思わぬところで「3シーン授業検討法」に出会う

前回の日記の続きです(小規模校で授業アドバイス参照)。授業研究は今年異動してこられた先生の授業でした。4年生の国語です。今回の授業検討は3シーン授業検討法でおこなわれました。教務主任の会議でたまたま紹介され、早速取り入れようとされたようです。教務主任の意欲には頭が下がります。(私たちの研究会で提唱しているものだと後で知ってかなり焦ったようですが・・・)

授業は登場人物の気持ちを読み取ることが課題です。本文の記述を根拠にして読み取ることを個人作業で進めます。授業者の指示で子どもがすぐに取り掛かります。気持ちを表すところに、人物ごとに色を変えて線を引き、その時の気持ちをその横に書き込みます。驚いたのが線を引いたところと関連する箇所を線で結んでいたことです。これはかなりレベルの高いことです。どうやって鍛えたのか興味のあるところです。子どもたちは1つ2つ見つけただけで満足せずに、どんどん探しつづけます。予定した時間になってもまだ終わらない子どもがいたため、授業者は少し時間を延長しました。
発表はできるだけ子どもたちだけで進めようとしています。授業者は黒板に貼った教科書の拡大コピーに線を引いて子どもの意見を書き込むだけです。発表が終わると子どもたちは、「賛成」「つけたし」「反対」をハンドサインで示し、発表者がそれを見て次の発表者を指名します。子どもたちは一生懸命発表するのですが、友だちの話をあまり真剣には聞いていません。自分で気づいたことを発表したいばかりです。友だちの発表が終わる前からハンドサインを出す子どももいます。「どう思いますか」と問いかけているのですが、発表は自分の考えを言うだけです。反対のサインを出す子どもは、発表者の意見に対して反対なのではなく、自分は別の場所に線を引いたので、それを発表したいから反対したのです。子どもたちの相互指名で進んでいきますが、つながらない発言が続き、同じところをぐるぐる回るだけで考えはちっとも深まりません。授業者は自分が誘導してはいけないと強く思うあまり、意見をつなげるような働きかけをしません。主人公の気持ちが一番大きく変わったところが発表された時、とうとう「ごめんなさいね」と言って介入し、そこを焦点化しました。「ごめんなさいね」という言葉に、子どもだけで進めなければという呪縛を感じました。
授業が終わる少し前に、疑問に思ったことを発表するよう問いかけました。子どもたちからは、家族に応援されたくらいで心に絡みついていた思いがほどけるのか。ラストという言葉がこんなに誇らしく聞こえたのははじめてだった理由がわからない。といった疑問が出され授業が終了しました。

先生方は授業中に心が動いたところを付箋紙に時刻と共にメモしています。検討会の会場の入り口に時刻を刻んだ模造紙が掲示してあり、事前に各自で付箋紙をそこに貼っておきます。検討会を始める時点で3シーンが選ばれているわけです。スムーズに進めるために参考になるやり方です。今回選ばれたのは、子どもたちが個人作業に入る前後、子どもが考えを発表する場面、子どもの疑問を聞く場面でした。
まずビデオで該当のシーンを見た後、付箋に書かれた意見を聞いていきます。参加者が3シーン授業検討法の経験がないので、今回は私がコーディネータ役をしました。
最初のシーンでは、気持ちを考える場面が広すぎるので焦点化しにくいのではないか、子どもの作業時間が長かったのではないか、子どもがしっかり作業ができていたがどの程度経験があったのかといった意見が出ました。主人公の気持ちが変化した場面に絞ればいいという考えに対して、授業者としては気持ちを表す言葉と対比する場所を見つけさせたかったので、変化する前後のまとまった範囲を考えさせたということでした。また、このような気持ちを表しているところを本文から抜き出し関連するところを結ぶという活動は、この単元の3つの場面でおこない、今回が3回目でした。初めての時は、みんなが気づいた「ゆううつ」という言葉を使って、授業者がていねいに一つひとつの作業を子どもたちと一緒におこなったそうです。1回目より2回目、2回目よりも今回と、子どもたちはたくさん見つけるようになったようです。全体で一緒にやってみることと、個別に経験を積むことが大切だということがわかります。

