研究会の次年度企画

昨日は愛される学校づくり研究会の来年度の活動の原案づくりに参加しました。

大きな話題の一つが昨年、今年と続けてきたフォーラムをどうするかです。はなから、やらないという選択肢はないようで、どんな内容にするかで盛り上がります。出てきたキーワードは「リベンジ」。誰に「リベンジ」するか、刺客の候補をだれにするかなどあっという間に決まっていきます。その夜のうちに現会長が連絡をとって、まずは刺客からOKをいただきました。さすが、できる人は違います。即断です。これで1歩前進です。実現すれば、こんな面白いフォーラムはまたとないものになると思いますが、公にできるまではまだしばらくは時間がかかりそうです。またまた、どきどきする時間を過ごすことになりそうです。
新しい体制と来年度の基本的な方針も決まり、ますます楽しくかつ勉強になる会になっていきそうです。

最後に、「愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京」で現会長が約束した書籍の出版企画が提案されました。私の出番はないと読んでいたのが甘かった。フォーラムの単なるまとめではなく、新たな提案も入れたいということで、その1章のまとめを仰せつかりました。もとより、「No」はありません。どう進めていくか五里霧中ですが、他の章に負けないように、研究会のメンバーの知恵を借りながら進めたいと思います。多くの方の手に取ってもらえるようなものになるよう最善を尽くすつもりです。

とても楽しく、次の夢を持てる時間でしたが、宿題もいただきました。このメンバーで集まると、必ず何か新しいものが生まれます。育てていく苦労はありますが、それも含めてやりがいのあるものです。安心して頼れる仲間があってのことです。素晴らしい仲間と機会に恵まれていることに感謝しつつ、宿題に頭を痛めています。

外部の視点で学校評価を考える

昨日は中学校の学校評議員会に参加しました。今回は学校評価と来年度の教育目標が主な話題でした。

学校からは、子ども、保護者、教員へのアンケートの集計資料をもとに丁寧な現状の説明がありました。データからは学校がよい状態であることがわかります。この数年でよい方向になっていることも口頭で伝えられました。
残念だったのは、提示されたデータがそれぞれ単独で示されていたことです。
似た内容の質問に対して、子どもと保護者の傾向が近いものとずれているものがあります。保護者と教員の意識のずれが見られるものもあります。先生方はきちんと分析されているのかもしれませんが、その場で見て考える私たちには、データを並べて表示して比較しやすいものがあればずいぶん違ったと思います。また、過去のデータも同時に提示していただけば、説明していただかなくても示された数値が高いか低いか、よい方向に向かっているのかどうかがすぐにわかります。
データの提示について、このようなことをお伝えしました。

多くの学校では、評価をアンケートに頼っていますが、学校の教育活動における具体的な場面や事実も評価の指標になります。下駄箱やロッカー、トイレや廊下などを定点観測することも評価になります。保健室の利用数も大事な要素です。こういうものも可能な限り資料として提示していただけると学校のことがよくわかると思います。

評価に対してどう対応してどう変わったがわかるようにすることも外部の立場からは是非お願いしたいところです。年1回の評価だけでなく、小刻みな評価も交えることも有効だと思います。個々の評価をすぐに次の活動に反映させる。その結果をまたすぐに評価する。このようにすることで学校の対応スピードがアップします。

また、教育目標はその達成のための具体的な動きがわかること、その結果をどのような指標で評価するかが明確になることが大切です。目標として書かれていることはどれもその通りで大切なことなのですが、具体的でないため評価が難しいのです。確かにこれは大切な目標であるが、どうやったら達成できるのか、本当に可能なのか疑問を持つものもあります。教育目標を見て教員が明日からこういうことをしようと行動が具体的になるものにする、教育目標をより具体的にするために学年や教科で話し合って、具体的な行動計画をつくる、といったことが求められます。

外部の視点で見ることは、時として学校にとっては厳しいものになります。今回は辛口の意見が多くなってしまいましたが、この学校が次のステップに上がっていく時期だと感じたからです。学校のマイナス面もきちんと伝えてくれる学校です。何事も前向きに受け止めてくれる学校です。そんな学校ですから、きっと来年度は新しい姿を見せてくれることと期待しています。

伸びる教師は頼まれたら断らない

昨日は、親しい先生方と私で、新聞社から紙面企画に関する相談を受けました。教育現場や教育関係者に取材して作っていく、4月からスタートする企画です。楽しく話をするなかで、私たちの知っている愛知県のおもしろい取り組みを紹介しました。

その第1段の候補はこれからの教育をイメージした授業にしようということになりましたが、実際に授業を見て記事を書かなければなりません。3月中に授業をしなければ間に合いませんが、3年生はもう卒業ですし、そんなにチャンスはありません。思い立ったが吉日、是非この先生にと、夜でしたがその場で電話をしました。その先生は3年生担当だったので、自分が受け持つ学級での授業はもうないかもしれません。彼と親しい先生に説得してもらおうと電話を渡しました。はたで聞いていると、ちょっと考えている様子が感じられます。これは即断してもらえないかなと思っていたのですが、どうやら結論が出たようです。OKです。聞いてみると、「おもしろそう」と言って受けてくれたそうです。誰かの授業をもらったり、短い期間で教材を準備したり、管理職へ確認をとったりといろいろと面倒なことがあります。そんなことはわかっていても、すぐに「おもしろそう」と引き受けたことに、この先生が積極的に授業に挑戦しようとしていることがよくわかります。

私の周りで伸びている、伸びたという先生方の共通の特徴の一つに、「頼まれたら断らない」ということがあります。特別な授業や講師役で模擬授業をお願いしても、自分が伸びるチャンスととらえて前向きに取り組んでくださいます。少々プレッシャーがかかっても、チャレンジすることで必ず自分に得る物があることを知っているのです。
今回お願いした先生も、この数年、誰からも伸びていると言われています。そのことがよくわかるやり取りでした。この先生の授業を新聞記者がどのようにとらえて記事にするか今からとても楽しみです。

送辞・答辞の指導

先週末は2つの中学校で、送辞・答辞の指導をおこなってきました。プロのアナウンサーの方に来ていただいての読み方の指導です。

最初の中学校は、もう何年もアナウンサーの方に指導をお願いしている学校です。毎年担当の先生だけでなく、国語科の先生方がたくさん参加しています。その積み重ねのおかげでしょう、私たちが指導する時点ですでにかなりのレベルに達しています。

送辞・答辞の内容は伝えたいものがはっきりしている、とてもよいものでした。ただ、心配になったのは、答辞の内容が昨年の東日本大震災のことから始まっており、本来一番伝えたい自分たちの3年間と同じくらいの思いがあふれている事でした。下手をすれば竜頭蛇尾になってしまいます。どうなるかと思いながら聞きました。思いを込めて読んでいきます。特に思い入れのある単語を強調して読むのですが、思いが多すぎて全文同じように力が入った読みになってしまい、聞いている方は疲れてしまいます。
本当に伝えたいところを確認した上で、最初の東日本大震災に関するくだりは、できるだけ感情を押さえて読むように話しました。東日本大震災については、だれしもが感じることがあります。あえて強く訴えなくても、淡々と読むことで一人ひとりの心に中に思いが生まれてくるはずです。こんなことも説明しました。
単語を強く読む以外にも、少し読む速さに変化をつける、文全体を強く読むなどの工夫をするとよいことも伝えました。
どのくらい、変わるかアドバイスをした私たちも半信半疑でしたが、もう全く別物と言ってよいほど素晴らしいものに変わりました。感情を押さえた読み方は、かえって聞く者の胸に響きます。微妙に速さや間を調節し、強く読まなくても強調したいことがよくわかります。男の子らしい、骨太の答辞になりました。

最初は緊張していたのか、送辞の女子は滑舌がよくなく聞きとりにくいところもありました。アナウンサーの方が口の開き方を丁寧に指導します。表情が硬いことも気になったので、笑顔を意識するように話しました。2回目は少しリラックスしたこともあり、本人の人柄が感じられるような読み方に変わってきました。

3回目は、体育館に移動してマイクを使っての練習です。答辞は、押さえた中に強い思いがこもる素晴らしいもので、BGMがじゃまになるくらいでした。
送辞は、原稿を手前に持っていたため、視線を移動すると口の位置が変わってしまい、声が急に大きくなったり、小さくなったりしました。原稿の持ち方を指導することで、とても聞きやすいものに変わりました。
2人ともたった3回の練習で見違えるほどの進歩を見せてくれました。それまでに基本となることをしっかりと押さえていたからでしょう。また、答辞の担当の先生は、読み方で気になることがあっても、私たちの指導があるので、あえて何も言わずにいたということです。複数の人間の指導で混乱しないようにという配慮です。このおかげで、私たちの指導を素直に受け止められたことが、わずかな時間で進歩した理由だと思います。子どもたちのもつポテンシャルの高さと先生方の日ごろの指導が、素晴らしい送辞・答辞につながったのだと思います。

2つ目の学校は、このような形での指導は初めてでした。1つ目の学校と違って、個人的なエピソードが内容の多くを占めています。情緒的な文章だと言ってもよいでしょう。このような文章では読み方が難しくなります。どうしても、個人的なエピソードに感情が入ってしまい、本当に伝えるべきメッセージが弱くなってしまうのです。
また、体言止めが多いことも気になりました。詩などではよく使う技法ですが、読むのはとても難しくなります。特に強調したいところでもないのに使うと、意味なく強調されてしまうので、読みにくいのです。とはいえ、文章をいじっている時間はありません。まずは読みながら対応を考えることにしました。

送辞の男子は、ゆっくり読むことに意識がいってしまい、抑揚のないものになっていました。まずは、自分のふだんの姿をだすように、いつものように読むことを指導しました。2回目はリズムや間が出てきて、とてめ聞きやすいものになりました。問題は伝えたいところはどこかです。一つひとつのエピソードの中で本来言いたいことと直接関係ない説明的な文が入っているため、スーと盛り上げていきたいのに、余計なところで回り道をすることになり、うまくテンションが続きません。しりすぼみになってしまいます。思い切って余分なところをカットすることをお願いしました。

答辞の女子は、感情をこめて読むのですが、感情ばかりが表に出てきて、代表として伝えるべきメッセージがはっきりしません。うまく読もうとして、本来の彼女の姿が見えません。普通に話しているときと声の感じも違います。運動部で元気に声を出している彼女とは別人が読み上げているのです。「泣きそうな」といった言葉に引きずられ、前へ進んでいくというメッセージより過去を懐かしんでいるという感傷的なものに聞こえてしまうのです。感情を込めるのではなく、伝えたいことを伝えるということを意識して読むように指導しました。

