若手の急激な成長に驚く

昨日は小学校で、若手への授業アドバイスと授業研究のコーディネートをしてきました。

1年生の音楽の授業では、子どもたちが指示に対して素早く動けるようになっていることを感じました。後で聞いてみると、前回のアドバイスをもとに後片付けなどを指示した時に、ストップウォッチで時間を測り、子どもたちの進歩をほめるようにしたようです。素直に挑戦する姿勢はとても素晴らしいと思います。子どもたちの動きがよくなることで、先生にも余裕も出てきたようで、授業中の笑顔もずいぶん増えてきたようです。教師がよい笑顔を見せていると子どももよい表情を見せてくれます。先生と一緒に全員でリズムを取る場面では、みんなとてもよい表情で参加していました。

3年生の担任の授業では、教室で子どもたちの姿を見た瞬間に、以前との雰囲気の違いを強く感じました。もともと子どもたちとの関係はよかったのですが、集中度が違うのです。指示に対する動きもよくなっています。一つひとつの場面での精度があがっている感じです。何が違うのかを観察してみると、指示を出した後や子どもの活動場面などで、先生が一人ひとりをきちんと見ているのです。そのため、全員がそろうまで待てたり、できていない子どもへの指導が行き届いているのです。
また、黒板に答を書いた子どもが後から気づいて直そうとした時に、他の子どもがいまさら直すのはダメだと非難しました。先生は、非難した子を叱ったり、直していいよと言ったりせずに、間違いに気づいて直すのはとてもいいことですと評価しました。このように、よい行動を価値づけすることで、子どもたちの中によい価値観が育っていきます。
この先生の急激な成長に驚きました。聞けば、TTで入っている教頭が、子どもたち一人ひとりを見ることの大切さを言い続けていたそうです。こうした働きかけがとても大切であることを実感しました。

4年生の算数の授業では、子どもたちの素直な反応が印象的でした。わかるときは元気に手を挙げてくれますし、わからないときは手が挙がりません。当り前のことかもしれませんが、子どもたちが素直に反応できるのは、教師との人間関係ができている証拠です。手が挙がらないことで、説明がきちんとわかっていない、混乱しているといったことがよくわかります。そのことが結果として全員がわかる授業へとつながっていきます。
授業者は教科書をしっかり読みこんでのぞんでいたのですが、もう1歩及ばなかったようです。小数×整数の筆算の手順で、最後に「小数点をうつ」という記述があります。授業者はこの説明で、小数点を下におろすと言いました。確かにそれでよさそうなのですが、このあと習う小数×小数では、これは通用しません。そのことを考えると、ここは「小数点はどこにうてばいい」とその理由を考えさせることが大切になります。別の考え方が教科書に載っているのも、そのためです。過去の学習内容と、この後の学習内容とを合わせて考えることで、教科書はよりよく理解できるのです。このことを伝えました。

5年生の担任の先生は、中学校から小学校に異動して、その差をうまく自分の中で解消できずに悩んでいました。小学校から中学校への異動でも似たようなことがよくありますが、ここを乗り切ることが大きな成長につながります。産みの苦しみのようなものです。
この先生とはじっくり話を聞きながら、自分のスタイルを捨てるのではなく、欠けているものを足すことをヒントとして示しました。うまくいかないと余裕がなくなり笑顔も減っていきます。一度にいろいろなことをしようとせずに、気がついたときに「笑顔をつくる」ことを意識するくらいでよいとアドバイスをしました。

6年生の国語の授業は、以前と比べて子どもの集中度がずいぶん上がっていました。先生の指示も明確で、子どもたちを受容することもできています。若干集中力がとぎれてしまう子に対して、どのように接していくかが今後の課題です。子どもの状態がよくなったとき、この程度でよいと思うのか、何とか全員と思うのかが分かれ道です。ここでもうひと踏ん張りできれば、全員が集中した授業ができるようになります。ここまで頑張ってきてくれたので、きっと100%を目指して工夫をしてくれることと思います。

授業研究は3年生の理科の実験でした。この授業者も若い先生ですが、子どもたちの聞く姿勢がとてもよいのが印象的でした。
実験の予想を発表する場面で、友だちの意見に対してほとんどの子どもが賛成のハンドサインを出します。しかし授業者はそこで、先ほどの意見の内容を確認しました。挙手したのは一人だけでした。挙手した子にもう一度発表させることで、こんどは本当に集中して聞いていました。ハンドサインを形式的にせずに、きちんと聞くことを求め、聞いていたことを評価することで、聞く姿勢がつくられてきているのだと感じました。
また、理科の実験では、実験方法の説明が一方的でくどくなり、時間が取られてしまうことがよくあります。授業者は実物による簡単な説明の後、「練習しよう」と実験ができる状態に机を動かし、子どもを活動させることで受け身の時間を減らしました。そのあと、全体でポイントを確認しました。先生がくどく説明するのではなく、子どもに言わせることで、きちんと覚えていなかった子どもも再確認できます。実験はどの班も戸惑うことなくとてもスムーズに進みました。

検討会では、担任を縦割りにして日ごろ関係が薄い先生同士がグループになって話し合えるようにお願いしました。ベテランと若手が顔を寄せ合い、とてもよい雰囲気で進みました。やはり、多くのグループで子どもたちの聞く姿勢のよさや、指示がきちんと通っていることが話題となったようです。そこで、子どもたちのようすと教師のかかわりについて、私の方から少しまとめてお話をさせていただきました。

この学校への訪問は5回目で、授業を見るのは4回目です。正直、急激に授業が変わることは期待していませんでした。しかし、この1月で若い先生方の授業と子どもたちのようすが本当によい方向に変わっていました。一人ひとりが授業に真剣に向き合い、できることを一つひとつ積み重ねてきたのでしょう。校長をはじめとする管理職や主任のバックアップもあったに違いありません。若い教師が伸びる雰囲気ができつつあります。若い教師が伸びてくることはベテランや中堅の先生方にとってもよい刺激です。授業研究を通じてこのよい流れが広がっていくことを期待しています。
3学期に後2回訪問する予定です。若手だけでなく、ベテランや中堅にどんな変化が起きるのか楽しみです。
若い教師の成長にたくさんの元気をいただいた1日でした。

「愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京」の打ち合わせ

昨日は、来年2月25日(土)に東京品川で開催予定の「愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京」の打合せをおこないました。

プログラムの詳細も決まり、年内には申込みも始まる予定です。

午前中は「学校のお荷物を切り札に」と題して、学校ホームページと学校評価について、何と10人のパネラーが意見をたたかわせます。ここで重要になるのは、パネラーの座席です。会場に2段並ぶどこにだれを置くかでおもしろさは変わってきます。どんな進め方をするか司会者の思惑も影響します。誰と誰が対立するかなどと予想しながら司会者、スタッフと相談しました。完成した原案を見ているだけで、私は「おもしろそう」とワクワクしますが、司会者はどう取りまわすか、プレッシャーがかかっていることと思います。スクリーンに何を写すかなど仕込みについてもかなり詰めることができました。

午後は「授業名人(野口芳宏、有田和正、志水廣)が語る!斬る!ICT活用」と題して、ベテラン・中堅のアドバイザーのバックアップのもと、若手がICTを活用して挑戦した名人の授業実践の追試を本人に評価してもらいます。この日記でも取り上げていますが、算数、社会の授業は終わり、国語も着々と準備が進行中です。若手がどれだけ名人に近づけるか、ICTはその武器となるのか、名人はICTをどう評価するのか。見どころはたくさんあります。
そして、最後に名人とこの企画の仕掛け人たちとのパネルディスカッションです。コーディネータは玉川大学教職大学院教授の堀田龍也先生。このセッションは、スタッフは余計なことを考えず堀田先生に完全にお任せ。どう料理されるかを楽しみにしましょう。

パンフレットの企画もほぼ固まり、あとはいつも素敵なレイアウト見せてくれるYさんにバトンタッチ。年内には愛される学校づくり研究会のホームページで詳細をお知らせできると思います。

