答え合わせで意識したいこと

授業中に子どもに問題を解かせることがあります。そのとき答え合わせをどのようにしているでしょうか。教師が一方的に答を言ったり、解説したりしていることもよくあります。しかし、解けなかったり間違えたたりした子どもは答だけを聞いてもよくわかりませんし、一方的な説明ではなかなか理解できません。どのようなことを意識すればよいのでしょうか。

問題の質にもよりますが、まず全員手がついているかどうかが問題です、手もついていないのに答あわせをしても、問題を解かせた意味はあまりありません。手がつかない子どもには友だちに聞いてもいいといって、互いに聞き合うようにすることが大切です。
ほとんどの子が手がつかないようであれば、一旦手を止めさせて、再度説明したり、子どもに困っていることを聞いたりする必要があります。困っていることに対しては教師がヒントを出すのではなく、できるだけ子どもからどうすればいいかを引き出すようにすることが大切です。

では、子どもが問題を解き終わった後、どのように進めていけばいいでしょうか。
全体で解答を確認していく方法と、子ども同士で確認する方法があります。

全体で確認するときは、教師がすぐに正解かどうか判断しないことが大切です。また、「いいですか」「いいです」といった、単純に正解かどうか子どもに聞くこともあまり意味がありません。つねに根拠を問う姿勢を大切にする必要があります。

「○○さん答を聞かせて」
「・・・です」
「なるほど、・・・になったんだね。△△さんはどう」
「私も・・・です」
「なるほど、じゃあ□□さんは」
・・・
「他の答えの人はいますか。ないようだね。じゃあだれか理由を説明してくれるかな。××さん」
・・・

というように、何人かに聞いた上で、その理由を子どもに聞きます。説明に対して、補足や、他の説明がないか確認をして、自分の解答に付け足すことがあれば書かせます。
もし、いくつかの答えが出れば考えを深めるチャンスです。

「違った答えができたね。いいね。みんなで考えてみよう。いろいろな考えが出てくるから勉強になるね」
「じゃあ、それぞれの考えを説明してくれるかな」
・・・

正解を教師が判断するのではなく、できるだけ子どもに説明させ、子どもに判断させるようにします。大切なことは間違えた子どもが否定的な気持ちにならないようにすることです。

「・・・だから、こうなります」
「今の○○さんの説明になるほどと思った人。△△さんはどう」
「納得した。△△さん、間違えていたところを直して、もう一度説明してくれる」
・・・
「△△さんちゃんと説明できたね。えらいね。△△さんのおかげでみんなもしっかり考えることができてよかったね」

このように、子どもが間違えることを気にして消極的にならないように注意してほしいと思います。

子ども同士で確認するときは、答だけでなく、理由も聞き合うように指示します。間違えたら正解を写して終わりではなく、理由もきちんと言えて自分で解けるようになることを求めてほしいと思います。
子ども同士で確認できた後、できれば間違えていた子どもに説明を求めたいと思います。このとき、うまく説明できない可能性もありますが、「まわりの人に聞いてもいいよ」と友だちの助けを借りてもきちんと答えさせ、ほめるようにします。こうすることで、友だちとの関係もよくなり、わからないときに自然に友だちに聞けるようになります。

問題によって対応はいろいろあると思いますが、答え合わせは正解かどうかではなく、どうやって答を導き出したかその過程を大切にすること、正解かどうかの判断を子どもたちがすること、間違えた子どもがネガティブにならないように気をつけることを意識してほしいと思います。

プレッシャーを考える

人はプレッシャーがないと頑張れないところがあります。私たち大人でも締め切りがないとなかなか仕事に集中しなかったりします。子どもたちにとって適度なプレッシャーはとても有効です。しかし、場合によってはプレッシャーをかけることで子どもたちのやる気がなくなってしまうこともあります。どのようなことに注意をすればよいのでしょうか。

基本となるのが、プレッシャーをかけてうまくいかなった時に子どもが自分はダメだったとネガティブにならないようにすることです。

たとえば時間を区切ってプレッシャーをかける場合、「5分間で10問解きなさい」といった目標を設定すると、9問解いた場合でもダメだったということになります。「5分間で何問解けるかな」とすることで、9問解けたと評価できます。できた、できなかったではなく、どれだけできたかを問うようにするとネガティブになりにくくなります。

また、どれだけできたかを問うことで、進歩をみることもできます。5分間で5問解けた子どもが次に7問解けるようになれば「進歩」したと評価できます。
「後片付けを3分でやって」だと、3分を越してしまえば集中力が切れます。「後片付け何分でできるかな」とすることで、少しでも早くしようとします。その時の時間を記録しておけば、次にそれよりはやくなれば「進歩」したと評価できます。
進歩を求めるようなプレッシャーのかけ方をすることで、ネガティブになりにくくなります。

次に意識してほしいことが、過度に友だちと比較をしないことです。だれが1番、2番と評価すると、できない子はなかなか評価されません。プレッシャーをかけてもどうせダメだとかえってやる気に差が出てしまいます。どの子も頑張ったことを評価されるようなプレッシャーである必要があります。友だちとの相対評価ではなく、個人内の相対評価、進歩でプレッシャーをかけてほしいのです。
「速かった人」を評価するだけでなく「記録が伸びた人」も評価するのです。

プレッシャーは子どもたちに集中して取り組ませよい結果を出させるためにかけるものですが、結果が出ないと逆にやる気をなくしてしまうことにもなります。個人差を考慮しない一律のものではなく、一人ひとりの頑張りが結果につながり評価されるように意識することが大切です。

基本ができるようになった後、意識して欲しいこと

私の授業アドバイスは、当り前ですが、まず基本的なことができるようすることから始まります。ここでいう基本とは、教師が子どものようすをきちんと見る、子どもをしっかり受容して子どもたちと人間関係をつくる、子ども同士が互いに聞き合い認めあえる人間関係をつくる、その結果子どもの状態を把握でき、全員が授業に集中して参加できるようになること考えています。
したがって、アドバイスは子どもたちを見ることと、子どもたちが授業に参加するベースとなる、人間関係をつくることに集中します。「誰が授業に参加できている」「どの子が反応した」と子どもの状態を把握する、「笑顔をつくる」「なるほどと子どもの発言を認める」と受容する、「同じ考えの人いる」「今の意見、なるほどと思った人」と子どもをつなぎ、互いに認め合うようにする、こういったことが中心となります。

