この1年を振り返って

今年度もいよいよ今日で終わりです。この1年間たくさんの授業を見せていただく機会がありました。授業を見る機会を与えてくださったすべての先生方に感謝です。
10年以上教育コンサルタントとして授業を見続けてわかったつもりになっていても、まだまだ気づかなかったことがたくさんあることを教えてもらった1年でもありました。

特に若い先生の成長の過程を見ることで、授業の基本は何かということをあらためて学ぶことができました。若い先生は当然未熟なところがたくさんあります。だからこそ、それを一つずつ克服していくにつれ授業は驚くほど進化していきます。教師のかかわり方がほんの少し変わるだけで、子どもたちが大きく変化することもあります。
授業の変化とともに子どもたちがどのように変化するかをみることで、教師のかかわり方と子どものあり方の関係を私の中でより明確にすることができました。

若い先生の中でも他者のアドバイスを素直に聞く、他者から学ぼうとする姿勢を持っている先生の進歩は本当に素晴らしいものがあります。特に子どもから学ぼうとする、いいかえれば、子どもの姿をしっかりと見よう、とらえようとすることを意識している先生はわずかの期間でも見違えるほど成長していきます。子どもを見ることができる。このことが、教師としての成長の第一歩であるとあらためて思いました。

この1年、多くの若い先生の成長の過程に立ち会えたことは本当に幸せなことでした。
明日からの1年にどんな出会いがあるか、今からとても楽しみです。

キレる子どもと言語活動

言語活動の重要性がよく言われます。子どもの精神面の発達においても言語活動は大きな意味を持っています。
たとえば、「キレる子どもは、言葉が先にキレる」ということをよく聞きます。自分の気持ちをうまく伝る言葉が見つからなくて、言葉が途切れて、そしてキレた行動をしてしまう。大人だってこのような状況になることはあります。人がキレるときは、コミュニケーションがうまくとれないときが多いのです。自分の気持ちを表現する、うまく相手に伝えるということは決して簡単なことではありません。

こういうキレやすい子どもの対応を考えることは、学習活動における言語活動を考えるヒントにもなります。
実際に子どもがキレてしまった場合、大きな声で叱ったりすることはより興奮させて逆効果になります。大丈夫だとやさしく抱きかかえてあげる、落ち着くまでじっと見守る、別の場所に連れて行って一人にしてあげるなど、まず落ち着かせることが一番です。
ここで、子どもをしかるのではなく、自分の気持ちを言葉にすることを意識します。

「どうしたの」
「むかついた」
「何にむかついたの」
「よくわからない」
「むかつく前に何があったか教えてくれるかな」
「△△君に『ボールを貸して』って言った」
「ボールがほしかったんだね。そしたら」
「『今、□□君と使っているから嫌だ』と言われた」
「嫌だと言われたんだ。それで」
「むかついた」
「そうか、その後どうしたの」
「ボールをとって、放り投げた」
「○○君は、ボールを放り投げたかったのかな」
「よくわからない。気がついていたら、放り投げていた」
「本当にボールを放り投げたかったのかな」
「よくわからない」
「○○君はボールを放り投げたかったんじゃないと思うよ。○○君は、本当はどうしたかったんだろう。一緒に遊びたかったのかな」
「うーん、そうかもしれない」
「一緒に遊びたかったんだ。それなのに嫌だと言われて仲間外れになった気がしたのかな」
「なんか、はじかれた気がした」
「そうか、はじかれた気がしたんだ。それで、ボールを放り投げちゃったんだ。じゃあ、どうすればよかったんだろう」
・・・

言葉がキレてしまう子です、なかなかうまく伝えることができないかもしれません。辛抱強く一つひとつ聞いてあげます。うまく言えないときには「・・・と思ったのかな」とこちらから言葉を向けたり、それはこういうことではないかと整理してあげます。そして、自分の感情は何だったかを気づかせ、言葉にしていくのです。

言葉を習得していくには、実際にその言葉が生きた状況で使われる、使う必要があります。「むかつく」という言葉でしか伝えられない子どもには、そのときの自分の感情や状況を言葉を使って相手に伝えるという経験をさせる必要があるのです。学習活動における言語活動も同じです。伝えるべきものがあって、それを伝える経験をすることが大切です。そして、このとき伝えるべき相手がきちんと聞く姿勢を見せる、またわからないことがあれば質問するといったコミュニケーションが成り立つような工夫が必要なのです(言語活動を支える力をつける参照)。

