愛される学校づくり研究会

玉置流・教師論

★ありがたいことに再び「愛される学校づくり研究会」のコラムに連載させていただく機会を得た。教育学部の教員となったこともあって、36年間の公立校教諭と管理職の経験を踏まえて、自分なりの「教師論」を書かせていただくことにした。話題があちこちに飛ぶコラムとなるが、月1回おつきあいをいただければ幸いである。

【 第9回 】教育名言から学ぶ

今年度から1年生の大学講義で「教師論」を担当することになりました。1年前に始めたこの連載タイトルは、このことを予想して付けたわけではありませんが、願ってもない講義を担当することができました。
  コラムでも、時々は講義内容も紹介しようと思います。今回はその1回目です。
  講義で「教師の心に響く55の名言」(野口芳宏著、学陽書房)から、以下の三つの言葉を取り上げ、学生にその言葉の意味を想像させ、教師のあり方について話し合いました。

「何を言ったか、何を貰ったかではない。誰が言ったか、誰に貰ったかが大事なのだ。(平田資・医師)
  「生徒理解より教師理解が大事」(青木剛順・元校長)
  「人を許すはよし、忘れるはさらによし」(ロバートブラウニング・詩人)

一つずつ取り上げ、いろいろと論議したのですが、最後は、「三つの言葉のうち一つを選び、できれば自分の体験談を入れて、この言葉について考察しなさい」とレポートを書くように指示しました。
  どの言葉が一番選ばれたと思いますか。「体験談も入れて」という指示をしたからだと思いますが、「人を許すはよし、忘れるはさらによし」が一番多く取り上げられました。二人の学生のレポートの一部を紹介します。

「人を許すはよし、忘れるはさらによし」。この言葉は凄く共感できました。中学のとき、先生に、あることでものすごく怒られました。翌日、先生に会ったら、普段と変わらない態度で接していただき、登校前にあの先生に会ったら嫌だなと、とても憂鬱だった気持ちが晴れたことがありました。先生によっては、次の日、酷い人は1年後まで引きずる人がいました。私はこの体験とこの言葉から、一度ガツンと怒ったら、次の日まで引きずらないような教師になりたいと思います。切り替え、割り切り、リセットを心掛けます。

子供は未完の存在であり、過ちを繰り返すのが普通だと思います。過去の失敗を持ち出して何度も叱れば、子供の心はくすみ、いつしか教師への信頼もなくすと思います。「人間は忘れたくないものを忘れ、忘れたいものを忘れられないものである」という言葉にも、なるほどと思いました。生徒達の良い面を思い出し、叱ったことはすぐに忘れるのがいい。そもそも教師が、こう話せば生徒に理解してもらえると思っていても、子供が教師を信頼していなければ、そうはならない。今日で、この言葉が理想の教師像に加わりました。

教師というのは、過去の失敗をいつまでも引きずるものだ、なかなかすっきり出来ないものだと、数々のレポートから、改めて感じました。まさに分かっているのに出来ないことの一つなのだとも思いました。

(2017年5月15日)

準備中

●玉置 崇
(たまおき・たかし)

1956年生まれ。1979年教員スタート。小学校、中学校教諭を経て、1998年教頭、2004年校長に就任。2007年より愛知県教育委員会主査、海部教育事務所長を経て、2012年に小牧市立小牧中学校長となる。2015年に早期退職をして、岐阜聖徳学園大学教育学部教授に就任。「書くことによって学ぶ」をコンセプトにゼミ生とともに創る「玉置研究室HP」発信中。著書には、「玉置流・学校が元気になるICT活用術―ICTは学校力向上ツール 」(プラネクサス)「学校を応援する人のための学校がよくわかる本(1)(2)」(プラネクサス)「「愛される学校」の作り方 −悩める校長をPTAを救う!実践とノウハウ」(プラネクサス)「スペシャリスト直伝!中学校数学授業成功の極意」(明治図書)など多数。
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