体育館でマイクを使っての練習では、ずいぶんよくなってきました。
送辞は、文をカットしてもらったこともあり、かなり自然に伝えたい文を強調できるようになってきました。ずいぶん進歩しました。
答辞は、マイクとの位置を調節して、大きな声で読むようにしたところずいぶん力強いものに変わってきました。アナウンサーの方に姿勢や原稿の持ち方も指導していただいた結果、よそいきの読み方ではなく、本来の彼女のよさが伝わるものに変わってきました。このことを意識して練習をすればきっと素晴らしいものになると思いました。

ある意味対称的な2つの学校の答辞・送辞でした。今回はそれぞれの学校で指導をしましたが、来年は合同でおこなうことになりそうです。子どもも教師も互いに見合うことでより多くのことを学び合えるからです。

アナウンサーの方はプロですから、上手な読み方の見本を見せることはたやすいことです。でも、彼女は決してそのようなことはしません。大切なことは、一人ひとりの個性、よさを出すことだからです。そのためのアドバイスに徹しているのです。彼女の指導のおかげで、毎年、その子だからこそできる答辞・送辞になっています。今年も4人が誰とも似ていない自分のものを見せてくれるようになりました。育てるということはどういうことかを、また教えていただきました。
子どもたち、先生方、アナウンサーの方、皆さんから多くのことを学ぶことができた1日でした。ありがとうございます。

授業名人を前に力不足を感じる(愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京 午後の部)(長文)

大盛況に終わった「愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京」ですが、午後の部は私にとって伝えるべきことをきちんと伝えられたか自信の持てない状態です。授業名人のメッセージが強すぎて、それをちゃんと受け止めきれていなかった、それに対してICTのよさをちゃんと伝えられなかったと感じているからです。

午後の部は、「若手がICTを活用して名人に挑戦」という企画を中心としたものです。堀田龍也先生のアイデアをきっかけとして、1年間かけて3つの地区で取り組みました。そこであらためてわかったことは、授業名人の授業をつくり上げている大きな要素は子どもたちとのやり取りの技術であるということです。たとえ同じ指導案で実践しても、子どもの反応をどう引き出すか、どう受けるかといった力がなければあの授業は再現できないのです。この事実を前にした時、授業づくりの多くの時間は、ICTをどう活用するという部分より、子どもたちを活かす授業の進め方、技術を身につけてもらうことにシフトしていったのです。

では、ICTは何だったのでしょうか。

算数では、子どもたちが作った三角形と同じものを写真に撮って、仲間分けの整理をする場面で活用しました。全体追究で、よりスムーズにわかりやすく考えを整理するための道具でした。算数の授業名人志水廣先生からの指摘の一つに、「紙でもできるのでは」ということがありました。名人の授業の追試ですから、もともと紙でやっていたものです。その部分をICTに置き換えることで変わるものは何かを明確にできませんでした。このソフトのよさを志水先生は認めてくださいました。が、コメントの多くは授業における子どもとのやり取りにかかわるものでした。非常に単純なソフトでしたが、回転させるといった簡単な機能を使うにしても、立ち止まって子どもに問いかけることが必要だとの指摘もありました。逆に言えば、こういうソフトの使い方を意識すれば、授業における大切なポイントが意識されると言ってもいいと思います。「ICTそのものではなく、その活用の仕方を意識することで、名人の授業に近づける」ことを最後のパネルディスカッションで整理してぶつけるべきでした。

社会科では、コンビニのようすを店員の目線で360°撮影した画像を使って、子どもたちの興味を引き付けるものを利用しました。社会科の授業名人有田和正先生の「バスの運転手はどこを見ているか」の授業に対して、この学級の子どもたちはバスを使わないので「コンビニの店員はどこを見ているか」と置き換えた授業です。子どもたちにコンビニのことを質問し興味を持たせ、そこからコンビニの店員がどこを見ているか、視点を働く人に変える場面での利用です。映像を見ながら、落ちている商品に気づいた子どもは、商品の整理に気づきます。棚に隙間があれば商品の補充に気づきます。子どもたちの視点を広げるために利用しました。授業はそこから、みんなの言ったことは本当だろうか、どうすれば本当のことがわかるだろうか、という流れで、調べる、コンビニに聞きに行くといったところへつなげていきました。
社会科のコーディネーターであった私は、有田先生が目指した子どもの姿と今回の子どもの姿は同じだったのかをたずねました。先生の答えは「似ているようで違う。違うようで似ている」という答えでした。知りたい、追究したいという点では同じだが、なぜだろう、とじっくり立ち止まって考え、子どもたちが「?」を持つ姿がなかったということだと思います。それを踏まえて、資料は見せすぎてはいけない、何枚もあってもただ見て終わってしまう。1枚か2枚でじっくり考えさせるべきである。コンビニであれば、マグネットと呼ばれる4隅の商品、カレンダーと呼ばれる棚の横に掛けてある商品が子どもの視点を変え、「?」を持たせるポイントであると、有田ワールド全開でした。有田先生の教材研究、教科知識は半端でありません。その点では若手だけではなくベテランでも歯が立ちません。そこをICTはカバーできるわけはないのです。野中信行先生ではありませんが、「ごちそう授業」ではなく、「味噌汁ご飯」にもう1品つけたレベルで授業名人に近づけないかということを目指していたのです。今回の授業であれば、単に調べに行こうでは子どもたちはただ見るだけで終わってしまう可能性があります。事前にこのソフトを使って自分たちの仮説を持ち、それをもとに実際に自分の目と耳で確かめる。その集めた情報から、なぜ、どうしてと考えていく。有田先生の大切にしている「?」をあとにまわしたのです。そのために、あえてコンビニ全体のようすをソフトにすることで、子どもたちの視野を広げようとしたのです。
壇上では、中立であろうとして私がこのことを説明せずに、授業者とアドバイザーの先生に無責任にふってしまいました。が、なかなかうまく説明しきれませんでした。いや、中立であろうとしては言い訳ですね。有田先生の強烈なメッセージに、真っ向からぶつかることを避けたのです。授業者とアドバイザーの先生に申し訳がありません。

また、あるブログで、子どもたちが挙手もせずに勝手に発言してテンションを上げている。授業規律のない授業とのコメントがありました。この授業では、あえて挙手させずにとにかく自由に言わせることでたくさんの意見を出させる。そうすることで、子どもの視点を広げることねらっていました。「今日は挙手しなくていい」とう授業者の言葉を編集で残し、あれだけテンションが上がっていた子どもが、授業者の言葉ですぐに静かになって集中する場面を見せたのですが、伝わっていなかったようです。やはり、授業の場面の解説を入れるべきだったのか。私の準備不足、力不足を感じました。

国語では、子どもたちが知らない鵜という鳥を見せる。学習用語の定着を過去に学習した教材を見せてその学習場面を想起することを図るという使い方でした。
授業は有名な「うとてとこと」の追試です。詩の音読にスポットを当て、昇調・降調、強弱などの学習用語とリンクした授業を目指しました。鵜を見せるなら写真でもいいのですが、大きく映せるメリットがICTにはあります。この点に関しては、写真だけではなく、鵜がどういう鳥か、大きい、獰猛であるといったことも大切であると国語の授業名人野口芳宏先生は指摘します。何をどれだけ示すかは大切なことです。この授業で扱っている詩は、言葉の遊びなので、鵜という鳥がいることを知れば十分ということで、簡単に扱いました。説明文であればまた扱いは違ったでしょう。このあたりのことをきちんと会場と共有するのは難しいことです。
学習用語の説明で、学習した時の本文を提示することは評価していただけましたが、逆にICTとして評価できるのはそれだけというコメントでした。これをポジティブと捉えるかネガティブと捉えるかは難しいところです。今までの学習を蓄積して、必要な時に利用するという発想は紙ベースよりもはるかにICTが向いています。その可能性を伝えきれたかどうか、提案授業に深くかかわった者としては悩ましいところです。

最後の授業名人とのパネルディスカッションは、堀田先生の見事な取り回しで進みました。授業名人のコメントを受けてICTの道具としてのよさを活かすための発想・視点を整理したつもりでしたが、名人の発言とうまくかみ合っていたか自信がもてません。3人とも、自分の授業観・世界観がはっきりあり、そこはICTが関わろうが関わるまいが揺るぎません。私のように、学校の目指す姿を実現するという視点に立って、その姿によってコメントが変わる者とは違います。だからこそ名人なのです。会場の方々にICTの持つよさ、可能性を伝えることができたかどうか自分としては心もとない状態です。

フォーラム終了後の懇親会では、今回の授業者がそれぞれ名人から直接指導を受けている姿が見られました。名人のファンが見たらうらやむような話です。彼らは、直接指導を受けたことをとても喜んでくれました。私ができなかったフォローは授業名人にやっていただけました。私自身まだ整理できないほどたくさんのことを学んだ1日でした。授業名人に近づくための道具の一つとしてICTは有効ではあると思いますが、授業の本質はICTにあるのではなく、その活用にあることをあらためて教えられた気がします。
「よかった」「おもしろかった」「勉強になった」との声をいただけたことを糧として、自分の足りないところを自覚して、前へ向かっていきたいと思います。

田尻悟郎先生から大いに学ぶ

先週末は中学校の授業研究に参加しました。田尻悟郎先生を特別講師にむかえての英語の研究です。「教科書を活かす」をテーマに4人の先生のふだんの授業を参観して、検討をおこないました。

TTの英語でのやり取りを聞きその内容を理解する場面でのことです。子どもたちは集中して聞いていましたが、内容に関する質問にはあまり手が挙がりません。正解に対して教師が説明しますが、子どもたちが本当に理解できているか確認されませんでした。そこで、田尻先生がとび込みで授業を始められました。師範授業はしないがとび込み授業はするという噂どおりです。
まず英文のsituationを絵で表現させます。その後ペアで互いの絵をもとに元の英文を言わせます。主語などの代名詞が指示するものを明確にしておかないと、きちんと再現できません。situationが理解できているかがよくわかります。
次のステップは、漫才の相方のように相手の言ったことをそのまま繰り返します。当然 "I went to …." であれば "You went to …." と言い換えなければなりません。単なる復唱ではなく、言葉を再構成しなければなりません。
これができれば今度は第三者に向かって繰り返します。"Mr.○○ went to …."と言い換えるわけです。子どもたちは一生懸命取り組んでいました。単に「耳から口」ではなく、頭をきちんと使うやり方です。私が、GDMなどの実践から学んだやり方と本質的には似ていると思いました。

田尻先生の素晴らしさは、この日のテーマである教科書を活かして子どもが考えることを実現していることでした。
英語は技能教科であるとよく言われます。トレーニング・活動量が大切であると言われる所以です。しかし、技能教科だからこそ、考えることが必要なのです。体育で考えればよくわかると思います。ただ「走れ」だけでは速く走れるようにはなりません。いろいろなことを意識して走らなければ上達はしないのです。