ありがとうを大切に

母親向けに子育てについてお話しする機会が増えています。そのとき必ずお話しするのが、「ありがとう」という言葉を大切にしてほしいということです。感謝の言葉が家庭内で意外とかわされていないように感じるからです。

お手伝いをしてくれたから、勉強を頑張ったからご褒美を上げる。そうすると、子どもはご褒美を得ようと頑張ります。しかし、物質的なものを得るために頑張るのでは、結局損得でしかものを見られなくなってしまいます。
一方「えらいね」とほめることで認めると、子どもの自己有用感は高まります。しかし、「えらいね」は上からの目線でもあります。自分が下に見られていると無意識のうちに感じてしまいます。ですから、私がうれしい、感謝しているというIメッセージが大切になるのです。

「勉強頑張ったね。お母さんはうれしい」
「お手伝いをしてくれて、とても助かった。ありがとう」

こういう言葉をたくさんかけられて育った子どもは、自己有用感を持ち、自分の居場所があります。いろいろな困難にぶつかってもなかなか崩れません。
このことは学校でも当てはまります。先生や友だちに「ありがとう」と言われることはとても大切です。家庭でも学校でも子どもたちに「ありがとう」の言葉をかけることを意識してほしいものです。

学校が信頼を得る

先日、中学校の学校評議員会に参加しました。

学校評価アンケートに関する学校側の説明は、データをもとにその原因や今後の対応を明確にしたわかりやすいものでした。評議員としてもっと詳しい説明を聞きたいと思ったのも、しっかりとアンケートをもとに学校が考えていることがよくわかったからです。
また、次年度の学校目標も、一見すると言葉が多少変わっただけのように見えますが、学校の現状から、次に起こすべき動きと連動した、実によく考えられたものでした。
質問に対しても、学校に問題点があればそれをはっきり認め、どう対応するかをはっきり伝えてくれました。

説明責任とよく言われますが、説明をすればよいのではなく、最終的に学校を信頼していただけるようにすることが目的です。
学校の問題点も包み隠さず伝える。字面だけの説明ではなく、そこに込めた学校の思いも伝える。学校の今をきちんわかってもらいたいという姿勢がなければ、決して信頼は得られません。

参加された方から、学校の授業で新聞を活用する機会があれば提供するという申し出がありました。また、子どもたちの読書活動を活発にするために自分の経験をもとに具体的なアイデアを話してくださる方もいました。
この学校では保護者や地域が教育活動のいろいろな場面で実に協力的です。この学校がきちんと伝えるべきことを伝え、信頼を得ているからこそ、周囲の協力を得られるのだと思います。

学校は保護者や地域の協力なしには運営できないことがたくさんあります。都合のいい時だけ協力を求めるのではなく、普段から信頼を得るための努力をすることが大切なのだと思います。

この震災に教師は教壇で何をすべきか

東北地方太平洋沖地震の被害にあわれた皆さんに心からお見舞い申し上げます。

直接の被害や大きな被害がなかった学校では今日からいつものように授業が始まります。先生方はどのように子どもたちと接するのでしょうか。もし自分が教壇に立つとすればどのような対応をするのだろうかと考えてしまいます。

子どもたちの中には、日本はどうなってしまうのかと不安に思ったり、自分にできることはないだろうかと真剣に考えている子もいると思います。まずは、今回の地震について先生が思うことを子どもたちに伝えることで、少しでも不安な気持ちを解消できるようにしてほしいと思います。不安をあおるような話ではなく、希望を持てるような話をすることが大切です。多くの人がこの震災に対して自分たちのできることを必死にやっていること、つらい悲しいことがあるがきっと乗り切れるはずだと信じていることを伝えてほしいと思います。
その上で、子どもたちの気持ちをしっかり受け止めてください。子どもたちがいろいろな思いを自分ひとりの中に閉じ込めないよう、できるだけグループや学級全体で共有できるようにしてください。そして、今自分たちにできることを考える機会をつくってください。

被害にあわれた方々には申し訳ないですが、悲惨な状況であるからこそ、子どもたちが学べることがあるはずです。この悲惨な状況を少しでもよい方向に活かすことも教育者にとっては大切なことだと思います。