私がアドバイスをしている先生方の多くがこの基本をクリアしてくれるようになりますが、その後、伸びが止まる方とどんどん伸びていく方とに分かれます。子どもたちが落ち着いて授業を聞いてくれるようになったからこれで大丈夫と思うか、落ち着くことで今まで以上に子どもが見えるようになり、より多くの問題点に気づき質を上げなければと思うかの差のようです。実際、授業の基本ができてくるとアドバイスすべきことが増えてきます。基本ができていない授業では、そもそも子どもたちが授業に参加していないので、授業における問題の原因が課題にあるのか、教師の進め方にあるのか全くわかりません。子どもたちがしっかり集中しているからこそ、授業の問題点がどこにあるのか明確になるのです。

たとえば、授業の基本ができてくると多くなるアドバイスが「子どもの言葉を活かす」ことと、「教材研究」に関することです。
子どもが集中して授業に参加するようになると、当然教師の話もしっかり聞いてくれます。いきおい、教師が一生懸命説明しだすのです。結果的に子どもが受け身になる時間が増えてしまい、せっかくの集中力が途中で切れてしまう場面によく出会います。
子どもの発言に対して、「それってどういうこと」と発言した子ども自身に問い返す、「○○さんの考えを説明してくれる人」と他の子どもに説明を求める。こういうことが必要になります。よくアドバイスするのが、その日の授業で教師が一番言いたいことを子どもの口から言わせるようにすることです。このことを意識すると子どもの言葉を引き出そうとする姿勢になり、「子どもの言葉を活かす」ことにつながっていきます。

「子どもの言葉を活かす」ことを意識して問い返すようになると、期待する言葉を引き出すのに時間がかかってしまい、結局時間切れで最後は教師がまとめて説明するということもよくあります。多くの場合、子どもの発言を何でも問い返してしまうことが原因です。子どもの言葉を活かしたいといっても、すべての発言を活かそうとする必要はありません。その授業のねらいにつながる発言、言葉に対して問い返していくことが大切です。そのためには、「教材研究」がとても重要になります。授業のねらいにつながる子どもの言葉はどのようなものがあるか、どう問い返していけばねらいに近づくか。授業のねらいは何であるかと合わせて、このことをしっかり事前に考えておくのです。この「教材研究」がしっかりできていればいるほど、活かせる子どもの言葉は増えていくのです。もちろん「教材研究」はこれだけではありません。子どもたちが興味を持って自ら考える課題は何か、どのような資料を用意すればよいのか、考えることはいくらでもあります。
この「教材研究」は教材ごとに必要になるわけですから、力をつけるのにはとても時間がかかります。名人と呼ばれる方でも、常に「教材研究」に取り組んでいます。

基本ができるとできないでは天と地ほどの差があります。そのため、基本ができるようになると自分は授業ができるようになったと安心してしまうことがあります。しかし、そこから先が本当の勝負なのです。よい授業をするためには、ここで述べたこと以外にもたくさんの要素があります。子どもたちの実態を謙虚に受け止め、つねに向上心を持って授業にのぞんでほしいと思います。

自ら学ぶ姿勢をどうつくる

自ら学ぶということの大切さがよく言われます。生涯学習という言葉もよく聞きます。子どもたちに学ぶ楽しさを教えたいと思う先生がほとんどでしょう。では、どのようにすれば子どもたちは学ぶ楽しさを知って、自ら学ぶようになるのでしょうか。

学ぶ楽しさの要素の大きなものに、進歩があります。ある授業が終わった後、子どもが「むちゃくちゃ考えた。頭がよくなった気がする」と言っていたことがありました。一生懸命取り組み、考えた結果、自分が進歩したと感じたのです。この子どもは学ぶ楽しさを感じていたと思います。このような、自分が進歩したと感じる場面をどうつくるかが大切です。

進歩を感じるという視点では、授業が始まった時点ではできなかったことが、授業が終わった時にできるようになっているというのが一つの基本パターンです。
授業で一人ひとりが活動することは重要ですが、その結果どんな力がついたかを問うことがより重要になります。訓練要素の強い九九の練習でも、練習の結果、速くいえるようになった、間違えなくなった、九九ができることで何かができたと進歩を実感できる場面をつくることで、学ぶ楽しさにつなげることができます。子どもたちに活動の before after を意識させるのです。ですから、授業の最後に振り返りを書かせることがよくありますが、感想ではなく、何ができるようになった、どんな進歩をしたと書くことが大切になります。

ここで注意したいのは、努力したことが結果として表れなければ進歩した実感を持てず、学ぶ楽しさにはつながらないことです。体育などはその典型ですが、一生懸命練習してもできるようにならなければ、楽しさにはつながっていきません。結果の出る努力をさせることが大切です。教師の指導が問われるのはこの部分です。正しい努力を続けることが結果につながり、進歩する。この経験を積ませることが教師の仕事なのです。

ただ、教師から教わることが中心となってしまうと、言われたことをやればいいという受け身の姿勢が強くなる心配があります。自ら学ぶということにつなげることを意識しなければいけません。指示されたことをやったあと、「次は何をすればいい?」と教師に聞くようではいけないのです。努力が結果に結びつく経験を積ませたら、自ら考え工夫することを求めます。最初は「どれくらい練習すればいいと思う」「何問解く」と量的面を、次第に「どんなことを重点的にやればいいと思う」「何を調べればいい」「何がわかればいい」といった質的なことを意識させるようにします。評価も、「できるようになったね。どうやって練習したの?」と結果だけではなくその工夫をより大きく評価します。

子どもが自ら学ぶ姿勢をつくるには、進歩を実感させる、そのために結果につながる努力をさせる、自ら工夫することを求め評価することが大切だと思います。ぜひ、ふだんの授業の中でこのことを意識してほしいと思います。

宿題について考える

先日の学校評議員会で宿題のことが話題になりました。一部の子どもたちが家庭で宿題をしないというアンケート結果に対して、先生は提出を厳しく求めていないのかという質問があったのです。実は、先生方も提出をきちんとチェックしているのですが、そういう子たちは、学校で友だちから写しているということです。残念ながらこれでは宿題の意味はあまりありません。また、子どもたちの宿題のやりようを見ていると、ただやればいいという作業になっているという意見もありました。宿題はどのようなものにしていけばいいのでしょうか。

家庭での学習習慣をつけるという意味が宿題にはあります。出しっぱなしではいけないので当然チェックもします。そのチェックはどうしても書かれたものでする傾向が強くなります。そのため、宿題で力をつけるというのではなく、やればいいという発想になりがちです。単に作業にしないためには、結果を求める宿題にする必要があります。
たとえば「本読みを3回する」といった宿題から「すらすら読めるようにする」にし、何回読んだかを報告するようにします。全体の場で読ませて、「すらすら読めたね。何回読んだ」と聞くことで、努力と結果を両方評価します。全員読ませることができなければ、ペアで読んで互いに評価し合うことも一つのやり方です。一律に何回ではなく、結果を問うことで、自分で考えて学習する習慣をつけるようにします。
「○○を完璧にする」ために「問題集の何ページをやる」という形にして、できるまで何回やったかを問う。目的・目標を達成するために、何をするかを自分が考えるようにする。結果を問い、結果と課程を評価することで、宿題が単なる作業から学習に変わっていくのです。