授業検討会では、田尻先生の考える授業の作り方・見方のポイントを、資料をもとにお教えいただきました。
授業が終わった時に子どもに何ができるようになってほしいか、生徒が主体となる授業づくり、知的なおもしろさを求めるなど、私が日ごろ伝えたいと思っていることと共通のことがたくさんあり、意を強くしました。
授業を見る観点を教科指導・全教科共通の授業技術・生徒指導の3つに分け、具体的項目をあげた資料は大変参考になるものでした。

全体の場でほめるときの注意点として、ほめられなかった子のことを考えるという指摘には考えさせられました。例として、ある子の発音を全体の場でほめると、同じような場面でほめられなかった子はつらい。だから、そういうことは全体の場ではなく個別の場でほめるというわけです。裏を返せば、何か出力すれば必ずポジティブな評価をしなければいけないということだと思います。

文法事項は、まず日ごろから感覚的に覚えさせ、たくさん練習させて身につけてから教えるということもなるほどと納得させられました。日本語の文法は言葉を知っているからできる。キーセンテンスをまず使えるようにすることが先であるという言葉も説得力があります。
質問の答えは省略しない。"Which question do you want to try?" に対して、"No.1." ではなく、"I want to try the question No.1."と答える。
"want" の意味を "want to" で「したい」と教えるのではなく、root sense を大切にして「ほしい」と教え、そこからsituationを考えさせる。
たとえば、何か頼むシーンを最初は "May I …?"、慣れてくれば、"Will you …?" "Would you …?"のように変えていくことで、多様な表現に親しませる。
ジェスチャをつけて会話することで、situation の理解につなげる。
こういったことを通じて英文が感覚的になったところで文法的な説明を入れていくということです。

教科書の題材ごとの利用方法もたくさん教えていただきました。
モノローグや手紙は、勝手に会話文にする。とび込み授業での漫才の相方のようなやり方です。
ダイアログでは、その言葉が出た時の気持ち・原因となる「心のつぶやき」を考えさせる。たとえば "Do you often listen to music?" であればなぜoftenといったのかその理由を考える。教科書の絵は、携帯プレーヤーで音楽を聴いている。だから、「携帯プレーヤーで音楽を聴いている。いつも聴いているのかな」と考えた。という具合です。このつぶやきを聞いて会話文を言う。こうすることで、単なる暗唱ではなく、situationベースの英語の授業に変わるわけです。
説明文には、疑問文をはさむ。説明文に対して、「それってどこにあるの」といった疑問文をはさんでいくことで、新しい文が生まれてくるということです。

この他にも書ききれないほどのことを学ばせていただきました。一部を以下にあげておきます。

子どもの活動に、時間的・数的目標を入れることは活動の活性化につながる。
プレッシャーをかけることになるが、かけるからこそ達成したいと思う。そこで上手に途中でヒントを入れると自力での解決につながる。時間が来てもすぐに解答をせず、少し余韻を持たせると、子どもがまわりの友だちの答えを知ろうとする。そこで話し合いが始まる。

わからない子とわかる子をつなげる方法に、わからない子たちを優位にする方法がある。
わからない子を明確にして、そうでない子(わかっている子)に絶対に大丈夫だな、だったら絶対納得させられるなとプレッシャーをかける。そうすればわからない子はよし自分たちを納得させろとわかった子に聞きに行く。わかっている子も必死にわからせようとする。

子どもがまとめた気づきを黙って見合う。
そうすれば、自然に子ども同士の話し合いが起こる。

家でできることは授業でしない。学校の授業でしかできないことを大切にする。
発音練習は家でもできる。学校でしかできないのは間違いの修正だ。

全員起立させて、できた子から座らせるのは意味があるのか。
いい加減にやって座る子がでる。できない子がさらしものになる。

ALTをCDの代わりに使わない。
彼らは人間だ。彼らの自己有用感も大切だ。彼らを中心にした授業を組み立てる。

・・・

田尻先生にこの学校の子どもたちを大変ほめていただけました。研究指定をきっかけにこの学校が取り組んできたことの成果だと思います。かかわってきた私にとっても、とてもうれしいことでした。今回の田尻先生のご指導が、この学校の英語の授業を大きくステップアップするきっかけになることと思います。今後の変化がとても楽しみです。田尻先生ありがとうございました。

ライブ感のあるパネルディスカッション(愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京 午前の部)

愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京」が大盛況のうちに終了しました。300名を超す方に参加いただけたことを大変うれしく思っています。大きなトラブルもなくこれだけの会を運営できたのも企業スタッフのおかげです。心から感謝します。参加していただいた方々はどのような感想を持たれたでしょうか。知り合いの方からの「よかった」「おもしろかった」との言葉にホッとすると同時に、私はきちんと役割を果たせたか自信を持てない状態が続いています。

午前のパネルディスカッションは、「愛される学校づくり研究会」の気の置けない仲間たちと「学校のお荷物と言われるHPと学校評価をいかに切り札にしていくか」について話し合うものでした。当日は早くに目が覚めてそれから眠れなかったという司会者。その間ずっと一人でシミュレーションを続けていたそうです。そのかいあってか、スタートこそ事前に知らされていた質問で予定通り「学校評価や学校広報の法的根拠」でしたが、その後いきなり「今の発言者の説明で十分か?」と他のパネラーに問いかけます。発言者は思いもよらない展開に一瞬凍ります。用意されたパネル(スタッフが100円ショップのバドミントンのラケットで自作してくれたもの。無理な注文に答えてくれて感謝!)でパネラーは○か×かの意思表示をします。私はこの後の展開を想像して、とりあえず○をだしました。なぜでしょう。当然この後の展開が読めるからです。×を出したパネラーは次々その理由を聞かれます。あいまいな返答では許してもらえません。いきなりヒートアップしていきます。
その後も司会者は絶好調。壇上を動きながらパネラーに厳しく突っ込んでいきます。パネラーのよさを引き出しながら、いろいろな視点から学校ホームページや学校評価について迫っていきます。パネラーはある程度資料等を準備はしてきていますが、これが罠になっています。こちらの手の内が司会者に見えているので、変化球で質問されます。パネラーに緊張が走ります。これがライブのおもしろいところです。時として自分がパネラーであることを忘れて観客と同じ目線で楽しんでいました。
とはいえ、おもしろがってばかりはいられません。私にふってくる質問は事前に想定されているものは一つもありませんでした。途中まではなんとか無難に切り抜けたのですが、最後が難関でした。というより、「それはないでしょう」と言いたいものでした。2時間近く意見を交えたあとの「総括的な意見」です。日ごろ笑顔を意識していますが、さすがにその瞬間は消えたのではないかと思います。

「地域で学校をつくる」「学校が地域と一体化する」と言われるが、その動きの中心となるべきは学校だ。学校が自分たちはどうありたいか、どんな姿目指すのか明確にすることがその第一歩だ。その上で、それをどう伝える、どう理解してもらうかの手段を考えてほしい。直接話す、紙で伝えるなどいくつか方法はあるが、強力な武器の一つがHPだ。しかし、発信して理解してもらうというだけでは不足だ。聞く耳を持つことがより大切になる。評価してもらい、それに対して次の動きをする。これを小刻みに繰り返すことで、地域と学校に共通のものとして明確になってくる。
このことは、管理職だけでなく先生一人ひとりが意識してほしい。学級で、授業で日々発信することが集まって、学校の発信となっているからだ。

このようなことを伝えようと思いましたが、なにせライブです。言葉足らず、表現力不足でうまく伝わらなかったかもしれません。正面でチェックしているN先生から、発言の後半にダメのサインがだされました。冗長になりすぎたということでしょう。それを見て、話を切り上げました。

午前の部終了後、パネラーの皆さんは緊張したけれど、楽しかったと感想を口々に言っています。私は充実感を味わう間もなく、午後へと気持ちを切り替えます。そのときは、これだけ緊張感のあるパネルディスカッションを切り抜けたのだから、午後もなんとかいけると思っていたのですが・・・。

午後の部については、まだ頭の中が空っぽでもう少し時間がたってからお話したいと思っています。

ICT情報教育推進の会議で大いに学ぶ

昨日は、ある市のICT情報教育推進の会議に委員として参加しました。

この市では、国の仕分け会議にならった外部評価フォーラムが昨年開かれました。そこで、学校のIT整備関連事業が5人中4人から改善が必要、1人から廃止と評価されました。この結果を受けての話し合いが最初に持たれました。
他の市町と比べてもよく活用されている市ですが、なぜこのような結果になったのかは、当日の議事録を読むと納得できます。はっきり言って宣伝不足です。評価された方は、今は学校でICTを導入するべきかどうかというフェイズではなく、あるのが大前提であることをご存じないようです。また、そのことを説明側もきちんと伝えていません。対費用効果と言った言葉も出ますが、学校で日常的に効果的に使われている姿を見せていれば、このような言葉も出てこないように思います。
当然のように、この市の取り組みが伝わっていないことを残念に思う意見ばかりです。学校にとっては、あって当たり前、使うのが自然という状態になってきているので、あえて広報することを意識していないのかもしれません。

・学校ホームページでふだんの授業風景を伝えるときに、ICTの活用にも触れる。
・市の公報に積極的に載せる。
・学校評価の項目の中にICTを入れることで、活用されていることを伝える。

このような意見が出されました。

学校ホームページでの公報について、すぐに思い浮かんだのが、親しくさせていただいている校長の学校のホームページです。同じことを思われたT委員がそのことを伝えました。単にICTを活用している場面を紹介するだけでなく、誰にでもわかりやすい言葉で、使わなかった場合と比較してそのよさを解説しています。伝えることを意識した記事が、広報のあり方を教えてくれます。

他の市町の方がこの市を参考にしているほどICTの活用で有名なのに、足元の市民にはそのことが伝わっていない。皮肉なことです。しかし、このことはICTにかかわらず起こりうることです。学校現場でのよい取り組みを積極的に地域に発信することの大切さをあらためて感じました。

この市では、学び合いを大切にした授業にどの学校も取り組んでいますが、そこにどうICTを活かすかという提案が次の話題です。実際におこなわれている授業をもとにどう組み合わせると有効かという視点で書かれています。ICT機器の優位性が声高に主張されているものではなく、地味かもしれませんがなるほどと納得できるものばかりです。提案されたのは学び合いを活かした授業づくりでとても有名な指導主事です。本人は、ICTは得意ではないと言っていますが、授業がきちんとできる方の視点で書かれたものは説得力があります。よい資料をいただけました。
先日見た授業を例に(幾何ツールを使った授業研究会で大いに学ぶ参照)、ICTは有効であるがその特性を理解した使い方を教師も学んでいく必要があることを強調しました。委員長の大学教授からは、最近の学生の抽象化する力が落ちてきたことと、デジタル化が進んでいることには関係があるのではないかとの意見が出されました。なるほどと思いました。
子どもたちが学び合う姿とICTはとても自然に結びつく気がします。国から出ているICT活用における「協働」というキーワードは、実際に学び合う子どもの姿が見えていないと感じます。この市から、次のステップにつながる素晴らしい発信がされていくのではないかと期待させる話し合いでした。