卒業式に出席

昨日は中学校の卒業式に出席しました。入学時から行事、授業で接してきた生徒たちです。

卒業式の主役は卒業生でした。代表の出発(たびだち)の言葉と全員での合唱は彼らの3年間の仲間への思い、教師への思い、学校への思いにあふれたものでした。
入学時は子どもっぽさが抜けず、本当に中学生なのかと思うような言動も目につく生徒たちでしたが、3年たった今、実に堂々とした姿を見せてくれました。子どもの成長は早いものです。しかし、その陰には先生方の日々の指導がどれほどあったのでしょうか。あるときは厳しく、あるときはやさしく指導されている先生の姿をどれほど見たことでしょう。その指導に応えて立派に成長したことが、合唱での姿に表れていました。

卒業生とともに会場を後にする先生方の姿には、教育者であることの喜びと誇りを感じました。心の底から、「おめでとう」という言葉がわきあがってきました。

中高一貫校から学ぶ

先日私立の中高一貫校におじゃましました。ありがたいことに、廊下から授業の様子を見させていただくことができました。習熟度別学級編成をとっていることもあり学級間の雰囲気の違いはあったのですが、それよりも中学生の様子が気になりました。

中学生、特に1年生のころは教師や友だちとかかわりたいという意識が感じられるものですが、そういったかかわり合う意識が教師からも子どもからも感じられなかったのです。
この学校では、教師は中学校と高校で分けずにどちらも教えているそうです。中高の交流はとてもよいことなのですが、どうやらこの学校では中学校が高校化しているようでした。
高校では教えるべき情報量が中学校と比べて多いためどうしても教師主導となりやすくなります。小学校では基本的に子どもたちの活動やかかわり合いを大切にしています。中学にはその橋渡しの役割もあるのですが、いきなり高校に近いスタイルで授業が行われるために子どもたちがうまくついていけてないのかもしれません。

何を教えたかという視点で授業をとらえる傾向が現場にはまだあるようですが、子どもたちが何を学んだかという視点でとらえてほしいと思います。子どもが学ぶためにはどのような要素が必要なのかを考えてほしいのです。教師がうまい説明をしたから身に付くということは実際には少ないよう思います。受け身で説明を聞くのではなく、友だちとともに考え活動することによって、身に付くことの方が多いように思います。
子どもの実態をとらえてどのような進め方がよいのかを考える必要をあらためて感じました。

教育は誰のため

昨日は中学校の現職教育の講師を務めました。確かな学力をつけるためにどんな授業をするのかをテーマとしてものです。こうすれば確かな学力をつけることができるというような提案ではなく、先生方にたくさん考えてもらうことを主にしました。

自分たちの目の前にいる子はどんな状態なのか、その子たちにどんな働きかけをするのか。そんなことを話題に話し合っていただきました。
その時、あるグループでこんな話題が出ていました。
何のために勉強するのかと聞かれても、自分には関係がないと言う子どもに対して説得力のある答えは難しい。何かに興味を持ち、そのことがきっかけで自ら学ぶようになっていく。それでいいんじゃないのか。学校で習ったことがすべて社会で必要になるわけでない。例えば歴史を知らなくても実生活では困ることはない。

個人の自己実現は教育の大きな目的の一つです。そのために必要な力をつけるという観点で言えば、自分にとって必要かどうかで判断するというのも決して間違いではないと思います。しかし、公的な費用をこれだけ使って教育をする意味はそれだけなのでしょうか。
私たちは社会生活を営んでいます。この社会が健全に発展していくことには非常に重要なことです。そのために必要なことを子どもたちに対して身につけてもらうことは教育のもう一つの目的だと思います。教育は個人のためだけでなく、社会のためでもあるのです。
社会の一員としてどんな力をつけなければいけないのか。自分が社会のためにどんな役に立てるのか。そんな視点も学校には必要なことではないかと思いました。

学校改革の賞味期限

昨日は私立高等学校の校長先生とお話しをしました。いわゆる底辺と言われる公立高校を校長として立て直した方です。

話の中で、公立校は学校改革をしても校長が3代目になるとダメになるという言葉が出てきました。3代目になる頃には、当時を知る教員もいなくなり、いろいろなものが形骸化していくということです。当時考えた企画の結論だけが残り、何故そうなったか、どのように変遷したのかといった過程が学校の中に残らない。改革の精神を残すような人事的な策もない。原因はこんなところでしょうか。よい伝統というものは教員を通じてはなかなか残らないのでしょうか。

