この1年を振り返って

今年度もいよいよ今日で終わりです。この1年間たくさんの授業を見せていただく機会がありました。授業を見る機会を与えてくださったすべての先生方に感謝です。
10年以上教育コンサルタントとして授業を見続けてわかったつもりになっていても、まだまだ気づかなかったことがたくさんあることを教えてもらった1年でもありました。

特に若い先生の成長の過程を見ることで、授業の基本は何かということをあらためて学ぶことができました。若い先生は当然未熟なところがたくさんあります。だからこそ、それを一つずつ克服していくにつれ授業は驚くほど進化していきます。教師のかかわり方がほんの少し変わるだけで、子どもたちが大きく変化することもあります。
授業の変化とともに子どもたちがどのように変化するかをみることで、教師のかかわり方と子どものあり方の関係を私の中でより明確にすることができました。

若い先生の中でも他者のアドバイスを素直に聞く、他者から学ぼうとする姿勢を持っている先生の進歩は本当に素晴らしいものがあります。特に子どもから学ぼうとする、いいかえれば、子どもの姿をしっかりと見よう、とらえようとすることを意識している先生はわずかの期間でも見違えるほど成長していきます。子どもを見ることができる。このことが、教師としての成長の第一歩であるとあらためて思いました。

この1年、多くの若い先生の成長の過程に立ち会えたことは本当に幸せなことでした。
明日からの1年にどんな出会いがあるか、今からとても楽しみです。

キレる子どもと言語活動

言語活動の重要性がよく言われます。子どもの精神面の発達においても言語活動は大きな意味を持っています。
たとえば、「キレる子どもは、言葉が先にキレる」ということをよく聞きます。自分の気持ちをうまく伝る言葉が見つからなくて、言葉が途切れて、そしてキレた行動をしてしまう。大人だってこのような状況になることはあります。人がキレるときは、コミュニケーションがうまくとれないときが多いのです。自分の気持ちを表現する、うまく相手に伝えるということは決して簡単なことではありません。

こういうキレやすい子どもの対応を考えることは、学習活動における言語活動を考えるヒントにもなります。
実際に子どもがキレてしまった場合、大きな声で叱ったりすることはより興奮させて逆効果になります。大丈夫だとやさしく抱きかかえてあげる、落ち着くまでじっと見守る、別の場所に連れて行って一人にしてあげるなど、まず落ち着かせることが一番です。
ここで、子どもをしかるのではなく、自分の気持ちを言葉にすることを意識します。

「どうしたの」
「むかついた」
「何にむかついたの」
「よくわからない」
「むかつく前に何があったか教えてくれるかな」
「△△君に『ボールを貸して』って言った」
「ボールがほしかったんだね。そしたら」
「『今、□□君と使っているから嫌だ』と言われた」
「嫌だと言われたんだ。それで」
「むかついた」
「そうか、その後どうしたの」
「ボールをとって、放り投げた」
「○○君は、ボールを放り投げたかったのかな」
「よくわからない。気がついていたら、放り投げていた」
「本当にボールを放り投げたかったのかな」
「よくわからない」
「○○君はボールを放り投げたかったんじゃないと思うよ。○○君は、本当はどうしたかったんだろう。一緒に遊びたかったのかな」
「うーん、そうかもしれない」
「一緒に遊びたかったんだ。それなのに嫌だと言われて仲間外れになった気がしたのかな」
「なんか、はじかれた気がした」
「そうか、はじかれた気がしたんだ。それで、ボールを放り投げちゃったんだ。じゃあ、どうすればよかったんだろう」
・・・

言葉がキレてしまう子です、なかなかうまく伝えることができないかもしれません。辛抱強く一つひとつ聞いてあげます。うまく言えないときには「・・・と思ったのかな」とこちらから言葉を向けたり、それはこういうことではないかと整理してあげます。そして、自分の感情は何だったかを気づかせ、言葉にしていくのです。

言葉を習得していくには、実際にその言葉が生きた状況で使われる、使う必要があります。「むかつく」という言葉でしか伝えられない子どもには、そのときの自分の感情や状況を言葉を使って相手に伝えるという経験をさせる必要があるのです。学習活動における言語活動も同じです。伝えるべきものがあって、それを伝える経験をすることが大切です。そして、このとき伝えるべき相手がきちんと聞く姿勢を見せる、またわからないことがあれば質問するといったコミュニケーションが成り立つような工夫が必要なのです(言語活動を支える力をつける参照)。

ありがとうを大切に

母親向けに子育てについてお話しする機会が増えています。そのとき必ずお話しするのが、「ありがとう」という言葉を大切にしてほしいということです。感謝の言葉が家庭内で意外とかわされていないように感じるからです。

