料理と授業の共通点

先日、「蕎麦会席」のお店で親しい方からごちそうになった。
楽しい会話とおいしいお酒と料理でとても楽しい時間を過ごせた。
特に料理は、料理人の工夫や料理に対する主張が感じられるもので、感心させられるところが多かった。
出てくる料理を単品として評価すると、「ちょっと味が弱いかな」「もう少し主張があっても」などと思うところもあるのだが、会席のコースとしてみると、ちゃんとバランスがとれている。
出てくる順番が異なれば、きっと味付けも変わるのだろう。
通常の「蕎麦」とはちょっと異なるしつらえに、これも「あり」だが、きっと理由があるはずだ、次の皿はどんな趣向があるのだろうと思いを馳せずにはいられなかった。
最後まで食べ終わり、女将の「うちは蕎麦屋ではない」という、言葉の意味がよくわかった。
私たちの考える「蕎麦」というものに縛られず、蕎麦を使った、女将の考えるおもてなしが、この店の「蕎麦会席」なのだ。

授業も教科書や教材という材料を使って、子どもたちを育てるという目的のために工夫をこらす。
その授業を観るにあたっては、1時間の授業のある局面だけを観て簡単に評価するわけにはいかない。
この場面の前にどのようなことがあったか、この後どう展開するのだろうと思いを巡らせなければならない。
また、1年のどの時期かによっても授業のあり方は変わってくる。
点ではなく線として見なければならない。

酔っ払った頭で「料理を味わうことと授業を観ることは似ているな」と妙に納得していた。
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