私が研究発表をお手伝いした中学校の校長が、新たな伝統をつくりたいとおっしゃったことを思い出しました。単に授業を変えるのではなく、授業について考える、改善し続けるということを伝統にしたいということです。

また、ある中学校では授業をよくするということを子どもたちに考えさせ、授業に臨む姿勢や学び方を子どもたちが次代に伝えていくという試みをしています。子どもたちが伝統の担い手になることで、確実によい形で継続しているようです。

学校改革は、実は改革することよりもそれを継続・発展させることの方が難しいのかもしれません。その時うまくいったことでも、時代が変わり、教員・子どもが変わっていけば必ずうまくいかないことが出てきます。
あらためて、改革の精神を持ち続け、時代の変化に耐えるための仕組みをどう学校につくるかという課題を考えさせられました。

有田和正先生から学ぶ

教師力アップセミナーで有田和正先生のお話しを聞かせていただきました。

昨年はまだ体調が戻られていませんでしたが、今年は元気な姿を見せていただくことができました。セミナー後はアスナル金山行って日本初のビル風を利用した風力発電の写真を撮ると楽しそうに話されていました。
有田先生は子どもを「追究の鬼」に育てることで有名です。感心するのは資料で徹底して調べた後、必ず自分の足で現地に出かけられることです。自分の目で見る、自分の耳で聞くことを大切にされています。写真もできる限りご自分で撮ったものを資料として使われています。だからこそ、子どもたちが疑問を感じ追究し、感動してくれるのだと思います。

今回のセミナーは模擬授業を中心におこなわれました。有田先生の授業は、その知識や資料、発問の素晴らしさに目を奪われますが、先生ご自身の授業スキルの裏付けがあって初めて成り立っているのだとあらためて感じました。有田先生の授業のネタを使えば、子どもたちに興味を持たせること、話を聞かせることはそれほど難しくないかもしれません。先生すごいと言わせることも簡単でしょう。しかし、子どもたちの積極的な発言を引き出し、考えを深めさせるのはそれだけでは足りません。子どもの言葉を受容し、ポジティブに評価する。子どもの発言に対してそれを深める、広げるような質問をする。異なった意見をそれぞれ評価し、どちらが正しいのか子どもたち自身が考えるように誘導する。このようなスキルが不可欠です。

有田先生の模擬授業を見ることで、「よい授業とは何か」についてじっくりと考えることができました。

ネット時代の変化の速さ

昨日は、中学校で新1年生の保護者対象にお話しをさせていただきました。

皆さんには次のようなことをお願いしました。

・子どもを無条件に愛する(よい子だから愛するのではない)
・子どもに家族としての役割を持たせる
・家庭の中で「ありがとう」のことばを大切にする
・子どもには職業観を話す
・学校も保護者も子どもの幸せを1番に考えている。互いに話を聞く姿勢を持つ

最後に携帯電話との付き合い方を話しました。
昨年はプロフという言葉を知らない保護者がかなりいたのですが、今年はほとんどいません。この変化の速さには驚きました。
昨年は、メール依存症やプロフの危険性を話していたのですが、今年は携帯ゲームについての話も付け加えました。1年前は携帯ゲームがこれほど問題になってくるとは思ってもいませんでした。子どもたちを取り巻く環境の変化がこれほど早いと、どうしても大人の対応が後手に回ってしまいます。新しいサービスや環境が出てきても変わらない、ネット時代を生きる基本を子どもたちにしっかり身につけさせることが大切だとあらためて思いました。

授業づくりの過程をみせる

昨日は、4月から活動予定の授業づくりプロジェクトについて、その進め方を仕掛け人と相談しました。

授業を発表することを目的とするのではなく、その授業がつくられていく過程を伝えることを大切にしたいと考えています。

・どんな子どもの姿を目指したのか
・そのためにどんな手立てを考えたのか
・実際の子どもの姿はどうだったのか
・どのように修正したのか

このような試行錯誤の上で、授業はつくられていきます。その過程をしっかり見せることで、授業づくりの視点が明確になり、よい授業の構成要素が明確になると思います。

公開授業ですばらしい授業をみて自分もまねしようとしたがうまくいかなかった。うちの子どもではダメだ。こんな言葉を聞くことがよくあります。
単に授業の流れや発問をまねてもうまくかないのは当然です。それまでにどう子どもたちを育ててきたかによって授業の姿は変わってくるからです。

