「いいです」は慎重に使う!?

授業中に聞いていて、違和感がある言葉あります。「いいです」という言葉です。子どもの答が正解の時に教師が発する「いいです」。子どもの答に対する教師の「どうですか?」という問いかけに対して子どもたちが発する「いいです」。共に、誰かが答えを知っていて、発言が正解かどうかを上から目線で判定している。そのように聞こえるからです。皆さんはどうでしょうか。

発言者の立場で考えれば、誰かに判定されるために発言している。教師の求める正解を要求されている。そう感じるのではないでしょうか。たとえ子どもたちに「どうですか?」と聞いていても、ある程度の数「いいです」と言う子どもがいれば、教師が「いいですね」と追認して先に進むことがほとんどです。そこでは教師の求める答であるかどうかが問われているのです。公開で試験を受けて、その場で判定されているように感じるのではないでしょうか。子どもが積極的に発言しなくなっていくと思います。

すべての場面での「いいです」を否定しているわけではありませんが、あまり使ってほしくない言葉です。同じ目線の高さで、判定するのではなく共感する視点で言葉を選び、授業を進めていってほしいと思います(子どもの発言を引き出すには参照)。子どもがその言葉をどう感じるかにこだわってほしいのです。「いいです」に限らず、「正解」「惜しい」といった子どもに対して上から目線の言葉や、教師の求める答かどうかを判定するような言葉を使うことに少し慎重になっていただけたらと思います。
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