授業を大切にしているというメッセージ

先週末は中学校で3つの授業アドバイスをおこないました。

そのうちの1つは本日おこなわれる初任者の授業研究の先行授業です。以前からアドバイスをしている数学の確率の授業です。
指導案をみると流れが明確です。前時の復習、課題の把握、試行、探求・・・。流れはとても自然でした。ここまでにするために、教科の先輩や主任の方の指導がたくさんあったことと思います。まわりが支えることができる学校であることがよくわかります。先行授業にもかかわらず、校長をはじめ先輩が何人も見に来てくれました。
興味を持ちやすい課題で、実際に道具を使って試行をするので、子どもたちは興味関心を持ってくれます。ポイントはいかに子どもたちに数学的な思考をさせるかです。残念ながら、各場面で何が数学的に大切なのかを授業者はしっかりと意識できていませんでした。結局、解き方を教師が教えるだけで、なぜそうなるかを子どもたちが考える場面はありませんでした。
この授業での数学的な本質である言葉、復習の場面と本時の課題でつなぐべき言葉である「同様に確からしい」をどう子どもに伝え、意識させるかがポイントであることを具体的に伝えました。この言葉をもとに、子どもたちの考えを深めるためには、子どもの言葉を問い返す、つなぐという、1問1答でないやりとりが必要です。これは一朝一夕でできるものではありません。本番の授業でうまくできると私も期待している訳ではありません。今回の授業がそのことを意識するきっかけになってくれればいいのです。たどたどしくてもいいので、子どもに問い返すこと、つなぐことにチャレンジしてくれることを願っています。

美術の講師の授業は、授業者の美術に対する思いが伝わる授業でした。子どもたちに互いのよいところを学び合わせようとする場面と、ゴッホの2枚の自画像から技術と表現、個性について考える場面を見ました。
授業者にこの授業を振り返ってもらったところ、非常によいことを言ってくれました。
ゴッホの写実的な自画像と、誰もが知っている個性的な自画像の感想を言わせた後、どちらが若い時の作品かという発問の場面でのことです。

若いころの自画像を「うまく描こうとしている」「写実的」といいった言葉を使って解説したが、子どもたちから出てきた言葉ではなかった。子どもたちから出てきた言葉で説明をするべきだった。うまい言葉が出てこなければ、もっと引きだすようにするべきだった。

子どもの言葉を活かそうと意識していることがよくわかります。この姿勢をとてもうれしく思いました。うまくできなかったかもしれませんが、このことを意識できていれば必ずできるようになります。きっとよい教師に育っていくことでしょう。

最後は英語の講師の授業でした。前回と比べて、コーラスリーディングで子どもたち全員の口が開いていたことに気づきました。声も確かに大きくなっています。子どもたちの声が出るまで繰り返す。大きな声で発音している子をほめる。アドバイスを素直に受け入れてくれたようです。また、子どもたちへの指示も、きちんと通るまで待って、全員ができてから次に進むようにしています。これも立派な進歩です。
わずかな進歩と思うかもしれませんが、この1歩が大切なのです。この進歩をとてもうれしく思っていることを伝えました。授業についていろいろと悩んでいましたが、若い教師であれば当然のことです。その中で確かな1歩踏み出せたことが、大きな進歩につながるのです。次はどのような1歩踏み出してくれるのか期待しています。

初任者を先輩が育てようとしている。たとえ講師でも、私のようなものをつけて育てようとする。この姿勢から、授業を大切にしているという強いメッセージを感じます。教師集団がこのメッセージをしっかりと受けとめてくれることが、この学校のさらなる進歩につながっていくと思います。この学校の変化を見ることが私の学びにもつながっています。この学校の今後がとても楽しみです。

東京出張

昨日は東京で打合せを2つおこなってきました。

一つはIT系の出版社からのヒアリングでした。学校・教育関係者向けのICT本の企画を立てるにあたって、学校現場のICTの活用の状況を知りたいということでした。
お話していて、外部からは学校の中は見えにくいということをあらためて感じました。学校の実情を少しはわかっていただけたのならうれしいです。学校や先生にとって役に立つ本が生まれることを期待します。

もう一つは、「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」の現場スタッフとの運営・進行の打合せです。多くの方にスタッフとしてお手伝いいただいています。用意された資料からも、細かいところまで気を使っていただいていることがよくわかります。スタッフの方の尽力に報いるためにもよいフォーラムにしたいと思いました。

帰りの新幹線では研究会の会長のT先生と名古屋までご一緒しました。精力的に活動されている先生の話に私ももっと頑張れねばとたくさんの元気をいただきました。

若手の成長を感じる

昨日は、中学校の社会科の授業アドバイスをおこないました。昨年も1度アドバイスしている先生です。地理の気候の最初の時間でした。

担任をしている学級ではないのですが、子どもとの人間関係が実によいことに気づきます。理由はすぐにわかりました。子どもの発言を否定しない、ポジティブに評価することを徹底しているのです。指名して発言させたあとも、同じ考えの人がいるか確認をして子どもをつなげるようにしています。つぶやきも拾っています。以前と比べて先生がしゃべる時間も格段に少なくなっています。子どもたちの集中力は最後まで途切れませんでした。基本となる部分がしっかりとできてきたので、課題も明確になります。

子どもの挙手の仕方が気になりました。授業者は子どもの発言を否定しないのに、子どもたちは自信なさそうに挙げるのです。ちゃんとワークシートに答を書いているのに手を挙げない子どももいます。
こんな場面がありました。赤道地方が暖かい理由を聞いたところ、「太陽に近いから」と指名された子どもが元気よく答えてくれました。授業者は、否定せずにどういうことか聞いてあげます。手で太陽光線の傾きを示したりすることから、理由は正しく理解しているがうまく言葉にして説明できないようです。結局、授業者は肯定も否定もせずにあいまいなまま次時への課題としました。着席した子どもは「違ったな」とつぶやき、ちょっと元気をなくしました。棚上げになったことでそう感じたのでしょう。
このことと子どもの自信なさそうな挙手とは関係がありそうです。子どもたちは正解を言わなければならない、正解を求められていると思っているのです。授業者はどんな発言も受容しようとしていますが、正解を言わなければいけないと子どもは感じているのです。
子どものノートに○をつけて自信を持たせる。発言をつなぐことで、間違えていた子どもが自分で気づいて最後には正解を言える。間違えても最後はほめられる経験を積むことで、自信がなくても発言できるようにする。このようなことを意識するとよいでしょう。

また、以前に学習したことの復習で子どもたちの手があまり挙がらない場面がありました。このとき、手の挙がらない子どもはじっとしていました。これも気になるところです。子どもたちは復習を試験のように感じて、教科書やノートを見てはいけないと思っているのかもしれません。挙手しなければ指名されないので、指名されて間違えるよりはじっとしている方がいいと思っているのかもしれません。
教科書やノート見るように促す。ときには挙手に頼らず指名する。このようにすることで子どもたちの姿勢も変わっていくはずです。

子どもたちの活動を増やす事を意識して授業を組み立てていますが、どの活動も同じように扱っていました。この授業でいえば、日本地図を見て愛知県より暖かい県はどこか考える。世界地図を見て日本より暖かい国はどこか考える。2つの活動がありました。最初の活動で子どもたちから南が暖かいという言葉を引き出す、2つ目で、南ではなく緯度に注目することを気づかせるという流れです。この2つに同じくらいの時間を割いていました。メインは明らかに2つ目の活動です。南が暖かいという言葉を引き出すのは全体で素早くおこない、世界地図を中心に活動をさせることで、もっと深めることができたはずです。日本より暖かい国としてオーストラリアと答えた子どももいましたが、この時間の中で気温を調べたりして確認する時間を取ることができませんでした。

このようなことを中心にアドバイスしましたが、とても素直に受け止めてくれました。この姿勢が成長につながっています。忘れ物の多い学級だそうですが、地図帳を忘れた子どもはほとんどいませんでした。授業者から、私から受けた忘れ物を減らすアドバイス、「いつも使っていれば忘れない。たまにしか使わないから忘れる」を意識して、地図帳を使った個別の活動をたくさんさせていると聞きました。私が忘れていたようなアドバイスをちゃんと実行していてくれたのです。とてもうれしく思いました。だからこそ、次のステップが見えてくるのです。今後ますます力をつけてくれることと確信しました。

校長、教頭と少しお話をする時間がありました。この学校は、以前は生徒指導上の問題をたくさん抱えていましたが、今は本当に落ち着いた学校になっています。学力もずいぶん伸びてきたそうです。生徒指導の基本を授業において、子どもたちを認める、活かす授業で子どもたちを育てようという方針で立て直されました。うまくいった理由の一つに、管理職や主任の方が目指す子どもの姿、授業のイメージをよく共有されていたことがあげられると思います。きちんと共有化されているからこそ、校長から指示されて動くのではなく、自分のなすべきことをそれぞれが考えて動いていたのです。管理職や主任が、言葉では同じ事を言っていても実はぶれている学校もよくあります。お二人と話していて、言葉は違っていても同じところを目指し、思いを共有していることがよくわかります。この学校がよい方向に向かっている秘密はここにあると思いました。

