今の授業にとって何が大切かを考える

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は2人の英語の非常勤の先生の授業を中心に参観しました。

一人目の先生は高校2年生の”listening(dictation?)”の場面が中心の少人数授業でした。
全員で声を出す場面で口が開かない子どもが目につきます。また、友だちが発表する時に聞けていない子どもが気になります。決して人間関係が悪い子どもたちではありません。一問一答形式で友だちの答から次につながらないので、聞く必要がないのです。
ゴールデンウイークや母の日の話を子どもたちにしますが、英語やこの日の授業に関係のない話です。時にはこういった話も大切ですが、できるだけ短く済ませたいところです。
授業中に授業者が手元を見ている時間が長いことが気になりました。子どもを見ることがあまり意識できていません。また、子どもの活躍の場面が少ないことも気になりました。

”listening(dictation?)”は、手元に穴埋めの文章が配られて、その穴を埋める形で行われます。
CDプレイヤーは、電源の関係もあるのでしょう、教室の入り口付近に置かれます。学級を分割しているので、子どもたちは反対側に集中しています。音源と子どもたちの位置が離れているのが気になります。それほど音質のよいものではないので、聞き取りにくいと思います。子どもたちの位置を変えるか、延長コードを準備すべきでしょう。また、授業者は子どものそばにいるので、操作の度に一々反対側に移動します。こういったムダな時間が多いことが気になります。活動の終了後ワークシートを回収しますが、その回収したものをしばらく眺めています。できを確かめているのかもしれませんが、気になるのであれば”listening(dictation?)”の間に机間指導で確認すればいいことです。また、見た結果が授業の次の展開に影響していないので、それならば授業後にゆっくりと見ればいいのです。感覚ですが、ムダと思える時間の総計は10分では聞かないと思います。こうしたムダな時間は子どもたちの集中力や意欲も削ぎます。注意することが大切です。

さて、穴埋め型の”listening(dictation?)”は、いくつかの要素の複合型です。子どもたちの作業は、「文を見ながら、どこを話しているかを聞く」「空欄のところでは、どんな単語かを聞き取る」「その単語の”spell”を書く」といった流れです。さて、力のある子どもは、書かれている文章から、話の流れや”situation”を読み取り、言葉も予想できます。しかし、話の内容を耳で理解するのではなく、書かれた文章で理解するので、本来の”listening”の力はつきません。また、力のない子どもは、内容ではなく、今どこを話しているか音を追いかけて、空欄の単語を聞き取ることに専念します。話の流れはよく理解できません。いずれにしても、”listening”としてはちょっと気になる進め方です。
“listening(dictation?)”を行って、空欄の単語だけを答え合わせします。英文の確認はされません。こうすることで、単にできる、できないをチェックするためだけの試験と化してしまいます。子どもたちがこの活動を通じて力をつけたり、できなかった子どもができるようになったりする場面がありません。この授業の構成を考えた先生も一緒に見ていましたが、子ども同士が聞き取れたことを確認し合ったりして、聞き取れるようになるための場面をつくることをお願いしたそうなのですが、上手く伝わっていません。この授業者は進度が極端に遅いので(ムダな時間が多いので当然ですが)、そういった時間も取れないのかもしれません。

授業の構成は、できれば絵などを使って、大体の”situation”を伝えておき、まず話の内容を聞き取ることに専念させ、子ども同士で内容を確認しながら再度聞き取らせることから始めるとよいと思います。全体で内容を確認した上で”dictation”を行うのです。穴埋めの形式のワークシートを利用するのであれば、このタイミングがよいと思います。
この授業の構成を考えた先生には、このことをお伝えしました。素直で、前向きな方なのでよい工夫をしてくださると思います。どのように変わるのか楽しみです。

