新任の授業アドバイス

昨日は中学校で社会科の新任の授業アドバイスをおこなってきました。

日本の農業の特色を考える授業でした。
「三大穀物はどこで作られる」という発問で子どもにワークシートを埋めさせましたが、「どこ」は何を意味しているのか明確にはされていません。意図的なのかどうかが興味のあるところでした。ワークシートの資料の国別のシェアを見て、上位の国名を書く子と教科書を見てアジアなどの地域名を書く子に分かれました。資料集を見ている子はほとんどいませんでした。子どもの発表は当然その2つに分かれます。授業者は出てきた地域名と国名を板書します。「米」に対するアジアという発言に対しては「もう少し詳しく」とすぐに問いかけますが、国名で書いた子どもは板書を写すことに専念し、この発問に対しては反応しません。子どもは単に作業をするだけで深く考えようとしていません。それより、板書をもとにワークシートの穴を埋めることに専念していたのでした。
結局、資料や教科書から抜き出した答を発表し、その確認をするだけで終わってしまいました。「どこ」に対しては「暑いところ」や「米を食べるところ」といった答だってあるはずですが、そういう広がりは一切ありませんでした。資料から読み取ったことを元に考えるということがないのです。とりあえず答を見つければそれでよいという姿勢です。
ここでは世界の農業の特色を押さえることで、日本の農業の特色を比較して考えさせることにつなげることがねらいですが、結局、規模や消費地と産地の関係といったことは全く何も押さえられていませんでした。この後の発問も互いにつながらない、細切れの知識を与える授業になっていました。

授業後、どんな社会科の授業を目指しているのかとたずねたところ、「社会生活のために必要なことを考え身につける」といった答が返ってきました。なかなかよい視点です。しかし、実際の授業は、教科書や指導書に書かれたこと、試験に出すことを提示、説明するだけに追われています。子どもに話し合いをさせても、その考えを聞いたり、互いにかかわり高めあうための時間をとったり働きかけはせずに、教師が答えを言って終わっています。考えることはほとんどない授業になっているのです。自分の授業が目指しているものと程遠いことは本人も感じています。しかし、そのギャップの大きさにどうすればいいかがわからず、流されている状態でした。
一度の授業で急に考えることができるようになるわけではありません。子どもたちをどのように育てていくのか、目指すところと現実の間のステップを細かく意識することが大切です。資料の探し方や見方を身につける、資料をもとに考えを深める、・・・。一つひとつ時間をかけて育てていくのです。そのためには授業と授業がつながっていく必要があります。今日学んだことを次の授業に活かす。こういう育てるという発想がないことが問題だったのです。
また、発問も教師が求める答えが出やすいように考えています。そうではなく、子どもが考えるにはどう問いかければいいのか考えることが大切です。
たとえば「レタスの産地ごとの出荷時期の違い」を問うのではなく、「君たちがレタス農家だったらいつ出荷できるようにつくる?」とするのです。
最終的に同じところにたどり着くかもしれませんが、子どもたちが考える内容は明らかに違います。自分で考えたことが正しいかどうかを資料で確認しようとすれば、その見方はただ答を探すのとは明らかに違います。こういう経験を積むことで考える力がついてくるのです。

まだ、教壇に立って1年にも満たない若者です。これを機会に自分が目指している授業を思い出し、少しずつそのギャップを埋めようしてくれればと思います。経験が少ないからこそ変わることも容易なはずです。これからの成長がとても楽しみです。

ICT活用授業のビデオで勉強会

日曜日に愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムでの算数の提案授業(多くの人と共有したい授業参照)の勉強会に参加しました。

休みにもかかわらずたくさんの先生が参加されました。この地区の先生方の熱心さがうかがわれます。ビデオを見ながら主にICT活用に関することと子どもの言葉の活かし方について話をしました。
ICTを活用することで子どもたちが自然に授業に集中していました。大人から見ればICTでこんなこともできるのだと感動するところも、子どもたちにとっては実物を扱うのと同じなのか、とても自然に受け止めていました。
この授業でのICTのよさは、無駄な時間をなくすことでテンポよく進み子どもたちの集中力が切れない、思考の過程を見える化することで考え方の共有をはかれる、この2点がありました。フォーラムで多くの方にこのことを実感していただきたいと思います。
しかし、ICTの活用以上に盛り上がったのは子どもの言葉をどう受けるか、活かすかということについてです。子どもからの予想しなかった発言や誤答に対して即時に適切な対応することは難しいことです。授業者にその時の気持ちを振り返っていただきながら、どんな切り返しやつなぎ方をすればよかったのかを考えました。
一つの視点として出てきたのが、間違えたところではなく、あっているところに焦点を当てることです。
三角形の仲間分けの条件はよいのですが、分けた三角形の中にその条件に当てはまらないものがまぎれている発表がありました。授業者はその間違えた三角形に焦点を当てたため、結局その仲間分けの条件が否定されてしまいました。そうではなく、その条件に焦点を合わせて、この条件を満たす三角形はこれで全部か、選んだものは過不足がないかと問い進めていけば、自然に正しい仲間分けにたどり着けたと思います。このような対応ができなかったことを責めることはできません。もし私が授業者であったらそのような切り返しができたという自信はありません。この授業を見てはじめて学べたことなのです。

この日はたくさんの学びができたのですが、それは子どもたちが集中力を切らさず授業に参加し積極的に発言をしてくれたおかげです。そのことにICTは大いに貢献していたと思います。素敵な授業とたくさんの熱心な先生方のおかげで充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

多忙感の解消について講演

校長会で教師の多忙感の解消について講演する機会をいただきました。私自身このテーマでまとまったお話をしたことがなかったので、講演に向けていろいろと考え整理することで大変勉強になりました。

