「アクティブ・ラーニング」や「全国学力学習状況調査」について考える

先週末に授業と学び研究所のミーティングが行われました。

最初は、前回に引き続き「アクティブ・ラーニング」についての発表とそれをもとにした話し合いでした。文部科学省の資料に止まらず、元になった会議の議事録も丹念に調べて、資料の背景まで探った発表から大いに学ぶことができました。「アクティブ・ラーニング」の背景やその先にあるものが少し見えてきた気がします。知識基盤社会、グローバル化といった言葉と合わせて考えていくと、小中高大を貫く学びの軸を作り直し、公教育の質を転換しようとしているように思えます。学校教育の目指すもの自体が大きく変わっていくのかもしれません。
一方、2冊の本で著者が「アクティブ・ラーニング」どのように定義しているかを比較する資料も他のメンバーから出されました。人によってとらえ方がかなり違っているように思われます。「アクティブ・ラーニング」が具体的にどのようなものかについてはこれからしばらく異論がたくさん出てくることと思います。文部科学省はもとより、いろいろなところからどのようなことが具体的に発信されていくのか注目する必要があると思います。

先日発表された速報をもとに全国学力学習状況調査の都道府県の状況の変化についても発表されました。マスコミは都道府県の順位ばかりをクローズアップするので、下位の県が急上昇したというような記事になりがちですが、平均正答率に対してどれだけ差があるかという資料を見ると違った姿が浮かび上がってきます。それは、何年もかけて少しずつ成績が上がってきているということです。最初は差が大きかったので、成績が上がっても順位は変わりませんが、時間をかけて追いついてくると少しの点数のアップで順位はそれこそ一気に上がるのです。具体的な方法の是非は置いておいて、こういった県が地道に対応をしているということです。最下位の県と平均正答率の差は3%ほどです。平均点が60点の試験で、ある学級の平均点が58.2点だとして、この差を大きなものと皆さんは感じるでしょうか。それよりも成績の分布の仕方や問題ごとの考察の方が大切です。都道府県別の順位ではなく、そういうところにもっと目を向けてほしいと思います。
また、順位が上位の県も今度はそれを維持しなければいけないという、別のプレッシャーがかかります。子どもたちが、春休みや4月に全国学力テストの過去問題に取り組むという姿は、どうにも本末転倒しているように思うのは私だけでしょうか。
ともあれ、学力や成績を順位で見るということは本質を見落とすことになります。成績の振るわない子どもが努力して試験の点数を上げても、相対評価である順位は変わらないこともあります。教師はそういった子どもの努力や成果をきちんと見て評価することが必要です。全国学力学習状況調査もそういった視点が大切だと思います。
こういったこととは別に、外国籍の子どもの多い県では似たような傾向があることにも気づきました。きちんと整理・考察ができているわけではありませんが、小学校の成績(特に国語)が悪いのですが、中学校ではかなり高い成績を取るのです。こういったことについて調査研究している例がないか探してみたいと思いました。

この日も多くの学びがありました。こういった授業と学び研究所で日ごろ話し合われていることは、「授業深掘りセミナー」の「教育情報知っ得コーナー」でもお伝えしていく予定です。

本番が楽しみになる模擬授業

市主催の授業力向上研修会で講師を務めました。11月の研修で行う研究授業の指導案を改善するために、事前に参加者が子ども役になって模擬授業を行なうものです。小学校5年生の算数の平行四辺形の面積の場面でした。

授業者の学校の先生方も5年生を中心に何人も参加していただけました。指導案は学年の先生も一緒になって作成しているようです。チームワークのよさが素晴らしい学校です。
模擬授業が始まる前に、子ども役に対して、既習事項の細かい確認や子ども役として心がけてほしいことを特に指示しなかったために、最初の復習の場面で困ったことが起きました。前時の内容に関してどう答えていいかわからないので、子ども役が問いかけに反応できなかったり、指名されても答えることができなかったりしたのです。私のミスです。授業者は、三角形の面積の公式や、底辺や高さという言葉の定義を再度説明しなければなりません。しかし、だからこそ授業者の実力がよくわかります。挙手が少なければすぐに指名せずにまわりと相談させたり、教科書等を確認させたりします。けっして、一部のわかっている子どもだけで進めたり、教師が一方的に説明をしたりしません。この進め方を見れば、この授業者の学級の子どもたちは間違いなくしっかり反応をするだろうと想像がつきます。授業者が、この子ども役の想定外の反応に対しても、落ち着いて子ども同士をつなごうとしていたのは、日ごろから全員参加を大切にしている証拠です。1時間の模擬授業の間にそのような場面をたくさん見ることができました。とにかく子どもたちをよく見ています。挨拶の時に目を合わせない子ども役がいましたが、そのことに気づいて、もう一度やり直します。黒板で子どもに説明させている時も、発表者だけでなく発表を聞いている子どもたちの様子も見える位置に素早く移動し、双方の様子をしっかりと観察して、次の対応を考えています。授業規律もとても上手に作っているのがわかります。板書を写させる時に「先生と同じ速さで書いて」と一言添えたり、作業を止めさせる時に「姿勢で見せて」と指示をしたりします。子どもたちに求めることをわかりやすくし、行動を評価しやすいように工夫をしています。作業中に大切なことを質問されれば、「いい質問だね」と評価して、全員の作業をいったん中止して答えます。子ども役の反応を、必ずポジティブに評価していたのも見事でした。
このまま行くと、前時の内容のやり直しで終わってしまいそうでした。いったん授業を止め、本当の子どもたちであればきちんと理解しているはずであることを説明し、復習が終わった場面からやり直してもらいました。

授業者はこれまで学習した、正方形、長方形、三角形の面積の公式を復習してから、この日のめあて「平行四辺形の面積の求め方を友だちに説明しよう」を提示します。「考えること」と「説明すること」の2つのことから成り立っています。この2つを同時に扱うのは難しいようにも思いますが、この学級(学年?学校?)では考える場面では必ず説明することまで求めているのでしょう。そうであれば、子どもたちにとって面積の求め方を考えることが課題で、それは友だちに説明できて初めて達成できたという認識をしているはずです。このあたり、11月に実際の子どもたちを見るのがとても楽しみです。
授業の流れとしては、平行四辺形が唐突に出てきたよう感じました。また、面積の求め方を考える必然性もあまりはっきりしません。復習の場面でいろいろな三角形の図を用意して、どこの長さがわかれば面積がわかるか(底辺と高さ)を確認して、「どんな」三角形でも面積が求められることを押さえます。四角形については、どんな種類があったかの復習をして、それぞれの面積がすぐに求められるかを確認します。子どもたちから平行四辺形が出てくれば、「平行四辺形の面積はすぐに求められないね。じゃあ今日は平行四辺形の面積を考えてみよう」とめあてを提示する。こういった進め方を考えてもよいと思います。

方眼紙に平行四辺形が書かれた紙を何枚か配ります。この紙を使って考えるのですが、「切ったり貼ったりして」という言葉を教師が配る時に言っています。この考え方は子どもたちから出させたいところです。算数や数学の課題解決では、過去に学んだ結果(公式・定理等)を利用することと、やり方や考え方を利用するという大きく2つのアプローチがあります。子どもたちに自力解決の見通しを持たせるためには、復習の場面でこういったことを押さえておく必要があります。公式は、平行四辺形の面積を三角形や長方形の面積に帰着させてから使いますが、その前に分割したりくっつけたりといった三角形の面積の公式を求める時と同様の活動が必要です。三角形の面積の公式をどうやって求めたかと、すべての三角形の面積と正方形・長方形の面積は簡単に求められることを自力解決の前に押させておく必要があったでしょう。

一つのやり方でできた子ども役は、ボーとしてしまいます。できた子どもを遊ばせないための指示が必要です。時間が来てもまだできていない子ども役がかなりいました、そこでもう少し時間を与えたのですが、ここは要注意です。見通しが立っていて時間が足りないのか、見通しそのものが持てていないのかの判断が必要です。後者であれば、時間を与えれば解決するわけではありません。こういった場面では考えの糸口や解決の途中の状況を共有することが有効です。最初にはさみを入れたところや線を引いたところを発表し合うだけで、困っていた子どもが動き出すきっかけになります。早目に考え方を共有して子どもの足場をそろえる場面をつくり、もう一度自力で取り組む時間を確保するようにするとよいでしょう。

発表に関して、伝わるように話すことを意識させます。問題は、伝わるように話すためには具体的にどのようにすればよいかを、明確にしていなかったことです。子どもたち全員で共有できているのならよいのですが、これはなかなか難しいと思います。具体的にどうすればいいのかを全体で確認するようにするとよいでしょう。
指名された子ども役が自分の考えたやり方を説明しますが、分割したところから始まります。一番大切なのはなぜそこで分割したかということです。そこがわからないと、結果の説明をされて納得しても、できなかった子どもはできるようになりません。できなかった子どもができるようになる場面をどうつくるかが大切です。まず、発表者から、「同じ形をつくろうと思った」「長方形を探した」といった言葉を引き出し、「それってどういうこと」と切り返しながら考え方を共有します。面積の求め方を知っている図形を見つければいいことに気づかせ、そこから既存知識を活かす発想につなげるといった展開を考えてほしいところでした。結論を説明させて納得させることが活動の中心となっていました。

この市では模擬授業を通じての指導案検討をもう10年ほど行っています。私はいつも途中で止めながら、その場面について解説したり全体で検討を行ったりするのですが、この授業では。復習の場面で割って入った以外、一度も止めることをしませんでした。基本的なことがしっかりできていたということです。このようなことは初めてです。他府県で2年勤務し、愛知県で採用されてからまだ2年目です。わずかな経験でここまでしっかりできているのは、本人の努力もさることながら、学校の若手を育てる力が素晴らしいということでしょう。驚きました。

全体での検討会では、授業規律や子どもとのやり取りといった基本的なことは十分にできているので、これらについては簡単に触れる程度にして、授業の構成や課題について検討してもらうことにしました。「本時の課題が子どもたちの課題となっていたか」「できない子どもができるようになる場面はどこにあったか」を中心にグループで検討してもらいました。どのグループも具体的な場面に即して考えを発表してくれました。

この日の研修を受けて学年全体で指導案作りにまた取り組んでくれることと思います。どのような授業に変わっているのかとても楽しみです。研修を通じて授業の進化・深化を見ることができることはとてもうれしいことです。このような機会を得られることに感謝です。

GDMの研修でアクティブ・ラーニングについて考える

地区の教育研究会主催の英語の研修に参加させていただきました。愛知文教大学講師の松浦克己先生によるGDMを活用した英語の授業についてのお話しでした。GDMの内容についてはいつも教えていただいていることと大きくは変わりませんでしたが、GDMの考え方とアクティブ・ラーニングについての関連をお話しいただいたのが新鮮でした。

GDMでは教師は何も説明しません。全員が「わからない」から出発します。だから子どもたちが「わかった」という達成感は非常に大きいものになります。「自分で」わかったと思うから、意欲もわくのです。「わからない」から出発するから「気づきを保障する」ことが大切になります。GDMでは、教師がやって見せる”situation”から考える、絵を見て考えるといったいくつかの場面があり、子どもたちはそのどこかで「必ず」わかると経験的に理解しています。だから、わからなくても頑張って参加し続けるのです。
アクティブ・ラーニングで大切なことは同じです。子どもが「わからない」からこそ「わかりたい」と思い、だからこそアクティブになるのです。

“slow learner”は、説明されないとわからないのではないかと考える方も多いのですが、教師がする文法の説明は抽象度の高いものです。“slow learner”にとっては抽象度の高い説明はなかなか理解できません。また、教師の説明は原則一度だけです。単語や句は何度も練習しますが、具体的な文章は数回練習をして終わりです。自分で考えることもなく、丸暗記をするだけです。これでは定着しません。英語はスキルだから考えることに向かないという方もいますが、そんなことはありません。GDMではできるだけ”root sense”で具体的な例をもとにその”situation”を表わす文で何度も繰り返し学習します。具体で考えることから、帰納的に子ども自身で理解していきます。数多くやることで定着度も高いのです。
「子どもたちが考えながら活動することを通じて英語を理解していく」というGDMの構造は、アクティブ・ラーニングそのもののように思います。

GDMでは子どもたちが理解できるような速さで英語を話し、何度も何度も繰り返して活動させながら考えさせます。そのため、とても時間がかかるように思われる方が多いのですが、実際に授業を見ると展開は決して遅くないことに気づきます。教師の説明がないからです。一般的な授業では教師が話している時間が実はとても長いのです。だから、その教師の説明を止めるとずいぶんと時間ができるのです。これも私たちが心しておくべきことです。

今回は、GDMの話だけでなくアクティブ・ラーニングとの関連についても納得できるお話をいただき、大変勉強になりました。久しぶりに松浦先生とお会いして、とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

充実した研究会と楽しいBBQ

愛される学校づくり研究会が行われました。今回は2月6日(土)に東京品川で行われる「愛される学校づくりフォーラム」についての話題が主でした。

午前の部は、今年も公開研究会です。テーマごとに会員から選ばれた何人かが提案をして、それをもとに討議をするというものです。テーマの一つ「若手を育てる」の発表者を選ぶ実践発表がおこなわれました。選考基準の一つは、どの学校でも実践できることです。特殊な環境でしかできないものでは、あまり参考にならないからです。発表は「なるほど!」と納得させられるものばかりです。素晴らしい実践者が集まる会であることを改めて実感しました。
多くの実践に共通していることの一つに、管理職自らが動いていることです。「実際に授業を見て直接アドバイスをする」「ホームページを利用して間接的に職員全体に伝える」「自ら授業研究を行ってまな板の上にのる」といったことです。また、若手と中堅をつなげて職員が学び合う形を取っている方が多いことも印象的です。若手を孤立させないと同時に、日常的に授業や学級経営のことが話題になる雰囲気づくりにもつながります。
また、「子どもと向き合い、ぶつかり、現状を打開していく過程で教師が育つ」という発想で、「育成を担当する者が若手の課題を自覚させ、共に解決の方向を考え、実行させて成果を共有する」という実践の発表がありました。予防的に動くことや、教えることが多い中で、若手に子どもとぶつかり合わせるという発想が新鮮でした。鍛えるという意味ではよい方法ですが、管理職の腹が据わっていなければなかなかできないことです。こういった実践を聞けることがこの会の素晴らしいところです。
どのようなものが発表されるかは当日までのお楽しみです。是非予定を空けておいてください。

研究会の後は、夏の恒例となってきたBBQパーティです。賛助会員の会社が材料から調理まで引き受けてくださいます。おいしいお肉や野菜、流しそうめんまで至れり尽くせりです。もちろんビールはたっぷり。本格的なビアサーバーまで用意していただけました。おかげで会員の皆さんととても楽しい時間を過ごすことができました。こうした場面だけでなく、フォーラムや会があるたびに社員の方が裏方として本当に一生懸命に支えてくださっています。感謝、感謝です。充実した時間を過ごさせていただきました。

