子どもが挙手しない理由を考える

昨日の日記の続きです。

6年生の授業は図画工作でした。前時までにつくったスチレンボードの版を使って足踏み印刷をする場面でした。版の配置を変えて何回も印刷することで、作品を構成します。
授業者は作品例を一つ上げて、気づいたことを何でもいいから言うようにと問いかけます。子どもの手はなかなか挙がりません。「気づいたこと」では何を答えていいのかわからないのです。こういった場面では、幾何学的な配置をしたもの、動きを意識したもの、はみ出させたもの、インクの濃淡を利用したものなど、子どもたちに使わせたい技法や工夫がみられる作品をいくつか用意して違いを問うと、多くのことに気づかせることができます。こうすることで、創作のイメージが広がりますし、作業中に「はみ出てもいいの」といった質問が出たりすることもなくなります。
黒板には印刷の手順が貼りだされていますが、言葉での説明です。言葉だけで説明してもわかりにくいので、実際に見せることが必要になります。最初、教卓でやってみせたのですが手元はどうしても見にくくなります。足で踏んで印刷する時になって、見にくければ前の方に移動してもよいと指示をしました。最初から前に出させるか、ビデオカメラで写して見せるといった工夫が必要でしょう。
印刷の手順の説明の後に、構図を考えさせました。これでは指導と活動がずれてしまいます。作品例を見た後に構図を考えさせ、印刷の手順の説明の後すぐに作業をさせるべきでしょう。
足踏み印刷は床の上で行うので、インクで床を汚さないようにと注意をしますが、具体的にどのようなことに気をつければいいのか、子どもたちに考えさせて共有するか教師が指示をする必要があります。子どもたちは椅子を出しっぱなしにするので、机と離れた位置に新聞紙を敷きます。インクは机の上でつけるので移動距離が長くなり、落として汚す可能性が高くなります。授業者は作業の途中で、じゃまだから椅子をしまうように指示しました。しかし、新聞紙を敷く場所までは、指示しませんでした。大した問題ではないように思えますが、理科の実験などでは危険を伴うものもあります。具体的な指示をどこまでするかは別として、常に細かいところまで意識することが大切です。
作業が始まってすぐに個別に指導を始めましたが、まずは全体の様子を見てスムーズに動けているか確認をする必要があります。指示や指導の流れ、教師の動きをきちんと考えて授業を構成することをお願いしました。

4年生の道徳は、みんなで協力することをテーマにしたものでした。なわとび大会で上手く跳べない子どもがいるときにどうしようか考える場面でした。
授業者は笑顔を絶やさずに子どもたちの考えを受容しようとしています。落ち着きがなく友だちの話を集中して聞くことができない子どもには、目線や手で発言者の方を向くように指示します。
子どもの意見は、どうすればみんなで上手く跳べるようになるかという発想がほとんどでした。言い換えれば、どうすれば勝てるかです。実際の行事で考えれば、勝てる学級は1つだけです。勝利とは別の価値を意識させることが大切です。ここでは、上手く跳べない子どもの気持ち、まわりの子どもの気持ちを想像させることを軸にするとよいでしょう。最終的に、どの子どもにとってもよかった、楽しかったと思えるようにするには何が大切かを考えさせるのです。
最後に自分の体験を振り返らせました。鉛筆を持って書こうとする意欲を見せるのですがなかなか手が動かない子どもが目につきました。話題によっては同じような体験を持っていない子どももいます。また、この授業であれば行事等で協力した経験を書けばいいのか、上手くやれない子どもがいてその問題を解決した経験を書けばよいのかわからなかったのかもしれません。同じような体験を振り返りで書くよりは、最初に「上手くできなくて困ったことない?」と体験を問いかけて、「その時どんなこと思った?」「どんな気持ちだった?」と聞くことで資料を自分に引き寄せて考えられるようにした方が有効なように思います。
道徳は子どもによい変化を求めることが大切です。最後の振り返りは、この日の授業を受けて考えたことや考えが変わったこと、過去の経験ではなくこれからどうしたいか、どうしようと思うかについて書かせるとよいと思います。

指定研究授業は6年生の国語でした。「言葉は動く」という説明文をもとに、世代によって異なる言葉を分類する場面でした。
授業者は、緊張気味で、子どもたちもやや硬くなっていたようでした。前時の復習で、時代や世代によって異なる言葉の分類を確認しましたが、手がなかなか挙がりません。挙手した子どもが指名されて答えると、「賛成です」と声が上がります。ノートを見ればわかるのに見ようとしなかったのは、わかっていたからでしょうか?わかっていたけれど手を挙げなかったのでしょうか?どうも子どもたちは、挙手して発言することに価値を見いだしていないように感じます。復習の場面では、すぐに教科書やノートを確認する子どもを評価することが必要です。それをしないということは、わかっているか参加する気持ちがないということです。挙手に頼らず指名することも必要になってきます。指名して答えられなかったら、教科書やノートを見るようにうながし、きちんと答えさせるのです。
「乳母車」と「ベビーカー」を例にして、この日の作業を説明します。授業者は、筆者の3つの分類「暮らしの変化」「生活には関係なく変化」「心の持ち方を表わす言葉」のうち、「暮らしの変化」によるものと説明しますが、なるほどと納得できるような説明になっていません。大人の私たちでも説明が難しいと思います。これは国語の授業ですから、自分たちの考えで分類することはあまり意味がありません。筆者の考え方に従って分類する必要があります。そこがよりどころです。この作業に入る前に筆者の分類の方法をより具体的に確認する必要があったのです。
子どもたちがあらかじめ調べてきたものをグループで発表して、その中で各自が面白いと思ったものについて分類し、その理由を書くというのがこの日の課題です。インターネットを使ってたくさん見つけてきた子どももいますし、家族に聞いてきた子どももいます。全く準備できていない子どももいます。手持ちの材料があまりに違うのも問題です。集めてくること自体は国語としてはあまり意味がありません。社会科であればまた違いますが、そうであれば集め方を共有する必要があります。国語ですので、子どもたちが集めたものは材料として全体で共有した方がよいように思います。ここで、「面白い」というのが曲者です。辞書で調べたくらいでは、それがどの分類になるか明確な根拠を見つけることが難しいものがたくさんあります。子どもたちは、考える材料がないので相談することもできず、辞書を調べたりしますが明確な根拠をみつけることができません。「本気」と「まじ」などを選んだ子どもなどは、分類してもその根拠を上手く説明することができませんでした。あらかじめ筆者の考えに従って分類しやすいものをいくつか用意して、その中から選ばせるとよかったでしょう。同じ言葉を選ぶ子どもが出てきますので、考えをつなぎながら深めることができます。

全体では、この授業を例にしながら、子どもたちがわかっているのに挙手をしないことについてと教材研究の大切さについて話をしました。
挙手をしない理由は大きく分けて、「自信がない」「挙手をして発言する価値がない」の2つがあります。自信を持たせるだけでなく、間違えても恥ずかしくない、発言することに価値を持たせることが必要です(子どもに自信を持たせる!?参照)。わかっているのに発言しない子どもたちは、「もし間違えれば恥をかく」「正解しても特にいいことはない」ので、リスクばかり高くて得られることが少ないと思っているのです。

学校として授業規律が確立してくれば、今度は授業の質が問われます。教材研究がより求められるようになります。また、挙手が少ないということから、その裏にある課題も見えてきます。この学校であれば、こういった課題に学校全体で取り組むことができるのではないかと思います。今後の変化が楽しみです。
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