多忙ではなく、多忙感がポイントです。多忙自体が単純に問題ではないのです。過度の多忙は問題ですが、なすべき仕事で忙しいということは充実した時間です。しかし、意味がないと感じる仕事で忙しければ、それは多忙感につながっていきます。問題は、やっている仕事に価値を見いだせるかどうかなのです。したがって、多忙感の解消には一つひとつの仕事の価値を明確にし、仕事の結果がきちんと評価されることがとても大切になります。自分の仕事に意味を見いだせれば、多忙感は充実感に変わっていくのです。

気をつけなければならないのは、仕事を命じた側が考える価値と命じられた側が感じる価値がずれることです。命じた側は価値があると思っている仕事でも命じられた側がこんなことをやっても意味がないと考えれば、徒労感、多忙感につながっていきます。仕事の意味、価値をきちんと共有しておくことが大切です。
また、仕事の評価を具体的にすることも大切です。「ありがとう」「お疲れさま」とただ言うだけでなく、具体的にどこがどのようによかったと評価することで、仕事を与えられた側は自己有用感を持てます。

もう一つ気をつけたいのが、突発事項に対応する組織の体制や雰囲気です。予定外の仕事が入ってきたとき担当者に対するサポートがあるかどうかが多忙感に大きく影響します。
たとえば、生活指導の問題が発生した時、担当者はその対応に追われます。このとき、直接の担当者でない人も一緒に事にあたったり、サポートしたりする雰囲気や体制があれば、担当者は多忙ではあるが精神的には救われます。逆に、これは自分の仕事ではないとまわりが知らん顔をすれば、自分ばかりがなぜと多忙感が増します。組織として助け合えるような仕組みを作る、お互いが助け合う雰囲気を作る、やり方はいろいろあると思いますが、担当者を孤独にしないことが大切です。

私自身、こうすれば多忙感を解消できるという明確な答を持っている訳ではありません。校長のお役に立てる話ができたかどうかはわかりませんが、学校経営を考える何かのヒントになれば幸いです。私自身が勉強するよい機会をいただけたことに感謝です。

研究会で刺激を受ける

愛される学校づくり研究会に参加しました。今回は、後藤教育研究所の後藤真一さんの教師の気づきと共有のキーワードについての話と会員による学校の見える化についての提案と討議でした。

後藤さんは教師へのビアリングや評価の記述などの言葉を統計的に分析することで、教師の教育活動に関する知見を得ようと活動されています。今回は子どもたちのようすをどのようにして気づいているかとその共有について、2つの中学校の教師へのヒアリングの分析をもとに話していただきました。
客観的なデータをもとに考えるというのは学問の基本です。教育の分野ではそれがなかなか難しく、どうしても主観的、感覚的な話になりがちです。私に欠けているところでもあります。教師の発する言葉を分析して考えるということは参加した先生方にもとても新鮮なものであったと思います。
2校のデータには明らかに異なった傾向がありました。その理由は学校の置かれている状況にあるように思われます。よく言われる、学校が苦しいときほど共有しようとする意識が高まることがデータにも現れているように感じました。ふだん持っていない視点に出会い、とてもよい刺激をいただきました。

この研究会のテーマでもある学校の見える化についての皆さんの多彩なレポートを見て、実にいろいろなアプローチがあることにあらためて気づかされました。グループで討議したあとは、会長からの提案で急遽パネルディスカッションをおこなうことになりました。役者ぞろいの会ですのでとても楽しいものになりました。
そこでは、学校の見える化をどう捉えるかが話題になりました。ただ何かを可視化するというのではなく、見える化することで学校がよくなることにつながることが大切だと私は思います。学校の何が改善されるかということを念頭に置き、そのことをチェックして初めて見えるかが意味を持つのだと思います。
また、見える化にかかるコストのことも話題になりました。コストに関連してコストの負担者と受益者の一致、不一致も問題であると考えました。見える化の担当者がその価値をきちんと理解していなかったり、また担当者として評価されなかったりすると見える化へのエネルギーは下がってしまうと思います。見える化を継続的に進めるための大切な要素ではないでしょうか。

この日も、たくさんの刺激を受け、今まで気づかなかったことについて考えるきっかけをいただきました。後藤さん、研究会の会員のみなさんありがとうございました。

研修での個の学びが学校に広がる

中堅の先生を対象にした、市の授業力アップの研修会でコーディネータを務めました。年3回の最終回です。夏におこなった模擬授業による小学校2年生国語の指導案の検討(模擬授業から学ぶ参照)を受けての授業研究です。