この学校とかかわらせていただくことで、私も学校経営のあり方、教師が育つ要素など本当にたくさんのことを学んでいます。この日も充実した1日でした。

愛される学校づくり研究会に参加

先週末は愛される学校づくり研究会に参加しました。

前半は、2月25日(土)の「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」に関する報告。参加申し込みは順調で、残り90名ほどで定員です。2月早々には締め切りになりそうなので、参加をお考えの方は早めに申込みください。(申込みはこちらから)

後半は「4月末までに何を見える化するか」をテーマーに3グループで話し合い、その後全体で討議しました。
この会のメンバーと話をしていていつも感じるのは、実によい実践をしていることです。私が、「学校ではこういうことを意識していなのが問題」とつっこんでも、「私は、このようにしている」と、なるほどと納得させられる実践で答えてくれます。
今回も、4月になってから新学年にやるべきことを見える化しても遅いという私の発言に対して、3月からおこなっている手立てを具体的に教えていただけました。

全体の話し合いの場では、久しぶりの参加のN先生の元気な発言で、とても楽しい議論になりました。校長の力量の問題か仕組みづくりの問題かが話題になりましたが、校長がしっかりしていれば学校はうまくいくことは、私が訪問する学校での経験からいっても間違いありません。この会に参加している方たちであれば、まず問題ないでしょう。しかし、すべての校長がそれだけの力量を持っているとは限りません。また経験が浅ければ、わからないこともたくさんあるでしょう。そこを個人の問題にしない仕組みも必要だと思います。
訪問すると、いつも他の学校の校長から質問や相談の電話がかかってくる学校があります。この学校の校長に聞けば教えてもらえるということなのでしょう。丁寧に対応している姿をみると相談がたくさんくるのも納得できますが、これだけ頻繁だと業務に支障が出るのではと気の毒になります。これも本来何らかの仕組みがあるべきことを個人が対応している例でしょう。
いつものことですが、たくさんのことを考え、学ぶことができました。

研究会終了後、新しい企画について仕掛け人の先生と関係者で打合せをおこないました。今後どうなるのかとても楽しみです。うまくテイク・オフできるように、私もお手伝いしたいと思います。

研修担当者の目に見えない努力を感じる

昨日は小学校で算数の授業アドバイスと模擬授業に参加しました。2回目の訪問で、前回からどのような変化があったか楽しみでした。

特別支援学級の算数の授業は異学年の4人の一斉授業でした。年齢も支援の必要度合いも異なる子どもたちです。子ども一人ひとりに何が起こっているかを中心に観察しました。
授業開始前から2人の先生は、受容的な態度で子どもたちと接しています。笑顔がとても素敵でした。授業が始まっても落ち着かない子どもがいます。いつもと違う知らない人が授業を見ているので、興奮したのかもしれません。4人の中で一番しっかりしている児童が注意をしてくれます。その時気になったのが注意の仕方です。「・・・してはだめ」「・・・して」と否定的な表現や命令調なのです。たまたまなのかもしれませんが、先生の注意の仕方と何か似たものを感じました。「・・・しよう」という表現を意識して使っていただくことをお願いしました。
授業は輪投げとさいころゲームを使って得点を計算するという課題でした。全員に○をつけて自身を持って発表するように工夫しています。しかし、一生懸命に発表してくれた友だちの言葉ではなく、そのあとの先生の確認の言葉に反応します。ここにも少し工夫が必要かもしれません。

アドバイスとしては大きく2点です。
1つは、子どもたちへのポジティブな評価を今以上に増やすことです。困難を持っている子どもたちですのでちょっとしたことでも、できたことはできるだけほめて自己有用感を高めることが大切です。
もう1つは、コミュニケーション力を高めることを意識していただくことです。学力も大切ですが、彼らが将来自立していくためには自己有用感を持って他者とかかわれることがより大切です。発表の場面などでは、聞いたことを復唱などで確認し、聞いていたことをほめる。聞いてもらってよかったねと発表者とつなぐ。このようなことを授業の中に組み込むこと意識するようにお願いしました。

4年生の2学級の算数は、学年主任と講師の方の資料の整理の授業でした。
学年主任の先生は学級規律をしっかりつくり、子どもたちを笑顔できちんと評価できる方でした。細かな授業技術もしっかりして、とてもわかりやすい授業です。ほめるところ参考になることがたくさんありました。だからこそ、課題も明確になりました。的確な指示でどの子も作業がきちんとできます。しかし、なぜ資料を整理するのか、整理することで何がわかるようになるのかといった、考える部分が弱いのです。このことをお話ししたところ、本人も自分の課題として認識されていました。自己評価ができる素晴らしい先生です。この教材を具体例に、課題の設定、発問についてお話しました。今後の教材研究にきっと活かしてくれると思います。

講師の方は、笑顔と受容的な雰囲気で子どもたちが落ち着いて授業を受けていました。しかし、板書がされると子どもがノートを写すことに意識がいってしまい話を聞かなくなっています。積極的に子どもに問いかけ参加を促すことが大切です。
気になったのが、数人しか手が挙がらないのに指名して、「あってますか」「あってます」で進めてしまったことです。本人もどうしても待ちきれないとどうすればいいか困っていました。まわりと相談させる、ヒントを子どもに言わせるなどの方法をアドバイスしました。
また、資料の項目を問う場面で指名された子どもが「人間」とよくわからない発言をしました。先生が即座に否定することなく聞き直すことで「東町の人、西町の人」と言葉が足されました。とてもよい対応です。ただ、残念なのが、「人間ではわかりにくいから他の言葉で言って」と他の発言をすぐに求めたことです。発言者をほめたり、しっかり評価する場面がありませんでした。結局、「町」という言葉が出たところでこれを評価し、答としました。このようなことが続くと、子どもたちは教師の求める正解を見つけようとします。自分の答えを考えることしなくなってしまいます。一人ひとりの考えを認め、子どもたちの判断させることも時に必要なことを伝えました。

5年生のきまりの授業と6年生の資料の整理の授業は前回アドバイスした先生でした。
2人とも前回は表情が硬かったのですが、笑顔も増えてこのことを意識していることがよくわかりました。

5年生の授業は、マッチ棒でつくった階段のきまりを見つける問題です。なかなかむずかしい問題なので、前時の復習と問題把握に多くの時間を割きました。しかし、先生が一方的にしゃべるので子どもはだんだん集中力をなくしていきます。子どもに問いかけて発言させることで同じ内容を伝えられるところがたくさんあります。子どもの発言で進めることができないかと常に自分に問いかけることをお願いしました。
この問題は、マッチ棒を数える、表をつくったりして整理する、整理したことをもとに決まりを見つけるといったスモールステップがあります。これらを明確にしないで個人追究をさせようとしましたが、子どもの状況に大きな差ができました。スモールステップを意識して、ある程度足場をそろえることも必要です。問題把握の段階で、マッチ棒を数える作業をいれるなどの工夫をすることをアドバイスしました。

6年生の資料の整理の授業は、資料から度数分布表をつくる作業が1時間のメインでした。教師が一人ひとりの表を確認して○をつけていますが、非常に時間がかかります。○をもらった子どもはすることがなくて集中力をなくしています。こういった作業的な課題は、互いにまわりと確認し合い、もし違っていればやり直すようにすることで、スムーズに進むことをアドバイスしました。
また、この授業では度数分布表をつくることが目的となってしまって、そこから何がわかる考えることがありませんでした。つくったものを活用する、何のためにつくっているのかといったことを考えることを大切にするようお願いしました。

全体研修では、この学校では初めての試みとなる模擬授業をおこないました。1年生の算数の授業に若手がチャレンジしてくれました。
模擬授業を企画した先生が手順やポイントをまとめたものを配り、丁寧に説明をします。特に子ども役が学ぶことが多いこと、みんなで考えることを強調されました。模擬授業をよく理解されています。
初めての試みということで最初は私が意図的に介入しましたが、そんなことは必要ないことがすぐにわかりました。企画した先生が司会者となったのですが、実に的確に授業を止め課題を明らかにしていきます。
わかったかどうかの確認で、ほぼ全員が手を挙げたのに、3人の子ども役の手が挙がらない場面がありました。そのまま授業者が進めようとしたところを止めて、挙げなかった理由を聞き、どうするかまわりの人と相談するように指示されました。先生方はとてもよい雰囲気で意見を出し合っています。全体で発表される意見も素晴らしいものでした。これをきっかけに雰囲気も柔らかくなり、子ども役の先生方も子どもになりきって実に細かく演じてくれました。授業者も意見を受けて何度も進め方を変えてくれ、教師の対応が子どもたちの活動にどう影響するかとてもよくわかる模擬授業となりました。先生方に模擬授業のよさが伝わったことと思います。企画した先生の準備と素晴らしい取り回しのおかげです。授業をみる力があることと模擬授業をきちんと研究していたことがとてもよくわかります。この学校にきっとよい形で模擬授業が定着していくことと思います。

私も学ぶことが多い1日でしたが、研修担当の先生が模擬授業だけでなくアドバイスを受ける先生に事前に働きかけるなど、一つひとつしっかり準備していたおかげだと思います。充実した研修の裏にはこういった担当者の目に見えない努力があるものです。この学校がこれからどのように進歩していくのか、とても楽しみです。

