愛される学校づくり研究会

桜梅桃李を愛す

★今回から寄稿させていただくことになりました新城市教育委員会教育長の和田守功と言います。「桜梅桃李(おうばいとうり)」とは、ありのままの個々「子供の姿」です。作為的なはたらきかけによってつくられた姿ではなく、無作(むさ)の、もともと一人ひとりの子供のもつオンリーワンの命の輝きが表出された姿です。そんな姿をこよなく愛し続けていきたいというのが私の思いです。そうした考えから、タイトルを「桜梅桃李を愛す」としました。私の教育に対する拙い思いの一端を皆様方にお伝えすることができればとの思いでペンをとらせていただきます。1年間、よろしくお願いします。

【 第6回 】「ほめ筋」を見つけて伸ばす

まもなく長い夏休みが終わります。三学期制の地域の子供たちは「新学期に向けて新たな気持ちでがんばるぞ。」の思いで、二学期制の地域の子供たちは「前期のまとめをしっかりやるぞ」の思いで、それぞれ気持ちを切り替えて臨もうとしているのではないかと思います。一方、夏休み中の不規則な生活に慣れて、学校に行くのを苦痛に感じている子供もいるかもしれません。さらに、夏休み中の人間関係の変化で「いじめ」の心配もあります。例年、「不登校」の数も増える時期です。すべての子供たちが、学校や友達への新たな期待をもって登校できるよう、一人ひとりの子供に即したきめ細かな対処をしていきたいものです。特に、気にかかる子供については、家庭や教職員との連携・共通理解のもとで進める必要があります。「新たな一人を出さない」という強い決意が、担任や学校に求められます。

子供のモチベーションを高める、やる気にさせる。教育者としての手腕が問われるところです。不登校気味の子供に、学校において心が落ち着く居場所を確保することができるのか。話し相手はいるのか、活動する内容はあるのか、目標は用意されているのか。子供の楽しみに結びつくような活動、展望を抱けるような空間を創ることで、学校への「行きがい」が生まれてくると思います。いじめについても、学級集団や学年集団として、なかよく力を合わせて行動できる「何か」があれば、変わります。いじめより熱く夢中になれる目標、いじめより楽しい活動を生み出せば、変わります。この集団としてのエネルギーの渦をつくりだせば、いじめは生まれにくくなると思います。その際の視点が「感動」「創造」「貢献」の喜びを得る活動を考えることです。

研修の成果を、教師の活動にどう表すか。多くの先生方が、この夏休みの間に、さまざまな教育研修会に出て、多くのことを学んだと思います。また、自分から計画して、被災地に出かけボランティア体験をしたり、山や海で自然体験をしたり、歴史文化を探求する旅をしたりして、人生経験を積まれた方も多いことでしょう。教育の専門的知識とともに、自然・社会等の教養体験は、両方とも教師にとって欠かせないものです。そうした研修や体験は、子供と正対したときに、おのずと生かされるものと確信します。
 研修では、他の先生方の先進的な実践、成功や失敗の事例の話を聞き、自分の授業の参考にしようとするわけですが、なかなか思うようにいきません。ましてや、指導案をそのまま真似るとか、「○○の技術」「○○の技法」といった形を真似るだけでは、なかなか深まりは得られません。それは、その形ができあがるまでのプロセスや、その形にかけた実践者の願いまでは見えないからです。

「子供の成長や幸福を願う」ならば、子供を見ぬく力をつけ、現実が見えることです。
 子供が日記を書いてきても、行間や言葉の裏を読み取れる教師と、表面的な言葉面しか読み取れない教師とでは、子供に返す赤ペン(評語)の言葉が違い、子供の心への届き方も違います。教師の「眼力」です。眼力は、天性の部分もありますが、鍛えて磨かれる要素も大きいと思います。
 その方法としては、子供の日記や作文の文章を題材として、学年や現職研修で全教職員で読みあい、意見を述べ合うことです。そうすることで、子供の言葉の使い方や表現内容の一つとっても、人によってさまざまな受け止め方があるということがわかります。また、子供の日頃の生活環境や生活ぶりと関連させて読むと、同じ言葉でも、より深く読み取ることができます。このことは、愛知県の三河地方で活動している「形成の会」などで「作品研究」として行われているものです。各職場で、ぜひ実行していただきたい手法です。やれば必ず「言葉の眼力」「生活の眼力」が着実に向上します。そうすれば、子供に対して「適切な言葉かけ」「心に届く赤ペン」ができるようになります。

「ほめ筋をほめる」ことで「できる」ようになる。言葉かけのなかで、もっとも効果的なものは、「心に届くほめ言葉」です。「できたらほめる」ということは多くの教師ができますが、「ほめたらできる」という「ほめ方」ができるといいなと思います。そこで必要なのが、教師の「眼力」です。「子供の性格を見ぬく、子供の力を見ぬく、子供のよさを見ぬく」といったことができると、その子に合ったほめ方ができるのではないでしょうか。まとはずれな、いいかげんな「ほめ言葉」は、子供にとっては「単なるお世辞」か「子供への媚び」にしか聞こえません。子供のプライドをくすぐる、子供の夢中になっている背中を押す、子供自身にもそうかもしれないと思わせる「ほめ筋」を、子供の活動や表現のなかから見つけ出して、その場で即座にほめたいものです。それが子供のモチベーションを高め、「できる」ことにつながっていきます。

適切なほめ言葉は、研ぎ澄まされた教師の専門性と人間性から生まれます。ベテランの音楽や体育の教師の授業を見ていると、見ているうちに、合唱の声が美しくなり、器械運動の技ができるようになります。その指導の過程は、まさに子供の可能性を見つけ、ほめ筋を言葉で的確に指摘して、全身全霊でほめる。さらにやらせてみて、成長の変化があればまたほめる。この繰り返しで子供は伸びます。昔担任した5年生の学級文集にこんな詩がありました。

「習字」
    一枚書き終えて
    ほっと一息ついたら、
    先生が、「A子のは、うまいなあ。」
   と言った。
    私が、
   「これ、手本をうつしただに。」
   と言っても、先生は、「うつしたとしても、よく書けている。」
   と言ってくれた。
    うれしかった。

手本を習字紙の下に置いて、上からうつして書けば、ある程度整った字形で書けます。概念的には、うまく書けて当り前だと思います。しかし、線の勢いや筆遣いなどは、いくらうつしたとしてもうまくはいきません。それが、A子らしく、すばらしい線質で書かれていたのですから、ほめて当然のことです。それを、「うつしたら駄目だ。」と叱ったり、「なんだ手本をうつしたのか。」と突き放したのでは、子供はきちんと書けるようにはなりません。 「できたら、ほめる」のではなく、「ほめたら、できる」、そんな場面を見つけられるよう、夏休み明け、がんばってみませんか。

(2013年9月2日)

準備中

●和田 守功
(わだ・もりのり)

人間・日本文化・日本酒(やまとごころ)をこよなく愛し、肴を求めて、しばしば太平洋に。朝一番に煎茶を飲み、毎朝、自分で味噌汁をつくる。山野草を愛でる自然派アナログ人間。現在、東三河ジオパークを構想中。自称、新城市観光広報マン。見どころ・秘所を語らせたら尽きない。
教育では、新城教育で「共育(ともいく)」を提唱し、自然・人・歴史文化の「新城の三宝」や、読書・作文・弁論の「三多活動」を推奨している。
新城市教育長をはじめ、愛知県教育委員会など教育行政に16年間携わっている。また、中学校長をはじめとして、小学校で13年間、中学校で11年間、学校現場で教職を務めてきた。