提案授業から大いに学ぶ

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムでの算数の提案授業の撮影にでかけました。2時間完了の1時間目と、2時間目の先行授業でした。

撮影前の授業での子どもたちのようすを見てちょっと落ち着きがないことを心配していたのですが、実際にはしっかりと集中した姿を見せてくれました。子どもたちが真剣に黒板のスクリーンを見ている姿に、ICTの威力を感じました。決して凝ったものではないのですが、だからこそ気軽に使える、子どもにもわかりやすいものになっていました。これならば、自信を持ってフォーラムで紹介できます。今から会場の反応が楽しみです。

しっかり練られた指導案で、機器の利用の工夫もされている授業なので、多くの気づきがありました。子どもが興味を持って取り組んでいるので、子どもの集中力が下がる場面に、教師の働きかけの大切さが浮かび上がってきます。今回印象に残ったのは次のようなことでした。

一つは、挙手に頼るかどうかです。
子どもが作った三角形を発表させる場面で、授業者は挙手をさせました。今回は最大で19種類の三角形が出てくるはずです。最初のうちは元気よく手が挙がっていたのですが、残った数が減ってくるころには、挙手も減り、指名との間に時間もかかるようになってきました。挙手できない子は集中力をなくしてきました。だれてきたのです。
全員5種類の三角形を作っているのですから、挙手に頼らずどんどん進めればいいのです。日ごろ発言できない子を中心に指名する、列で指名する。いずれにしても、単調になりやすい場面ですので、テンポよく素早く進めることが大切です。

もう一つは、違った考えの子どもをどう取り込むかです。
三角形を分類する場面です。子どもの発表に対して授業者は同じ分け方の子どもに挙手させました。同じ考えをつなぐよい指示です。その後、その理由を説明するように求めました。ここから、挙手できなかった子どもの集中力が落ちてきました。自分は違う考えだから参加できないと感じたのです。授業者は、違う考えの子どもに友だちの考えを理解させ説明させようと考えたそうですが、手が挙がらなかった子どもを見るとボーとしてよく理解できていないようだったので断念したそうです。
では、どうすればよかったのでしょうか。

「違う分け方の人にもわかるように説明してね。違う人もどうやって分けたのかよく聞いてね。あとで、説明してもらうからね」

と違う考えの子どもに課題を与える。こうすることで、彼らも参加することができます。

「どうやって分けたのか説明できるかな。違う分け方の人も、よく見て考えてね。まわりの人と相談してもいいよ」

と考える時間を与える。違う考えに接していきなり理解するには時間がかかります。いわんや説明はもっと大変です。また、まわりと相談するということは、そのわけ方をした子どもともかかわる機会をつくれます。全体で発表するより多くの子どもが活躍できます。

どちらかが正解というわけではありませんが、違う考えの子どもを参加させるような働きかけが必要だということです。

授業者にとっても、参観者にとっても刺激と学びの多い授業でした。
授業検討を受けて、明日、2時間目の授業に再挑戦です。授業者はきっといろいろと考え工夫をしてくれると思います。私もどのような変化を見せてくれるのかとても楽しみです。

充実した学校訪問

昨日は中学校で、1日日程の学校訪問に参加しました。気ままな立場なので、指導主事の先生方とは全く別に、自由に授業を参観しました。

午前中は若手の先生を中心に見ました。中には1年前と比べて目を見張るほどに進歩している方もいました。教科の先輩からよい刺激を受けていることがよくわかります。この日も先輩が授業を外から見ていました。こういう雰囲気が教師を育てていくのだと思います。

教師経験がほとんどない先生も、工夫をしながら少しずつですが進歩しています。特に講師の先生は研修の機会も少ない中、空いた時間に他の先生の授業を見に行くなどして必死に自分の授業の質を高めようとしています。学ぼうとする空気があることがこの学校の強みでしょう。

気になったのは、子どもが活発に活動することと、授業のねらいがずれている場面がいくつかあったことでした。子ども同士が英語でクイズを出し合う場面では、問題づくりを頑張ってやってきた子どもは、クイズそのものが目的になっていました。中には英語がまだるっこしくなって、日本語でヒントやコメントを言っている子もいます。はた目には活発な授業ですが、英語の授業としては?でした。最後の評価も、「何問正解できた?」では、子どもも学習のねらいを誤ってしまいます。いろいろ工夫をしていただけに残念でした。
授業のねらいと活動をリンクすることがいかに難しいことかあらためて知らされました。

午後の授業研究は数学に参加しました。
印象的だったのは、「姉が弟に追いつくか」という問題で、何をxとおくか子どもに問いかけた場面でした。「弟が進んだ時間をx分とする」という子どもの言葉をいかそうとそのまま板書しました。ここで、この意味をしっかりと確認せずにグループで線分図を書かせましたが、ほとんど動けません。ヒントとして、追いついたとき弟と姉の位置が一緒だということを押さえましたが、それでもなかなかうまくいきませんでした。
授業者は、自分が想定している「弟が出発してから何分後に姉が弟に追いついたのかをxとする」と、子どもの言葉が同じことを意味していると考えていたのです。しかし、想起されるものは明らかに違います。子どもの言葉は、進むという言葉のイメージから、xは変化するものと関数的にとらえていると思われます。「進んだ時間がx分」と追いついたときが結びつかないのです。そのため、線分図に弟と姉の位置を書けなかったのです。

子どもの言葉を問い返して、「x分後に追いついた」という言葉を引き出し、全体で共有する。

まず「x分後の姉と弟の位置を線分図に書いて」といった発問に変え、弟と姉の位置を線分に図に書かせる。すると弟と姉の位置が違った線分図がでてくるはずです。そこで、「追いつくときは?」と問い返す。

教師は無意識に子どもの言葉を置き換えたり、自分に都合のいいように解釈します。子どもの側に立って、一言一言にこだわりながらしっかり聴くことが大切です。

授業そのものは、線分図が書けた後は活発になり、解の吟味でグループ活動が盛り上がっているところで、残念ながら時間となりました。しかし、子どもたちが集中して授業に参加している姿に、授業者が子どもたちをしっかり育てていることがよくわかるよい授業でした。

検討会では、先生方から子どもの詳しい様子をたくさん聞くことができました。普段から子どもをよく見て授業をしていることが伝わる検討会でした。研究発表が終わって1年がたちましたが、学校としては決して歩みを止めていなかったことがよくわかるものでした。