授業者とお話しましたが、なかなかどのようにしたらよいのか、イメージがわからないようです。また、子どもを見るということはどういうことか、何を見るのかもピンとこないようでした。時間があれば一緒に授業を見ましょうかと誘ったところ、空いている時間に授業を見に来てくれました。「子どもが集中している?していない?」「子どもが次の場面でどうなるか?」といったことを問いかけながら、子どもたちを見ることはどういうことかを考えてもらいました。いろいろな話をしましたが、本人は「まず、子どもを見ることから意識してやってみたい」と言ってくれました。自分に欠けているのは、自分がまずやらなければいけないのは「子どもをみることだ」と思ってくれたのではないでしょうか。今後どのような変化をしてくれるのか楽しみです。

もう一人の方はベテランの方で、なかなか大変な学校で昨年まで長期にわたって務めておられた方です。高校2年生の授業でした。
一言で言うと子どもを受容できていない授業でした。授業者は素敵な笑顔ができる方なのですが、隙を見せたくないという意識が強いのか、子どもたちに難しい顔で接することが多いのです。教室全体を見ることが少なく、死角が多いように感じました。気になる子どもを見て、授業を乱さないかチェックするということを無意識にしているのかもしれません。
教科書を何回か読むという指示をした時に、なかなか子どもたちが動きません。しかし、この時間は何人かの先生方が見に来ているので、先生に協力しなければと考える気のいい子どもも目につきます。ある子どもが頑張って指定された回数読み終りました。終わったあと、ちょっとリラックスしている時、机間指導をしていた授業者がちゃんとやるようにと指導をしました。その子どもは、ちゃんと読んだことを伝えたのですが、それならばもっと読みなさいと指導して終わりました。残念な場面でした。一言「そうだったの、早かったね。勘違いしてごめんなさいね。じゃあ、もっと読んで、もっとうまくなろうよ」と子どもの頑張りをほめ、喜び、次への意欲を持たせたいところでした。
また、一定時間に何回読めるかという活動をした後に、前回よりも増えたかどうかを確認しました。その時、前回より増えなかった子どもは準備して来なかったからだと否定的な発言をしました。それに対して、「ちゃんとやってきたけど、できなかった」と訴える子どもがいました。授業者はその子どもを無視します。子どもはそれにめけずに何度も訴えます。授業者がやっと聞いてくれたので、そのことを主張するのですが、その頑張りを認めずに次頑張るように言って終わりました。「そうなの。頑張ったのに結果が出なくて悔しいね。必ず力になっていくから、次もしっかりやろう。絶対に増えるよ」と努力を認めて励ましてあげたいところでした。
授業者は自分の間違いを認めることに臆病なように感じました。うっかり認めると、自分の権威が揺らいだり、子どもたちに付け込まれたりすると思っているのかもしれません。この学校の子どもたちは、そういう子どもではありませんし、基本となる人間関係ができていれば素直に間違いを認める先生を子どもたちは逆に尊敬するものです。このことを理解してほしいと思いました。
授業は一問一答で進みます。反応しない子どもが多いことが気になります。授業者は協力してくれる一部の子どもとのやり取りだけで進めていきます。子どもたちが授業者と離れていっているようです。

授業者は、教える経験をいろいろしていて教授法には自信があるようなことをおっしゃっていました。しかし、今必要なのは子どもを受容し、子どもとの関係をつくることです。そのことを強くお願いしました。この学校では子どもとの人間関係を大事にされる方が多いので、是非時間をつくって他の先生の授業を見ていただくこともお願いしました。

この日は、今年の研修の進め方について担当の先生方と相談させていただきました。先生方からの提案は、「早い時期に教科単位で非常勤の先生も含めて一緒に授業を見あう機会を計画してもらい、互いのよいところを学びながら教科で共通の授業法をつくり上げていく」というものでした。とてもよいやり方だと思います。どの教科でも先生方がそれぞれで工夫をされています。それを学び合いながら共通のものにしていくというのはとても大切なことです。また、非常勤の先生はどうしても他の先生方と行動を共にすることが少なくなるので、こういった機会を意図的につくることが重要になります。
学校にどのような変化が起こるか、とても楽しみです。
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