教師が育つ学校づくりについて講演

先週末は校長会の研修会で「教師が育つ学校づくり」と題して講演をおこないました。

どの学校でも、ベテランからは「自分たちは先輩から盗んだ」、若手からは「なかなか教えてもらえない」という声が聞こえてきます。このギャップは放っておいても埋まりません。いかに学校として組織的に対応するかが課題です。

教師が育つためには、一人ひとりが課題意識を持って毎日の仕事に取り組むことが大切です。そのためには、学校として、どんな課題があるかをまず管理職が把握することから始める必要があります。学校を回り授業の様子を見て、全員に共通する課題、個人の課題をそれぞれ明確にするのです。その上で、課題をどう共有化しどう解決していくかを考えます。
全体での研修を工夫するのか、個別に対応するのか、グループをつくるのか、状況によってそのアプローチは変わってきます。いずれのアプローチを取るにしても、課題解決のための手段が具体的になるようにする必要があります。「子どもたちをよく見よう」といったスローガン的なものではなく、「挙手しなかった子どもを必ず確認する」というようにできるだけ具体的なものに落としていくのです。具体的になればなるほど、実効性は上がっていきます。

若手について言えば、目指す授業像が確立していない傾向があります。手本となるよい授業を見せること、そしてその授業のどこがよいのかを解説することから始める必要があります。その上で、具体的な指導に移るのです。
また、指導役になる方には、しっかりと相手の話を聞くことをお願いする必要があります。一方的に指摘するのではなく、一緒に考える姿勢が大切です。指摘されたからといってすぐにできるようになるとは限りません。うまくいかないことが続くと追い詰められていきます。まずは自分が認められていると感じてもらうことが大切です。以前と比べて最近の教師は同僚との関係が希薄な傾向があります。悩み事を相談できずに孤独になっていることもよくあります。まわりの先生と気軽に授業や仕事のことを相談し合えるような関係づくりが大切です。そのために管理職は意図的に動く必要があるのです。

結論を言えば、管理職が学校の課題を把握して、そのための具体的な対策をとる・・・という、PDSCのサイクルを回せばいいという当り前のことに帰着するのですが、ポイントはその具体的な対策を考えるときに何を意識するか、どういう方法があるのかを知っておくことです。今回はその具体的に意識すべきこと、方法を中心にお話しました。

大変熱心に聞いていただける方が多かったため、つい具体例を話しすぎてしまいました。最後は駈け足になってしまい、申し訳ないことをしました。講演はどうしても一般論になりがちです。参加者一人ひとりの課題解決にとって少しでも参考となる話ができたのであれば幸いです。
各学校の状況に応じたシャープな話をするには、子どもたちの様子を見せていただく必要があります。今回の参加者から一度学校に来てほしいと声をかけていただけたらとてもうれしく思います。

充実した1日

昨日は、教材開発、書籍、「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」の打合せを東京でおこなってきました。

教材作成のために教科書を何度も読み込んでいますが、本当によく考えて作られています。教科書の内容をもとに掘り下げることで、いろいろな授業展開が考えられるはずです。現実には教師の力量や授業時間の問題もありなかなか難しいでしょうが、こんな授業をやっていただけたらなとアイデアが広がります。教材にはそんな思いも込めています。
教材の多くは単に問題を解くために必要な情報だけでなく、関連したちょっとした情報を付加することで、もっと知りたい、調べてみたいと思うきっかけになるように考えています。また、情報同士がつながることでより深いことが見えてくることも強く意識しています。
この日は、社会科の教材を検討しました。社会科は地理、歴史、政治・経済を切り離して考えることはできません。地理であれば、その事柄に関連する歴史や政治・経済の情報も付加するようにしています。情報をつなぎ合わせていくことで最終的に現代の日本が見えてくることを目指しています。
知識を記憶して効率的に出力できるようにすることではなく、問題を解くことを通じて知識を得る、知識を活用することで身につく。そんな教材にしたいと思っています。

「学校を応援する人のための学校がよく分かる本(3部作)」の編集の打ち合わせをおこないました。この本は、保護者、学校にかかわる地域の人、先生と先生を目指す人を対象として、学校をよりよく理解していただくために、学校の「組織・しくみ」「学習内容」「授業」について書かれたものです。「組織・しくみ編」「学習内容編」を玉置崇先生、「授業編」を私が執筆しました。このような視点で学校のことを書いた本は初めてではないかと思います。関係者の私が言うのもなんですが、素敵な編集も相まってとてもよいものになったと思います。2月上旬の発刊が今からとても待ち遠しいです。

「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」まで1月余りになりました。会場下見前の打ち合わせをおこないましたが、当日の会場運営については事務局が段取りよく進めてくれています。授業紹介の進め方について変更しなければならないことがでてきましたが、それに対してもすぐに対応案をいくつか提示していただけました。安心して当日を迎えられそうです。申込みも順調で、すでに定員の半分ほどに達したそうです。この調子でいけばスタッフ・関係者の一部は立見になるかもしれません。参加を予定されている方は、早めに申込みをお願いします。(申込みはここ

久しぶりの東京でしたが、とても充実した1日になりました。関係者の皆さんに感謝です。

成長の原動力と向上の条件

昨日は、中学校で数学の指導案へのアドバイスと英語の授業アドバイスをおこなってきました。

数学の初任者は、前回の教材研究をもとに(個別のアドバイスの場で管理職の役割を考える参照)指導案を作成してきました。確率に興味をもたせよう、確率は面白いと感じさせたい、そういう思いのあるものでした。前回の宿題を自分で考え直して、確率のおもしろさを感じてくれたようです。一番確率が高そうにみえる事象が実はそうではない。子どもたちの予想を裏切るような課題を考えてきてくれました。しかし、そのような課題は何故そうなるのかを考えるにはハードルが高いものです。だからといって先生が説明したのでは、せっかく子どもたちが興味を持ってくれても、学びにはつながっていきません。また単純におもしろそうだと試行するだけでは、数学的にも深まりません。

そこで、次のようなアドバイスをしました。

「直感でいいから予想して」という問いかけは単純に「予想して」に変える。
直感といっても子どもなりの根拠があるはずです。直感でいいと言ってしまうと、予想の根拠を聞いても答えない可能性があります。予想の理由を聞くことで、より試行の結果に対してその理由を考えようとします。

「一番確率が高いのはどの組み合わせ」という発問を活かして、確率の意味に迫る。
「一番確率が高いということは、どういうこと」「どうすると確かめられる」と子どもに問いかける。「でやすい」といった反応には、1、2回の試行をして「これがでやすいね」といって揺さぶる。「もっとやる」といったときに、「どのくらいやればいいの」と問い返す。こういったやり取りをすることで、みんなで何度も確かめることの意味、確率とは何を表すのかを考えさせます。最終的には大数の法則につながるやりとりです。

子どもが大切なことに気づく仕組みをつくる。
この課題は、立方体の3面に○、2面に△、1面に×をつけたものを2個使います。組み合わせの表を使って場合の数を調べることで確率を考えさせようとしていますが、この場合、○△×の出方は同様に確からしくないので、どの立方体の○か、どの面の○かを意識させる必要があります。たとえば、サイコロに○△×のシールを貼る。シールの色を2種類用意する。このような仕掛けをしておくことで、シールの色でどちらのサイコロか、シールをはがしてみることで1の面の○、2の面の○とどの面の○か意識することができます。何が同様に確からしいかを子どもたちが気づきやすくなります。

このほかにもいろいろアドバイスしましたが、授業者はこのような問いかけや仕掛けをすると子どもたちがどんな反応をしてくれるだろうかと、次第にワクワクしてきたようです。彼自身が授業を楽しみになってきたようです。教材研究をすることで、子どもの反応が楽しみになることは、授業力を高めるための大きな原動力です。この授業がきっかけとなって大きく成長してくれることと思います。彼がこのあとどのように授業を作り上げるかとても楽しみです。参加する先生方にとってもよい授業研究になってくれることと思います。

英語の授業はALTとのTTでした。一斉の発声場面で子どもたちの声が出ないことが気になりました。ALTの言葉やジェスチャーは真剣に聞いています。しかし、声はでないのです。正解の○をもらっても声が出ない。黒板に答が書かれるとやっと声が出る。このような場面もありました。
間違えてもいい、自信がなくても話せる。そんな雰囲気をつくることが大切です。たとえ小さくても声がでれば、笑顔で大きくうなずき、何度も繰り返す。それにつられて次第に声が出る生徒が増えれば、声が出た子と目を合わせてうなずく。全員がしっかり声が出るまで繰り返す。最初は大変かもしれませんが、根気よく育てていくことが大切です。
声を出さなくても、答を写しておけば困らない。こういう子どもたちに、しっかり声を出すとほめられる。声を出すと自信を持って使えるようになる。そういう経験をさせるようにお願いしました。

