頼りになる先輩のような本

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玉置崇先生の編著で中学校の学級づくりの本、「中学○年の学級づくり 365日の仕事術&アイデア事典」が出版されました。この本を手にした印象は、「頼りになる先輩のような本」です。

担任を持つと毎日学級の子どもたちの前で話をする機会があります。連絡事項だけで時間をつぶしてはもったいない時間です。しかし、「4月のこの時期一体何を話せばいいのだろうか?」「この行事に向けてどのようなことを語りかければいいのだろうか?」と悩む方も多いと思います。学級づくりを進めていくためには、いろいろな場面で担任の働きかけが大切になります。ターニングポイントに気づかず、後手に回ってしまうことがあります。そんな時、頼りになるのが先輩や同僚です。自らの経験をもとに、今学級づくりに何が必要かを教えてくれる人がいるかいないかで、大きく変わってきます。

私自身を振り返ってみると、初任者の時に副担任としてついた先輩の存在がとても大きなものでした。毎日の短学活に私を同行させて、この時期に何を話すべきか、どのような働きかけをするのか逐一具体的に見せてくれました。また、子どもたちや保護者との面接にも立ち会わせてくださいました。時には、発言の機会を与え、後からアドバイスもしていただきました。厳しく指導されたこともありましたが、そのおかげで今の私があると思っています。私のように素晴らしい先輩に出会えた方は幸せですが、現実は必ずしもそうとは限りません。若い先生で、自分の中学校時代の担任が何をしていたかを思い出しながら、手探りで学級経営をしている方にたくさん出会います。そんな方にとって、頼りになる先輩としてたくさんのアドバイスをしてくれる本です。
この本の素晴らしいところは、具体的なトークや取り組みの例、子どもたちに配る印刷物の写真など、すぐに使える物やアイデアが満載されていることです。しかし、人によってはマニュアルのように全く同じようにしゃべったり、そのまま使ったりして上手くいかないということもありえます。自分の学級の状況に応じて工夫する必要があるからです。その点、例えばトークであれば、なぜそのようなことを話すのか、話のポイントは何かを話に沿って解説しています。トークを公開してくれるだけでなくその裏側も伝えてくれる、頼りになる上にとても親切な先輩なのです。

今まで学級経営に関することを質問された時には、私なりの答を伝えるとともに、「先輩や同僚がどうしているか聞いたり、学級をのぞいて盗んでみたら」とアドバイスしていましが、これからは、「こんないい本があるよ」という言葉を付け加えたいと思います。

志水廣先生「退官記念講演」と志水塾のこと

先週末は、愛知教育大学の志水廣教授の退官記念講演に参加させていただきました。全国から300名もの方が駆けつけられ、「笑瀾万丈」と題する講演を楽しく聞かせていただきました。

人との出会い、縁を大切にすること心がけている志水先生です。他者に対する感謝の気持ちを持つこと、他者に対してありがとうと言ってもらえるような行動をとることの大切さを、ご自身の人生を例に笑いを交えてお話しされました。
志水先生を塾長として活動してきた志水塾では本当にたくさんの方と素晴らしい出会いがありました。

私と志水塾との関係は、立ち上げ時の代表を務めていた先生から、是非手伝ってほしいという声をかけていただいたことから始まります。当時、志水先生が引退したら自分のメソッドを全国に広げる活動をしたいとおっしゃっておられたそうですが、その先生は先に延ばすのではなく、すぐに実現しましょうとまわりの先生方に声をかけ、自ら代表としてゼロから立ち上げられたのです。本部主催の研修会以外にも、各地区の先生方が研修会を開催するようになり、志水塾の活動は愛知県から全国に広がっていきました。その中でも、年1回行う本部での研修会は、他の規範となるものとすべく、毎年新しい内容を盛り込むことを旨としました。運営や準備だけでも大変な中、研修の進め方や授業メソッドなどの中身についても代表を中心に、愛知県をはじめ全国の先生方が手弁当で力を合わせてつくり上げていきました。私もその一人として研修をつくる過程を皆さんと共有させていただきました。また、研修会当日は、自ら学びたいという意欲のある先生方の研修場面に立ち会い、アドバイスをさせていただく機会も持たせていただきました。こうして先生方と学びを共有することができたことが、私の現在の仕事の基盤となっています。どれだけ感謝しても感謝しきれません。
本部での研修会は10年間にわたって続きました。しかし、その10年間で愛知県の中心となった先生方が次第に自由に動くことができない立場になってきました。次世代を育てられればよかったのですが、教員の年齢構成などの問題もあり、新しいものをつくりだす力を維持できなくなったのです。愛知県での本部研修会の開催を断念するにあたって、代表から相談があった時のことを今でも覚えています。苦しい胸の内を語られました。ゼロから立ち上げてここまでにしたのに、断腸の思いだったでしょう。
あれから、もう何年も経ちました。愛知県での活動は小さくなってしまいましたが、幸いにも全国各地の仲間は元気に志水塾を開催してくれています。そんな仲間と久しぶりに出会えたとても楽しい講演会でした。

