若手教師の進歩に感動(長文)

先週末は小学校へおじゃましました。昨年度は5回訪問していますが、今年度は初めてでした。10日後に学校訪問を控え、代表授業する若手の先生へのアドバイスと学校全体の様子を見せていただくことが主な目的です。

TTによる5年生の算数、合同な図形の授業でした。授業者は子どもたちに常に笑顔で接しています。誰もが安心して授業に参加しています。
辺を示すのにただDEというのではなく、辺DEといった子どもに対して「辺をつけてくれた」と算数的なよさを笑顔で評価しました。この場面に限らず子どもが外化すれば必ず笑顔でほめます。以前は、ただ「いいね」ということが多かったのですが、かならずどこがいいのか具体的に示すようになっています。簡単なことのようですが、日ごろから意識していないとなかなかできることではありません。友だちの発言にわかったという反応が少ないと、「うなずいたり、笑顔をつくるだけでもいいからわかったことを伝えて」と反応をうながします。どのような姿を目指しているのかしっかりと伝えています。また、2つの図形で対応するものを示す課題で、先走って次の図形で答えた子どもがいました。それでもまずその答を確認して、次の図形をやってくれたんだと受け止めました。このような決して否定しない態度が教室に安心感をつくります。
授業者の説明が短くなっていることにも気づきました。授業を通じて同じ言葉を使うように意識しています。言葉を精選していることがよくわかります。以前は子どもの反応がよくないと、言葉を重ねたり、別の言葉で説明をしたりしていました。言葉を少なくするのは言葉を多くすることよりも難しいことです。言葉が多くなるのは実は整理されていないことが多いのです。事前に教材研究をしっかりして、いろいろな道筋を考え、その上で授業に臨んでいるので、言葉を精選できているのです。
授業者の声は以前と比べて格段に低くなりました。子どもたちの声も低めです。それでも、全員ちゃんと聞けています。柔らかい表情で、体を前に傾けて真剣に聞いています。素晴らしい集中力です。途中で知らされるまで、てっきり授業者が担任している学級だと思っていました。実は隣の学級だったのです。この学級の担任もとてもよい学級経営をしていることがわかります。きっと学年としてのチームワークも素晴らしいのでしょう。
T2の動きもとても印象に残りました。T1が子どもとのやり取りに専念できるように、子どもの発言を黒板で確認したり、板書したりします。決して出過ぎず、授業がスムーズに流れるように意識しています。目立たないですが、授業の流れがしっかり共有できているからこそできるサポートです。聞けば、前日も遅くまで2人で打ち合わせをしていたそうです。TTの授業では、T2が机間指導以外ではじっとしていたり、支援を必要とする子どもにかかりきりになったりということが多いように思います。今回のようなT1を自然にサポートするという発想はとても大切だと思います。
対応する辺や角を発表する時に、聞いている子どもの視線が気になりました。T2が発言を黒板の図をなぞって確認するので子どもたちが黒板に目をやります。こういった動きがないときはちゃんと発言者を見ています。ところが、そんな中でも黒板を見ずにずっと発言者を見ている子どもがいます。どういう子どもかと思って見ていましたが、どうやら算数が苦手な子どものようです。まず、友だちの発言を理解しなければいけないので、そちらに専念しているのです。聞きながらその内容を黒板で確認することは、もう1段階上の力を要求されるのかもしれません。最初の内は、まず発言を全員で聞いたあと、子どもたちに復唱させるとよいでしょう。その時、T1が子どもたちを見ることに専念できるように、T2が子どもたちの発言に合わせて黒板の図で確認する。こういうステップを踏むことで、低位の子どもも理解しやすくなると思います。
指名されてうまく答えられない子どもがいました。授業者は「助けて」と他の子どもを指名して前で説明させます。説明後、わかったかどうかを最初の子どもに確認しました。「わかった」と答えるのを聞いてから、「あなたの説明で友だちがわかった。素晴らしい」と説明した子どもをほめました。なかなかの対応です。ただ、理解できなかった子どもは評価されていません。「助ける」という言葉を使われていますが、「助ける」子どもが活躍して「助けられた」子どもは活躍できていません。そういう意味では助けられていないのです。ここは、「どう、○○さんの説明で納得した」と確認し、できれば本人に自分の言葉で説明させます。説明できたら、「素晴らしい。きちんと説明できたね。よく聞いて理解したね。助けてもらえてよかったね」とまず助けられた子どもをほめるのです。「助けてもらえたから活躍できた、ほめられた」と、助けられることをポジティブにとらえられるようにするのです。その上で説明した子どもを「助けてくれて、ありがとう」とほめるのです。
質問に対して挙手が3分の1くらいの時がありました。ここでどうするかと興味を持って見ました。授業者はすぐに指名せずに、まわりと相談させます。子どもたちはとてもよい表情で聞き合っています。活発に活動しているのですが、決して騒がしくなりません。ほどよいテンションです。子どもたちが集中していることがよくわかります。このあと、再度問いかけたところ、挙手の数は大きく増えていました。
合同な図形は対応する辺の長さや角の大きさが等しいことに気づかせる場面で、低位の子どもを指名しました。そばにいた教務主任がどうなるかドキドキしていました。「どうやって合同な図形を見つける」という質問に対して、「長さ」と答えました。「長さ。何の?」「辺の長さ」と続きます。ここで、全体に「辺の長さ」を使って見つけられるか問います。かなりの数の手が挙がりました。発言した子どもは認められたと感じたのでしょうか、「パッと見つかる」と声を上げます。授業者が「パッと見つかる」を取り上げ、辺の長さが「同じ」につなげていきました。授業者は、「辺」「角」「同じ」といった言葉の何れかが出れば何とかできると思っていたので、あえて低位の子どもを活躍させるために指名したようです。この子どもはこの後の練習問題も積極的に取り組んでいました。授業の最後のまとめの時に、首が折れるのではないかと心配するほど大きくうなずいているのが印象的でした。
この合同な図形の性質を気づかせる展開について授業者は悩んでいたようです。一つ流れとして、「合同」という算数の用語を子どもの日常の言葉に戻すことを示しました。授業の最初に合同の定義の確認をしています。その時の言葉を思い出せます。たとえば「今、合同な図形の勉強をしているけど、合同ってなんだっけ」と問いかけ、「ぴったり重なる」「同じ」といった言葉を引き出します。「ぴったり重なる」であれば、「どこが」と返したり、紙を使ってわざと違うところを重ねたりして、「辺」や「角」という言葉を引き出します。「同じ」であれば、「何が?」と返すことで、「辺」や「角」を「同じ」とつなげ、「辺の何が同じ?」「角の何が同じ?」ともう一度聞き返すことで、「辺の長さが同じ」「角の大きさが同じ」というゴールにもっていくのです。定義に戻るというのは、算数ではとても大切な考え方です。この時、覚えさせた定義を言わせるだけでなく、定義する段階で出てきた子どもの日常的な言葉をたくさん出させるのです。こうすることで具体的なイメージが広がります。そこを出発点にして焦点化します。焦点化する時にはできるだけ少ないキーワードで追い込むことが大切です。ここでは、「同じ」という言葉をキーワードにしています。もう一つのキーワード「対応」を使うことでも同様に展開できます。
「2つの四角形は合同です。対応する頂点、辺、角をいいましょう」という練習問題を全体で取り組む場面です。授業者はいきなり、対応するものを見つけ始めました。問題の図は上下をひっくり返しています。この対応を見つけることは図形の認識力が弱い子どもにはハードルが高いように思います。まず、「合同だって、本当?右の図は下が小さくなっているよ」と揺さぶり、「ひっくり返っている」といった言葉を引き出しておいてから、「じゃあ、対応するものが言えるかな?」と問題に取り組むとよいでしょう。授業者は低位の子どもでも手が挙げやすいように「一つでもいいから」と言葉を足します。ほぼ全員の手が挙がります。指名して答えさせるのですが、何人かが答えた時には低位の子どもの手は下がってしまいました。一人が答えるたびに見つかったものが黒板に映された図に書き込まれていきます。自分と同じ答えが言われてしまったので、発表できなくなったのです。さびしそうな表情が気になりました。授業者はこの前の問題が「全部いいましょう」だったので、何が見つかったか見つからないのかをはっきりさせようと書き込んだのです。しかし、この問題は「全部」がありません。とにかく見つければいいということです。黒板に書き込むことをせずに、テンポよくどんどん言わせればいいのです。同じものが出ても気にしなくていいのです。こうしてどの子も対応関係がつかめた段階で、手元のワークシートでできるだけたくさん見つけるよう指示すればよかったと思います。授業者は、「全部」がこの問題にはなかったことを意識してはいませんでした。教科書を読み込むことの大切さと難しさにあらためて気づいてくれたと思います。
いくつか指摘すべき点があったとはいえ、子どもたちが誰一人として最後まで集中を切らさなかったことは驚異的です。今年度見た授業の中で最高の子どもの姿でした。今まで見た何百何千という授業の中でもトップクラスの姿だったと思います。私だけでなく、一緒に参観していた校長、教頭、教務主任も終始笑顔でした。子どもたちだけでなく、参観者も笑顔にする授業です。自校のこのような子どもの姿をきっと誇りに思っていただけたことでしょう。この学校を初めて訪問してから1年ほどです。わずかの期間でこのような素晴らしい子どもの姿を見ることができて、とても幸せでした。授業者は本当に素直に努力をし続けたのだと思います。T2の先生の協力も不可欠だったでしょう。そして何より教務主任が時に厳しく継続的に指導してこられた結果だと思います。そのことは、この後、学校全体を見て強く思いました。