この日は遠く山口県からも視察の先生がいらっしゃいました。非常に勉強熱心な方で、授業や自身の研究のテーマについていろいろと質問をしていただきました。質問に答えようとすることで、私自身もより深く考え、とてもよい勉強になりました。また、子どもたちの考えを深めるような切り返しを研究したいとのことで、そのテーマのよさにも感心しました。授業での子どもたちのようすや検討会での先生方のようすがともに柔らかい雰囲気であったことをほめていただけました。この学校が目指しているところに気づき、ほめていただけたことをとてもうれしく思いました。ありがとうございました。

秋のさわやかな1日、私もとてもさわやかな気持ちで学校を後にすることができました。

実りある指導案検討会

昨日は、愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する国語科の指導案検討会に参加しました。授業者の学校の若い先生もたくさん出席してくれて、とてもよい雰囲気で楽しく進めることができました。

授業名人野口芳宏先生の授業を追試するのですが、ICTを活用するというのがテーマです。どうしても、ICTに引きずられそうになるのですが、授業の芯がぶれては困ります。うれしかったのが、授業者が教材を選ぶにあたって、ICTの活用を意識するのではなく、自分の教室の子どもたちが教材に対してどんな反応をするだろうかという視点を大切にしたことです。したがって、ICTについては、イメージすらはっきりしていません。そこで、まず、子どものどんな姿が見たいのかということについて多くの時間をとることになりました。

求める子どもたちの姿は、詩の朗読の場面なのか、解釈なのか。両方なのか。いろいろな考え、意見が参加者から出されました。最終的には授業者の思いで決まります。授業者は詩の持つ言葉の面白さを子どもたちに気づかせ、詩の解釈をもとに意識して朗読をすることを選びました。2つの場面がありますが、それぞれの場面で子どもたちの活動の姿がだいぶ見えてきたようです。

ここまで、授業が見えてくると、ICTをどう活用するかという懸案が出てきます。ICTなんかなくてもこの流れなら授業はおもしろいものになりそうです。ICTの使いどころがない、という結論が出てもおかしくありません。ここで、フォーラムの教科責任者の提案が見事でした。この授業にある要素を加えることで、詩の解釈と朗読をうまくつなげるのです。このこと自体は、直接ICTとはつながりません。しかし、要素を加えることで、当然時間が苦しくなります。問題点が明らかになれば、それを解決する手段としてICTの出番が出てきます。ここからは、どんどんアイデアが広がり、国語における新しい活用の視点を提案できるという確信を持てるところまで詰めることができました。本番の授業、フォーラム当日がとても待ち遠しくなりました。

教科責任者の先生は、この日のために野口先生の授業、著作を再度見直し、参加者のためにわかりやすく整理した資料を準備し、その上で新しい視点のための下準備も入念におこっていました。授業者の思いがあり、それに対する教科責任者のフォローがあったおかげで充実した会になりました。

最後に、参加した若い先生の感想を聞きましたが、検討会の内容からたくさんのことを学ばれたことがよく伝わりました。素直に学ぶ姿勢は、彼らが今後大きく成長していくことを予感させてくれました。休息なしの3時間の長丁場が苦にならない、とても楽しい時間でした。

発問について考える

昨日は、中学校で社会科の授業研究に参加しました。2人の方が別々に授業しましたが、私ともう一人のアドバイザーの先生でそれぞれ見せていただきました。

私が参観したのは、裁判の3審制をきっかけに、人権がどのように守られているか考える授業でした。この日は教室ではなく丸テーブルを並べたラウンジでおこなわれました。足利事件などの再審請求が認められたことを伝える新聞記事などの資料のパネルや、インターネットがすぐに活用できる環境を準備しての授業です。授業者は「私たちの人権がどのように守られているのか考えよう」という課題を示し、子どもたちに調べるように促しました。一部の生徒はすぐにインターネットに飛びつきますが、その他の生徒はなかなか動きません。せっかくラウンジのまわりに掲示した資料を見ようとはせず、資料集をめくっています。グループでの発表の前に、何とか人権に関することをまとめてはしましたが、子ども同士の話し合いもほとんどおこなわれませんでした。

授業後の検討会では、発問についての意見が多く出ました。

子どもたちの活動が、資料集で「人権」という言葉を探してその部分を抜き出すか、意味はわからないままインターネットで「人権がどのように守られている」と検索して見つかったものを写すだけで終わっていた。課題が子どもたちにわかりにくかったからだ。
人権を守るとはどういうことか、何をどう調べればいいのか、自分たちでもよくわからなかった。
・・・

たしかに、「人権を守る」とはどういうことか考えるのがねらいですが、発問としては、適当ではなかったようです。

「なぜ、日本の裁判はこんなに時間がかかる」
「裁判がもっと早く終わるようにするべきでは」
「なぜ、大事件を起こした犯人のために、大金を使って裁判をおこなう」

このような、子どもたちにとって具体的で取り組みやすいもの、取り組むことで結果として人権について考えることにつながるものにする工夫が求められます。

一方では、教室でなく資料を準備したラウンジで授業をするというチャレンジを評価する声もあがりました。また、あるグループが発表したとき、教師が何も言わないのに何人もの生徒が資料集で確認をしていた。日ごろから資料をちゃんと確認するように指導しているからこそこのような姿が見られるのだという指摘もありました。
多くの先生がこの授業から学ぼうとする姿勢を見せてくれたことをとてもうれしく思いました。

授業後、課題と発問について社会科の先生方と一緒に、もう一人のアドバイザーの先生から遅くまでお話をうかがうことができ、充実した時間を過ごすことができました。よい機会をありがとうございました。

教師の役目

昨日は中学校の社会科の授業研究に参加しました。製糸工場の女工の生活を農村と関連づけて考える授業です。日本の資本主義の発達と貧富の格差、社会主義運動を扱うための最初の時間でした。

