提案授業を通じて多くのドラマがあった

「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」での国語の提案授業の撮影に出かけました。提案授業の撮影もこれが最後です。野口芳宏先生の授業にどこまで迫れるか、楽しみに出かけました。

小学校6年生、「うとてとこと」を題材にした詩の朗読の授業です。指導案を見るとずいぶんすっきりしていました。ポイントだけに絞られています。あまり書きすぎるとそれに縛られるので、子どもたちの反応に自由度を持って対応できるように、意識すべきことだけに絞ったと、コーディネータの先生が教えてくれました。それはとてもよいことですが、授業者に臨機応変に対応する力が求められます。どうなるのだろうと期待と少しの不安を持って参観しました。
最初の5分で不安は吹っ飛びました。それどころか、感動で体が震えるような衝撃が走りました。子どもの言葉しっかり受容して、つないでいます。一人ひとりの発言や活動をしっかり評価しています。それも、ただ「いいね」と言うのではなく、具体的にどこがいいのか、Iメッセージも意識して伝えています。子どもの言葉に応じて進めています。素晴らしい成長です。この3か月間、模擬授業や個別の指導でたくさんのアドバイスを受けています。半端な量ではありません。消化不良になるだろう。どれか1つでもできるようになればいい。そう思っていたのですが、ほとんどのことを自分のものとして使っていました。
ICTの活用も模擬授業の時とは比べ物にならないほどスムーズです。ワイヤレスのポインタの動かし方に慣れるため、前夜まで練習していたそうです。
用意した資料も、子どもたちがそれを知っていたとわかれば、使わないという割り切りも見事です。最後に、コーディネータの先生も知らない、ちょっとした仕掛けがあって、「おっ」と言わせてくれました。
言葉に詰まった子どもを他の子どもが助ける。聞けていない子どもがいれば、その子どもの隣の子どもを指名して、復唱させる。授業のどこを見ても、授業者がこの提案授業を通じて何を学んだか、成長したかがよくわかります。本当に子どもたちの言葉で進む授業になっていました。最後まで子どもたちの集中力が切れない素晴らしい授業でした。子どもたちが力を120%出してくれましたという授業者の言葉がそのことを物語っています。

授業後、授業者と話をさせていただく時間を持てました。
たくさんのことをほめさせていただきましたが、よい授業だったので敢えて改善のポイントを3つ話しました。

1つは、テンポの問題です。
前半じっくり考えた後、中盤で前半と同様のことを考える場面がありました。そこでも、同じように時間をかけていたので、子どもたちがちょっとだれ気味になりました。次々に迫りながら、着席したままどんどん答えさせても彼らは反応できるはずです。常に起立して答えさせるという形にとらわれる必要はありません。場面ごとのテンポを意識してほしいことを伝えました。

2つ目は、子どもの声です。
今回は本格的な撮影機材が入ったため、子どもが緊張して発表の声が小さくなっていました。それでも、子どもたちは集中しているのでよく聞きとっています。しかし、今回のテーマである朗読に関してはもっと大きな声になってほしいと思いました。一人ひとりの朗読をポジティブに評価した上で、「声が大きくなるともっといいね。次の人はどうかな」とそのことを意識させるようにすればうまくいくことを伝えました。

最後は、特定の子どもが指名されすぎたことです。
多い子は6回指名されていました。意見が出ない、誰か答えてくれないかと苦しくなってできる子を指名したのではなく、反応してくれたのでつい指名してしまったようです。意見がある子はよく反応します。また、ちょっと気になる子が、答えてくれそうだと思うとチャンスと指名したくなります。このようなことが原因のようです。これは、子どもをよく観察しているから起きることでもあります。「今、○○さんがうなずいてくれたけれど、どういくことかわかるかな。だれか○○さんの代わりに答えてくれるかな」というようなつなぎ方を覚えるとよいと伝えました。

授業者からは、この数か月のことをいろいろ聞かせてもらいました。
最初、野口先生の授業技法の意味がよくわからなかった。なぜ、○×をつけさせるのか。なぜ全員書いたか確認するのか。わからないことだらけのようでした。しかし、実際にやってみて子どもの変化からその意味がわかってきた。撮影の前日にあらためて野口先生の本を読みかえしてみて、書かれていることが自分の胸に落ちた。子どもたちが教えてくれたと語ってくれました。この先生は素直に受け止める力があったのです。このことが成長できた一番の理由でしょう。そして、教師の変容を促す、後押しする一番のものは子どもの姿です。子どもたちの姿から学べる教師は確実に成長するのです。