いろいろと楽しみな企画が進んでいく

先日、授業と学び研究所のミーティングがありました。この日は研究所が主催やお手伝いをしているイベントと授業アドバイスのためのICTツールの検討が中心でした。

9月から募集開始予定の「第2回教育と笑いの会」の内容は、発起人の野口芳宏先生が当初イメージされていた寄席に近いものになってきました。短いプログラムがたくさん並んでいて、最後にメインがドーンときます。ありがたいことに、そのメインのコーディネートを任されることになりました。最後ですので、昨年同様他のプログラムを楽しめる余裕が無くなりそうですが……。本番までに作業をすることも出てきました。私自身にとってもとても勉強になることなので、じっくりと腰を据えて取り組むつもりです。詳細は9月に発表できると思いますので、楽しみにしていてください。興味のある方は、12月19日(土)名古屋ルーセントタワーですので、今から予定を開けておいてください。

授業深掘りセミナーの持つ意義について、「教師の学びを科学する:データから見える若手の育成と熟達のモデル」(中原淳:監修、 脇本健弘・町支大祐:著)を引用しながら、あらためて説明がされました。3年目の教師が学生時代に学校現場経験した「子ども支援」「授業支援」「授業観察」「研究授業の見学」「教員へのインタビュー」の内、何が役に立ったかというと、最初の3つは役に立たず、「研究授業の見学」と「教員へのインタビュー」が役に立ったということです。この「研究授業の見学」で生まれるよい影響というのが、

・検討会で教師の様々な意見が聞けること。
・授業者や授業観察者の観点を知ることができること。
・授業の背景にある考え方や理論に触れられること。
・提案性のある授業で強い印象が残ること。
・教師がどのように授業を構成し、授業後に何を考えて授業を行っていたのか、そして観察者は何を考えていたのかを知ることができること。

だそうです。
まさに、「授業深掘りセミナー」でねらっていることだと思います。参加された方にとって学びの多いものになるはずです。若い先生方にぜひ参加してほしいと思います。

ICTを活用した授業検討ツールを改良して、授業アドバイスに活用しやすいものを作っていただいています。手軽に持ち運べ、アドバイザーと授業者で授業を簡単に共有し、より深い振り返りを可能にするものです。秋には試用可能になりそうなので、今からとても楽しみです。

この他にも、「アクティブ・ラーニング」について、中教審の論点整理(案)をもとに整理したレポートが発表されました。これについては、次回もっと時間をかけて検討することになりました。次回どのような話になるのか楽しみです。

初任者の模擬授業をもとに講座を行う(長文)

市の教員研修の1講座を担当しました。この市の初任者は全員参加です。その他に指導的立場の方や希望者が参加してくださいました。毎年、中堅やベテランの方による模擬授業と講演の形態をとっていて、昨年度だけ私が授業者を務めました。今年度は模擬授業の授業者をどのようにしようかと悩んでいたところ、講座の担当の先生から初任者の代表に模擬授業をやっていただくという案が出されました。参加される初任者の方たちにとってはとても有意義だと思いますが、代表となる方にとって、皆さんの前で模擬授業をするというのは簡単なことではありません。授業の準備を含めてとてもたいへんでプレッシャーのかかることです。気軽に「そうしましょう」とは言えません。ところが、担当の先生の学校の初任者がやってもよいと言ってくれたというのです。正直驚きましたが、「自分の勉強にもなるし、よい機会だ」と前向きにとらえてくれたというのです。割と早い時期に指導案をいただいていたのですが、当日お会いしてお話を聞くと、その後もいろいろな先生に指導をいただき、何度も何度も作り直したようです。それぞれの考え方がありますので、それらを取り入れようとして、相当混乱したのではないかと思いました。同じ拠点校指導員についている初任者を中心として、事前に模擬授業をやって検討もしたようです。本当に頭が下がります。話をしていて、素直さと前向きさを強く感じました。こういう先生は必ず成長します。この先生であれば改善点はしっかりと示した方がよいと思い、講座に臨みました。

模擬授業は、小学校4年生の社会科でごみの集め方についてでした。前時には、ごみの分別を学習していることになっています。そこで、その復習から始まります。授業者は、最初は少し緊張していましたが、とてもよい表情で話し始めます。いろいろ準備したものを、可燃のごみとして捨てていいかどうかを一つずつ子ども役に問いかけます。子ども役の意見が分かれた時には、その理由を聞きます。古着を捨てるかどうかについて、意見をつなげていきますが、同じような考えでも子ども役は違うことを言ったり、付け加えたりしてくれます。なかなか優秀な子ども役です。授業者は、ここでそういったところを取り上げて評価することができませんでした。子どもの発言を受容はできるのですが、価値付けができないのです。また、どのような発言をつなぐべきなのかの判断も私から見ると曖昧です。この授業でのねらいにつながることかどうかを常に意識しておくことが大切です。この授業では、ごみの分別の細かい知識は必要ありません。であれば、ここで時間をかけて取り扱う必要はありません。「前の時間に何を学習した?」「ごみの分け方」「分別」・・・「そうだね、ごみを種類ごとに分けることを、分別というんだったね。ごみを○○、△△とにちゃんと分別して捨てるのが市のルールだね」と言ったやり取りで十分でしょう。
続いて、「ごみは家の前に捨てれば無くなる?」と質問し、ごみ捨て場に捨てることを確認して、自分たちの地区にごみ捨て場がいくつかあるかを考えさせます。これは単なるクイズです。考えても時間のムダです。ていねいに子ども役に聞いていきますが、時間のムダです。やるなら3択で全員に挙手をさせれば十分です。聞いていくにしても、早いテンポでドンドン聞くべきでしょう。続いて市の地図と地区割りを見せて、市ではいくつあるかを考えさせます。今度はまわりと相談させます。ここで子ども役の先生方のテンションが一気に上がります。今まで受け身の時間が長かったのと、根拠を持って考える必要がない課題だからです。授業者は机間指導しますが、ここは考えさせる場面ではないので、前方から様子を見ていれば十分です。というよりも相談させる意味がありません。こういう課題で相談させると、相談の意味が違ってきてしまいます。子ども役が活動したので、個別に答を聞くのですが、当然これもムダな場面です。せめて地区ごとの世帯数を情報として与えれば別なのですが。続いて、「ごみは誰が持っていくの?」と質問をします。子ども役は「トラックに乗っているおじさんたち」と答えます。なかなか見事な子ども役です。「誰」という言葉に反応したのです。授業者は「ごみ収集車」を引き出したいのですが、ずれてしまいます。発問を考える難しさがわかると思います。ごみの学習全体を考えるのに、授業者は流れに沿って一つずつ進めています。子どもはゴールがどこかわかりません。ミステリーツアー化しています。ここは、もっと広く「ごみ捨て場に捨てられたごみはどうなるの?」と聞くと今後の授業の流れを見せることができると思います。次々に指名していけば、「燃やされる」「捨てられる」「埋められる」「運ばれる」といった言葉が出てくると思いますが、「燃やされる」であれば、「ごみ捨て場で火をつけるの?」(この先の活動場面でのちょっとした布石にもなる)とか、「捨てられる」「埋められる」であれば「どこへ?」「どうやって?」というように切り返すことで、ごみ処理場や埋め立てといったごみの一連の学習内容につながっていきます。「運ばれる」といった言葉に対しては、「どうやって?」「何を使って?」と問い返すことで、ごみ収集車が出てくるはずです。
ごみ収集車が市に何台あるかを、また相談させます。ここは子どもに「ごみ捨て場の数、4,700」とのギャップに驚かせることが課題への意欲につながりますから、「4,700」を提示した時に、その数の多さを強調しておいてもよかったかもしれません。とはいえ、これも根拠となる情報がありませんから相談するのではなく、すぐに「いくつだと思ったか、まわりの子に聞いてみて」といった確認をするだけで十分でしょう。
ここまででかなりに時間を使ってしまいましたが、長くても10分に収めたいところです。理想は5分程度だと思います。まずは先ほど述べたように、ごみは分別することの復習をして、ごみ捨て場に捨てることを確認します。続いて、三択のクイズで地区のごみ捨て場の数を確認し、市の地図を見せて市のごみ捨て場の数を「いくつ以上」と聞きながら挙手させて確認します。ここで、「ごみ捨て場のごみはどうなるの?」と問いかけてごみ収集車に気づかせ、いくつあるかを聞くのです。ここまでの問いは、子ども同士がかかわり合う必然性のあるものではありませんから、こういった進め方で十分だと思います。
いよいよ本日の課題の提示なのですが、ここはあっさりと「ごみをどのようにして集めているか調べよう」といったものになっています。せっかくここまでごみ捨て場の数に対してごみ収集車の数が想像以上に少ないことを示したのですから、ここから子ども自身の課題にしたいところです。「たった14(?)台で4,700か所のごみ集められる?無理じゃない?」「みんなどう思う?」と揺さぶっておいてから、「じゃあ、今日は」と課題を提示したいところです。
この地区のごみ捨て場の様子と言って、一枚の写真を見せます。雑然とごみが積んであり、中にはビニール袋ではなく紙袋のものもあります。この写真を見て気づいたことを個人で考えて発表させます。「気づいたこと」というのは一見何でも言える子どもたちが答えやすい発言に思えますが、決してそうではありません。何を言っていいのかわからないのです。教師の求める答を言わなければと思えば、それを考える糸口がありませんから困ってしまうのです。「何がある」といった具体的な質問から深めていくとよいでしょう。子ども役から、このごみ捨て場が市のルールを守ってないことを出させてから、実はこれは別の県のものであることを説明します。ここで、きちんとごみ袋に入れられてネットがかけられたごみ捨て場の様子の写真をみせて、これがこの地区のごみ捨て場の写真であることを説明します。この写真を見て「見つかった」ことを3つ書くように指示します。先ほどは「気づいた」ことで、今度は「見つかった」ことです。この違いが気になります。後で確認したところ、本人は「気づいたこと」と言ったと主張します。子ども役のほとんどが「気づいたこと」だと思っていましたが、中には違っていたことに気づいた方もあります。多くの子どもは上手に同じことだと解釈して対応しますが、それができない子どもは「どう違うのか」悩みます。結果としてそこから先についていけなくなることもあるのです。
子ども役に発表させます。「ごみが真ん中に集められている」といった事実に対して、授業者は他の子ども役に復唱させたりします。これは、考えたことではないのであまり意味はありません。それよりも、「同じことに気づいた人?」と同じ気づきをつなげるだけでいいでしょう。「看板がある」という意見は、そのまま子ども役に同意を求めて終わります。字はよく見えないけど、何枚もあります。「どこ?」と具体的に指させたり、わざと変なところの看板を指して、「ここね」とやったりしてもいいでしょう。この看板に書かれたごみの収集日の情報がこの日のねらいにつながるのですから、もっとていねいにやりたいところです。この写真から読み取ることは、この日の授業では大切な場面です。こういう場面で子ども同士がかかわり合うことが大切です。2枚の写真を見て「同じところ」「違うところ」をできるだけたくさん見つけることを課題にして、友だちの気づいたことを聞き合って、なるほどと思ったら書き足すというような進め方をすれば、時間を掛けなくても次々聞いていけば、必要なものはすぐに出てくると思います。出てきたことを一旦書き出してから、「真ん中に集めているのはどういうことだろうか?」「ネットは?」「消火器があるのは?(ごみをどこで燃やすかという問いかけでの切り返しが効いてきます)」「看板は?」と問い返せば、子どもたちからもっと課題が出てくるでしょう。
授業は、看板に書かれているもの拡大して見せて、ごみの収集日から、回数や曜日をずらしているという工夫に気づかせるという流れですが、このあたりで予定した時間が来てしまいました。
授業者が、ごみ捨て場の写真からいろいろなことに気づかせたかったのか、収集日の工夫に焦点化したかったのか、迷いを感じました。このあたりは、明確にしないと授業がぶれていきます。また、「調べよう」と言いながら、子どもは何も調べません。それなのにこういう言葉を使うと、「調べる」ことはどういうことかわからなくなってきます。課題に対して、自分で資料を探す。せめて、与えられた資料から必要な情報を抜き出すといったことをさせたいところでした。

授業者は、書籍で学んだことを実践しようと意識しています。子どもの言葉を復唱し、共有化し、つなげていくことを大切にしようとしていることがよくわかります。しかし、授業の中で何を復唱し、共有していくのかの判断ができていません。教材研究の段階で、何を目指して授業をしているのかがシャープになっていないのです。また、子どもの発言の価値付けができていません。子どもの発言のどこがよいのかを具体的に指摘する必要があります。それは、社会科で大切にしなければいけない考え方をきちんと整理できていないからです。恣意的に授業技術を使っているだけで、その授業技術が何のためかは意識できていないのです。初任者だから当然のことです。こういう経験を積みながら一つひとつ自分のものにしていくことが大切です。今後どのように変化していくかとても楽しみな先生でした。

全体に対する講演は、この授業も少し踏まえ、子どもの言葉を活かす授業づくりについてお話ししました。と言っても、まずは安心安全な学級づくりからです。このことを押さえた上で、子どもをつなぐことについて説明しましたが、時間が足りなくてかなり荒いものになってしまいました。申し訳ありません。書籍等を参考にしながら、もう一度スライドを見ながら振り返っていただきたいと思います。

初任者の模擬授業をもとに講座をつくるということを始めて体験しました。例え初任者でも、前向きに取り組んでいただけた授業からは得ることが多いように思います。私もとてもよい学びをさせてもらったと感じました。ありがとうございました。

市の学力充実プランを基に講演をする

教務・校務主任対象の学力向上研修会で講演をしてきました。「市の学力充実プランと学力向上」と題して、学力充実プランに基づいて学校で具体的に何をすればよいのかについてお話ししました。

学力充実プランの構築と実践というパンフレットが先生方の手でつくられていますが、とてもよくできていると思いました。「授業研究」「学習環境」「人的環境」の3つの視点で構成されています。「授業研究」では教師集団の質の向上(⇒わかる・できる授業)、「学習環境」では落ち着いて学習に取り組む環境づくり(⇒見通す力・振り返る力・集中力の高まり)、「人的環境」では自己肯定感の高まり(⇒安心して学ぶことができる関係性の構築)を目指しています。とても大切なことばかりです。これを学校で実現するためには、個別ではなく総合的にとらえる必要があります。
学習規律をいかにつくるかは授業の成立に大きな影響があります。もちろん子ども同士の関係性も同様です。学級を作っていく段階できちんとできていることが授業研究での前提になっていきます。逆にこういったものをつくり上げていくことは授業の中でこそ行えるともいえます。であれば、授業研究の中に意識的にその視点を取り入れる必要があります。鶏と卵の関係です。学校としてどのように構築していくのかの戦略が必要です。「学習環境」や「人的環境」を全体的に取り組むことから始めるのか、「授業研究」を4月、5月といった早い時期から行い、その中で「学習環境」や「人的環境」の視点を取り入れるのか、それとも並行して行うのかといったことを選択する必要があります。これは、学校が落ち着いている状態なのか、若手が多いのかといったことにも影響されます。