最後は、2年後に建替えが予定されている学校のPC教室をどうしていくかをきっかけとした、これからのPC教室像についての話でした。
無線やバッテリー技術の進歩で、LANケーブルや電源から解放されたPC教室は、学び合いを進めるための工夫がみられる、PC抜きにでも授業してみたいと思うような教室でした。大型のディスプレイを4隅に置いて、ポスターセッションのようなものを意識したりと、どのような授業をそこで行なおうとしているのが浮かんでくるような素敵なものです。機械が前面に出てくるようなものではなく、そこで活動する子どもの姿を第一に考えていることがよくわかります。これからはPC教室といった特別なものではなく、すべての教室で自由にICT機器が使えるようになっていくはずです。PC教室はなくなるかもしれません。その流れの中でのこの提案は、ICT機器にこだわらない学び合いの空間と逆に普通教室ではできない活用の姿を示してくれました。おそらくこの先には、メディアセンターとのシームレスなつながりがあるのだろうと思いました。この市の先生方がこれまで着実に実践を積み上げてきたからこその提案です。予算の裏付けが取れて、この提案が実現することを期待します。

ICTを先進的に取り組んできた、全校が学び合いを積極的に進めてきたこの市だからこその提案をたくさん聞きことができました。委員として意見を求められる立場ですが、逆にたくさんのことを学ばせていただきました。よい機会をありがとうございました。

幾何ツールを使った授業研究会で大いに学ぶ

昨日は幾何ツールを使った中学校の授業研究会に参加しました。

昨年に続いてiPadを利用しての授業です。今回は2時間連続ということで子どもたちの追究のようすがどう変わってくるかが興味の一つでした。
実際の授業では、子どもたちのグループ活動は大きく2つに分かれ、やや短めの1時間と長めの1時間といった構成でした。とはいえ、子どもたちにとっては長丁場です。集中力は持つかと心配しましたが、グループでの活動は最後まで頑張っていました。

・幾何ツールのよさを活かすための視点
・グループ活動と教師の支援、全体追求での教師のあり方

大きくこの2点について検討会は話し合われました。
幾何ツールのよさには、直感的に図形をとらえること、点や線を動かすことで条件に合う図を帰納的にも、演繹的にも求められることなどがあげられます。数学としての抽象と具体をつなぐ道具といってもいいかもしれません。そのよさと、それゆえの難しさが指摘されました。
課題の条件を幾何ツールの図で具体的に見ていたため、条件が変えられた時(今回は三角形の辺上を動いていた点を自由に動かせるようにした)、子どもがとっさに図がどのように変わるか理解できない場面がありました。授業者はすぐに子どもたちに幾何ツールを触らせたので、子どもたちは理解しましたが、目の前に具体的なものがないと想像できないというのも問題です。参加者からは、最初は幾何ツールを使わず、条件から自分の手で図を描くことから始めるといった方法も提案されました。
グループ活動では、幾何ツールで確かめていくことで、条件に合う点は円上にありそうだと気づいたものの、多くが行き詰ってしまう場面がありました。幾何ツールからは答の予想は得られても、その証明を考えるにはまた別の要素が必要となります。自分たちが見つけた図を印刷して配り、幾何ツールを使わず考えさせるといった案が出てきました。
このように幾何ツールのよさを活かしながら、よりよい学びにつなげるための方法について多くのことを話し合いました

子どもたちのグループの活動に関しては、男女4人グループを基本としていたのですが、男子だけで話している、他とかかわらず1人で追究し続けている子がいるといったことが目立ちました。男女を市松模様に配置する、教師が子どもを意図的につなぐことが有効だろうとの意見が出ました。
また、教師がグループにかかわっているうち、ミニ授業になった場面がいくつかありました。子どもが動き始めたらその場を離れる。全体で深めるべきことであれば、一旦活動を止めて、全体にそのグループで話し合っていることを発表させ、共有化させてふたたびグループに戻す。このような対応がよいのではとの意見が出ました。
全体追求の場面では、一部の子どもが友だちの発表を聞かない、教師が説明を始めると集中力が落ちるということが指摘されました。子ども同士のかかわり合いができてくるとよく起こることです。子どもが教師を説得しようとして話していることも気になりました。友だちにわかってもらおうとする姿勢、教師ではなく友だちが判断することを大切にすることが必要です。子どもの説明を教師が再度解説するのではなく、他の子どもが説明する。グループで確認しあう。子どもに戻していくことの重要性が話題になりました。

このほかにも、数学的な価値づけをどうしていくか、課題の「どういう点か」という言葉が数学的に明確になっていないことが、子どもの説明を混乱させたなど、いろいろな視点での意見が交わされました。

最後に参加してくれた学生に感想を聞きましたが、彼らもこの授業と検討会から多くのことを学んでくれたことがわかりました。「キーとなる角度を子どもから出させるためにどうすればいいか」「わからないと自分から言うのはむずかしい。どうすれば子どもがわからないと言えるようにできるか」とこの会を通じて浮かんできた疑問も発表してくれました。これについては、参加した何人かの先生がしっかりと答えてくれました。こういうつながりがあることはとてもうれしいことです。

2時間続きで幾何ツールを使うという挑戦をしてくれた授業者、参加された先生、学生、院生の皆さんのおかげでとてもよい学びができました。ありがとうございました。

若手教師がチームで伸びる

昨日は小学校で若手6人の授業アドバイスをおこなってきました。今年度7回目で最後になります。この日は時間割を工夫して互いに授業を見合うこと中心にしました。

授業がうまくなっていたのももちろんですが、授業を見る力が育っていることに驚きました。完全な授業などありません。どの授業にも課題はたくさんあります。しかし、そんな課題を指摘するのではなく、それぞれのよいところを見つけて、自分に取り入れようとする姿勢で全員が授業を見ていたのです。
子どもたちの関係がうまくいかず苦しんでいる先生もいます。そんな状態の学級を見られたくはありません。しかし、それでも公開してくれました。授業を参観する先生も、この状態ではダメと批判的に見るのではなく、もし自分の学級で子どもたちがこういう状態になったらどうすればいいのだろうと、自分のこととして考えてくれました。彼らがチームとして機能し始めているのです。

彼らと一緒に見た授業で気づきの多かった場面を書き出してみます。

3年生の算数で、問題が解けた子どもに前で○つけをする場面がありました。(前で○つけをするのはあまりよいことではないのですが、)できた子どもたちはうれしそうに先生のところへ向かいます。○をもらった子はうれしそうにしています。間違えた子どもは急いで席に戻りやり直します。中には立ったまま直している子もいます。並んでいる子どもたちもごそごそせずに静かに待っています。学級規律がよく保たれています。授業者は気になる間違いが何人かにあったので、○つけを一旦止めました。次の順番の子どもは○をつけてもらえずにとてもがっかりしていました。説明が終わって再び○つけが始まると一番に○をもらい、今度はにこにこしていました。子どもにとって○をもらうのはとてもうれしいということがよくわかります。前での○つけが続く中、子どもたちに変化が起こり始めました。あちこちで、子ども同士が聞き合っているのです。授業者が何か言ったわけではありません。実に自然な姿です。子どもたちの人間関係がよい証拠です。列が途切れた後、授業者は「まだ○をもらっていない人」と、全員に○をつける姿勢を見せました。これもとてもよいことです。そして、できていない子に個別指導を始めました。その間、○をもらっていなかった子が一生懸命手を挙げて、○をもらえるのを待っています。結局最後まで授業者は気づかずに、時間が来てしまいました。その子はとてもがっかりしていました。
一緒に見ていた先生は、○つけの効果と○をもらえなかったときの子どものがっかりした様子を見て、「○つけをいかす」「必ず全員に○をつける」ことの大切さをあらためて感じたようでした。

4年生の理科の対流の実験で、温めると水の動きはどうなるかを予想する場面のことです。おがくずの代わりに味噌を使うのですが、「温めると味噌が上にいく」、それにつけ足して「味噌がどんどん上にたまっていく」という意見が出ました。もちろん間違いではありますがよい意見です。先生はきちんと取り上げ、「味噌が上がって下がる」という意見ときちん比較しました。もう少し根拠を話し合うとよかったのですが、どんな意見もきちんと受け止めようとする姿勢は立派です。

3年生の音楽の時間の活動量の多さはとても素晴らしいものでした。私が見ていた間、休む間もなく子どもは歌い、リコーダーを吹いていました。すごい密度です。日ごろから活動量が多いのでしょう。子どもたちの演奏も4年生としてはなかなかのものでした。これだけの活動量なので、具体的な目標を明確にして即時評価を意識するともっとよくなると思いました。

6年生の国語の時間では、特に印象深い場面がありました。朗読を聞いた後、各自で読みの練習をするのですが、一人みんなからかなり遅れて読み終わった子がいました。早く読み終わった子は、彼が遅いので少しいらいらしていました。全員が読み終わった後、「さっき朗読聞いたけど、早かった、遅かった?」と聞きました。「遅かった」「そうだったよね。早く読むより、ゆっくり読んだ方がよかったのかもしれないね」と笑顔で語りかけました。最後だった子は、とてもうれしそうにしました。ちょっと集中力に欠けていると感じた子どもだったのですが、私が見ている間ずっと笑顔で集中を切らしませんでした。
また、ペアで音読した時、ペアの相手の読み方をほめる場面がありました。このペアは女の子がちょっと嫌そうにしていたのですが、隣の男の子がほめた時、とてもうれしそうな表情を見せました。こういう場面があることで子ども同士の人間関係がよくなっていくのです。
授業者はとにかくネガティブではなくポジティブにとらえる、ポジティブな言葉に言い換えることを念頭にいつも授業をしているようでした。随所にそのことを感じさせる言葉が出てきます。居心地がよくて、いつまでも居たくなるような学級をつくっています。

1年生の図工の時間です。グループで、友だちの作品のよいところをワークシートに書く作業をしている場面です。なかなか鉛筆が動かない子どもがいました。授業者も気づいたようです。その子のそばに近寄っていきました。どのように注意をするのだろうと見ていたのですが、その子を注意せずに、その場所からグループの他の子に対して支援を始めました。手のついていない子どもも友だちと先生の会話を聞き、鉛筆を動かし始めました。まだ2年目とは思えないとてもよい対応でした。