模擬授業のあと授業者はずいぶん悩んだようでしたが、ふだんやっている授業の流れで進めることにしたようでした。子どもたちはとても落ち着いていて、友だちの言葉を聞こうとする姿勢ができていました。ほとんどの子どもが発表者の方に体を向けて聞いています。
教科書の本文が抜き出されたワークシートに、わかったこと、疑問、思ったこと、登場人物の気持ちをその箇所に線を引いて書きだす作業をしましたが、素早く鉛筆を持って真剣に取り組んでいました。日ごろから鍛えられているのでしょう、どの子もしっかりと書いていました。授業者が、今日はみんなが書いてくれた疑問をもとに話し合うことを告げた時、子どもたちはとても面白い反応をしてくれました。「えー」「書いてない」と何人もの子どもがつぶやいたのです。この場面に限らずこの学級の子どもたちは、「ああ」「そういうこと」といった同意や「えー」「違う」といった否定やブーイングといろいろな反応をしてくれます。否定も相手を攻撃するようなものではないので、それほど気にはなりません。なにより安心して反応できるという雰囲気が学級にあります。それは授業者が基本的に子どもたちのつぶやきをよく拾っていること、肯定的にとらえていることの表れだと思います。話し合いの進め方にブーイングが出たのは、実は子どもたちが積極的に授業に参加している証です。挙手して発言したいからこそ、疑問を書いていない子どもは参加できないと訴えたのです。
授業は子どもたちの疑問が教師のねらっているところとずれていたためなかなか焦点化できませんでした。子どもたちの言葉を活かそうとしていたのですが、最後は「先生の疑問」を出して、焦点化することになってしまいました。その前後から挙手・発言する子どもが固定されてきて、多くの子どもたちの集中力が落ちてしまいました。
子どもたちのブーイングもそうですが、どうも意見のある子どもだけが活躍する傾向があることに原因がありそうです。友だちの発言を聞いてそれをもとに考えたことを発表させようとはするのですが、すぐに挙手させればその時点で考えを持っていた子どもしか参加できません。考える時間を少し与えるだけで大きく変わっていくはずです。「ちょっと考えてみて」「まわりの子と話してみて」といった時間をつくるとよいでしょう。
また、今回の授業では「疑問」とすぐに発言を制限するのではなく、どこに線を引いたかまず挙手で確認して、それから進め方を決めるという考え方もあります。たくさん線を引かれた部分について意見を聞く、逆にほとんど線を引いていないところをとりあげる。子どもたちの実態をある程度把握することで流れをコントロールできます。
間違った読み取りをした子どもに対して、修正する意見を発表させる場面がありました。そのとき、ほとんどの子どもがハンドサインで賛成を表明しました。間違った子どもはしばらく手が挙がりませんでしが、大勢が決した後、ようやく賛成のサインを弱々しく挙げました。その後しばらくは、その子どもの顔は上がりませんでした。こういった場面では、ハンドサインは圧力につながることがあります。すぐにハンドサインを使うのではなく、間違えた子どもに今の意見を聞いてどう思うかたずねてあげることが必要です。本人が納得すれば、人の意見を聞いて考えを変えたことをほめる、いい意見だと修正した子どもをほめる。こうすることで間違えることへの抵抗感も薄くなり、子どもたちの人間関係もよくなります。
子どもたちが真剣に授業に取り組んでくれるので、たくさんのことに気づくことができました。

検討会では、参加者のレベルの高さが印象に残りました。どのグループでの話し合いも授業のポイントがよく押さえられていました。この研修は何年も続いています。今まで参加された先生方がきちんと学校に戻って研修で学んだことを伝え合っているのでしょう。授業を見る視点や検討会での発言が年々レベルアップしているように感じます。研修が個人にとどまらず学校や市で共有されていることに感心させられます。この日の学びも参加された先生方の学校にきっと広がっていくことと思います。
個の学びが全体に広がり、それがまた個に還元されていく。市としての研修の一つのあり方として参考になるのではないでしょうか。手ごたえのある研修で、とても充実した時間を過ごすことができました。先生方ありがとうございました。

若手の急激な成長に驚く

昨日は小学校で、若手への授業アドバイスと授業研究のコーディネートをしてきました。

1年生の音楽の授業では、子どもたちが指示に対して素早く動けるようになっていることを感じました。後で聞いてみると、前回のアドバイスをもとに後片付けなどを指示した時に、ストップウォッチで時間を測り、子どもたちの進歩をほめるようにしたようです。素直に挑戦する姿勢はとても素晴らしいと思います。子どもたちの動きがよくなることで、先生にも余裕も出てきたようで、授業中の笑顔もずいぶん増えてきたようです。教師がよい笑顔を見せていると子どももよい表情を見せてくれます。先生と一緒に全員でリズムを取る場面では、みんなとてもよい表情で参加していました。

3年生の担任の授業では、教室で子どもたちの姿を見た瞬間に、以前との雰囲気の違いを強く感じました。もともと子どもたちとの関係はよかったのですが、集中度が違うのです。指示に対する動きもよくなっています。一つひとつの場面での精度があがっている感じです。何が違うのかを観察してみると、指示を出した後や子どもの活動場面などで、先生が一人ひとりをきちんと見ているのです。そのため、全員がそろうまで待てたり、できていない子どもへの指導が行き届いているのです。
また、黒板に答を書いた子どもが後から気づいて直そうとした時に、他の子どもがいまさら直すのはダメだと非難しました。先生は、非難した子を叱ったり、直していいよと言ったりせずに、間違いに気づいて直すのはとてもいいことですと評価しました。このように、よい行動を価値づけすることで、子どもたちの中によい価値観が育っていきます。
この先生の急激な成長に驚きました。聞けば、TTで入っている教頭が、子どもたち一人ひとりを見ることの大切さを言い続けていたそうです。こうした働きかけがとても大切であることを実感しました。

4年生の算数の授業では、子どもたちの素直な反応が印象的でした。わかるときは元気に手を挙げてくれますし、わからないときは手が挙がりません。当り前のことかもしれませんが、子どもたちが素直に反応できるのは、教師との人間関係ができている証拠です。手が挙がらないことで、説明がきちんとわかっていない、混乱しているといったことがよくわかります。そのことが結果として全員がわかる授業へとつながっていきます。
授業者は教科書をしっかり読みこんでのぞんでいたのですが、もう1歩及ばなかったようです。小数×整数の筆算の手順で、最後に「小数点をうつ」という記述があります。授業者はこの説明で、小数点を下におろすと言いました。確かにそれでよさそうなのですが、このあと習う小数×小数では、これは通用しません。そのことを考えると、ここは「小数点はどこにうてばいい」とその理由を考えさせることが大切になります。別の考え方が教科書に載っているのも、そのためです。過去の学習内容と、この後の学習内容とを合わせて考えることで、教科書はよりよく理解できるのです。このことを伝えました。