そして、この先生の成長を支えたのが、学校の同僚とコーディネータの先生です。
勤務時間後に何度もおこなわれた模擬授業や勉強会では、多くの仲間が参加してくれました。2時間以上にわたる模擬授業は、いつも若い先生がしっかりと記録を取っていました。この学校は記録係も指名していると思っていたら、新任の先生が自ら記録係をかって出たのだそうです。詳細な記録があるからこそ、あれほどたくさんの指摘を消化することもできたのでしょう。勉強会の後、個人的に意見を言ってくれた先生、逆になぜこのような発問や指示をするのか質問してくれた先生、この提案授業を通じて多くの仲間が共に考え、支えてくれました。互いに学び合う雰囲気が学校にできたようです。この日の授業もたくさんの先生が見に来てくださいました。授業者は自分自身の成長だけでなく、学校の変化も手ごたえとして感じ、この授業がきっかけとなったことを嬉しく思っていました。

また、あらためて話を聞いて、コーディネータの先生が本当に多方面にわたって支えていたことがよくわかりました。野口先生の授業の解説、資料の提供、ICTをわざと使わない条件で同じ授業をやって見せる、具体的に授業を見てのアドバイス・・・、表には出ませんがありとあらゆる面でサポートしています。国語の授業の達人で、私の国語の授業の師匠と尊敬している先生ですが、若手を育てる達人にもなっていることがよくわかります。彼の学校で若手が次々に育っているのは当然のことなのでしょう。
それでも、授業者がわずか3カ月余りでここまでの成長を遂げたのは、本人の努力があってのことです。修学旅行や学芸会、行事が目白押しの2学期です。学年の中心となって進めていく行事もたくさんあったはずです。先輩から無理することはない、苦しかったらやめればいいとアドバイスされても、やりますと言いきったと聞いて、その強い思いに感動しました。今回の授業で見せてくれたいろいろなことは、一朝一夕でできるようなレベルのものではありません。この間、日々意識して実行してきたからこそ身についたものです。この先生の姿勢に、私も多くのことを学び、元気をいただきました。

授業者の成長と、この提案授業が、学校が変わるきっかけになってくれたことを校長がとても喜んでくださいました。今回の授業ビデオをもとに、校内で勉強会を開くことを決められ、私も呼んでいただけることになりました。来年度は授業について学び合うための仕掛けをいろいろ考えられるようです。

今回でフォーラムの提案授業がすべて出そろいました。どの提案授業でもさまざまなドラマがありました。この企画が単なる提案でなく、多くの方の成長のきっかけになったことを本当にうれしく思うとともに、その現場に立ち会う機会を得たことを心より感謝します。

