愛される学校づくり研究会

玉置流・教師論

★ありがたいことに再び「愛される学校づくり研究会」のコラムに連載させていただく機会を得た。教育学部の教員となったこともあって、36年間の公立校教諭と管理職の経験を踏まえて、自分なりの「教師論」を書かせていただくことにした。話題があちこちに飛ぶコラムとなるが、月1回おつきあいをいただければ幸いである。

【 第11回 】教師や親による子どもをディスカウントする言葉

講義「教師論」の一コマで、多賀一郎先生が言われる「子どもをディスカウントする言葉」を紹介した。ディスカウントするとは「相手や自分の存在や価値、行動の意味合いなどを無視したり、軽視したりする」ことだ。
  多賀先生の長い教師経験をもとにした「ディスカウントする言葉」を紹介するにつれて、学生の頷きが多くなり、表情を曇らせる者を何人か見ることができた。きっとこれまで教師や親の言葉で傷ついた経験を思い出しているに違いない。一人静かに過去を振り返り、教師や親が発する言葉について考えてほしいと指示をした。
  以下の二つは、学生から出された感想(読みやすいように原文に手を入れている)の一部である。改めて「教師や親の一言は重い」と、大いに心を揺さぶられた。

小学4年生のとき、担任にとっては、私はとても手がかかる子どもだったらしく、担任からの言葉に、いつもトゲを感じていました。小学校6年生の時、児童会役員の一人になることになって、4年生のときの担任と再び交わるようになりました。あるとき、その先生から「私は勘違いしていました。あなたはとても素敵な人なのですね」と言ってもらえた。この一言を思い出すたびに、今でも涙が出ます。好かれていないと思っていた先生にもらった一言の嬉しさは、今でも忘れられません。良い意味で、肩透かしの一言でした。教師の一言はとても重いです。

中学生のときに、担任の先生と合わず、いつも反抗していました。家でも頭の良い兄と比べられて、「なんで兄ちゃんはできるのに、あなたはできんの?」とか、「もう育てたくないわ。こんな子!」と言われたこともありました。私が問題ばかり起こしていたことが原因であることは間違いありません。それでも、親は私を見捨てないと思っていた中で、この言葉はとてもショックでした。「私の居場所はないな。いない方がいいんだ」と思ったこともありました。自分は「このままではダメだ。変わらないといけない」と思っていましたが、素直になれず、変わるきっかけがなく、苦しかったことが続きました。
 こんな私を変えてくれたのは、バスケの顧問の言葉です。私は、バスケが大好きで、部活のために学校に行くという状況でした。顧問の先生に「おまえ、バスケやっているときが一番輝いているな。かっこいいぞ!」と言われたことで、頑張ることができました。レギュラーになれたときに、顧問から「部活以外でも頑張ってみろ。お前ならできる。まずは自分が変われ。そしたら周りの見方も変わる」と言われました。この言葉がきっかけで、不思議にドンドン変わることができました。
 今、あの言葉を言われなかったら、私はどうなっていただろうと思います。本当に言葉の力は凄いと思います。

(2017年9月11日)

準備中

●玉置 崇
(たまおき・たかし)

1956年生まれ。1979年教員スタート。小学校、中学校教諭を経て、1998年教頭、2004年校長に就任。2007年より愛知県教育委員会主査、海部教育事務所長を経て、2012年に小牧市立小牧中学校長となる。2015年に早期退職をして、岐阜聖徳学園大学教育学部教授に就任。「書くことによって学ぶ」をコンセプトにゼミ生とともに創る「玉置研究室HP」発信中。著書には、「玉置流・学校が元気になるICT活用術―ICTは学校力向上ツール 」(プラネクサス)「学校を応援する人のための学校がよくわかる本(1)(2)」(プラネクサス)「「愛される学校」の作り方 −悩める校長をPTAを救う!実践とノウハウ」(プラネクサス)「スペシャリスト直伝!中学校数学授業成功の極意」(明治図書)など多数。
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