愛される学校づくり研究会

玉置流・教師論

★ありがたいことに再び「愛される学校づくり研究会」のコラムに連載させていただく機会を得た。教育学部の教員となったこともあって、36年間の公立校教諭と管理職の経験を踏まえて、自分なりの「教師論」を書かせていただくことにした。話題があちこちに飛ぶコラムとなるが、月1回おつきあいをいただければ幸いである。

【 第5回 】教育実習での悩み(1)子どもの発言で授業を深めることができない

第1期ゼミ生(4年生)に、質問メールを出しました。「小・中学校の教育実習中、授業で困ったことを教えてください」というメールです。
  「ものすごくたくさんあって書ききれません」という返答を防止するために、「3点に絞り簡潔に知らせてください」と付記しました。
  届いた返答を見ながら、多くのことを考えました。そこでしばらくは、ゼミ生の困りごとをもとに、どのような学びをしておいたら困らなかったのかを考えていきたいと思います。教員養成課程に身を置くものとして、大学講義の見直しにもつなげたいと思います。

第1回目は、中田啓太君の困りごと「単発の質問ばかりを出してしまい、子ども同士の発言で深める授業ができなかった。その方法がなかなか分からない。分かったつもりでもできない」を取り上げます。
  実は、この困りごとを知った時に、教育実習生ではなかなか言えない高級な困りごとだ、と思いました。実習生授業で、子ども同士の発言で深まりを生む授業を見たことがないからです。現役教師の授業でも、あまり見たことがないというのが正直なところです。
  中田啓太君の授業を実際に見ていませんので、何とも言えませんが、「単発の質問ばかり」は十分に想像できます。いわゆる一問一答で授業を進めたのだと思います。

では、どのような質問をしたらよいかということですが、いきなり子ども同士の発言で深まりが出るような質問を作ることは難しいことです。
  私は、そういった質問を考えるより先に、「教師が正誤判定者になっているのではないか」と問いたいと思います。極端に表現すると、一人の子どもの発言を聞き、あるいは子どもに発言させ、その正誤を教師が伝えるパターンの授業ではなかったのかと振り返ってほしいのです。正解であれば、「そうです。その通りです。では次ですが…」と授業を進め、不正解であれば「他にありませんか」と、正解を出せる子どもが発言するように促し、正解が出れば次へ進むという授業ではなかったかと言いたいのです。特に中学校の授業では、よく目にする授業です。

教師が正誤判定者にならないようにするためには、正解が出されても、その子どもの発言だけで終わらず、教師が他の子どもへつなぐ、つまり発言を求めることを意図的にすることが大切です。
  「なるほど!そう考えたんだ。あなたは?」
  「あなたも同じか。君は?」
  と教師が指名し、多くの子どもの考え(特にそのわけ)を表出させ、「一人の考えではなくて、何人かの人の考えが同じであるので、このことはこれでいいかい?」と教師は全体に問いかけ、合意をした上で、次へ進めるべきです。
  たったこれだけのことで、数人の子どもの考えを表出させることができます。自分が同様な傾向があると思った人は、ぜひ試みてください。

(2016年9月5日)

準備中

●玉置 崇
(たまおき・たかし)

1956年生まれ。1979年教員スタート。小学校、中学校教諭を経て、1998年教頭、2004年校長に就任。2007年より愛知県教育委員会主査、海部教育事務所長を経て、2012年に小牧市立小牧中学校長となる。2015年に早期退職をして、岐阜聖徳学園大学教育学部教授に就任。「書くことによって学ぶ」をコンセプトにゼミ生とともに創る「玉置研究室HP」発信中。著書には、「玉置流・学校が元気になるICT活用術―ICTは学校力向上ツール 」(プラネクサス)「学校を応援する人のための学校がよくわかる本(1)(2)」(プラネクサス)「「愛される学校」の作り方 −悩める校長をPTAを救う!実践とノウハウ」(プラネクサス)「スペシャリスト直伝!中学校数学授業成功の極意」(明治図書)など多数。
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