一律にやればよいというものから、目的を明確にして結果を問う宿題に変えることが大切です。自分で結果を出すためにどうするかを考えることで、本当の学習習慣がついていきます。宿題のありかたをすこし見直してみることも必要だと思います。

相手意識を大切にする

授業で子どもたちが発言をする時、友だちに対してではなく教師に向かって話をしていることがよくあります。誰に対して話すかという相手意識をしっかり持てていなかったり、相手意識が教師に向いてしまったりしているのでしょう。
相手意識を持てないのは、なんとなく発言すれば、教師がそれを受けて補足したり、友だち向けて伝え直してくれたりすることが一つの理由です。
教室のみんなに伝えるという意識を持てない原因には、挙手に対して指名を教師がすることがあります。教師に指名してもらおうと子どもの意識が教師に向かうため、教師が特に意識していないと子どもは教師に向かって話そうとするのです。では、どのようにすればよいのでしょうか。

たとえば、子どもたちに相互指名させることで友だちの意見を聞く、友だちに意見を言うことを意識させる方法があります。この方法の場合は、同じような意見を聞くのか、異なった意見を聞くのかといった判断を子どもがすることは難しいことに注意する必要があります。挙手していない子に意図的に指名することも子どもにはできません。子どもに任せ切るのではなく、「同じような意見が多いけど、他の意見はないかな」と方向性を変えたり、「手を挙げていない人の考えも聞きたいな」と意図的に指名したりするなど、教師がうまく介入することが前提になります。

座席の配置で工夫する方法もあります。学び合いを意識している教室でよくみられるコの字型の机配置は、友だちを意識するにはよい方法です。前を向いて自然に話すだけで友だちの顔を見ることになります。友だちの反応もよく見えます。友だちに対して話すという意識が強くなります。この配置を有効にするためには、相手をしっかり見る、話に反応してうなずくといった、聞く側の姿勢を育てることも大切になります。また、慣れないうちは教師が黒板の前で立っていると、どうしてもそちらに目がいきます。教師が、コの字の中に入って話を聞いたり、しゃがんで発言者の視点から離れたりすることも必要です。あえて、椅子に座って子どもたちと同じ目線で授業を進めることもあります。

このような特別なことをしなくても、教師が意識してかかわることで相手意識を持たせることもできます。「○○さん、考えを言って」ではなく、「○○さん、みんなに考えを聞かせてくれるかな。みんな、○○さんの考えを聞こう」と聞き手を明確にする。「みんなによくわかるように話してね」と指示して、「今の○○さんの話を聞いて、よくわかったという人」と確認をする。教師が意図的に発言者と他の子どもをつなげて、相手を意識させるようにするのです。

友だちに自分の考えをわかってもらえる、認めてもらえることは子どもたちの学びの大きな要素です。教師が子どもを認めることは大切ですが、ともすると教師と子どもの関係が主になって、子ども同士のかかわりが薄くなってしまいます。子どもに相手意識を持たせること、相手意識を教師から友だちに変えることを意識して授業をつくってほしいと思います。

「出たとこ勝負」とは

グループなどを活用した時に「子どもから出てきたことをもとに進める」とよく言われます。誤解を招くかもしれませんが、「出たとこ勝負」と言ってもいいと思います。子どもたちからどんな考えが出てくるかわからないので、あらかじめ細かいことは決めておかずに、子どもの考えを活かし、子どもの考えに沿ってその場で判断して進めていくということです。しかし、「出たとこ勝負」といっても何も準備しないということではありません。何を準備し、どんなことを大切にすればいいのでしょうか。

授業の準備で大切なことは、教師がどのような説明をするかではなく、この課題や問いかけに対して子どもはどのような活動や反応をするだろうと考えることです。若手とベテランの経験の差が最も顕著に出るところです。

・多くの子が戸惑うかもしれない。そのときどう働きかけようか。
・はやばやと解き方に気づく子がいるかもしれない。その子にはどんな指示をしようか。
・グループで動きに差ができるかもしれない。その時はいったん活動を止めるのか続けるのか。
・すぐにほかの子が理解できない意見が出るかもしれない。どう切り返そうか。
・・・

予想される子どもの様子に対して、どのように対処するかいくつもシミュレーションをするのです。「出たとこ勝負」でその場で判断すると言っても、子どもから出てきたものへの対応をあらかじめしっかり考えていなければうまく対応できません。この準備が不十分であれば、子どもの考えを活かすことなどできないのです。実際に予想したことすべてが起こるわけではありません。ときには、事前に考えておいたことがほとんど無駄になるかもしれません。しかし、それだけの準備が必要なのです。
とはいえ、子どもの活動や反応が事前に予想した範囲にすべて収まるということもあり得ません。思いもよらない考えが出てきて、とっさにどう対応していいかわからないことがあります。このとき、頼りになるのが他の子どもたちです。

「今の考え、わかる人いる」
「代わりに説明してくれる人いる」

と教師が無理して処理しようとせずに子どもにつなぎます。その考えがうまく他の考えとつながって想定内におさまってくれればそこから進めていけばいいのです。うまくつながっていかなければ、そこで教師も他の子ども一緒に考えればいいのです。場合によっては、「今のことについて、グループで(まわりの子と)相談して」と子どもたちの戻すのも1つの方法です。

いい加減に聞こえる「出たとこ勝負」ですが、あらかじめ進め方を決めるよりもはるかに多くのことを準備しているのです。

2日後に迫った、「愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京」ですが、ライブ感を大切にするため、基本的には「出たとこ勝負」です。発表者の中には細かい進め方がわからない、何を質問されるかわからないと不安に思っている方もいると思います。しかし、「出たとこ勝負」だからこそ、互いにどんな質問や意見が出るだろう、どう切り返そうかとシミュレーションしていることと思います。そのことが、メーリングリストに流れる情報からよくわかります。特に午前のパネルディスカッションの司会者は、必死に作戦を練っていることと思います。だれとだれをどう絡ませるか。うまく絡まなかったらどう挑発するか。「出たとこ勝負」だからこその緊張感、ライブ感を楽しんでいただけたらと思います。

