学校の伝統はだれがつくるのか

何年も同じ学校と関わっていると、いろいろな取り組みとその後どうなっていくかを見ることになります。
新しい校長になり、新しい取り組みがされる。それがうまくいっても、何年か経ち次の校長になり、それが何のために始まったのかも忘れ去られ、形骸化されて、やがて消えていく。そんな取り組みもあれば、何十年と続くものもあります。伝統と呼ばれるものです。

伝統となるものと消えていくものの違いは何でしょう。
たとえ校長や教員が言い出したものでも、伝統となるものは必ず教師以外の力がそこに介在しています。

一番は子どもたち自身が、次の世代に伝えていくことです。子どもたちがその価値を認め後輩につないでいくことが、伝統を作り出していると思います。単なる打ち上げ花火ではなく、子どもたちの中にまた来年も、自分たちが卒業していなくなっても続けたいと思うものである必要があります。

もう一つは地域の力です。学校で行われていることを地域が認め、ずっと続いてほしいと願えば、たとえ校長や教員がすっかり入れ替わっても伝統として残っていくと思います。その前提となるのは、地域の方が学校でなにが起こっているかを知ることです。学校広報が大切であるといわれる理由の一つです。

どの学校にも素晴らしい取り組みがたくさんありますが、伝統となって継続していくものはごくわずかです。
学校に関わらせていただく中で、新たな伝統が生まれる時間を共有できることを楽しみにしています。

研究会で学んだこと

昨日参加した研究会で、子どもたちが学校を愛するための非常に参考になる取り組みを教えていただきました。
「子どもが学校を愛する」ために何を仕掛けるか?
それぞれの学校で、いろいろな取り組みが考えられているのでしょう。こういった取り組みは大変意義のあることですが、だからこそ、忘れてはならないことは何かを強く考えさせられました。

学校を愛する原動力は何でしょう。
そこで過ごした時間が自分に何をもたらしたのかではないかと思います。
別の言葉でいえば、どのような成長があったかです。

いろいろな仕掛けが大切なことは間違いありません。
ですが、そういった仕掛けが活きるためにも、どの学校でも毎日おこなわれている授業や学級活動が充実し、子どもの成長をきちんと保障するものでなければなりません。
このことを改めて考えさせてもらえるよい機会でした。

「わかる」と「できる」のギャップ

先週末は、「教師力アップセミナー」で上越教育大学の赤坂先生のお話を聞かせていただいた。今回は「勇気づけの学級づくり」というタイトルであった。

赤坂先生の表現とは異なるが、

不適切な行動を叱るのではなく、子どもの適切な行動を認め、励ますこと。
反省よりは次の行動を考えること。
行動の結果を想像させること。
明るいゴールを意識させること。

と理解した。

わかりやすい説明で、みなさん納得されたと思うが、講演を聞いてわかることとできることの差は非常に大きい。特に経験の少ない教師は、教わった通りにやっているつもりでも、前提となる関係が築けていなかったり、正しく理解できていなかったり、さまざまな要因できちんとできていないことが多い。これを自分で気づいて修正することは非常に難しい。授業を公開して、子どもの事実をもとに考え、改善することが大切になる。

私が学校からの研修依頼に対して、講演ではなく、授業を見せていただいてのアドバイスを主体にするようになった理由の一つである。
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