「盗む」という文化がなくなってきている?

若い先生の指導について話していると、管理職やベテランの先生からよくでてくる言葉が「盗む」です。

自分たちの若いころはこんなに研修もなかったし、指導してもらう機会もなかったので、先輩から盗むしかなった。最近の若い先生は与えられることに慣れてしまったのか、「盗む」ことをしない。

こんな話をよくされます。
確かに私たちの若いころは、先輩に聞いたり、こっそり授業を覗いたりして学んでいたように思います。新任1年目から先輩と同じ土俵で仕事をしなければならない学校では、「盗む」ということが重要な手段であり、一つの文化だったように思います。では、最近の若い先生は学ぶ意欲がなくなったのでしょうか?

若い先生に授業のアドバイスをしていて困っていることを聞くと、たくさん質問されます。悩んでもいるし、学ぶ意欲もあるのです。ところが、たまにしか会わない私に聞かなくても、身近な先輩に聞けばすぐに教えてくれそうな質問もたくさんあるのです。私が、「先輩に聞いたらいいよ」と言っても、なぜかしづらそうです。

そこで学校の様子を見てみると、職員室で授業や学級経営について話す雰囲気がなくなってきています。そもそも話をする余裕もないのです。
新任は授業もきちんとできない中で、毎週のように研修の課題に追われ、与えられたことをこなすので精一杯です。
若手も担任を持てば学級経営や校務、もちろん授業の準備など「やらねばならない」ことがもっと増えてきます。
また、ベテランと若手の間を埋める中堅の数が少ないことも、授業について話し合う雰囲気ができにくい理由の一つでしょう。
「他人の授業を覗くなんてとんでもない」という顔をされることもよくあります。こっそり授業を覗くにしても、人間関係ができていないと難しいのです。

若い人が先輩から「盗む」ことをしなくなったのは、学ぶ意欲がなくなったからでも、若い人だけの問題でもないのです。学校の中に、授業や学級経営、そして一番大切な子どものことを気軽におしゃべりする雰囲気や余裕がなくなったからなのです。
簡単に解決する問題ではないかもしれません。今の学校の置かれている状況から言えば仕方がないのかもしれません。しかし、行政、管理職、ベテラン、中堅、若手、それぞれの立場でできることはあるはずです。

まずは、隣に座っている先生と授業の話をしてみませんか?

廊下を歩くと授業がわかる?

学校を訪問した時に私がよくお話しするのが、「廊下を歩くと授業がわかる」です。
廊下を歩くと授業の何がわかるのでしょうか。

廊下を歩きながら教室をのぞくと、たいてい何人かの子どもがこちらに気づきます。この数が少ないほど子どもが授業に集中しているということです。
注意するのはそのあとです。ちらりとこちらを見てすぐに顔が前に向く時と、そのままきょろきょろし続ける時があります。
子どもの気持ちが授業に向かっていないとなかなか視線が戻りません。それどころか、こちらを振り向く子がどんどん増えてきます。多くの場合、最初の1人2人の段階で教師が気づいて、声には出さなくても目で子どもを制しますので、すぐに収まります。こちらを見る子どもの数が増えるということは、子どもが集中力をなくしているだけでなく、教師が子どもを見ていないということです。

子どもの授業に対する集中度と教師が子どもをちゃんと見ているかがわかるのです。

廊下を歩くだけで教師がざわつく学校もあれば、まるで自分が空気にでもなったように感じる学校もあります。授業改善が進んでいる学校は、訪問するたびに子どもの視線を感じなくなります。それだけ子どもが授業に集中しているのだと思います。

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