活動から活躍へ

子どもたちを受け身にさせない。学習内容を定着させたい。そのためには子どもたちの活動量を増やす必要があります。友だちの意見を聞くことも立派な活動ですし、問題を解くことも、グループでの話し合いもすべて活動です。ここで意識してほしいことは、子どもが活躍することです。

友だちの意見をしっかり聞いていても、発表の後「いいですか?」「いいです」では、聞いたことが活かされとは感じません。
頑張って問題を解いたあと、挙手をしたが指名されない、指名された子が答えて、「いいですか?」「いいです」「はい、○をつけて」で終わってばかりでは、だんだんやる気をなくします。
グループの話し合いが終わった後、各グループで一人ずつ発表して終わる。発表しなかった子は自分の考えや意見を評価されたと感じるでしょうか。

子どもが活発に活動しても、ただ活動して終わりでは、子どもの学習意欲は高まっていきません。子どもが「活動する」ことから、「活躍する」に視点を変えていくことが求められます。活躍するとは、他者に認められると言い換えてもいいでしょう。

友だちの意見を聞く場面なら、「今の意見を聞いてどう思った」「なるほどと思った人いる」など聞いたことが活かされる場面や評価される場面をつくることが大切です。時間がなければ、同じ考えの人に挙手させるだけでもよいでしょう。
問題を解いたり、作業したのであれば発表者をできるだけ増やすとよいでしょう。正解が出ても「正解」と言わなければ何人でも指名できます。言葉が足されたり、考えがつけ加えられればそのことを大いに評価するようにすることで、発言意欲も増します。また、机間指導の際に、声をかけながら全員に○をつけることも効果的です。
グループ活動であれば、友だちの意見を互いにポジティブに評価するように指導しておくことが大切です。また、発表の時には、結論を聞くだけでなく、「どんなこと話した」「誰の意見が参考になった」など発表者以外も評価できるような問いかけも必要です。

子どもの活動量を増やすことはとても大切です。その上で、全員が活躍する授業、活躍したと感じられる授業を目指してほしいと思います。

対策を考えるアプローチ

授業がうまくいかないときは何らかの対策を立てることになります。子どもたちが積極的に発言しない。子どもたちが人の意見を聞かない。「発言して」「意見を聞こう」と言っても、そう簡単には変わりません。どのようにして考えればいいのでしょうか。

対策を考えるために、まずその原因を考えることが大切です。
子どもが積極的に発言しないのであれば、子どもたちに自信がないから、人の意見を聞かないのであれば、子どもにとって聞くことに価値がないから。このような原因を考えてみるのです。想像した原因が正しいかどうかはわかりませんが、とにかく考えてみなければ先に進みません。

次に、どうすればよいのか具体的に考えていくわけです。
考え方の一つは、どう原因を取り除くかです。自信がないのが理由であれば、自信を持たせるという発想です。わかった、自分の答えは正しいと思えるように、わかりやすく授業をしよう。まわりと確認する時間をとって確認させよう。机間指導で○をつけて安心して発言できるようにしよう。聞くことに価値がないのなら、聞くことを価値づけしよう。聞いていたことをほめよう。すぐに教師が解説せずに、子どもの意見に対してどう考えるか他の子にたずねてみよう。こういうことです。
また、原因を無効化する、結果を変えるという発想もあります。自信がないから積極的に発言できないのであれば、自信がなくても積極的に発言できるようにしようと考えるわけです。「自信がなければ積極的に発言できない」理由を考えると言ってもよいかもしれません。間違えるのが嫌だ、馬鹿にされたくないから積極的に発言しないと考えるのであれば、間違えても嫌な思いをさせないようにしよう。正解、不正解とすぐに判断しないようにしよう。馬鹿にしない雰囲気をつくろう。わかった人ではなく、困っている人と聞こう。こういうことです。
ここで対策を考えるときに、授業技術そのものを知らないとその選択肢が非常に狭くなってしまいます。日ごろから他の教師の授業を見たりして、授業技術を学んでおくことが必要になります。そして、一つひとつの技術が何を意図している、何を解決するものであるかがわかっていないとうまく活用することができません。日ごろから授業技術を意識しておくことが大切です。

また、対策を取ったからといって必ずうまくいとはかぎりません。うまくいかなければ、他の対策を考える。他の原因を考えてみる。思いつかなければ、まわりと相談するといったことが必要です。打つ手がなくなってあきらめてしまうと、いつの間にか、うまくいかないのは子どもが悪い、子どものせいだと考えるようになってしまいます。こうなってしまうと、授業改善をする意欲そのものがなくなってしまいます。あきらめずに、原因を考え、原因を取り除く、原因を無効化する、結果を変えるといった発想で切り抜けていってほしいと思います。

挙手しないのも意思の表れ

今の意見・考えに賛成の人と問いかけて、ほとんどの子どもが手を挙げる、ハンドサインで賛成の意思を表示する。こういう場面によく出会います。
このとき、「みんな納得したね」「だいじょうぶだね」「そうだね。正解だね」と言って先に進むことが多いように感じます。しかし、よく見ると、全員が自信を持って手を挙げているのではなく、何人かの子が手を挙げた後、残りの子はその様子を見ながら手を挙げていることが多いことに気がつきます。後から手を挙げている子は確かにそうだと自信を持って手を挙げている訳ではないのです。
一方、最後まで手を挙げない子もいます。まわりのほとんどの子が手を挙げているのに手を挙げないというのは、これは挙手以上の明確なメッセージだと思います。

「わからないから、手を挙げない」
「判断がつかないが、安直に賛成する気はない」
「私は納得できない。そうは思わない」
「授業に参加する気はない。私は取り繕う気はない」

こういう意思の表れだと思います。

もちろん漠然と聞いていなかった、参加できていなかったという場合もあるでしょうが、それはまれだと思います。まわりに合わせて、手を挙げておけば大過なく過ぎていくからです。

教師はこの手を挙げないという明確な意思をしっかり受け止める必要があります。

「手を挙げていない人がいるね。○○さん、どういうこと」

と受け止めてほしいのです。

わからないから挙手しなかったのであれば、挙手した子どもに対して、その子がわかるような説明を求める必要があります。
意見や考えに反対で挙手しなかったのであれば、その理由をしっかり全員で聞く必要あります。
また、参加する気がなく答えてくれなければ、挙手した子どもにもう一度説明してもらい、「どう?」と問いかけて参加を促すといったことが必要になります。

挙手している子どもに説明を求めると、雰囲気に流されて手を挙げていた子は戸惑います。指名されても説明できないので困るからです。次第に、よくわかっていなければ安直に「賛成」と手を挙げないようになってきます。わかっていないということを、手を挙げないことで明確に表明してくれるようになるのです。