具体的には、それぞれの視点に関して次のようなことをお伝えしました。
「授業研究」
授業を見る視点として、子どもの事実がどうであったか、安心して間違えることのできる学級であるかどうかということが大切です。検討会では先生方が全員参加できること、ポジティブな発言を増やし授業者がやってよかったと思えるようなものにすることで「授業研究」は楽しいものだと感じてほしいと思います。「授業研究」を通じて、先生方が授業について気軽に話し合う雰囲気ができることが理想です。また、出てきた課題を授業者個人のものとしてだけでなく、学校全体のものとして継続的に取り組むことも大切です。こうして考えると、授業研究を企画し検討会を取り仕切る立場の先生の役割はとても大きいと思います。
「学習環境」
学習規律などのルールがしっかりとしていることは、安心な学級づくりの基本となります。この市ではルールを明確にすることに各学校がきちんと取り組んでおられるようです。であれば、問題はどのようにして徹底するかです。形だけの徹底では、意味はありません。子どもたちが聞いているふりをしているのか、本当に聞いているのかといったことをきちんと問う必要があります。こういったことを「授業研究」でも話題にする必要があるでしょう。「チェックする目」でできないことを注意して減らすのではなく、「見守る目」でできることをほめて増やす発想をお願いしました。
「学習環境」に関連して、朝学習や家庭学習についても少し話をしました。学習量も大切ですが、単に量だけを視点にするのではなく、どのような力がついたかをきちんと評価することが大切です。一人ひとりの進歩を見える形にすることで、自己肯定(有用)感が高まります。また、できない子どもができるようになる手段を与えることが必要です。子どもたち一人ひとりに先生が個別に対応するには限界があります。子ども同士の学び合いを上手く組み込むことが一つの解決策になります。子ども同士がかかわり合うことは人間関係をつくることにもつながります。逆に子ども同士の関係ができていなければ、実現が難しいことにもなります。これも鶏と卵の関係ですね。
「人的環境」
子どもが自己肯定(有用)感を持つためには、他者に認められる場面をつくる必要があります。日ごろの生活場面だけでなく、授業でも意識することが大切です。まずは、教師が子ども一人ひとりを認めることから始め、子どもが友だちに認められる場面をつくることを意識してほしいと思います。「笑顔」と「ありがとう」があふれる学級が理想です。「授業研究」でも話題にしてほしい視点の一つです。
この市では、子ども同士の関係をつくる方法として、「構成的グループ・エンカウンター」に取り組んでいる学校が多いようです。それにプラスして、「ソーシャルスキル・トレーニング」を紹介しました。たまにやってもあまり効果はありませんが、短い時間でいいので定期的に行うと効果のあるものです。
「人的環境」と直接つながらないかもしれませんが、教師同士の人間関係も大切です。互いにカバーし合う雰囲気をつくることが大切ですが、そのためにはミドルリーダーの動きがとても重要になります。意識することを強くお願いしました。

今回、市の学力充実プランをベースに話をするという、あまり経験のないことに挑戦させていただきました。新しい視点で考えるきっかけをいただき、私自身とても勉強になりました。参加された先生方も、私の一方的な話にもかかわらずよく反応していただけ、とても気持ちよく講演を終えることができました。このような機会をいただけたことと、参加された先生方に感謝です。

インターンシップで学生の変化に立ち会える

一昨日に続いて(とても楽しめたインターンシップ参照)、昨日も場所を変えて企業のインターンシップの講師を務めました。

前回と比べると、ちょっとおとなしめの学生たちです。午前のプログラムでも話はしっかり聞いているのですが、やや積極性に欠けるようにも見えました。

午後の、ICT活用による学校コンサルティングの体験では、コンサルティングについて問いかけたところ、「相手の気づいてない課題を見つける」という言葉が出てきました。なかなか優秀な学生たちです。学校の課題を見つけるのに誰にヒアリングすればいいのかという問いに対しても、「教育委員会」「管理職」「教員」というようにトップから思考するグループと、子どもと教員という対比で考えるグループとなかなかよい発想を見せてくれます。
ヒアリングの方法、内容を検討させたところ、どのチームも、まず学校の方針を聞くことで目指すところが見えるので、そことのギャップを聞きながら質問を重ねていくと課題が見つかるという発想でした。これは理に適っているように見えますが、実際にはどうでしょうか。
各グループ最初に一人ずつ校長ヒアリングに挑戦しました。「子どもたちが元気に過ごす」といった抽象的な方針に対して、「実際はどうですか?」と聞くと、「大体上手くいっている」という答が返ってきます。「今、具体的にどのようなことに力を入れていますか?」「何をやっていますか?」といった、具体化するための質問をすることができないので、いつまでたっても掘り下げることができません。また、メモをしながら話すので、相手と目を合わすことができません。課題を見つけることに意識が行って、コミュニケーションの基本を忘れてしまっているのです。しかし、この後もう一度作戦を立てる場面で、最初にやった学生が自分の経験を一生懸命伝えていています。その情報をもとにもう一度額を寄せ合って考えています。この後挑戦した学生は、メモを取らずに相手を見てしっかり受け答えをしました。当然、校長役との関係はよいものとなります。「アクティブ・ラーニング」というキーワードを引き出すことができました。しかし、「アクティブ・ラーニング」がどういうものか、学校においてどういう位置づけのものなのかがわからないので、そこを焦点化することはできませんでした。学生だから仕方がありませんが、教育現場に対する知識が必要なことがわかったと思います。学生たちは、一つひとつの実演からしっかり学ぼうとしています。自分の前にやった学生へのコメントを取り入れながら工夫をします。素直で前向きです。互いの挑戦が積み上がっていくのがわかります。

今回の学生も、互いにかかわり合うことでみるみる変化していきます。チームとして情報を共有し、学び合うことの価値に気づいてくれたのではないかと思います。彼らがこの企業と縁ができるかはわかりませんが、少なくともここで学んだことはこれからの社会生活できっと役立つものだと思います。こういう成長の場面に立ち会えたことをうれしく思いました。

とても楽しめたインターンシップ

昨日は企業のインタ−ンシップの講師を授業と学び研究所のフェローと一緒に行ってきました。インターンシップは、今では就活の一環として企業説明会のような位置付けになっていることも多いように聞いていますが、この企業では実際の仕事に近い形で、ICT活用による学校へのコンサルティングを体験してもらうプログラムになっています。

コンサルティングを経験するといっても、何の知識もない学生です。午前中のプログラムは、学校でどのようなことが行われているのか、学校にかかわる人と仕事の内容はどのようなものかを考えることで、コンサルティングのヒントにしてもらおうというものです。講師は元校長のフェローです。
知識として一方的に教えてもなかなか活かせるものではありません。ペアやグループを使って自分の経験をもとに考える場面がたくさん用意されていました。
参加者は、最初は固かったのが互いにかかわる場面が増えるたびに表情がよくなっていきます。本来はもっとやり取りして自分たちで答を見つけさせたいところでしたが、時間の都合もあり、ポイントポイントで講師が必要な情報を与えたり整理したりしながら、午後のコンサルティングの演習で必要な知識をまとめていきます。さすがの進め方でした。
昨年は何となくインターンシップに参加してみようかという学生もいたのですが、今回はそのように感じさせる者はいません。意識の高さが感じられました。昼食をとりながらの若手社員との懇談もとても積極的だったそうです。

午後は、実際にICT活用による学校コンサルティングの体験ですが、実は午前中にはICTの話は全くしていません。ICTの知識ではなく学校に関する知識の方が大切だからです。
コンサルティングはどういうもので、何をすればいいというようなことは担当の私の方からは話しません。社会に出て仕事となれば、何が正解かわからないことばかりです。たまたま上手くいったからといって、それが次に上手くいくかはわかりません。正解はいくつもあります。自分たちで体験しながら、答を見つけていくといくことの大切さをわかってほしいことを伝えました。
コンサルティングは何をすればいいのかということを問いかけました。「提案する」から始まり、何人かに聞いていくと「相手が気づいていない課題を見つけて解決する」という答が返ってきました。この言葉が出てくれば十分です。今回はインターネットなど使わずに、相手と話をして課題を見つけることに挑戦させます。では、誰に聞いたらよいのかをまわりと相談させました。「会社の上司」「校長」「普通の先生」と見事に分かれます。これにも感心しました。どれが正解ではありません。すべて必要なことです。複数で考えることのよさがわかります。今回は元校長がいるのですから、「校長」にヒアリングすることを課題とします。ヒアリングの目的を確認したところ「信頼関係をつくる」という言葉が出てきました。これもなかなか立派な答です。私から説明することはほとんどありません。
グループでどのようにヒアリングをすればいいのかを考えさせました。どのグループもとてもよい姿勢で話し合っています。どのような話をしたかを、どちらかというとあまり発言していなかった学生に発表してもらいます。とてもしっかりと発表してくれます。あまり話をしていなくてもしっかりと参加していたことがよくわかります。面白いのが、学校の規模や先生の数といった情報を聞きながら、次第に課題に近づいて行こうとするグループとあらかじめ出欠の統計をICT化することで不登校やいじめの早期発見につなげるということを意識してそこに話を持っていこうとするグループに分かれたことです。こういった違いがでてくると、互いの視野が広がっていきます。
制限時間5分で、「学校の課題を見つける」「信頼関係をつくる」ことを課題として実演します。まず、各グループから一人ずつやってもらいました。キャッチボールしながらヒアリングを5分間続けることはそれほど簡単ではありませんが、なかなか見事にやってくれます。最初に学校のよいところをほめて、校長との関係をつくろうとするグループもあります。なかなか頑張ってくれるのですが、校長役が発言の中にさりげなく入れた課題のヒントにはなかなか気づけません。また、気づいてもその場でどう返せばいいのかはわかりません。見ている学生たちもその難しさ気づいたようです。そこで、もう一度作戦を立てる時間を与えました。
今回、校長役は学生が相手なので課題につながる事柄を話の中にわかりやすく入れていますが、毎回学校の設定を見事に変えていきます。先生方の時間がない、コミュニケーションがとれない、学校広報の問題などいろいろなバリエーションを自然な形で提示します。学生たちはとても真剣に取り組みますが、中には特に課題がなく上手くいっている学校もあります。こうなると、困ってしまいます。何とか課題を見つけようとしますが、迷走してしまいます。課題という言葉に引っ張られて、学校のよいところを活かす、さらに伸ばすという発想ができなかったようです。こういうことに気づかせるという、見事な校長役でした。なかなかこのようにできるものではありません。私もよい勉強をさせていただきました。自分の出番が終わった学生も、最後まで気を抜かずに真剣に他の学生のヒアリングの様子を見ていたのが印象的でした。
また、取り出し指導や、いじめ防止、生徒指導などに関する学校の基本的な知識がないため、うまく話が続かなかったり、課題に迫れなかったりした場面がたくさんありました。
学生の振り返りでも、学校に対する知識がとても重要なことに気づいてくれました。話しながら考えるということを今まで経験したことがないということも、共通して挙がってきました。LINEなどの普及に伴い、人と向き合って真剣に話をする機会が減っているのかもしれません。
校長役のフェローとレベルの高い学生のおかげで、楽しみながらとてもよい学びをすることができました。参加した学生にとって、何か一つでもこれからの就活や仕事に役立つことがあればこれほどうれしいことはありません。

授業力向上研修

先週末は、市主催の授業力向上研修の講師を務めました。

午前中は、授業の基本について私からお話をさせていただき、続いて3つのチームに分かれて午後からそれぞれの代表が行う模擬授業の検討を行っていただきました。

私からは、主に安心して暮らせる学級づくりと全員参加の授業づくりについてお話しさせていただきました。
子どもと仲よくなることは大切ですが、それ以上に学級や授業のルールを徹底できることが大切です。問題は、できないことを注意して減らすのか、できることをほめて増やすのかという徹底の方法です。注意をしても、注意されなかった子どもは他人事として聞き流します。ほめれば、自分もほめられたいと同じ行動をとろうとします。このことがわかれば、おのずと答えが見えてきます。
教師が子どもを認めてほめると、子どもと教師の関係がよくなります。しかし、そのままだと教師と子どもの関係ばかりが強くなって、子ども同士の関係が弱くなってしまいます。教師と子どもの関係ができれば、次は子どもが友だちに認められる場面をつくることが必要になります。「なるほどと思った人?」「納得した人?」「今の意見を聞いて考えが変わった人?」、こういった言葉で子ども同士をつなぐことが大切になります。
全員参加の基本的な考え方は、「わかった人」「できた人」で授業を進めないことです。わかった人が挙手し、指名されて進む授業では、わからない子どもが授業に参加することはできません。わからない子ども、困っている子どもに寄り添って授業を進める必要があります。「困っている人、いる?」と困っていることから始めて全員でどうすればいいか考えることや、「今の説明をもう一度言ってくれる?」と聞いていれば活躍できる場面をつくって参加をうながすことが大切です。
全体での発表は同時に一人ですが、ペアを使えば同時に半分の子どもが発言できます。ペアやグループを活用し、子どもの活動量を増やすことも意識してほしいと思います。

グループでの指導案の検討は、どのグループもとてもよい雰囲気で進んでいました。それぞれでこだわっている観点が異なっているのが面白く、午後からの模擬授業がとても楽しみになる内容でした。

午後はグループの代表による模擬授業です。時間の都合もあり導入部分が中心となりました。
最初は、小学校1年生の道徳の授業でした。
1年生はお話の内容を理解することもなかなか難しいということで、ペープサート(paper puppet theater)で話を理解させます。ペープサートのうまさもさることながら、主人公の気持ちを問いかけた時の子ども役の答えに対する授業者の受け方が見事でした。子どもの発言を最後までしっかりと聞き、「なるほど」と受容し、まるごと復唱します。それから、だまって板書します。基本がしっかりとできていました。また、「同じでもいいから聞かせて」と発言の求め方も上手です。参加者にとってよい見本となったように思います。
授業者の学級は子どもたちが意見を言いたくてしょうがないということでしたが、その理由がわかる気がします。子どもたちは、授業者がどんな発言でもしっかりと受け止めてくれるので、発表したいのです。徐々に教師ではなく友だちに認められる場面を増やしていくことで、子どもたちは友だちとかかわることを覚えてくれると思います。それに伴って落ち着きも増してくると思います。

2人目は、小学校の6年生の算数の「拡大と縮小」の授業でした。
5年生で学習した三角形のかき方をもとに、相似な図形の長さや角の関係を使って拡大図と縮図をかく場面です。授業者は、この時間の学習で必要なことをまず復習します。
前時の復習で方眼図を使って拡大図・縮図をかかせます。ここで個別に○つけをしますが、書き直すことも考えて小さな○をつけていました。もしかき直す必要があるのであれば、色を変えるといった方法もありますから、子どもが自信を持てるように大きな○をつけてあげたいところです。また、声かけも単調です。もう少し子どものよさを具体的にほめたいところでした。
この場面はただ復習するのではなく、この時間に使う考えを押さえることが必要です。方眼紙を使うやり方で押さえておきたいのは、「長さ」です。2倍の拡大であれば対応する部分の長さが「すべて」2倍になることです。ここを強調することがあまり意識されていませんでした。続いて、「三角形のかき方」を問いかけます。子ども役は何を答えていいのか戸惑っています。「三角形のかき方」を前時にやっていればいいのですが、これは5年生で学習したことの復習です。子ども役の先生もそうですが、実際の子どもでも何を答えていいかすぐにはわからない可能性が高いのです。授業者も子ども役が戸惑っていることに気づきました。ただ、とっさにどうすればいいのかの判断は難しかったようです。
5年生でやったことを思いださせるような話をするのか、具体的な問題として与えることで考えさせるのかといった判断が必要です。この場合であれば、この日拡大・縮小に使う三角形を提示して、コンパスと定規、分度器を使ってノートに同じものをかかせればよかったでしょう。どうやってかいたかを確認、整理してからこの日の課題に移れば、子どもたちは見通しを持って取り組むことができると思います。
授業者は、素直でやる気のある方です、何度も止められながらも、最後までしっかりと模擬授業を続けてくれました。よい経験となったことと思います。