授業後、全員でこの1年を振り返りました。前向きな言葉がたくさん出てきます。
今までの指摘をきちんとノートに整理し、できたこと、まだできていないことチェックしている先生もいます。教材研究の大切さ、難しさを感じて、しっかり教科書を読み込もうとしている先生もいます。今年はうまくいかなったけれど、その経験を活かして4月に何をしなければいけないのか一生懸命に考えている先生もいます。こういったことを仲間の前でしっかりと言えるのです。
彼らが伸びている理由がよくわかります。チームの形になってきました。校長のフォローもうまくいっている大きな要素です。これからも互いに授業を見せ合い、一緒に教材研究をすることで、もう一段高いレベルに到達してくれると思います。

この1年、私も本当によい学びの機会をいただき、彼らの姿にたくさんの元気をもらいました。ありがたいことです。このような出会いをもたらしてくださった校長にあらためて感謝します。1年間本当にありがとうございました。

学校の到達した場所と次の課題が見えた授業

昨日は中学校の授業研究に参加しました。若手の道徳の授業です。

子どもたちと授業者、子ども同士の関係がとてもよいことがすぐにわかります。参観者にとってもとても居心地のよい教室です。この学校はどの学級もこのようなよい雰囲気になっています。授業研修のお手伝いをさせていただいて4年がたちました。この4年間で授業の基本となる人間関係がきちんと確立されたと思います。先生方の努力の成果だと思いますが、特に教務主任が自らも一生懸命勉強しながら、方向性を持って授業改善に取り組んできたことが大きな力となっていると思います。

この日の授業は、子どもたちに「向上心」を持って生活してほしいという授業者の願いが込められたものでした。人間関係のよい学級ですから、何をやっても授業が破たんするようなことはありません。それだからこそ、何が子どもの中で起こっているかを注意してみないと、授業を見誤ってしまいます。

最初に、自分のあこがれの人を思い描かせた後、相田みつおの詩から、「そこにいるだけでまわりを明るくする人」とはどんな人か、その人は「頭」「口」「手」「足」でどう行動するか、グループで話し合わせました。子どもたちは、どう答えればいいのか戸惑っています。しかし、一生懸命考え、ワークシートを埋めていきます。しかし、一通り意見が出ると活動が止まってしまいました。漠然とどんな人と聞いても、ただ思いついて話すだけになってしまいます。話し合う視点が明確ではないのです。全体の発表の場面では、授業者は一人ひとりをしっかり受容しています。学級がよい雰囲気であるのもよくわかります。しかし、子どもの発言をつなごうとするのですが、子どもたちは自分が書いたことを発表するだけで、なかなかうまくつながりません。友だちの意見は、「そういうのもあるよね」と互いに認めるだけのものであって、それ以上深く考える必然がないのです。そういう状態ですので、なかなか授業者がねらうようなところまで、考えが深まりません。いきおいどうしても発言をまとめようとする切り返しが多くなります。子どもたちは、先生が求める答があるのではないかと、探るようにもなりかねません。

では、どうすればよいのでしょうか。道徳では自分に引き付けて考えることが大切です。ここで問題にしている「そこにいるだけでまわりを明るくする人」が子どもたちとって意味のない人であれば、そもそも話になりません。たとえば、まず、「そういう人ってあこがれる?」「なりたいと思う?」と全体で確認します。その上で、ではそうなるために「あなた」はどのような行動をとるかと問いかけるようにすれば、自分の問題としてとらえることができます。友だちの考えを聞いて、最終的にどういう行動をとるか考え、発表させることで友だちの意見は意味を持ってきます。

最後に、自分はどんな人間になりたいかとその心をワークシートに書いて、何人かに発表してもらって終わりました。子どもたちは、その前の活動に引きずられたのか、深いところからの言葉少なかったように感じました。
前半の「そこにいるだけでまわりを明るくする人」については全体で何人かに発言させ、自分はどんな人間になりたいかを中心にグループ活動をした方がよかったのかもしれません。

授業検討会は柔らかい雰囲気で進みました。この4年間で検討会の雰囲気もずいぶん変化しました。ベテランと若手がうまくかみ合ってきています。若手の授業を見る力もずいぶん上がってきたと思います。
私からは、道徳の授業は「自分に引きつける」「相手の気持ちになる」「自分はどう行動するか考える」ことを大切にして課題や進め方を考えるとよいということ、つなぐためには、その視点を明確にしておくこと(根拠、結果・・・)を話させていただきました。また、学校全体で教室の人間関係ができているから、一つひとつの授業から学ぶことがとても多い。だからこそ、たくさんの課題も見えてくる。これからは今まで以上に授業研究が求められることを伝えました。

今回の授業からは多くの気づきがあり、授業者への個人アドバイスは何時間でもできるほどでした。それは、授業が悪いのではなく、子どもたちがとてもよい状態で、授業者が一つひとつの場面で真剣に考えて進めていたからです。ちょっとした切り返しの言葉にもどうすればもっと子ども言葉を引き出せたのだろうということを考えさせるものがあったのです。今回は前半部分を中心に細かく話をしながら、一緒に考えてみました。通常はこのような細かいアドバイスはしません。指摘や課題があまりに多くなると消化しきれずに落ち込むからです。しかし、授業者が非常に謙虚で、向上しようとする意志を見せてくれたので、指摘が多くても消化しきれると思い、一つひとつの場面を丁寧にアドバイスしました。1時間近い時間、本当に真剣に授業を振り返ってくれました。基本となる部分がしっかりでき上がってきました。次の課題はレベルの高いことですが、きっと乗り越えて素晴らしい教師に成長してくれると思います。

今回の授業は、この学校の今を的確に表してくれるものであった気がします。ベースはできた、次はもう一段上の課題にチャレンジする。そういう段階なのです。しかし、来年度は人事異動がかなり多くなりそうだということです。ひょっとすると今の状態を維持することに追われるかもしれません。多くの学校が苦しむ問題です。
うれしいことに、来年度もこの学校のお手伝いをさせていただくことになりました。私もできる限りのお手伝いをさせていただくつもりです。いろいろな障害があるかもしれませんが、この学校はきっと次の段階に上がってくれると信じています。

教務主任・校務主任会で講演

昨日は、教務主任・校務主任対象の研修会で「授業力を高める校内研修の進め方」というテーマで講演をおこないました。

校内研修では、学校として目指す姿を具体的にすることがスタートであり、そのためにはまず学校の状態をきちんと把握することが大切です。授業をよく見て、子どもの姿から課題を見つけ、学校として目指す姿を明確にし、そこへどうアプローチしていくか考えることが必要となります。
全体での研修を中心にするのか、グループや個人を単位として考えるのか。学校の規模や課題のありようで変わってきます。いずれにしても、受け身ではなく、積極的に参加できるように仕組むこと、一人ひとりの行動につながることが求められます。そして、行動の結果が具体的な成果として見えるようなものでなければ継続的なものにはなりません。そのためには、実践を引っ張る立場の人間がどうすれば目指す姿をつくれるかを知っていなければなりません。

そこで、後半はサブテーマである「学ぶ意欲を引き出す授業」をどうつくるかという具体的な話をしました。
学ぶ意欲を持つ子どもの具体的なイメージをどう考えるかですが、「自ら考えようとする子ども」であり、それは「他者の考えを聞こうとする子ども」「自分の考えを聞いてもらいと思う子ども」でもあります。別の視点で言えば自己の存在が認められていると感じる「自己有用感を持てている子ども」につながります。
そのために授業に求められるのは、「子どもを受け身にしないこと」「子どもの活動量の確保」「考えるための課題」です。そして、意識してほしいことは「聞く」「ほめる」「切り返す」ことです。
これらについて、できるだけ具体的にお話をさせていただきました。

当初の予定よりも時間をいただいたのですが、それでも少し延長してしまい大変申し訳ないことをしました。よい反応をいただいたので、つい余分なエピソードを話しすぎたせいです。伝えたいことを絞って、思い切ってカットするのも大切なことです。授業ではこのことをよくアドバイスするのですが、お恥ずかしい限りです。1度きりの機会ということで入れ込みすぎているのかもしれません。参加された方々に伝えるべきことがきちんと伝わったでしょうか。またの機会があれば、もう少し課題を絞ってより具体的な話ができればと思っています。これからリーダー、管理職として活躍する期間もたくさんある方たちへ話す機会をいただいたことは、私にとってもうれしいことでした。ありがとうございました。

「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」の事前検討会

先週末は、愛される学校づくり研究会に参加しました。今回は2月25日(土)に開かれる「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」の第1部のパネルディスカッションの事前検討の会でした。

当日のパネリストの中で参加できる方が集まり、会員が聴衆となって本番と同じように進行をしながら、問題点や事前準備が必要な事柄を洗い出すことが目的です。予想よりも皆さんヒートアップせずに、穏やかな雰囲気で進んでいきます。具体的な実践、エピソードを交えての話は説得力があります。この日の話だけでも十分聞く価値があったと思います。しかし、テーマが「学校のお荷物(学校HP&学校評価)を切り札に」となると、どうしても話が管理職やリーダー向けの話になりがちです。そうではなく、どの立場の人にも納得性のある話にする必要があるという反省が出ました。当日はこのあたりのことを意識した流れになると思います。
各自が事前に用意する資料もほぼ決まりしたが、当日の流れがどうなるかは全く予想がつきません。今回事前に話したことで、当日はあえて違った側面から話をする方もいるはずです。一くせも二くせもあるパネラーと司会者です。どんな挑発があるやもしれません。うっかり乗ればヒートアップすること間違いなしです。会場に隠し玉が仕込まれているかもしれません。
当日はライブ感あふれるパネルディスカッションになることは間違いありません。

検討会の後、当日のスタッフをしてくださる方を交えて打合せです。たくさんの方にこのフォーラムが支えられていることをあらためて感じました。ありがたいことです。
おかげさまで、フォーラムも定員を超える申し込みをいただきました。事務局の方で座席の調整を試みてくれています。若干の定員増が可能かもしれません。興味のある方は問い合わせてみてください。