アドバイスが終わった後、教頭と現職教育の担当者の3人で来年度の研修のあり方について話し合いました。子どもたちの状態がよいために、先生方の授業力向上の意欲が薄れているのではないかと危機感を持っておられました。どうすればよいかすぐに方策が見つかるわけではありません。しかし、先生方をリードする立場の方がしっかりと問題意識を持っていれば、必ずよい方向に進んでいくものです。何も考えずに前年通りではなく、うまくいかないと悩みながらでも次の課題に立ち向かう姿勢はとても立派だと思います。私もできる限りのお手伝いをさせていただきたいと思います。きっとよい結果が出るものと信じています。

フォーラム提案授業の編集

先週末に「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」での提案授業の編集をおこないました。国語、算数(2時間)、社会それぞれの授業を10分間に縮めました。
プロにお願いしての編集ですので、こちらの要望に素早く対応して、ワイプやオーバーラップなどの効果も瞬時に入ります。また各チームの事前の準備もよかったため当初の予定よりかなり早く仕上がりました。

再度授業を見直しながら、当日の感動をあらためて思い出しました。どの授業もカットするのが惜しい場面の連続です。逆にどこを見ても皆さんお見せしたい場面ばかりです。しかし、当日の提案をシャープにするために、ICTの活用場面を中心に大胆に編集しました。
当初は何をやっている場面か文字で入れて説明する必要があるかと思っていましたが、繰り返し行われる場面をカットすることで流れがすっきりとし、説明がなくてもかえってわかりやすいものになりました。

今回の作業を通じて、授業は子どもたちが理解し考えるための時間を本当にたくさん取っていることにあらためて気づきました。ポイントの説明やまとめだけなら10分程度で十分です。その他の時間はすべてその内容を子どものものにするための活動に当てられているのです。時としてくどいぐらいに繰り返して発言させたり、いろいろな視点から何度も説明させたりします。教師が一方的に説明する授業であれば、進むのが早いのは当然です。
授業にとって大切な要素が自分の中でより明確になった気がします。

久しぶりに会う授業者は、以前より自信に満ちた表情になっているような気がしました。今回の授業づくりを通じて自分の成長を実感できたのでしょう。大変だったが楽しかったと感想を言ってくれた先生もいました。どの先生もフォーラム当日をとても楽しみにしてくれています。今回の提案授業は彼らにとって大きな壁だったかもしれませんが、それを乗り越えたことで大きなものを得たようです。ぜひ彼らの素敵な表情を見に来てほしいと思います。

提案授業を通じて多くのドラマがあった

「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」での国語の提案授業の撮影に出かけました。提案授業の撮影もこれが最後です。野口芳宏先生の授業にどこまで迫れるか、楽しみに出かけました。

小学校6年生、「うとてとこと」を題材にした詩の朗読の授業です。指導案を見るとずいぶんすっきりしていました。ポイントだけに絞られています。あまり書きすぎるとそれに縛られるので、子どもたちの反応に自由度を持って対応できるように、意識すべきことだけに絞ったと、コーディネータの先生が教えてくれました。それはとてもよいことですが、授業者に臨機応変に対応する力が求められます。どうなるのだろうと期待と少しの不安を持って参観しました。
最初の5分で不安は吹っ飛びました。それどころか、感動で体が震えるような衝撃が走りました。子どもの言葉しっかり受容して、つないでいます。一人ひとりの発言や活動をしっかり評価しています。それも、ただ「いいね」と言うのではなく、具体的にどこがいいのか、Iメッセージも意識して伝えています。子どもの言葉に応じて進めています。素晴らしい成長です。この3か月間、模擬授業や個別の指導でたくさんのアドバイスを受けています。半端な量ではありません。消化不良になるだろう。どれか1つでもできるようになればいい。そう思っていたのですが、ほとんどのことを自分のものとして使っていました。
ICTの活用も模擬授業の時とは比べ物にならないほどスムーズです。ワイヤレスのポインタの動かし方に慣れるため、前夜まで練習していたそうです。
用意した資料も、子どもたちがそれを知っていたとわかれば、使わないという割り切りも見事です。最後に、コーディネータの先生も知らない、ちょっとした仕掛けがあって、「おっ」と言わせてくれました。
言葉に詰まった子どもを他の子どもが助ける。聞けていない子どもがいれば、その子どもの隣の子どもを指名して、復唱させる。授業のどこを見ても、授業者がこの提案授業を通じて何を学んだか、成長したかがよくわかります。本当に子どもたちの言葉で進む授業になっていました。最後まで子どもたちの集中力が切れない素晴らしい授業でした。子どもたちが力を120%出してくれましたという授業者の言葉がそのことを物語っています。

授業後、授業者と話をさせていただく時間を持てました。
たくさんのことをほめさせていただきましたが、よい授業だったので敢えて改善のポイントを3つ話しました。

1つは、テンポの問題です。
前半じっくり考えた後、中盤で前半と同様のことを考える場面がありました。そこでも、同じように時間をかけていたので、子どもたちがちょっとだれ気味になりました。次々に迫りながら、着席したままどんどん答えさせても彼らは反応できるはずです。常に起立して答えさせるという形にとらわれる必要はありません。場面ごとのテンポを意識してほしいことを伝えました。

2つ目は、子どもの声です。
今回は本格的な撮影機材が入ったため、子どもが緊張して発表の声が小さくなっていました。それでも、子どもたちは集中しているのでよく聞きとっています。しかし、今回のテーマである朗読に関してはもっと大きな声になってほしいと思いました。一人ひとりの朗読をポジティブに評価した上で、「声が大きくなるともっといいね。次の人はどうかな」とそのことを意識させるようにすればうまくいくことを伝えました。

最後は、特定の子どもが指名されすぎたことです。
多い子は6回指名されていました。意見が出ない、誰か答えてくれないかと苦しくなってできる子を指名したのではなく、反応してくれたのでつい指名してしまったようです。意見がある子はよく反応します。また、ちょっと気になる子が、答えてくれそうだと思うとチャンスと指名したくなります。このようなことが原因のようです。これは、子どもをよく観察しているから起きることでもあります。「今、○○さんがうなずいてくれたけれど、どういくことかわかるかな。だれか○○さんの代わりに答えてくれるかな」というようなつなぎ方を覚えるとよいと伝えました。

授業者からは、この数か月のことをいろいろ聞かせてもらいました。
最初、野口先生の授業技法の意味がよくわからなかった。なぜ、○×をつけさせるのか。なぜ全員書いたか確認するのか。わからないことだらけのようでした。しかし、実際にやってみて子どもの変化からその意味がわかってきた。撮影の前日にあらためて野口先生の本を読みかえしてみて、書かれていることが自分の胸に落ちた。子どもたちが教えてくれたと語ってくれました。この先生は素直に受け止める力があったのです。このことが成長できた一番の理由でしょう。そして、教師の変容を促す、後押しする一番のものは子どもの姿です。子どもたちの姿から学べる教師は確実に成長するのです。

そして、この先生の成長を支えたのが、学校の同僚とコーディネータの先生です。
勤務時間後に何度もおこなわれた模擬授業や勉強会では、多くの仲間が参加してくれました。2時間以上にわたる模擬授業は、いつも若い先生がしっかりと記録を取っていました。この学校は記録係も指名していると思っていたら、新任の先生が自ら記録係をかって出たのだそうです。詳細な記録があるからこそ、あれほどたくさんの指摘を消化することもできたのでしょう。勉強会の後、個人的に意見を言ってくれた先生、逆になぜこのような発問や指示をするのか質問してくれた先生、この提案授業を通じて多くの仲間が共に考え、支えてくれました。互いに学び合う雰囲気が学校にできたようです。この日の授業もたくさんの先生が見に来てくださいました。授業者は自分自身の成長だけでなく、学校の変化も手ごたえとして感じ、この授業がきっかけとなったことを嬉しく思っていました。

また、あらためて話を聞いて、コーディネータの先生が本当に多方面にわたって支えていたことがよくわかりました。野口先生の授業の解説、資料の提供、ICTをわざと使わない条件で同じ授業をやって見せる、具体的に授業を見てのアドバイス・・・、表には出ませんがありとあらゆる面でサポートしています。国語の授業の達人で、私の国語の授業の師匠と尊敬している先生ですが、若手を育てる達人にもなっていることがよくわかります。彼の学校で若手が次々に育っているのは当然のことなのでしょう。
それでも、授業者がわずか3カ月余りでここまでの成長を遂げたのは、本人の努力があってのことです。修学旅行や学芸会、行事が目白押しの2学期です。学年の中心となって進めていく行事もたくさんあったはずです。先輩から無理することはない、苦しかったらやめればいいとアドバイスされても、やりますと言いきったと聞いて、その強い思いに感動しました。今回の授業で見せてくれたいろいろなことは、一朝一夕でできるようなレベルのものではありません。この間、日々意識して実行してきたからこそ身についたものです。この先生の姿勢に、私も多くのことを学び、元気をいただきました。

授業者の成長と、この提案授業が、学校が変わるきっかけになってくれたことを校長がとても喜んでくださいました。今回の授業ビデオをもとに、校内で勉強会を開くことを決められ、私も呼んでいただけることになりました。来年度は授業について学び合うための仕掛けをいろいろ考えられるようです。