個別のアドバイスの場で管理職の役割を考える

昨日は中学校で若い先生方に個別の授業アドバイスをおこなってきました。

一人は数学の初任者です。来年早々に学校の授業研究会で授業をおこないます。事前にこの日を含めて3回お話をする予定です。第1回目として単元の持つ意味やポイントの説明と、教科書の読み込みをおこないました。
最近の若い教師に共通するのが、「数学とは何を教えるのか、何を学ばせるのか」といった教科の本質に対して自分の答えを持っていないことです。指導要領等で言われていること、教科書が意識していることを読み取れていないと言ってもいいでしょう。
「確率」の単元で実施するということだったので、まず確率で一番大切なことについて、そして身近な確率の応用と統計のかかわりについて話をしました。確率で一番大切なことは、その値の意味するところとその根拠です。確率1/2とはどういうことか、1とは0とは。根拠となるのは基本となる事象が「同様に確からしいこと」です。ここが揺らげば確率は変わります。意味を考えるとき、「大数の法則」が大きなカギです。中学校では直接触れませんが、統計にもつながる大切な考えです。必ずたくさんの試行をおこなわせるのはこのことが基本にあるからです。
また、3択で、解答を選んだ後、選択しなかった2つのうち不正解を教えてもらい、再度選択すれば得になるかなどの現実的な問題につても話をしました。ちなみにこの先生は、得になるとは答えてくれましたが、その根拠は確率が1/2となって上がるという間違いでした。あえて間違いだと指摘せずに、どう子どもたちに説明するか考えるように伝えました。次回までに考えて自分の間違いに気づいてくれればいいのですが。
基本となる話をした後、教科書を1ページずつ丁寧に見ていきました。教科書は実にこの基本となるポイントしっかり押さえています。同様に確からしいことが基本となることを見開きの具体例を使って教えています。
また、組み合わせの問題で、{A,B}と(A,B)を使い分けていることの意味とそれを活かすとどのような指導や発展があるのか、場合の数の樹形図の導入場面で、キャラクターが「6通りになることがよくわかる」とわざわざ言っているのはどういう意味があるのか・・・というように、教科書を読み込むとはどういうことか、一つひとつできるだけ細かく話をしました。たとえば、キャラクターの言葉は、「6通りであることは6通りを見つければいいのではなく、それ以外にはないということを示すことが必要である」ということを意識しています。したがって、子どもたちが場合を列挙した時に、「これだけ」「他にない」「これで全部」「どうして全部だと言えるの」というような問いかけが必要になるのです。これは場合の数だけでなく、算数・数学全般に共通する大切な問いかけです。こういうことを教科書から学んでほしいのです。
与えられた時間では単元全部を見ることはできませんでしたが、この先生が自分に何が欠けているか、何を教材研究すればいいのかを少しでも理解して、冬休みに勉強してくれることを期待します。ネットなどからおもしろそうな教材を拾ってくるのではなく、まずは、基本となる教科書に書かれたこと、その中に込められたメッセージをきちんと理解してケレンのない授業を考えてほしいと思います。

もう一人は、英語の常勤講師です。最近、以前と比べて笑顔が減っていることが気になったので、時間を取ってもらいました。
授業中集中しない子どもが目立つようになってきた。私語も目立ってきた。私の力が足りない。そういう悩みを相談してくれました。
英語は、言われたことをおうむ返しに言うといった、やる気であれば誰でもできることがたくさんあります。そこをまず全員にしっかりできるようにすることが大切であることを伝えました。全員で発音するときに口を開いていない子がいないか、いたら開きなさいと注意せずにどう参加させるのか。そいうことを話しました。また、考える場面をどうつくるかについても話をしました。この両面があって、よい英語の授業がつくられます。こういったスキルは意識して取り組めば、次第に身に付きます。それより気になったのは、自分の力不足を気にしすぎていることでした。
そこで、何でもいいから話してと振ったところ、人間関係の悩みが出てきました。
実は、経験の豊富な非常勤講師とTTを組んでいるのですが、相手の方が自分のやり方をよくないと思って見ているのに遠慮して指摘していないと感じているのです。どう接したらいいのか、どうすればうまくコミュニケーションがとれるのか苦しんでいるのです。一方だけの話を聞いて、こうしなさいとは言えませんがとにかく話を聞きました。これは時間がかかる問題なので、いつでもいいから気にせず気軽に声をかけてと次につなげるようにしました。

教頭に時間を取っていただきこのことについて相談しました。TTの2人はよく授業の相談をしているそうです。ベテランが自分の考えを強く言うが、最後はあなた任せという流れになることが多く、常勤講師が主であるからと最後は1歩引いているようです。さすがによく観察されています。そこから察するに、双方にフラストレーションとストレスが溜まっているようです。2人だけでなく第三者を交えて単元の進め方を相談して調整する機会を設けては提案したところ、早速対応を検討してくれました。素早い判断はさすがです。

数学の初任者の集中的なアドバイスも管理職の発案です。彼の状況からこのまま研究授業をおこなえば、検討会で厳しい意見にさらされかもしれない、少しでも達成感を与え前向きにしなくてはと、異例の対応をとったのです。
授業について考えたり勉強したりするための場を作ることが自分たちの仕事ですと明確な方向性をもっておられます。授業にこだわる教師集団にするために何をすればいいのか常に意識していることが言動によく表れています。部活動や生活指導に力を入れていた学校ですが、授業を大切にしなくてはいけない。そのために、先生方に授業を大切にする風土をどうつくるか、そのことに腐心をされてきました。私を含め外部の力をうまく使い、着実に学校を変えてきました。若手が変化し、それにつられ実力あるベテランもより力をつけてきました。この3年で大きく子どもたちの姿が変わりました。表にはあまり見えませんが、この管理職の動きが学校を変えていったのです。明確な方向性を持って、管理職が何をするか、誰に何をさせるのか。このことがいかに大切かをこの学校の変化が教えてくれます。