子どもたちがわかっていないということを表明すれば、当然教師はわかるような手立てを講ずる責任が生じます。これは教師にとって、とても厳しいことです。授業が予定通り進まないかもしれません。
だから、子どもの「わからない」「納得できない」を無視して進めるのか、そうではなく立ち止まって受け止めるのか、どちらを選ぶのかは大きな違いがあります。教師にとって厳しくともしっかり受け止め、全員がわかる授業を目指してほしいと思います。

指示の内容を形に変える

今から説明しようとしているのに、子どもの落ち着きがない、集中力をなくしている。このようなとき、「話を聞いて」「注目して」といった指示がよく出されます。ところが子どもたちは、口は閉じて静かにはなるのですが、下を向いたりして教師に注目しない。それなのに、教師は静かになったことで指示が通ったような気がして、話し始める。こんな場面によく出会います。このようなことが続くと、「話を聞く」「注目する」といったことが「口を閉じればいい」にすり替わってしまいます。教師が指示したことと子どもの姿がずれているのにそのままにしておけば、指示の意味が変わってしまいます。これでは、指示が通らなくなります。どのようにすればいいのでしょうか。

指示の内容を、具体的な子どもたちの姿という形に変えることが大切です。
たとえば、「話を聞いて」といっても、教師から見れば本当に聞いているのかは外からはわかりません。話を聞いているとは、外から見て具体的にどういう姿かを教師が意識する必要があります。

「口を閉じて、姿勢を正そう」
「話を聞くときは、話している人の顔を見よう」
「聞く姿勢ができたね」

このように指示すれば、「話を聞いて」に対してどうすればいいか子どもにわかりますし、教師も子どもの様子から指示が通っていることがわかります。学級全体の姿勢がそろうことで、聞いていない、集中力をなくしている子どもは目立つので、本当に聞いているかどうかもよくわかるようになります。
もちろん、形だけでちゃんと聞いていないこともありますから、話した内容の確認をすることも必要です。

友だちの音読を聞くときであれば、読んでいるところを指でなぞる、考えながら黙読するのではあれば、鉛筆を持って大切だと思ったところに線を引くなど、指示が通っているかどうかが外からはわかりにくいことは、それを形に変えることを意識してほしいと思います。

子どもたちの活動がばらばらになる part2

ある子は教師を見ている、ある子は板書を写す、ある子は資料を見ていると子どもの活動がばらばらな教室を見ることが最近増えてきました。以前にもこのことに触れましたが(子どもたちの活動がばらばらになる参照)、もう少しその原因について考えたいと思います。

まずよくあるのは、以前にも書いたように、教師が自分の行動にばかり意識がいってしまい、今、子どもにどういう活動をしてほしいか意識していないことです。

次によくあるのは、特定の子どもしか意識していないことです。
たとえば、指名した子どもがどのようなことを言うかに集中してしまい、発言していない子どものことが意識にないような状況です。指名する時に発言をよく聞くようにと指示しても、教師は発言者しか見ていないので他の子どもの状態は見えません。やはり、子どもの活動はばらばらになってしまいます。

これらは、いずれにしても一人ひとりの子どものどのような姿が見たいのかを意識していないので、意識することで改善されます。教師が見たい子どもの姿を意識して指示をだし、目指す姿とのずれを確認することで自然に修正されていきます。

一方で、教師の求める姿に子どもが意味を認めていないことも原因としてよくあります。
教師が説明したり、質問したりしても、無視して板書を写している子どもが何人もいることがあります。鉛筆を置きなさいと指示することで改善されますが、根本的な解決にはなりません。なぜなら、教師の説明を聞いたり、質問の答を考えたりすることよりも板書を写すことの方がその子たちには価値があるからです。教師の説明を聞いてもよくわからない。どうせ後から要点を板書するのでそれを写した方が無駄がない。質問の答えを考えなくても、誰かが答えるからそれを聞けばいい。下手に間違えた答を言って恥をかくより、正解を板書する方がいい。こんなことを思っているのです。
この問題は深刻です。根本的に授業の質を変えていくことが求められます。教師の話を聞いてよかった、自分で考えて発表してよかったと、教師の求める姿に子どもが価値を認めなければなりません。
聞いたことをほめられる。聞くことで理解できる。発表を友だちが聞いてくれる。発表すれば必ずほめられて終わる。・・・
毎日の授業でこのようなことを一つひとつ積みかさねていかなければなりません。

子どもの姿は教師を映し出す鏡です。目指す子どもの姿を意識して見ることで自分の授業の実態が見えてきます。子どもの姿がばらばらであれば、その原因を考えてください。もし子どもが目指す姿に価値を見出していなければ、その価値を子どもに伝えるような授業に変える努力をしてほしいと思います。

知らないことを聞かれたらどうする

教師は子どもたちよりも知識も経験も多いのは当たり前のことです。だからといって、何でも知っているわけではありませんし、子どもたちの質問に対しても何でも答えられるわけでもありません。しかし、子どもたちの前に立つと、「知らない」「わからない」ということが言いにくいことも事実です。教師としての権威を保たなければという心理が働くのかもしれません。私自身振り返っても、特に自分の専門分野についてはその傾向が強かったように思います。
「知らない」「わからない」という言葉を言わないで済ますには、教師も常に勉強して何でも答えられるようにしておくのが1番です。しかし、それとても限界があります。たとえ相手が小学生であっても、時として大人が答えに詰まるような質問をします。「なぜ空は青いの」「なぜ3原色で、2原色や4原色じゃないの」・・・。先生に聞くことはしませんでしたが、私自身このようなことを疑問に持っていました。教師が、知識として持っていればもちろん答えられますが、知らなければどうすればよいのでしょうか。

1 「それは、小学生ではちょっと難しいな。これから学校の勉強をしっかりして中学生か高校生になったらわかるよ」とその場を取り繕って済ます。

2 「○○先生ならきっと詳しいから、○○先生に聞いてみたら」と他の先生に丸投げする。

3 「ごめん。先生もわからない」と素直に謝る。

4 「先生わからないから、調べてくるね。少し時間をくれるかな」と時間をもらって、きちんと後で教える。

5 「いい質問だね。図書館やインターネットで調べてごらん」と子ども自身で調べるように促す。

どの対応が正解というわけではありません。子どもも実は本当に答を知りたいと思ったのではなく、ただ思いついたことを聞いてみただけ、先生とちょっとかかわりたかっただけのこともあります。意識してほしいのは、子どもがその対応をどのように感じるかです。