5年生の担任の先生は、中学校から小学校に異動して、その差をうまく自分の中で解消できずに悩んでいました。小学校から中学校への異動でも似たようなことがよくありますが、ここを乗り切ることが大きな成長につながります。産みの苦しみのようなものです。
この先生とはじっくり話を聞きながら、自分のスタイルを捨てるのではなく、欠けているものを足すことをヒントとして示しました。うまくいかないと余裕がなくなり笑顔も減っていきます。一度にいろいろなことをしようとせずに、気がついたときに「笑顔をつくる」ことを意識するくらいでよいとアドバイスをしました。

6年生の国語の授業は、以前と比べて子どもの集中度がずいぶん上がっていました。先生の指示も明確で、子どもたちを受容することもできています。若干集中力がとぎれてしまう子に対して、どのように接していくかが今後の課題です。子どもの状態がよくなったとき、この程度でよいと思うのか、何とか全員と思うのかが分かれ道です。ここでもうひと踏ん張りできれば、全員が集中した授業ができるようになります。ここまで頑張ってきてくれたので、きっと100%を目指して工夫をしてくれることと思います。

授業研究は3年生の理科の実験でした。この授業者も若い先生ですが、子どもたちの聞く姿勢がとてもよいのが印象的でした。
実験の予想を発表する場面で、友だちの意見に対してほとんどの子どもが賛成のハンドサインを出します。しかし授業者はそこで、先ほどの意見の内容を確認しました。挙手したのは一人だけでした。挙手した子にもう一度発表させることで、こんどは本当に集中して聞いていました。ハンドサインを形式的にせずに、きちんと聞くことを求め、聞いていたことを評価することで、聞く姿勢がつくられてきているのだと感じました。
また、理科の実験では、実験方法の説明が一方的でくどくなり、時間が取られてしまうことがよくあります。授業者は実物による簡単な説明の後、「練習しよう」と実験ができる状態に机を動かし、子どもを活動させることで受け身の時間を減らしました。そのあと、全体でポイントを確認しました。先生がくどく説明するのではなく、子どもに言わせることで、きちんと覚えていなかった子どもも再確認できます。実験はどの班も戸惑うことなくとてもスムーズに進みました。

検討会では、担任を縦割りにして日ごろ関係が薄い先生同士がグループになって話し合えるようにお願いしました。ベテランと若手が顔を寄せ合い、とてもよい雰囲気で進みました。やはり、多くのグループで子どもたちの聞く姿勢のよさや、指示がきちんと通っていることが話題となったようです。そこで、子どもたちのようすと教師のかかわりについて、私の方から少しまとめてお話をさせていただきました。

この学校への訪問は5回目で、授業を見るのは4回目です。正直、急激に授業が変わることは期待していませんでした。しかし、この1月で若い先生方の授業と子どもたちのようすが本当によい方向に変わっていました。一人ひとりが授業に真剣に向き合い、できることを一つひとつ積み重ねてきたのでしょう。校長をはじめとする管理職や主任のバックアップもあったに違いありません。若い教師が伸びる雰囲気ができつつあります。若い教師が伸びてくることはベテランや中堅の先生方にとってもよい刺激です。授業研究を通じてこのよい流れが広がっていくことを期待しています。
3学期に後2回訪問する予定です。若手だけでなく、ベテランや中堅にどんな変化が起きるのか楽しみです。
若い教師の成長にたくさんの元気をいただいた1日でした。

「愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京」の打ち合わせ

昨日は、来年2月25日(土)に東京品川で開催予定の「愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京」の打合せをおこないました。

プログラムの詳細も決まり、年内には申込みも始まる予定です。

午前中は「学校のお荷物を切り札に」と題して、学校ホームページと学校評価について、何と10人のパネラーが意見をたたかわせます。ここで重要になるのは、パネラーの座席です。会場に2段並ぶどこにだれを置くかでおもしろさは変わってきます。どんな進め方をするか司会者の思惑も影響します。誰と誰が対立するかなどと予想しながら司会者、スタッフと相談しました。完成した原案を見ているだけで、私は「おもしろそう」とワクワクしますが、司会者はどう取りまわすか、プレッシャーがかかっていることと思います。スクリーンに何を写すかなど仕込みについてもかなり詰めることができました。

午後は「授業名人(野口芳宏、有田和正、志水廣)が語る!斬る!ICT活用」と題して、ベテラン・中堅のアドバイザーのバックアップのもと、若手がICTを活用して挑戦した名人の授業実践の追試を本人に評価してもらいます。この日記でも取り上げていますが、算数、社会の授業は終わり、国語も着々と準備が進行中です。若手がどれだけ名人に近づけるか、ICTはその武器となるのか、名人はICTをどう評価するのか。見どころはたくさんあります。
そして、最後に名人とこの企画の仕掛け人たちとのパネルディスカッションです。コーディネータは玉川大学教職大学院教授の堀田龍也先生。このセッションは、スタッフは余計なことを考えず堀田先生に完全にお任せ。どう料理されるかを楽しみにしましょう。

パンフレットの企画もほぼ固まり、あとはいつも素敵なレイアウト見せてくれるYさんにバトンタッチ。年内には愛される学校づくり研究会のホームページで詳細をお知らせできると思います。

興味のある方はちゃんと予定を入れておいてくださいね。

子どもたちの姿の変化に戸惑う

昨日は中学校で道徳の授業研究への参加と授業アドバイスをおこないました。

午前中は主に若手の先生と一緒に子どもたちの様子を観察しました。定期試験が近いせいか、先生主導で説明をしている授業が目立ちました。その時の子どもたちの様子が、ちょっと気になりました。
友だちの発言を聞かずに板書を写しているが、教師が解説し始めると聞く。それでもまだ写している生徒もいます。また、話を聞いていた生徒も、教師が板書を始めると話を聞かずに写し始めます。話をしながら板書することも問題ですが、それよりも子どもたちが、効率よく結果だけ求めようとする消費者的な行動をとっていることの方が問題です。この学校では、このような傾向はずいぶん減っていたと感じていましたが、今回はかなり目立ったのです。これが試験前の一過性のことなのか、恒常的になってきているのか今後しっかり見ていく必要がありそうです。