子どもたちは落ち着いて、授業に真剣に取り組んでいました。友だちとかかわりあえる子どもに育っています。
授業者はできるだけしゃべらないことを意識して授業をおこなったそうです。子どもたちに、「厳しい生活にもかかわらず、なぜ女工なってよかったと思ったのか」という課題をグループで考えさせる場面では、最初に具体的な資料を示しませんでした。普段から根拠をきちんと求めているので、子どもたちが自分で教科書や資料集を探して考えてくれるだろうと信じていたからです。しかし、実際にはほとんどの子どもが資料集を開かずに話し合っていました。根拠となるものがない話し合いなので、深まっていきません。すぐに活動が止まってしまいました。そこで授業者は「ヒント」と言って、当時の写真を2枚黒板に貼りました。説明は一切ありません。子どもが自分たちでこの写真が何なのかを考えてほしかったからだそうです。子どもたちは真剣に考えていましたが、この授業のねらいである、過酷な労働を前提とした資本主義の発達と、結果その労働者よりも貧しい農村の生活についてあまり深まることはありませんでした。

教師がしゃべりすぎないことは大切ですが、授業を大きな視点コントロールするのは教師の役目です。この授業では、子どもたちが資料集を開かなかった時点で、何らかのアクションを起こすべきだったのです。

話し合いが止まったところで、「困っていることはない」と一度問いかけて、資料が必要なことを確認する。
「資料集を見ていいか」と聞いた子どもが出てきたときに、「なるほど、資料集が必要なんだね。いい発想だね。必要なものは使っていいよ」と資料集を見てもいいことを伝える。

自分から指示をしなくても、子どもからうまく引き出すことをすればよかったのです。
また、資料については、正しく読み取った上で活用する必要があります。子どもに考えさせたいのであれば、ます資料を読み取ることを子どもたちにさせて、その結果を全員で共有する必要があったと思います。(資料集をどう活用する参照)

授業者とは2年前からかかわっていますが、本当に成長したと感心しました。子どもたちとの関係をつくり、子どもたちを信じようとしていることはとても立派です。今回の授業のために、近隣の図書館をまわって資料を探したそうです。授業にかけるエネルギーも大したものです。授業後に「子どもたちはよく頑張ってくれた。うまくいかなかったのは自分の問題だ」という言葉が出てきました。自分に足りない部分を素直に認める姿勢は今後の成長を大いに期待できます。
いつも思うことですが、授業の基本がしっかりすればするほど、課題が明確になり、またたくさん見つかります。ここからが、大きく飛躍する時期です。次に彼の授業を見る機会が楽しみです。

模擬授業は楽しい

昨日は、愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する社会科の授業の模擬授業に参加しました。

有志の先生数人でおこなうものだと思っていたのですが、その小学校のほとんどの先生が参加してくださったのにびっくり、かつ大感激。授業者は若手の先生ですが、この温かい雰囲気が大きな支えになっていることと思います。

最初は、勝手がわからずちょっと様子を見ていた感もありましたが、司会で仕掛け人のT先生の授業者への突っ込みからがぜん盛り上がり、子ども役の先生からもどんどん意見が出てきました。中には「こんな小学生いないよ」と突っ込みたくなる意見も出できましたが、決して授業者を困らせようというのではなく、子どもと同じように授業に入り込んだからに違いありません。そういう意味では、指導案もよく練られたものでした。
子ども役の先生方は、発言に対する授業者の対応に非常に素直に反応してくれました。うまくつながっているときは、どんどん発言してくれますし、「???」と思う対応には、雰囲気が重くなります。授業者は先生方の反応や意見からとても多くのことを学べたと思います。

この模擬授業を通じて指導案の流れや基本的な発問はほとんど変わりませんでした。しかし、授業を実際に進めるにあたって、指導案づくりだけではわからないポイントがたくさん見つかりました。模擬授業は、教師の切り返しが子どもの活動にどう影響するか、教材・課題を子どもがどのようにとらえ、反応するかなど、机上では気づけないたくさんのことに気づくことができます。模擬授業には指導案の検討とはまた違った学びがあるのです。

勤務時間後にもかかわらず、同僚のために残って参加してくださった先生方の終始明るい笑顔がとても印象的でした。きっと、多くの先生に新しい気づきや学びがあったことと思います。すべての先生が、2週間後の本番の授業を楽しみにしてくれることと思います。私も、この模擬授業がどのように生かされてくるのか、とても楽しみです。授業者には少しプレッシャーかもしれませんが、子どもたちがどんな姿を見せてくれるかを楽しみに授業にのぞんでほしいと思います。

課題や発問の言葉を子どもの視点で見直す

昨日は中学校で授業アドバイスをしてきました。前回訪問時に気になった学年の子どもたちは、授業への集中力を取り戻しつつありました。先生方がチームワークよく対応しているのだと思います。

今回たまたま2つの社会科の授業で課題の言葉が問題になりました。一つは、3審制の「意義」、もう一つは中国の「課題」です。ともに、グループでの話し合いの課題ですが、子どもたちはうまく活動できませんでした。
3審制では、「意義」の意味がわからない子がいたのです。教師があらためて「意義」を説明することで活動は無事に活性化しました。
一方の中国の「課題」ですが、子どもたちは「課題」を考えるという活動の経験がありませんでした。最初は資料集や教科書を調べているのですが、「課題ってどこに書いてあるの」という言葉が出てきました。「課題」を考えるのではなく、資料から「課題」と書いてある言葉を探そうとしていたのでした。授業者は、中国の少子高齢化の問題に気づいてほしかったようです。そうであれば、「中国は30年(?)後は繁栄しているだろうか」というようなより具体的なものにして、気づかせる。人口問題を考えるきっかけとなる資料をあらかじめ用意してから、何年後かの中国のようすを想像させる。といったアプローチを考えた方がよかったと思います。子どもが少子高齢化に気づいたら、「君たちは中国の課題を見つけたね」と評価することで、「課題」を考えるということはどういうことか教えていくのです。

教師は、「意義」「課題」などの抽象的な言葉を無意識に使ってしまいます。教師にとってはぴったりくる言葉であっても、子どもには具体的にどうとらえればいいのか、何を考えればいいのかわからないことがよくあるのです。発問や課題の言葉を子どもの視点で見直すことが大切です。このことをあらためて実感することができました。よい勉強をさせてもらいました。

子どもの状態をつくっている原因を考える

昨日は、中学校で授業アドバイスをおこなってきました。

若手の先生と一緒に授業観察をおこないましたが、皆さん子どもを見る力がついてきたように感じました。一緒に教室の子どもの様子を見ながら気づいたことを聞いたりしましたが、よく状況を把握できるようになってきました。
集中力をなくしている子ども、集中力が増す瞬間などしっかりと見ることができています。彼らに基礎力がついてきている証拠です。子どもを見る視点が育ってくれば、自分の授業でも子どもを見ることができるようになっていくはずです。