今回でフォーラムの提案授業がすべて出そろいました。どの提案授業でもさまざまなドラマがありました。この企画が単なる提案でなく、多くの方の成長のきっかけになったことを本当にうれしく思うとともに、その現場に立ち会う機会を得たことを心より感謝します。

個別のアドバイスの場で管理職の役割を考える

昨日は中学校で若い先生方に個別の授業アドバイスをおこなってきました。

一人は数学の初任者です。来年早々に学校の授業研究会で授業をおこないます。事前にこの日を含めて3回お話をする予定です。第1回目として単元の持つ意味やポイントの説明と、教科書の読み込みをおこないました。
最近の若い教師に共通するのが、「数学とは何を教えるのか、何を学ばせるのか」といった教科の本質に対して自分の答えを持っていないことです。指導要領等で言われていること、教科書が意識していることを読み取れていないと言ってもいいでしょう。
「確率」の単元で実施するということだったので、まず確率で一番大切なことについて、そして身近な確率の応用と統計のかかわりについて話をしました。確率で一番大切なことは、その値の意味するところとその根拠です。確率1/2とはどういうことか、1とは0とは。根拠となるのは基本となる事象が「同様に確からしいこと」です。ここが揺らげば確率は変わります。意味を考えるとき、「大数の法則」が大きなカギです。中学校では直接触れませんが、統計にもつながる大切な考えです。必ずたくさんの試行をおこなわせるのはこのことが基本にあるからです。
また、3択で、解答を選んだ後、選択しなかった2つのうち不正解を教えてもらい、再度選択すれば得になるかなどの現実的な問題につても話をしました。ちなみにこの先生は、得になるとは答えてくれましたが、その根拠は確率が1/2となって上がるという間違いでした。あえて間違いだと指摘せずに、どう子どもたちに説明するか考えるように伝えました。次回までに考えて自分の間違いに気づいてくれればいいのですが。
基本となる話をした後、教科書を1ページずつ丁寧に見ていきました。教科書は実にこの基本となるポイントしっかり押さえています。同様に確からしいことが基本となることを見開きの具体例を使って教えています。
また、組み合わせの問題で、{A,B}と(A,B)を使い分けていることの意味とそれを活かすとどのような指導や発展があるのか、場合の数の樹形図の導入場面で、キャラクターが「6通りになることがよくわかる」とわざわざ言っているのはどういう意味があるのか・・・というように、教科書を読み込むとはどういうことか、一つひとつできるだけ細かく話をしました。たとえば、キャラクターの言葉は、「6通りであることは6通りを見つければいいのではなく、それ以外にはないということを示すことが必要である」ということを意識しています。したがって、子どもたちが場合を列挙した時に、「これだけ」「他にない」「これで全部」「どうして全部だと言えるの」というような問いかけが必要になるのです。これは場合の数だけでなく、算数・数学全般に共通する大切な問いかけです。こういうことを教科書から学んでほしいのです。
与えられた時間では単元全部を見ることはできませんでしたが、この先生が自分に何が欠けているか、何を教材研究すればいいのかを少しでも理解して、冬休みに勉強してくれることを期待します。ネットなどからおもしろそうな教材を拾ってくるのではなく、まずは、基本となる教科書に書かれたこと、その中に込められたメッセージをきちんと理解してケレンのない授業を考えてほしいと思います。

もう一人は、英語の常勤講師です。最近、以前と比べて笑顔が減っていることが気になったので、時間を取ってもらいました。
授業中集中しない子どもが目立つようになってきた。私語も目立ってきた。私の力が足りない。そういう悩みを相談してくれました。
英語は、言われたことをおうむ返しに言うといった、やる気であれば誰でもできることがたくさんあります。そこをまず全員にしっかりできるようにすることが大切であることを伝えました。全員で発音するときに口を開いていない子がいないか、いたら開きなさいと注意せずにどう参加させるのか。そいうことを話しました。また、考える場面をどうつくるかについても話をしました。この両面があって、よい英語の授業がつくられます。こういったスキルは意識して取り組めば、次第に身に付きます。それより気になったのは、自分の力不足を気にしすぎていることでした。
そこで、何でもいいから話してと振ったところ、人間関係の悩みが出てきました。
実は、経験の豊富な非常勤講師とTTを組んでいるのですが、相手の方が自分のやり方をよくないと思って見ているのに遠慮して指摘していないと感じているのです。どう接したらいいのか、どうすればうまくコミュニケーションがとれるのか苦しんでいるのです。一方だけの話を聞いて、こうしなさいとは言えませんがとにかく話を聞きました。これは時間がかかる問題なので、いつでもいいから気にせず気軽に声をかけてと次につなげるようにしました。

教頭に時間を取っていただきこのことについて相談しました。TTの2人はよく授業の相談をしているそうです。ベテランが自分の考えを強く言うが、最後はあなた任せという流れになることが多く、常勤講師が主であるからと最後は1歩引いているようです。さすがによく観察されています。そこから察するに、双方にフラストレーションとストレスが溜まっているようです。2人だけでなく第三者を交えて単元の進め方を相談して調整する機会を設けては提案したところ、早速対応を検討してくれました。素早い判断はさすがです。

数学の初任者の集中的なアドバイスも管理職の発案です。彼の状況からこのまま研究授業をおこなえば、検討会で厳しい意見にさらされかもしれない、少しでも達成感を与え前向きにしなくてはと、異例の対応をとったのです。
授業について考えたり勉強したりするための場を作ることが自分たちの仕事ですと明確な方向性をもっておられます。授業にこだわる教師集団にするために何をすればいいのか常に意識していることが言動によく表れています。部活動や生活指導に力を入れていた学校ですが、授業を大切にしなくてはいけない。そのために、先生方に授業を大切にする風土をどうつくるか、そのことに腐心をされてきました。私を含め外部の力をうまく使い、着実に学校を変えてきました。若手が変化し、それにつられ実力あるベテランもより力をつけてきました。この3年で大きく子どもたちの姿が変わりました。表にはあまり見えませんが、この管理職の動きが学校を変えていったのです。明確な方向性を持って、管理職が何をするか、誰に何をさせるのか。このことがいかに大切かをこの学校の変化が教えてくれます。

この日、来年度も授業アドバイスを依頼されました。このような学校に選んでいただけることを嬉しく思うと同時に、勉強する機会をいただけることに感謝します。

授業づくりへの思いにあふれた模擬授業

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する国語科の授業の模擬授業に参加しました。

本番の授業まで1週間を切って、最後の模擬授業となるものでした。
この日は短く切らずにある程度をまとまった時間進め、司会者がストップをかけたところで話し合いました。指導案もずいぶん固まり、前回までは表に出なかった授業者の素敵なキャラクターが見えてきました。本番の授業では、子どもたちとの明るく元気なやり取りがたくさん見られることが期待できます。
何度も練ってきた授業です。見るたびにねらいがはっきりした、無駄のない骨太の授業になってきています。コーディネータの先生と何度も打合せをし、2人3脚でつくられたものです。単に名人の授業をなぞるのではなく、新しい提案がしっかりとあります。野口芳宏先生の授業をしっかりと研究してきたコーディネータの力があってこそだと思います。
特にICTの活用場面は、会場に来る方の目から鱗の落ちること間違いないものです。私自身早く本番を見たくてしょうがない、早くその使い方を多くの方に知らせたいとワクワクしています。フォーラムまで、あと2カ月。皆さん楽しみに待ってください。

模擬授業は司会者のとり回しのよさと児童役の若い先生方のおかげでとても充実したものになりました。途中、仕掛け人のT先生がわざと議論をしかけてきました。私もその挑発にのって、ちょっとしたバトルになりました。最後にT先生が参加者にびっくりしたでしょうと、授業について真剣に議論することの大切さを伝えられました。私とはいつもこんな議論をしているから人間関係の心配はないと笑わせて終わりました。
そうなんですけど、私は真剣だったんですよ、T先生。どうもわざとらしいと思いました。T先生にまんまと乗せられてしまいました。

2時間余りの間、後ろでビデオ撮影をしていた校長先生の表情が素敵でした。授業者だけでなく、真剣に子ども役をやっている若手教師の姿を温かく見守っていました。会が終わった後、みんな本番の授業を見に行きたいだろうな、この時間を全校集会にして自分が面倒をみて見に行けるようにしようか、何か方法がないかなと考えておられました。
今回の提案授業をきっかけに教師が学び合う雰囲気をつくっていこうとされているのがよくわかります。授業を大切にする、学び合える学校にきっとなっていくことと思います。

先生方のよい授業をつくろうという思いと、授業者への温かいまなざしに触れることができた時間でした。教師が育っていく現場に立ち会える幸せをこの日もしっかりと味あわせていただきました。ありがとうございました。

若手が伸びる学校で授業アドバイス(長文)

