若手教師の進歩を感じる(長文)

昨日は小学校で若手への授業アドバイスをおこなってきました。前回の訪問から2週間も経っていませんが、子どもたちへの指示はずいぶん徹底できていました。どの先生も前回のアドバイスを意識して授業に臨んでいます。また、今回私がアドバイスしようと思ったことと先生方の課題意識が一致していたのには感心しました。子どもたちをしっかり見ることができているようです。

2年生の体育の授業では、集合から準備運動まで子どもたちだけで進めていました。なかなかできないことです。その間授業者は授業の準備をしていました。体育が苦手と思われる子どもがときどき手を抜いています。準備運動も終わりに近づくころに、授業者が戻ってきました。横の方から子どもたちの様子を見始めると、先ほどの子どもがしっかりと体を動かし始めます。他の子どもたちも明らかに集中度が上がりました。面白い場面です。また、活動の説明の場面でも似たようなことがありました。1グループは授業者のまわりに集まり、もう1グループは実演をさせるために縦に長く伸びています。近くのグループはしっかり集中して聞いていますが、もう1つのグループは明らかに集中度が低いのです。それも授業者から遠いほど。授業者の目が届くかどうかが子どもたちの集中度に大きく影響することがわかります。
準備運動のランニングでは、授業者は先頭を走っています。体育館の中なので、小さな円になりますが、授業者は何度も後ろを振り返りながら子どもたちを見ています。子どもたちを見ることを意識していることがよくわかります。だからこそ、見ていない時の集中度が落ちるのです。子どもたちだけで活動する時に、互いに注意をさせるという方法を取ったこともあるようですか、長続きしなかったようです。発想を変えて、しっかりできている子どもを評価することをアドバイスしました。子どもたちに、頑張った子どもを発表させるのです。見学者にその役割を与えてもよいでしょう。
また、授業者はこの日の活動量が少なかったことを反省していました。待っている時間が長かったのです。活動量を増やすためには体を動かす以外の活動を意識するとよいことを話しました(体育で大切にしたい活動参照)。

社会科の授業でのことです。社会見学に向けて、その施設で何を聞くかを考える場面です。授業者は、まず「何を知りたいか?」と問いかけました。何を言ってもよいのですから子どもたちが積極的に発言してくれそうです。ところが子どもたちは戸惑っています。漠然と「何を知りたいか?」では答えようがないのです。授業者はすぐに「何を知らないか?」と発問を変えたのですが、次に指名した子どもが「知りたいこと」を発表してしまい、うまくリセットできませんでした。子どもの様子に気づいて発問を変えたことはよい判断だったのですが、まず、変更を徹底させるべきだったでしょう。いったん挙手をやめさせて、発問し直すのです。
子どもたちに考えさせるためには、そのための足場になるものは何かを意識する必要があります。今回の場合、「知りたいこと」が明確になるには、「知らないこと」が何かがわかることが必要です。「知らないこと」を知るためには、「知っていること」が何かを明確にする必要があります。具体的には見学する複数の施設について、「何を知っている?」と知っていることを出させます。施設によって知っていることの違いもありますから、知らないことが浮き上がってきます。そこを足場にして、「じゃあ、知らないことは何?」と知らないことをたくさん取り上げます。ここで、「何を知りたい?」と続ければ、今度は選んだ理由を問うこともできます。その上で、施設の方に聞きたいことをグループで決めさせるというステップを踏むことになります。学年によっても違いますが、「聞きたいこと」の前に「聞かなくてもわかること」を入れてもよいでしょう。事前に施設のパンフレットを手に入れておいてそれを見せる。インターネットで調べる。聞かなくてもわかることを聞く必要はありません。裏を返せば、調べてもわからないことは聞くしかない、わからないから聞きたいとなるのです。常にこのステップを指示する必要はありません。子どもたちが経験を積んでくれば、自分たちでこのステップを踏むようになります。こういう考え方を身につけさせることが大切になります。
また、子どもたちにこの一連の活動のゴールが見えていないことも気になりました。教師が出す一つひとつの課題に取り組みますが、それがどこに向かっているかはっきりしていないのです。ミステリーツアーです。見学した後、わかったことを発表することをしっかり意識させておくことが必要です。聞いた人に、「あっ、知らなかった」「勉強になった」と言わせようといった子ども目線の目標も先に与えておきます。そうすれば、聞くことを決める段階で、「このことを聞けば、勉強になったと言ってもらえそう」といった根拠を持って考えることができます。子どもたちが経験を積めば、この目標を自分で設定することもできるようになります。