次の課題を意識してほしいと思い、今回は子どもの事実に対してその原因を考えることを話しました。集中力をなくしている子ども、課題に手をつけない子ども、こういった子どもがその状態になっているには何らかの理由があるはずです。内容がわからないのか、逆に簡単すぎてつまらないのか、それを想像することが必要です。集中力が落ちているのが特定の子どもなのか、それとも学級全体なのかでも当然違ってきます。気をつけてほしいのが、教師が過敏に反応してすぐに注意をしないようにすることです。実際に子どもを観察していると、しばらくすると集中力が戻ることがあります。1時間中ずっと授業に参加しないことのほうがまれです。どのようなタイミングで子どもが集中力を取り戻すのかがわかれば、その状態をつくった原因も見えてきます。そうなれば、教師がその原因と対策を意識して授業をすればいいわけです。焦って注意をしてもすぐに元の状態に戻ったり、逆効果になったりすることがよくあります。少し長いスパンで子どもを見ることが大切です。

また、手がついていないときには、わからないのだろうと考え、すぐに教えようとすることが多いように思います。しかし、それ以前に「何をすればわかるようになるのか、できるようになるのか」が、わかっていないために動けていないこともよくあります。そんなときは、教えようとするより子どもにわかるための活動を促すことが必要になります。まわりの子どもにたずねるように働きかけたり、どこに目をつけているか他の子に発表させたりして、動き出すきっかけを与えます。どう対応するかは、その状況をつくっている原因で変わってきます。しかし、その原因はすぐに特定できるわけではありません。だからこそ、そのことをいろいろ想像して、対応してみることが必要になります。そして、その後の子どもの動きの変化を見て、対応が適切だったのか、原因が想像した通りだったのかを知り、教師の経験値をあげていくのです。

子どもの事実を見ることができるようになれば、次はその状態となった原因を想像してどう対応するかを考えることが課題です。こうした課題を持って授業にのぞむことで、若手もどんどん力をつけてくれると期待しています。

他教科の意見は貴重

昨日は中学校で授業研究に参加しました。私が参観したのは同時展開でおこなわれた2つの数学の少人数授業でした。

おもしろかったのが、数学科以外の先生方の反応や意見でした。教科の人間でないので、子どもと同じ視点で授業を見ます。「何をすればいいのかわからない」「何をやっているのかわからない」といった声が聞こえてきます。数学の教師にとっては当り前のことが、そうでない者にとっては決して当り前でないことがよくわかります。
検討会では、数学の教師とは違った視点から、「なるほど」とうなずかされる意見がたくさん出されました。

中学校では教科担任制をとるために、授業研究で他教科の方が参加することに懐疑的な方もいらっしゃいます。しかし、他教科の意見はその教科の人間では決して気づかないようなものがたくさんあります。子どもの目線に近く、しかも教師の視点もあわせもっているということは、とても貴重なことなのです。

今回の授業で「何をやっているかわからない」という声が出た原因の一つが、教材研究不足です。端的に言えば教科書の内容をしっかりと理解していなかったことです。
1次関数のグラフの傾きの最初の授業ですが、1次関数の「変化の割合」という関数としての性質と、直線のグラフに対して定義された「傾き」が等しいことを使って、グラフの傾き具合と「傾き」との関係を整理するという教科書の論理の進め方をきちんと理解していなかったのです。ここが不明確なまま授業を進めたため、傾き具合と「傾き」、「変化の割合」の関係が混乱してしまったのです。

ここでも何度も取り上げているように、教科書の内容をきちんと理解することはとても大切なことです。課題や発問を子どもの視点で見直すこと、教科書をきちんと読み込んだ上で自分なりの進め方を考えることを授業者にはお願いしました。
私自身数学が専門ですので、今回、他教科の方の素直な意見に触れることで、たくさんのことに気づくことができました。とてもよい機会を得られて感謝しています。ありがとうございました。

学びの多い一日

昨日は中学校で授業アドバイスと指導案の検討会に参加しました。

若手の先生と一緒に授業を見ました。子どもたちが落ち着いて授業に取り組んでくれるので、教師の発問の質や子どもの発言への対応がどうであるのかがとてもよくわかります。この学校では、子どもとの基本的な関係から一歩進んで課題や発問、活動の質など、より教科内容にそった授業研究が求められると思いました。
また、2年生の多くの学級で職場体験の自己紹介文を清書する場面を見ることができました。この学年は全体的に人間関係もよく落ち着いているのですが、それでも学級差が目立ちました。誰ひとりわき目も振らず集中している学級、友だちの紹介文を見たりしながら楽しそうに取り組んでいる学級、書き終えた子どもなのでしょう、まわりの子どもとおしゃべりしたり、ごそごそしている子どもが目立つ学級、・・・。教師の姿も、前でじっと立って様子を見ている、教師用の机で何か作業をしている、教師が前で子どもの紹介文をチェックしている、・・・といろいろです。板書も紹介文を書くときの具体的な指示、心構えなどバラエティーに富んでいました。子どもたちの様子の違いとその原因についていろいろと考えることができ、とても面白く感じました。

この日は個別のアドバイスを予定していなかったのですが、若手の何人かが自主的に聞きに来てくれました。とてもうれしいことです。

数学の講師と新任は、教室は落ち着いた雰囲気で授業ができるようになっています。しかし、どうしても先生が一方的にしゃべりすぎるのです。その原因は、解き方の手順を教えることを中心に授業を考えているからです。ですから解き方を聞いて子どもが答えたら、もう聞くことがないのです。定義を問う、解き方の根拠を問う。こういう場面がないため、ひたすら説明と問題練習で終わってしまうのです。ただ教科書をなぞるだけでは授業はつくれません。子どもに何を考えさせるのか、そのためにどのように問いかけるのかを考えて授業に臨むことをお願いしました。