興味のある方はちゃんと予定を入れておいてくださいね。

子どもたちの姿の変化に戸惑う

昨日は中学校で道徳の授業研究への参加と授業アドバイスをおこないました。

午前中は主に若手の先生と一緒に子どもたちの様子を観察しました。定期試験が近いせいか、先生主導で説明をしている授業が目立ちました。その時の子どもたちの様子が、ちょっと気になりました。
友だちの発言を聞かずに板書を写しているが、教師が解説し始めると聞く。それでもまだ写している生徒もいます。また、話を聞いていた生徒も、教師が板書を始めると話を聞かずに写し始めます。話をしながら板書することも問題ですが、それよりも子どもたちが、効率よく結果だけ求めようとする消費者的な行動をとっていることの方が問題です。この学校では、このような傾向はずいぶん減っていたと感じていましたが、今回はかなり目立ったのです。これが試験前の一過性のことなのか、恒常的になってきているのか今後しっかり見ていく必要がありそうです。

一緒に回った先生方からいくつか悩みの相談を受けました。その中に、行事等で一部の生徒が協力しないのだが、なかなかうまく指導できないというものがありました。
話を聞いてみると、ほとんどの子どもは協力的で一生懸命やっています。しかし、教師は100%を望むあまり、できていない子を何とかしようとして、ついつい叱ってしまったり、彼らに訴えかけようとします。どうやらこの先生もそのような対応をしていたようです。ところが、そうすると「悪いのは彼らだ」と他の子どもたちも彼らに悪感情を持ってきます。かえって子ども同士の関係を悪くすることにもなりかねません。子どもたちは教師の難しい顔や怒った顔を見たいとは思いません。できるだけ笑顔で指導できる方法を考えることが大切です。まずは、しっかりできている子どもをほめ、その上でこうなるともっとよくなるという次の目標を与えていきます。その目標達成のためには、一人ひとりがどうすればよいかを考えさせます。子どもには波があります。非協力的な子どもも、時には積極的な姿勢を見せます。その瞬間をとらえ、ほめることで少しずつ変わっていきます。このようなことをアドバイスさせていただきました。

道徳の授業研究は、学級の雰囲気のよさが伝わるものでした。子どもたちは真剣に授業に参加してくれているので、教師側の問題が非常によく見えてきます。この授業では教師が自分の価値観に誘導しようとしすぎてしまい、多くの子どもたちが建前で話をして、自分の問題としてとらえることができませんでした。
検討会では、道徳の授業としてどうあるべきかについて、よい意見が先生方からたくさん出てきました。また、この学校の道徳の指導をされている外部の先生からは、この授業もとに、道徳の授業のポイントを明確にお話しいただけました。多くの学びのあった授業研究でした。
しかし、一点気になることがありました。この学校の最近の授業検討会で子どもの固有名詞が聞かれなくなったことです。一人まったく自分の考えを書いていない子がいました。気づかれている先生もたくさんいたはずです。しかし、検討会では話題になりませんでした。校内をまわっていて、学級の雰囲気は悪くないのですが、今までほとんど目にしなかった授業に参加できない子どもが1人2人と増えてきています。このことと無関係ではないような気がします。
学級の雰囲気がよくても、全員が授業に参加できないことはあります。ここで一人くらいは仕方がないと思うのか、この一人を大切にするのかは大きな分かれ目です。

この学校にかかわって2年半が過ぎきました。これまで来るたびに子どものよい姿をたくさん見せてもらいましたが、転機が来ようとしているのかもしれません。次回訪問時は心して子どもたちの姿を見ようと思います。

指示を通す

先週末は、中学校で授業アドバイスをおこないました。小学校から異動して1年目の理科の先生です。

やさしい話し方から小学校の経験者であることが伝わってきます。鉛筆を置くように言った後、3、2、1とカウントダウンをするなど、指示を徹底させようと意識しているのがよくわかります。しかし、カウントダウンを終了してもまだ鉛筆を置いていない子どもがいるのに話し始めてしまいます。
この日は火を使う実験なので、実験の説明も丁寧にしようと心がけています。しかし、いざ実験を始めるときちんと理解していない班がたくさんいます。先生は各班をまわりながら、質問に答えているので全体のようすが見えていません。なかにはガスバーナーの火をつけっぱなしにしながら、全員がワークシートに書きこみをしている班もありました。

この点について授業後話をしました。授業者は徹底できていないことを自分でもよくわかっているようでした。なかなか徹底できないが、待っていると時間がなくなる。そんな悩みを持っていたようです。徹底させるというと、厳しく指導するイメージがあります。そうではなく、できたことを一つずつほめて認めていけば子どもたちは、喜んで指示に従います。また、丁寧に説明しようとすると教師が話している時間はどんどん長くなります。受け身の時間が増えるので集中力がなくなり、逆効果です。できるだけ説明は短くし、きちんと理解できているか子どもたちに確認する時間を取ることが大切です。
説明の順番にも注意を払う必要があります。授業者は実験の説明の途中で、実験中はにおいがするので、窓際の生徒に実験を始める前に窓を開けるよう指示しました。しかし、そのあと実験の説明を続けたので、忘れてしまう生徒もでてきます。授業者は、それに気づき自分で窓を開けました。この指示は、説明の最後にするべきでした。そうすればきちんと窓を開けてくれます。また、たとえ忘れても授業者が窓を開けることをせず、生徒に気づかせ、窓を開けさせたあとに「ありがとう」の一言を言えばよかったのです。

小学校の経験者が中学校に異動して戸惑う姿をよく見ます。小学校のやり方が通用しないと感じたり、そう思い込んでいる方が多いようです。実はそうではないのです。小学校でも、中学校でも同じやり方がちゃんと通用します。うまくいかないのは実は、小学校でもきちんとできていなかったことに気づいていなかっただけなのです。指示は全員できるまできちんと確認する。できなかったことを注意するのではなく、できたことをほめる。こういう原則は同じなのです。ただ小学校では教師の力関係が相対的に強いので、何とかなっているように見えているだけなのです。
授業における一つひとつの指示や活動を全員ができるように徹底するには、具体的にどのようなことを意識すればいいのかを一緒に考えてみました。授業者も実はよくわかっていたように思います。ただ、子どもたちの違いに戸惑い、忘れてしまっていたようです。少しずつ思い出しながら、子どもたちと接していけば、きっといい方向に動き出すと思います。次に授業を見る機会が楽しみです。

パネルディスカッションでコーディネータ

昨日は中学校の研究発表会で、パネルディスカッションのコーディネータを務めさせていただきました。町内に2校あった中学校を統合して4年目、研究指定を受けて2年目です。統合にあたっては教科センター方式や縦割りによるブロック活動など新しい試みをたくさんしています。また、それ故に試行錯誤で苦労している面もたくさんありました。私がかかわるようになって2年目ですが、よい方向への変化が点として表れてきたと感じています。

パネラーは、管理職ではなく研究主任と研究にかかわる3つの部会の部長、今年度から研究のお手伝いをいただいている大学客員教授のS先生の5名にお願いしました。簡単な流れだけを決めて、話の内容についてはぶっつけ本番です。予定調和の全くない中で、どこに着地するかは私の責任です。講演するときよりもかえって観客の反応が気になります。
校内の先生方には、まず、今までの取り組みについて簡単に説明をしていただきました。形式的なものでなく、うまくいかないことや疑問に感じたことなどなんでも本音で話すようにお願いしました。新しい学校であるが故の苦労と思いが多く語られたので、それだけでなく、私の目に見えてきた成果について、観客席にいる先生からコメントをいただきました。その上で多くの学校を変えてこられたS先生に、この学校の現在の状態の評価と何が学校をよくしていくポイントなのかをお話しいただきました。
そこで語られた、「この学校は、目指す方向、目指す子どもの姿がいま共有できたところだ」ということについて、研究主任のコメントをもらい、校内のパネラー全員に明日からどうしていきたいか話していただきました。皆さんの強い思いを校内の先生も外部の方もしっかりと受け止めていることが壇上から見てとれました。
最後に、S先生にこの先学校がよくなっていくためのアドバイスをいただきました。「一つひとつの授業研究を単発のものにするのではなく、そこで出てきた課題を次の授業者が引き継いでいく、つながるものにしていくことが大切である」というお話は、この学校だけでなく、参加された学校関係者の方にとっても心したいことでした。