国語の授業で、インタビューの時にどんなことが大切かを発表している場面がありました。授業者は椅子に座って指名していきます。穏やかな表情で発表者を見て、うなずきながら発言を聞いています。板書もしません。そのため、子どもたちは聞くことに集中します。発言者の方を向いて聞けている子どももたくさんいます。子どものテンションを上げすぎないことを意識していることがよくわかる授業でした。意識して授業をしているので次の課題も明確になります。
落ち着いた雰囲気で進んでいくのですが、意見を発表できない子どもは次第に集中力を失くします。授業者もこのことには気づいています。子どもをつなぐことが必要なのですが、具体的どのようにすればいいのかがよくわからないようです。このような時は、子どもの発表に対して「同じような意見の人はいる?」と同じ意見の人を確認し、何人か指名します。自信のない子どもも友だちが発表した後なので、話しやすくなります。発表しなくても、手を挙げるだけで受け身の時間が減ります。「今の意見になるほどと思った人いる?」と問いかけることで、考えを持てていない子どもも参加できます。「どこでなるほどと思った」と問いかければ、発言につなげることもできます。
また、授業者は発表者をずっと見ています。発表者はどうしても教師に向かって発言するようになります。教師も他の子どもの様子を見ることができません。耳を発表者の方に向けてうなずきながら聞くようにすれば、全体を見ることができます。この他にも、うなずきながら首を振るなどの工夫をすれば発表者に聞いていることを伝えながら全体を見ることができます。教師が発表者を見続けないので、みんなの方を向いて話すことを意識させやすくなります。教師が全体を見ることで、他の子どもたちの反応をとらえることもできます。うなずいている子ども、首をかしげる子どもがいれば、「うなずいてくれたけど、どういうこと?」「首をかしげていたね。何かわからないことあった?」と発言をつなぐきっかけになります。
1人、面白い発言をする子どもがいました。まわりの子どもたちが揶揄するような態度を見せます。どうやらその子どもは思いが多すぎて整理できず、説明が回りくどくなるようです。だらだらと言葉が続くので、よいことを言っていても子どもたちにはよくわからないのです。発表した子どもは、授業者がしっかり聞いてくれるので満足するのですが、子ども同士がつながっていきません。この場合、いったん発表させた後、もう一度ゆっくりと説明させるとよいでしょう。今度は途中で止めながら「言っていることがわかった?」と整理しながら発表させることでまわりが理解してやすくなります。「○○さんの言いたいことを代わりに説明できる人いるかな」と他の子どもに言わせてもよいでしょう。自分の考えを友だちが説明するのを聞くことで、どのように説明すれば伝わるのかを知ることができます。このとき、「あなたの言いたかったことはこういうこと?」と本人に確認をすることを忘れないようにします。

別の授業で、子どもたちが礼状を書いている場面がありました。気になったのが、礼状を書くにあたっての目標は何か、そのためにどういうことを意識しているのかが明確になっているかどうかです。ひょっとしたらノートなどにまとめられていたのかもしれませんが、私が見ている範囲では、何かを参考にしている様子はありませんでした。ある学級では、「ていねいに」「最後までうめる」といった目標を黒板に書いているのですが、これは物理的なものです。内容に関する目標が必要です。読んでくれた人がどう思うといった、相手を意識したものが求められるのです。そして、その目標を達成するための要素を整理し、まとめておく必要があります。教科書には載っているのでしょうが、子どもたちが意識している様子はあまりありませんでした。何も見ずに黙々と書いているのです。