先週末に中学校で若手4人の授業アドバイスをおこなってきました。この学校へは1年ぶりの訪問です。先生方の進歩が楽しみでした。

3年目の国語の教師の授業は、熟語のなりたちでした。昨年見せてもらった時もその進歩に驚きましたが、今回はそれ以上の進歩を見せてくれました。
自信に満ちた、教室の隅々までよく聞こえる声で、とても表情が豊かです。導入で4文字熟語などを考えさせる場面は非常にテンポよく、また、子どもたちに考えさせる場面では、じっくりと時間を与える。テンポがよいということはどうあるべきかよくわかっている進め方です。同じ意味の漢字を重ねた熟語と反対の意味の漢字を重ねた熟語を比較して、どう違うかと問う課題からは、子どもたちが考えることを大切にしていることがよくわかります。子どもたちのつぶやきもしっかり拾い、うまくつなげています。よい発言をする子どもがたくさんいるので、子どもの発言で授業が進んでいきます。ただ、中には課題や発言のレベルが高いため、ついていけない子どももいます。授業者はこの子たちがわかるように、説明や切り返しの言葉を工夫していましたが、最初に課題を提示された段階で参加できないために、なかなかうまくかかわれませんでした。
とはいえ、これだけの授業ができる教師はそれほど多くはありません。とても3年目とは思えない素晴らしい授業でした。

授業後、本人に課題を聞いたところ、この学級では上位と下位の学力差が激しく、どこにターゲットを当てていいのかがわからないことをあげてくれました。
これだけ子どもたちが活躍する授業ができていると、反応してくれる子どもたちに目がいき、よい授業ができていると満足してしまうことが普通です。そうではなく、参加できていない子どもにも意識を向け、全員が参加できる授業を目指そうとしている姿勢はとても素晴らしいものです。このような意識で子どもを見て授業を続けていればうまくなるのは当然です。とてもうれしく思いました。
この先生にはこうしろといったアドバイスは無用のものだと思いましたが、考え方のヒントをいくつか話させてもらいました。

レベルの高い課題をそのまま生かすのであれば、グループを活用するのも一つの方法です。力のある子がたくさんいるので、教えてと聞ける雰囲気があれば子ども同士でかかわりながら理解していきます。

いきなりメインの課題に取り組むのではなく、解決するために必用な知識や考え方につながる活動、作業を入れることの一つの方法です。ゴールに到達するためのスモールステップを意識することです。たとえば、今回の課題であれば、熟語のなりたちを考えるために、個々の漢字の意味を考える、漢字を訓読みするといった活動や作業を入れることです。といっても、この漢字はどう読むと聞いては意味がありません。一つひとつの漢字の紙を用意して、熟語を示す時に1枚ずつ貼る。2枚目を貼るときにはすこし時間をとって、次に何が来るかなと問いかければ、自然に漢字の読みを意識します。また、漢字をばらばらに示して、これらを使って熟語をつくるといった作業をさせもいいでしょう。

過去の学習とつなげるという方法もあります。この授業の前に漢文を学習しています。漢文の書き下し文、返り点のところで、漢字には意味と働き(品詞)があることを意識して押さえておけば、授業の最初にこのことを復習することで多くの子どもが漢字の読み方を意識します。この熟語は漢文だったらどう読むのかなといった発問が有効になります。

道具を使う方法もあります。時間的に難しいかもしれませんが、漢和辞典を用意しておけば、低位の子どもも辞典を引くという手段を持てるので、授業に参加しやすくなります。

きっとこの先生はこのような考え方を参考にして、自分の授業に合った方法をつくりだしてくれることと思います。またの機会がとても楽しみです。

2年目の英語の教師の授業は、子どもたちがよく声を出すハイテンションなものでした。授業者はコミュニケーション能力が高く、明るく楽しいキャラクターなので、子どもたちとの人間関係もよく、とてもよい雰囲気で進んでいきます。しかし、子どものテンションがこのように上がるときは、気をつける必要があります。子どもが考えるシーンが少ないのです。教師のあとについて読む、話す。新しい文も、教師が話して、それを繰り返して話す。聞いておうむ返しにすればよいので、だれでも参加でき、テンションが上がるのです。じっくり考える場面があればテンションは下がるはずです。
また、問いに対してほとんどの子どもの手が挙がります。指名した子どもが正解しても、正解と言わずに他の子につなぎます。基本はできているのですが、手を挙げていなかった子どもにはつなぎません。私が見ている間、1度も手を挙げず参加しない子どももいました。

この教師のように、天性のコミュニケーション能力が高い教師は、経験が少なくても雰囲気良く授業をすることができます。素晴らしい長所であり、武器です。しかし、これが諸刃の剣となって、教師としての成長を妨げもするのです。なんとなくやれてしまう、うまくいっているような気がする。こうなると、授業を改善しようと工夫をしなくなってしまいます。厳しいかもしれませんがこのことを伝えました。もう1段レベルの高い授業をするために、子どもが考える発問、課題、活動を授業に取り入れることと、参加できない子どもをどう参加させるかを考えるようアドバイスしました。今の殻を破ってくれることを期待します。

新任の社会科の教師は、学び合いを進めている学校で講師経験があります。子ども同士をどうつなげる授業をしてくれるのか期待して見せていただきました。この日の授業は、不平等条約の解消についてでした。たしかに、資料を見せて子どもに考えや気づいたことを言わせる。子どもの発言を否定しないなどの表面的なことはやれるのですが、本質がわかっていません。教師の期待するような答が出てくるはずのない、根拠となりえない資料提示、にもかかわらず正解が出た瞬間すぐに教師が解説する。期待した答えが出なくても否定はしないが、次に期待する答えが出たら、すぐにそれを拾う。これでは、否定したのと同じです。
講師時代によい授業を見せてもらっているはずなのですが、その本質は理解していなかったようです。よい授業を見れば力がつくというわけではないということです。教師の持っている知識にそって、教師の求める答に誘導しようとする授業でした。

指摘すべきことはたくさんありますが、まず社会科の教師としての根本、単なる点の知識を教えるのではなく、資料や史実・事実をつないで線にする、線を広げて面にすることから始めるようにお願いしました。やる気のある真面目で前向きな先生です。薄っぺらな知識ではなく、しっかりした土台を作るための勉強を始めてくれることを願っています。

最後は別の中学校から異動してきたばかりの理科の先生です。ある程度経験を積んでいるので、子どもたちとのコミュニケーションはとれています。子どもを受容することもできています。しかし、理科の授業で大切にすることは何かがわかっていないようでした。ある事実から何を推論するのか、どのような仮説を立て、それを確かめるためにどのような実験を考えるのか、もし、仮説が正しければどのような結果になるのか。こういった理科の基本的な考え方や活動とはまったくずれた授業でした。
今回は実験ができないので、実験を最初から一つずつ手順とその意味を説明して結果を想像させます。仮説は明確にしていません。子どもたちは、なんとなく結果を想像するか、知っている子があらかじめ持っている知識から答えるだけです。
たとえ実験できなくても、仮説から出発して、どんな実験をすればいいのか、どういう結果が出れば仮説が正しいといえるのかと考えさせ、結果を論理的に推測させることはできます。
逆に、説明をせずに実験とその結果だけを提示して、このことから何がいえるかを論理的に推論させる。そして、実験の方法や結果のどこからそれがいえるのか根拠を聞く。
こういった授業の展開にする必要があります。

前任校は子どもたちとのコミュニケーションを取ることが強く求められる学校だったのでしょう。コミュニケーションは意識してきたが、理科の授業はどうあるべきだということは意識することも指導されることもあまりなかったようです。
今回、理科の授業はどうあるべきかということをしっかり考えるようにお願いしました。話をしていて非常に素直な方です。新鮮な気持ちで、一から授業を考え直してくれることと思います。

初任者でどのような学校に赴任するかは、その後の教師人生を大きく変えます。この日は授業を見ることができませんでしたが、素晴らしく伸びた4年目の音楽教師もこの学校にはいます。3年目の素晴らしい国語教師と共通していることがあります。2人とも1年目は本当に苦労をしていて、教師として続くのかと心配になるほどでした。成長したのは私のおかげと言いたいのですが、そうではありません。本人が一生懸命努力したからです。そして、その努力を支えたのが、教頭を中心とする管理職や主任の方々です。チャンスがあれば自分の授業を見せる。ただ、見せるだけでなく、意図的に彼らに必要な技術や要素をわかりやすく授業に盛り込む。また、授業を見にいっては教科を越えて具体的にアドバイスする、勉強法や情報の提供をする。時には他の学校へ授業を見に行く機会をつくる。若手が伸びるために必要と思えることをとにかくしっかりやっているのです。私の授業アドバイスなどはそのほんの一つに過ぎないのです。

この学校だからこそ、他の学校では言えないような厳しいことも言えます。私に任せっぱなしにするのではなく、管理職や主任のフォローがあるからです。若手が成長するために何が必要かを私に教えてくれる学校です。どの先生もこれからますます成長してくれることと楽しみにしています。

学校のネガティブをオープンにする

先日中学校の学校評議員会に参加しました。

今年度の取り組みの結果報告と来年度へ向けての話し合いでした。地域の方の協力で子どもたちが育っていると感じさせる報告が学校からも地元の評議員の方からも上がってきました。地域の方々が子どもたちを温かい目で見守っている姿が浮かんできます。

