どもが出てきます。子どもに答を言わせたときに「+1」と前にプラスをつけた子どもがいました。こういう場面は大切です。プラスをつけたということは符号を反転することを意識したからです。ここでどうしてプラスをつけたかを聞くと解の見つけ方をわからせることができます。しかし、授業者はそれを後で課題にしたかったからでしょう、理由を問うことはせずに、「プラス1」を復唱しました。子どもたちに符号を意識させる上でもよい対応でした。「プラスはいらね」という声が聞こえてきます。授業者は再度確認して本人に訂正させました。これもよい対応です。他者に訂正されるのではなく、指摘を受けて自分で訂正することで最後まで自分で解いたという気持ちになります。指摘を受けることに対してポジティブになれます。人間関係もよくなります。授業でつくる人間関係です。この時、授業者は「数学はできるだけ簡単にするんだよね」と言葉を足していました。見過ごしがちですが、とても大切なことです。数学的にメタな考え、共通に使う考えを意識させています。数学的なものの見方・考え方を大切にしていることが伝わってきました。
授業者はていねいに時間をかけます。このことにできるだけ多くの子どもに自分で気づいてほしいという授業者の気持ちの現れでした。自分で気づけば定着度は明らかに上がります。
ここで、「どうしてすぐに(x+a)(x+b)=0の2次方程式を解くことができたか」を課題として子どもたちに書かせました。子どもたちはすぐに取りかかります。中にはすぐに書き終わる子どももいます。すると、問題集を取り出し問題を解き始めました。課題が終われば問題集をやることが学習規律として確立しています。誰一人ムダな時間を使う子どもはいませんでした。授業の基礎がきちんとできています。符号という言葉がわからなくて友だちに聞いている子どももいました。実に自然に相談している姿が見られます。日ごろどのような指導がされているかよくわかります。

全体での確認では、子どもの言葉をそのまま板書します。「符号を変えただけ」「( )の中が0になればいい」と続きます。授業者は一人ひとりの発言をしっかり復唱し受容していきます。ここで「かけ算だからどちらかの数が0」という子どもの発言を「どちらかの数が0」と板書しました。「かけ算だから」は根拠につながる言葉です。これが落ちると「結果だけ」になり、解き方になってしまいます。これが意図的かどうか気になるところでした。
ここでは「どうして」という言葉の使い方の意図が問題になります。子どもには求められているのが解き方なのか、その根拠なのか明確でありません。事実混在しています。そこを明確にせずに進めているので、子どもは数学的な根拠をあまり意識できていません。子どもたちから一通り発表されると、それを受けて結局授業者が説明を始めました。
授業者は根拠として先ほどの子どもの発言を使います。その際に、「かけ算だから」という言葉を復活させました。かけ算だから掛けて0だとどちらかが0になる。aが0だと何をかけても0だね、bが0でもと続けます。ここには先ほどの解の確認の場面と同じ問題があります。条件がひっくり返っているのです。a=0またはb=0のときab=0を説明しているのです。方程式を解くには問題ありませんが、こういう論理的におかしなことをしてしまうと、子どもが因果関係を正しく理解できなくなってしまいます。数学としては致命的なのです。今の高校生が単純な論理の問題や必要条件、十分条件にすら手こずると言われる理由がわかるような気がしました。
「ab=0ならばa=0またはb=0」はせめて、もしaが0でなかったら、b=0になる(1次方程式といっしょで、0でないからaで割ればいい)ことくらいは確認したいところです。
この間授業者の説明が続きました。もう少し子どもたちに確認をさせながら進めたいところです。しかし、子どもたちの姿は立派です。この学級の子どもたちは、授業者が何も言わなくても話を聞くときにはだれもノートに写しません。聞くべきときは聞くことに専念しています。一方子どもに写させるときは、授業者は何もしゃべりません。こういう基本もできています。
続けて因数分解されていない2次方程式に取り組みます。解けそうかどうかを子どもに聞きます。何人かの子どもが手を挙げます。指名した子どもが上手く答えられなかったときに、因数分解をかなり強引に引き出そうとしました。おそらく時間がないため、早く出したかったのでしょう。ここは、余裕を持って何人か指名して、解の公式で解く、因数分解で解く、それぞれのやり方で解いてその違いを考えてもよかったところです。
子どもたちは練習問題に挑戦します。因数分解でつまずく子どもがいますが、因数分解した後は正しくできていたようです。この場面でも、できた子どもへの指示が徹底していました。黒板の右上に問題集のどこをやればよいか指示が書いてあります。後からの指示でも子どもはそこを見て次の課題に取り組むのです。いつもそこに指示が書かれること知っているからです。
数学の授業としての課題はたくさんありますが、それがはっきりするのは基本がしっかりとできているからこそです。

検討会の授業者への質問では、ab=0ならa=0またはb=0の扱いが話題になりました。0をかければ0になることは既習事項だから、扱いは軽くていいのではないか。ab=0のときa=0,b=0の説明はあれでよかったのか。意見を持っている方もいらっしゃったのですが、ここでは発言を控えていただき、グループの検討会で話し合っていただきました。
私も1つのグループに入って話し合いに参加しました。このグループには先ほどの意見を持っている方も司会で入られました。この方はab=0のときa=0,b=0以外の答はないことをもっとしっかり押さえるべきだと言いたかったのです。その通りです。このグループでは予定されていた項目をすべて扱えませんでしたが、参加した先生方自身の課題も話題になりとても楽しいものでした。
各グループからの発表は、残念ながら最初の指摘も含め、この授業の数学的な課題があまり話題にならなかったようです。そこで私からは、数学的な課題を中心にお話しました。