ベテランも若手も、昨年度からの先生はどなたも子どもとの関係を意識していました。子どもをよく見て、発言や反応をしっかりと受け止めようとしています。多少の差はありますが、どの学級も子どもたちの表情が柔らかくしっかりと集中していました。目指す姿が共有されつつあります。このことは自然にできることではありません。中心となって働きかける存在がいたことがよくわかります。
一方、先生方の授業がよい方向に変わってきたため、新しく赴任された先生方の学級の子どもたちの集中力のなさが余計に目立ってしまいました。
子どもたちをチェックする目で見ている先生の学級では、先生が前に立って指示をすると子どもたちに緊張が走ります。ピシッとよい姿勢になってもそれは集中ではなく緊張だということがわかります。先生が移動するとたちまち緊張が弛んでしまうからです。先生方の力がないのではありません。指導力は間違いなくあります。目指す子どもたちの姿がこの学校が目指すものと少しずれているのです。そこが修正されればすぐに変わることができると思います。

夏休みの現職教育では、模擬授業をベースにした授業研究をおこなう予定です。この学校では初めての試みですが、グループを活用したものにすることになりました。グループで話し合うことで先生方の目指す子どもの姿を共有することをねらってのことです。授業者もできるだけ若手でいこうということになりました。初めての試みなので、すこしでも皆さんが意見を言いやすいようにと考えてのことです。どのような授業を見せてくれるのでしょうか。どのような子ども役でしょうか。先生方はどのような意見を聞かせてくれるのでしょうか。今からとても楽しみです。

若手の合同な図形の授業を見てから2日以上たちますが、その余韻が今でも残っています。先生方の成長に立ち会える喜びをあらためて感じています。このような機会を得られたことに心から感謝します。
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30