子どもたちと教師の関係がよいからこその課題

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、今年度2回目の訪問でした。4人の先生に授業アドバイスを行いました。

2年生の授業は生活科で、子ども郵便局の仕事を振り返り、レベルアップの作戦を考える場面でした。
子どもと先生の関係のよさが目を引きます。子どもの表情がとてもよく、先生をしっかりと見ていました。子ども郵便局でどんな仕事があったか子どもたちに問いかけます。子どもの発表に対して、その仕事をしている場面の写真を黒板に貼ります。子どもたちは自分たちが写っているのでテンションが上がりますが、授業者が子どもたちの注意を引くとすぐに落ち着きます。しっかりとコントロールできています。ここで注意してほしいことがあります。写真をあらかじめ準備しているということは、教師が答を予定しているということです。子どもたちが先生の求める答探しをする可能性があります。「みんなから出てくるものを予想して準備したよ。先生の予想が当たるかな?」と予想する立場を逆に教師にするといった工夫が必要になります。授業者は子どもの発言をしっかりと受け止めますが、すべて自分で受け止めます。「同じ意見の人?」などと、子ども同士をつなぐことを意識してほしいと思います。

この日の課題は、「ゆうびんきょくレベルアップ作戦会議をしよう」です。レベルアップと言う時に、指を頭の横に鬼の角のように出して上下に動かします。この日は節分が近いこともあり、子どもたちが「鬼だ!」と反応します。子どもの気持ちを引き付けるのがとても上手ですが、このノリに一部の子どもがついていけていません。こういった子どもに注意を払うことも忘れないでほしいと思います。
この課題は、会議をすることが目標になっています。授業者はどんな「いいことあった?」「困ったことあった?」問いかけますが、このこととレベルアップの関係ははっきりしません。子どもたちは単に、「いいこと」「困ったこと」を言えばいいと思ってしまいました。レベルアップ作戦会議をして「改善点を見つける」といった課題にして、どうすればレベルアップするのかを考えることを目標にし、そのためにまず「いいこと」「困ったこと」を書き出そうとゴールへの道筋を意識させるとよかったと思います。

活動の目標は、1つの仕事に1枚はカードを書こうです。最初の場面で発表させた仕事を意識しているのですが、黒板に残っているのは写真だけです。その写真が何の場面かは書かれていません。写真を見ている子どもはいませんでした。これまでの活動で毎回子どもたちが書いた日記を手元に置いて考えさせます。考えるための手がかかりを持たせるのはよいことです。この日記にはたくさんのアンダーラインと花丸がついていました。これを見るだけで、子どもたちはやる気が出てくることでしょう。しかし、どのようにして使うのかは具体的に示していません。鉛筆を持ったものの手が動かない子どもの姿が目につきます。
授業者は、机間指導で個別に日記のここのことを書こうといった指示に追われています。個に深くかかわりすぎて、全体が見えなくなっていました。質問しようと手を挙げている子どもに気がつきません。なかなか先生が気づいてくれないのでその子どもは手をおろしてしまいました。仕事と日記をどうつなげて書くとよいのかを全体で共有してから活動に入るべきでした。
何枚か書いて、手が止まっている子どもがいます。仕事がどれだけあったかが明確になっていないので、1つの仕事に1枚という目標が曖昧になっていたのです。

全体での発表では、子どもは先生に聞いてもらおうとします。子ども同士をつなぐことが少ないからです。子どもが「来てくれない人がいる」と困ったことを発表すると「来てほしいんだね」と教師が足してしまいます。こういったところを子どもに言わせるようにしてほしいと思います。子どもの発言の一部分だけを取り上げることもありました。教師にとって都合のいいところだけを選んでいるのです。呼び込みの仕事に関する意見が出た時に、このことについて書いた子どもを立たせてつなぎました。よい対応です。しかし、聞いている子どもとつなぐことがありません。また、発言の評価がないことも気になります。困ったことだけでなく、こうしたらいいという改善についても意見を言う子どももいます。「困ったことだけでなく、どうしたらいいかも言ってくれたね。レベルアップにつながるね」というように、この日のねらいとつなげて評価するのです。レベルアップのためには「よいところを増やす」「困ったことを減らす」という視点があることを子どもたちに意識させたいところです。

同じような意見のカードを黒板に貼りに行かせます。子ども同士をつないでいるのですが、小さすぎて内容は見えません。せっかく書いたことが評価されないのが残念です。発表した子ども以外は、カードを書いたことに対して達成感を味わうことができません。同じようなことを書いてなければ貼ることもできません。次第に集中力を失くす子どもが目立ってきました。また、カードを貼る時に、「これ貼っていい?」と先生に聞きに来る子どもが何人もいます。出番がなく先生とかかわりたいのでしょう、明らかに関係ないと思われるものまで聞きに来ます。
発言内容の適否の判断は常に授業者です。結論は、授業者と発言者のやり取りだけで導かれます。他の子どもの出番はありません。聞いている子どもの集中力はどうしても下がっていくのです。「○○さんの意見、なるほどと思った人?」というように、聞いている子どもたちに判断を求めることも必要です。

これまでと違う仕事についての意見を求めると、異常にテンションが上がりました。今までの仕事に関しては発言することがなくなって集中力が落ちていたのが、別の仕事になって発言のチャンスが巡ってきたからです。発言したい、先生に認められたいという気持ちがとても強いのです。このこと自体は決して悪いことではないのですが、テンションの高さは気になります。理由の一つに、授業者の物わかりがよすぎることが挙げられます。「言葉が足りなくても、先生が補足してくれる」「考えを整理できなくても、こういうことだねとまとめてくれる」「発表すれば受容して正解にしてくれる」ので、ちょっと言葉は悪いですが無責任に発言をするのです。子どもの発言に対して、授業者が補足や説明をその何倍もしています。子どもの足りない言葉に対して、「それってどういうこと?」、「○○さんにもう少し聞きたいことある?」というように切り返すことも必要です。こういったことが、発言内容に責任を持たせ、子どもの言葉で授業をつくることにつながっていくのです。

結局、どうすればレベルアップするかについては整理されないままこの時間は終わってしまいました。カードを書かせることよりも、それをもとにグループで「いいこと」「困ったこと」を出し合い、「よいことを増やす」「困ったことを減らす」という視点を与えて、レベルアップ作戦としてまとめるといった活動に時間をかけた方がよかったように思います。グループ活動がカードを書いたことの評価場面にもなります。

授業者と子どもの関係がよいからこそ、子ども同士のかかわり合いをどう増やすかを考える必要があります。子どもたちが意欲的だからこそ、活動の目標や評価を明確にして、そこにたどり着くための手段を子どもたちに与えることが必要です。授業の基本ができてきているからこそ、次のレベルに挑戦してほしいと思います。

この続きは、明日の日記で。
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