理科の2年目の先生は、昨年と比べて随分と落ち着き、子どもたちとの関係もしっかり作れていると感じました。レンズの作図をする場面では、子どもたちは集中して取り組んでいました。こういう状態がつくれると、授業で改善すべき点が何であるか、とてもよくわかります。
この日のまとめを、光源の位置と像の関係に注意して書くように指示したとき、ある子どもが、「どこかわからない」と声をあげました。おそらく光源の位置をどう整理したらいいのかわからなかったのでしょう。板書を見ても、作図の仕方は丁寧に書いてありますが、なぜこれらの場合に分けているかは書かれてはいません。先生は、その子どもの言葉をとりあげずに個別に対応しました。しかし、他にも同じように混乱している子どもがいるはずです。実際にさきほどの作図と違って、鉛筆にすぐに手がいかない、すぐに動かない子どもがかなりいました。
「他にも困っている人いる」と課題を把握できていない子どもを確認したり、「何を書けばいいか、まわりと確認して」と課題を子ども同士で確かめ合う活動を入れるべきだったと伝えました。

また、このような状態をつくった原因は、作図に入る前になぜ光源と焦点との位置関係に注目して作図をするのかをきちんと確認していないことにありそうです。授業者に確認したところ、やはり、前回の実験のことには触れたが、実験とこの日の作図の関係をきちんと押さえていなかったようです。個々の場面や課題についてはどう進めるか考えているのですが、理科で大切になる、実験でわかったことをもとに考える、考えたことを実験で確かめるといった、課題同士をつなげることを意識できていなかったのです。

しかし、このような教科の内容や進め方について具体的に話せるようになったのは大きな進歩です。基礎的なことがしっかりしてきたからこそ、どこに問題があるか明確にわかるのです。この授業でいえば、もし子どもたちが作図をきちんとできていなかったり、教師の話を聞いていなかったりしていれば、どこが原因で課題がわからないのか想像ができません。これが、私が若い先生にアドバイスするとき、まず教科の内容ではなく基礎的な子どもとの接し方や授業技術について話す理由です。

この日は、このほかにもたくさんのことに気づくことができ、また学ぶことができました。何年もかかわっている学校なので、きっとこんな様子だろうと想像してしまうのですが、子どもたちと先生はいい意味で裏切ってくれます。これが、学校で授業を見せてもらう大きな楽しみの一つです。

授業の方向性がそろっている学校

昨日は、小学校で授業アドバイスと授業解説をさせていただきました。すべて算数の授業です。この学校の努力目標の一つに算数が取り上げられているからです。1日算数の授業にかかわることはめったにないので、とても楽しい時間を過ごすことができました。

授業解説のたたき台となってくれた授業は、さすがベテランというべきものでした。子どもがよく育っていたので、聞く姿勢もできていました。しかし、机が横並びのために、後ろの方の子どもの発言を聞くときに、前の座席の子どもが聞きづらかったり、前を向いたままになっていたのがとても気になりました。基本的に聞く姿勢ができているので、座席をコの字型にするといった工夫が必要でしょう。

この授業でおもしろかったのが、子どもの発言が教師の予想を超えていたことです。
速さの導入の授業なのですが、最初に「速さ」について子どもに自由に意見を言わせたところ、すぐに「時間」がかかわること、「1秒で、1時間で」、「同じ距離を」といった基準を意識した言葉、キーワードが出てきました。
授業者は笑顔で子どもたちをとてもよくほめます。そのおかげで子どもたちは安心して意見を言ってくれます。このように子どもが育ったからこそ、教師の予想を超える発言をしてくれたのです。

しかし、研究授業ということもあり授業者は指導案の流れにこだわって、時間と道のりだけに焦点を当てて進めようとしました。しかし、たとえば「同じ距離」という子どもの言葉から「距離」に焦点化しようとしても、子どもは「同じ」に意識がいきます。速さに関して、当然のように関係する「距離」よりも「同じ」が子どもにとってはより注目すべきことだと考えたからです。
このように子どもからよい考えが出たときは、その場で他の子どもも土俵に上がれそうであれば、教師もそこに乗っかればいいのです。
この授業がうまくいかなかったわけではないのですが、同じ時間、同じ距離に注目して、どうすれば速さを比べられるかを先にやってから、練習をすればすっきりと進んだと思います。

授業アドバイスは、若手の先生を中心に6人の方の授業を見せていただきました。
授業後、どんな授業を心掛けているかを聞いたところ、「子どもたちが楽しいと感じる、思う授業」ということをどなたも言われました。この学校の目指すところが先生方に共有されているということです。ちょっと意地悪く、「楽しいとはどういうこと」と聞き返すと、「できる、わかること」とすぐに答えが返ってきました。このことにも感心しました。
ならばアドバイスは簡単です。何ができればよいのか、何がわかればよいのか、教師にとっても、子どもにとってもそのことが明確になるようにすることです。授業の最後にできた、わかったと感じるだけでなく、ステップごとにできた、わかったと子どもに実感させることがポイントです。

授業の場面ごとの目標をはっきりさせること
子どもたちにできた、分かったと実感させる場面を明確にしておくこと
そして、教師できれば友だちがポジティブに評価すること

このようなことを意識して授業をすることをお願いしました。

先生方が、一つの方向を向いて授業研究に取り組んでいることがとてもよくわかる学校でした。管理職、リーダーの先生がしっかり機能している学校です。今年度もう一度おじゃまする機会があります。そのときに、どのように授業が進化しているか今からとても楽しみです。

教材開発の会議に参加

昨日は教材開発に関する会議に参加しました。

授業や教材に関して、知識をいかに効率的に伝えるか、獲得させるかという視点が重視されていることが多いように最近感じます。

子どもの説明は不明確だからと、教師が無駄のない説明をする。
たとえよい考えや意見でも、教師が予定した説明につながらないものは取り上げない。
身につけるべき知識を効率的に習得することを意識して、きれいにまとめた教材。

子どもは、考えることは与えられた問題を教えられた手順に従って解くこと、知識を獲得するとは教師が指示したことを無駄なく覚えることと思ってしまうのではないでしょうか。そうならないために、問題を自ら気づく、発見する、解決する。そして、経験を通じて知識を獲得していく。こういうことを大切にしてほしいと思います。

自分たちで意見をつなぎながら結論を導く。
友だちのいろいろな考えに触れて視野を広げる経験を積ませる。
何が大切な知識か自分で考え、整理する。

学校での学びはこのようなことを大切にしなければ、質の悪い塾のようになってしまいます。逆にこのような学びは個人ではとても難しいことです。残念ながら、学校でこのような学びを経験できていない子どももある程度存在するのではないでしょうか。いろいろな考えに触れることなく、結論だけを示され、それを覚える。このような毎日を学校で送っている子どもたちに、少しでもいろいろな考えに触れ、自ら考える経験を積ませるような教材をつくることができないか。そんなことを考えながら会議に参加していました。何とか形にしたいものです。