学校がよくなっていく過程はそれぞれで異なります。すぐに目に見えるようになる部分もあれば、なかなか見え難い部分もあります。研究の報告書や紀要、1時間の授業を見ただけでは見えないこの学校の事実をできるだけ明らかにして、校内、校外、学校関係者、一般、参加されたすべての方にとって得るものがあることを目指しましたが、どうだったでしょうか。
この学校の先生方の思いとS先生の的を射た発言のおかげでなんとか役目を果たせたのではないかと思っています。私自身、このパネルディスカッションから多くの収穫を得ることができました。このような機会を得たことに感謝いたします。

先生の成長から元気をいただく

昨日は中学校の学校訪問に参加しました。特設授業は若手教師による1年生の学級活動でした。

教室の第一印象は、子どもたちがとても素直で授業者と人間関係がよいことでした。授業者の表情も柔らかく、子どもたちを認めよう、ほめてあげようという姿勢を強く感じました。
この中学校区には小学校は1校で、子どもたちの人間関係は固定化しやすい傾向にあります。今回の授業は、友だちの長所を伝える活動を通して、自分や友だちのよさを再発見することで、人間関係をよりよいものにしようとするものでした。
今回は子どもたちにできるだけ発言の機会を平等に与え、発言に消極的な子どもにもしっかり発言させることを意図して、グループで友だちの長所の発表を1人につき1分間課しました。このことがプレッシャーになったのか、発言者と長所を言われている2人はかかわり合えているのですが、他の2人は発表して自分の出番は終わったと集中力をなくしたり、自分の発表の準備に手一杯だったりしてかかわり合えていないグループも見受けられました。話すことを課題として意識しすぎると起こりやすいことです。授業のねらいにもよりますが、「○○さんのよいところをみんなで聞き合う」といった活動にした方がよりかかわり合えたのかもしれません。

日本語が少し不自由な子がなかなか参加できていなかったのですが、隣の女生徒がフォローして参加できた場面がありました。授業者がさりげなく頼んでいたようです。
また、互いの長所を発表する場面で表情が暗くなり、このまま泣き出すのではないかと思える女子がいました。ワークシートは長所の観点の一覧に○をつけるようになっているのですが、彼女は自分のよいところにほとんど○がついていませんでした。自分を肯定的に見ることができないので、この活動がつらかったのかもしれません。最初の友だちの長所の発表は、暗い表情ながらもなんとかこなしました。その後、長所を言ってもらった子が、彼女の言ってくれたことに対してうれしく思ったことを伝えました。その瞬間彼女の顔に笑顔が浮かびました。その後の活動では彼女はかかわり合う姿勢を見せ、友だちが自分の長所を言ってくれるときには何度か笑顔も見られました。友だちに認められることがいかに大切なことかとてもよくわかる場面でした。

検討会では、若手の教師からもよい発言を聞くことができました。授業者も含め若手が育ってきていることをとても強く感じました。
指導主事のコメントも、さすがは学び合いを大切にしている地区と感じさせる、子どもたちのかかわり合い・活動と教師の具体的な指示・指導との関係に焦点を合わせた、具体的で納得のいくものでした。
教育長は行政出身の方ですが、授業中も子どもたちのそばに張り付いてじっと子どもの言葉に耳を傾け、子どもの事実をしっかり観察しようとされていました。そのコメントも自分が見た子どもの事実を伝え、そのことについての解釈はお任せするという、先生方に考えることを促す、短いが内容のあるものでした。行政出身の教育長の現場への指導力を疑問視する方もいらっしゃいますが、この方に関しては当てはまらないと強く感じました。

この地区全体で、授業のありようがここ4年ほどで大きく変わりました。教育委員会と学校現場がともに授業改善に前向きに取り組んでいることの表れだと思います。

公式行事の終了後、授業者と話をする時間を持つことができました。昨年度までは、子どもたちのネガティブに目がいくためか、表情も固く、笑顔をつくることがうまくできないと感じていた先生です。しかし、卒業生を送り出し新1年生の担任となり、心機一転して、笑顔で接しほめることを心掛けたようです。そのことが今日の授業からとてもよく伝わったと話したところ、昨年度までも意識はしていたもののなかなかできなかったが、今年はできるようになったと嬉しそうに答えてくれました。小学校からはいろいろと問題があった学年という引き継ぎがあったが、そんなことは感じない。先輩方のアドバイスのおかげもあって、子どもたちとの人間関係はとてもうまくいっているとのことでした。子どもたちは、中学校入学時にこの授業者と同じく心機一転して、小学校時代をうまくリセットできたのでしょう。よい出会いができたのだと思います。

始業前は職員室にいることが多かったが、今は少しでも子どもと一緒にいたいので、すぐに教室に行くと話す姿に、この先生がこれから確実に成長していくことを確信できました。成長する場面に立ち会うことができた私もたくさんの元気をいただきました。ありがとうございました。

教職員組合主催の学習会

先週末に、教職員組合主催の学習会で「言語活動を意識した授業作り」というタイトルで講演をおこないました。忙しい時期にかかわらず、勤務時間終了後にたくさんの方に参加いただきました。

最近は言語活動に関する講演の依頼が多くなっています。しかし、私は言語活動を意識することよりも、まず授業における教師と子ども、子ども同士のコミュニケーションをきちんと成立させることが大切であると思っています。今回の講演も、言語活動ということよりも、まずふだんの授業での基本的な子どもとのかかわり方、子ども同士のかかわり方について時間を割きました。
特に相手の話を聞く姿勢をどうつくるかは、コミュニケーションの成立に欠かせない要素です。教師が子どもの話を聞く、子どもたちが教師の話を聞く。自分が発表することだけに意識を向けるのではなく、友だちの話を聞くことに意識をむける。そのために、どのようなことに注意をして授業を進めればよいかを最近の学校での経験もとに話をさせていただきました。

また、言語活動に関しては、日常言語と教科の言語や学習用語とをつなぐことについて少し詳しく話をしました。
たとえば、音楽でどのように歌ったらよいかを歌詞から考えさせる場面です。子どもは歌詞から感じたことを発表しますが、それは「楽しい」「明るい」といった日常言語で語られます。自分たちの言葉でたくさん発表し合うことはとても大切なことです。しかし、「じゃあ、みんなが言ってくれた楽しい感じを歌で表現しよう」とすぐに歌い始めても、「楽しい」ことをどう歌で表現するかについては、まだ共通の理解はできていません。表現はばらばらになってしまいます。子どもたちが感じたことを音楽の言葉で表現しあうことで、初めて具体的な歌い方として意識され共有されます。「みんなが感じたことを、歌で表現するにはどうすればいい」と問いかける必要があります。ここで子どもたちの言葉は「強く」「歯切れよく」といった音楽の用語に変換されていきます。こうして、子どもたちは自分たちの感じたことを歌で明確に表現できるようになります。こういう経験を積むことで「フォルテ」「スタッカート」といった音楽記号から、作曲者の意図した表現を読み取る力もついてきます。
これはどの教科にも当てはまることです。日常言語で自分の考えや思いを伝えようとする。その内容を教科の言葉を使って再度表現する。概念が明確になり、よりよく伝わる。こういう一連の過程を意図して経験させてほしいとお願いしました。

途中で少し入れたペア活動で、参加者はとても素敵な笑顔をたくさん見せてくださいました。この笑顔を教室でも見せることができたのなら、授業は楽しく進んでいくに違いありません。参加した先生方ととても楽しい時間を過ごすことができました。このような機会をいただけたことに感謝します。