ある算数の授業で気になったことは、わかった子どもの発言や教師の説明だけで授業が進んでいくことです。わからない子どもはなかなか参加できません。板書も結果だけしか残っておらず、考え方が残っていないのです。わからない子どもが参加できる、わからない子どもがわかるようになる活動が意識されていないのです。答や手順を示せば子どもがわかるわけではありません。わかるためのステップがあるのです。そのことを意識してほしいと思いました。

3年目の教師の算数の授業はとても素晴らしい雰囲気で進んでいました。教師も子ども笑顔にあふれ、やる気が感じられるものでした。教師が体全体で子どもを受容していることが大きな要因でしょう。板書も色チョークをうまく使ってポイントがわかりやすくなっています。そういう授業でも、集中力を失くしたり、再び取り戻したりと変化の激しい子どもが何人かいることが気になります。よく見ていると、各場面で最初の発言や説明は集中していますが、そのあと一気に集中力が落ちるのです。どうやらよくできる子どものようです。一度聞いて理解して、もう聞く必要がないのです。授業者もよくできる子どもにどのような課題を与えればよいか悩んでいるようでした。きちんと自分の授業の課題を見つけているのはとても素晴らしいことです。
できる子どもに対しては、「他の説明を考える」「みんながわかる説明をする」「友だちの考えをみんながわかるように説明する」といったことを課題とするよいことを話しました。特に、教師ではなく「みんな」がわかるということは、子どもの視点を大きく変えてくれます。自分が解ければいいという考えを変えて、友だちにわかってもらおう、友だちを理解しようという態度を育てることで、学級の人間関係も変わってくるはずです。次は、彼らが1時間集中し続ける授業を目指してくれることと思います。

若手の教師が授業参観する時間をつくるために、教務主任が代わりに授業をしてくれました。素晴らしい姿勢です。その際自分の授業も見てくれるよう頼まれました。その向上心にも頭が下がります。
社会科の授業でした。パッカー車の写真を見せて疑問に思ったことをドンドン発表させます。子どもたちの発言を「いい疑問だね」と受容します。ベテランらしい見事な授業技術で進めていきます。子どもに出させた15の疑問の中で「1番素晴らしい疑問」は何かを問います。最初は列指名でつぎつぎ発表させ、その上で今度は、挙手で理由と共に発表させます。先にいろいろな考えがあることを確認しているので、理由を聞く必然性もでてきます。こういう進め方が自然にできるのは素晴らしいと思いました。
しかし、飛び込み授業なのですから、授業者の価値基準を子どもたちは知りません。授業者の言う「いい」疑問がどのようなものかはわかりません。「素晴らしい疑問」とはなんでしょう。このことを明確にする必要があります。つきつめれば、社会科の授業で子どもたちに身につけさせたい力はどのようなものかをはっきりさせることが求められます。この授業で身につけさせたいことは、その中のどれでしょうか。その力を身につけさせるために何を「いい」「素晴らしい」と価値づけるのでしょうか。授業者にこのようなことを伝えたところ、とても素直にかつ前向きに受け止めてもらえました。ベテランだからこそもっと授業が上手くなりたいのです。私の若手へのアドバイスを自分のことのように一生懸命聞いてくれます。このような教務主任ですから、この学校の授業力はきっと上がっていくことと思います。

先生方からは、たくさんの疑問や悩みを聞くことができました。どの先生も前向きに授業に取り組んでいることがよくわかります。わずかな時間に学級の様子が変わっていることからもそのことが伝わってきます。学習規律が確立してきたので、今回は教科の内容について多く話すことができました。先生方の進歩の速さをとてもうれしく思いました。
また、教育実習生がこの日1日、私と一緒に授業を見学し、授業の見方が変わったと感想を述べてくれました。これもうれしいことです。よい実習となることを願っています。

次回は全員の先生の授業を見せていただけます。どのようなことが学べるのか、また若手の教師がどのような成長を見せてくれるのか。今からとても楽しみです。
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30