一緒に回った先生方からいくつか悩みの相談を受けました。その中に、行事等で一部の生徒が協力しないのだが、なかなかうまく指導できないというものがありました。
話を聞いてみると、ほとんどの子どもは協力的で一生懸命やっています。しかし、教師は100%を望むあまり、できていない子を何とかしようとして、ついつい叱ってしまったり、彼らに訴えかけようとします。どうやらこの先生もそのような対応をしていたようです。ところが、そうすると「悪いのは彼らだ」と他の子どもたちも彼らに悪感情を持ってきます。かえって子ども同士の関係を悪くすることにもなりかねません。子どもたちは教師の難しい顔や怒った顔を見たいとは思いません。できるだけ笑顔で指導できる方法を考えることが大切です。まずは、しっかりできている子どもをほめ、その上でこうなるともっとよくなるという次の目標を与えていきます。その目標達成のためには、一人ひとりがどうすればよいかを考えさせます。子どもには波があります。非協力的な子どもも、時には積極的な姿勢を見せます。その瞬間をとらえ、ほめることで少しずつ変わっていきます。このようなことをアドバイスさせていただきました。

道徳の授業研究は、学級の雰囲気のよさが伝わるものでした。子どもたちは真剣に授業に参加してくれているので、教師側の問題が非常によく見えてきます。この授業では教師が自分の価値観に誘導しようとしすぎてしまい、多くの子どもたちが建前で話をして、自分の問題としてとらえることができませんでした。
検討会では、道徳の授業としてどうあるべきかについて、よい意見が先生方からたくさん出てきました。また、この学校の道徳の指導をされている外部の先生からは、この授業もとに、道徳の授業のポイントを明確にお話しいただけました。多くの学びのあった授業研究でした。
しかし、一点気になることがありました。この学校の最近の授業検討会で子どもの固有名詞が聞かれなくなったことです。一人まったく自分の考えを書いていない子がいました。気づかれている先生もたくさんいたはずです。しかし、検討会では話題になりませんでした。校内をまわっていて、学級の雰囲気は悪くないのですが、今までほとんど目にしなかった授業に参加できない子どもが1人2人と増えてきています。このことと無関係ではないような気がします。
学級の雰囲気がよくても、全員が授業に参加できないことはあります。ここで一人くらいは仕方がないと思うのか、この一人を大切にするのかは大きな分かれ目です。

この学校にかかわって2年半が過ぎきました。これまで来るたびに子どものよい姿をたくさん見せてもらいましたが、転機が来ようとしているのかもしれません。次回訪問時は心して子どもたちの姿を見ようと思います。

指示を通す

先週末は、中学校で授業アドバイスをおこないました。小学校から異動して1年目の理科の先生です。

やさしい話し方から小学校の経験者であることが伝わってきます。鉛筆を置くように言った後、3、2、1とカウントダウンをするなど、指示を徹底させようと意識しているのがよくわかります。しかし、カウントダウンを終了してもまだ鉛筆を置いていない子どもがいるのに話し始めてしまいます。
この日は火を使う実験なので、実験の説明も丁寧にしようと心がけています。しかし、いざ実験を始めるときちんと理解していない班がたくさんいます。先生は各班をまわりながら、質問に答えているので全体のようすが見えていません。なかにはガスバーナーの火をつけっぱなしにしながら、全員がワークシートに書きこみをしている班もありました。

この点について授業後話をしました。授業者は徹底できていないことを自分でもよくわかっているようでした。なかなか徹底できないが、待っていると時間がなくなる。そんな悩みを持っていたようです。徹底させるというと、厳しく指導するイメージがあります。そうではなく、できたことを一つずつほめて認めていけば子どもたちは、喜んで指示に従います。また、丁寧に説明しようとすると教師が話している時間はどんどん長くなります。受け身の時間が増えるので集中力がなくなり、逆効果です。できるだけ説明は短くし、きちんと理解できているか子どもたちに確認する時間を取ることが大切です。
説明の順番にも注意を払う必要があります。授業者は実験の説明の途中で、実験中はにおいがするので、窓際の生徒に実験を始める前に窓を開けるよう指示しました。しかし、そのあと実験の説明を続けたので、忘れてしまう生徒もでてきます。授業者は、それに気づき自分で窓を開けました。この指示は、説明の最後にするべきでした。そうすればきちんと窓を開けてくれます。また、たとえ忘れても授業者が窓を開けることをせず、生徒に気づかせ、窓を開けさせたあとに「ありがとう」の一言を言えばよかったのです。

小学校の経験者が中学校に異動して戸惑う姿をよく見ます。小学校のやり方が通用しないと感じたり、そう思い込んでいる方が多いようです。実はそうではないのです。小学校でも、中学校でも同じやり方がちゃんと通用します。うまくいかないのは実は、小学校でもきちんとできていなかったことに気づいていなかっただけなのです。指示は全員できるまできちんと確認する。できなかったことを注意するのではなく、できたことをほめる。こういう原則は同じなのです。ただ小学校では教師の力関係が相対的に強いので、何とかなっているように見えているだけなのです。
授業における一つひとつの指示や活動を全員ができるように徹底するには、具体的にどのようなことを意識すればいいのかを一緒に考えてみました。授業者も実はよくわかっていたように思います。ただ、子どもたちの違いに戸惑い、忘れてしまっていたようです。少しずつ思い出しながら、子どもたちと接していけば、きっといい方向に動き出すと思います。次に授業を見る機会が楽しみです。