この日、来年度も授業アドバイスを依頼されました。このような学校に選んでいただけることを嬉しく思うと同時に、勉強する機会をいただけることに感謝します。

授業づくりへの思いにあふれた模擬授業

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する国語科の授業の模擬授業に参加しました。

本番の授業まで1週間を切って、最後の模擬授業となるものでした。
この日は短く切らずにある程度をまとまった時間進め、司会者がストップをかけたところで話し合いました。指導案もずいぶん固まり、前回までは表に出なかった授業者の素敵なキャラクターが見えてきました。本番の授業では、子どもたちとの明るく元気なやり取りがたくさん見られることが期待できます。
何度も練ってきた授業です。見るたびにねらいがはっきりした、無駄のない骨太の授業になってきています。コーディネータの先生と何度も打合せをし、2人3脚でつくられたものです。単に名人の授業をなぞるのではなく、新しい提案がしっかりとあります。野口芳宏先生の授業をしっかりと研究してきたコーディネータの力があってこそだと思います。
特にICTの活用場面は、会場に来る方の目から鱗の落ちること間違いないものです。私自身早く本番を見たくてしょうがない、早くその使い方を多くの方に知らせたいとワクワクしています。フォーラムまで、あと2カ月。皆さん楽しみに待ってください。

模擬授業は司会者のとり回しのよさと児童役の若い先生方のおかげでとても充実したものになりました。途中、仕掛け人のT先生がわざと議論をしかけてきました。私もその挑発にのって、ちょっとしたバトルになりました。最後にT先生が参加者にびっくりしたでしょうと、授業について真剣に議論することの大切さを伝えられました。私とはいつもこんな議論をしているから人間関係の心配はないと笑わせて終わりました。
そうなんですけど、私は真剣だったんですよ、T先生。どうもわざとらしいと思いました。T先生にまんまと乗せられてしまいました。

2時間余りの間、後ろでビデオ撮影をしていた校長先生の表情が素敵でした。授業者だけでなく、真剣に子ども役をやっている若手教師の姿を温かく見守っていました。会が終わった後、みんな本番の授業を見に行きたいだろうな、この時間を全校集会にして自分が面倒をみて見に行けるようにしようか、何か方法がないかなと考えておられました。
今回の提案授業をきっかけに教師が学び合う雰囲気をつくっていこうとされているのがよくわかります。授業を大切にする、学び合える学校にきっとなっていくことと思います。

先生方のよい授業をつくろうという思いと、授業者への温かいまなざしに触れることができた時間でした。教師が育っていく現場に立ち会える幸せをこの日もしっかりと味あわせていただきました。ありがとうございました。

若手が伸びる学校で授業アドバイス(長文)

先週末に中学校で若手4人の授業アドバイスをおこなってきました。この学校へは1年ぶりの訪問です。先生方の進歩が楽しみでした。

3年目の国語の教師の授業は、熟語のなりたちでした。昨年見せてもらった時もその進歩に驚きましたが、今回はそれ以上の進歩を見せてくれました。
自信に満ちた、教室の隅々までよく聞こえる声で、とても表情が豊かです。導入で4文字熟語などを考えさせる場面は非常にテンポよく、また、子どもたちに考えさせる場面では、じっくりと時間を与える。テンポがよいということはどうあるべきかよくわかっている進め方です。同じ意味の漢字を重ねた熟語と反対の意味の漢字を重ねた熟語を比較して、どう違うかと問う課題からは、子どもたちが考えることを大切にしていることがよくわかります。子どもたちのつぶやきもしっかり拾い、うまくつなげています。よい発言をする子どもがたくさんいるので、子どもの発言で授業が進んでいきます。ただ、中には課題や発言のレベルが高いため、ついていけない子どももいます。授業者はこの子たちがわかるように、説明や切り返しの言葉を工夫していましたが、最初に課題を提示された段階で参加できないために、なかなかうまくかかわれませんでした。
とはいえ、これだけの授業ができる教師はそれほど多くはありません。とても3年目とは思えない素晴らしい授業でした。