若手教師の悩みと管理職の支え

昨日は小学校で若手教師に授業アドバイスをおこないました。

一緒に授業を見ながら、「誰が集中している?」「この後、子どもはどうなる?」「子どもはなぜ手を挙げない?」といった質問と解説をしました。
たとえば、ある授業で、「話を聞きなさい」と授業者が言った後、子どもたちは落ち着いたように見えました。しかし、口を閉じただけで、体が話し手の方に向いていない、顔が上がらない、手遊びしている、そんな子どもが目立ちます。しかし授業者はかまわず話しています。教師と子どもの間で「聞きなさい」は「口を閉じて静かにすること」にすり変わっていたのです。ところが意外にもこの事実を彼らは見逃しています。「子どもたちは聞いている?」と質問することで初めて気づくのです。一緒に授業を見ることで子どもを見る視点に気づき、自分の学級を見る目が変わってくれることに期待します。

それぞれの授業を見た後、3人の先生とお話しました。

1人目は、1年生の担任です。
元気のよい子どもたちなので、落ち着きがなくざわつきやすいようです。子どもたちをきちんとコントロールしようと注意をしたり、叱ったりするのですが、その時の先生の表情が冷たく感じられました。子どもの表情もさえません。ところが、子どもたちが手を挙げているときの雰囲気がとてもよいのです。違和感を覚えたので、振り向いて先生の顔を見ると、とても素敵な笑顔で子どもたちを見ていたのです。
このことと伝えるとともに、もっと笑顔をたくさん子どもに見せたらとお話しました。聞いてみると、他の学級と比べて落ち着きがないので、ベテランに倣って厳しくしつけようとしていたようです。しかし、叱っている自分が嫌でかなり無理をしていたそうです。そのため、あのような表情になっていたのでしょう。人には特性があります。この先生は笑顔を武器に指導すればよいのです。怖い顔をして叱るのではなく、ちゃんとできているたくさんの子どもをほめ、できなかった子ができるようになった瞬間をほめる。叱るのではなく、ほめる機会をつくる。視点をこのように変えれば、叱るべき場面でも笑顔で対応できるはずです。このようなことを話しました。
自分の中のもやもやを吐きだすことができて、少しすっきりしたようでした。

2人目は、5年生の担任です。
授業を見ると子どもたちと人間関係がうまくいっていないようでした。子どもたちから意見がなかなかでず、「同じように考えた人いる」といったつなぐ言葉を発しても反応してくれません。いろいろ工夫しているのですが、行き詰まっているようでした。
子どもを受容しよう、ほめようと思っても、目の前に問題があると注意しなければいけない。子どもが授業に直接関係のない個人的なことを言ったときなど、受け止めてあげたいが進めなければいけないので、「後で聞くからね」と流さざるを得ない。こんな言葉も出てきました。
工夫をしていることはとてもよいことです。しかし、その工夫よりも、まず叱り方や子どもの言葉の受け方をどうするかを意識すべきだと話しました。疑問に具体的に答えながら、目先の「悪いところ見つけ」ではなく、「いいとこ見つけ」を大事にすること、最近学級で減ってきていると言っていた「ありがとう」という言葉を増やすことをお願いしました。
最初は表情に乏しい先生で硬いという印象でしたが、席を立つ頃には柔らかい表情になって印象は随分変わっていました。

3人目は、6年生の担任です。
授業にあたって、今日の授業構想のメモも準備してくれていました。子どもの言葉を活かし、子どものから答を引き出そうとしていることがメモからも実際の授業からもよく伝わりました。しかし、子どもの言葉が自分のねらっているところとずれていると、すぐに次の子どもを指名したり、自分のねらっている言葉を引き出すような説明をしたりします。子どもの言葉をたくさん引きだそうと思っているのに、ほとんど先生がしゃべっている状態です。子どもは、だんだん集中力をなくしていきます。子どもの言葉を他の子どもが理解するための間をとらず、早くゴールに到着させようとどんどん情報を与えたため、子どもたちは情報を整理できずわけがわからなくなっていたのです。
また、ずれた答を否定はしないのですが、評価もしません。しかし、自分のねらいに近い言葉に対しては、「いい意見」と評価します。結局子どもたちは、先生の考える答え探しを始めてしまいました。
少々ずれた答えでも、まず認め、教室全体に広げる。そうするとそこから次の考えがうまれ、結果的に先生のねらうところにつながっていくことを伝えました。
この先生は授業を一緒に見た時、私が指摘していたことに対して、自分はある程度できていると思っていたそうです。今回具体的に指摘されたことが、自分の授業を見直すきっかけになったようです。明日から授業を変えようと元気よく席を立って行きました。

管理職、教務主任の先生方とお話をしていて、一人ひとりの先生方の授業の様子、子どもたちの事実をしっかりと把握されていることがよくわかりました。日ごろから校内の様子をよく観察されている証拠です。この日授業を見て私が気づいたことは皆さんよく知っておられました。しかし、その事実の陰に隠れている、一人ひとりの気持ちや悩みについては気づいておられませんでした。
事実の指摘だけでは状況は改善しません。逆に追い詰めてしまうこともあります。その状況を生み出しているもの、特に心理的なものを明確にし、具体的な解決方法を一緒に考えてあげることが必要です。心理的なものは、本人も意識できていないことがよくあります。無遠慮に心に踏み込むことは慎まなければいけませんが、よき聞き手となって、悩み、もやもやを吐き出させ、受け止めてあげることが必要です。このようなことを意識するようお願いしました。

よい授業をしたいという思いと自分の学級の現実とのギャップに若い先生方が悩まれていることが、今回よくわかりました。たまに出会う私のようなものにできることは、とても限られています。日ごろから接する管理職や主任といった立場の方は、よき聞き手となって彼らを支えてほしいと思います。

若手への授業アドバイス

先週末は小学校で若手5人に授業アドバイスをしました。

3人が算数の授業を見せてくれましたが、どれも子どもたちに考えさせようとする意欲を感じさせるものでした。3人に共通した課題は、まだ教科書の読み込みが甘いということです。なぜこの活動があるのか、なぜこのように表現しているのか、なぜこの課題が設定されているのか。教師が教科書をわかっているつもりになっているだけで、きちんと理解していないために子どもたちが混乱している場面がいくつかありました。

6年生の理科の授業は、子どもたちが落ち着いて取り組んでいました。1学期に初めて授業を見たときは指示が徹底されていなかったのですが、「指示したことができるまで待つ」、「できたらほめる」を実践してきたようで、別の学級かと思うほど指示が徹底されるようになっていました。子どもの発言をしっかり受容することもできるようになり、子どもたちとよい関係を築いていました。次の課題は子どもの発言を他の子どもにつなぐことです。子どもの意見を学級全体に広げていくことを意識して挑戦してほしいと思います。

3年生の作文の授業は、課題や資料などをネットでいろいろと探してきているようでしたが、形式的に流れていました。その一番の理由が、授業が借り物だということです。「よい作文は書き出しで決まる」とポイントが貼り出されていましたが、なぜ書き出しで決まるのか、そもそもよい作文とは何かとの問いに授業者は答えることができませんでした。最近の若い先生に多いのですが、ネットなどで探した授業を深く考えずにまねしているだけでした。他の授業を参考にするときは、発問や課題の背景、ねらいを自分の学級と重ね合わせ、しっかりと自分のものにしておく必要があります。そうしておかないと、子どもの発言や活動を受け止めたり、切り返したり、評価したりがきちんとできません。活動だけがあって、中身のない授業になってしまいます。表面を取り繕うのではなく、たとえ拙くても自分で考えて授業を続けていくことで力はついてきます。まずは自分の力で授業を組み立てるようお願いしました。

5人の若手に共通していたのは、今よりよい授業をしたいという思いです。これがあれば、かならず授業力はついてきます。どの先生も、お話させていただいた後、明日からの授業への意欲を見せてくれました。次回の訪問がとても楽しみです。

