今年の目標

ICT機器の学校での活用が言われています。一昔前は、導入された以上活用しなくてはならないと、利用そのものが目的となっているような場面も見受けられましたが、さすがに最近は見聞きしなくなりました。子どもたちにつけさせたい力をつけるためにどう活かすかという視点が定着してきたように思います。ICTはあくまでも道具だということです。また、一人一台のタブレット環境になってくれば、授業以外の場面でもICTが活用され学校の活性化につながっていくと思います。

私は最近ICTの活用に関して、学校、授業でどう使うかという視点から少し離れて、ICT機器やAIがあたりまえの時代の思考や仕事のあり方はどのようなものかを考えることが増えてきました。例えばアンケートの結果の分析などは、パソコンが普及することで処理の時間が減少し、その結果を見て考えることに時間をかけることができるようになりました。AIが普及してくると分析も自動でできてしまい、その結果をもとに新たな発想が生まれてくるようになるのかもしれません。仕事のやり方や仕事の価値が大きく変わってきます。そのような時代に人に求められる力はいったいどんな力なのだろうかと思うのです。多くの方が、「昔も今もそんなに変わらない。思考力・判断力・表現力だ」と言われるのではないでしょうか。確かに私もその通りだと思います。しかし、思考や判断の視点やそのために必要な知識や技術は変わってくるのではないでしょうか。そう考えると、授業のあり方や構造も変わってくるように思います。

今までの授業や試験ではあらかじめ正解のある問題を解決することが主でしたが、それを通じて身につく力はどのようなものでしょうか。知っている知識を応用する力、過去の問題解決の経験で得た方法(資料の活用や他者との協働といった解決のプロセスなど)を活用する力などがあげられると思います。しかし、今では答のあるような問題は、ネットを検索することですぐに正解が見つかります。ネットの質問コーナーには数学の問題が質問され、その答がすぐに投稿されています。古文の現代語訳を子どもたちに課せばすぐにネットで訳を探す子どもがほとんどでしょう。たとえ自力でやる子どもであっても答の確認はネットを使うと思います。問題や課題を自分で考える必然性がなくなってきています。AIが発達していけばますますこのような傾向は強くなると思います。このような時代になってくれば、授業のありようは変わらざるをえないのではないでしょうか。
先ほどの古文の例で言えば、子どもたちがネットで現代語訳を見つけることを前提にして、思考力をつけるための授業を組み立てることが求められます。また、正解のない問題に取り組ませる授業であれば、解決のプロセスを評価し改善していく力が求められますが、どうすればその力はつくのでしょうか。また、ICTは問題解決の大きな武器になりますが、使いこなす力はどうすればつくのでしょうか。ただ経験を積めばよいわけではないと思います。今までの授業とは異なったプログラム、プロセスが求められていると感じます。これまでの学力観にもとづいた授業をよくするための道具としてだけでなく、今までと異なった視点での授業づくりのベースとしてのICT活用を考える必要があると思います。

私の中で答が明確な形になるにはまだまだ時間がかかると思いますが、ありがたいことに、こういったことを意識した授業づくりを進めている学校で先生方と一緒に考える機会を得ています。今年はこのことについて自分なりの答を見つけることを目標の一つにしたいと思っています。

体育大会で元気をいただく

今年は毎度の週末台風の影響で、運動会や体育大会の開催に苦労された学校がたくさんありました。朝から職員総出でグランドの水を雑巾で吸い取って実施にこぎつけた学校。2回に分けて実施せざるを得なかった学校。延期延期で予備日がなくなり、それでも中止にせずに雨の隙間を縫って実施した学校。校長は難しい判断を迫られ、本当に大変だったと思います。校長を退職された方は、「ああ、退職していてよかった」としみじみ思われたことと思います(笑)。

そんな中、私が学校運営協議会の委員をしている中学校では、時々小雨がぱらつく状態でしたが、朝からグランドを整備し、開始を1時間以上遅らせてなんとか開催にこぎつけました。いつもならグランドに整列して行うセレモニーやストレッチですが、セレモニーは観覧席で、ストレッチは予め教室内で行うという状況でした。
この日目についたのは各学年の観覧席に設営されたテントです。熱中症対策にと町内会にお願いしてお借りしたものですが、雨除けという思わぬ形で役に立っていました。学年ごとに同じ町内会の物を使い、町内会の名前が書きこまれた面を正面にして張っていました。校長は名前を見せることで学年の固まりがよくわかるようにしたと話されましたが、他にも思いがあるように感じました。
それは会場に来られた保護者の方に、学校は地域の方に支えられていることを感じてほしいということです。ともすると、保護者は学校を支えているのは行政と先生、保護者だけだと考えがちです。仕事や子育てに追われている時期ですので、地域とのかかわりが薄く、意識されづらいのはしかたありません。だからこそ、こういった形で自分たちの子どもが地域に支えられていることを知ってもらうことは大切だと思います。

もう一つ、今回は大きな変化がありました。例年、来賓の方は1つ目か2つ目の競技が終わるとほとんどの方が退席されますが、この日は多くの方が午前中の競技が終わるまで残っておられたことです。競技に見入っていたのでしょうか、コーナーがどうとか、どっちが速いとかといった言葉が耳に入ります。こんなことは今までありませんでした。今年はすべての競技のスタートかゴールのどちらかを来賓がいる本部席の正面にもってきましたが、どうやらその効果が表れたようです。昨年度のアンケートに、本部席でもゴールシーンが見られるとよいと書かれたことを受けて、試行したそうです。いただいた意見を素直に受け止める姿勢は素晴らしいと思います。私としては子どもたちがゴールシーンを間近で見られなくなったことに後ろめたさを感じたのですが、子どもたちはそんなことは微塵も気にしていないのでしょう、素晴らしい声援を送っていました。

子どもたちのために頑張ろう、少しでもよいものにしていこうとする先生方の姿勢と子どもたちのエネルギーに元気をいただきました。

数学の本質を問いかける書籍

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明治図書出版より発刊された、「中学校新学習指導要領 数学の授業づくり」(玉置崇著)を読了しました。
新学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」の実現や、各教科の「見方・考え方」を働かせるといったことが謳われています。何となく言われることはわかるが実際に授業をどうすればよいのかわからないと困っている方がたくさんいると思います。また新しい教科書が出てくれば、それに従って授業を勧めればよいのだろうと楽観的に考えている方もいるのではないかと思います。

本書は、玉置先生のかつての実践等を例にして、新学習指導要領でねらっていることを実現する授業の姿を具体的に示してくれています。具体的な授業場面を新学習指導要領の視点で説明することで、なぜこのような視点がこれからの教育に求められるのかも明確になっていると思います。新学習指導要領の目指す授業の具体的な進め方の大きなヒントを得られると思います。

新しい学習指導要領では、これまでになかったことが突然求められているのではありません。授業の本質は何も変わっていないと思います。玉置先生のかつての実践が、新学習指導要領の視点でみてもその価値が変わらないことからもよくわかります。逆に、数学的な「見方・考え方」や数学の本質が何かを十分に理解していなければ、本書を読んだといっても、紹介された具体例以外の場面で、何を問いかけ価値付けすればよいのかはすぐに見えてこないと思います。教科書や指導書に書かれたことの底にある、数学の本質は何かを意識することが大切になるでしょう。

本書は新学習指導要領の目指す数学の授業がどのようなものかを具体的にしてくれるとともに、数学の本質や数学を学ぶ意味は何かを読者に問いかけていると思います。中学数学を教える立場の方には是非一読をお勧めします。
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