授業後、本人に課題を聞いたところ、この学級では上位と下位の学力差が激しく、どこにターゲットを当てていいのかがわからないことをあげてくれました。
これだけ子どもたちが活躍する授業ができていると、反応してくれる子どもたちに目がいき、よい授業ができていると満足してしまうことが普通です。そうではなく、参加できていない子どもにも意識を向け、全員が参加できる授業を目指そうとしている姿勢はとても素晴らしいものです。このような意識で子どもを見て授業を続けていればうまくなるのは当然です。とてもうれしく思いました。
この先生にはこうしろといったアドバイスは無用のものだと思いましたが、考え方のヒントをいくつか話させてもらいました。

レベルの高い課題をそのまま生かすのであれば、グループを活用するのも一つの方法です。力のある子がたくさんいるので、教えてと聞ける雰囲気があれば子ども同士でかかわりながら理解していきます。

いきなりメインの課題に取り組むのではなく、解決するために必用な知識や考え方につながる活動、作業を入れることの一つの方法です。ゴールに到達するためのスモールステップを意識することです。たとえば、今回の課題であれば、熟語のなりたちを考えるために、個々の漢字の意味を考える、漢字を訓読みするといった活動や作業を入れることです。といっても、この漢字はどう読むと聞いては意味がありません。一つひとつの漢字の紙を用意して、熟語を示す時に1枚ずつ貼る。2枚目を貼るときにはすこし時間をとって、次に何が来るかなと問いかければ、自然に漢字の読みを意識します。また、漢字をばらばらに示して、これらを使って熟語をつくるといった作業をさせもいいでしょう。

過去の学習とつなげるという方法もあります。この授業の前に漢文を学習しています。漢文の書き下し文、返り点のところで、漢字には意味と働き(品詞)があることを意識して押さえておけば、授業の最初にこのことを復習することで多くの子どもが漢字の読み方を意識します。この熟語は漢文だったらどう読むのかなといった発問が有効になります。

道具を使う方法もあります。時間的に難しいかもしれませんが、漢和辞典を用意しておけば、低位の子どもも辞典を引くという手段を持てるので、授業に参加しやすくなります。

きっとこの先生はこのような考え方を参考にして、自分の授業に合った方法をつくりだしてくれることと思います。またの機会がとても楽しみです。

2年目の英語の教師の授業は、子どもたちがよく声を出すハイテンションなものでした。授業者はコミュニケーション能力が高く、明るく楽しいキャラクターなので、子どもたちとの人間関係もよく、とてもよい雰囲気で進んでいきます。しかし、子どものテンションがこのように上がるときは、気をつける必要があります。子どもが考えるシーンが少ないのです。教師のあとについて読む、話す。新しい文も、教師が話して、それを繰り返して話す。聞いておうむ返しにすればよいので、だれでも参加でき、テンションが上がるのです。じっくり考える場面があればテンションは下がるはずです。
また、問いに対してほとんどの子どもの手が挙がります。指名した子どもが正解しても、正解と言わずに他の子につなぎます。基本はできているのですが、手を挙げていなかった子どもにはつなぎません。私が見ている間、1度も手を挙げず参加しない子どももいました。

この教師のように、天性のコミュニケーション能力が高い教師は、経験が少なくても雰囲気良く授業をすることができます。素晴らしい長所であり、武器です。しかし、これが諸刃の剣となって、教師としての成長を妨げもするのです。なんとなくやれてしまう、うまくいっているような気がする。こうなると、授業を改善しようと工夫をしなくなってしまいます。厳しいかもしれませんがこのことを伝えました。もう1段レベルの高い授業をするために、子どもが考える発問、課題、活動を授業に取り入れることと、参加できない子どもをどう参加させるかを考えるようアドバイスしました。今の殻を破ってくれることを期待します。

