愛される学校づくり研究会

玉置流・教師論

★ありがたいことに再び「愛される学校づくり研究会」のコラムに連載させていただく機会を得た。教育学部の教員となったこともあって、36年間の公立校教諭と管理職の経験を踏まえて、自分なりの「教師論」を書かせていただくことにした。話題があちこちに飛ぶコラムとなるが、月1回おつきあいをいただければ幸いである。

【 第7回 】教育実習での悩み(3)机間指導の方法

第1期ゼミ生(4年生)から届いた「小・中学校の教育実習中、授業で困ったこと」に応えるシリーズの3回目です。

中田昂樹君からは、次の困りごとが届きました。

「机間指導で困りました。僕はどうしても話過ぎてしまうのです」

教師なら、この悩みはごく普通のものです。教師は、なんとしてもこの子どもをできるようにしたいと思うものですから、机間指導においても、困っている子どもがいると、つきっきりになってしまい、その子どもに話しすぎてしまいます。私もこうした経験は嫌と言うほどしました。そして、いつも反省していました。

なぜなら、話しすぎて効果があったことはまずないからです。最悪の場合は、学級全体が集中力に欠けてきて、「今、○君を教えているんだ。静かにしろ!」と大声で怒鳴ってしまいました。先輩に言われました。「玉置、授業を壊すのはできない子どもではない。優秀な子どもなのだ」と。優秀な子どもは早くにできてしまい、手持ち無沙汰となり、ついしゃべってしまうのです。まさにその通りでした。こちらとしては、できていない子どもがいるのに、できたなら静かに待っていろ!なんていう気持ちでいるのですから、つい怒鳴ってしまうのです。

振り返ると、わからない子どもに異常なプレッシャーを与えていたと思います。教えてやろうという教師根性丸出しで、何がわからないのかもわからない子どもへ「こうすればいい」と矢継ぎ早に言っても、子どもは心臓をドキドキさせるだけで、頭の中に何も入れられないでしょう。なんとかわかったフリをしなければこの場は逃れられないという子どももいたことでしょう。こういうときに教師が言う多くの言葉は「わかった?」という言葉です。私もその通りでした。私は子どもが「わかりました」と言えば、「ではこの計算はできるでしょ」と、わかり具合を試そうとしたのですから、子どもはたまらなかったことと思います。

自分が子どもの立場になるとよくわかります。セミナーに出ていて、説明を受けている内容がよくわからなかったとします。講師がそれに気づき、自分に近づき、熱心に説明を始めても、「大丈夫です」とは言えません。とはいえ、冷静に考えることができるでしょうか。せめて「ここを見直してください」とか「ここのところはここを読んでいただくとわかります」と言っていただいた方が精神的に落ち着き、再度考えることができるのではないでしょうか。

机間指導で話し過ぎてしまう原因には、「○分間で全員を回る」という意識が低いともいえます。できるだけ短時間で全員のもとに行くべきです。36人の子どもがいれば、一人10秒関わると、6分かかってしまいます。この時間感覚はしっかり持つべきです。10秒でも長すぎるのです。もちろん子どもの状況によって軽重をつけるべきです。

(2017年1月11日)

準備中

●玉置 崇
(たまおき・たかし)

1956年生まれ。1979年教員スタート。小学校、中学校教諭を経て、1998年教頭、2004年校長に就任。2007年より愛知県教育委員会主査、海部教育事務所長を経て、2012年に小牧市立小牧中学校長となる。2015年に早期退職をして、岐阜聖徳学園大学教育学部教授に就任。「書くことによって学ぶ」をコンセプトにゼミ生とともに創る「玉置研究室HP」発信中。著書には、「玉置流・学校が元気になるICT活用術―ICTは学校力向上ツール 」(プラネクサス)「学校を応援する人のための学校がよくわかる本(1)(2)」(プラネクサス)「「愛される学校」の作り方 −悩める校長をPTAを救う!実践とノウハウ」(プラネクサス)「スペシャリスト直伝!中学校数学授業成功の極意」(明治図書)など多数。
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