この日メインとなったのは、来年度に向けての新しい取り組みについてでした。子どもたちの心を育てる事業を進めたいということです。外部の方に子どもの心が育つようなお話をうかがうなど、事業内容はとてもよいことで、学校側が簡単に説明すれば皆さんに賛同を得られることです。しかし、そうではなく、最近の不登校数が増加傾向にあること、アンケートの結果から友だちへのかかわりが希薄、無関心な生徒の割合が増えつつあること、教師の目から見て気になる行動やちょっとした事件が起こっていることなど、具体的な資料や事実をもとに細かく報告されました。
ショッキングな報告です。一つ間違えれば悪い噂も立つような内容です。それでも、学校はオープンにしました。

外部の方を呼ぶというのが対策のメインではなく、日々の取り組みが一番重要であるという考えを示したうえで、参加者の考えを聞かせてほしいという問いかけがされました。参加者は、ショックを感じながらも、自分たちの目で見た子どもたちの気になる面を報告したり、単純に学校が責められる問題ではなく、家庭や地域、社会全体の問題であるといった考えを伝えました。難しい問題ですので、特効薬がないのは皆わかっています。しかし、互いに子どもたちのためにどうすればよいか、何ができるのか、どうあればよいのかを真剣に考えた時間でした。参加された方が、学校の問題を自分たちの問題としてできることをしなければと考えられていることがよくわかりました。

学校のネガティブな部分をオープンにすることは勇気がいります。しかし、そうすることで、まわりの理解と協力が得られ、学校の応援団がつくられていくのです。応援団の存在が、苦しい状況に置かれた学校を救ってくれることもあります。
この学校の地域と協力して子どもを育てていこうという姿勢は必ず子どもたちのよい姿につながっていくと思います。私も自分の立場からできる応援を続けたいと思います。

とても素敵なハプニング

昨日は中学校で現職教育に参加してきました。今年度最後の訪問でした。

午前中は校内で授業を参観していたのですが、とても楽しい出来事がありました。社会科の為替の授業で、子どもたちがグループで円高、円安の影響を考えて発表しているときのことです。
あるグループが、車の値段がドル建ていくらになるかをもとに「円高は高く売ることができる」と発表しました。それに対して、女生徒が、「輸入すれば、円で同じじゃん」と意見を返しました。授業者は彼女が何かいいことを言っていると取り上げようとしたのですが、理解できずにちょっと困っている様子です。私は、これはキーとなる発言だと思い、うなずくことで、もう少し頑張ってごらんと彼女にメッセージを送りました。それを見ていた授業者が、突然「今からゲストティーチャーにお願いします」と私にバトンタッチしました。とっさのことに一瞬躊躇しましたが、せっかくの流れを切りたくないと思い、すぐに授業を続けました。

「輸入って言ったけど、どういうこと」
「うーん。戻ってくる時・・・」

もどかしそうです。ドルを円に換えれば一緒だと言いたいのでしょうが、うまく表現できません。

「円って言ってくれたけど、どういうこと」
「円だから同じ・・・」
「うん。いいよ、いいよ」

「じゃ、車を売ったもうけはどうなるのかな」
と全体に問いなおしてみました。
「もうからん」
「もうかる」
・・・
「なるほど、車は誰が買うのかな」
「アメリカ人」
「何で払うの、ドル」
「そうか、ドルで払うんだ。車を売ると何万ドルという金がもらえるんだ」
「そのお金はどうする」
・・・
「アメリカへ行った時、何で買い物する」
「ドル」
「余ったらどうする」
「持って帰る」
「換える」
「換えるんだ。何に換えるの」
「円」
「そうか、円にするんだ」
「じゃあ、車を売ったお金はどうするんだろう」
「円に換える」
「じゃあ、5万ドルのとき、3万2千ドルのときどちらがたくさんもらえるだろう」
「5万ドル」
「なるほど、5万ドルの時、いくらになるか計算してみて」
「えー」
「同じだ」
「どういうこと」
「どちらでも円に直したら同じになる」
「そうだね、円高でも円に直せば一緒だね」
最初に意見を言ってくれた子に、
「そういうことが言いたかったんだよね」
うなずく。

ここで授業者に返しました。授業者は「値段が上がると売れなくなるよね。円高は輸出する人にとってはよくないね」とまとめて授業は終わりました。

うまい対応ができたかはわかりませんが、子どもたちは突然現れた私に臆することなく、真剣に意見をつないでくれました。コの字形の机の配置だったこともよかったのでしょう、子どものつぶやきが拾いやすく、表情から意見があることがよくわかりました。
とてもよい雰囲気なのは、担任の学級経営がよい証拠です。わずか10分ほどのことでしたが、子どもたちの考えで問題を解決できて、とても楽しい時間を共有できました。子どもたちのもつポテンシャルの高さをあらためて肌で感じることができました。

現職教育は、エンカウンターの授業研究でした。この学級も雰囲気がよく、担任が子どもたちをしっかり受容していることが、雰囲気作りの原動力だと感じました。エンカウンターと学び合いの違いを意識して、このような活動をうまく活かすようにアドバイスをさせていただきました。

授業アドバイザーとしてこの学校の研究発表のお手伝いを1年半以上にわたりさせていただきました。子どもたちと先生方から本当にたくさんのことを学ばせていただきました。
最後に授業をさせていただくという素敵なハプニングもあり、とても幸せな気持ちで最終日を終えることができました。子どもたちと先生に感謝です。ありがとうございました。

授業者の意図とずれてしまった授業

昨日は中学校で数学の授業アドバイスをおこなってきました。

1年生のおおぎ形の弧の長さ、面積の学習でした。授業者が担任をしている学級だったこともあり、子どもたちとの関係はとてもよいと感じました。教師はノートを取らずに話を聞くように指示しましたが、どの子も集中して話を聞いていました。

おおぎ形が円の何分の1になっているか、おおぎ形に切った紙を使って説明していきます。生徒を意図的に指名し、「なるほどと思った人」と他の生徒に同意を求めます。なかなかよい進め方に見えるのですが、同意を求めたあと、「そうだね」とすぐに教師が説明をしてしまいます。本当に理解しているのか、挙手した子どもに確認することはしません。多くの子どもがなるほどと手を挙げてくれているのですが、手が挙がらない子もいます。彼らが納得できるだけの時間をとらずに進んでしまっているのです。
いくつかの例を用意して、中心角から円の何倍になるかを求めることを説明します。授業者は何倍になるかを考えることをポイントとして進めていったつもりなのですが、実際には120÷360=1/3といった計算ばかりが板書され、強調されていました。
半径r、中心角a°のおおぎ形の弧の長さl=2πr×a/360、面積S=πr2×a/360と公式を提示した後、中心角135°のおおぎ形を例題としました。授業者は円の何分の1と割り切れないものも公式に当てはめれば解けることを意識して出題したのでしょう。しかし、この間30分くらい経過しているのですが、子どもたちは教師の話を聞いて答えるだけで、1度も自分の手を動かして考えていません。今までの説明はすべて円を何等分かしたものばかりです。そこに、いきなり135÷360とうまく真分数にならないものがでてきたため、どうしていいか困惑する子どもが出てきました。
図で、円はおおぎ形の何枚分、おおぎ形は円の何分の1と考えたことを、有理数(分数)倍に拡張することは、たとえ式としては同じでも子どもにはギャップがあるのです。
この部分をもっと時間をかけて子どもたちとやり取りしながら、公式を作るべきだったのです。結局、公式に当てはめて答はこうなると計算を板書して、それをノートに写させました。公式を使えば答が出るというだけで、子どもが感じていたギャップを解消することはしませんでした。

授業者は最後に、この公式は覚えなくても何倍になるか考えれば作れると口頭で説明しました。しかし、板書をみてもおおぎ形が円の何倍になっているかを考えればいいとわかるような記述は何も残っていません。教師が押さえようと意識していた円の何倍になるかをもとに考えるのではなく、公式を使って答えを出せばよいという授業になってしまったのです。授業者の意図と実際の授業は大きくずれてしまいました。

なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。子どもたちとやり取りし、活動をさせながら授業を進めれば時間がかる。問題を解けるようにしなければならないので、演習の時間を確保しなければならない。そんな気持ちが、子どもに活動させるのではなく、教師が説明する授業につながり、子どもが理解しづらい部分を公式に当てはめることで逃げてしまうことになったのです。
授業者は意識して逃げていたわけではないと思います。だからこそ、この事実に気づいてほしいと思いました。今回、授業者には厳しい指摘をたくさんしました。子どもを受容することができる、コミュニケーションの基本がきちんとできている先生だからこそ、正面から教材と向き合って授業をつくっていくことで大きく飛躍すると思います。どのような変化を見せてくれるか楽しみにしています。