新任の社会科の教師は、学び合いを進めている学校で講師経験があります。子ども同士をどうつなげる授業をしてくれるのか期待して見せていただきました。この日の授業は、不平等条約の解消についてでした。たしかに、資料を見せて子どもに考えや気づいたことを言わせる。子どもの発言を否定しないなどの表面的なことはやれるのですが、本質がわかっていません。教師の期待するような答が出てくるはずのない、根拠となりえない資料提示、にもかかわらず正解が出た瞬間すぐに教師が解説する。期待した答えが出なくても否定はしないが、次に期待する答えが出たら、すぐにそれを拾う。これでは、否定したのと同じです。
講師時代によい授業を見せてもらっているはずなのですが、その本質は理解していなかったようです。よい授業を見れば力がつくというわけではないということです。教師の持っている知識にそって、教師の求める答に誘導しようとする授業でした。

指摘すべきことはたくさんありますが、まず社会科の教師としての根本、単なる点の知識を教えるのではなく、資料や史実・事実をつないで線にする、線を広げて面にすることから始めるようにお願いしました。やる気のある真面目で前向きな先生です。薄っぺらな知識ではなく、しっかりした土台を作るための勉強を始めてくれることを願っています。

最後は別の中学校から異動してきたばかりの理科の先生です。ある程度経験を積んでいるので、子どもたちとのコミュニケーションはとれています。子どもを受容することもできています。しかし、理科の授業で大切にすることは何かがわかっていないようでした。ある事実から何を推論するのか、どのような仮説を立て、それを確かめるためにどのような実験を考えるのか、もし、仮説が正しければどのような結果になるのか。こういった理科の基本的な考え方や活動とはまったくずれた授業でした。
今回は実験ができないので、実験を最初から一つずつ手順とその意味を説明して結果を想像させます。仮説は明確にしていません。子どもたちは、なんとなく結果を想像するか、知っている子があらかじめ持っている知識から答えるだけです。
たとえ実験できなくても、仮説から出発して、どんな実験をすればいいのか、どういう結果が出れば仮説が正しいといえるのかと考えさせ、結果を論理的に推測させることはできます。
逆に、説明をせずに実験とその結果だけを提示して、このことから何がいえるかを論理的に推論させる。そして、実験の方法や結果のどこからそれがいえるのか根拠を聞く。
こういった授業の展開にする必要があります。

前任校は子どもたちとのコミュニケーションを取ることが強く求められる学校だったのでしょう。コミュニケーションは意識してきたが、理科の授業はどうあるべきだということは意識することも指導されることもあまりなかったようです。
今回、理科の授業はどうあるべきかということをしっかり考えるようにお願いしました。話をしていて非常に素直な方です。新鮮な気持ちで、一から授業を考え直してくれることと思います。

初任者でどのような学校に赴任するかは、その後の教師人生を大きく変えます。この日は授業を見ることができませんでしたが、素晴らしく伸びた4年目の音楽教師もこの学校にはいます。3年目の素晴らしい国語教師と共通していることがあります。2人とも1年目は本当に苦労をしていて、教師として続くのかと心配になるほどでした。成長したのは私のおかげと言いたいのですが、そうではありません。本人が一生懸命努力したからです。そして、その努力を支えたのが、教頭を中心とする管理職や主任の方々です。チャンスがあれば自分の授業を見せる。ただ、見せるだけでなく、意図的に彼らに必要な技術や要素をわかりやすく授業に盛り込む。また、授業を見にいっては教科を越えて具体的にアドバイスする、勉強法や情報の提供をする。時には他の学校へ授業を見に行く機会をつくる。若手が伸びるために必要と思えることをとにかくしっかりやっているのです。私の授業アドバイスなどはそのほんの一つに過ぎないのです。

この学校だからこそ、他の学校では言えないような厳しいことも言えます。私に任せっぱなしにするのではなく、管理職や主任のフォローがあるからです。若手が成長するために何が必要かを私に教えてくれる学校です。どの先生もこれからますます成長してくれることと楽しみにしています。

学校のネガティブをオープンにする

先日中学校の学校評議員会に参加しました。

今年度の取り組みの結果報告と来年度へ向けての話し合いでした。地域の方の協力で子どもたちが育っていると感じさせる報告が学校からも地元の評議員の方からも上がってきました。地域の方々が子どもたちを温かい目で見守っている姿が浮かんできます。