1や2は、なんだか肩すかしされたような気持ちになるかもしれません。2の対応でも、「いっしょに聞きに行こうか」と言えば、ずいぶん違ってきます。先生は自分の質問をしっかり受け止めてくれたと感じるでしょう。
3は、先生を試すようなつもりで質問してきたのでなければ、わからないことを素直に認める態度に対して好感を持つでしょう。しかし、中には先生に悪いことをしたと感じてもう質問はしないでおこう考える子もいるかもしれません。
4は、先生が真剣に受け止めてくれたと感じるでしょう。しかし、きちんと答えを返さないと、逆に信頼をなくします。また、子どもがあまり考えずにした質問であれば、詳しく調べてきちんと答えてもかえって困惑します。
5は、いい質問だとほめてもらっているので、認められたと感じますが、その結果逆に宿題をもらってしまったようにも感じます。わざわざそこまでしたくないから先生に聞いたのかもしれません。「先生も答を知りたいから、わかったら教えて」「わかったらみんなに教えてもらおうかな」と調べることに目的を与えるとまた違うかもしれません。「じゃあ、先生と一緒に調べようか」と子どもに寄り添う姿勢を見せると「先生は自分の質問を自分の問題としてくれた」と喜ぶかもしれません。

必ずこのように感じるわけではないと思いますが、こういうことを考えることは大切だと思います。
授業中にわからないことが出てきたり、答えられない質問をされたりしたときも同様です。その場しのぎの対応ではなく、子どもたちが先生を信頼してくれるような対応を心がけてほしいと思います。

白黒をつける

授業名人の野口芳宏先生は、「白黒をつける」ということを言われます。「それもいいね」「いろいろな考えがあるね」と曖昧に終わらせるのではなく、「これは間違い。これは正解」とはっきりさせるということです。このことについて考えてみたいと思います。

私は、教師は子どもの発言に対して、「はい、正解」とその場で判断しない方がいいと考えています。それは「正解」をはっきりさせないということではありません。合理的に根拠を持って子ども自身で「白黒をつける」ことが大切だと考えるからです。ですから、子どもたちが間違った結論に達したときは、修正することをしなければなりません。また、正解とすべきことについては、全員が納得しなければいけません。

たとえば国語の授業で、「○○について述べているところに線を引こう」という発問を考えてみましょう。

「・・・です」
「なるほど、同じところに線を引いた人いるかな」
「いるね。引かなかったけど、なるほどこれは○○について述べていると納得した人は線を引いて」
「では、ここに線を引いた人は手を挙げて」

このように展開したとしましょう。ここで、全員が挙手をしたなら問題はありませんが、挙手しない子がいれば対応が必要です。「白黒をはっきりつける」ことが求められます。野口先生であれば、「今の意見に賛成の人は○、反対の人は×をノートに書きなさい」とするところでしょう。反対の子どもに意見を求め、結論を出す必要があります。

「線を引かない人がいるね。どういうことか聞かせてくれる」

と、意見を聞きます。どれくらい時間をかけるかは重要度にもよりますが、かかりすぎるようであれば、教師が根拠を示したうえで正解であることを知らせることも大切です。

「・・・だから、ここは○○について述べている。線を引こう」

「先生は・・・だから、ここは○○について述べていると考えます。どうですか? 反対がないね。ではここに線を引こう」

子どもたちが根拠を持って自分たちで「白黒をつける」ことは大切なことです。しかし、つねに自分たちで「白黒をつける」ことができるわけではありません。うやむやで終わらさずに教師が結論を示すことが時には必要になります。「白黒をつける」べきものは、きちんとつけなければいけません。

子どもに寄り添う

「子どもに寄り添う」「子どもの考えに寄り添う」ということがよく言われます。この言葉を口にする若い先生もたくさんいます。しかし、具体的にどうすることが「子どもに寄り添う」ことになるのかはっきりしていないことがよくあります。このことについて考えてみましょう。

授業においては、子どもの気持ちや考えを出発点として進めていくことが「子どもに寄り添う」ということの基本です。わからない子どもがいれば、その子どもの「わからない」から出発するわけです。

たとえば、「わかった人」と聞いて半分くらいしか手が挙がらなかったらどうするのでしょうか。当然、教師はわからない子どもにわかってもらおうとします。そのとき、「じゃあもう一度説明するからよく聞いて」というのは、子どもに寄り添っているとは言えません。子どもにしてみれば、何度も教師が説明するということは、わからない自分が悪いということになってしまうからです。「わからない」というのは、子どもにとって負の気持ちです。そのことを理解した上で授業を進める必要があります。

「どこがわからないか教えてくれる」
「困っていることを聞かせてくれる」

まず、子どものわからないこと、困っていることを教師が聞いて理解することから始めます。大切なことは、教師がしっかりとその困った感を受け止めてあげることです。わからないことが決して悪いことではないということを知らせるのです。

「教えてくれてありがとう。なるほど、○○がよくわからないんだ。」
「それってどういうことか、もう少し教えてくれるかな」

受け止めた上で、理解できなければやさしく聞き返します。こうして、困った感を共有した上で、そのことを子どもと一緒に解決するようにするのです。
もちろん、一人ひとりの困っていることは違います。

「同じところで困っている人いる?」
「他に困ったことはない?」

子ども同士をつなぎながら、子どもたちのわからないところ、困っていることを共有します。ここから、スタートするのです。

子どもに考えを発表させるときでも、子どもの考えに寄り添うことは大切です。教師がしっかり子どもの考えを聞き、その考えをもとに授業をつくるようにします。

「○○と考えました」
「なるほど、○○と考えたんだね。みんなわかったかな。つまり、・・・ということですね」

これは、一見すると子どもの考えを認めて、そこから授業が進んでいるように見えますが、結局教師が「つまり」と自分の言葉で説明しています。こういう授業が意外に多いのです。子どもの説明がたどたどしくて不足があっても、教師がそれを勝手に言い換えるのではなく、子どもたち自身で修正させるように働きかけるのです。

「なるほど、○○と考えたんだね。△△という言葉が出てきたけれど、それってどういうことかもう少し聞かせてくれるかな」
「今の説明がわかった人、もう一度言ってくれるかな」
「うまく説明できない? いいよ。だれか助けてくれるかな」

このような言葉でつなぎながら、子どもたちでできるだけ解決するようにします。
教師は、子どもが自分たちの考えを理解し合い、互いに深めていくようにするために、どのように働きかければいいのかを考えることが仕事になります。時には上から目線ではなく、子どもと同じ目線で、「わからない、教えて」と聞いたり、「こんな風に考えたけど、どう思う」と問いかけたりすることも必要でしょう。