フォーラム当日まであと3週間を切りました。来場される皆様にとって楽しく、有意義で刺激のある会にするべく、最善を尽くしたいと思います。ご期待ください。

中学校の入学者説明会で講演

先日、中学校の入学者説明会で、保護者の方に子どもの中学期をどう支えるかについてお話をさせていただきました。

今回は、中1ギャップについて多くの時間を割きました。
小学校から中学校への変化は、概ね次のようなものがあります。

学習
・トピック的な学習から体系的な学習へ
→求められる学習量の増大、家庭学習の比重が増す
・定期試験の存在
→大きなプレッシャー、はっきりと評価される

部活動
・部活動が新たに加わる
→体力的に負荷がかかる
・先輩後輩の関係が加わる
→精神的に負荷がかかる

コミュニケーション
・複数の学校から人が集まる
・学級担任中心から教科担任中心
・横の関係中心から縦の関係が加わる

この変化にうまく対応できないと

・学習、部活動についていけない
・支えていた人間関係がなくなる
・新しい人間関係がうまくつくれない
・周囲の仲間から認めてもらえない

といったことが起こり、結果、「自己有用感の喪失」につながります。

学校も小中連携などでこのギャップを埋めようとしていますが、家庭では、子どもの居場所をつくることを大切にしてほしいと伝えました。

・ここにいていい
→存在を無条件に認めてあげる
・自己有用感
→自分の行動が他者にとって良い結果を与えたことが生きがいにつながる
→自分の役割がある

いい子だから愛しているのではなく、何があっても大切な子どもであることを伝える。「あなたの仕事は勉強よ」などと言わずに、家庭内での自分の役割を持たせて、家族の一員としての存在を認める。おこずかいなどの報酬でつったり、「えらいね」と上から目線でほめるたりするのではなく、「○○してくれてありがとう」の一言を大切にする。このようなことを特にお願いしました。

また、保護者と学校が互いに聞き合い、わかってもらう努力をすることで、信頼関係を築き連携することも大切です。お互いの共通の願いは「子どもの幸せ」です。行き違いがあっても、このことを忘れなければ、必ず理解し合えます。このことを強くお願いしました。

限られた時間でどれほどのことを伝えられたかわかりませんが、家庭での子どもの居場所をつくるのに少しでもお役にたてば幸いです。

模範授業から大いに学ぶ

先週末の算数・数学の授業力アップの研修講座でのT先生とW先生の模範授業から多くのことを学びました。

T先生はICT活用でも有名な方です。今後の授業の方向性を考えるということで、デジタル教科書の活用を見せてくださいました。T先生は小学校の経験は少ないのですが、教材の都合で小学校3年生のグラフの授業に挑戦されました。小学校であろうが中学校であろうが、授業の本質は大きく変わりないことがよくわかる授業でした。
デジタル教科書でも教材研究の大切さは変わりません。この教材は風邪を引いた子どもの体温の変化を題材に、グラフの一部分を省略、拡大して変化を見やすくするというものです。体温を題材にしているのは、どの子どもも熱を出した経験があり、何度なら体温が高いという感覚があるからです。その経験から体温が上がっていると感じるのに、グラフからはそう読み取れないというズレを子どもから引き出し、グラフの一部を拡大する必然性を持たそうという展開です。
用意したワークシートにグラフを書かせます。一人ひとり全員に○つけをし、その上で隣同士確認をさせます。
「どう思った」というあいまいな聞き方で、いろいろな言葉を引き出します。子ども役の言葉をしっかり受容しながら、広げる言葉と捨てていく言葉を選んでいます。子どもから、値に対して目盛りの間隔が大きすぎる、グラフの変化がわかりにくいことにつながる言葉を意図的につないでいきます。「あまり違わない」というような発言であれば「何の違い」と問い返します。教師が子どもの言葉をまとめるのではなく、子どもたちに整理させながら、何人にも発言させることで全員に理解させます。

ここで、発問です。教科書は「変わり方がもっとよくわかるようなグラフのかき方を考えてみましょう。」となってグラフが準備されています。これを完成させてから違いを考えさせることになります。これに対して、デジタル教科書はグラフを動的に拡大していく機能があります。T先生はそれを活かして、「変化がわかりにくいから工夫をした」とグラフを動的に拡大して、工夫した人のアイデアを言わせます。子どもの言葉を引き出しながら、何度も見せます。動きを活かして興味を持たせ、出てきた言葉をつなげます。一人が気づいたことをもう一度動かして見せることで確認させます。こうして、全員にどのような工夫がされて、どのようなよさがあるかを共有化させました。

わずか10分余りの授業場面でしたが、デジタル教科書のよさを活かしながら、子どもの言葉を活かす授業とはどういうものかを見事に教えてくださいました。
私の解説で、この素晴らしさを伝えきれたかはわかりません。しかし、解説などなくてもその場で見ていた受講者の方はきっとその素晴らしさを感じ取っていただけたと思います。

W先生の授業は3年生の1より大きい分数でした。自身の経験から子どものつまずくところを意識した、教科書とは少し違う導入を見せくださいました。
子どもは数直線を意識しすぎて、1の長さを等分した最初の部分だけを単位分数として認識しがちです。3等分した最初だけが1/3と考えるのです。そこで黄色のテープとそのテープと同じ長さで3等分の線を引いておいた白いテープを3本用意します。1/3がどこにあるかを問いかけ、左端だけでなく、真中も、右端も1/3であることを押さえます。印をつけたそれぞれを切り離し、黄色のテープに続けて重ねて1となることを確認します。こうすることで、どの部分も同じ1/3という量を表すことを押さえました。
続いて、もう一度黄色のテープを用意し、続いて、今度は1より長いテープ3つを並べたもの(5/4、4/3で4等分の線を引いたもの、5/4で5等分した線を引いたもの)を貼ります。ここで、このテープは1のところで折ってあり、それを広げて見せながら貼りました。1を意識させた動きです。
子ども役から「1より大きい」を引き出しました。この後、何を何等分するということにこだわり、子どもから5等分だけど、単位量である1は5等分でなく4等分されているから、1つは1/4、それが5つだから5/4を丁寧に引き出しました。
子どもの言葉で、ねらいにつながる言葉を復唱し、他の子どもにつなげる。特に大切な言葉は何人にも言わせる。教師のねらっているものが何かがとてもよくわかるものでした。どの子も全員受容はするが、広げる、深める、つなげるものとそうでないものは明確です。また、言葉を引き出すための仕掛けはいたるところにちりばめられています。子どもの言葉で進めているため、一見すると子ども任せにも見えますが、完全に授業をコントロールしています。いつ見せていただいても、くやしいくらい計算されています。

解説のO先生は、その部分を柔らかい口調でわかりやすく、見事に浮き彫りにしてくださいます。一つひとつの場面の意図がとても明確になりました。

お二人の授業を見て、共通点がたくさんあります。子どもの発言の価値づけや、拾う拾わないの判断が実に的確なのです。どうつなげるかの切り返しの言葉もとてもシャープです。T先生はデジタル教科書、W先生はテープ。デジタルとアナログの違いはありますが、その利用の意図も明確です。個性は違ってもよいと思える授業には実に多くの共通点があるのです。今回、研修会10年目の特別企画ということで、とても贅沢な時間を持つことができました。受講者だけでなくスタッフの私たちにとっても学びの多いとても有意義なものでした。T先生、W先生、解説のO先生、そして見事な子ども役を演じてくれたスタッフの皆さんありがとうございました。

研修講座のスタッフを務めることから学ぶ

先週末の2日間、算数・数学の授業力アップの研修講座にスタッフとして中学校の部会に参加しました。

受講生同士で模擬授業をおこない、それに対してコメントをもらい翌日再挑戦して進歩を見るというものです。
今回の課題は3年生の平方根(無理数)同士の掛け算でした。初日の模擬授業は計算の過程、やり方にスポットを当てているものばかりでした。計算の1行1行のやり方を丁寧に子どもの言葉を活かしながら追おうとするのですが、なぜそのような変形をするのか、この計算はどこに向かっているのか意識されていませんでした。一つひとつの問いかけが点でつながっていかないのです。
同席したW先生とのお話の中で、「どうしたいかという意思が見えない」という言葉がでてきました。「この計算はどうなるといいの」「どうして、こうしようとしたの」という言葉に置き換えるとわかりやすいかもしれません。数学的な方向性と言ってもいいかもしれません。

半数の方が模擬授業を終えたあとのコメントで、「みなさんの授業は数学の授業ではない」とかなり厳しいコメントをしました。学校でのふだんのアドバイスではまずこのような言い方はしません。自ら休日に自腹を切って参加される方だからこそ、あえてこのような言い方をしました。急にこのようなことを言われたので、後半の方は戸惑いながらの模擬授業でした。

1日目の最後に、K先生が模範授業をしてくれました。
まず、結果だけを確認して安心させたうえで、計算のやり方を聞いていきます。「こんな風にやっていいの」揺さぶりながら根拠を確認、共有化します。√の中を簡単な数にしてから掛けるやり方と√の中同士を掛けるやり方を並行して見せ、素因数分解を印象付けます。答のルート10に対して、「これ以上簡単にならないの」と聞き、「分数の約分と同じだね」と既習の考え方につなげ、数学ではできるだけ簡単にな答えにするという基本的な考え方を押さえます。
この授業を見ることで、受講生の方は再度自分の授業をつくり直すことができたようです。

翌日の模擬授業は、扱う場面も課題の前後で好きに選ぶようにしたこともあり、前日とは打って変わったものでした。借り物ではない、皆さんの普段の授業スタイルが伝わってくる、いきいきとしたものでした。この日の私の役割は、受講者、コメンテイターによるコメントの後、模擬授業のビデオを見ながら個別に一人ずつアドバイスするというものでした。ビデオをなかなかうまく活用できなかったのですが、受講者は私の指摘する場面をきちんと覚えていて、その場面を再生しなくてもきちんと理解していただけました。

全体的な傾向として、計算のやり方をパターンとして分ける傾向が強いと感じました。

・ルートの中を簡単にしてから計算する(最後に必要な場合はもう一度ルートの中を簡単にする)。
・ルートの中は簡単にならないが、ルートの中を素因数分解してから計算する。
・ルートの中を掛け算してから、素因数分解をして簡単にする。

このような場合に分けて考えている方が多いのです。
しかし、どのやり方でも、

・式を計算するということはできるだけ簡単にすること。
・ルートは2乗があれば、有理数(簡単)にできる。

この2点を押さえて、

・2乗を見つけるには素因数分解をすればよい。

と整理すれば、要はいつ素因数分解をするかだけの問題になるのです。細分化するのではなく、できるだけ整理統合してシンプルなものにすることが大切です。

=で結ばれるということは、同じということです。計算をしていくということは、ある方向性をもって等号関係を進めていくことです。その方向性の基本は自分にとって都合のよい形にするということです。これを、数学的な意思と言ってよいと思います。今回で言えば、できるだけ簡単にすることです。
因数分解や展開はこの方向性が明確に表れる例です。2次方程式を解くために因数分解をする、解の公式を使うために展開して整理する。こういう考えです。

このような考え方をベースに皆さんのスタイルを活かすことを意識してアドバイスさせていただきました。一人ひとりに特化することができるので、私としてもとても手ごたえを感じることができました。翌日からの授業に少しでもお役に立てば幸いです。