ベテランの思いを受け取った授業

昨日は中学校で道徳の授業研究に参加しました。

午前中に若手の先生と授業参観をしたのですが、とても素敵な場面に遭遇しました。2人の若手の授業でのことです。

一つは、国語の時間です。ほとんどの子が一生懸命参加している中で集中力を切らしている男子がいました。手遊びをして、顔も上がったり下がったりしています。この子がこの後どのような動きをするかじっと観察していました。一緒に参観している先生には、「おそらく教師は気づいているが、すぐにしからずに様子を見ているのでしょう」と話していると、隣に座っている女子がその子に話しかけ、ペンで教科書の文を指し示しました。どうやら、授業に参加するように促し、作業の指示をしたようです。話しかけられた男子は嫌な顔をせず、素直に作業をしました。終わると、また手遊びをしているのですが、教師からの問いかけには手を挙げていました。その後も何度も隣の女子が声をかけていましたが、しだいに男子生徒の手遊びはなくなり、授業の後半は集中して積極的に笑顔で授業に参加していました。女生徒は、終始柔らかい表情で決して男子をしかっているという風ではありませんでした。子どもたちの人間関係がとてもよいことが見て取れます。この授業は子どもたちの笑顔がとても多かったのですが、特にまわりの子どもたちとかかわる場面でたくさん見ることができました。子どもたちのノートには教師の板書ではなく、自分たちの考えがたくさん書かれている。そんな授業でした。

もう一つは、社会の授業の一場面です。どのような課題や指示だったのかはわかりませんが、子どもたちが資料を一生懸命見ていました。その後、先生の問いかけに三分の一ほどの子どもがゆっくりと手を挙げました。その時の子どもの表情が、全員笑顔なのです。挙手するのが楽しくてしょうがない。授業が楽しくてしょうがない。そんな表情です。よくある、先生に指名されたいというアピールではなく。落ち着いた、柔らかい雰囲気です。ずっとこの教室に居たくなるような温かな空気で満たされていました。

とてもよい気持ちで、午後からの道徳の授業研究に参加しました。社会科のベテラン教師が、授業に入っている学級を借りてのとびこみ授業です。
資料の選定、授業の構成、授業技術、どれを取っても素晴らしものです。子どもたちを資料に引き込む読みのうまさ。これはという子どもの発言に対する切り返しの見事さ。正直これはまずいと思いました。なぜなら、こういう授業は「私にはできない」と最初から別世界のものと思ったり、「あんな風にやってみたい」と思うのですが、授業技術の本質を忘れて、教師の個性である芸の部分をまねしようとしたりすることが多いのです。
どのような意見が出るのかとても興味を持って検討会に参加しました。どのグループからもこの教師の授業技術の素晴らしさとともに、「もっと子どもの内面に迫る」「子ども同士のかかわり合いを高める」といった視点での意見がたくさん出てきました。この学校の教師集団の授業を見る力の確かさ、授業をよくしようという気持ちが表れています。司会者が、この資料をもとにやってみようと思うか問いかけたときに、多くの先生がやってみようという表情になりました。とてもよい検討会でした。
「これは道徳の授業としては前半部分」と言う言葉が授業者との雑談の中で出てきました。彼の口からは直接は語られませんでしたが、あえて子どもの本音に迫る部分を見せないことで、先生方に道徳で大切なことに気づいてもらい、自分もやってみようと思わせるために仕掛けらた授業だったようです。高いところから物申すのではなく、同じ目線の高さから同僚に伝えようとする、とても素敵な先生です。そういえば、授業中になんども「ありがとう」という言葉を授業者から聞くことができました。子どもとも同じように接しているのです。

素晴らしいベテランがいて、若手が伸びていることがこの日見たことに表れています。この学校にかかわれていることをとても幸せなことだとあらためて感じた1日でした。

元気をいただいた研究発表会

昨日は、ICT関連の研究発表会で講演をおこないました。

全体会に先立っての全学級の授業公開が私にとっては一番の楽しみです。事前に指導案は見ていたので(研究発表会の打ち合わせ参照)子どもたちの反応が予想とどう違うが気になるところでした。結論から言えば、ほぼ予想通りです。子どもたちはとても素直で教師との人間関係もよいので、発問や課題、活動が彼らにとってどうであるかがダイレクトに表面に現れます。ですからとても予想しやすいのです。この子どもたちを思い浮かべ、発問や課題を考え、どう反応するだろうと予想するだけで力がつくことと思います。

以前見たとき、とても明るくよい雰囲気だった英語の授業が、この日は重い感じだったのが気になりました。先生の表情が硬いことが原因のようです。子どもが先生を映す鏡となっています。先生と子どもの関係がよいことの証でもあります。後で聞いたところによると、機器の調子が悪く、うまく使えなくてあせったことが原因だったようです。なるほどと納得しました。困ったときでも笑顔を作れることの大切さがよくわかります。

公開授業は参観者にとってはインパクトのあるものだったようです。機器の展示がおこなわれていたのですが、授業公開のビフォアー・アフターでは、説明員に対する質問の質が大きく違ったとのことでした。「このような授業をするとしたら・・・」と、具体的なものに変わったようです。授業を見て実際にやってみたいと思われた方が多かったということでしょう。

全体会での研究説明もとても素晴らしいものでした。学校にICTを導入する意義やポイントが具体的でとてもわかりやすく語られました。これからICTを活用しようとする先生、学校にとっては参考になることばかりです。この学校の研究がしっかりと足を地につけたものだったことがわかります。

講演は、公開授業でICT機器の活用の可能性がたくさん示されたので、当初の予定を変えて、ICT機器そのものの活用より、活用した授業をよりよいものにするための視点を重視して話をしました。
ICT機器も、チョークと黒板と同じくらい当り前のものになりつつあります。板書をどうするかということは、授業をどのように進めていくのかと密接な関係にあります。ICT機器の活用はそれと同じ視点が必要なのです。具体的な場面を例にして説明しました。
ICTという視点では物足りなかった方も多いと思いますが、この日の授業のようすを思い出しながら聞いていただけたのではないかと思います。

うれしいことに、発表会後の反省会にご招待いただきました。たくさんの若い先生とこの日の授業について個別に話をすることができました。どの先生も授業に前向きに取り組んでおられ、とてもよい刺激をいただきました。この前向きな姿勢があれば必ず進歩していきます。先生方の授業をまた見るチャンスがあることを期待しています。

いろいろな方と出会え、たくさんの元気をいただいた、とても素敵な研究発表会でした。

学校の雰囲気が緩むとき

先週末に中学校の体育の授業アドバイスをおこないました。以前は生徒指導上の困難を抱えていた学校ですが、先生方の努力で今ではごく普通の落ち着いた学校に変わっています。今年度は初めての訪問でした。

子どもたちは元気に授業を受けているのですが、全体としては今一つ緊張感に欠けます。素早く行動できる生徒もたくさんいるのですが、しまりがないのです。活動の目標が明確にされていない。当然、活動の評価場面もありません。また、一部の生徒にかかわりすぎて、全体が見えていない。したがって、状況に応じた対応ができません。この授業については、このようなことが緊張感を失くしている直接的な原因でしょう。授業の場面場面で、教師が求める子どもの姿をしっかり意識することで状況は改善していくと思われます。

しかし、どうも別の要素があるようにも感じます。以前からいる先生にとっては、何年かかけて子どもたちが落ち着いてきた、ようやく一息つける。新しく赴任してきた方にとっては、大きな問題のない普通の学校なので特に緊張する必要がない。今の状態で子どもは立ち歩くこともなく席についていて授業は成立している。そのようなゆるい空気が漂っているのです。
これは、困難な状態から落ち着いてきた学校でよく見られることです。実は子どもたちを見ると、もっと自分たちを見てくれというサインを出しているのですが、問題行動を取るわけではないので気づかないのです。表面上は落ち着いているだけで本当によい状態にはまだなっていないのです。先生方が授業中の子どもにもっと目を向ければ、学校は一気によくなります。ほっておけば、ちょっとしたきっかけで学校はまた崩れてしまいます。授業の充実が課題となるのです。