子どもの姿を想像してワクワクする指導案検討

昨日は指導案作成のアドバイスをおこないました。前回(数学の課題のアイデア検討)のアイデアをもとに、授業者が用意した指導案を具体的に検討しました。

課題は教科書の姉が駅に向かう弟を追いかける問題に、電車の発車時刻を条件に加え、追いつく時刻と駅までの距離をもとに方程式の解を吟味させるものでした。数値の設定をどうするか、何をもとに解を吟味させるか、時間をかけて考えて来たことがよくわかるものでした。

話をしたのは、大きくは2つの点です。
1つは、問題を把握して式を立てるための手立てを子どもたちに考えさせる場面の進め方です。
授業者は線分図を使って自分で説明するつもりでした。文章題でつまずく子どもは、最初の一手がわかりません。何をすればよいかを、子どもたちの口から引き出すことをお願いしました。

そのためには、

「線分図に何を書き込む」「弟はどこにいる」「姉はどこにいる」といった問いかけを活用する。
一つの線分図に無駄なく書き込もうとするのではなく、出発後何分たったかわからないと位置を図に書けないことに気づかせる。
時間の要素を意識することで、時刻ごとの線分図を書いてみる。
追いついたときは短絡的に姉と弟の「距離」が等しいとするのではなく、まず「位置」が等しいことを押さえる。
位置を指定するのに「家から」何メートルと「起点」を問う。
2人とも家を起点にして位置が考えられるので、追いつた時は「家からの距離」が等しいことを利用する。

このようなことを話し合いました。

2つ目は課題で何を問うかです。
授業者は、何分後に追いつけるかを問い、姉の出発時間を5分後、10分後、15分後、20分後と4つ用意し、グループで分担して解かせるつもりでした。
しかし、塾等で解の吟味を経験していない子どもには、吟味する必然性はありません。また、弟は駅につけば発車まで電車を待っているということにも、意識が向きにくい問いかけです。何分後に追いつくかは、方程式の未知数を何にするかわかりやすくするためのこちら側の意図であり、現実にはあまり意味のある問いかけではないのです。
教師の多くは、「知りたいもの、求める物をxとおく」と教えますが、その前にもう一つ大切なことがあるのです。「何が分かれば、問題が解決するのか」です。この発想が実はもっと大切なのです。

この課題では、本来の目的である、「忘れ物を渡せるか」が問いであるべきです。解決するためには何分後に追いつくのか知ればわかりそうだ。そして、その結果をもとに渡せたかどうかを判断する。こういうプロセスをたどることで、方程式を利用して問題を解決するには、解の吟味が必要なことに子どもたち自身で気づきやすくなります。

姉の出発時刻も、教師が用意するのではなく、子どもたちに考えさせる方法もあります。「いつまでに出発すれば忘れ物を渡せる」という発問にすれば、子どもが出発時刻を変化させながら方程式を解くはずです。
電車の発車時刻より後の出発では間に合わないことにもすぐに気づくはずです。自然に解の吟味を意識するでしょう。
また、正確にいつまでに出発すれば間に合うかどうかを意識した子どもは、時刻を細かく変化させるはずです。そうすることで、関数としての視点も生まれてくるはずです。

同じ課題でも、どう問いかけるかで子どもの動きが大きく変わってきます。授業者そのことに気づいてくれたようです。どのような問いかけにするか、もう一度考えるようです。話し合っていて、子どもがどんな活動をするだろうか、どんな考えが出るだろうか、ワクワクしてきました。10月の授業がますます楽しみになってきました。

ベテランも若手も楽しめた研究会

先週末に参加した愛される学校づくり研究会は、来年東京でおこなうフォーラムのための授業検討の会でした。

教科に分かれて、具体的な指導案をもとに、参加者がいろいろな意見を自由な立場で発言します。

「子どもが自分のこととして考えるための手立てが必要なのでは」
「この場面は何のためにあるの」
「子どもには、その発想はないのでは」
「子どもからどんな言葉が出てくるだろうか」
・・・

子ども目線での発言がとても多いのが印象的でした。話を聞いていて、授業での子どもの姿がどんどん浮かんできます。参加した若い先生が、「冷房が利いているのに体が熱くなってきました」と言われたのが印象的でした。教員になってからこのような指導案の検討会を経験したことがなかったそうです。何としてもこの授業を見てみたいと思ったようです。

検討終了後、模擬授業をやってくださいと指名されたのは授業者ではなく、なんと検討会をとり仕切ってくれた司会の先生。突然のことにどうなるかと思いましたが、検討会で授業イメージができていたのでしょう、ためらいもなく模擬授業に入っていかれました。本番の授業者でもなく、専門教科も違っても、その場で対応できるのはさすがです。子ども役の発言を見事に切り返し、つないでいきます。参加した若手の先生方が一生懸命メモをとっています。緊張感のある、学び合える会となりました。

研究会の終了後、教科のまとめ役の校長先生が、「長らく授業をやっていないが、自分もこの単元の授業をやってみたくなった。自分だったら導入は、・・・」と本当に楽しそうに話をしてくださいました。
ベテランも若手も楽しめたとても充実した研究会でした。

子ども役が話したくなる模擬授業

先週末は模擬授業の解説と講演を研修で行ってきました。私がアドバイザーをしている学校の中堅の先生に授業をお願いしました。

社会科の雨温図の模擬授業でしたが、発問や課題が子どもたちにどのような活動を引き起こすか、子ども役になることで先生方によくわかったのではないかと思います。
雨温図がどの都市のものか根拠を持って考えるという課題は、資料集から答を探すのと違って子ども役の教師にとっても難しいものです。授業者の指示がなくても、子ども役の先生方は自然にまわりと相談をし始めました。特に同じ学校からの参加者のように人間関係が既にできているときは、その傾向が顕著です。子ども役の先生から「不安だとまわりを見たくなる、聞きたくなる」といった言葉が出てきました。
実際の子どもたちと違って、答があまり分かれなかったので、根拠をもとに全体で意見を聞きあう場面の緊張感はあまりありませんでした。しかし、「北海道の釧路だと思う雨温図は冬の雨量が少ないので、不安」という意見をうまく取り上げることができたり、子ども役の言葉から授業を進めることができました。
子どもの言葉を否定しない、わかった人と聞かない、わからない子どもが話せる、わからないことを友だち聞ける雰囲気をつくる。授業者はこの1年余りこのようなことを意識して授業をおこなってきました。ところが、私が具体的な場面で何を意識しているか尋ねても、すぐに答えが返ってきません。授業者にとっては、もう当り前のことになって意識しなくても自然にできるようになっていたのです。
教師にとって授業は毎日のことです。意識して授業をおこなえば、進歩は驚くほど早いものです。授業者もこの1年で本当に力をつけてきたのだと思いました。