授業以外でも「子どもに寄り添う」場面はたくさんあります。悩みの相談でも、子どもの気持ちや考えをまず認め、一緒に考えるという姿勢が求められます。
「子どもに寄り添う」ということは、「教師の目線を子どもと同じ高さまで下げる」と言い換えてもよいかもしれません。このことを意識してほしいと思います。

「子どもが主役」の授業を考える

授業は「子どもが主役」という言葉があります。この言葉に異を唱える方は少ないと思いますが、この言葉をどうとらえ、どう授業をつくるかについてはいろいろな見方があるようです。「子どもが主役」の授業について考えてみたいと思います。

「子どもが主役」といっても、授業の基本は教師がどのような課題を準備し、どのような活動を子どもたちにさせるかです。ここをしっかりしなければ、子どもたちは1時間活動したが、何の力もつかなったといったことになってしまいます。子どもたちに授業を通じて身につけさせたいことを明確にして、その達成のための手段を準備することが大切になります。この身につけさせたいことをどのくらいの将来に対して考えるかで、「子どもが主役」の授業のあり方も変わってくるように思います。

最終的なゴールを考えれば、「一生学び続ける人間」「社会の役に立つ人間」となるために必要なことを身につけることが大切です。そのためには、「学ぶ楽しさ」「人とのかかわりを通じた役立ち感」を知ることが重要です。教師が一方的に説明して、問題を解かせて「できた」「わかった」と言わせても知ることはできません。子どもが自分で「わかった」と感じる、互いにかかわり合って「わかる楽しさを知る」、自分の考えを他者に認められて「自己有用感も持つ」。こういう経験を授業の中でする必要があります。そのためにはグループやペアを活用するという方法もありますし、子どもの言葉をいかし、子どもの考えをつなぐような一斉指導もよいでしょう。どちらが正解というわけではありません。子どもの成長や状況によって手段は変わるべきだと思います。
ここで「子どもが主役」ということは、子ども自身の考えや子どものかかわり合いによって問題を解決していくということになります。教師の役割は、子どもが取り組むべき課題を考え、子ども同士のかかわり合いをつくりだすことになります。

長期的なゴールに至る過程を考えると、自分で考え、わかったと感じるためのベースとなる知識や考え方を身につけるということが必要になります。教師がこれを覚えなさい、この問題はこうして解きなさいと指示して練習をさせることが効率的に思えますが、子どものやらされている感が強く、達成感が持てなければ知識や考え方はしっかり身につきません。
知識は教師が教えるだけではなく、子どもが調べて見つけることも可能です。こういう活動をすることで、知識の獲得方法も身につけます。自分が見つけたと達成感も味わえます。考え方も、発問のなかにそれとなくヒントを入れたり、課題そのものを工夫することで子どもたちが気づきやすくすることもできます。
ここで「子どもが主役」ということは、子どもが自分で知識や考え方を獲得するような活動をすることになります。教師の役割は、子どもたちが身につけるべき知識や考え方を明確にして、子ども自身で見つけ気づくようにするための活動を考えることになります。

短い期間で考えると、漢字を覚える、かけ算の九九が言えるようなるといった、日々の授業の中で身につけるべきスキルのような訓練的な要素が強いものもあります。これこそ訓練でやらせるしかないように思えます。しかし、訓練させるにも、ただ「やりなさい」「試験をします」では、子どもは受け身になってなかなか身につきません。どれだけできるようになったかチェックし、自身の進歩を実感させ、ときには達成感を友だちとわかちあう。そのような工夫が必要です。
ここで「子どもが主役」ということは、子どもが目的意識を持って自主的に取り組み、達成感を味わうことになります。教師の役割は、訓練の目的を明確にし、子どもたちにわかりやすい目標を設定し、進歩を認める場面をつくることになります。

実際に「子どもが主役」の授業をつくることは、これらの要素が混じったものになると思います。教科や単元、子どもの成長によってそれぞれの比重が変わりますが、どれかの要素だけというのは不自然でしょう。

最後に「子どもが主役」というのなら、教師は何なのでしょうか。私は、「教師は演出家・プロデューサー・コーディネータ」だと思っています。主役たる子どもたちに活動を指示し、活動しやすいように環境をつくり、子ども同士をつなぐ。こういう意識を持てば自然に「子どもが主役」の授業になっていくと思います。

ペア活動の特性を意識する

ペア活動を取り入れる授業を見ることが多くなってきました。ところが、隣同士のペアで相談するように指示しているのに、後ろを向いて相談したり、黙ってしまってうまく活動できないペアが見られることがあります。うまくいかないときはどのようなときなのでしょうか。また、どのように活用すればよいのでしょうか。

教師が意識しなければいけないことは、子ども同士の人間関係ができていないときにはペア活動が難しいことです。ペアは1対1の関係ですから逃げようがありません。子どもたちにとっては緊張感が高まる関係です。年齢が進むにつれてこの傾向は強くなります。相談のような互いのかかわり合いが強く要求される活動をペアでおこなうのは意外と難しいのです。

それに対してグループは、ちょっと距離を置いて話を聞くこともできますし、声をかけやすい人がいる可能性も高くなります。また、グループで相談しているうちに、人間関係もつくられていきます。相談するといった活動は、グループの方が適していることが多いようです。

とはいえ、わざわざ席を移動してグループにするほどでもない、簡単に考えを確認させたいといったときは、ペアではなく、「まわり」と相談、確認するようにするとよいでしょう。「ペア」という逃げられない関係ではなく、「まわり」というゆるい関係を使うのです。

では、ペア活動はどのような場面で有効なのでしょうか。1対1の逃れられない関係であることを逆に生かして、互いの役割、責任が明確な活動に適しています。(ペア活動のポイント参照)
そして、注意してほしいことは活動を通じて、互いに相手に対してポジティブになるような工夫をすることです。たとえば本読みをペアでするとき、聞き役には、「間違えていないかチェックして」といった相手のミスを見つける役割ではなく、「間違えたり詰まったりしたら、正しく読めるように助けてあげてね」と相手を助ける役割を与えます。実質的に違わないように思えますが、役割の与え方の違いで、子どもの言葉づかいや態度が変わってきます。また、読み終わった後、悪いところを指摘するのではなく、よいところを指摘させるようにします。こうすることで、互いの人間関係もつくられていきます。

ペア活動は子どもたちの人間関係が大きく影響してきます。人間関係ができていなければなかなかうまく機能しません。逆に、その特性を理解してうまく活用することで人間関係をつくることもできます。このことを意識して活用してほしいと思います。

すぐに結論が出てしまったらどうする

授業で子どもとやり取りしながら考えを練り上げたいときに、いきなり結論が出てきてしまって扱いに戸惑うことがあります。こういうことを避けるために、どういう順番で指名するか注意をしている教師も多いと思います。結論が早い段階で出たときはどのように授業を進めていけばいいのでしょうか。