まず、この授業の位置づけを考えることが必要です。教科書では解の公式を先に学習しています。その後で因数分解での解法を扱っている意味、教科書作成者の意図を理解してほしいのです。解の公式は平方完成して、(x+m)2=nの形に変形する方法で導き出しているはずです(2乗の差の公式を使って因数分解する方法もある)。でなければこの順番になっていないはずです。有理数から実数への拡張は、x2=aの解(平方根)を導入することでおこなっています。その考えの延長で公式をつくったのです。しかし、一般的に2次以上の方程式は因数分解の形で考えます。代数学の基本定理(n次の複素係数の方程式は必ず複素数の解を持つ)と因数定理(多項式f(x)でf(a)=0なら(x-a)を因数にもつ)からn次方程式は(x-a1)(x-a2)…(x-an)=0と変形できるからです(高々n個の解を持つ)。これからn次方程式を扱うときの基本的な考え方に初めて出会うときなのです。その考えのもとにあるのが、「ab=0ならa=0またはb=0」です。実数や複素数では成り立つことですが、数学の世界ではこれが成り立たないものもたくさんあることに注意が必要です(素数でない整数の剰余類など)。これから実数や複素数の係数のn次方程式を解くたびにこのことを使うことになるのです。こういったことを理解した上で、この日の授業は何をねらうのかを決めてほしいと思います。3次方程式と答えた子どもの発言を活かして(x+a)(x+b)(x+c)=0と因数を1つ増やして、これは何方程式と問いかけても面白かったかもしれません。この方程式は簡単に解けますから、n次方程式は因数分解して=0にできれば解けることに気づけると思います。
また、「ab=0ならa=0,b=0しかない?本当?絶対?」こういう問いかけも必要になります。「いつも」「絶対」「必ず」、これは算数・数学で常に問われることです。こういった算数・数学的なものの見方・考え方を意識することも大切です。もし、この「ab=0ならa=0またはb=0」を大切に扱い、子どもたちにこのことを考えさせたいのなら、まず「どうやって答を見つけているかわかる?」と解き方を問います。テンポよく進めて全員に解き方を完全に理解させた上で、「このやり方で本当にいいの?絶対?」と問いかけ、その理由を考えることを前半の主課題にするのです。こうすることで、「ab=0ならa=0またはb=0」のもつ数学的な意味に子どもたち自身で気づくことができると思います。

この授業でもう一つ数学的に意識してほしいことは、因数分解の公式の持つ意味です。x2+(a+b)x+ab=(x+a)(x+b)の因数分解の公式を使うということは、掛けてab、足してa+bとなる数を見つけているということです。この因数分解での解法から、2次方程式を解くことは、掛けてab、足して-(a+b)となる数を求めることと同じと気づけます。これはn次方程式を解くことが、n次の基本対称式を解くことと同値(方程式の解と係数の関係)というn次方程式の基本的な性質につながるところです(専門的にはガロア理論に関係する)。このことを意識するともう少し違った展開もあったでしょう。因数分解されていない2次方程式(簡単に因数分解可能なもの)の解法は、因数分解をする、( )の中が0になる値が解という2段階になっています。この因数分解の公式を確認し、公式のa,bを求めることがすなわち2次方程式の解を求めていることと同じだと押さえるのです。このことは、因数分解は解の公式を使ってもできるという発想にもつながります。2次方程式の解、因数分解、解の公式などを自由に行き来できるような子どもを育ててほしいと思います。

授業は布石の連続とよく言いますが、今回であれば最初の方程式の左辺を展開したところを一つの布石とできます。変形を矢印で結んで「展開」という言葉を書いておく。その上で、因数分解する例題は、先ほどの展開した方程式を扱うのです。同じ方程式と気づけば、元に戻せばいいことを押さえれば、「展開」の逆で「因数分解」が自然に出てくるはずです。授業者は、因数分解をする問題の前にこの展開した方程式を消してしまいました。ちょっと残念です。

このようなことを話しましたが、私の考え方が正しいとかその通りにやれと言っているのではありません。この程度の数学的な裏付けを持った上で授業の進め方やねらいを考えてほしいのです。今回の授業は、残念ながら数学的なねらいがどこにあったのかはよくわかりませんでした。しかし、できるだけ子どもが自分の言葉で考えることを大切にしていることはよく伝わりました。だからこそ、できていること、できていないことがはっきりしたのです。
授業者の成長をうれしく思うと同時に、今後ますます成長が期待できると感じました。研究会に参加した方にもよい刺激になったことと思います。今回、授業者は立派にその役目を果たしてくれました。私もなんだか誇らしい気持ちになりました。授業者とのよい出会いに感謝します。1時間の授業から私自身も大いに学ぶことができました。よい機会をいただきありがとうございました。
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