最後は、中学校の道徳でした。
授業者は資料の理解をできるだけ早くして主課題に入ろうとしています。資料を配り、範読しながら説明をしていきます。授業者は子ども役をよく見ていますが、子ども役は資料をずっと見ています。授業者は日ごろから子どもを見ることを意識しているのだと思いますが、子ども役の顔が上がらないので、表情や反応がよくわかりません。また、子ども役に確認したところ、かなりの数が範読より先を読んでいました。途中で止めて考えさせたい時などでは、その先の展開を知られていると困る時もあります。資料は渡さず、範読中は子どもたちの顔を上げさせ、表情がよく見えるようにするとよいでしょう。あまりないとは思いますが、後で資料を見て確認する必要がどうしてもあるのなら、その時に配ればいいのです。
長い資料なので、読み取りにかなりの時間がかかります。これでは発問の後、子どもを揺さぶったりして考えを深める時間が足りなくなってしまいます。資料の一部分を大胆にカットすることも必要です。この日の資料も、簡単な説明だけしてカットしてもよい場面がありました。こういう判断も大切です。
模擬授業では主課題までやることはできませんでしたが、この資料では課題はどうするとよいかについて少し話しました。

道徳の発問では、子どもの本音を引き出すことが大切です。「すべき」といった言葉は突き放した意見、教科書通りの答になりやすいので注意が必要です。子どもの気持ちを「主人公」「相手」「第三者」の誰に寄り添わせるかという視点も大切です。「その行為の結果、相手はどう思うだろう?」「それを見て、まわりの人はどう感じるだろうか?」、時にはこういった発問も必要です。主人公がなかなかできないような素晴らしい行動をとったのであれば、「あなたならどうする?」「できる?」と子どもに迫っても面白いでしょう。子どもに気持ちだけでなく、この後どのようなことが起こるかを想像させることも大切です。子どもたちは先のことを考えずに行動することが多いからです。
また、子どもたちを揺さぶるのに、条件を変えるという方法もあります。「もし、○○がなかったら、それでも同じようにする?」と条件の一部を変えたり、結果が異なったりしたとしても、考えが変わらないかを問いかけるのです。「変わった理由」「変わらない理由」を問うことで、事の本質が焦点化されていきます。例えば、ガラスを割って正直に話をして許してもらえたという話であれば、「同じようなことがあったらすぐに申し出るか?」といった発問をして、その後、「この話では許されたけれど、こっぴどく怒られたとしたらどう?」と揺さぶるのです。
道徳の教科化、重視が言われています。道徳の授業をどのようにすればよいかについていろいろと考えるよい機会だったと思います

1日にわたる研修でしたが、皆さんとても熱心に参加していただけました。模擬授業のまわりと相談する場面で、子ども役の表情や様子が変わることがとても勉強になったということを言ってくださる方もいました。うれしい感想です。この研修が、先生方が新学期に何か一つでも新しいことに挑戦するきっかけとなってくれれば、これほどうれしいことはありません。

学校力向上研修

昨日は、市主催の学校力向上研修で講師を務めました。対象は教務主任やそれに近いミドルリーダーが中心です。今回は先日録画した授業を参加者全員に見ていただいて、それをもとに学校力を向上するための授業検討のあり方について考えました。

6人ぐらいのグループで、自分の学校で授業検討するのであればどのような視点で、どの場面を話題にするかについて考えていただきました。授業規律がしっかりとしていた授業でしたが、どの学級も授業規律が確立している学校であれば授業規律のよさは確認程度で十分です。逆にまだまだ不十分な学校であれば、授業規律のよい場面以上に、授業規律をつくっている場面に注目する必要があります。この授業で言えば、全員が集中するまで待っている場面、子どものよい行動をほめている場面などです。しかし、ある程度できあがってきた学級であれば、「子どもたちがよい」場面はたくさんありますが、その「よい姿をつくっている」場面はあまり見ることができません。そういう場合は、授業者にどのようなことを意識してやってきたかを発表してもらうことが大切です。
逆に、授業規律に課題があった場合はどうでしょうか。この授業者固有の課題であれば、全体であまり取り上げる必要はありません。批判につながり、授業者が委縮してしまう可能性があります。その代り、別途個別にアドバイスすればいいのです。もし、共通して取り上げるべきだと考えれば、まず同じようなことで困っている人はいないかを全体に問いかけます。共通の課題にしてから、先輩などがどのような工夫をしているかを聞くのです。できるだけ、先生方の中から解決につながるものを引き出すことが大切になります。

主課題が終わったあと練習問題に取り組む場面で、子どもたちから「わからん」という声が上がりました。この場面を取り上げて、その原因とどうすればよかったのかを考えたグループがありました。素晴らしいと思います。子どもの姿から課題を見つけているからです。「私ならこうする」「ここは、こうした方がいいのでは?」といった発言がよくありますが、その根拠をどこに求めるかが問題です。同じ流れや発問でも子どもたちよって反応は変わってきます。大切なのは、目の前にいる子どもの事実をもとに考えることです。子どもの姿をつくった原因とどうすればいいのかその対策を話題にしていくのです。
研修終了後、授業者の学校でのその後について聞く機会がありました。学年で授業検討を行い、まさにこの場面が課題として挙がったということです。その課題を改善しようと意識した授業に、学年の先生が何人も挑戦したそうです。こういう活動が学校力の向上につながります。この市の授業力向上研修にも毎年講師として参加させていただいていますが、この学校から来られる先生のレベルが高い理由がよくわかりました。

今回、ICTを活用した授業検討システムを使って授業ビデオの再生を行いました。例えば、子どもを見るとよく言いますが、それはどういうことなのかを伝えるのはそれほど簡単ではありません。そこで、授業者がしっかりと子どもを見ている場面を共有することが有効です。このシステムを使えば、ストレスなくその場面を映し出すことができます。子どもが前で説明している時に、教室の端で発表者を時々振り返りながら全体をうなずきながら見ている姿をピンポイントで再生しました。「百聞は一見に如かず」です。授業者にその場面について一言もらえば、それで十分に伝わるはずです。こういった授業ビデオの活用方法も意識してほしいと思います。
また、この授業を撮影した時の参観者がどこの場面をよいと思ったか、疑問に思ったかの記録も残っていましたので、一番反応が多かったところを再生しました。課題を与えて子どもたちが素早くグループの形になり、活動を初め、その直後、授業者が活動をいったん止めて、とてもよい説明の仕方をしている子どもが2人いたと紹介している場面でした。その時の参観者がいれば反応した理由を聞きたいところなのですが、おそらくこの日の参加者にもその理由はわかったと思います。学ぶことの多い場面を切り出すことができていると思いました。

この日は、これからミドルリーダーとして活躍してもらう方もたくさんいらっしゃいました。どの場面でもベテラン以上に集中して、自分のこれからに活かそうとする姿を見ることができました。若い先生が増えている中、ミドルリーダーの果たす役割がとても大切になります。こういった先生方がたくさんいらっしゃるのがこの市の強みだと思います。市全体がこれからどのように力をつけていくのか、とても楽しみです。

私学で、模擬授業による研修

昨日は私立の中高等学校で、模擬授業をもとにした授業研修を行ってきました。授業者は数学担当の中堅の先生で、日ごろの授業では子どもたちとの関係がとてもよい方です。先生方を子ども役にした模擬授業は初めてなので、少し緊張していました。

授業は高校1年生の整式の割り算でした。
小学校の内容の整数の筆算を復習します。筆算の手順を「たてる」「かける」「ひく」「おろす」と板書をします。子ども役の先生方の動きは、手元のプリントを見る人、板書をじっと見る人、写す人とバラバラです。実際の学級では、ルールが決まっているのかもしれませんが、指示がないとこのようなことになります。少なくともルール化できるまでは、指示をすることが必要なことがわかります。
子ども役を指名しながら割り算をします。小学校の復習なので簡単に進めてよさそうなのですが、中学校以降は割り算の筆算をする機会は意外にありません。子ども役の先生方の反応を見ていると、「たてる」という言葉に戸惑っている方もいます。実際に計算をやっている場面を見れば理解できるでしょうが、そのためには少し時間が必要です。子どもたちの反応によって進む速さを調整することが必要です。
続いて、元の数=割る数×商+余りという関係式を説明します。これも中学校ではやっているのですが、実際に使う経験はあまりしていません。簡単に進めたのですが、もう少し細かく確認する必要があったと思います。特に「割る数」より「余り」が小さくなることの押さえがなかったことは数学の授業としては問題があったように思います。数学の教科に関する話をすることが目的ではないので、こういったところは解説しませんでしたが、ちょっと気になる所でした。
続いてこの日の主課題、整式の割り算の問題を提示します。突然整式の割り算の問題が出てきても、整数と整式の類似性もはっきりしないので唐突です。子ども役の戸惑いが伝わってきます。整式の割り算の手順を説明しますが、一つひとつの手順が何をやっているのかよくわかりません。整式の割り算を筆算の形に書いて、xがたつと言われても、どういうことかわからないのです。実際には整式の割り算とはどういうことかを、先ほどやった割り算の商と余りの関係から押さえる必要があります。子どもの思考を考慮して、割り切れる場合から初め、割る式×商が元の式となることで押さえてから進めるとよかったでしょう。
いきなり整式x2 +2x+4の+を省略してx2  2x 4というように書いて筆算を行います。確かに見やすくするのにこういった書き方をすることもあるのですが、いきなり説明なしでは戸惑います。子ども役の反応から、越えるべきハードルが同時にいくつもあると苦しいことがよくわかります。
実際の練習問題は余りのないもの、係数に負の数がないものばかりです。つまずきにくいことはよいのですが、次のステップをきちんと練習する場面が必要です。中には因数分解して商を求める方もいました。たまたま余りが0の問題だったので上手くいったのですが、このことについてはここでは取り上げることをしませんでした。また、やり方がわからなくなってまわりの方に聞いている方もいます。黒板では指名された子どもに答を書かせますが、その間子ども役の様子はバラバラでした。後で正解が発表されることがわかっていても、わからない状態が続くことは気持ちのよいものではありません。子どもたちがまわりと相談したい気持ちがわかっていただけたように思います。
授業者は、机間指導をして○をつけますが、「正解」という声かけがほとんどです。これでは先生にチェックされている気持ちになります。「いいね、○○がちゃんとできている」といった具体的によいところや、称賛の言葉をかけることで意欲を高めることが大切です。ミスをしている方に対して、違っていることの指摘にとても気を使っていました。しかし、当人に聞くと、「間違っていた」と指摘されたと感じていました。違っていると否定せずに間違いに気づかせることが大切です。「ここはあっているよ」「xは正解」と正しいいところ、上手くできているところを指摘すればいいのです。部分肯定をして「ここは?」と声をかければ、間違っていると指摘しなくても自分で気づいてくれるはずです。
黒板に書かせた答は正解ばかりです。できなかった子どもが正解を見てわかるのであれば問題ありませんが、実際にはそうはいきません。できなかった子どもができるようになる場面をどのようにつくるかが授業のポイントです。子どもたちがどのようなところでつまずくのか、それを修正するにはどのような活動が必要かを意識して、授業の中に組み込むことが大切です。
次に係数だけを書いて割り算する方法を説明します。係数が大きい時に見にくくなるといった説明を簡単にして進めます。「そうなのか」と思う間もなく具体的なやり方の説明に入ります。先ほどまでやってきたこともまだ定着していないのに次々に新しいことが出てくるとついていけない子どもが出てきます。ここは、実際に係数が大きな数でやって見せることも必要です。復習になるのと同時に、必要性が実感できるからです。しかし、このやり方は次数の等しい項がきちんと上下に来ないとミスが出やすいという注意点があります。残念ながら、このことを押さえる場面はありませんでした。
プリントをテストといって配ります。子ども役は問題に取り組みますが、先ほどと違って相談する姿が見られません。子ども役の先生に確認したところ、「テストと言われたから」という答が返ってきました。納得です。授業者のちょっとした言葉づかいで、子どもの動きが変わってしまうのです。こういったことを意識することの大切さに気づいていただけたと思います。
この問題の解答の確認は、子ども役を順番に指名して、その答を「正解」と授業者が判定していきます。先ほどと同じく、できなかった子どもができるようになる場面がありませんし、ただ答を言わせるだけならばそのことにあまり意味はありません。その時間を子ども同士で答を確認する時間にすればいいのです。答が違えば、当然どちらか正しいか確認し合います。その過程で間違いが修正され、正しい考え方がわかってきます。こういう場面をつくってほしいのです。
最後に、因数定理に関連して、整式の割り算を使って因数分解ができることの説明をします。因数分解でやった人がいたことを話して、そこからつなげようとしましたが、因数分解で解いた人がいたのは授業の前半です。そこで取り上げていないので、唐突です。その時に取り上げて、余りが0であればかけ算の形に(因数分解)できることを押さえていたのならば、この場面でのハードルは一つ減りますが、あとからではあまり意味はありません。因数と整式の割り算をつなげようとするのですが、先ほど係数だけで割り算したのに再びxを書きます。また、今までは負の係数や定数がなかったのですが、今回は負の数もでてきます。一度にいくつものハードルが出てきます。今までの内容と比べてコントラストが大きいのです。これも、子どもたちを混乱させることにつながります。

授業者の普段の授業では、子どもたちは安心して発言し友だちと相談ができる雰囲気ができています。今回は模擬授業のために、そのよさを見せることができなかったのが残念でした。先生方にぜひ、日ごろの授業の様子を見てほしいことを伝えました。
子ども役の先生方は、素直に子どもの気持ちになって授業を受けてくださいました。場面場面で、その時の気持ちや行動の理由をたずねても、とても真摯に答えてくださいます。先生方にとって、子どもの視点で授業を考えるよいきっかけになったのではないかと思います。これも、自分の授業スタイルからすると模擬授業はとてもやりにくいのに、授業者役を買って出てくれた先生のおかげです。今回の研修をきっかけに、参加された先生が、2学期の授業で何か新しいことに意識して取り組んでいただければ、これほどうれしいことはありません。私自身にとっても、とても勉強になる楽しい研修でした。暑い中にもかかわらず授業を引き受けてくれた先生と研修に参加してくださった先生方に感謝です。