もちろん管理職の方はこのことに気づいておられます。この学校では、全体でテーマを持って取り組みますが、まず個別に授業を改善することを優先しています。仲間の変化を見える形にして、改善への意欲を全体に広げるというアプローチです。この方法が成功するためには、よい方向に動き出す先生をいかに増やすかが鍵となります。私は、そのためのお手伝いをさせていただいているというわけです。
この学校での授業アドバイスは、一人ひとりの先生に、自分がいかに可能性を秘めているか感じてもらうことを大切にしています。ちょっとしたことを意識すれば、自分の授業は飛躍的に進化する。そう信じていただき、授業の改善に手をつけていただくことが私の仕事です。半年後、1年後にこんなに授業が変わりましたと報告してもらえることが目標です。

ちょっぴりの不安とたくさんの期待を持った1日

昨日は研究発表会を2週間ほど後にひかえた中学校で授業研究に参加しました。

いつものように朝からおじゃまして子どもたちのようすを観察していると、先日より集中力が下がっています。先生の話を聞いていない、問題を解き終わって遊んでいる、手をつけようとしない、そんな子どもが目立つようになっています。合わせて、先生方の表情が硬い、笑顔が減っている。こんなことに気づきました。
研究主任にうかがったところ、この数週間、研究発表のための原稿や指導案その他もろもろのことで、ほとんどの先生が深夜、時には翌日まで仕事をされていたそうです。先生の表情も硬くなるわけです。授業中に子どもたちを見る余裕もなくなります。
研究発表会のためにエネルギーを使い果たしてしまい、終了後みんな抜け殻のようになってしまったという笑えない話も聞きます。教師の手元に立派な紀要が残ることではなく、自分たちのやってきたことが子どもの成長となって返ってきたという実感を持てること、子どもたちがよい方向に変わったとまわりから認められることが大切です。
事前準備のピークは過ぎたようです。先生方も笑顔を取り戻し、子どもたちもよい姿を見せてくれるようになると思います。発表会当日は、先生方とのパネルディスカッションを通じて、この学校の先生方の思い、努力とその成果をわかりやすい形で参加者に示すことができるよう頑張ってコーディネーターを務めさせていただきたいと思います。

そんな中で数学と体育の授業研究がおこなわれました。私は数学の少人数の2学級の授業を参観しました。2次関数ってどこに出てくるの、何の役に立つのという子どもの声に対して、リアリティのある教材を用意しようと挑戦してくれました。車の制動距離とブレーキを踏んだ時点の速度の関係が2次関数になることを利用する問題です。うれしかったのは、2人の授業者が異なるアプローチをしていたことです。

1人はできるだけ現実に近い形にしようと、空走距離と制動距離を使い、一方を1次関数、もう一方を2次関数の例として課題としました。
もう1人は、課題をシンプルにしようと制動距離に絞り、そのかわり課題と情報の提示を自作のビデオでおこなってくれました。

ともに初めての試みです、授業の課題もたくさん見つかります。そのことは悪いことではありません。挑戦して課題が見つかることで成長するのです。

私の専門が数学なので、数学科の先生には厳しくなります。どうしてもネガティブなことが目につきやすいのですが、この2学期になってうれしい変化が見つかりました。数学の先生方の板書がよくなってきたのです。今までは解答がただ書いてあるだけの、問題集についている簡単な解答のようなものが多かったのですが、色チョークを活用したポイントや解く過程がわかるようなものになってきたのです。全体的に変わったということは教科がチームとして機能し始めた証だと思います。さらに、「どうしてこの方法で解けるの」といった解法の根拠、「どこから手をつければいいんだろう」という問題を解くための手がかりなどが残るようなものを目指すようにお願いしました。

このほかにもうれしいことがありました。採用試験に受かった2人の講師が今まで以上に授業に前向きになっていることです。1人は小学校、1人は高校と今いる中学校とは異なりますが、ここで少しでも多くのことを学び新天地で活かそうとしています。伸びよう、学ぼうとする教師集団の中にいることがこのような姿をつくってくれているのだと思います。

ちょっとした不安もありましたが、明るいものもたくさん見ることができた1日でした。発表会はこの学校の先生方の努力にふさわしい成果が見られることと思います。

授業者も参加者も学びあえた模擬授業

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する国語科の授業の模擬授業に参加しました。

うれしいことに、近隣の学校だけではなく、地区を越えて、たくさんの先生が参加してくださいました。教室はほぼ満席状態。授業者にはとっては、とてもプレッシャーがかかる環境となってしまいました。

ベースとなっているのは授業名人野口芳宏先生の授業です。指導案作成にはトップクラスの先生がかかわっています。スムーズに授業が流れていくように思えますが、そうはいかないのが授業のおもしろいところです。
指導案には書かれない、子どもの発言や反応に対しての受けや切り返しがうまくできないのです。一つひとつの発問や活動の意図をしっかりと理解し、意識できていないため方向がぶれていき、いつの間にかこの授業が何をねらっていたのかがわからなくなってしまいます。授業者は何度も立ち止まってやり直しました。その場面を野口先生の授業記録と比較してみると、野口先生の受けや切り返しの素晴らしさ、その意図にあらためて気づきます。教材研究の大切さだけでなく、それを支える授業技術の大切さもよくわかります。指導案だけでは見えないことが、この模擬授業を通じてたくさん明らかになったように思います。

2時間近くいろいろと検討しましたが、指導案の10分程度しか進めることができませんでした。しかし、指導案作成の段階では授業者がしっかりと理解、意識できていなかった発問や活動の意図が明確になり、それに伴って子ども役の発言や反応に対してうまく受けることができるようになってきました。最後に、もう1度最初からやり直しましたが、見違えるように滑らかに進んでいきました。

若い先生もたくさん参加していたのですが、彼らにとって今回の模擬授業はどうだったのかとても気になるところです。模擬授業が終わったときは8時を過ぎていました。皆さん帰宅を急ぐと思っていたのですが、なかなか立ち去ろうとはしません。興奮冷めやらぬといったようすで、そこかしこでこの授業に関する話をしています。よい授業は終わった後も子どもが考え続けると言いますが、まさにその通りのものでした。「おもしろかった」という声もたくさん聞くことができました。授業者だけでなく参加した先生方にとっても、とても刺激的で学びの多いものになったようです。皆さんがこの学びを活かしてくれることを期待します。

授業者は、今回の模擬授業を受けて、本番ではどのような授業を見せてくれるのでしょうか。とても楽しみです。多くの学びとともに本番への期待が高まった模擬授業でした。

研究発表会の打ち合わせ

昨日は、ICT関連の研究発表会の打ち合わせに中学校へおじゃましました。当日は全学級の授業を公開するということで、事前にいただいた指導案についてコメントさせていただきました。

どの指導案も、ICTの活用については無理のない、これなら使ってみたいと思うものでした。研究主任や教務主任のバックアップがあってのことだと思います。すばらしいのは、ICT活用の前提として「基本的な授業力の向上」が研究構想に掲げられていることです。このことからも、この研究が足が地に着いたものであることがわかります。

私からのコメントは、ICTをどう使うかではなく、活かすための発問や活動のあり方がほとんどでした。指導案がシンプルで見やすいものだったので、授業のイメージがよく伝わり、ピンポイントでアドバイスすることができました。当日は1時間の公開なので、一つひとつの授業をじっくり見られないのが残念です。参加される方は、興味のあるICTの活用、授業に絞ってじっくり見ていただけたらと思います。

依頼されている講演については、ある程度材料も集めていたのですが、この指導案を見て、ぜひ当日の授業とつながる話をさせていただきたいと考えました。この学校のコンセプトでもある、「ふだん使いのICT活用」をタイトルとして、伝え合うツールとしての活かし方に絞って話をすることにしました。指導案のおかげで、イメージがわいてきます。発表会まで1週間を切っていて時間があまりないのですが、おもしろいものにできそうです。
当日の授業への期待にワクワクしながら学校を後にしました。

落ち着いた学校から学ぶ

昨日は中学校で講演をおこなってきました。

最近は、学校から講演を引き受けるときに、合わせて授業を参観させていただくようにお願いしています。なかなか公開していただけないこともあるのですが、この学校は何と全員の先生の授業を公開していただけました。負担なく授業見合うことができるように、公開授業でも細かい指導案は作成せず、この授業で何をこだわるか、どんな工夫をするかなどを簡単に書いたものだけですませています。簡単なものですが、授業を見る上で大いに参考になりました。とてもよい工夫だと思いました。