パネルディスカッションでコーディネータ

昨日は中学校の研究発表会で、パネルディスカッションのコーディネータを務めさせていただきました。町内に2校あった中学校を統合して4年目、研究指定を受けて2年目です。統合にあたっては教科センター方式や縦割りによるブロック活動など新しい試みをたくさんしています。また、それ故に試行錯誤で苦労している面もたくさんありました。私がかかわるようになって2年目ですが、よい方向への変化が点として表れてきたと感じています。

パネラーは、管理職ではなく研究主任と研究にかかわる3つの部会の部長、今年度から研究のお手伝いをいただいている大学客員教授のS先生の5名にお願いしました。簡単な流れだけを決めて、話の内容についてはぶっつけ本番です。予定調和の全くない中で、どこに着地するかは私の責任です。講演するときよりもかえって観客の反応が気になります。
校内の先生方には、まず、今までの取り組みについて簡単に説明をしていただきました。形式的なものでなく、うまくいかないことや疑問に感じたことなどなんでも本音で話すようにお願いしました。新しい学校であるが故の苦労と思いが多く語られたので、それだけでなく、私の目に見えてきた成果について、観客席にいる先生からコメントをいただきました。その上で多くの学校を変えてこられたS先生に、この学校の現在の状態の評価と何が学校をよくしていくポイントなのかをお話しいただきました。
そこで語られた、「この学校は、目指す方向、目指す子どもの姿がいま共有できたところだ」ということについて、研究主任のコメントをもらい、校内のパネラー全員に明日からどうしていきたいか話していただきました。皆さんの強い思いを校内の先生も外部の方もしっかりと受け止めていることが壇上から見てとれました。
最後に、S先生にこの先学校がよくなっていくためのアドバイスをいただきました。「一つひとつの授業研究を単発のものにするのではなく、そこで出てきた課題を次の授業者が引き継いでいく、つながるものにしていくことが大切である」というお話は、この学校だけでなく、参加された学校関係者の方にとっても心したいことでした。

学校がよくなっていく過程はそれぞれで異なります。すぐに目に見えるようになる部分もあれば、なかなか見え難い部分もあります。研究の報告書や紀要、1時間の授業を見ただけでは見えないこの学校の事実をできるだけ明らかにして、校内、校外、学校関係者、一般、参加されたすべての方にとって得るものがあることを目指しましたが、どうだったでしょうか。
この学校の先生方の思いとS先生の的を射た発言のおかげでなんとか役目を果たせたのではないかと思っています。私自身、このパネルディスカッションから多くの収穫を得ることができました。このような機会を得たことに感謝いたします。

先生の成長から元気をいただく

昨日は中学校の学校訪問に参加しました。特設授業は若手教師による1年生の学級活動でした。

教室の第一印象は、子どもたちがとても素直で授業者と人間関係がよいことでした。授業者の表情も柔らかく、子どもたちを認めよう、ほめてあげようという姿勢を強く感じました。
この中学校区には小学校は1校で、子どもたちの人間関係は固定化しやすい傾向にあります。今回の授業は、友だちの長所を伝える活動を通して、自分や友だちのよさを再発見することで、人間関係をよりよいものにしようとするものでした。
今回は子どもたちにできるだけ発言の機会を平等に与え、発言に消極的な子どもにもしっかり発言させることを意図して、グループで友だちの長所の発表を1人につき1分間課しました。このことがプレッシャーになったのか、発言者と長所を言われている2人はかかわり合えているのですが、他の2人は発表して自分の出番は終わったと集中力をなくしたり、自分の発表の準備に手一杯だったりしてかかわり合えていないグループも見受けられました。話すことを課題として意識しすぎると起こりやすいことです。授業のねらいにもよりますが、「○○さんのよいところをみんなで聞き合う」といった活動にした方がよりかかわり合えたのかもしれません。

日本語が少し不自由な子がなかなか参加できていなかったのですが、隣の女生徒がフォローして参加できた場面がありました。授業者がさりげなく頼んでいたようです。
また、互いの長所を発表する場面で表情が暗くなり、このまま泣き出すのではないかと思える女子がいました。ワークシートは長所の観点の一覧に○をつけるようになっているのですが、彼女は自分のよいところにほとんど○がついていませんでした。自分を肯定的に見ることができないので、この活動がつらかったのかもしれません。最初の友だちの長所の発表は、暗い表情ながらもなんとかこなしました。その後、長所を言ってもらった子が、彼女の言ってくれたことに対してうれしく思ったことを伝えました。その瞬間彼女の顔に笑顔が浮かびました。その後の活動では彼女はかかわり合う姿勢を見せ、友だちが自分の長所を言ってくれるときには何度か笑顔も見られました。友だちに認められることがいかに大切なことかとてもよくわかる場面でした。

検討会では、若手の教師からもよい発言を聞くことができました。授業者も含め若手が育ってきていることをとても強く感じました。
指導主事のコメントも、さすがは学び合いを大切にしている地区と感じさせる、子どもたちのかかわり合い・活動と教師の具体的な指示・指導との関係に焦点を合わせた、具体的で納得のいくものでした。
教育長は行政出身の方ですが、授業中も子どもたちのそばに張り付いてじっと子どもの言葉に耳を傾け、子どもの事実をしっかり観察しようとされていました。そのコメントも自分が見た子どもの事実を伝え、そのことについての解釈はお任せするという、先生方に考えることを促す、短いが内容のあるものでした。行政出身の教育長の現場への指導力を疑問視する方もいらっしゃいますが、この方に関しては当てはまらないと強く感じました。