1時間の授業は、それまでの積み重ねの上に成立しています。点でとらえるのではなく、そこに至る過程に注目することで初めて授業は理解でき、また再現できるのだと思います。
授業づくりの過程を明確することで、多くの先生方の参考になるプロジェクトにしたいと思っています。

研修会の参加者から元気をいただく

昨日、一昨日と算数・数学の授業力アップの研修講座にスタッフとして参加しました。

昨年、今年と模擬授業を中心にした研修を行いました。今回もリピーターの方がたくさんいたことをとてもうれしく思いました。

私は中学校を担当していますが、この1年間で大きく進歩された方がたくさんいらっしゃいました。たった、2日間の研修で授業がうまくなるわけがありません。この方たちは、この1年間、研修で学んだことを地道に努力されてきたに違いありません。実際、2日目の実習では、1日目に指摘されたことをしっかりと意識しておられました。指摘を素直に受け入れる姿勢が伸びる教師の条件であることがよくわかります。

この研修では、あれやこれやと理屈をたくさん教えるのではなく、実習を通じて大切なポイントを具体的に意識し、身につけてもらうことを大事にしています。
私たちスタッフにできることは、何を課題として意識すればよいかのアドバイスだけです。
当り前ですが、身につけるためには、本人が毎日そのことを意識して授業をする必要があります。本人の姿勢が一番大切です。ただ漫然と授業をしているだけでは、決して授業力はつかないのです。

次にお会いする時には、皆さん大きく進歩していることと思います。参加者の学ぶ姿勢、やる気に私たちスタッフもたくさんの元気をいただきました。

楽しいお酒をいただく

昨日は、幾何ツールを使った授業研究会の前夜祭ということで、楽しいお酒をいただきました。

毎回、検討会の司会という大役をいただくのですが、その会を通じてたくさんの方と知り合え、多くのことを学んでいます。
うれしかったのは、昨年の授業者の方が、大きく成長されていたことです。授業に対する考え方、目指す子どもの姿が非常にシャープになっているのです。今まで漠然ととらえていたものを意識して言葉にするようにしたそうです。外化することにより、明確になっていったのです。授業もずいぶん進化したことでしょう。

残念ながら、今回は彼の授業はありませんが、検討会では視点のはっきりした明快な考えを聞けることでしょう。どんな場面について彼の意見を引き出そうか、今から楽しみです。

愛される学校づくり研究会に参加

日曜日に愛される学校づくり研究会に参加しました。実践報告と2月に開催するフォーラムの打合せでした。

実践報告は、公にできない内容ですが、学校現場が抱える深刻な問題について勉強させてもらいました。

フォーラムでは、2つのセッションに参加します。「愛される学校となるための学校広報と学校評価」をテーマとしたパネルディスカッションではコーディネータを務めますが、3人のパネラーからの提案を受けて、3年間研究会でやってきたことをまとめていくという大役です。事前に細かい打ち合わせができない状況ですが、仕込みのないライブ感覚でのディスカッションを会場の参加者と一緒に楽しめたらと思っています。
もう一つのパネルディスカッションでは、「愛される学校となるためにすべきこと」をテーマにパネラーとして提言をさせていただきます。他のパネラーの方とうまくかみ合うような提案ができるかドキドキしていますが、ちょっと違った目線での愛される学校づくりを提案したいと思っています。

定員は200名ですが、満員になることが予想されます。ご興味のある方はぜひお早めに参加申込みをしてください。

佐藤曉先生から学ぶ

教師力アップセミナーで佐藤曉先生のお話しを聞かせていただきました。

佐藤先生は大学の研究者ですが、学校現場での実践を大切にされています。年間200回も授業研究に参加されているとのことです。実際の授業での子どもたちの学びの軌跡を具体的に示してのお話しは大変説得力にあふれていました。

発達障害の子どもの対応について直接先生とお話しすることができましたが、「これが正解という対応があるわけではない」という言葉が印象的でした。
この子はこういう障害があると診断がくだりレッテルが張られると、今度はそのレッテルが独り歩きをする。障害はその子どもの持つ多くの要素のほんの一部でしかない。その一部分で全体を規定することはおかしい。子ども一人ひとりと向き合い、その子に応じた対応を考える。障害があるなしに関係なくどの子に対してもアプローチの仕方は同じであるはずだ。区別する必要はない。手探りで一人ひとりに応じた対応を見つけていくしかない。