今回の研修は昨年度と同じテーマで、2年続けて参加してくださった方も何名かいらっしゃいました。昨年より深いことも伝えたい、しかし初めての方に伝えておきたいこともある。そんなことを思ったため、情報量が多く、一方通行の度合いが高い講演になってしまいました。そのことを最後に授業者から、「今回の模擬授業のような双方向の活動のあるのと、講演のような一方通行とどちらがいいですか」とちょっぴり皮肉られました。自分の授業の方向性に確かなものを感じている証拠だと思います。
授業者の成長を素直に喜ぶと同時に、もっと質の高い話をしなければと反省しました。

模擬授業から学ぶ

昨日は、授業力アップの研修会でコーディネータを務めました。11月に行う授業研究のための模擬授業です。

小学校2年生の国語の読み取りの問題です。授業者は、日ごろの授業と異なる進め方にチャレンジしてみました。主人公の行動の理由を問う場面でしたが、授業者の想像以上に自分に引き付けて想像した答えが多く出ました。本文に基づいた根拠のある発言にならない理由は、子ども役が大人だったせいでしょうか。

模擬授業後、子ども役の先生方にグループで話し合ったことを発表してもらいました。教師の指示や課題を子どもの立場で聞くことでいろいろなことに気づきます。低学年では、子どもが感情移入しやすい作品が取り上げられます。そのため、教師が意図的に本文の表現とつなぐことをしないと、本文と離れていくことがわかりました。
また、子どもたちに役割を決めてグループでの話し合いをさせたのですが、発表者の言葉をオウム返しに言う役割が有効であるとの声が出ました。復唱してもらうことで、聞いてもらえたという安心感が起こるようです。このような、形から入る話し合いで、基本的なスキルを身につけさせ、学年が上がるに従って自分たちで自由に話し合って考えを深めるものに昇華させたいと授業者の学年は考えて取り組んでいるそうです。

いつもと違う進め方は、実際の授業では不安があるためなかなか挑戦できません。失敗を気にせずに挑戦できるのが模擬授業のよさです。挑戦したやり方のよい点、難しい点に気づくことができ授業者にとって学びが多かったと思います。また、他の参加者も子どもの視点で考えることで、授業者の意図と子どもの受け止め方の違いに気づき、たくさんのことを学んだと思います。
次回の授業でどのように指導案が変化するか、それに対して子どもたちがどのような反応をするか、私も含め参加者全員がとても楽しみになりました。

元気をもらえた研修会

昨日は、終日研修会の講師を務めました。8月の上旬におこなった研修会の続きです。(学びの多い研修会参照)

3つの模擬授業を参加者におこなってもらいました。授業者が準備した指導案をもとに事前にリハーサルをしながら指導案の検討をおこないます。発問や指示が子ども役にきちんと伝わらなかった。子どもになったつもりで話し合ったら答が分かれた。どのチームもよい雰囲気でそれぞれの授業について話し合っています。事前に検討することで、指導案が大きく変わったグループもありました。

1つ目の模擬授業は、小学校の国語の説明文の読み取りでした。1つの段落の文の内容にそって、教師が用意した絵を正しい順番に並べ替えることをグループでおこなう授業です。この授業のために絵を何セットも用意してくれました。
5つの文に対して、絵は7枚あります。ダミーが混ざることで子どもたちの話し合いの視点を増やそうという仕掛けです。
模擬授業はドラマの連続でした。授業者は文中の「ちりぢり」の意味にこだわりました。この文章を私たちが読んだとき、「ちりぢり」という言葉はそのまま読み流してしまうような表現でした。しかし、この言葉が2つの異なった答えに対して、判断を下す決め手になりました。この表現にこだわって絵を見れば、答が明確になったのです。授業者がこの言葉にこだわったのは、自分で絵を描いたからです。絵を描く手掛かりになった言葉だったのです。判断のキーワードとなることを意図して取り上げたわけではなかったのですが、結果として素晴らしい一手となりました。筆者は状況を説明する言葉として、「ちりぢり」という言葉を明確に選んでいたことがよくわかりました。国語は本文の表現にこだわることが大切であることを再認識させられました。

2つ目の模擬授業は、中学校の理科の月の満ち欠けです。空間の位置関係を相対的に理解しなければいけない難しい教材です。授業者は同僚に手伝ってもらって、ピンポン球を黄色と黒の2色に塗り分けて串を刺した教具を準備してくれました。このピンポン球を渡して、課題の説明をしたのですが、子ども役になりきった先生は、ピンポン球を回して遊びました。子どもは物をもらえばそれが気になるものです。道具を渡したらすぐに活動させる。そのためには、説明は道具を渡す前にすることが大切であることに気づかせてくれました。
月の公転に従って月がどう見えるか、太陽の方向に注意してピンポン球をモデルに観察することが課題です。子ども役の先生は、自然に隣同士で相談したり、確かめあったりしています。難しい課題は自然に相談したくなるのです。実際の子どもたちの場合は、まわりとかかわり合うことを普段からしていないと、なかなか相談できないこともあります。この課題は、ペアやグループで取り組んだ方がいい課題なのかもしれません。
授業者は2学期にこの授業を実際にやるのですが、本番では大きく変わっていると思うと言っていました。たくさんのことを学んでくれたようです。

3つ目の模擬授業は、小学校の体育でした。背中合わせで座った状態から立ち上がる、ペアでの活動を通じて、互いに協力し合う、コツを伝え合うものです。言語活動を意識して伝え合うことに重点を置いた授業です。子ども役の中にはなかなかうまくできずに、みんなのアドバイスをもらってやっとできたペアもありました。本当の子どもたちと同じように嬉しそうにしていました。体育のような実技教科はどうしてもうまい子どもにスポットがあたりがちですが、最初からできた子どもよりできるようになった子どもの方が感動は大きいはずです。こういった子どもたちに語らせることが、言語活動では大切であることに気づかされました。