この地区全体で、授業のありようがここ4年ほどで大きく変わりました。教育委員会と学校現場がともに授業改善に前向きに取り組んでいることの表れだと思います。

公式行事の終了後、授業者と話をする時間を持つことができました。昨年度までは、子どもたちのネガティブに目がいくためか、表情も固く、笑顔をつくることがうまくできないと感じていた先生です。しかし、卒業生を送り出し新1年生の担任となり、心機一転して、笑顔で接しほめることを心掛けたようです。そのことが今日の授業からとてもよく伝わったと話したところ、昨年度までも意識はしていたもののなかなかできなかったが、今年はできるようになったと嬉しそうに答えてくれました。小学校からはいろいろと問題があった学年という引き継ぎがあったが、そんなことは感じない。先輩方のアドバイスのおかげもあって、子どもたちとの人間関係はとてもうまくいっているとのことでした。子どもたちは、中学校入学時にこの授業者と同じく心機一転して、小学校時代をうまくリセットできたのでしょう。よい出会いができたのだと思います。

始業前は職員室にいることが多かったが、今は少しでも子どもと一緒にいたいので、すぐに教室に行くと話す姿に、この先生がこれから確実に成長していくことを確信できました。成長する場面に立ち会うことができた私もたくさんの元気をいただきました。ありがとうございました。

教職員組合主催の学習会

先週末に、教職員組合主催の学習会で「言語活動を意識した授業作り」というタイトルで講演をおこないました。忙しい時期にかかわらず、勤務時間終了後にたくさんの方に参加いただきました。

最近は言語活動に関する講演の依頼が多くなっています。しかし、私は言語活動を意識することよりも、まず授業における教師と子ども、子ども同士のコミュニケーションをきちんと成立させることが大切であると思っています。今回の講演も、言語活動ということよりも、まずふだんの授業での基本的な子どもとのかかわり方、子ども同士のかかわり方について時間を割きました。
特に相手の話を聞く姿勢をどうつくるかは、コミュニケーションの成立に欠かせない要素です。教師が子どもの話を聞く、子どもたちが教師の話を聞く。自分が発表することだけに意識を向けるのではなく、友だちの話を聞くことに意識をむける。そのために、どのようなことに注意をして授業を進めればよいかを最近の学校での経験もとに話をさせていただきました。

また、言語活動に関しては、日常言語と教科の言語や学習用語とをつなぐことについて少し詳しく話をしました。
たとえば、音楽でどのように歌ったらよいかを歌詞から考えさせる場面です。子どもは歌詞から感じたことを発表しますが、それは「楽しい」「明るい」といった日常言語で語られます。自分たちの言葉でたくさん発表し合うことはとても大切なことです。しかし、「じゃあ、みんなが言ってくれた楽しい感じを歌で表現しよう」とすぐに歌い始めても、「楽しい」ことをどう歌で表現するかについては、まだ共通の理解はできていません。表現はばらばらになってしまいます。子どもたちが感じたことを音楽の言葉で表現しあうことで、初めて具体的な歌い方として意識され共有されます。「みんなが感じたことを、歌で表現するにはどうすればいい」と問いかける必要があります。ここで子どもたちの言葉は「強く」「歯切れよく」といった音楽の用語に変換されていきます。こうして、子どもたちは自分たちの感じたことを歌で明確に表現できるようになります。こういう経験を積むことで「フォルテ」「スタッカート」といった音楽記号から、作曲者の意図した表現を読み取る力もついてきます。
これはどの教科にも当てはまることです。日常言語で自分の考えや思いを伝えようとする。その内容を教科の言葉を使って再度表現する。概念が明確になり、よりよく伝わる。こういう一連の過程を意図して経験させてほしいとお願いしました。

途中で少し入れたペア活動で、参加者はとても素敵な笑顔をたくさん見せてくださいました。この笑顔を教室でも見せることができたのなら、授業は楽しく進んでいくに違いありません。参加した先生方ととても楽しい時間を過ごすことができました。このような機会をいただけたことに感謝します。

若手教師の悩みと管理職の支え

昨日は小学校で若手教師に授業アドバイスをおこないました。

一緒に授業を見ながら、「誰が集中している?」「この後、子どもはどうなる?」「子どもはなぜ手を挙げない?」といった質問と解説をしました。
たとえば、ある授業で、「話を聞きなさい」と授業者が言った後、子どもたちは落ち着いたように見えました。しかし、口を閉じただけで、体が話し手の方に向いていない、顔が上がらない、手遊びしている、そんな子どもが目立ちます。しかし授業者はかまわず話しています。教師と子どもの間で「聞きなさい」は「口を閉じて静かにすること」にすり変わっていたのです。ところが意外にもこの事実を彼らは見逃しています。「子どもたちは聞いている?」と質問することで初めて気づくのです。一緒に授業を見ることで子どもを見る視点に気づき、自分の学級を見る目が変わってくれることに期待します。

それぞれの授業を見た後、3人の先生とお話しました。

1人目は、1年生の担任です。
元気のよい子どもたちなので、落ち着きがなくざわつきやすいようです。子どもたちをきちんとコントロールしようと注意をしたり、叱ったりするのですが、その時の先生の表情が冷たく感じられました。子どもの表情もさえません。ところが、子どもたちが手を挙げているときの雰囲気がとてもよいのです。違和感を覚えたので、振り向いて先生の顔を見ると、とても素敵な笑顔で子どもたちを見ていたのです。
このことと伝えるとともに、もっと笑顔をたくさん子どもに見せたらとお話しました。聞いてみると、他の学級と比べて落ち着きがないので、ベテランに倣って厳しくしつけようとしていたようです。しかし、叱っている自分が嫌でかなり無理をしていたそうです。そのため、あのような表情になっていたのでしょう。人には特性があります。この先生は笑顔を武器に指導すればよいのです。怖い顔をして叱るのではなく、ちゃんとできているたくさんの子どもをほめ、できなかった子ができるようになった瞬間をほめる。叱るのではなく、ほめる機会をつくる。視点をこのように変えれば、叱るべき場面でも笑顔で対応できるはずです。このようなことを話しました。
自分の中のもやもやを吐きだすことができて、少しすっきりしたようでした。