2つ目のシーンでは、子どもたちがしっかり発表するが、考えが深まっていかないことが話題となりました。この点は授業者もずっと悩んでいたようです。全体で話し合いましたが、なかなかこれはといった対応は出てきません。しかし、どうすればよいかみんなが考えることでこの授業だけでなく学校全体の課題として共有できたように思います。ある授業をきっかけに見つかった共通の課題を次回のテーマとすることで継続性のある授業研究になっていくと思います。
今回は検討会終了後、私の方からこのことに関連してお話させていただきました。
子どもに任せていても考えは深まっていきません。最初は教師が子ども同士をつなぐことで、考えを深める経験を積ませる必要があります。経験を積めば、子どもたちでつなぎ、深めていくことができるようになります。
同じ意見の(同じ所に線を引いた)人を何人か指名し、次にその意見を聞いてどう思ったか、賛成か反対か、なるほどと思ったかを問いかけます。こうすることで、違う考えの(違う所に線を引いた)人も話し合いに参加でき、聞く必然性が出てきます。違う考えを出させたければ、友だちの意見に対してどう思ったかを聞いたうえで、「じゃあ、あなたはどう思ったの」と問いかければいいのです。
子どもたちがたくさん見つけたので発表したいというのであれば、早い段階で個人作業を止め、グループにするといいでしょう。すべてを個人で見つける必要はありません。グループで聞き合い、なるほどと思えば自分のものに足すようにすればいいのです。こうすることで、発表したい気持ちも満足させることができますし、短い時間で考えるための共通の土台をつくることもできます。ここで、「気持ちが一番変化したところ」「大きく変化したところ」はどこだろうと問いかけることで、考えがぐんと深まるはずです。単に見つけたことを発表するのではなく、それを元にした活動を課題とするのです。

3つ目のシーンでは、授業の最後に疑問を聞いたのはなぜか、このようによい疑問が出るのならもっと早くに聞いてそこを話し合えばいいのではないかということが話題となりました。授業者は、机間指導の時に「ラストという言葉がこんなに誇らしく聞こえたのははじめてだった理由がわからない」という疑問を持っている子どもをみつけたようです。次の時間で取り上げるため、どうしても最後に出させたかったということです。子どもの疑問をもとに考えるというのは、よい方法なのですが、いくつか出てきた場合、全部取り上げるのか、一部をだけを取り上げるのか、誰がそれを選ぶのかといった問題があります。今回でいえば、出てきた疑問をすべて同じ時間かけることは難しいように思いました。教師が意図的に焦点化することも必要だと思いました。
このとき、「家族に応援されたくらいで心に絡みついていた思いがほどけるのか」といった疑問については注意が必要でしょう。「私だったらどう思う」という道徳的な話になってしまいがちな疑問だからです。作者がそう言っているのだからそのことを云々しても読み取りとしては意味がありません。「思いがほどけた」ことから出発して、作者は何を理由にしているのか、どこでそれが語られているかといったところを焦点化する必要があります。このことを私からはお話させていただきました。

今回3シーン授業検討法で授業検討をおこなっていただきましたが、早く焦点化できるので短い時間で深く話し合うことができることが確認できました。充実した検討会になったと思います。

検討会終了後に授業者とお話しました。子どもだけでつないで深めていくことが大切なので、教師は指示や介入はしていけないと強く思っているようです。子どもを指名するだけでつながり、深まる授業を見ることもあるのでしょう。しかし、そのような授業でも最初からできているわけではありません。子どもたちを教え、指導していくことでできるようになるのです。教師が答を言う必要はありません。「もう少し詳しく聞かせてくれる」「今、首をかしげてくれた人がいるね。それってどういうこと」と意図的に子どもをつなぐことで、子どもから考えを引き出すのです。教師がどのようにかかわればいいかを考えるようにお願いしました。
また、作者の表現にこだわりたいこともお話しました。「ぱっとすなぼこりが上がる」「ザクッという音とすなぼこりのあと、・・・」「とうめいな空気の中に、・・・」といった表現が主人公の気持ちを表しています。学年が進むにつれて情景描写で感情を表現する作品が増えてきます。今回そのことを指導するかどうかは別にして、子どもから出てきた時にどう対応するかは考えておく必要があります。

目指す子どもの姿がはっきりしている授業でした。だからこそ、その姿と現実の子どもの姿のギャップが明確になり、課題がはっきりと見えます。「子どもの考えを深めるにはどうすればいいのか」といった、漠然として抽象的な言葉に終始する話し合いになりやすい課題も、授業の場面に即して具体的に考えることができます。参加した先生方みなさんにとって学びの多い検討会だったように思います。もちろん私にとってもです。このような機会をいただけたことに感謝します。
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