愛される学校づくり研究会

桜梅桃李を愛す

★今回から寄稿させていただくことになりました新城市教育委員会教育長の和田守功と言います。「桜梅桃李(おうばいとうり)」とは、ありのままの個々「子供の姿」です。作為的なはたらきかけによってつくられた姿ではなく、無作(むさ)の、もともと一人ひとりの子供のもつオンリーワンの命の輝きが表出された姿です。そんな姿をこよなく愛し続けていきたいというのが私の思いです。そうした考えから、タイトルを「桜梅桃李を愛す」としました。私の教育に対する拙い思いの一端を皆様方にお伝えすることができればとの思いでペンをとらせていただきます。1年間、よろしくお願いします。

【 第7回 】人としての「いろは」の修得

躾とか社会規範については、常に話題に事欠きません。その度に「家庭の教育力の低下」や「学校の道徳教育の不備」が、やり玉にあげられます。そして、家庭と学校の間で責任のなすりあいをするといった恥ずかしい状況がマスコミ報道されています。
 「子供は社会の宝」「国の宝」といった意識が薄れてきたせいかもしれません。「子供は、親の子」であることは確かです。しかし、「自立した日本人」「国家社会・国際平和に貢献する人材」に育てるという視点がぶれなければ、社会全体で子供を育てる視点は、堅持できるはずです。「うちの子」「よその子」の分けへだてなく、「みんなの子」として、「ならんことはならん」と諭すことが容認される社会であってほしいと思います。このことに親も感謝こそすれ怒るようなことはない、以前の日本社会のコンセンサスを取り戻したいものです。
 国家としても、義務教育国庫負担金割合の見直しをはじめ教職員の定数増など、「みんなの子」として、教育にかける意気込みを期待したいものです。

目の前の子供の「今」をどうするかは、教職員の課題です。子供たちは、日々、成長・変化しています。鉄は熱いうちに打たなくてはなりません。国の施策や教育委員会の指導を待つなどと、悠長なことを言っていられません。
 電車のなかで乗客の迷惑を顧みず大声で楽しく話している子供、手を挙げて暴力を奮おうとしている子供、未成年なのに煙草を吸おうとしている子供、衝撃を受けて放心状態にある子供など、すぐに対処しなくてはならない事例は、学校生活のなかで常に起こります。「その時」「その場」でやらなくてはならないことばかりです。躊躇したり、見て見ぬふりをしたりしたら、事態は悪化するばかりです。当該の子供においても、いっそう立ち直りができにくい状況になります。「今すぐ行動する」ことが重要です。

「PCCT」で、「うちの子」「よその子」から「みんなの子」に意識変革をしていく必要があります。新城市では、これを「共育(ともいく)」と称して、全市民で取り組もうとしています。すなわち、「PCCT」のparent(親)、 children,(子供)、community(地域)、teacher(教職員)の四者が、子供も大人も、老いも若きも、男も女も、地域総ぐるみで、「共に過ごし、共に学び、共に育つ」ことを意識して活動していこうというものです。
 ただでさえ少ない子供を、「うちの子」としてかかえこむのではなく、「よその子」も同様に、より広い視野で、より多くのステージで活動できるよう、「みんなの子」として地域の人々が温かいまなざしで子供を見守っていける仕組みと場所が必要です。そこで、新城市では、「共育12(ともいく いいに)を策定して推進することにしました。

新城共育12「ともに あいさつ あいことば」は、次のような考えのもとに策定しました。日本人の常識として「化粧は人前でやるものでなく、人前に出るためにやるもの」でした。それがマナーであり、満員電車のなかや賑わう待合で化粧するなど、もってのほかでした。歩きながら食べないというのも、少し前までは日本人の作法でした。人前で「行儀が悪い!」などと、わが子を叱る母親の姿も、あまり見かけなくなりました。人が人として、自分とは異なる性格や思想、文化をもった人と生活するには、最低限の約束事が必要になります。それが、マナーやルール、規範と言われるもので、日本人が昔から、親から子、子から孫へと、言い伝え、守ってきた大切なものです。
 これらの事柄と、学校教育の「道徳」授業で指導してきた、指導要領で言うところの4つの柱にふくまれる、小学校22項目、中学校24項目の徳目を検討しました。それに、これまで新城市内の学校の現場において、諸先輩から教育に欠かせない項目として重点的に指導され続けてきた項目を洗い出し、さまざまな視点から検討しました。その結果、新城市にとって、昔も今も、そして、これからも大切にしたい12項目を厳選しました。これを「ともに あいさつ あいことば」の12字に読み込み、「共育」で、子供も親も学校も地域も、市民こぞって勧めていけるよう願いをこめて作りました。

「ともに あいさつ あいことば」は、「友に挨拶、愛言葉」と「共に 愛察 愛言葉」の二つの意味をこめています。「友達と互いに挨拶を交わそう」を合言葉に、明るい挨拶の飛び交う、学校や地域、職場にしようというものです。挨拶により、心が開かれ、絆が生まれ、住み心地のいい環境ができます。もう一つは、人間は一人では生きられません。互いに思いやりをもって助け合うという、人への愛なくして社会は成立しません。互いの相手を想う愛の気持ちを察することができれば、相手を批判し侮辱する言葉など口にできません。相手を思いやって語る「愛言葉」が生まれるはずです。「共に愛の気持ちを察し、愛をこめた言葉を発していこう」と願いをこめています。12項目を覚えることは難しいですが、「ともに あいさつ あいことば」と織り込んで口ずさみ、実践につなげていくことを願います。また、毎月12日は、「共育12の日」として定め、市民こぞって、推進していきます。 なお、12項目とその背景については、新城市ホームページを参照ください。

(2013年10月14日)

準備中

●和田 守功
(わだ・もりのり)

人間・日本文化・日本酒(やまとごころ)をこよなく愛し、肴を求めて、しばしば太平洋に。朝一番に煎茶を飲み、毎朝、自分で味噌汁をつくる。山野草を愛でる自然派アナログ人間。現在、東三河ジオパークを構想中。自称、新城市観光広報マン。見どころ・秘所を語らせたら尽きない。
教育では、新城教育で「共育(ともいく)」を提唱し、自然・人・歴史文化の「新城の三宝」や、読書・作文・弁論の「三多活動」を推奨している。
新城市教育長をはじめ、愛知県教育委員会など教育行政に16年間携わっている。また、中学校長をはじめとして、小学校で13年間、中学校で11年間、学校現場で教職を務めてきた。