2日間の研修の最後に、参加者全員に一言ずつ感想や学んだことを話していただきました。多くの先生が、この研修を通じて気づいたいろいろなことを2学期から実践したいと、前向きな気持ちを語ってくれました。コーディネートした私にとってこれほどうれしい言葉ありません。私にとっても大きな学びと元気をもらえた研修会でした。ありがとうございました。

小学校の現職教育

昨日は小学校の現職教育で、「子どもの言葉を生かした授業つくり」についてお話をさせていただきました。

子どもの言葉を生かすということはよく言われますが、それが果たしてどういうことなのか意外にはっきりとはしていないような気がします。子どもの言葉を生かすことのイメージがあるかどうか挙手してもらいましたが、それほど多くの方の手が挙がりませんでした。実際のところ、私も今回このテーマをいただくことで、あらためて整理し直して、やっと皆さんの前でお話ができる状態になったというところです。

教師の説明でわかるのではなく、子どもが子どもの言葉を聞いてわかっていく。教師は子どもの言葉をしっかり聞いて、子ども同士がつながるような働きかけをすることにエネルギーを使う。言葉にすれば簡単なことですが、現実にはとても難しいことです。
私の話に先生方が納得して、すぐにできるようになるなどと大それたことは思いません。先生方に、「子どもの言葉をしっかり聞こう」「子どもの言葉を子どもに返そう」「子どもの言葉、他の子につなごう」、そんな気持ちなっていただければと思っています。

今回、子どもの言葉を生かす授業をするとどんな子どもが育つかを、ある先生の授業ビデオで見ていただきました。どの先生も真剣に見てくださいました。子どもの言葉は拙く、不完全で言葉足らずです。そのため、子どもの言葉で授業を進めると時間がかかってしょうがないと思う方が多いように思います。しかし、この授業では通常だとまとめる直前の状態まで、授業時間の半分で進んでいます。教師のしゃべる時間が少なくなれば、子どもが話す時間を驚くほどたくさんとれるのです。

先生方が大変熱心に話を聞いてくださり、私も楽しい時間を過ごすことができました。また、よいテーマをいただいたことで、子どもの言葉生かすことに関して、いろいろと考え直したり整理することができました。ありがとうございます。
秋には先生方の授業を見せていただく機会を設けていただけそうです。とはいえ、先生方に授業を見てほしいといっていただけなければ、見ることはできません。今回の話を聞いて先生方は手を挙げてくださるでしょうか? ちょっとドキドキしています。たくさんの先生方に手を挙げていただけることを期待しています。

ICT関係の会議に出席

先週末に、ある市のICT情報教育推進の会議に委員として参加しました。

今回のテーマの1つに、数年先の学校のICT環境を考えることがありました。先進的な取り組みで知られる市ですが、決して目新しいことにすぐに跳びつくわけでありません。子どもたちにとって、教師にとってどんな環境が必要なのかをしっかりと考えています。「教師が日々の授業の中でやりたいと思ったことがすぐに実現できる環境を整えることが大切」と言った委員の言葉に大きくうなずきました。こういう先生方がICT活用を支えていることがこの市の強さです。

私にとって大いに勉強になったと感じたのが、中学校のPC教室の今後のあり方についてです。今の子どもたちは、小学生のうちからパソコンを普通に活用しています。もはや中学校でコンピュータリテラシーは必要ありません。パソコンを学ぶ教室から活用する教室への転換が求められます。ネットワークも無線LANが当り前になり、机やパソコン、ICT機器の配置の自由度もずいぶん高くなりました。固定したレイアウトでなく、用途に応じて自在に変化する多目的な教室に変わっていくだろうと会議を通じて確信を持つことができました。

また、小学校では今後、子どもたちの個人の学習の成果物やいろいろな活動の結果をデジタル化して校内のサーバに保存することができる環境になるそうです。これは単に記録が残るということではありません。自分の過去を振り返って成長を実感できるポートフォリオとして活用できることをはじめ、先輩たちの過去の学習の結果を共有したり、他の学級や学校での学習の結果を共有することで時間と空間を越えた学びを生み出す可能性もあります。しかし、環境をつくったからといって実現するわけではありません。このことを実現するためには、教師がそれを意図した授業をデザインする必要があります。チャレンジ精神にあふれたこの市のことです。数年後にはきっと素晴らしい実践が生まれていることと思います。この会議に出席する楽しみが、また一つ増えました。

この会議に参加することで、私自身も事前に勉強したり、いろいろな視点での意見に出会え、たくさんのことを学ぶことができます。こういう機会を与えていただいていることに、あらためて感謝いたします。

数学の課題のアイデア検討

昨日は指導案作成のアドバイスをおこないました。中学校1年生の数学、1次方程式の利用です。今回は、指導案作成に向けて、どんな子どもの姿を目指すか、どんな教材がよいのかについていろいろと話をさせていただきました。

授業者は、子ども同士が互いに相談して問題に取り組むような授業を目指しています。できる子がさっさと問題を解いてしまう、わからない子が手も足も出ない。そういう授業にはしたくない。
となると、塾で予習しているような問題では一部の子がすぐに解いてしまいます。子どもたちの興味を引き出し、みんなで知恵を絞らなければ解けないような問題を用意する必要があります。子どもたちに身近で、かつ方程式を利用することで解決されるような課題のアイデアを出し合いました。

通販で、購入金額が一定額を越すと送料が無料になることを使った問題
トライアスロンを舞台にした追いかけの問題
異なった道を通る追いかけの問題
金券キャッシュバックと割引クーポンの違いを意識した問題
・・・
いろいろと考えてみました。

また、こういう課題をおもしろくするための視点として、明確に書いていないが、解の吟味で必要となる条件をいれておく。情報が過多である、足りない。こんな仕掛けをするとよいことも伝えました。

次回は具体的に課題を決めて指導案にしてきてくれます。どんな指導案になるかとても楽しみです。

最後に、今回の指導案作成とは直接関係ありませんが、教科書の記述から何を読み取るか、実際に教科書を見ながら話をさせていただきました。意外に教科書は軽く読み飛ばしているようです。数学は、問題を見て解き方がわかっていればなんとなく授業ができてしまいます。このことが原因の一つかもしれません。これを機会に教科書の記述からも指導のポイントについて考えるようになってほしいと思います。数学の教材についてたっぷり浸れた、楽しい時間でした。
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