3校時参観させていただきましたが、大規模校なので一つひとつの授業は数分しか見られません。しかし、どの学級でも子どもたちが落ち着いて学習に取り組む姿が見られました。とても素直な子どもたちです。この日見た子どもたちの姿をもとに、「子どもが考える・活躍する授業づくり」について講演をさせていただきました。

最初に、この学校の子どもたちについて少し話をさせていただきました。

・子どもたちは良くも悪くも素直
子どもたちは素直に反応を示します。しかし、教師の求める姿以上の姿は見せてくれません。たとえば教師が話を聞いてほしいと強く意識ない場面では、集中して聞こうとはしません。逆に、教師がそう願えば、それに応えてくれます。教師が明るい笑顔で授業をすれば、子どもたちも笑顔で応えます。教師の授業に対する思いを鏡のように映し出す子どもたちでした。教師が高いことを要求すればそれに応えて伸びてく子どもたちです。

・子ども同士の人間関係は良好
実技教科のグループや班活動ではとてもよい表情を見せます。わからないことをまわりの友だちに聞く姿も見られました。このような子どもたちですので、グループやペアを上手に使えば、非常に効果的だと思います。

・消費者的な行動が気になる
これは最近の中学生に共通することかもしれませんが、効率的に結果を得ようとする傾向があるようです。友だちや教師の話を聞いていなくても、板書はきちんと写します。まず、ワークシートの穴を埋めることが優先されます。子どもたちは板書を写してワークシート完成しておけば試験では困らないということでしょう。

このことをもとに、どのようなことを意識して授業をすればいいかお話をしました。
直接は伝えませんでしたが、この学校が次のステップに進むために必要なことは子どもたちの現状を変えたいと先生方が思うことです。授業を妨害する子どもはいない。試験の成績もよい。「何か問題があるのか?」と先生が思っていては前に進みません。
素直な子どもたちです。逆につまらない授業、価値を感じない授業に対しては、集中しない、聞かない、手遊びするといった形で明確にメッセージを発信しています。先生方がそのメッセージをきちんと受信しないと、ちょっとしたほころびがやがて大きな問題を引き起こしかねません。
このことを伝えようとしましたが、うまく伝わったか自信がありません。力不足を感じました。

講演の後たくさんの若い先生が質問に来てくれました。彼らの授業について具体的な話ができたことはとてもうれしいことです。前向きな若い先生に元気をいただきました。
子どもたちが落ち着いていて、特に問題を教師が感じない学校を、より高いところに持っていくことはとても難しいことです。そこに挑戦しようとしている校長先生はじめ教務主任や中堅の先生方の姿勢は素晴らしいものです。この姿から学んだことをぜひ他の学校でも活かしたいと思います。とてもよい勉強ができた1日でした。ありがとうございました。

楽しく、有意義な研究会

愛される学校づくり研究会に参加しました。今回は、困難校を立て直した校長先生のお話しと、来年のフォーラムの内容検討、学校の見える化についての話し合いと盛りだくさんでした。

私は、困難校の立て直しの方策は、大きく2つの方法があると思っています。1つは行事やイベントを通じて子どもたちや教師の活躍の場をつくること。もう1つは授業の改革です。この校長先生がとったのは前者の方策でした。借り物ではない学校独自の新たな取り組みを通じて子どもたち、教師集団を変えていかれたのですが、何がすごいといってそのスピードです。赴任してすぐに企画がはじまり、夏にはすでに子どもたちが動き始めています。学校の様子を見ながら考えるという発想ではこうはいきません。穏やかな表情で静かに語るその内に、確固たる意志が存在していることが伝わってきます。

教師集団に自分の思いを伝え(校長からのWebを活用した発信)、子どもたちに活躍の場を与え(新たなイベント、子どもたちの発表の場の確保)、外部から「君たちはすごい」と子どもたちが評価される仕掛けをし(保護者を巻き込む、新聞などのマスコミで取り上げてもらう)、子どもたちが評価されることで学校も教師も評価されて教師のエネルギーが上がっていく(取り組みを書籍として発行)、というよいサイクルがつくりだされていました。学校が元気になっていくための必要条件を見事にクリアしています。緻密に考え、大胆に行動する。リーダーに求められる事は何かをあらためて教えていただきました。

新しいことに取り組むにはエネルギーがいりますが、うまくベクトルがそろえば大きな力が生まれます。しかしながら、新たなものを生み続けるには限界があります。軌道に乗った後が実は大変なのです。校長先生の言葉の中に、トップダウンからボトムアップということが出てきました。次のステップをちゃんと理解していて、そのために動かれていることがよくわかります。だからこそ、この学校の真価が問われるのは、この校長先生が去られたときです。それがいつかはわかりませんが、きっとそれに間に合うように教師集団を育てていかれることと思います。

学校改革を成功させた話は必ず似たようなステップをたどっています。そして、時間がかかり、最後まで残るのが授業の改革です。学校において一番基本である授業を変えていくことがいかに難しいかを象徴しています。この校長先生がどのように授業に手を入れていくのだろうかと考えたときに、某市の前教育長とその取り組みを思い出しました。市として取り組む事を考えるとイベントで押していくことはできません。授業を変えることで学校を変えるという正攻法に正面から取り組み、見事な戦略で市全体の不登校の減少という結果を残されました。どのアプローチが正解というわけではありません。しかし、学校である以上、授業は避けては通れないものです。私が、アドバイスをしている学校の多くが、子どもたちが落ち着いてきた、子どもたちが落ち着いている、だから今こそ授業を改善するチャンスだと考えられていることにもそのことが表れています。1時間半ほどの短い時間でしたが、実にたくさんのことを考えさせられるお話でした。

フォーラムの内容検討はスムーズに進み(要は役者がそろっているので、その場の流れで出たとこ勝負?!)、研究テーマの「学校の見える化」についての話し合いに入りました。

参加した以上何か喋らせるというのが司会者である会長の方針です。全員「何を見える化すればいいのか」について発表しました。人の発表を聞きながら自分の考えをまとめるというのは、結構きびしいことです。「同じです」が許されない全員指名が、いかに子どもを鍛える(!?)ことになるのか実感できます。運悪くなのか、意図的なのか、最後の発言者となってしまい、当然のようにまとめろとのご指示。司会者がまとめるのではと反論の言葉をぐっとこらえ、皆さんの話をもとに「見える化する視点」を私なりに整理してみました。

・個で見えないものを見える化する
・個によって異なって見えるものを見える化する
・見たものに行動を促すようなものを見える化する
・ポジティブに評価されるものを見える化する
・(定期的に発生するイベントなどで)変化を見ることでアラートとなるものを見える化する

こうして外化することで整理するきっかけをいただきました。この視点で見ると結構見つかるような気がします。そして、その場では言いませんでしたが、見える化にかかわるコストが大切になります。「見える化のために時間がかかり、改善する時間がなくなった」では、笑い話です。このコストを下げるのに有効なのがICTだと思います。このあたりのことを考えることが「学校の見える化」とは切り離せないと思います。

いつもながら実に学ぶことの多い、有意義な時間を過ごさせていただきました。ああ、楽しかった。

多くの人と共有したい授業

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムでの算数の提案授業の撮影にでかけました。前回(提案授業から大いに学ぶ参照)の続き、2時間完了の2時間目の授業でした。

先行授業から細かいところをよく修正していました。辺の色と長さを対応付けている教材ですが、子どもたちの意識を色から長さへと向けるための細かい仕掛けがされていました。また、仲間分けのルールも明確であったため、その点で子どもたちが混乱することはありませんでした。仲間外れがいないなど、分け方のルールは守れているのですが、長さを意識したため、先行授業と比べて時間がかかる子どもが多く見受けられました。色で分けるのとは難易度が違うことがよくわかります。抽象度が上がるのです。しかし、分け方の説明は長さを意識したものになっていたので、焦点化しやすくなっていました。
ICTの活用場面も、前回から細かくブラッシュアップしていて、提案としては文句のないものになっていました。
わずかな時間で、指導案、ソフトともに大きく進歩していたことには感激しました。少しでもよい授業をしたいという算数チームの熱意を感じました。