愛される学校づくりフォーラムの内容検討

昨日は、愛される学校づくり研究会の役員会でした。主な議題は、来年2月に東京で行われるフォーラムの具体的な内容の検討です。

当初は、タブレット一人一台環境における学校の様子を私たちなりに考えて発表しようと思っていたのですが、その具体的な姿がなかなか描けません。1時間余り話し合いましたが方向性が定まらず、迷走が続きました。これまでのフォーラムは、会員の実践、成功事例をもとに発表してきたのですが、今回考えたテーマでは、私たちの中に実践や成功事例がない状態での発表なので、裏付けのない主張になってしまいます。参加者から質問がでた時に、自信を持って自分たちの考えを主張できないということが課題として指摘されました。結局このテーマでは自分たちの持っている強みを活かすことができないということになりました。
そこで方向性を変えて、昨年と同様に午前は公開研究会の形を取ることにしました。4つのテーマについて、会員の代表が何らかの提案を行い話し合うというものです。このことが決定した後は、とてもスムーズに進みました。4つのテーマごとに提案の仕方も変え、参加者を飽きさせないものになったと思います。午後は、昨年度と同様に2つの模擬授業をもとに、新しくなったiPS(ICTを活用した授業検討システム)を活用した授業検討を行うものですが、今年は新しい趣向が付け加わりました。詳細が決まり次第、また報告したいと思います。

第三者的にはとても面白いフォーラムになると思いますが、個人的には昨年度よりも厳しい立場での出演になりそうで、いささか気の重い状態です。とはいえ、気持ちを切り替え、会場の参加者と共に楽しむようにしたいと思います。2月6日(土)東京品川での開催予定です。興味のある方は、予定しておいてください。

小学校で道徳の授業づくりの研修

先週、小学校で道徳の授業づくりの研修を行いました。授業の組み立て方や発問のポイント、資料の扱い方についてグループで考えていただきました。

「誠実」をテーマにした読み物資料をもとに、3つのグループで資料における「誠実」の意味を考え、発問と予想される児童の反応を考えました。事前に研修で使う読み物資料を配ってあったのですが、皆さんよく考えてこられているようでした。
「誠実」はあまりぶれない価値のように思っていましたが、先生方のとらえ方が多様であったことにちょっと驚きました。中にはこの資料は、相手との約束を守るために自分のチャンスをあきらめるような自己犠牲をするので嫌だという方もいます。自分の気持ちに誠実であることも大切だという考えです。ここでの「誠実」の使われ方はある種のレトリックですが、子どもからも似たような考えが出てくるはずです。どれが正解と言うわけではありませんが、先生自身がぶれないものを持っていることは大切だと思います。そういう意味でも、先生方が「誠実」という道徳的な価値について意見を交換したことはとてもよい経験だったと思います。
先生方から出てきた発問は、主人公の気持ちになって考える、主人公の気持ちを想像する、自分だったらどうするといったものが多かったです。この資料で授業をされた経験のある方が、実際に子どもから出てきた反応を教えてくださいました。約束を破っても、チャンスをつかんだ後、相手にそれに見合うようなお返しをするというものです。このような答は、私も何度か目にしています。きれいな言葉で言えば「Win Win」の関係です。確かに理想ですが、この場合一度約束を破るということがその前にあります。決して相手は「Win」ではありません。どうも、自分は損をしたくないということが前提にあって、その上で落としどころを探すという考え方が増えているように思います(昔からあったのかもしれませんが・・・)。こういった考えにどう対応するかというのは難しい問題です。そうではない意見に触れることで、考え直すきっかけとなってくれればと思います。
道徳では主人公の気持ちを中心に考えることが多いのですが、子どもたちを揺さぶるために「当事者」の気持ちを考えさせることも時にはよいと思います。もし約束を破られたらその「相手」はどんな気持ちになるだろうか、その後どのような行動をとるだろうといったことを想像させるのです。

私からは、どうすれば子どもが深く考えるかという視点でお話をさせていただきました。
道徳の授業で基本となるのが、学級の雰囲気です。モラル的にはどうかという意見も安心して本音で話すことのできる学級であることが大切です。どんな意見もバカにされずに聞いてもらえる、おかしなことを言っても互いに笑い飛ばせるような学級であることが理想です。
読み物資料を使う時には、読み取りに時間をかけると子どもたちの考える時間が少なくなってしまいます。国語の授業ではありませんから、先生が解説をしてもいいのです。できるだけ早く登場人物に入り込めるようにすることが求められます。特に、ポイントとなる事件や出来事では登場人物の気持ちを強調したり、問いかけたりして子どもが寄り添えるようにすることが大切です。
発問では子ども自身の問題としてとらえさせることが大切になります。「どうすべき」といった問いかけは客観的な判断を求めることなり、突き放した意見や教科書的な答になりやすくなります。子どもたちの反応よっては、主人公だけでなく、他の当事者や第三者の気持ちに寄り添った考えを聞いたり、その後どうなるかを想像させたりといったことも必要になります。
子どもに深く考えさせるためには、揺さぶることも大切です。「○○の気持ちを考えよう」ではなく、「○○の気持ちわかる?」「そんなことできる?する?」と子どもに迫ったり、「もし、△△がなかったら、それでも変わらない?」と条件が変わっても揺るがないかと問いかけたりすることで、子どもの気持ちが揺さぶられます。そこで、もう一度子どもに考える時間を与えることで、考えが深まります。その時間をつくるためにも、資料の読み取りの時間をできるだけ早くすることが大切になります。

夏休みに入って少し余裕のある時期でしたので、先生方も落ち着いて話し合うことができていたように思います。互いに授業について考えを聞き合うということはとても大切なことです。こういった機会を持つことが大切だと思います。
私も先生方の素直な意見を聞かせていただくことで、とても勉強になりました。よい機会をありがとうございました。

道徳の授業撮影

教師力アップセミナーで野口芳宏先生に指導していただく授業の撮影を行いました。小学校6年生の道徳の授業です。授業者は学期末の忙しい時期に積極的に授業を公開してくれました。その影には校長の若手を育てたいという思いがあります。校長も自ら参加して、若手を中心とした勉強会を定期的に開いています。そこで、今回の授業の指導案も検討したそうです。強制参加ではないのですが、若手を中心に先生方がたくさん参観していたのは、学校の中に授業を大切にしようという空気ができている証拠でしょう。校長の働きかけの大切さ感じます。

授業は「寛容」をテーマにしたものでした。資料はレ・ミゼラブルの銀の燭台のエピソードです。
授業者は資料を配って範読します。子どもたちの視線はどうしても下に向きます。授業者は歩きながら読みますが、子どもたちの様子を見てはいません。途中で神父とはどういう人か子どもに聞きます。これは単なる知識です。道徳では資料の内容を早く子どもたちに理解させることが大切です。その点であまり意味のある活動とは思えません。授業者が説明すればいいのです。この後、子どもたちの集中力が落ちました。姿勢も悪くなっていきます。物語の前半部分を読み終わった後、資料を机の中にしまわせました。資料を配った理由がよくわかりません。
ここでジャン=バルジャンの生い立ちや資料の内容について子どもに確認をします。答えられない子どもは、手元に資料がないので参加できません。挙手した子どもだけで進んでいきます。あまり意味のある時間だとは思えません。また、挙手しない子どもが発言に対して「いいです」と言うのも気になります。子どもは背筋を伸ばしているのですが、形だけのように見えます。視線が動かないのです。
ジャン=バルジャンを泊めようとした時の神父の気持ちを子どもたちにたずねます。「神父だから罪人でも大丈夫だと思った」という発言に「いい意見だね」と返しました。「いい」という価値判断はこの場面ではあまり相応しくないように思います。もし「いい意見」というのなら、どの子どもの意見も同じように受け止める必要があります。しかし、他の場面では「いい意見」とは言いませんでした。恣意的ではいけないのです。
ジャン=バルジャンが銀の皿を盗もうとした気持ちを10秒で考えさせます。挙手は4人だけです。その子どもを指名して進みます。ここでジャン=バルジャンの気持ちを考えることが大切であれば、もっと時間を与える必要があったと思います。一部の子どもの意見で進みます。
ここで続きを範読します。神父が捕まったジャン=バルジャンをかばったことについて「神父は許すべきだったか?」と発問します。「べき」という言葉を使うと客観的に正しい答を要求することになります。建前の答が出やすくなります。子どもたち全員に「許す」「許さない」「わからない」のどれかを選ばせ、黒板に自分の名前を貼らせました。子どもたちの考えは「許さない」「わからない」に集中します。これは予想外だったようです。事前にやった他の学級では「許す」に偏ったようです。銀の皿を盗むことはたいしたことではないと思ったからのようです。そこで今回は、内容の確認の場面で、校長がわざわざ手袋をはめてそれらしい皿を捧げ持って見せることで、高価なものであることを印象付ける演出をしたのです。そのことが影響したようです。子どもたちは、教師のちょっとした働きかけで大きく動くことがよくわかりました。
全員に自分の考えを述べさせます。授業者は子どもの発言をすぐに板書をします。似た意見であれば、子どもの名前をそこに貼ります。子どもの考えを認め、見える化するよい方法だと思います。しかし、授業者は子どもを見ません。ずっと板書をしている時もあります。子どもたちも、発言者ではなく黒板を見ています。指名した子どもが返事をしない時に黒板を見ながら「返事!」と注意する場面もありました。残念ながら子どもが返事をしても何もコメントしません。学級の人間関係が心配になります。
子どもたちからは、「罪を犯したから罰を受けるべきだ」「また、同じことを繰り返す」といった意見が続きます。神父の思いやジャン=バルジャンの気持ちに寄り添うような意見はありません。また、わからないといった子どもの意見には、「自分はどうこう言える立場でない」というものもありました。他人事です。
ここに多くの時間を割きましたが、子ども同士がかかわり合うことはありません。友だちの考えを聞いて深まることはないようでした。
ジャン=バルジャンの気持ちに寄り添わせようと、投獄されたのが家族のためにわずかなパンを盗んだだけという話をします。後から付け加えても意味がありません。いまさら言われても困ってしまいます。子どもの反応が予定と違ったので、対応できなくなってしまったのだと思いますが、ここは単純に「なるほど、ジャン=バルジャンを許すべきでないという意見が多かったけれど、じゃあどうして神父は許したんだろう」と神父の気持ちに寄り添って考えさせれば子どもたちを揺さぶることができたと思います。「もし、神父が許さなかったらこの後、ジャン=バルジャンはどんな人生を送ったと思う?」と子どもたちの考えを実行したら何が起こるのかを考えさせても、神父の寛容さの持つ意味に気づけたかもしれません。
神父が燭台まで与えてジャン=バルジャンを諭す残りの部分を範読して、10年後のジャン=バルジャンになった気持ちになって手紙を書かせました。
どうでもいいことですが、神父がジャン=バルジャンを兄弟と呼ぶところで「兄弟のように思っている」という説明をしました。カトリックではすべての人は神の子どもですから互いが兄弟姉妹ということになります。神父ですのでそういう呼びかけをしたのです。ちょっと気になりました。
子どもたちの鉛筆がスラスラ動くことが気になります。あまり深く考えていないのでしょう。子どもの手紙は神父への感謝の言葉が綴られていますが、表面的なものでした。
最後に授業者が自分の経験を話しますが、自分が友だちを許した話でした。適当な話がないのかもしれませんが、許された側の気持ちで話をした方がよかったと思います。「寛容」の価値は許された者の立場で初めて理解できると思います。授業を通じて焦点を当てるべきところがずれていたように思います。

この授業は全員の意見を言わせた場面以外は、数人の挙手で進んでいきました。全員参加の感覚がありません。授業者は何を話すか、どう進めるかにばかり意識がいっています。子どもたち一人ひとりの様子を見て授業をつくっていくという感覚もありません。子どもたちを受容すること、子ども同士をつなぐこともよくわかっていないように思いました。
では、この授業者がダメなのかというとそんなことはありません。事前に大変な準備をしてまで、やらなくてもいい舞台に上がるということは、とても向上心があるということです。ただ、授業に関する大切な感覚のいくつかが育っていないのです。6年目の方です。ここからが踏ん張りどころです。自分に欠けているものを意識して、その部分を埋めることに力を注いでほしいと思います。教師力アップセミナーでは野口先生が、温かいご指導をしてくださるでしょう。そういったことも励みにして、精進してほしいと思います。数年後には大きく変化していることを期待しています。

校長室で、一緒に参観した教師力アップセミナーの関係者も交えていろいろとお話をする機会がありました。若者を育てることの大変さをあらためて感じました。授業も含め、私にとってとても学びの多い時間でした。このような機会を得られたことに感謝です。

子どもたちが考える授業の難しさを感じる(長文)

