子どものよさを活かせていない授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。学び合いを大切にしている学校です。子どもたちの様子は決して悪くはないのですが、授業の質という点では課題が多いように思いました。

1年生の数学はTTによる立体の演習の場面でした。
多面体とはどんなものか思い出すように指示しますが、子どもは動きません。わかっているのかわかっていないのか反応しないのです。授業者がプリントに書いてあると言うと、やっと過去の学習プリントをめくりだしました。
「平面で囲まれている」という答に対して、子どもたちは「いいと思います」と答えます。あまり意味のないやり取りです。立方体は多面体の仲間だと思うかと問いかけますが、定義を満たしていることの確認はしません。数学で結果だけを問うても意味がありません。「1番面の数が少ない多面体は?理由は?」と問い返したり、升のような入れ物は多面体であるかと揺さぶったりして、定義を言葉として覚えるのではなく、その意味するところを理解しているかを確認する必要があると思います。
柱の定義で授業者が「多面体を平行に移動してできた」と平面図形(自己交差しない閉曲線)を多面体と言い間違えています。T2も気づきません。子どももあえて異を唱えません。垂直にという言葉を付け加えますが、何に対して垂直か明確にしません。数学の教師は国語の教師と並んで言葉にこだわらなければいけないのですが、余りにも雑すぎます。
「右のように直方体から三角柱を切り取った図形について・・・」という問題がありました。教科書の見取り図をデジタル教科書の3D表示をいきなり見せてから、平行な直線やねじれの位置の直線を見つけさせます。感覚だけで解かせて、解答を確認して終わります。根拠が一切説明されません。こんな感覚だけの授業は数学ではありません。問題文はわざわざ直方体、三角柱という言葉を使っています。このことを根拠にして説明することが必要です。結果だけを教師が教えているだけです。子どもたちは、かかわり合って考える場面では、いきいきとしますが、論理的に考える視点を身につけていません。子どもたちのよさを教師が活かすことができていないのです。この子どもたちが高等学校で数学に再度出会った時にとても戸惑うことが想像できます。

2年生の数学は、TTによる平行四辺形の定義と性質、その逆の学習でした。新任がT1でした。
指示をしたあと、指示に全員が従うまで待とうとしています。一見すると授業規律ができているように見えるのですが、形だけです。顔が上がっていても教師の方を見ていない子どもがたくさんいるのです。子どもたちは集中していません。授業者が視線を合わせ、話をしっかり聞くことを求めていないので、子どもたちはやらないのです。
この授業も先ほどの立体の授業と同じく、結論や結果しかない授業でした。数学的な根拠を共有しない授業です。平行四辺形の性質を使って線分の長さを求める問題では、性質を感覚的に使って長さを求めています。図を見ればどの長さが等しいかは小学生でもわかります。それを与えられた条件をもとに因果関係を明確にしながら説明するのが数学です。答が正しければいいという発想では困ります。「試験でねらわれやすい」といった発言もありました。試験に出るから勉強しなさいなどと言うのは、教師として恥ずべき発言だと私は思います。
「平行四辺形を書くのにどんな方法があるかな?たくさん描いて」という課題を提示して子どもたちに取り組ませます。参観していた私にも、何をすればよいのかわかりません。子どもたちは、このような発問に慣れていて理解できるのかもしれないと思いましたが、やはりすぐに手がつかない子どもがたくさんいました。子どもは友だちに聞いたり、まわりを見たりして確認しています。しかし、授業者は子どもをちゃんと見ていないので、発問がよくなかったことに気づきません。T2も個別の子どもに対応するだけで何もアクションを起こしません。いったん作業を止めて、具体的にやって見せる必要があったでしょう。また、なぜこんなことをするのか理由もわからないまま作業をさせても子どもたちの学びにつながりません。
子どもたちに発表させますが、平行四辺形の描き方の説明を子どもたちはなかなか理解できません。手順はわかっても、それでなぜ平行四辺形になるのかは説明がありません。子どもたちの頭の中がモヤモヤしているのがわかります。ほんとどの子どもは参加できず、一部の子どもと授業者だけで進んでいきます。
子どもの発想にはとても面白いものがあります。円を描き、2本の直径を引き円周との交点を結ぶ子どもがいます。長方形になりますが、これも立派な平行四辺形です。これを見て同心円を使って平行四辺形をつくった子どもがいました。前の考えを発展させています。どのように考えたのかを共有したいのですが、取り上げられることはありません。結局、ほとんどの子どもは結果を写して終わっていました。達成感のない授業です。子どもたちの持つよさを教師が引き出せていないことが残念で仕方ありませんでした。

1年生の美術は色々な技法を使った作品作りの下絵を描く場面でした。授業者は講師で来年度小学校に採用が決まっています。
他の学級の作品を示しながら、下絵のスケッチを描けたら先生に見せるように指示します。OKがでたら、紙をもらって下絵を描き、色塗りするようです。しかし、何をチェックされるのか具体的に明らかにはなっていません。子どもたちは目標や評価基準がわからないまま作業をしています。集中度が低いことが気になりました。隣とおしゃべりしながら挙手をして教師を呼ぶ子どもがいます。考えているわけでもないのに手が動いていない子どもがいます。スケッチが描けているのに教師を呼ばない子どもがいます。教師からアドバイスをもらったのに、しばらく遊んでいる子どももいます。しかし、ずっと何もしない、遊んでいるわけではないのです。これは一体どういうことでしょうか?
授業者は机間指導しながら、挙手をした子どものところへ行ってアドバイスをしたり、次のステップへの指示をしたりしていますが、教室全体をほとんど見ていません。挙手する子どもに気づかず何分もそのままです。「しゃべっていると間に合わないよ」という注意が途中でありました。どうやらここにこの状態を理解する鍵がありそうです。
作品作りの明確な目標や評価基準、どうすればそれが達成できるかといった手段という要素がこの授業には欠けているのです。その代りに、期限までに仕上げるという時間の目標だけが設定されているのです。だから子どもたちは、よりよい作品に仕上げるために時間を使うのではなく、期限に間に合わせることだけを考え、余った時間を遊んでいるのです。これがこの教室のだれた雰囲気の正体のようです。
授業者にはこのことを伝えましたが、それよりも4月からの小学校での学級経営が心配です。この中学校だからこの程度で済んでいますが、一人で学級のほとんどの授業を受け持つ小学校では、学級経営が立ち行かない可能性があります。小学校の学級経営に関して必要な人間関係や授業規律のつくり方についてできるだけ具体的に伝えました。少しでも役立ててくれることを願っています。

この学校で、子どもたちのよさを活かしきれていない授業が多いことが気になります。以前と比べて、学級担任や授業者によって学級の状態の揺れ幅が少しずつ大きくなっているように感じることも問題です。こういった課題に管理職や教務主任は気づいています。とはいえ、有効な手立てを考えることがなかなか難しいことも事実です。先生方が授業について互いに学び合う雰囲気をつくることからもう一度やり直す必要があるのかもしれません。次回訪問時、来年度に向けて教務主任とじっくりと相談したいと思います。
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