今回の授業で考えさせられたのは、「子どもの言葉にどのようにこだわるか」です。

子どもの発言は色から長さへと抽象度が上がっているので、表現がどうしてもうまくできません。これをどう算数の言葉として無駄なく整理されたものにし、全員に共有化させるかが課題として浮かび上がりました。授業者は発言者に整理させることこだわりすぎたため、共有化に時間がかかりました。他の子につないでいくという選択肢もあったと思います。
また、子どもの言葉にこだわって、その説明をもとに三角形を1つずつ仲間かそうでないか分類して、考えを共有化する方法もあったかもしれません。

辺の長さが違うという理由で仲間分けしたのに、分け方を間違えた子どもがいました。授業者は仲間分けが正しくないという視点で修正しようとしましたが、結局間違いということで終わってしまいました。「辺の長さが違う」という子どもの言葉を認めて、「こうやって仲間分けしたんだね。同じ理由で分けた人いる」と結果でなく、理由に焦点を当ててつなぎ、分けた結果を修正していく展開もあったかもしれません。もし時間があれば、全員で「辺の長さが違う」三角形を仲間分けすることで共有化する方法もあります。

子どもの言葉をいかし、つなぎ、深める。子どもの言葉を手掛かりにして活動し、共有化する。口で言うのは簡単ですが、これはとても難しいことです。この授業では、まず子どもの言葉を引き出せたことを評価すべきでしょう。前回より進歩したことで、新たな課題が見つかったのです。こうしたことの繰り返しで授業力はついていきます。
この日は検討会を開く時間はありませんでしたが、フォーラムとは別に多くの人に集まってもらって、ビデオ検討会を開きたいと思います。それだけの価値のある、多くのことが学べる授業でした。
授業者とそれを支えるチームの力が合わさって、とても素晴らしい授業がつくられていきました。このような場面に立ち会うことができたことに感謝します。

授業者の成長が見えた提案授業

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムでの社会の提案授業の撮影にでかけました。教室に向かう廊下で子どもたちとすれ違うたびに、とても気持ちのよい挨拶を受けました。どの子も笑顔で、挨拶することが楽しくてしょうがないという感じでした。このような小学校に出会うのは久しぶりです。授業での子どもたちの活躍が期待されます。

授業開始前の子どもたちは、本格的な撮影機材を前に興奮気味です。このままの状態が続いたらどうなるのかと心配しましたが、起立の号令とともにざわつきはぴたりと止み、ほどよい緊張感となりました。きちんと学級規律が保たれていることを感じました。これなら大丈夫です。

前回の模擬授業(模擬授業は楽しい参照)の後、指導案をじっくり見なおしたのでしょう。無駄な部分が削られ、導入部分は実にスムーズに進みました。ここまで見ていて、気づいたことがありました。授業者の子どもの発言に対する受けが大きく変わっていたのです。
模擬授業の時点では、いろいろな発言を受容することができずに、否定的な返しをしたり、流れが止まってしまうことがありました。ところが、この日はどの子どもの発言もしっかりと受容的に受け止めていたのです。口で言うのは簡単ですが、指摘されてすぐにできるものではありません。この2週間、ずっと意識して授業をし続けたのだと思います。それにしても、大きな変貌でした。
授業者の受容的な態度に、子どもたちの意欲はどんどん高まります。授業前には眠そうにしていた子ども張り切って、先頭を切って手を挙げます。事前に予想していた以上に子どもたちは積極的に意見を発表し、ICTは必要ないのではと思うほどでした。しかし、ICTを使うことで、子どもたちの気づきが広がり、深まったのも事実です。子どもたちが興味関心を持って積極的に参加してくれたことで、より多くのことが学べたように思います。フォーラム当日に、この点を深める話を展開できればと思っています。

授業後、検討会を持つことができました。司会者の見事な取り回しで、すぐに授業の核心に話題が焦点化しました。子どもたちから想像以上のものがでてきたので、切り返し方によってもっと高いところに到達できるのでは、という視点での検討です。ベテランでも、とっさにそこまで対応するのは難しいことです。反省・課題というよりは、この授業の可能性を話し合ったというべきでしょう。もう1度チャレンジする機会があれば、もっともっと素晴らしいものになることでしょう。
校長や同僚から、授業者の進歩について温かい言葉が伝えられました。このような環境が授業者を大きく成長させてくれたのだと思います。わずか1時間足らずの検討会でしたが、実に中身の濃いものでした。

授業者のやりきったという笑顔と、二人三脚でこの授業を終始一緒に考えサポートしてくださったまとめ役の先生の、よくやったといううれしそうな表情がとても印象的でした。私も、若い先生の成長の瞬間に立ち会えた喜びを感じながら学校を後にしました。

提案授業から大いに学ぶ

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムでの算数の提案授業の撮影にでかけました。2時間完了の1時間目と、2時間目の先行授業でした。

撮影前の授業での子どもたちのようすを見てちょっと落ち着きがないことを心配していたのですが、実際にはしっかりと集中した姿を見せてくれました。子どもたちが真剣に黒板のスクリーンを見ている姿に、ICTの威力を感じました。決して凝ったものではないのですが、だからこそ気軽に使える、子どもにもわかりやすいものになっていました。これならば、自信を持ってフォーラムで紹介できます。今から会場の反応が楽しみです。

しっかり練られた指導案で、機器の利用の工夫もされている授業なので、多くの気づきがありました。子どもが興味を持って取り組んでいるので、子どもの集中力が下がる場面に、教師の働きかけの大切さが浮かび上がってきます。今回印象に残ったのは次のようなことでした。

一つは、挙手に頼るかどうかです。
子どもが作った三角形を発表させる場面で、授業者は挙手をさせました。今回は最大で19種類の三角形が出てくるはずです。最初のうちは元気よく手が挙がっていたのですが、残った数が減ってくるころには、挙手も減り、指名との間に時間もかかるようになってきました。挙手できない子は集中力をなくしてきました。だれてきたのです。
全員5種類の三角形を作っているのですから、挙手に頼らずどんどん進めればいいのです。日ごろ発言できない子を中心に指名する、列で指名する。いずれにしても、単調になりやすい場面ですので、テンポよく素早く進めることが大切です。

もう一つは、違った考えの子どもをどう取り込むかです。
三角形を分類する場面です。子どもの発表に対して授業者は同じ分け方の子どもに挙手させました。同じ考えをつなぐよい指示です。その後、その理由を説明するように求めました。ここから、挙手できなかった子どもの集中力が落ちてきました。自分は違う考えだから参加できないと感じたのです。授業者は、違う考えの子どもに友だちの考えを理解させ説明させようと考えたそうですが、手が挙がらなかった子どもを見るとボーとしてよく理解できていないようだったので断念したそうです。
では、どうすればよかったのでしょうか。

「違う分け方の人にもわかるように説明してね。違う人もどうやって分けたのかよく聞いてね。あとで、説明してもらうからね」

と違う考えの子どもに課題を与える。こうすることで、彼らも参加することができます。

「どうやって分けたのか説明できるかな。違う分け方の人も、よく見て考えてね。まわりの人と相談してもいいよ」

と考える時間を与える。違う考えに接していきなり理解するには時間がかかります。いわんや説明はもっと大変です。また、まわりと相談するということは、そのわけ方をした子どもともかかわる機会をつくれます。全体で発表するより多くの子どもが活躍できます。

どちらかが正解というわけではありませんが、違う考えの子どもを参加させるような働きかけが必要だということです。

授業者にとっても、参観者にとっても刺激と学びの多い授業でした。
授業検討を受けて、明日、2時間目の授業に再挑戦です。授業者はきっといろいろと考え工夫をしてくれると思います。私もどのような変化を見せてくれるのかとても楽しみです。
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31