今回とてもうれしく思ったのが、東京から参加されているある先生の進歩でした。今回で3回目の参加ですが、わずか2年余りでとても雰囲気が変わっていました。子どもを受容しようとする姿勢。間違いでも明るく受け止める。子どもたちは授業が楽しくなるに違いありません。子どもとの人間関係が間違いなくよいと感じる模擬授業でした。自らいろいろな研究会や勉強会に参加して積極的に勉強されています。伸びようとする教師は、確実に伸びるのです。
また、2日目にコメンテイターを務めてくれたY先生のコメントも素晴らしいものでした。古いつきあいですが、この何年かの伸びは本当に素晴らしいものがあります。柔らかい雰囲気で、ユーモアも交えながら、よいところをうまく見つけ、課題の指摘もネガティブにならないように上手に伝えています。もちろん、授業を見る視点も確かです。私に欠けている部分をたくさん持っておられて、とても参考になりました。

今回はスペシャルプログラムとして、1日目の最後に、T先生、W先生2人の授業名人の模範授業があり、T先生の授業解説をさせていただきました。このお話は明日にでも書きたいと思います。
多くの方の模擬授業を見てそのコメントを聞く、アドバイスをする。また、教材についても深く考えることで、スタッフである私にとっても、とても有意義な2日間でした。

小学校での授業アドバイス(長文)

小学校で若手の授業と中堅の学級活動についてアドバイスさせていただきました。

3年生の国語の授業は「こそあど言葉」の学習場面でした。
授業の最初に練習帳を使って漢字の書き取りをしていました。授業者は子どもたちの間を回って一人ひとり丁寧に○つけをしています。子どもたちは○をもらうととてもうれしそうにしています。最後に「まだ○をもらっていない人」と確認をして全員確実に○をつけるようにしていました。中には○をもらったあとに友だちと自分の○を比較している子がいました。どういうことだろうかと疑問を持っていたのですが、授業者から丁寧に書いている子には2重丸や花丸にするといった区別をしていることを聞きました。だから友だちの評価が気になったのです。2重丸や花丸をつけることは悪いことではないのですが、絶対評価よりも個人内相対評価を意識することをお願いしました。せっかく○をもらっても友だちと比べるよりも、自分の進歩という視点の方がよりよいと思います。また、具体的によかったところを声に出してほめながら○をつけることでまわりの子どももそのこと意識すること、子どもたちがだれないようにできるだけ速くまわることもアドバイスしました。
「こそあど言葉」については、子どもたちに具体物を指し示させることで、これ、あれ、それの区別を意識させ、子どもの言葉から違いを明確にさせようとしていました。いいこと言ったとよい発言をとりあげて、「今○○さんが言ってくれたことを言ってくれる」と他の子どもにつなげていました。とてもよいのですが、1人に聞いて終わっている傾向がありました。大切なことであれば、もっとたくさんに聞いてもいいと思いました。
最後にグループで1人ずつ順番に「こそあど言葉」を使って、これは、あれは、それは○○ですと言う活動をおこないました。教師が問題を指示した後、グループごとに1人が発表しての他の子どもがいいかどうか判断します。進行に手間取るグループもいるので、なかなか教師が次の問題を出すことができません。だれるグループも出てきます。教師が問題を出すのであれば、「はい、何番目の人立って」「問題は・・・だよ」「はい言って」「みんなどうだったか教えてあげて」と一つひとつのフェイズを明確にするのも一つの方法です。隣の子の持っている物を指示する問題で、いくつかのグループが「これ」か「それ」でもめていました。後で聞いたところ、授業者はその原因が伝える相手か誰か明確にしなかったことにあることをちゃんとわかっていました。伝える相手が不明確だと「これ」と「それ」の使い方が混乱するのです。ちゃんと子どもたちのようすから気づいています。子どものから学ぶことができる先生です。
もめているグループがあっても、先ほど説明したようにフェイズを明確にすると、どのグループ同じフェイズなのでスムーズにとりあげて話し合いに入ることができます。この場合、教師の指示の足りなかった部分を子どもに気づかせることで、「こそあど言葉」のポイントをしっかり意識させるといった展開も見えてきます。

3年生の算数の授業は5人の差額を1人分の差額を考えてから計算する場面でした。
子どもへの指示が明確で、できている子をほめていることもあり、子どもたちは素早く行動していました。授業の流れは自力解決、グループで相談、グループの意見を発表というものでした。自力解決のところでは、わからないに挙手させて授業者が教えにいきます。1人にかかわっている間、わからない子は手を挙げ続けて待っているだけです。あとからグループで相談させるのであれば、「わからなければ聞いてもいいよ」と言って、最初からグループの状態にして解かせた方がよいでしょう。また、自力解決にこだわるのであれば、図でどこが1人分かを明確にするなど、見通しを持たせてから進める必要があります。
グループでの相談も、グループで答えを出して発表という形のため、一部の子どもが仕切っていたり、発表する子が1人で作業をしている姿が目につきました。相談しても、結論は個人で考えるようにした方がよいと思います。

1年生の算数の授業は100を超す数を数える場面でした。
子どもたちと授業者の関係がとてもよいので、最後まで子どもたちは集中して話を聞いて参加していました。1年生でこの状態は立派です。子どもの言葉を拾える余裕も出てきて、学級経営もうまくいっているようです。
106を160と間違えた子どもに対して「違ってる」とかなり攻撃的な調子で言う子どもが多いのが気になりました。間違いが悪いことではない、間違いはいいことだと、間違いを許容する雰囲気を教室につくることが大切です。
授業者は間違えた子どもに説明させるのですが、うまく説明できません。そこで、106になる説明を始めるのですが、間違えた子どもを参加させません。先生が説明して、「だから106が正解ですね」で、終わってしまいました。たとえば、「1は何が1、6は何が6」と間違えた子に聞いて、自分で気づかせ、「自分で気づいてえらいね」とほめるようにしてほしいと思いました。

5年生の算数は円周率の導入場面でした。
鉛筆を置くように指示をしても持ったままの子どもがいます。授業者は持っていない子を何人か注意するのですが、まだ持った子がいるのに先に進んでしまいます。注意された子はやってない子がいるのにと不満を持ち、注意されなかった子は聞かなくてもいいと思ってしまいます。結果として、指示を聞かない子どもが次々に入れ替わる、モグラたたき状態になります。この学級の現在の状態がこのような気がします。まず些細なことでも、一つひとつきちんと徹底できるまで待つ必要があります。ここを緩めると授業規律が失われてしまいます。
授業の進め方も疑問が残るものでした。教科書についている円の切り抜きをさせるのですが、指示が不明確なこともあり、必要以上にきりとる子、切り取った後それで遊び続ける子、学級の状態がばらばらです。しかも、教科書の図と同じように円を重ねただけで、この時間はもう使いませんでした。何のために切り抜いたのかわかりません。
デジタル教科書を使っていたのですが、デジタル教科書の空欄になっている部分の意味を理解していませんでした。空欄になっているのはその学級の子どもたちから考えさせて、引き出したいところです。それなのに、発問してすぐに「こうなっているね」とクリックして表示していました。授業者はこの教材をきちんと理解しないままただ作業をさせているだけで、子どもたちが考える場面がありませんでした。
授業者はいろいろと悩んでいることと思います。あれやこれやとやろうとせず、まず基本に立ち返って、一つひとつのことを丁寧にやっていくことが大切だと思います。

6年生の国語は、「海の命」の第1時で読みが中心の場面でした。
音声教材の朗読を聞きながら、わからない言葉をチェックしていました。どの子も集中して教科書を見ながら聞いています。聞き終わってもすぐに体が動かずに余韻を感じているようでした。他の学級で同じような場面を見たのですが、その学級では終わった瞬間に伸びをする子、椅子を動かす子ども、一気にざわつきました。集中して聞かずに手遊びをしていた子どもがそうやって動くのです。ごそごそ動いていても窮屈な思いをしていたのです。集中していないとはそういうことです。
これだけ集中できる子どもたちです、どの子も真剣に楽しそうに授業に参加しています。友だち同士相談するような場面でも、すぐに友だちの方を向いて笑顔で話しています。学級の人間関係がよいことがよくわかります。授業者は、昨年学級経営に苦労していたようですが、ほめることをうまく使って一つひとつの指示を徹底し、子どもたちを受容することで人間関係をつくり、このような学級をつくり上げたのです。余裕があるせいか、授業中の笑顔もたくさん見られます。
今回は次のステップへの課題が見つかる授業でした。わからない言葉を発表させて、授業者が説明するのですが、同じところがわからない子が他にいないか聞きません。わからないところを言うのはそれなりの勇気が必要です。他にもいることで発表者は安心できます。「代表で言ってくれたんだね。ありがとう」と評価してすることにもつなげられます。また、いつも教師が説明するのではなく、子ども同士で調べたり、説明させたりすることもあっていいでしょう。教師と子どもの関係に、子ども同士の関係をプラスするよう移行する時期だと思います。
全体で次々読んだり、ペアで読んだり目先を変えているのですが、それぞれの活動、読みの目標が子どもに明確になっていません。一生懸命読んでいるのですが、どのような力をつけようとしているのか子どもが無自覚では困りますし、自己評価もできません。ペアでは読みの間違いをやさしく指摘する子がいたりとてもよい雰囲気なのですが、受け手の役割が明確でないのも気になります。人間関係がよいので、何をやってもとりあえずうまく学習活動は進みます。そのことに甘えずどのような力をつけるのかしっかり意識することが大切です。

4年生の帰りの会を見せていただきました。
教室に入って感じたのは、子どもたちの表情です。とてもよい笑顔が教室に満ちています。その秘密はすぐにわかった気がしました。
子どもの司会で帰りの会が進むのですが、友だちのよいところ、友だちへの感謝を発表する場面がありました。「消しゴムを落としたら、○○さんが拾ってくれました。ありがとう」と発表して、みんなで拍手するというものです。これが、何人も何人も続くのです。「ありがとうが」たくさん生まれる教室であれば表情もよくなります。最後に担任も発表しました。担任も子どもたちと同じ目線で感謝することは、子どもたちの人間関係をよくする上でとても効果的です。担任の「ありがとう」は、休んだ当番の子どもの代わりに牛乳を運んでくれたというものです。おそらく、担任がそうするように上手に仕向けたのだと思います。子どもたちにこうなってほしいという担任の思いを感じました。
ただ、気になったのが、「ありがとう」を言われる子どもより「ありがとう」を言う側の子どもの表情の方がよいように感じることです。半ばイベント化されて、発表することの方が「ありがとう」を言うことより子どもにとって大切になっているのかもしれません。これでは本末転倒です。まず、その場で「ありがとう」をちゃんと言っているか学級担任が意識して見て、そのことを即時に評価してほしいと思います。発表できることよりもその場で「ありがとう」を言えることの方がもっと大切ですから。