昨日の日記の続きです。

6年生の算数の授業はすべての答を見つける問題です。お菓子を35個買うのに、3個入りと、2個入りをそれぞれいくつずつ買えばいいのかを考えます。
最初に問題を提示して、自力で解かせようとします。子どもたちから答がいくつか出ることで、もれなく見つけることにつなげようという意図です。子どもたちはすぐに問題に取りかかります。意欲的です。ところが、その逆にすぐに手が動かない子どもの姿も目立ちます。この子どもたちは、やる気がないというよりは見通しが持てなかったのでしょう。問題を把握する時間もなくすぐに取りかかったので、何をすればいいのかがよくわからなかったのです。
ここで、授業者がヒントを出します。授業者がヒントを出すと、子どもたちはその考え方に従って解こうとします。いきなり解かせた意味がなくなります。もし、ヒントを出すのなら、手の動いている子どもたちに、最初に何をやったかを聞くとよいでしょう。「全部2個入りと考えた」「3個入りが○箱だったら」といった声が出てくれば、見通しを持てなかった子どもも動き出したと思います。
子どもたちに答を発表させます。2個入り1箱、3個入り11箱という答に対して、2×1=2、3×11=33、2+33=35という式で授業者が簡単に確認します。ここは、その根拠を子どもに言わせたいところです。また、答の結果の確認と、その求め方は違います。ここで求め方を押さえておくことが次の表での考えにつながります。「2個入りが1箱だと、残り33箱だから・・・」「全部3個入りだと11箱で2個余るから・・・」といった違った考え方が出てくるはずですから、それぞれの考え方を整理し価値づけすることが大切です。
子どもたちからいくつかの答が出てきますが、それも答になっていることしか押さえません。子どもたちは一つひとつの答をどうやって求めるかが明確になっていないので、モヤモヤしています。そこに、「全部の答を求めるのにどうすればいいか」という課題を出されても、今一つピンときません。子どもたちの疑問につながっていないのです。授業者は、「順番に」やるというアプローチの仕方を聞いているのですが、子どもたちは、どうやって一つひとつの答を出すかを考えています。授業者のねらいとずれてしまっているのです。ヒントとして「順番」という言葉を強調しますが、多くの子どもは授業者が何を言おうとしているのかわかっていないようでした。
挙手で指名したこどもにやり方を発表させます。子どもたちは、とても真剣に聞いています。発表者は、授業者の意図とは関係なく、「2個入りの数を固定して、残りを引き算して求める」「3個と2個を足して5個だから、5で割って求める」というように、どうやって答を求めるかの説明を始めます。授業者はずれを修正できないまま、何人かを指名します。2と3の最小公倍数が6だからと、35を6で割って、余りの5を3と2に分け、あとは6を3個入りにするか2個入りにするかを決めればいいという考えを出した子どもがいました。とても優秀です。授業者の言う全部の答を求めることにつながるものです。何度も本人が説明し、子どもたちは理解しようとしますがついていけません。授業者は、「難しかったね」と切り捨てました。せめて、「あとで○○さんの言っていることをもう一度考えようね」として、表を使うところで「うまく答が出てくるのは3個入りが2つとび」といったことに気づかせ、この6の意味を見つけさせたいところでした。
授業者は「順番」という言葉にこだわり続けますが、子どもから出てきた言葉でないので、子どもたちには伝わりません。最後は、自分で表を使うとよいことを伝えました。ここまで子どもたちに活動させたことを活かせませんでした。
最初の段階で、求め方を押さえておいて、「これで全部?他には?」と揺さぶり、「3個入りが4箱になった人?」「5箱は?」というように聞いていけば、子どもから「順番」が出てきます。じゃあ一つずつ順番にやればいいねと実際に全部の場合を見つけさせてから表を導入するか、たくさんの場合を確かめる時にどうやって整理したかを思い出させて表につなげてもよかったでしょう。
表をつくることをグループで取り組ませます。ここで、表の項目、構成要素が大切になります。残された時間を考えても、全体で見通しを持たせるべきです。授業者はグループにしてから表の構成要素の話をしますが、子どもとのやり取りもなく一方的なものなので、よく理解できていませんでした。手が止まっている状態のグループが多くなります。結局止まっている人が多いからと教科書を見て表をつくることにしました。これでは、子どもたちは自分で考えるのではなく、やり方を覚えようとするようになります。子どもたちにとって、自分で考えても最後は結果を写して覚えることになってしまい、考えることに対して達成感を味わえません。これまでの活動がムダになってしまいます。
答の求め方をもとに考えさせればよかったのです。2個入りが1箱の場合、2×1で2個、残りは35−2で33個、だから3個入りは33÷3で11箱、この求め方を2個入りが2箱の場合、というようにやって、どこが変わるかを子どもたちに気づかせると、表の要素が自然に見えてきます。「表は変化するものを整理するのに便利」ということを押さえ、「変化」に注目させれば、必然的に項目は見えます。関数につながる大切な概念を教えることもできるのです。
表の項目を教科書から抜きだします。3個入りを基準にするのか、2個入りを基準にするのかの確認もありません。教科書は0箱の場合を抜いていますが、子どもによっては疑問に思うかもしれません。表の端は11箱までと授業者がすぐに押さえます。子どもとやり取りしたいところです。表を埋めるのに、「1、2、・・・」としますが、ここは「1の次は2、2の次は3、・・・」と、授業者がこだわっていた順番を意識する必要があります。授業者は表を使えば全部の答えが出ることを押さえませんでしたが、そのための布石が「次」です。間の数はないから、全部と言えるのです。また、答が小数になるものは、最初から×をつけていますが、この吟味もちゃんとしていません。問題によっては意味のある答になります。「2個入りが0.5箱はダメ?いい?」と子どもたちに問いかけると、「ばらしてもらう」といった考えも出てきます。その考えがこの問題にふさわしいかを吟味することも大切です。
授業者は算数でついつい解き方を教えてしまうので、子どもたちから様々な考えを引き出して、まとめたいと考えていました。残念ながら、授業者の思い通りに授業は進みませんでしたが、自身の課題をしっかりと理解しているのは立派です。子どもたちとの関係や授業規律は上手くいっているので、この課題をクリアすることが当面の目標になると思います。今回の授業で言えば、表の本質はどこにあるか、この学習はどこにつながっていくのかをしっかりと教材研究する必要がありました。そして、子どもが見つける、わかる道筋のスモールステップを子どもの視点で理解する必要があります。後者は、経験を積まないとわからないところもあります。そういう意味でこの授業はとても大きな学びになったと思います。日々、子どもたちから学ぶ姿勢で授業を続ければ、きっとこの課題を克服できると思います。まだしばらくは時間がかかると思いますが、焦らずにていねいな授業を心がけてほしいと思います。

5年生の社会科の授業は農業法人を扱ったものでした。授業者は他市から本年度異動された経験7年目の方でした。
授業者だけを見ていると、なかなかテンポもよく、発言を受容したりもでき上手な授業に見えるのですが、根本的に何か足りないものがあると感じます。子どもたち一人ひとりを見るということです。子どもたちに指示をすると大体がすぐに従います。しかし、全員でなくても進んでいきます。ノートの使い方の指示の場面では、顔が上がらない子どもが目立ちました。フラッシュカードを使う場面では、カードを自分の目の前にかざしました。これでは子どもの表情は見えません。子どもに反応を求めるのですが、一部の子どもの反応を拾ってその子どもたちとだけで進んでいます。子どもたちとやりとりして進んでいるように見えるのですが、授業者にとって都合のいい子どもたちとだけです。最終的には自分が説明したいことを話して終わっていくのです。
動画を見せて、途中で止めこれが何についての説明かを問います。途中で止めるということができるのはなかなかです。しかし、「農業法人」というものを知っていいなければ答えることができません。まわりと相談させましたが意味のないものです。もし、農業法人について、子どもに考えさせたいのであれば、ここまでの情報から、みんなが知っている農家と何が違うのかを聞いたりすればよかったでしょう。
「農業法人と農家、大きいのはどっち?」と聞き、手を挙げさせます。全員がどちらかに手を挙げるべき場面ですが、手を挙げていない子どもが目につきます。授業者はそのことをあまり気にしていないようです。答の想像はつきますが、根拠となるものはありません。聞く意味があまりあるとは思えません。聞くのであれば、合理的な根拠がある必要があります。
「農業法人ならではの秘密を考えよう」というめあてを提示します。この「考えよう」は、何を考えるのでしょうか。事実は調べるしかありません。農業法人の特徴から、「ならでは」を考えるのでしょうか。特徴はそもそも何でしょう。この「秘密を考える」という課題がどういうことであるか子どもたちと共有されないままに進んでいきます。
与えた資料は、ある農業法人についてのものです。トラクターなどがたくさんあること、社員の数、委託されている土地の地図、広さと、農業法人とは関係ないある農家の機械のよさとその負担についての談話でした。ここから、「農業法人ならでは」のことを考えるためには、一般の農家のデータが手元にないと考えられません。何となく子どもに想像させるだけで、根拠をもった考えを引き出すことはできません。
子どもに考える視点として、「農作業」「農地・人」「その他」を提示します。これでは、単に農家との比較に終わってしまいます。授業の最初に、日本の米作りの問題点を整理しています。「農業従事者」「生産量」「消費量」「米離れ」「外国米の輸入」といったキーワードが板書されています。農業法人について考えるのであれば、「農業法人はこういった日本の米作りのどの問題を解決しようとしているのか?」といった課題にして、米作りの問題点の原因を整理してから進めないと考えることにはつながりません。本当に子どもたちが考えるためには、何が必要なのかを考えてほしいと思います。
机間指導をしながら、作業中の子どもに個別に指示をします。子どもの手が挙がっても気づきません。中には授業者が近づくと鉛筆を持つ子どもがいます。遠ざかればまたじっとしています。子どもたちのこういう状況に気づいているのでしょうか。
全体での発表では、一人発表するとすぐに板書します。子どもたちは、発表者に注意を払いません。子どもの意見を板書しますが、それが資料のどこを根拠にしているかを問いません。手を挙げて発表できる子どもの意見で進んでいきます。他の子どもは板書を見ているだけです。耕地面積が70haと大きいと言いますが、それを裏付けるためには日本の農家の平均の耕地面積のデータが必要です。作業しやすいという意見が出れば、実際に地図を見ながら確認する必要があります。そういったことなしに結論だけが積み重なっていきます。子どもの意見に対して授業者が根拠を明確に確認せず、子どもの発言をきっかけにして自分の考える結論を解説している授業になっています。教師が主役の授業と言ってもいいでしょう。
子どもたちに、「同じことを考えた人」とつなぐのですが、子どもは反応しません。子どもたちも、結論がわかればいいと思っているのです。それに対して授業者は参加を求めようとはしません。反応してくれる一部の子どもしか見ていないのです。最後に動画の続きを見せますが、子どもたちは集中して見ていませんでした。
授業者はそこそこ経験を積んで、授業の構成や進め方の技術を身につけています。それに対して、子どもを見る、全員参加させるといった子どもの活動に関する視点や技術が欠けています。バランスがとても悪いのです。授業者は子ども自身が考え問題を解決する授業を目指していると言っていますが、授業の方向性はそこから外れています。授業観がどこか根本的にずれているように見えるのです。このことを授業者には率直に伝えました。授業観を変えることは簡単なことではありません。だからこそ、そこを変えることができれば大きく進歩します。この先生が今後どのように変化していくか、期待も込めて見守っていきたいと思います。

今回アドバイスした4人は、それぞれに明確な課題があったように思います。すぐにクリアできるものばかりではありませんが、こういった課題が見える授業であることは、評価できると思います。昨年度と比べて課題が変化していたことは成長の証だと思います。次回の訪問を楽しみにしたいと思います。

それぞれに応じた課題が見つかる

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。今回で、市内全校の1回目の訪問が終わりました。この日は、4人の先生の授業アドバイスを行いました。

採用2年目の先生の授業は、2年生の図画工作でアートカードを使った鑑賞の授業でした。
グループで1組のアートカードを使うのですが、数が足りないため1グループの人数が5人になってしまいました。そのため、どうしてもグループが分断されたり、参加しづらい子どもがでてきたりします。全部のグループで同じカードを使う必要のない活動であれば、カードを分割した1グループの人数を4人にしたいところでした。
本時のめあてを子どもに示します。「しっかり見よう」「思ったことを話そう」「作品やグループの人と仲よくなろう」の3つです。「しっかり見る」「作品と仲よくなる」とは具体的にどういうことかよくわかりません。もちろん授業の最後に、「しっかり見る」とはどういうことか子どもの言葉で説明したりまとめたりする場面があればそれでよいのですが、今回はそのような場面はありませんでした。また、「話そう」では話して終わりです。伝える、聞く、理解するといった要素を意識させる必要があります。
授業者が黒板に2枚のアートカードを並べて、似ているところを考えさせます。それほど大きいものではないので、黒板を見て考えることはできません。手元のアートカードから同じものを探して、それを見ながらの活動になりますが、子どもたちは見つけることに時間がかかっていました。あらかじめここで使うカードを抜き出しておいて、そのカードだけ先に配っておくとよかったでしょう。残りのカードは必要になってから配ればよいのです。教室には大型のディスプレイがあります。縦長のカード2枚であれば同意に提示できます。全体で進めるのであれば、比較するカードを縦方向の物にしてディスプレイを活用するという方法もありました。一部のグループで、カードを自分の手元に持ってくる子どもがいました。その子どもから遠い子どもはカードを見ることができません。カードをグループの真ん中に置くように指示する必要があったようです。
子どもたちの考えを全体で確認します。指名した子どもの発表を笑顔で受け止めることができています。子どもからは、「古い感じ」といった言葉が出てきます。そこで終わるのではなく「それってどういうこと」と聞き返したいところです。同じように感じた子どもをつなぎながら、「古い感じ」が「色がはっきりしない」「昔のようす」といったものに起因していることを明確にしたいところです。ここで、「色」「題材」といった絵を見る視点を整理しておくとよいでしょう。「いっしょのことに気づいた人」とつなげる場面もあったのですが、挙手による一問一答が多かったのが残念です。
主活動は、グループの一人がアートカードから似ていると思うカードを一組選び、それを見て他の子どもが順番に自分が考える似たところを説明し、最後にカードを選んだ子どもが自分の考えを発表するものです。これを順番に繰り返します。めあてが提示されていましたが、この活動とめあての関係を子どもたちは意識していません。冒頭に説明したことなので頭から消えているのです。ここで、もう一度押さえておく必要がありました。
自分の発表のことを考えるのに精一杯で友だちの話を聞けない子どもが目立ちます。話す方もカードを持ってくれている人に向かってしゃべったりと、聞き手を意識できていませんでした。ただ自分の思ったことを言うだけですので、話せる子どもはテンションが上がります。似たところになかなか気づけない子どもからは、「同じ色がある」といった意見しか出てきません。全体の場で、事前に具体的な視点をたくさん与えておく必要がありました。授業者は、子どもたちにいろいろな視点で絵を鑑賞してほしいと願っていました。全体で視点を広げる活動したつもりなのですが、価値づけや整理ができていません。子どもたちが「できる」ようになるためにどのような働きかけが必要かを考える必要があります。全体の場での発表でも、こういった視点の整理がありません。「しっかり見る」というめあては、最後までどこかに行ったままでした。
子どもたちは指名されたいばかりです。挙手をして指名されないとがっかりしてしまいます。聞くことの価値を高めることを意識してほしいと思います。最後に感想を書かせますが、感想ではなく何ができるようになったか、どんなことがわかったかを書かせることが大切です。時間がないため書く時間を十分に取ることができませんでした。子どもから、「休み時間に書いてもいい?」と質問が出ました。授業者は「やる気があっていいね」とほめました。このように、子どもを受容したり、ほめたり、つないだりも時々できますが、いつもではないのです。余裕がないのでしょう。経験が少ないので当然と言えば当然です。常に意識できるようになることが課題です。それと同時に、活動の目的や目標を子どもの目線で考え、与えることも課題です。子どもに対する基本的な姿勢はよいので、よい方向に変化していくことと思います。