この日メインとなったのは、来年度に向けての新しい取り組みについてでした。子どもたちの心を育てる事業を進めたいということです。外部の方に子どもの心が育つようなお話をうかがうなど、事業内容はとてもよいことで、学校側が簡単に説明すれば皆さんに賛同を得られることです。しかし、そうではなく、最近の不登校数が増加傾向にあること、アンケートの結果から友だちへのかかわりが希薄、無関心な生徒の割合が増えつつあること、教師の目から見て気になる行動やちょっとした事件が起こっていることなど、具体的な資料や事実をもとに細かく報告されました。
ショッキングな報告です。一つ間違えれば悪い噂も立つような内容です。それでも、学校はオープンにしました。

外部の方を呼ぶというのが対策のメインではなく、日々の取り組みが一番重要であるという考えを示したうえで、参加者の考えを聞かせてほしいという問いかけがされました。参加者は、ショックを感じながらも、自分たちの目で見た子どもたちの気になる面を報告したり、単純に学校が責められる問題ではなく、家庭や地域、社会全体の問題であるといった考えを伝えました。難しい問題ですので、特効薬がないのは皆わかっています。しかし、互いに子どもたちのためにどうすればよいか、何ができるのか、どうあればよいのかを真剣に考えた時間でした。参加された方が、学校の問題を自分たちの問題としてできることをしなければと考えられていることがよくわかりました。

学校のネガティブな部分をオープンにすることは勇気がいります。しかし、そうすることで、まわりの理解と協力が得られ、学校の応援団がつくられていくのです。応援団の存在が、苦しい状況に置かれた学校を救ってくれることもあります。
この学校の地域と協力して子どもを育てていこうという姿勢は必ず子どもたちのよい姿につながっていくと思います。私も自分の立場からできる応援を続けたいと思います。

とても素敵なハプニング

昨日は中学校で現職教育に参加してきました。今年度最後の訪問でした。

午前中は校内で授業を参観していたのですが、とても楽しい出来事がありました。社会科の為替の授業で、子どもたちがグループで円高、円安の影響を考えて発表しているときのことです。
あるグループが、車の値段がドル建ていくらになるかをもとに「円高は高く売ることができる」と発表しました。それに対して、女生徒が、「輸入すれば、円で同じじゃん」と意見を返しました。授業者は彼女が何かいいことを言っていると取り上げようとしたのですが、理解できずにちょっと困っている様子です。私は、これはキーとなる発言だと思い、うなずくことで、もう少し頑張ってごらんと彼女にメッセージを送りました。それを見ていた授業者が、突然「今からゲストティーチャーにお願いします」と私にバトンタッチしました。とっさのことに一瞬躊躇しましたが、せっかくの流れを切りたくないと思い、すぐに授業を続けました。

「輸入って言ったけど、どういうこと」
「うーん。戻ってくる時・・・」

もどかしそうです。ドルを円に換えれば一緒だと言いたいのでしょうが、うまく表現できません。

「円って言ってくれたけど、どういうこと」
「円だから同じ・・・」
「うん。いいよ、いいよ」

「じゃ、車を売ったもうけはどうなるのかな」
と全体に問いなおしてみました。
「もうからん」
「もうかる」
・・・
「なるほど、車は誰が買うのかな」
「アメリカ人」
「何で払うの、ドル」
「そうか、ドルで払うんだ。車を売ると何万ドルという金がもらえるんだ」
「そのお金はどうする」
・・・
「アメリカへ行った時、何で買い物する」
「ドル」
「余ったらどうする」
「持って帰る」
「換える」
「換えるんだ。何に換えるの」
「円」
「そうか、円にするんだ」
「じゃあ、車を売ったお金はどうするんだろう」
「円に換える」
「じゃあ、5万ドルのとき、3万2千ドルのときどちらがたくさんもらえるだろう」
「5万ドル」
「なるほど、5万ドルの時、いくらになるか計算してみて」
「えー」
「同じだ」
「どういうこと」
「どちらでも円に直したら同じになる」
「そうだね、円高でも円に直せば一緒だね」
最初に意見を言ってくれた子に、
「そういうことが言いたかったんだよね」
うなずく。

ここで授業者に返しました。授業者は「値段が上がると売れなくなるよね。円高は輸出する人にとってはよくないね」とまとめて授業は終わりました。

うまい対応ができたかはわかりませんが、子どもたちは突然現れた私に臆することなく、真剣に意見をつないでくれました。コの字形の机の配置だったこともよかったのでしょう、子どものつぶやきが拾いやすく、表情から意見があることがよくわかりました。
とてもよい雰囲気なのは、担任の学級経営がよい証拠です。わずか10分ほどのことでしたが、子どもたちの考えで問題を解決できて、とても楽しい時間を共有できました。子どもたちのもつポテンシャルの高さをあらためて肌で感じることができました。