ただ一つの心残りは、代表を務めた先生が全体でお話しする機会がなかったことです。こうして全国から集まった仲間の間違いなく中心にいた方だからです。時の流れの無常さも感じました。

LINEでのいじめが減少する!?

川崎の中学生殺害事件でLINEが事件解明の手掛かりになったことが盛んに報道されました。こういった事件では、情報サービスの固有名詞は出されないことが多いのですが、今回ははっきりと示されました。深読みすると、LINEでのやりとりは、タイムラインを削除したり、端末を処分したりしても、サーバーにデータが残っているので消すことができず、運営会社が警察に協力すればすべて明らかになることを知らせようとしているように見えます。
LINEでのやり取りは、そのグループに属していない人には見えないので、いじめが起きやすいと言われています。実際に、小中学校で子どもたちのLINE上のトラブルをよく耳にします。そういったいじめに対して、何か起こればすぐに証拠として明らかになることを周知することで、抑制しようという意図を感じたのです。
今回の報道でこのことに気づいた子どもは、LINEでの書き込みに注意を払うようになると思いますが、多くの子どもはそのことにまだ気づいてないでしょう。この事件を抑止力とするためには、そのことを積極的に子どもに伝える必要がありますが、その判断は学校によって分かれると思います。LINE上でのいじめを抑制したからといって、いじめ問題の根本的な解決にはなりません。しかし、LINEという環境があるからいじめが起やすいという考えに立てば、LINEでいじめをすれば最後にはわかってしまうことを子どもたちに伝えることは意味のあることのようにも思えます。問題はその伝え方でしょう。ストレートに言えば、子どもたちがいじめをしていることを疑っているように伝わってしまいます。情報教育の中で機会を見て、メディアの特性として伝えることが妥当のように思います。

今回の事件をLINEの活用の側面からとらえた時、学校関係者はどのように考えられたでしょうか。実際にLINEでのやりとりを開示してもらうのは、今回のような刑事事件でなければ難しいと思いますが、その可能性が明らかになっただけでLINEでの問題への対応に新たな切り口が生まれてきたように思います。
実際に各学校がどんな対応をするのかはわかりませんが、ひょっとすると今回の事件がLINE上でのいじめの減少につながるのかもしれません。

おやじの会の皆さんに還暦を祝っていただく

昨日は、私が学校評議員をしている中学校のおやじの会の皆さんが、私の還暦を祝ってくれました。個人的には還暦になったことを素直に喜べないのですが、こうして縁のある方が祝ってくださることはとてもうれしいことです。