3年生の国語の授業はありがとうの手紙を書く場面でした。
最初に、PCをフラッシュカードとして利用して、漢字の読みの練習をします。ワイヤレスマウスを使ってうまくタイミングをとり、移動しながら進めます。しかし、教室の後ろから画面を見て練習してもあまり意味はありません。子どもがきちんと言えているかどうかは、声の大きさではなく口の動きで見る必要があります。そのためには、教室の前方から子どもたちを見る必要があります。ディスプレイは一瞬見るだけでいいのです。
授業規律を意識していることがわかります。指名しても返事がなければ、「○○さん、○○さん」と返事をするまで名前を呼びます。このこと自体は悪くないのですが、返事ができれば「いい返事だね」とほめることを忘れないでほしいと思います。
顔の上がらない子どもを指名して、本時のめあてを読ませます。子どもに参加を求める方法の一つです。全員参加を意識していることがよくわかります。
指名した子どもに教科書を音読させます。他の子どもが集中していないことが気になりました。暗黙のルールがあるのかもしれませんが、そうだとすれば徹底できていません。具体的に指示をすることが必要でしょう。
ありがとうの手紙を出す相手を考えます。子どもたちはあらためて聞かれると、なかなか思い浮かびません。ありがとうを恥ずかしくて言えない人がいないかと聞くと、「いる」と反応する子どもがいます。しかし、授業者はその反応を活かしません。「誰に」「どんな」「ありがとう」を伝える手紙を書けばいいのか子どもたちは困っています。子どもたちの姿勢や表情が今一つです。個人作業に入っても、手が動かない子どもが多いので、授業者は「困っている人?」と聞きます。手がたくさん挙がります。子どもたちが先生に助けてもらうのを期待しています。子ども同士で聞きあったり、書けている子どもに全体で発表してもらったりというように、子ども同士で解決することを意識するとよいと思います。
手紙には型があることを教科書の音読を通じて説明します。ここでも、先ほどと同じく集中できていない子どもが目立ちます。音読や説明場面で子どもたちに参加を求めることが必要です。言葉での説明が続きますが、ここは授業者が書いた手紙を準備して、具体例で考えるとよかったと思います。教室には大型のディスプレイがありますから、そこに手紙を映して、どこが教科書の説明にある時候の挨拶、本文、結びになっているかを具体的に考えさせます。そして、時候の挨拶を読むとどんな気持ちになるかを問いかけることで、型の持つ意味を考えさせます。手紙の型が相手に気持ちを伝えるために大切なことを含んでいることに気づかせたいところです。
子どもたちに、時候の挨拶をワークシートから選ばせますが、選ぶだけなのであまり考えてはいません。できれば、拙くてもいいので子どもたちの言葉で書かせたいところでした。季節の出来事、今のまわりの様子などを子どもたちから出させて、文章にするのです。個人作業で難しければ、グループで行ってもよいでしょう。
作業が終わった子どもが姿勢を正して待っています。授業者は「いい姿勢で待っているね」とほめました。できれば、固有名詞で何人もほめたいところです。
本文を書くにあたって「敬体」「常体」の説明をします。新しい用語ですので、全員に読ませます。しかし、口を開いていない子どもも目に付きます。「常体」は3回読ませましたが、それでも定着しているとは思えません。テンポよく全体で読ませたり、個別に読ませたりして定着させたいところです。また、用語だけ定着しても中身が定着しなければ意味はありません。例文を出して、「敬体」か「常体」かを問う。「敬体」を「常体」に、「常体」を「敬体」に書き換える。読む相手を指定して、どちらを選ぶかを問う。こういった活動も必要でしょう。
授業者が机間指導中に、通路側に筆箱を立ててバリアを作っている子どもがいました。ところが、手が動きだすとバリアは無くなっています。課題に手がついてない時に授業者に見られたくなかったのでしょうか。面白い場面でした。
子どもたちは指示にちゃんと従っているのですが、意欲は今一つだったように思います。原因の一つに手紙を書くことの目標や評価がはっきりしていなかったことがあります。リアリティがないと言ってもいいでしょう。授業者による評価でなくてもいいのです。「やれた」と自己評価できる基準が必要なのです。このことは、活動全体だけでなく、相手を決める、時候の挨拶を選ぶ、本文を書くといった個々の細かい活動にも言えることです。活動に対して、評価場面を必ずつくることが重要なのです。
子どもとの人間関係は、上手くいっていると思います。授業規律や全員参加も意識できています。次の課題は、活動の目標と評価を意識して授業を組み立てることだと思います。次回どのように授業が変わっているか楽しみにしたいと思います。

残り2人の授業については明日の日記で。

養護教諭の素晴らしい授業(長文)

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。この日は、学校全体の様子を見せていただいた後、2人の先生の研究授業のアドバイスを行いました。

全体的には、先生と子どもとの関係は決して悪くないのですが、子どもの言葉を活かすことや子ども同士をつなぐことが課題のように思いました。先生は子どもの発言をしっかり聞こうとしているのですが、発言者と授業者の2人だけの世界に入ってしまう場面をよく目にしました。一問一答で、他の子どもたちにつなぐことをせずに授業者が説明するので、その説明を聞いて板書を写せば友だちの発言を聞いていなくても困らないのです。発表者は先生に聞いてもらおうとするので、先生に向かってしゃべります。机をコの字型にしている学級も多いのですが、この傾向は変わりません。コの字型にもかかわらず、黒板の前に教卓が置いたままの教室が多いことも気になりました。教卓があるとどうしても先生は教卓と黒板の間でしゃべることが多くなります。必然的に子どもたちは先生と視線を合わせるために体を傾けなくてはいけません。それを避けるためには、教卓を教室の端に寄せ、先生はできるだけ子どもに近いところで話をする必要があります。また、先生が左右のどちらかの端に立つことで、発言者が先生を見ていても、自然に子ども同士の視線を合わせることができます。こういったことを意識できている先生が少ないことが残念でした。子どもが友だちに自分の考えを伝えようとする、友だちの話を聞こうとする、そういう学級づくりを目指してほしいと思います。
子どもの姿がバラバラな学級もいくつか見かけました。ある子どもは先生を見ている、他の子どもは黒板を見ている、また授業に参加せずに下を向いている子どももいるといった具合です。授業者が子どもたちにどのようになってほしいかを意識していないと、こういう状態になります。目指す子どもの姿を明確にし、子どもたちをしっかりと見て、そのずれを修正しようとすることが大切です。
低学年では、子どもとの関係がよい学級が多いように感じました。子どもたちに向き合う先生の表情がよいことがその要因の一つでしょう。一年生が学年全体でドッヂボールをしていたのですが、集合の様子を見ていると授業規律がきちんとできていることがわかります。しかし、子どもたちの様子に学級差がありました。ベテランの学級と比べると、若い先生の学級の方が、授業規律は今一つなのです。若い先生にとって、ベテランの学級経営との違いを肌で感じることができるので、こういう場面はとても貴重なものです。このような機会にベテランとの違いを意識して、改善のきっかけにしてくれることを期待します。

この日の授業研究は、養護教諭の保健の授業と、特別支援学級の授業でした。
保健の授業は2年生の6歳臼歯の歯磨きについての学習でした。
最近増えたとはいえ、養護教諭が授業をする機会はそれほど多くはありません。まだ、若い先生ですが、とてもそうは思えないほど子どもたちを見ることや、子どもを受容することができていました。この日見た授業の中でも特に優れていると思いました。この授業を支えていたのが、この学級の子どもたちのよさです。ごそごそしていても、授業者がしゃべり始めるとすぐに静かになります。これ以外にも担任の学級経営のよさを随所に感じることができました。
子どもの興味を引くために、最初に、用意した絵の一部だけを見せながら何であるかを問います。動物の頭蓋骨だと気づいた後、今度はその動物か何かを問います。ライオン、馬、サルの頭蓋骨を順番に見せながら考えさせます。歯の形から「肉食」「草食」「雑食」の違いを意識させるのが目的ですから、肉食獣がライオンか虎かはあまり意味がありません。子どもたちは、それぞれが肉食、草食の物だと気づいています。しかし、どの動物かを決定できる根拠がないので、いろいろな動物の名前をどんどん言います。当然テンションは上がります。ここに時間をかけることは本質的ではありません。先にライオン、馬、サルの物であること示してから考えさせてその理由を言わせたり、歯を比較してからそれぞれが何を食べているかを聞いたりすれば、すっきりと導入ができたと思います。
歯の王様から届いたと、用意した手紙を読みます。6歳臼歯を擬人化し、歯で一番大きく強いこと、まだ大人になっていないので攻められているので、守ってほしいという内容です。授業者は手紙を丁寧に読むのですが、始めの内は手元に視線がいって子どもたちを見ることができていませんでした。途中から次第に子どもたちを見ることができるようになってきました。子どもを見ようと意識はできています。資料を読む時には、できるだけ顔を上げて読めるように練習しておくとよいでしょう。
読み終ったあとで、「手紙の内容を覚えている人いるかな?」と聞きます。これは、子どもたちからすれば、あまりフェアなことではありません。後から内容を聞くことを初めに伝えていないからです。意識していなかった子どもは、質問に答えることができません。友だちの発表を聞いて、なんとなくそんなことを言っていたと思うだけです。自分からは積極的に参加できなくなります。こういったことは避けたいところです。「今から手紙を読むけど、後から内容について質問するからよく聞いてね」というように、聞くことの目標を明確にするとよいでしょう。また、道徳の資料の範読のように、その場で内容を確認し黒板にまとめながら進めてもよいでしょう。
6歳臼歯を確認するために、鏡を配ります。子どもたちに「隣の人に見てもらっていいよ」と指示します。「○○さんが指で触っています」と子どものよい動きを固有名詞でほめることができます。この場面以外にも授業者が子どもたち一人ひとりを固有名詞でほめる場面がたくさんありました。担任でもないのに、これはすごいことです。あとでそのことを話したときに、「まだ全員の名前を覚えることができていません」と恐縮していましたが、裏を返せば全員の名前を覚えようとしているということです。養護教諭にとっては当然のことなのかもしれませんが、その姿勢に感心しました。
6歳臼歯を確認した後、子どもたちに鏡を閉じさせて注目させます。一人なかなか閉じない子どもがいましたが、その子が気づくまで待つことができました。よく子どもを見ています。できれば、最後の子ども、待っていた子どもたち、双方をほめたいところでした。
続いて、歯の王様(6歳臼歯)が攻められている理由を問い、隣の人と話し合いをさせます。ここで、擬人化した世界の言葉で問いを発したので、子どもは「王様が弱いうちに倒しておこう」といった妄想をしてしまいした。授業者はそのような発言も、なるほどと受容ができます。どんな意見も受け止めることができるのは立派ですが、ここは、攻められることが虫歯になることを押さえた上で、黒板に貼っておいた6歳臼歯の図をもとに、虫歯になりやすい理由を相談させればよかったでしょう。
歯垢染色液を使って自分の歯垢を確認します。ワークシートを配る前に活動の説明をしました。こういうところもきちんとしています。続いて、子どもたちに歯ブラシの使い方を説明しました。ここでも子どもの言葉をうまく活かして説明しましたが、活動が始まってからポイントを押さえたり、指示を追加したりしてしまいました。活動前に必要な説明と確認をし、活動に入ったあとはできるだけしゃべらないようにして、子どもたちの観察に専念するようにしてほしいと思います。
子どもたちの様子を見ていると、下の歯にばかりが意識されているようでした。ワークシートの歯垢の描き込みも、下の歯にだけの子どもが目立ちます。上の歯、下の歯ということを授業者があまり言わなかったことや、説明の図が下の歯だけなのがその理由でしょう。授業者に聞いたところ、上の歯が見にくいのであえて言わなかったということでした。できれば隣の人に助けてもらって、上の歯の様子もきちんと確認させたいところです。
歯磨き終了後、片付けの指示をします。ただ、「片づけなさい」ではなく、「鏡を閉じる」といった具体的な指示を一つひとつずつしていきます。わかりやすい指示でした。
最後に感想を書かせますが、感想はあまり意味がありません。授業を通じて学んだことを書かせることが大切です。授業者は「わかったこと」「難しかったこと」「楽しかったこと」と具体的に説明したのでよいのですが、「わかったこと」や「難しかったこと」は感想と一括りにして扱わずに、「振り返り」とするか、個々の独立した項目とした方がよいと思います。
子どもたちは、しっかりと手を動かしていました。この学級の子どもたちがよく鍛えられていることがわかります。「みんなとってもいいことを書いてくれました」とほめてから発表を求めます。こういうところもなかなかです。
「一生懸命に磨いているのに汚れていてびっくりした」という発表に対して、受容してすぐに次の子どもを指名しました。時間がないことも理由でしょうが、ここは「同じように思った人いる?」とつなぎたいところでした。
「これからは、しっかり磨きたい」という発表に対しては、授業者は拍手を求めました。この後の発表でも「しっかり磨く」ことが言われ、また拍手させました。なぜ最初の子どもには拍手させなかったのか気になります。無意識のうちに「しっかり磨く」という授業者のねらいにそった意見だけに拍手をさせたのかもしれません。子どもたちから自然に出た拍手であればよいのですが、教師の意図を子どもが感じてしまう恐れがあります。このようなことが続くと、子どもは先生の意図にそった意見を言おうとするようになるので注意が必要です。
時間が来ましたが、授業者は挙手してくれた人に対して指名できなかったことを謝りました。最後に一言、「手を挙げてく入れた人、ありがとう」と付け加えました。この言葉に授業者の姿勢がよく表れていると思いました。
課題はありますが、子どもたちに対する姿勢のよさがとても印象に残った授業でした。日ごろ保健室で子どもたちと受容的に接する姿が想像できるようでした。経験年数と比べて授業技術もなかなかのもので、どうやって身につけたのだろうと不思議でした。きっと、機会を見つけては学んでいるのだと思います。授業をする機会をたくさん持つことで、一層伸びる方だと思いました。今後が楽しみです。

特別支援学級は知的障害の学級です。不沈子を使ったおもちゃをつくる授業でした。
子どもをほめることができるのですが、時々否定的な言葉が出ることが気になりました。「○○さん、いいですか?」といった言葉は、注意のニュアンスが強くなります。「○○さん、△△しよう」というような表現の方がよいでしょう。子どもが指示に従ったり、よい行動をしたりすれば、「○○さん、ありがとう」「○○さん、いいね」と笑顔でほめてほしいと思います。
水を入れたペットボトルに、魚の形の醤油さしに色をつけて水を入れた浮沈子が入ったおもちゃをつくります。作業をきちんとステップに分けて指示していきます。
最初は醤油さしにマーカーで好みの色をつけます。机を汚さないためにどうするかをたずねます。「新聞?」と言ってくれた子どもがいます。つぶやきを受けて授業者が説明しますが、ここはきちんと「そうだね、○○さんいいことを言ってくれたね」というように評価してあげたいところでした。
醤油さしを配ってから、塗り方の説明をします。子どもたちは、手元に醤油さしがあるので気になりますが、よく我慢していました。立派です。使いたい色がバッティングした子どもたちがいましたが、年上の子どもが譲ってくれました。授業者はその子どもに「ありがとう」の言葉をかけていました。
塗れた子どもに、「いいねー」と声をかけていますが、片面だけで終わっている子どもが何人もいます。塗り絵の感覚なのでしょう、裏を塗る必要があることに気づけません。立体を塗るというのは、私たちが思う以上に想像しづらいもののようです。授業者は塗ることの指示を言葉だけで行いましたが、実際に実物でやって見せる必要があったようです。
「できたー」と声を上げた子どもに「こちら側もやろう」と返します。せっかく子どもが達成感を持ったのですから、「すごい、きれいにぬれたね。こちら側も同じようにきれいに塗ろう」というように、まずできたことをほめるようにしたいところです。どうやら授業者は、子どものよい行動をほめることはできるのですが、指示に従えたことに対してはほめることをしないようです。指示に対してできたこともほめることを意識するとよいでしょう。
浮沈子の先にはナットがついています。子どもたちに「みんなの魚と何が違う?」とたずねます。「色!」という答に対して「色以外で」と返します。ここも注意をしたいところです。授業者の求める答とは異なりますが、色もたしかに違っているところです。「そうだね。色が違うね」と認めてから、次の答を求めればいいのです。
続いて、ナットを配ってから説明をします。細かいステップごとに作業をしては全員で確認するのならよいのですが、説明を聞いてから一度に作業をするのであれば、物は後から配るのが原則です。また、実際にやって見せるのですが、どのくらいナットを回せばいいのかは指示しませんでした。結局、個別にチェックしてもっと回すように指導していました。
醤油さしに、ちょうど水面に浮くギリギリまで水を入れます。具体的にやって見せるのですが、どうやって調整するのかをあまりていねいに教えません。「だから違うって」「そうじゃないです」「○○さん、まだ!」といった否定的な言葉が続きます。この作業は思った以上に難しいようでした。この子どもたちには、沈んだら水を出す、浮きすぎたら水を入れると具体的な指示とどの状態になればいいのかをできるだけわかりやすく伝えることが必要です。全体的に子どもたちへの指示がまだ雑なような気がします。個別に指導すればいいと思っているのかもしれません。確かに人数は少ないので個別指導は可能ですが、それでもできるだけ教師に頼らずに子どもたちが作業できることを目指してほしいと思います。
完成した後、ペットボトルに絵を描いて仕上げますが、このことも含めて、活動の目的や目標がはっきりしません。ただ、指示されておもちゃをつくるだけでなく、魚がいるところがわかるようにペットボトルに絵を描くといった意図を持たせて活動させたいところです。互いの作品を見せ合ったり、発表したりしますがその評価が発表できたことだけなのが残念でした。一人ひとりのよさを認め評価できるような仕掛けを意識してほしいと思います。
授業者はこの子どもたちにとっては、学校の勉強ができることよりも社会にでて生きていける力をつけることが大切だと考えています。とても大切な視点だと思います。指示にきちんと従えることもその一つだと思います。できたことをほめることで、よい行動をうながすとともに、自己有用感や大人に対する信頼感を持たせることを意識してほしいとお願いしました。