あらためて、一人ひとりを大切にすることの意味を教えていただけた気がしました。ありがとうございました。

教師の人事評価

私学の経営にかかわる方とお話ししていると、人事評価のことが話題になることがあります。頑張っている方により多くの給与を与えたい。報われる形にしたいということです。
時として、給与の割に働いていないと感じる方の給与を下げて、その分を頑張っている人に回したいと言われることもあります。気持ちはわかるのですが、給与規定の改定が必要だったり、なかなか難しい面があります。

学校改革に成功しているところでは、人事面の評価を給与に反映させるのではなく、ポジションに反映させていることが多いように思います。成果を上げている人は、例え若手でも責任のあるポジションにつける。ベテランでも成果を上げていない人はそのポジションから退いてもらう。また、必要に応じて新しいポジションを作って活躍する機会を与える。ダイナミックな人事が学校の活性化につながっています。

教師も子どもたちと同じで、自己有用感を持つことが、いきいきと働く原点だと思います。要は、自分のやったことがきちんと評価されていると実感できることが大切なのであって、学校の実情に応じていろいろと工夫の余地はあるはずです。ここが、学校経営の腕の見せ所なのです。

次年度に向けて考える

気が早いと思われるかもしれませんが、三ヶ日は次年度も継続してお手伝いする予定の学校のことを考えていました。4月になってから新たな行動を起こそうとしても、1年で最も忙しくかつ学級づくりにとって最も大切な時期にそんな余裕はありません。3月末までに準備を終えていなければなりません。今の時点で明確な方向性が打ち出されていなければ、間に合いません。
多くの課題を抱えている場合、緊急度の高い課題が優先されます。しかし、次年度のことを考えた時に、今手をつけておかなければならないことがあります。わかっていてもどうしても余裕がないために後回しにされがちですが、ここでやっておかないと次の1年の動きが取れなくなってしまうのです。
あわただしい3学期ですが、今の課題を明確にして、解決のための準備を怠りなくしてほしいと思います。

学校の応援団

昨日は、学校評議員をさせていただいている学校のおやじの会(おやじ限定でなくお母ちゃんも参加している)の忘年会に参加させていただきました。

学校と子どもたちのことを話題に楽しい時間を過ごしました。子どもたちの成長のみならず、先生方の変化、成長も本当によく見ていただいています。もちろん厳しい意見も出ますが、それも子どもたちを育てるという視点でのことです。

この学校のことというわけではないのですが、学校が地域の方にお願いをするとき、あまり負担にならないようにという発想で、これだけやっていただければとスポット的なお手伝いを頼むことが多いようです。そうではなく、学校の思いを伝えてもらい、きちんと責任のある仕事を頼まれる方が、多少物理的負担が増えてもやりがいを持って積極的に参加できるという話がでました。自分たちのやっていることが、子どもたちの役に立っていることを具体的な成果として実感したいというわけです。自分たちが能動的に関わるために、学校がどのように動いている、子どもたちがどのような活動を行っているのかをきちんと知らせてほしい。そうしてもらえれば、自分たちでどのように関わればよいのかを考えることができる。このように話されていました。
この学校では、何年にもわたる積み重ねの中、こういう関係ができつつあるのです。

これからの学校には、このおやじの会のように地域と学校をつなぐパイプ役、緩衝材となっていただける応援団が必要になってくるのだと思いました。

若い先生に学んでほしいことを考える

先週末は、教師力アップセミナーの次年度の講師について相談をしました。

ここ数年は若い先生の参加が増えてきています。若い先生の役に立つ内容を増やすという視点で講師の選定を進めました。私も仕事上で若い先生と話す機会が多いのですが、授業等ですぐに使えるネタをほしがる傾向にあるように思います。そうではなく、もっと基本的な教師として身につけるべきものがその前にあるように思います。

どのような姿勢で日々過ごすことが教師力を高めてくれるのか。
学級経営の基本となる子どものとの関係をどのように作っていけばよいのか。
研究授業のような特別な授業ではなく、日々の授業をどのようにして作っていけばよいのか。

次年度はこのようなことを学んでいただけるようなセミナーを企画しました。多くの若い先生方によい学びをしていただきたいと、手分けして素晴らしい先生方に講演をお願いしているところです。よい返事がもらえることを期待しています。
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