2人目は、5年生の担任です。
授業を見ると子どもたちと人間関係がうまくいっていないようでした。子どもたちから意見がなかなかでず、「同じように考えた人いる」といったつなぐ言葉を発しても反応してくれません。いろいろ工夫しているのですが、行き詰まっているようでした。
子どもを受容しよう、ほめようと思っても、目の前に問題があると注意しなければいけない。子どもが授業に直接関係のない個人的なことを言ったときなど、受け止めてあげたいが進めなければいけないので、「後で聞くからね」と流さざるを得ない。こんな言葉も出てきました。
工夫をしていることはとてもよいことです。しかし、その工夫よりも、まず叱り方や子どもの言葉の受け方をどうするかを意識すべきだと話しました。疑問に具体的に答えながら、目先の「悪いところ見つけ」ではなく、「いいとこ見つけ」を大事にすること、最近学級で減ってきていると言っていた「ありがとう」という言葉を増やすことをお願いしました。
最初は表情に乏しい先生で硬いという印象でしたが、席を立つ頃には柔らかい表情になって印象は随分変わっていました。

3人目は、6年生の担任です。
授業にあたって、今日の授業構想のメモも準備してくれていました。子どもの言葉を活かし、子どものから答を引き出そうとしていることがメモからも実際の授業からもよく伝わりました。しかし、子どもの言葉が自分のねらっているところとずれていると、すぐに次の子どもを指名したり、自分のねらっている言葉を引き出すような説明をしたりします。子どもの言葉をたくさん引きだそうと思っているのに、ほとんど先生がしゃべっている状態です。子どもは、だんだん集中力をなくしていきます。子どもの言葉を他の子どもが理解するための間をとらず、早くゴールに到着させようとどんどん情報を与えたため、子どもたちは情報を整理できずわけがわからなくなっていたのです。
また、ずれた答を否定はしないのですが、評価もしません。しかし、自分のねらいに近い言葉に対しては、「いい意見」と評価します。結局子どもたちは、先生の考える答え探しを始めてしまいました。
少々ずれた答えでも、まず認め、教室全体に広げる。そうするとそこから次の考えがうまれ、結果的に先生のねらうところにつながっていくことを伝えました。
この先生は授業を一緒に見た時、私が指摘していたことに対して、自分はある程度できていると思っていたそうです。今回具体的に指摘されたことが、自分の授業を見直すきっかけになったようです。明日から授業を変えようと元気よく席を立って行きました。

管理職、教務主任の先生方とお話をしていて、一人ひとりの先生方の授業の様子、子どもたちの事実をしっかりと把握されていることがよくわかりました。日ごろから校内の様子をよく観察されている証拠です。この日授業を見て私が気づいたことは皆さんよく知っておられました。しかし、その事実の陰に隠れている、一人ひとりの気持ちや悩みについては気づいておられませんでした。
事実の指摘だけでは状況は改善しません。逆に追い詰めてしまうこともあります。その状況を生み出しているもの、特に心理的なものを明確にし、具体的な解決方法を一緒に考えてあげることが必要です。心理的なものは、本人も意識できていないことがよくあります。無遠慮に心に踏み込むことは慎まなければいけませんが、よき聞き手となって、悩み、もやもやを吐き出させ、受け止めてあげることが必要です。このようなことを意識するようお願いしました。

よい授業をしたいという思いと自分の学級の現実とのギャップに若い先生方が悩まれていることが、今回よくわかりました。たまに出会う私のようなものにできることは、とても限られています。日ごろから接する管理職や主任といった立場の方は、よき聞き手となって彼らを支えてほしいと思います。

若手への授業アドバイス

先週末は小学校で若手5人に授業アドバイスをしました。

3人が算数の授業を見せてくれましたが、どれも子どもたちに考えさせようとする意欲を感じさせるものでした。3人に共通した課題は、まだ教科書の読み込みが甘いということです。なぜこの活動があるのか、なぜこのように表現しているのか、なぜこの課題が設定されているのか。教師が教科書をわかっているつもりになっているだけで、きちんと理解していないために子どもたちが混乱している場面がいくつかありました。

6年生の理科の授業は、子どもたちが落ち着いて取り組んでいました。1学期に初めて授業を見たときは指示が徹底されていなかったのですが、「指示したことができるまで待つ」、「できたらほめる」を実践してきたようで、別の学級かと思うほど指示が徹底されるようになっていました。子どもの発言をしっかり受容することもできるようになり、子どもたちとよい関係を築いていました。次の課題は子どもの発言を他の子どもにつなぐことです。子どもの意見を学級全体に広げていくことを意識して挑戦してほしいと思います。

3年生の作文の授業は、課題や資料などをネットでいろいろと探してきているようでしたが、形式的に流れていました。その一番の理由が、授業が借り物だということです。「よい作文は書き出しで決まる」とポイントが貼り出されていましたが、なぜ書き出しで決まるのか、そもそもよい作文とは何かとの問いに授業者は答えることができませんでした。最近の若い先生に多いのですが、ネットなどで探した授業を深く考えずにまねしているだけでした。他の授業を参考にするときは、発問や課題の背景、ねらいを自分の学級と重ね合わせ、しっかりと自分のものにしておく必要があります。そうしておかないと、子どもの発言や活動を受け止めたり、切り返したり、評価したりがきちんとできません。活動だけがあって、中身のない授業になってしまいます。表面を取り繕うのではなく、たとえ拙くても自分で考えて授業を続けていくことで力はついてきます。まずは自分の力で授業を組み立てるようお願いしました。

5人の若手に共通していたのは、今よりよい授業をしたいという思いです。これがあれば、かならず授業力はついてきます。どの先生も、お話させていただいた後、明日からの授業への意欲を見せてくれました。次回の訪問がとても楽しみです。
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