視線を送る

子どもが集中して教師の話を聞いている。集中して作業をしている。このような授業には共通の特徴があります。それは、教師が子どもたちをよく見ていることです。ところが、同じように教師が子どもを見ているようなのですが、集中力が途切れがちな授業にも出会います。子どもたちが違うからなのでしょうか。それとも、他に何か大切な要素があるのでしょうか。このことについて考えてみたいと思います

作業中に子どもの集中力が切れると、視線が手元から離れます。そのとき必ずと言っていいほどまわりを見ます。このことに教師が気づかないと、子どもはしばらく集中力が切れたままです。教師があとから気づいて注意をしても、なかなか集中力は戻らないものです。特に机間指導をしていて教師の視線が机から机へと移動しているようなときには、死角が増えて子どもの様子に気づけません。私は教室の斜め前から子どもたちを見るようにお願いしています。この位置であれば、全員の手元がよく見えるからです。子どもの集中が切れてもすぐに気づくことができます。
全体に説明している時も同様に子どもたち全員を見ることが大切です。視線だけを動かすことでも見ることができるのですが、子どもたちに「先生は君たちを見ているよ」と伝えるためには体を動かした方がよいようです。

ところが、最初に述べたように子どもたちをちゃんと見ているように見えても、集中力が続かない授業があります。そのような授業では教師は子どもを眺めているのです。漠然と見ていると言ってもよいかもしれません。子どもから見れば、教師の視線が自分の上を通り過ぎているだけです。「自分のことを見てくれている」とは思いません。
一方、集中力が続く授業では、教師は視線を子どもに送っています。視線が一定の速度で流れているのではなく、子どもたちのところで一瞬止まるのです。子どもから見れば、教師の視線と自分の視線が交わります。「自分のことを見てくれている」と感じます。
作業中に集中力を失くしている子どもであれば、視線を送って、笑顔でそっとうなずくのです。そうするだけで、子どもはすぐにまた作業に戻ります。教師がいつも自分を見てくれている、見守ってくれていると感じていれば、集中力は切れなくなります。結果的に教師と子どもの視線が交わることはなくなります。この状態ができあがると、教師が見ていることと、集中力が持続することの因果関係は見えなくなってしまいます。しかし、子どもたちの集中力が続くのは、確かに教師が子どもたちを見ているからなのです。

子どもたちを見ることはとても大切です。その上で「視線を送る」ことを合わせて意識してください。そうすることで子どもたちの集中力は確実に上がるのです。
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