中高一貫校から学ぶ

先日私立の中高一貫校におじゃましました。ありがたいことに、廊下から授業の様子を見させていただくことができました。習熟度別学級編成をとっていることもあり学級間の雰囲気の違いはあったのですが、それよりも中学生の様子が気になりました。

中学生、特に1年生のころは教師や友だちとかかわりたいという意識が感じられるものですが、そういったかかわり合う意識が教師からも子どもからも感じられなかったのです。
この学校では、教師は中学校と高校で分けずにどちらも教えているそうです。中高の交流はとてもよいことなのですが、どうやらこの学校では中学校が高校化しているようでした。
高校では教えるべき情報量が中学校と比べて多いためどうしても教師主導となりやすくなります。小学校では基本的に子どもたちの活動やかかわり合いを大切にしています。中学にはその橋渡しの役割もあるのですが、いきなり高校に近いスタイルで授業が行われるために子どもたちがうまくついていけてないのかもしれません。

何を教えたかという視点で授業をとらえる傾向が現場にはまだあるようですが、子どもたちが何を学んだかという視点でとらえてほしいと思います。子どもが学ぶためにはどのような要素が必要なのかを考えてほしいのです。教師がうまい説明をしたから身に付くということは実際には少ないよう思います。受け身で説明を聞くのではなく、友だちとともに考え活動することによって、身に付くことの方が多いように思います。
子どもの実態をとらえてどのような進め方がよいのかを考える必要をあらためて感じました。

教育は誰のため

昨日は中学校の現職教育の講師を務めました。確かな学力をつけるためにどんな授業をするのかをテーマとしてものです。こうすれば確かな学力をつけることができるというような提案ではなく、先生方にたくさん考えてもらうことを主にしました。

自分たちの目の前にいる子はどんな状態なのか、その子たちにどんな働きかけをするのか。そんなことを話題に話し合っていただきました。
その時、あるグループでこんな話題が出ていました。
何のために勉強するのかと聞かれても、自分には関係がないと言う子どもに対して説得力のある答えは難しい。何かに興味を持ち、そのことがきっかけで自ら学ぶようになっていく。それでいいんじゃないのか。学校で習ったことがすべて社会で必要になるわけでない。例えば歴史を知らなくても実生活では困ることはない。

個人の自己実現は教育の大きな目的の一つです。そのために必要な力をつけるという観点で言えば、自分にとって必要かどうかで判断するというのも決して間違いではないと思います。しかし、公的な費用をこれだけ使って教育をする意味はそれだけなのでしょうか。
私たちは社会生活を営んでいます。この社会が健全に発展していくことには非常に重要なことです。そのために必要なことを子どもたちに対して身につけてもらうことは教育のもう一つの目的だと思います。教育は個人のためだけでなく、社会のためでもあるのです。
社会の一員としてどんな力をつけなければいけないのか。自分が社会のためにどんな役に立てるのか。そんな視点も学校には必要なことではないかと思いました。

学校改革の賞味期限

昨日は私立高等学校の校長先生とお話しをしました。いわゆる底辺と言われる公立高校を校長として立て直した方です。

話の中で、公立校は学校改革をしても校長が3代目になるとダメになるという言葉が出てきました。3代目になる頃には、当時を知る教員もいなくなり、いろいろなものが形骸化していくということです。当時考えた企画の結論だけが残り、何故そうなったか、どのように変遷したのかといった過程が学校の中に残らない。改革の精神を残すような人事的な策もない。原因はこんなところでしょうか。よい伝統というものは教員を通じてはなかなか残らないのでしょうか。

私が研究発表をお手伝いした中学校の校長が、新たな伝統をつくりたいとおっしゃったことを思い出しました。単に授業を変えるのではなく、授業について考える、改善し続けるということを伝統にしたいということです。

また、ある中学校では授業をよくするということを子どもたちに考えさせ、授業に臨む姿勢や学び方を子どもたちが次代に伝えていくという試みをしています。子どもたちが伝統の担い手になることで、確実によい形で継続しているようです。