現職教育は、エンカウンターの授業研究でした。この学級も雰囲気がよく、担任が子どもたちをしっかり受容していることが、雰囲気作りの原動力だと感じました。エンカウンターと学び合いの違いを意識して、このような活動をうまく活かすようにアドバイスをさせていただきました。

授業アドバイザーとしてこの学校の研究発表のお手伝いを1年半以上にわたりさせていただきました。子どもたちと先生方から本当にたくさんのことを学ばせていただきました。
最後に授業をさせていただくという素敵なハプニングもあり、とても幸せな気持ちで最終日を終えることができました。子どもたちと先生に感謝です。ありがとうございました。

授業者の意図とずれてしまった授業

昨日は中学校で数学の授業アドバイスをおこなってきました。

1年生のおおぎ形の弧の長さ、面積の学習でした。授業者が担任をしている学級だったこともあり、子どもたちとの関係はとてもよいと感じました。教師はノートを取らずに話を聞くように指示しましたが、どの子も集中して話を聞いていました。

おおぎ形が円の何分の1になっているか、おおぎ形に切った紙を使って説明していきます。生徒を意図的に指名し、「なるほどと思った人」と他の生徒に同意を求めます。なかなかよい進め方に見えるのですが、同意を求めたあと、「そうだね」とすぐに教師が説明をしてしまいます。本当に理解しているのか、挙手した子どもに確認することはしません。多くの子どもがなるほどと手を挙げてくれているのですが、手が挙がらない子もいます。彼らが納得できるだけの時間をとらずに進んでしまっているのです。
いくつかの例を用意して、中心角から円の何倍になるかを求めることを説明します。授業者は何倍になるかを考えることをポイントとして進めていったつもりなのですが、実際には120÷360=1/3といった計算ばかりが板書され、強調されていました。
半径r、中心角a°のおおぎ形の弧の長さl=2πr×a/360、面積S=πr2×a/360と公式を提示した後、中心角135°のおおぎ形を例題としました。授業者は円の何分の1と割り切れないものも公式に当てはめれば解けることを意識して出題したのでしょう。しかし、この間30分くらい経過しているのですが、子どもたちは教師の話を聞いて答えるだけで、1度も自分の手を動かして考えていません。今までの説明はすべて円を何等分かしたものばかりです。そこに、いきなり135÷360とうまく真分数にならないものがでてきたため、どうしていいか困惑する子どもが出てきました。
図で、円はおおぎ形の何枚分、おおぎ形は円の何分の1と考えたことを、有理数(分数)倍に拡張することは、たとえ式としては同じでも子どもにはギャップがあるのです。
この部分をもっと時間をかけて子どもたちとやり取りしながら、公式を作るべきだったのです。結局、公式に当てはめて答はこうなると計算を板書して、それをノートに写させました。公式を使えば答が出るというだけで、子どもが感じていたギャップを解消することはしませんでした。

授業者は最後に、この公式は覚えなくても何倍になるか考えれば作れると口頭で説明しました。しかし、板書をみてもおおぎ形が円の何倍になっているかを考えればいいとわかるような記述は何も残っていません。教師が押さえようと意識していた円の何倍になるかをもとに考えるのではなく、公式を使って答えを出せばよいという授業になってしまったのです。授業者の意図と実際の授業は大きくずれてしまいました。

なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。子どもたちとやり取りし、活動をさせながら授業を進めれば時間がかる。問題を解けるようにしなければならないので、演習の時間を確保しなければならない。そんな気持ちが、子どもに活動させるのではなく、教師が説明する授業につながり、子どもが理解しづらい部分を公式に当てはめることで逃げてしまうことになったのです。
授業者は意識して逃げていたわけではないと思います。だからこそ、この事実に気づいてほしいと思いました。今回、授業者には厳しい指摘をたくさんしました。子どもを受容することができる、コミュニケーションの基本がきちんとできている先生だからこそ、正面から教材と向き合って授業をつくっていくことで大きく飛躍すると思います。どのような変化を見せてくれるか楽しみにしています。
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