このおやじの会の皆さんと知り合って11年になります。当時の校長と一緒に懇親会に誘われるようになってからも、ずいぶん時間が経ちました。
学校と地域が協力する関係が大切だと言われます。しかし、その実態は、学校が地域の力を一方的に借りようとするものであったり、地域が学校に対して自分たちの要求を強く主張するものだったりすることが珍しくありません。協議会を作って一緒に学校を運営しているように見えても、形式的でだれが責任を持ってことにあたっているのだろうと疑問を持たざるを得ないような事例を目にすることもよくあります。学校と地域がどうすればよい形でかかわれるのか悩んでいました。そんな中で出会ったのがこのおやじの会です。
子どもたちを育てるために自分たちは何ができるだろうと、地域の住民の視点で真剣に考えています。学校と考えがぶつかる時もあります。そのことを恐れずに自分たちの考えをまっすぐに伝えます。子どもたちのためという点では、学校と一致していることがわかっているからです。学校と地域の協同のイベントに地域フェスティバルがあります。この変遷を10年以上にわたって間近で見ることができました。そこにあったのは、学校と地域が共に歩んでいくということは、単に仲良くやることでも対立することでもなく、互いに子どものために何ができるかを真剣に考え、相手に要求することより自分たちにできることを大切にすることだという姿勢です。その時々のフェスティバルには、形は違っても、その時点で子どもたちを育てるために何をしようとしているのかが伝わってくるものでした。学校と地域のかかわり方の答の一つをこの会の皆さんから教えてもらえたように思います。
また、この会の方々はこの中学校区のことだけではなく、市の児童館の運営など、市民として子どもたちの教育に積極的にかかわっておられます。地域が子どもたちを育てることにかかわるとはどういうことかを身を以て示していただいています。

このような方々と出会えた幸運に改めて感謝しています。そして、こんな皆さんに自身のことを祝っていただける幸せを心からかみしめた時間でした。本当にありがとうございました。

吉永幸司先生から学ぶ

今年度最後の教師力アップセミナーは元京都女子大学附属小学校長の吉永幸司先生の「国語力は人間力−言葉で考える子どもを育てる国語指導」というタイトルの講演でした。

国語の教科指導の話というよりは、国語指導を通じて子どもたちの人間関係をつくったお話しでした。吉永先生が校長に就任するまでは、「のびのび」をキーワードとしていたそうです。そのマイナス面として、まわりとの関係を考えずに好き勝手な態度をとるため、子どもたちの人間関係が悪かったようです。また、私立の小学校ということで、子どもたちは放課後住んでいる地域で他の子どもとの関係がありません。エネルギーの発散場所が学校に限定されていることが、子ども同士のトラブルを誘発しているようでした。吉永先生は、子どもたちが伝えるべきことをきちんと伝えることができていないことが、いろいろなトラブルの根底にあるとが感じられたようです。保護者とのトラブル一つとっても、子どもが保護者に状況を正しく伝えていないために行き違いが起こっているのです。そこで、子どもに「必要な時に必要なことを伝える力」をつけることに力を注がれました。
その第一歩は、日常の言葉をきちんとすることでした。まずは、教師が子どもをきちんと「さんづけ」で呼び、名前を呼ばれたら子どもが「はい」と返事をすることからです。「ていねい」をキーワードにすることで、まず先生の言葉づかいが変わりました。主語が「○○さん」に変わるとそれに伴って述語もていねいに変わっていきます。こうして、子どもにていねいな言葉で話をさせ、続いて正しく伝えることを徹底させました。保健室でも、きちんと伝えなければ利用させません。保健室をよく利用する子どもが、他の子どもに伝え方を教えるようになったそうです。子ども同士のけんかの聞き取りも、ていねいな言葉を使うように指導します。「○○が・・・」と言えば、「○○さんが・・・」と言い直させます。単文しか話さなければ、一つひとつ聞き返し、最後にそれをつなげて言い直させます。こうして、伝える力をつけていきました。
ノート指導も大切にされました。先生は子どものノートと同じように板書し、子どもがそれを同じように書くことを徹底しました。教師と同じということは、教師の指示を聞くことにつながります。ちゃんと聞けば上手くできる。そういう経験を積ませることで、達成感を持たせ、自己有用感につなげていったのです。
こうして子どもの伝える力をあげ、自己有用感を持たせることができるようになって、当然のことながらトラブルは減り、学校が変わっていったそうです。

吉永先生が最初にされたことは、コミュニケーションに関する基本的なことと、指示を聞かせるために具体的な活動と評価を意識することでした。こういった根っこの部分をまず徹底できでれば、その上に多くのものを見上げることができます。この後の京都女子大学附属小学校でのいろいろな取り組みは、まさにそのようなものであったと思います。
吉永先生の語り口は、「ていねい」をキーワードに学校の改革を進めたことがなるほど思えるものでした。この柔らかさで職員にも接したからこそ、学校を変えることができたのだと思います。吉永先生の姿から、学校を変えていくために大切なことをまた一つ教わったように思います。吉永先生ありがとうございました。
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