新任の授業アドバイス

昨日は中学校で社会科の新任の授業アドバイスをおこなってきました。

日本の農業の特色を考える授業でした。
「三大穀物はどこで作られる」という発問で子どもにワークシートを埋めさせましたが、「どこ」は何を意味しているのか明確にはされていません。意図的なのかどうかが興味のあるところでした。ワークシートの資料の国別のシェアを見て、上位の国名を書く子と教科書を見てアジアなどの地域名を書く子に分かれました。資料集を見ている子はほとんどいませんでした。子どもの発表は当然その2つに分かれます。授業者は出てきた地域名と国名を板書します。「米」に対するアジアという発言に対しては「もう少し詳しく」とすぐに問いかけますが、国名で書いた子どもは板書を写すことに専念し、この発問に対しては反応しません。子どもは単に作業をするだけで深く考えようとしていません。それより、板書をもとにワークシートの穴を埋めることに専念していたのでした。
結局、資料や教科書から抜き出した答を発表し、その確認をするだけで終わってしまいました。「どこ」に対しては「暑いところ」や「米を食べるところ」といった答だってあるはずですが、そういう広がりは一切ありませんでした。資料から読み取ったことを元に考えるということがないのです。とりあえず答を見つければそれでよいという姿勢です。
ここでは世界の農業の特色を押さえることで、日本の農業の特色を比較して考えさせることにつなげることがねらいですが、結局、規模や消費地と産地の関係といったことは全く何も押さえられていませんでした。この後の発問も互いにつながらない、細切れの知識を与える授業になっていました。

授業後、どんな社会科の授業を目指しているのかとたずねたところ、「社会生活のために必要なことを考え身につける」といった答が返ってきました。なかなかよい視点です。しかし、実際の授業は、教科書や指導書に書かれたこと、試験に出すことを提示、説明するだけに追われています。子どもに話し合いをさせても、その考えを聞いたり、互いにかかわり高めあうための時間をとったり働きかけはせずに、教師が答えを言って終わっています。考えることはほとんどない授業になっているのです。自分の授業が目指しているものと程遠いことは本人も感じています。しかし、そのギャップの大きさにどうすればいいかがわからず、流されている状態でした。
一度の授業で急に考えることができるようになるわけではありません。子どもたちをどのように育てていくのか、目指すところと現実の間のステップを細かく意識することが大切です。資料の探し方や見方を身につける、資料をもとに考えを深める、・・・。一つひとつ時間をかけて育てていくのです。そのためには授業と授業がつながっていく必要があります。今日学んだことを次の授業に活かす。こういう育てるという発想がないことが問題だったのです。
また、発問も教師が求める答えが出やすいように考えています。そうではなく、子どもが考えるにはどう問いかければいいのか考えることが大切です。
たとえば「レタスの産地ごとの出荷時期の違い」を問うのではなく、「君たちがレタス農家だったらいつ出荷できるようにつくる?」とするのです。
最終的に同じところにたどり着くかもしれませんが、子どもたちが考える内容は明らかに違います。自分で考えたことが正しいかどうかを資料で確認しようとすれば、その見方はただ答を探すのとは明らかに違います。こういう経験を積むことで考える力がついてくるのです。

まだ、教壇に立って1年にも満たない若者です。これを機会に自分が目指している授業を思い出し、少しずつそのギャップを埋めようしてくれればと思います。経験が少ないからこそ変わることも容易なはずです。これからの成長がとても楽しみです。

ICT活用授業のビデオで勉強会

日曜日に愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムでの算数の提案授業(多くの人と共有したい授業参照)の勉強会に参加しました。

休みにもかかわらずたくさんの先生が参加されました。この地区の先生方の熱心さがうかがわれます。ビデオを見ながら主にICT活用に関することと子どもの言葉の活かし方について話をしました。
ICTを活用することで子どもたちが自然に授業に集中していました。大人から見ればICTでこんなこともできるのだと感動するところも、子どもたちにとっては実物を扱うのと同じなのか、とても自然に受け止めていました。
この授業でのICTのよさは、無駄な時間をなくすことでテンポよく進み子どもたちの集中力が切れない、思考の過程を見える化することで考え方の共有をはかれる、この2点がありました。フォーラムで多くの方にこのことを実感していただきたいと思います。
しかし、ICTの活用以上に盛り上がったのは子どもの言葉をどう受けるか、活かすかということについてです。子どもからの予想しなかった発言や誤答に対して即時に適切な対応することは難しいことです。授業者にその時の気持ちを振り返っていただきながら、どんな切り返しやつなぎ方をすればよかったのかを考えました。
一つの視点として出てきたのが、間違えたところではなく、あっているところに焦点を当てることです。
三角形の仲間分けの条件はよいのですが、分けた三角形の中にその条件に当てはまらないものがまぎれている発表がありました。授業者はその間違えた三角形に焦点を当てたため、結局その仲間分けの条件が否定されてしまいました。そうではなく、その条件に焦点を合わせて、この条件を満たす三角形はこれで全部か、選んだものは過不足がないかと問い進めていけば、自然に正しい仲間分けにたどり着けたと思います。このような対応ができなかったことを責めることはできません。もし私が授業者であったらそのような切り返しができたという自信はありません。この授業を見てはじめて学べたことなのです。

この日はたくさんの学びができたのですが、それは子どもたちが集中力を切らさず授業に参加し積極的に発言をしてくれたおかげです。そのことにICTは大いに貢献していたと思います。素敵な授業とたくさんの熱心な先生方のおかげで充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

多忙感の解消について講演

校長会で教師の多忙感の解消について講演する機会をいただきました。私自身このテーマでまとまったお話をしたことがなかったので、講演に向けていろいろと考え整理することで大変勉強になりました。

多忙ではなく、多忙感がポイントです。多忙自体が単純に問題ではないのです。過度の多忙は問題ですが、なすべき仕事で忙しいということは充実した時間です。しかし、意味がないと感じる仕事で忙しければ、それは多忙感につながっていきます。問題は、やっている仕事に価値を見いだせるかどうかなのです。したがって、多忙感の解消には一つひとつの仕事の価値を明確にし、仕事の結果がきちんと評価されることがとても大切になります。自分の仕事に意味を見いだせれば、多忙感は充実感に変わっていくのです。

気をつけなければならないのは、仕事を命じた側が考える価値と命じられた側が感じる価値がずれることです。命じた側は価値があると思っている仕事でも命じられた側がこんなことをやっても意味がないと考えれば、徒労感、多忙感につながっていきます。仕事の意味、価値をきちんと共有しておくことが大切です。
また、仕事の評価を具体的にすることも大切です。「ありがとう」「お疲れさま」とただ言うだけでなく、具体的にどこがどのようによかったと評価することで、仕事を与えられた側は自己有用感を持てます。

もう一つ気をつけたいのが、突発事項に対応する組織の体制や雰囲気です。予定外の仕事が入ってきたとき担当者に対するサポートがあるかどうかが多忙感に大きく影響します。
たとえば、生活指導の問題が発生した時、担当者はその対応に追われます。このとき、直接の担当者でない人も一緒に事にあたったり、サポートしたりする雰囲気や体制があれば、担当者は多忙ではあるが精神的には救われます。逆に、これは自分の仕事ではないとまわりが知らん顔をすれば、自分ばかりがなぜと多忙感が増します。組織として助け合えるような仕組みを作る、お互いが助け合う雰囲気を作る、やり方はいろいろあると思いますが、担当者を孤独にしないことが大切です。

私自身、こうすれば多忙感を解消できるという明確な答を持っている訳ではありません。校長のお役に立てる話ができたかどうかはわかりませんが、学校経営を考える何かのヒントになれば幸いです。私自身が勉強するよい機会をいただけたことに感謝です。

研究会で刺激を受ける

愛される学校づくり研究会に参加しました。今回は、後藤教育研究所の後藤真一さんの教師の気づきと共有のキーワードについての話と会員による学校の見える化についての提案と討議でした。

後藤さんは教師へのビアリングや評価の記述などの言葉を統計的に分析することで、教師の教育活動に関する知見を得ようと活動されています。今回は子どもたちのようすをどのようにして気づいているかとその共有について、2つの中学校の教師へのヒアリングの分析をもとに話していただきました。
客観的なデータをもとに考えるというのは学問の基本です。教育の分野ではそれがなかなか難しく、どうしても主観的、感覚的な話になりがちです。私に欠けているところでもあります。教師の発する言葉を分析して考えるということは参加した先生方にもとても新鮮なものであったと思います。
2校のデータには明らかに異なった傾向がありました。その理由は学校の置かれている状況にあるように思われます。よく言われる、学校が苦しいときほど共有しようとする意識が高まることがデータにも現れているように感じました。ふだん持っていない視点に出会い、とてもよい刺激をいただきました。

この研究会のテーマでもある学校の見える化についての皆さんの多彩なレポートを見て、実にいろいろなアプローチがあることにあらためて気づかされました。グループで討議したあとは、会長からの提案で急遽パネルディスカッションをおこなうことになりました。役者ぞろいの会ですのでとても楽しいものになりました。
そこでは、学校の見える化をどう捉えるかが話題になりました。ただ何かを可視化するというのではなく、見える化することで学校がよくなることにつながることが大切だと私は思います。学校の何が改善されるかということを念頭に置き、そのことをチェックして初めて見えるかが意味を持つのだと思います。
また、見える化にかかるコストのことも話題になりました。コストに関連してコストの負担者と受益者の一致、不一致も問題であると考えました。見える化の担当者がその価値をきちんと理解していなかったり、また担当者として評価されなかったりすると見える化へのエネルギーは下がってしまうと思います。見える化を継続的に進めるための大切な要素ではないでしょうか。

この日も、たくさんの刺激を受け、今まで気づかなかったことについて考えるきっかけをいただきました。後藤さん、研究会の会員のみなさんありがとうございました。
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