教師が戸惑う一番の理由は、自分の予定していたストーリーが崩れてしまうからです。一つひとつのステップを確認しながら、演繹的に進めるための準備をしているので、それが崩れて軽いパニックに陥ることもあります。結論が出たのに、無理やり教師が予定通り進めようと、あえてその発言を保留して最後に利用しようとすることもあります。
こういうときには、演繹にこだわるのではなく、帰納的に進めることが有効です。

結論やよい考えが発表されたからといって、全員がすぐにわかるわけではありません。まず、その考えがわかったか、納得できたか学級全員に確認をすることから始めます。その上で、間を埋めたりつなぐ考えを子どもたちから引き出していけばいいのです。

「・・・だから、・・・になると思います」
「なるほど。同じように考えた人いる」
「いるね。○○さんの考えを聞かせてくれる」
「・・・」
「なるほど、2人の説明でどう、みんな納得した。なるほどと思った人手を挙げて」
「いるね。じゃあ、まだよくわからないという人は」
「いるね。みんながわかったと言えるような説明を考えよう」
「さっきなるほどと思った人、どこでそう思ったか聞かせてくれる」
・・・

答を知って、どうしてそうなるのかを考える力は大切です。また、どうして気づいたのかを自分で考えたり、友だちから聞くことで視野も広がります。

「どうやって気づいた?」
「何をしていて気づいた?」
「どこでわかった?」
「何をやろうとしたの?」
「どんなことをした?」
「すぐに、できた? うまくいかなったことはない?」
・・・

「どうやって気づいたんだろう?」
「何をしたんだろう?」
「どこでわかったのかな?」
「何をやろうとしたんだろう?」
「どんなことをしたと思う?」
・・・

子どもは自分の気づく過程を明確に意識できていません。そのため、子どもの説明ではその部分はなかなか語られません。教師の説明も試行錯誤の部分は無駄として語られないことが多いように思います。そこで、教師がこのように問い返すことで、思考の過程を明確にし、その過程を教室全体で共有することができます。わからなかった、気づかなかった子もどんなことすれば、考えればよかったのかを知ることができるのです。

結論から説明を考えさせていけば、教師が考えていたストーリーの最初の一歩まで逆にたどることができます。そこまで戻れば、あとは当初のストーリーを生かすこともできます。

いつも演繹的に進めるのではなく、時には先に答えを示して、「どうしてこうなるのだろうか」と問いかけることも大切です。考えるアプローチをいくつも経験させておくと、すぐに結論がでてしまったりしても、あせることなく自然に対応することができます。

子どもの発言量と教師の発言量

子どもの言葉で授業を進めるということを考えたとき、多くの教師は授業の進度を心配します。子どもの発言量が増えると、それだけ時間が足りなくなると言うのです。果たしてそうなのでしょうか。

子どもにたくさん発言させて、その上教師が今までと同じだけの量を発言すれば時間が足りなくなるのは当然です。子どもの発言量を増やすのであれば、それに合わせて教師の発言量を減らさなければなりません。子どもの言葉は教師の説明と比べて拙いため、教師はどうしても自分の言葉でもう一度説明しなければ安心しません。ここが問題なのです。
実際には、子どもの言葉をつないでいけば、教師が説明しなくても子どもはちゃんと理解できるのです。教師が一方的に説明するよりも多くの子どもがきちんと理解してくれます。
また、教師の説明は子どもの説明と比べて、どうしても丁寧で長くなる傾向にあります。教師の発言量を少し減らすだけで、たくさんの子どもが発言する時間をつくることができます。

「それってどういうこと」
「それって、どこのこと」
「それって、どうやったの」
「○○さんの説明でなるほどと思った人」
「○○さんの考えを説明してくれる人」
「○○さんの考えにつけ足してくれる人」

教師は、このような言葉をうまく使いながら、子どもたちが、子どもたち自身の言葉で理解するための手助けをするのです。

一方、子どもたちも自分たちが発言した後、教師がまとめてくれると思っていると友だちの発言を真剣に聞きません。教師の発言量を減らしながら、子どもたちの発言時間を確保し、互いの言葉を聞き合って考える経験を積ませていくことが大切です。
子どもたちが育ってくると、教師の発言は、課題や発問、指示とつなぎの言葉だけになっていきます。
子どもたちの発言量が多く授業がどんどん進むので、もうすぐ授業が終わるのかと時計を見てみると、思った半分も過ぎていなかったということもあります。

「子どもが育ってくると、授業がどんどん進んで学年末には時間が余るくらいです」

こんなことを言う先生もいらっしゃいます。

子どもの発言量を増やすことで子どもたちは自分たちで理解するようになります。教師はそれに合わせて発言量を減らしていけばよいのです。子どもたちの力を信じて、教師の発言量を減らすように意識してほしいと思います。

教具や道具の使い方の説明

教具や道具を使って授業をする場面によく出会います。興味を引く教具を使うことで、子どもたちは集中して課題に取り組みます。教師は手元に実物がないと説明がわかりにくいと考えて、先に物を配ることがあります。ところが、子どもたちは物に気をとられて、肝心の説明を聞いていないことがあります。教具や道具の使い方の説明はどのようにすればよいのでしょうか。

教具や道具の類は、使う直前に配る、取り出すことが原則です。子どもにとって珍しい物が目の間にあれば、どうしてもそちらに気持ちがいってしまいます。日ごろから使っている教科書やノートであっても、使わないときはしまわせることを徹底している教師もたくさんいます。子どもの集中を妨げるものは、できるだけ排除した方がよいのです。
ですから、教具や道具の使い方は、できれば何もない状態で説明するのがよいのです。おもしろそうな教具を教師が全体に見せながら説明すると、子どもの中にはワクワク感、期待感が起こります。そこで、物を配れば一気に集中して活動します。ところが、物があまり大きくないと、どうしても全体では見えにくくなります。提示用の大きなものを用意したり、実物投影機などを活用して、見やすくすることが大切です。

では、提示用の物や実物投影機が準備できない、実物投影機ではうまく拡大して説明できないといった場合はどうすればいいのでしょうか。この場合は、実物が子どもの手元にあって触れる状態での説明の方法を工夫することが必要です。
教師が一方的に説明するのではなく、実際に子どもに触らせながら説明するのです。

「はい、○○をこのように持って。ちゃんとできているか隣同士確認して」
「次に、・・・」

こうすることで、触りたい気持ちを満足させながら、説明できます。

教具や道具を使った活動をする場合、その使い方の説明は、子どもの意欲をうまくコントロールすることを意識してほしいと思います。

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