私はふだんアドバイスを個別にすることが多いのですが、この日は授業者全員に集まってもらって一緒に話をしました。互いに見合ってはいませんが、それぞれへのアドバイスを聞くことで、学び合えることが多いと思ったからです。基本的な部分が全員できるようになったこと、相談できるような雰囲気が育ってきたということです。
同僚の課題に対しても自分のことにように考えてくれます。こんなやり方はどうだろう意見も言ってくれます。とてもよい雰囲気で進めることができました。この学校への訪問もあと1回です。私がいなくても若手を中心にこのような時間を持ち続けてほしいと思います。ベテラン、中堅も巻き込んで学校全体が学び合えるように管理職がうまく方向づけてくれることを祈っています。
この日もたくさんのことを学ぶことができました。ありがとうございました。

人間関係のよい学級での授業

昨日は中学校で2年目の先生の授業アドバイスをおこないました。

2年生の英語の比較級、最上級の場面でした。授業者が学級担任をしている学級であったからかもしれませんが、授業者と子ども、子ども同士の人間関係がとてもよいことが印象的でした。授業中最後まで子どもたちは集中を切らしませんでした。全員真剣なまなざしで先生を見ています。
机が男女別々に1列ずつだったのをくっつけてペア学習ができるようにしましたが、そのとき、真剣だった子どもたちの表情がとてもにこやかなものになりました。素早く机をくっつけます。子どもたちの人間関係、男女の関係がとてもよい証拠です。まわりと相談する場面では、笑顔ですぐに子どもたちの顔が近づきます。後で聞いたところ、学年の初めは関係があまりよくなかったのを、1年かけてこの状態にしたそうです。大したものです。

昨年にしたアドバイス、1問3答を忠実に守ってくれていました。たとえ正解が出ても正解と言わずに、3人を指名する。子どもたちは同じことでもそれぞれが自分の言葉で答えてくれました。前の子どもの発言につけ足してくれる子もいます。みんな集中していました。発言に対して、「同じ答えの人手を挙げて」と子どもをつなぐこともできていました。
次の課題は、手が挙がらない子どもにどう発言させるかです。しっかり聞いているのですが、自分からは発言しようとしない子どもが多いのです。正解を言わなければいけない、間違えたくないという気持ちが強いこと。挙手しなければ指名されないので、指名されて間違えるリスクを冒さずしっかり聞いておこうという姿勢です。
よくわかるのが復習の場面です。ノートを見て確認しているのに手が挙がらない。指名された生徒が答えた後、同じ答えの人と聞かれると今度は挙手する。友だちの発言を聞いて思い出したのではなさそうです。その場合は聞いたときの反応が違います。「あっそうか」というように表情が動きます。この学級ではほとんど表情に変化がありませんでした。最初から彼らもわかっていたのだと思います。であれば、1人目は挙手した子を、2人目以降は挙手していない子を指名するという方法が有効です。友だちの答えを聞いて安心すれば、答えやすくなります。こうすることで発言することへの抵抗を減らしていくことができるのです。
まわりと確認させることも有効です。人間関係がよければ、挙手していない子でもしっかりと友だちに確認します。確認し合えれば自信が持てます。その様子を見て、かかわれている子を指名すればいいのです。このとき「どう」とあいまい聞くことで、正解へのプレッシャーを減らす方法もあります。発言してくれなければ、「どんなことを話した」と聞き直すのも手です。

授業者は子どもたち全員にしっかりと声を出させることを大切にしていました。そのために、黒板に文を示してから練習をする場面が多くありました。確かに板書を見ることで発声しやすくなります。しかし、子どもたちは板書を頼っているので負荷がかかっていません。定着させるためにはある程度の負荷も必要です。このことを感じたのが次の場面でした。
大切な文を覚えさせるのに、何度も読んでから、板書を見ずに声に出しながらノートに書くということをさせていました。わからなければ黒板を見ていい。どのくらい顔があがるかで定着度もわかるとてもよいやり方です。ところが、スペルミスではなく、the とか of とか、単語が落ちてしまう子がいるのです。これは何度も発声しているのに文が頭に入っていないということです。板書に頼らない発声練習を工夫する必要があると思います。

また、子どもたちが集中して聞いてくれるので、教師の日本語での説明が増えているようにも感じました。教師がわからせようとするのではなく、子どもたちが自分で気づく、わかるような活動を工夫するとよいことを今回の教材をもとに具体的にアドバイスしました。

とはいえ、2年目の教師に対するアドバイスとしてはかなり高度なものです。基礎となる人間関係をしっかり作れているからこそ、このようなアドバイスができるのです。この1年でとても進歩しているということです。素直で前向きな授業者ですので、また1年後には大きく成長した姿を見せてくれることと思います。私のちょっとしたアドバイスを自分のものにしてうまく活用してくれるのを見ると、とてもうれしいものです。私も授業者からたくさんの元気をもらいました。ありがとうございました。

自力で授業技術を磨く

昨日は中学校の音楽の授業アドバイスをおこないました。講師経験が3年ある初任者です。言語活動を意識した合唱の授業でした。

笑顔の素敵な明るいキャラクターで、子どもとの人間関係もとても良好です。終始高めのテンションでしたが、子どもたちはよく集中していました。子どもたちの発言をよく受容し、同じ考えの子どもに挙手させる、話し合いの後の問いかけは「どんな話をした」と子どもが発言しやすいように気を使う。子どものあいまいな発言を聞き返すことで明確にしていくこともできます。また、教師の問いとずれた発言もしっかり受け止めた上で、上手に本来の発問に戻します。子どものつぶやきもうまく拾います。若手とは思えないほど、いろいろな授業技術を持っています。
聞けば、ふだんからよく子どもをほめ、子どもの振り返りに対しても、必ずポジティブなコメントを全員に書くなど子どもとの関係づくりを意識しています。授業がよい雰囲気なのもうなずけます。

しかし、授業の流れとこの授業技術の間に何か違和感があるのです。これだけ子どもを活かそうとしているのに、最初の数分間は先生の説明ばかりで、子どもの発言はありません。問いかけをしてもほとんど間をとらずに次に進んでいきます。
録音した自分たちの合唱を聞いて自己評価する場面では、子どもの発言をきちんと評価しほめているのですが、復習の場面では評価が薄いと感じることもあります。これだけ人間関係ができていれば、言葉ではなく表情やうなずくだけでもよいのですが、どうもそうではなさそうです。
子どもに「相談して」と言って子どもが動きだすと、すぐにピアノでヒントをだす。ヒントが終わるとすぐに指名して答えさせる。時間がなかったのかもしれませんが、かなり無理があります。
また、子どもからいろいろ意見を引き出すのですが、具体的にどう表現して歌うかについては授業者が説明します。子どもの発言への切り返しも、やや誘導的です。子どもたちはこの先生のことが好きなので、先生の意図するところを汲み取って答えようとしています。
最後に子どもたちが話し合ったことを意識して歌ったのですが、明らかによくなっていました。しかし、それは子どもたちが話し合ったことが生きたのか、授業者が最初のときと違って、指揮をしながらたくさん指示をしたからなのか、私にはよくわかりませんでした。話し合いをしなくてもこれだけ教師のかかわり方に差があれば大きく変わると思えるからです。

いろいろな疑問を持ったまま、授業者へのアドバイスが始まりました。
最初に、彼女のキャラについて素ですかと聞きました。答は「作っています」でした。大したものです。本人いわくもっと暗いそうですが、授業中は意図的に子どもたちに好かれるようなキャラクターを演じていたのです。であれば、間をとるなり、テンションを意図的に下げることは意識してできるはずです。要は何が大切かを意識すればいいのです。
次に一番気になった疑問を聞きました。受容の仕方、切り返し、つなぎ方などの授業技術をどうやって身につけたかということです。これもびっくりしました。彼女は講師時代からこの学校にいるのですが、私が先生方に以前全体で話したこととまわりの教師からの情報だけで身につけていったのです。この学校では、個別のアドバイスが中心で、全体への話はこの2年ほどは全くしていません。また、彼女にアドバイスをするのはこれが初めてです。これで多くの疑問が解けました。授業技術を一人で磨くことで、場面場面で使う技術は身についているのですが、授業構想や流れについては学びきれていなかったのです。全体構想の中でこの場面は何を大切にする。だから、こういう活動をする。その活動をうまく進めるためにこの技術を使う。こうではなく、場面ごとに使える技術を使っていたというわけです。だからといって彼女を責めるわけではありません。それどころ、よく自力でここまでの力をつけたと感心しました。ただ、バランスが悪かっただけなのです。今回を機に、きっと授業全体の流れやポイントと授業技術の関係を意識してくれることと思います。

管理職の先生から、私が個別にアドバイスしていることも、情報として先生方に伝わるよにしていることをうかがいました。先生同士でも学び合っているようです。アドバイスを学校としてどう活かすかをしっかりと考えていただけていることをとてもうれしく思うと同時に、その責任の重さをあらためて感じました。また、今回の授業者のように間接的な情報でもしっかりと力をつけてくれる方がいることはとても新鮮な驚きでした。学ぶ気持ちがあればどのような環境でも人は進歩するということを教えていただけました。今回もよい勉強をさせていただきました。

校長会の評議員会で講演

昨日は校長会の評議員会で「学校を変えるのは校長!?」という題で講演をさせていただきました。

顔見知りの校長がたくさんいる中での講演でしたので、やりにくいと感じていたのですが、その方たちがとてもよく反応してくださったので、気持ちよく進めさせていただきました。

伝えたかったのは、

「学校を変えるのは校長の仕事であること」
で、

「変えるためには、校長が具体的なビジョンを示すこと」
「その目指す姿を実現するための方策を具体化すること」

が求められ、そのためには、

「校長が学校の実態をよく知ること」
「それをもとに、課題と目指す姿を考えること」
「そのゴールに向かうアプローチを考えること」

が必要であり、

「それを教職員に共有化し、動かすかための仕組みをつくること」
「動いた結果を評価し、教職員のやる気を持続させること」

が実現の条件であり、校長には、

「アドバイス力、コメント力を磨くこと」

が求められるということです。

新しいこと始めればどうしても仕事が増え教職員の多忙感につながります。おまけとして、他の会で話した(多忙感の解消について講演参照)多忙感の解消について駈け足でお話しました。

ついいろいろなエピソードを話しすぎたため時間を延長してしまい、ご迷惑をかけてしまいました。話も散漫になって伝えたいことがちゃんと伝わったか自信がもてません。反省です。にもかかわらず、最後まで熱心に話を聞いていただきとてもうれしく思いました。
何人かの校長と久しぶりお会いすることができました。少ししかお話はできませんでしたが、昔と変わらぬやる気いっぱいの姿に私も元気をいただきました。とても楽しい時間を過ごすことができました。このような機会をいただけたことに感謝です。
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31