学校改革は、実は改革することよりもそれを継続・発展させることの方が難しいのかもしれません。その時うまくいったことでも、時代が変わり、教員・子どもが変わっていけば必ずうまくいかないことが出てきます。
あらためて、改革の精神を持ち続け、時代の変化に耐えるための仕組みをどう学校につくるかという課題を考えさせられました。

有田和正先生から学ぶ

教師力アップセミナーで有田和正先生のお話しを聞かせていただきました。

昨年はまだ体調が戻られていませんでしたが、今年は元気な姿を見せていただくことができました。セミナー後はアスナル金山行って日本初のビル風を利用した風力発電の写真を撮ると楽しそうに話されていました。
有田先生は子どもを「追究の鬼」に育てることで有名です。感心するのは資料で徹底して調べた後、必ず自分の足で現地に出かけられることです。自分の目で見る、自分の耳で聞くことを大切にされています。写真もできる限りご自分で撮ったものを資料として使われています。だからこそ、子どもたちが疑問を感じ追究し、感動してくれるのだと思います。

今回のセミナーは模擬授業を中心におこなわれました。有田先生の授業は、その知識や資料、発問の素晴らしさに目を奪われますが、先生ご自身の授業スキルの裏付けがあって初めて成り立っているのだとあらためて感じました。有田先生の授業のネタを使えば、子どもたちに興味を持たせること、話を聞かせることはそれほど難しくないかもしれません。先生すごいと言わせることも簡単でしょう。しかし、子どもたちの積極的な発言を引き出し、考えを深めさせるのはそれだけでは足りません。子どもの言葉を受容し、ポジティブに評価する。子どもの発言に対してそれを深める、広げるような質問をする。異なった意見をそれぞれ評価し、どちらが正しいのか子どもたち自身が考えるように誘導する。このようなスキルが不可欠です。

有田先生の模擬授業を見ることで、「よい授業とは何か」についてじっくりと考えることができました。

ネット時代の変化の速さ

昨日は、中学校で新1年生の保護者対象にお話しをさせていただきました。

皆さんには次のようなことをお願いしました。

・子どもを無条件に愛する(よい子だから愛するのではない)
・子どもに家族としての役割を持たせる
・家庭の中で「ありがとう」のことばを大切にする
・子どもには職業観を話す
・学校も保護者も子どもの幸せを1番に考えている。互いに話を聞く姿勢を持つ

最後に携帯電話との付き合い方を話しました。
昨年はプロフという言葉を知らない保護者がかなりいたのですが、今年はほとんどいません。この変化の速さには驚きました。
昨年は、メール依存症やプロフの危険性を話していたのですが、今年は携帯ゲームについての話も付け加えました。1年前は携帯ゲームがこれほど問題になってくるとは思ってもいませんでした。子どもたちを取り巻く環境の変化がこれほど早いと、どうしても大人の対応が後手に回ってしまいます。新しいサービスや環境が出てきても変わらない、ネット時代を生きる基本を子どもたちにしっかり身につけさせることが大切だとあらためて思いました。

授業づくりの過程をみせる

昨日は、4月から活動予定の授業づくりプロジェクトについて、その進め方を仕掛け人と相談しました。

授業を発表することを目的とするのではなく、その授業がつくられていく過程を伝えることを大切にしたいと考えています。

・どんな子どもの姿を目指したのか
・そのためにどんな手立てを考えたのか
・実際の子どもの姿はどうだったのか
・どのように修正したのか

このような試行錯誤の上で、授業はつくられていきます。その過程をしっかり見せることで、授業づくりの視点が明確になり、よい授業の構成要素が明確になると思います。

公開授業ですばらしい授業をみて自分もまねしようとしたがうまくいかなかった。うちの子どもではダメだ。こんな言葉を聞くことがよくあります。
単に授業の流れや発問をまねてもうまくかないのは当然です。それまでにどう子どもたちを育ててきたかによって授業の姿は変わってくるからです。

1時間の授業は、それまでの積み重ねの上に成立しています。点でとらえるのではなく、そこに至る過程に注目することで初めて授業は理解でき、また再現できるのだと思います。
授業づくりの過程を明確することで、多くの先生方の参考になるプロジェクトにしたいと思っています。
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