2つの授業研究と学校全体に共通している課題について、全員に対してお話しさせていただきました。校長は、毎回私の話をもとに学校として取り組みたいことを選択してまとめ、それを印刷して先生方に配られます。私の話の中から学校経営にとって必要と考えることを絞っていただけることはとてもありがたいことです。私のアドバイスの実効性が増すと思います。次回の訪問時に、どのような変化が起きているかとても楽しみです。

終日、理科の先生方と授業を見る

私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は、理科の先生方と理科の授業を中心に参観しました。教科でまとまって授業を見合うという機会はなかなか持つことができません。まず、そのことをとてもうれしく思いました。日ごろの授業における課題を互いに共有することはきっとよい学びにつながっていくと思います。
理科の授業に限らず、子どもたちがよく集中している場面に出会えました。期末試験も終わったあとで、昨年の同時期は子どもたちのゆるみが目立ったのですが、今年はそのような姿を見ることはあまりありませんでした。子どもたちの姿勢が学習に前向きになっているように思います。
学校全体としても、一方的に先生がしゃべり続ける授業が減ってきているように思います。また、1年生では中学校の基礎の学び直しを各教科で工夫して行っています。こういったことが子どもたちのよい姿を引き出しているように思います。

高校3年生の物理の授業では、子どもたちがよい表情で授業者の話を聞いています。担任の授業だったこともありますが、子どもたちとよい関係ができていると思いました。授業者の問いかけに子どもたちが反応します。ただ、どうしても板書を写すことが優先されてしまいます。ICTを使って子どものノートを提示することや、子ども同士で答の確認をする場面を取り入れるとよいと思います。

高校3年生の生物の授業では、子どもたちの意欲が少し低いように感じました。板書を写す以外の場面で集中力が落ちるのです。絵や動画を使う場面では子どもたちの反応が変わります。こういったものの利用も積極的に行うとよいでしょう。

高校3年生の別の生物の授業では、グループを使っていました。グループにする時の子どもたちの動きが今一つよくないことが気になります。グループでの課題や作業がはっきりしないままにグループをつくると活動に対する期待感が高まらないからです。まず次の活動の指示をしっかりとしてからグループにして、すぐに活動に入れるようにするとよいでしょう。
調べて発表することがゴールになっています。知識を活かす場面が必要です。調べたことを使って何かを解決するような課題にするとよいでしょう。中枢神経系の機能についての学習でしたが、神経系の病気の麻痺症状を与えて、どこの機能が不全なのかを考えるといった課題などでも面白かったかもしれません。
発表の目標、聞く側の目標がはっきりしないことも課題です。子ども自身が「やれた!」と自己評価できるような評価の基準を与えることで、意欲がもっと増すと思います。

高校2年生の化学の時間は、授業者の一連の説明が止まることなく続いていたのが気になりました。決して話が下手なのではないのですが、子どもが理解するための時間、間がないのです。一連の説明をスモールステップに分けて、ポイントごとに子どもたちに確認する必要があります。
もちろん、そういう場面はあるのですが、一人の子どもとのやり取りで終わってしまいます。また、こちらから指名しても子どもは反応してくれないこともあります。子どもの反応をどうやって引き出すか、子ども同士をどうつなぐかが課題です。一つの質問に対して、授業者が正解かどうかの判断をせずに何人にも指名する。同じ考えの人がいないかとつなぐ。子どもの反応が薄い時にはまわりと相談させる。そういった活動を組み込むことで、ぐっと子どもの活性度は上がると思います。説明は上手な方なので、こういったことを意識することで、そのよさが活きてくると思います。

高校1年生の物理の授業では、最初、子どもたちの反応が弱いことが気になりました。子どもにもっと問いかけて、反応を引き出すことを意識するとよいでしょう。問いかけて反応が薄くても、誰かを指名したり、まわりと相談させたりすることで子どもたちの中から動きができます。その様子をポジティブに評価することで、次第に反応してくれるようになります。
実際に、子ども同士で相談する場面では、子どもたちはしっかりとかかわれていました。日ごろから相談することには慣れているようです。その後は、挙手の数がぐっと増えます。よい場面でした。意図的にこういう場面を増やすとよいでしょう。この後、子どもたちの集中はぐっと上がりました。
子どもたちが課題に取り組んでいる時には、「いいじゃん」といった声かけもできます。常に笑顔で子どもたちに接することも意識できています。ほめると同時に、具体的にどこがよいとかも合わせて声をかけるとよいでしょう。また、全員に声かけをできるようにもっと速く回ることを意識してほしいと思います。
できた子どもが手持ちぶさたになっています。次の指示をあらかじめだしておくことも大切です。最後は授業者が説明して答を確認しますが、せっかく子どもたちがしっかりと取り組めているので子ども同士で確認させれば十分だと思います。
答だけを確認していますが、考え方や過程を説明することも必要でしょう。もちろん、全員の答が正解であることを机間指導で確認できているのならその必要はありませんが、もしそうであれば正解の確認は簡単に済ませてもよかったでしょう。できない子どもができるようになる場面をどうつくるかを常に意識してほしいと思います。
力の合成、分解の場面でしたが、なぜそのようなことを考えるのか、またどうしてこのような法則が成り立つのか、それを理解、確認できるような場面が必要だと思います。実験をする時間がなければ、動画などを使ってもよいと思います。理科は、現実(実験)との関係をしっかり押さえたい教科です。

高校1年生の「科学と人間生活」の授業は、子どもたちとの人間関係のよさが感じられるものでした。
授業者は柔らかい表情で子どもたちと接しています。子どもがよくつぶやいてくれます。子どもとの一対一のやり取りは、とても上手くなりました。子どもの言葉をしっかりと受容できます。子どもの発言やつぶやきを他の子どもにつなぐことが次の課題です。取り敢えず「同じことを考えた人いる?」とつないだり、まわりと相談する時間をつくったりするとよいでしょう。
以前はひたすら板書をしながらしゃべることが多かったのですが、落ち着いて板書と話すことがきちんと分かれています。板書の中身も色分けを意識してわかりやすいものになっていました。
栄養についての授業でしたが、子どもが持っているのど飴を借りてその成分を見ながら授業を進めたりと子どもを巻き込む工夫もできていました。しかし、受け身の時間が続くと子どもたちの集中力が切れてしまいます。例えば表を見る時など、ちょっとその場所を指させたり、隣と確認させたりするだけでも違ってきます。
一対一、一対多の関係をつくることができるようになったので、子ども同士をつないだり、子ども同士で行う活動時間を確保したりが次の課題でしょう。確実に進歩しています。上手くできるようになったことを自信にして、つぎの課題に向かってほしいと思います。

中学3年生の授業は、鶏のレバーからDNAを抽出する実験でした。
この実験のゴールがDNAを取り出すことで、4回に分けて行うことを最初に説明します。過程が多い実験なので、子どもたちの動きがバラバラにならないようにしています。子どもたちに見通しを持たせているのも、集中力を失くさせないために大切なことです。
どちらかというと授業規律に苦労をしていた方でしたが、子どもたちに指示が徹底できるまで、笑顔で待てるようになっています。子どもたちの様子がずいぶん落ち着いています。
最初のステップは、レバーをすりつぶすことです。これ自体は1人か2人でできてしまいます。グループの他の子どもはすることがないのでごそごそしてしまいます。また、どこまでやればいいのかのゴールがはっきりしないことも問題でした。時間か、すりつぶす回数を目標に、順番に交代させるとよかったでしょう。交代のタイミングをこちらでコントロールしてもよかったかもしれません。
子どもから、実験の内容について質問が出ました。授業者は他の子どもにどうだったとつなぎます。基本的なことがきちんとできるようになっています。説明や実験の途中で一人ひとりをしっかりと見ることもできていました。
子どもたちにろ紙ではなくガーゼでろ過する理由を質問します。よいことなのですが、子どもたちが判断するための情報がありません。この実験ではDNAがつながって大きな糸状になります。そのことを知らなければ、ガーゼを使う理由は説明できません。最初に情報を与えておくか、ろ紙でなくガーゼを使うと何が異なるのかを聞くとよかったでしょう。
よそ見をして、話を聞く姿勢ができていない子どもがいました。そばにいた子どもが前を向くようにうながします。授業者は笑顔で「ありがとう」という言葉をかけました。この他にも自然に「ありがとう」という言葉が出ていました。子どもたちとよい関係をつくることにつながっていると思います。子どもたちが集中して説明を聞くようになったので、一つひとつの動きが早くなっていました。
最後のDNAの観察については、子どもたちは何を書けばいいのかよくわかっていなかったようです。観察の視点を与えないと苦しいのです。途中で一度発表させて視点を共有してからもう一度観察させるか、あらかじめ視点を与えておく必要があったでしょう。観察中に「先生これでいい?」と質問する子どもがいました。直接相手をしたのですが、「他の人のと比べてごらん」と子ども同士をつなぐような対応をしたいところでした。
全体の発表では、子どもたちは「ゼリー状」「えぐい」と思い思いの表現をします。ここは、理科的な表現かどうかで価値づけしたいところです。「ゼリー状」という表現は客観的によくわかると価値付けしたり、「えぐい」を理科的に表現するとどうなるか問いかけたりするとよかったでしょう。「糸みたいにビョーとなった」という発言に対して、他の子どもに確認をしました。大切なことを共有しようとしているのは立派です。
同じ実験を他の学級でやった時には、分割せずに指示したため上手くいかなったそうです。それをキチンと修正できているのは立派でした。素直な先生です。指摘されたことがすぐにできるようになるわけではありませんが、意識してコツコツと授業を積み重ねてきたことがわかります。今後、確実に力をつけてくれることと思います。

今回理科の先生方ほぼ全員と一緒に授業を見合うことができました。皆さん、互いの授業を批判するのではなく、よいところを吸収しよう、課題を自分たちのものとして共有しようという姿勢だったことをとてもうれしく思いました。このような姿勢であれば、それぞれの個性を活かしながらも理科全体としての共通の取り組みが可能になると思います。先生方の授業力の向上が期待できます。個人の授業改善がチームとしての改善に進化しつつあることを感じました。とても充実した1日でした。先生方、ありがとうございました。

授業観を問い直してほしいと感じた授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。この日は、経験年数は少ないのですが、年齢的には中堅層に属する方の授業アドバイスでした。

2年生の社会科で、脱原発かどうかを考えさせる授業でした。
授業者は緊張していたのか、しゃべりが早く一方的です。授業も基本的に子どもたちとの一問一答で進んでいきます。子どもたちの視線が集まっていないのにしゃべり始めるので、集中しません。この日の授業は子どもたちに、「すべて廃止」「減らすべき」「現状維持」「増やすべき」の4つの立場に分かれてグループで考えさせようというものでした。
前時までに、個々の立場は決まっているので、同じ意見の者を一つのグループにしています。グループになってからこの日の課題「それぞれの立場で説得力のあるキャッチコピーを考える」を「トイレなきマンション」といった有名なものを示しながら説明します。ここに結構な時間を使います。子どもたちはグループになった瞬間は意欲が高まったのですが、また下がっていきます。授業者は説得力のあるキャッチコピーとはどういうものか、またどうすればつくれるのかと言った手段は何も伝えません。ただ、自分がその立場になった理由を付箋紙に書いて模造紙に貼り、それを整理するという作業の指示だけです。キャッチコピーとの関係はわかりません。根拠を持って議論することのできない課題を与えて、しかもグループで一つにまとめるとなると、テンションが上がるか、何も出てこずにムダ話が始まるかのどちらかです。
子どもたちの中には前時までに自分の考えの根拠となる資料を持っている者もいますが、それだけをもとに話を進めても意味はありません。資料を互いに共有して考えることが必要ですが、同じ考えのグループ内で共有するだけでした。
活動の途中にとにかく授業者がよくしゃべります。子どもたちはほとんど聞いてはいません。ムダ話が増えテンションばかりが上がります。グループの話し合いに授業者が参加して、自分の考えを言っています。グループにする意味がありません。
途中で「後10分」と時間を区切ります。子どもたちはいきなり時間を切られて、当惑します。全く進んでないグループ、ほぼ終わっているグループ、どちらもテンションがおかしくなります。進んでないグループの中には、誰かが決めてくれればいいという態度の者がかなりいます。中にはプリントを裏返して、明後日の方を向いている子どももいます。子ども同士がかかわれません。ほぼ終わっているグループは、何もすることがないので雑談が増えます。目標や手段が明確でない活動は、このような状態になってしまうのです。
発表時間になっても、まだつくれないグループがいくつかあります。しかたがないので、作業を続けさせながら、できたグループの発表です。これでは、全体で発表する意味がありません。何を目的とした活動かが完全に忘れ去れています。互いの考えを聞くことではなく、発表そのものが目的のようです。それとも、授業者に評価してもらうことが目的なのでしょうか。
遅れているグループで、「やっと完成した」という声が上がりました。その言葉を発したのが積極的に参加せず、雑談しながら傍観していた子どもでした。人間関係を悪くするグループ活動の典型でした。
結局、目標も評価する基準も、キャッチコピーの根拠となる事実も何もはっきりしません。子どもたちが何を考えたか、よくわからない授業でした。

授業者に、「子どもたちは考えたと思いますか?」と質問しました。グループ活動で何かを考えたはずだと答えが返ってきます。何かとは、何なのでしょうか?キャッチコピーをつくったのですから、確かに何かを考えたのかもしれません。それは、社会科として意味のあることだったのでしょうか。子どもたちの何を高めたのでしょうか。授業における、向上的な変容を求めているのか、いささか疑問に感じました。
授業者は以前からしゃべりすぎを指摘されていたので、それで今回はグループ活動にしたようです。授業の考え方が根本的にずれてしまっています。
厳しいようですが、子どもたちにどのような力をつけたいのか、子どもたちのどのような姿を見たいのかという「授業観」を自身に問い直してほしいと思います。細かい授業技術は、意識して訓練すればある程度はすぐに身につきます。しかし、根本的な授業に対する姿勢や考え方は、傍から言って変わるものでありません。この方にとって今は、このことに対して真摯に向き合うべき時なのだと思います。
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