多くのことに気づけた授業参観(その1)

先日、小学校で授業研究と若手6人の授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

1年生の算数の授業は、引き算の学習でした。
授業者は子どもをよく見て授業を進めています。指示も「待ってあげよう」と全員がそろうまでちゃんと待って徹底を図っています。
この日の授業は、数の「違い」の学習の最初の時間です。この時間ではどれだけ多いかを考え、次の時間で2数の「差」を「違い」として認識します。授業者はこの時間のめあてを、違いを考えることにしました。2枚の絵を順番に見せて、2種類のカエルの数の違いに気づかせて進めます。気づいたことを言わせるのですが、めあての「違い」という言葉に引きずられて、絵の違いについての発言が続きます。「数の違い(差)」という算数の用語が定義されていないので、子どもたちは日常の言葉としての「違い」に意識がいってしまったのです。教科書は、どれだけ多いということを押さえてから、数の違いを定義していきます。算数では日常の言葉と同じ言葉を用語として使います。そのおかげで概念がわかりやすいこともあるのですが、かえって混乱することもあります。このことに十分注意して、用語の定義をしていかなければいけません。この時間のめあてはあくまでも、どれだけ多いか考えることにするべきだったと思います。
授業者は、ていねいに子どもの言葉を聞きながら授業を進めますが、その言葉を他の子どもにつなぎません。そのため、その間どうしても子どもが集中力を失くしてテンポが悪くなります。子どもの発言をいつも授業者が受けるのではなく、「今の意見どう?」と他の子どもにつなぐこともすると、子どもの集中力が切れずにテンポがよくなっていくと思います。
子どもをほめることもできています。算数的なよさを具体的に評価してほめることを意識することで、子どもたちの学習意欲がより高まると思います。

6年生の保健の授業は生活習慣を考えさせるものでした。
明るい表情で楽しく授業を進めています。糖分の取りすぎを考えさせるために、ペットボトル飲料やお菓子の糖分についてクイズ形式でたずねていきます。これは知識ですので、あまり考える時間を取っても意味はありません。無責任に参加できますからテンションも上がります。興味を持たせることができれば、何問もやる必要はありません。テンポよく進めて、必要な情報を整理して与え、その知識をもとに考えさせることにもっと時間を使うとよいでしょう。生活習慣に関して、子どもたちにどのようなことに気をつけるかを考えさせましたが、このクイズに関連した食生活に関することはあまり出ませんでした。クイズで盛り上がることとその内容が知識として定着して活用されるかはまた別のようでした。
授業者は子どもを見ることをあまり強く意識していないようでした。机間指導もなんとなく回っているだけで、何を見ようとしているのかがよくわかりませんでした。子どもたちの発言中も他の子どもを見ることはしません。一問一答形式です。どの子どもにつなごうかという意識がないからでしょう。そのため、発言する子どもだけで授業が進んでいきます。子どもたちへの接し方など、とてもよいものを持っているので、少し意識を変えるだけで大きく進歩すると思います。

5年生の道徳の授業は、自由と自律について考えるものでした。
授業者の話を聞いていない子どもが目立ったことが気になります。授業者も子どもたち一人ひとりと目を合わせていません。また、子どもに問いかけて賛成か反対か反応を求める場面では、なかなか全員が参加しません。反応しない子どもがいてもそのまま進んでいくことが気になりました。
最初に1分間、5年生になってからの自分の生活を振り返らせ、横1列を順番に指名していきました。子どもたちは他の子どもの発表をあまり真剣に聞いていません。せめて「同じようなことを考えた人」と問いかけるだけでも、子どもの聞こうとする気持ちは高まったと思います。続いて、「自由と自律について考えよう」とめあてを出しますが、唐突です。最初の発問とのつながりがわかりません。めあてとつながる、必然性のある導入を考える必要があります。
自由について子どもに書かせて発表させますが、子どもたちはあまり挙手しようとはしません。書いているのに発表しようとしないことはどういうことかを考える必要があります。道徳では正解不正解はないはずです。間違って恥をかく心配はありません。それなのに、挙手しないというのは発表することに価値を感じていないということです。発言を他者へとのつながりで評価することが必要になると思います。
ゲームをやっている子どもに対してお母さんが何か言っている絵を見せて、自由についてグループで話し合わせます。この種のことをグループで話し合わせ結論を出そうというのは、子どもの本音が出ないので、形だけのものになります。子どもの本音を引き出すような課題にすることが大切です。子どもたちに、「ゲームをもっとやりたいと思ったことがないか?」といった問いかけをして、「その時、どうした?」「その理由は?」といったことを共有させる。注意をしたお母さんの気持ちを考えさせて、その時注意された方はその気持ちをわかっているかといったことを聞く。こういった子どもに迫る活動をした上で、考えさせることが必要でしょう。

3年生の理科の授業は、昆虫の体のつくりの観察の授業でした。
子どもにわかったかを確認する場面で、「はーい」と答えたのは4分の1ほどでした。授業者はそのまま進めていきます。こういうことが続くと、子どもは自分が参加する必要はないと感じるようになります。全員の参加を求める姿勢が大切になります。反応しない子どもに、どこで納得できていない確認したり、返事をした子どもに説明させたりすることが求められます。
ケースに入れたショウリョウバッタをグループに一匹ずつ与えて、観察をさせます。頭、胴、足に分かれているか、翅は何枚かといったことが視点になります。頭と胴はどう区別するのかといった定義にあたる部分が明確になっていません。そのため子どもたちは何となく観察しています。グループでかかわるべき課題が明確にあるわけではありませんから、自分の観察が終わった子どもたちは集中力を失くしていきます。結果を図で確認しますが、せっかく実物を準備しているのですから、実物を元に説明したいところです。ここで活躍するのが実物投影装置です。ショウリョウバッタを写して、適当な画面を記録し拡大したもので、具体的にどこが頭でどこが胴か、足はどこから出ているなどを確認するのです。こうすることで、なんとなく観察の結果を知識として覚えるものだと思っている子どもも、どこが頭で、どこが胴か自分の目で理解、確認しようとするはずです。実物を準備したのですから、最後まで実物にこだわりたかったところです。
翅が2枚か、4枚かで子どもの意見が分かれました。この時期のバッタは幼体なので、翅が完全には発達していません。授業者は、結論を避けました。観察を重視すれば2枚という結論になるかもしれません。ここで、4枚という子どもに根拠を言わせればよかったと思います。本当に見えているのか、知識として知っていっているのかを明確にすることで、対応を変えればいいのです。本当に見えているのであれば、それを元に4枚という結論を導くことができます。知識として知っているのであれば、成虫の写真かビデオを見せて確認すればいいのです。こうすることで昆虫の不完全変態について知識を得ることもでき、学びが深まったのではないかと思います。
うしろ脚について、地面をける、跳ねるといった言葉が出てきました。それで、教師が結論づけてしまうと気づかなかった子どもはそのことを覚えるしかありません。気づけなかった子どもが気づける場面をつくることが大切です。これも、実際に実物投影機で見せるか、その場でビデオを撮ってスローモーションで見せるといったことをしたいところです。子どもたちに観察した結果を教えるのではなく、観察の仕方、視点を身につけさせることを大切にしたいところです。

先生方は、今回の授業アドバイスにあたっていろいろと工夫をした授業に挑戦してくれていました。そのおかげで私もたくさんのことに気づけました。
残り2人の授業と授業研究については明日の日記で。
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