指示の内容を形に変える

今から説明しようとしているのに、子どもの落ち着きがない、集中力をなくしている。このようなとき、「話を聞いて」「注目して」といった指示がよく出されます。ところが子どもたちは、口は閉じて静かにはなるのですが、下を向いたりして教師に注目しない。それなのに、教師は静かになったことで指示が通ったような気がして、話し始める。こんな場面によく出会います。このようなことが続くと、「話を聞く」「注目する」といったことが「口を閉じればいい」にすり替わってしまいます。教師が指示したことと子どもの姿がずれているのにそのままにしておけば、指示の意味が変わってしまいます。これでは、指示が通らなくなります。どのようにすればいいのでしょうか。

指示の内容を、具体的な子どもたちの姿という形に変えることが大切です。
たとえば、「話を聞いて」といっても、教師から見れば本当に聞いているのかは外からはわかりません。話を聞いているとは、外から見て具体的にどういう姿かを教師が意識する必要があります。

「口を閉じて、姿勢を正そう」
「話を聞くときは、話している人の顔を見よう」
「聞く姿勢ができたね」

このように指示すれば、「話を聞いて」に対してどうすればいいか子どもにわかりますし、教師も子どもの様子から指示が通っていることがわかります。学級全体の姿勢がそろうことで、聞いていない、集中力をなくしている子どもは目立つので、本当に聞いているかどうかもよくわかるようになります。
もちろん、形だけでちゃんと聞いていないこともありますから、話した内容の確認をすることも必要です。

友だちの音読を聞くときであれば、読んでいるところを指でなぞる、考えながら黙読するのではあれば、鉛筆を持って大切だと思ったところに線を引くなど、指示が通っているかどうかが外からはわかりにくいことは、それを形に変えることを意識してほしいと思います。

子どもたちの活動がばらばらになる part2

ある子は教師を見ている、ある子は板書を写す、ある子は資料を見ていると子どもの活動がばらばらな教室を見ることが最近増えてきました。以前にもこのことに触れましたが(子どもたちの活動がばらばらになる参照)、もう少しその原因について考えたいと思います。

まずよくあるのは、以前にも書いたように、教師が自分の行動にばかり意識がいってしまい、今、子どもにどういう活動をしてほしいか意識していないことです。

次によくあるのは、特定の子どもしか意識していないことです。
たとえば、指名した子どもがどのようなことを言うかに集中してしまい、発言していない子どものことが意識にないような状況です。指名する時に発言をよく聞くようにと指示しても、教師は発言者しか見ていないので他の子どもの状態は見えません。やはり、子どもの活動はばらばらになってしまいます。

これらは、いずれにしても一人ひとりの子どものどのような姿が見たいのかを意識していないので、意識することで改善されます。教師が見たい子どもの姿を意識して指示をだし、目指す姿とのずれを確認することで自然に修正されていきます。

一方で、教師の求める姿に子どもが意味を認めていないことも原因としてよくあります。
教師が説明したり、質問したりしても、無視して板書を写している子どもが何人もいることがあります。鉛筆を置きなさいと指示することで改善されますが、根本的な解決にはなりません。なぜなら、教師の説明を聞いたり、質問の答を考えたりすることよりも板書を写すことの方がその子たちには価値があるからです。教師の説明を聞いてもよくわからない。どうせ後から要点を板書するのでそれを写した方が無駄がない。質問の答えを考えなくても、誰かが答えるからそれを聞けばいい。下手に間違えた答を言って恥をかくより、正解を板書する方がいい。こんなことを思っているのです。
この問題は深刻です。根本的に授業の質を変えていくことが求められます。教師の話を聞いてよかった、自分で考えて発表してよかったと、教師の求める姿に子どもが価値を認めなければなりません。
聞いたことをほめられる。聞くことで理解できる。発表を友だちが聞いてくれる。発表すれば必ずほめられて終わる。・・・
毎日の授業でこのようなことを一つひとつ積みかさねていかなければなりません。

子どもの姿は教師を映し出す鏡です。目指す子どもの姿を意識して見ることで自分の授業の実態が見えてきます。子どもの姿がばらばらであれば、その原因を考えてください。もし子どもが目指す姿に価値を見出していなければ、その価値を子どもに伝えるような授業に変える努力をしてほしいと思います。

知らないことを聞かれたらどうする

教師は子どもたちよりも知識も経験も多いのは当たり前のことです。だからといって、何でも知っているわけではありませんし、子どもたちの質問に対しても何でも答えられるわけでもありません。しかし、子どもたちの前に立つと、「知らない」「わからない」ということが言いにくいことも事実です。教師としての権威を保たなければという心理が働くのかもしれません。私自身振り返っても、特に自分の専門分野についてはその傾向が強かったように思います。
「知らない」「わからない」という言葉を言わないで済ますには、教師も常に勉強して何でも答えられるようにしておくのが1番です。しかし、それとても限界があります。たとえ相手が小学生であっても、時として大人が答えに詰まるような質問をします。「なぜ空は青いの」「なぜ3原色で、2原色や4原色じゃないの」・・・。先生に聞くことはしませんでしたが、私自身このようなことを疑問に持っていました。教師が、知識として持っていればもちろん答えられますが、知らなければどうすればよいのでしょうか。

1 「それは、小学生ではちょっと難しいな。これから学校の勉強をしっかりして中学生か高校生になったらわかるよ」とその場を取り繕って済ます。

2 「○○先生ならきっと詳しいから、○○先生に聞いてみたら」と他の先生に丸投げする。

3 「ごめん。先生もわからない」と素直に謝る。

4 「先生わからないから、調べてくるね。少し時間をくれるかな」と時間をもらって、きちんと後で教える。

5 「いい質問だね。図書館やインターネットで調べてごらん」と子ども自身で調べるように促す。

どの対応が正解というわけではありません。子どもも実は本当に答を知りたいと思ったのではなく、ただ思いついたことを聞いてみただけ、先生とちょっとかかわりたかっただけのこともあります。意識してほしいのは、子どもがその対応をどのように感じるかです。

1や2は、なんだか肩すかしされたような気持ちになるかもしれません。2の対応でも、「いっしょに聞きに行こうか」と言えば、ずいぶん違ってきます。先生は自分の質問をしっかり受け止めてくれたと感じるでしょう。
3は、先生を試すようなつもりで質問してきたのでなければ、わからないことを素直に認める態度に対して好感を持つでしょう。しかし、中には先生に悪いことをしたと感じてもう質問はしないでおこう考える子もいるかもしれません。
4は、先生が真剣に受け止めてくれたと感じるでしょう。しかし、きちんと答えを返さないと、逆に信頼をなくします。また、子どもがあまり考えずにした質問であれば、詳しく調べてきちんと答えてもかえって困惑します。
5は、いい質問だとほめてもらっているので、認められたと感じますが、その結果逆に宿題をもらってしまったようにも感じます。わざわざそこまでしたくないから先生に聞いたのかもしれません。「先生も答を知りたいから、わかったら教えて」「わかったらみんなに教えてもらおうかな」と調べることに目的を与えるとまた違うかもしれません。「じゃあ、先生と一緒に調べようか」と子どもに寄り添う姿勢を見せると「先生は自分の質問を自分の問題としてくれた」と喜ぶかもしれません。

必ずこのように感じるわけではないと思いますが、こういうことを考えることは大切だと思います。
授業中にわからないことが出てきたり、答えられない質問をされたりしたときも同様です。その場しのぎの対応ではなく、子どもたちが先生を信頼してくれるような対応を心がけてほしいと思います。
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