お手伝いをしてくれたから、勉強を頑張ったからご褒美を上げる。そうすると、子どもはご褒美を得ようと頑張ります。しかし、物質的なものを得るために頑張るのでは、結局損得でしかものを見られなくなってしまいます。
一方「えらいね」とほめることで認めると、子どもの自己有用感は高まります。しかし、「えらいね」は上からの目線でもあります。自分が下に見られていると無意識のうちに感じてしまいます。ですから、私がうれしい、感謝しているというIメッセージが大切になるのです。

「勉強頑張ったね。お母さんはうれしい」
「お手伝いをしてくれて、とても助かった。ありがとう」

こういう言葉をたくさんかけられて育った子どもは、自己有用感を持ち、自分の居場所があります。いろいろな困難にぶつかってもなかなか崩れません。
このことは学校でも当てはまります。先生や友だちに「ありがとう」と言われることはとても大切です。家庭でも学校でも子どもたちに「ありがとう」の言葉をかけることを意識してほしいものです。

学校が信頼を得る

先日、中学校の学校評議員会に参加しました。

学校評価アンケートに関する学校側の説明は、データをもとにその原因や今後の対応を明確にしたわかりやすいものでした。評議員としてもっと詳しい説明を聞きたいと思ったのも、しっかりとアンケートをもとに学校が考えていることがよくわかったからです。
また、次年度の学校目標も、一見すると言葉が多少変わっただけのように見えますが、学校の現状から、次に起こすべき動きと連動した、実によく考えられたものでした。
質問に対しても、学校に問題点があればそれをはっきり認め、どう対応するかをはっきり伝えてくれました。

説明責任とよく言われますが、説明をすればよいのではなく、最終的に学校を信頼していただけるようにすることが目的です。
学校の問題点も包み隠さず伝える。字面だけの説明ではなく、そこに込めた学校の思いも伝える。学校の今をきちんわかってもらいたいという姿勢がなければ、決して信頼は得られません。

参加された方から、学校の授業で新聞を活用する機会があれば提供するという申し出がありました。また、子どもたちの読書活動を活発にするために自分の経験をもとに具体的なアイデアを話してくださる方もいました。
この学校では保護者や地域が教育活動のいろいろな場面で実に協力的です。この学校がきちんと伝えるべきことを伝え、信頼を得ているからこそ、周囲の協力を得られるのだと思います。

学校は保護者や地域の協力なしには運営できないことがたくさんあります。都合のいい時だけ協力を求めるのではなく、普段から信頼を得るための努力をすることが大切なのだと思います。

この震災に教師は教壇で何をすべきか

東北地方太平洋沖地震の被害にあわれた皆さんに心からお見舞い申し上げます。

直接の被害や大きな被害がなかった学校では今日からいつものように授業が始まります。先生方はどのように子どもたちと接するのでしょうか。もし自分が教壇に立つとすればどのような対応をするのだろうかと考えてしまいます。

子どもたちの中には、日本はどうなってしまうのかと不安に思ったり、自分にできることはないだろうかと真剣に考えている子もいると思います。まずは、今回の地震について先生が思うことを子どもたちに伝えることで、少しでも不安な気持ちを解消できるようにしてほしいと思います。不安をあおるような話ではなく、希望を持てるような話をすることが大切です。多くの人がこの震災に対して自分たちのできることを必死にやっていること、つらい悲しいことがあるがきっと乗り切れるはずだと信じていることを伝えてほしいと思います。
その上で、子どもたちの気持ちをしっかり受け止めてください。子どもたちがいろいろな思いを自分ひとりの中に閉じ込めないよう、できるだけグループや学級全体で共有できるようにしてください。そして、今自分たちにできることを考える機会をつくってください。

被害にあわれた方々には申し訳ないですが、悲惨な状況であるからこそ、子どもたちが学べることがあるはずです。この悲惨な状況を少しでもよい方向に活かすことも教育者にとっては大切なことだと思います。

卒業式に出席

昨日は中学校の卒業式に出席しました。入学時から行事、授業で接してきた生徒たちです。

卒業式の主役は卒業生でした。代表の出発(たびだち)の言葉と全員での合唱は彼らの3年間の仲間への思い、教師への思い、学校への思いにあふれたものでした。
入学時は子どもっぽさが抜けず、本当に中学生なのかと思うような言動も目につく生徒たちでしたが、3年たった今、実に堂々とした姿を見せてくれました。子どもの成長は早いものです。しかし、その陰には先生方の日々の指導がどれほどあったのでしょうか。あるときは厳しく、あるときはやさしく指導されている先生の姿をどれほど見たことでしょう。その指導に応えて立派に成長したことが、合唱での姿に表れていました。

卒業生とともに会場を後にする先生方の姿には、教育者であることの喜びと誇りを感じました。心の底から、「おめでとう」という言葉がわきあがってきました。
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