送辞・答辞の指導

先週末は2つの中学校で、送辞・答辞の指導をおこなってきました。プロのアナウンサーの方に来ていただいての読み方の指導です。

最初の中学校は、もう何年もアナウンサーの方に指導をお願いしている学校です。毎年担当の先生だけでなく、国語科の先生方がたくさん参加しています。その積み重ねのおかげでしょう、私たちが指導する時点ですでにかなりのレベルに達しています。

送辞・答辞の内容は伝えたいものがはっきりしている、とてもよいものでした。ただ、心配になったのは、答辞の内容が昨年の東日本大震災のことから始まっており、本来一番伝えたい自分たちの3年間と同じくらいの思いがあふれている事でした。下手をすれば竜頭蛇尾になってしまいます。どうなるかと思いながら聞きました。思いを込めて読んでいきます。特に思い入れのある単語を強調して読むのですが、思いが多すぎて全文同じように力が入った読みになってしまい、聞いている方は疲れてしまいます。
本当に伝えたいところを確認した上で、最初の東日本大震災に関するくだりは、できるだけ感情を押さえて読むように話しました。東日本大震災については、だれしもが感じることがあります。あえて強く訴えなくても、淡々と読むことで一人ひとりの心に中に思いが生まれてくるはずです。こんなことも説明しました。
単語を強く読む以外にも、少し読む速さに変化をつける、文全体を強く読むなどの工夫をするとよいことも伝えました。
どのくらい、変わるかアドバイスをした私たちも半信半疑でしたが、もう全く別物と言ってよいほど素晴らしいものに変わりました。感情を押さえた読み方は、かえって聞く者の胸に響きます。微妙に速さや間を調節し、強く読まなくても強調したいことがよくわかります。男の子らしい、骨太の答辞になりました。

最初は緊張していたのか、送辞の女子は滑舌がよくなく聞きとりにくいところもありました。アナウンサーの方が口の開き方を丁寧に指導します。表情が硬いことも気になったので、笑顔を意識するように話しました。2回目は少しリラックスしたこともあり、本人の人柄が感じられるような読み方に変わってきました。

3回目は、体育館に移動してマイクを使っての練習です。答辞は、押さえた中に強い思いがこもる素晴らしいもので、BGMがじゃまになるくらいでした。
送辞は、原稿を手前に持っていたため、視線を移動すると口の位置が変わってしまい、声が急に大きくなったり、小さくなったりしました。原稿の持ち方を指導することで、とても聞きやすいものに変わりました。
2人ともたった3回の練習で見違えるほどの進歩を見せてくれました。それまでに基本となることをしっかりと押さえていたからでしょう。また、答辞の担当の先生は、読み方で気になることがあっても、私たちの指導があるので、あえて何も言わずにいたということです。複数の人間の指導で混乱しないようにという配慮です。このおかげで、私たちの指導を素直に受け止められたことが、わずかな時間で進歩した理由だと思います。子どもたちのもつポテンシャルの高さと先生方の日ごろの指導が、素晴らしい送辞・答辞につながったのだと思います。

2つ目の学校は、このような形での指導は初めてでした。1つ目の学校と違って、個人的なエピソードが内容の多くを占めています。情緒的な文章だと言ってもよいでしょう。このような文章では読み方が難しくなります。どうしても、個人的なエピソードに感情が入ってしまい、本当に伝えるべきメッセージが弱くなってしまうのです。
また、体言止めが多いことも気になりました。詩などではよく使う技法ですが、読むのはとても難しくなります。特に強調したいところでもないのに使うと、意味なく強調されてしまうので、読みにくいのです。とはいえ、文章をいじっている時間はありません。まずは読みながら対応を考えることにしました。

送辞の男子は、ゆっくり読むことに意識がいってしまい、抑揚のないものになっていました。まずは、自分のふだんの姿をだすように、いつものように読むことを指導しました。2回目はリズムや間が出てきて、とてめ聞きやすいものになりました。問題は伝えたいところはどこかです。一つひとつのエピソードの中で本来言いたいことと直接関係ない説明的な文が入っているため、スーと盛り上げていきたいのに、余計なところで回り道をすることになり、うまくテンションが続きません。しりすぼみになってしまいます。思い切って余分なところをカットすることをお願いしました。

答辞の女子は、感情をこめて読むのですが、感情ばかりが表に出てきて、代表として伝えるべきメッセージがはっきりしません。うまく読もうとして、本来の彼女の姿が見えません。普通に話しているときと声の感じも違います。運動部で元気に声を出している彼女とは別人が読み上げているのです。「泣きそうな」といった言葉に引きずられ、前へ進んでいくというメッセージより過去を懐かしんでいるという感傷的なものに聞こえてしまうのです。感情を込めるのではなく、伝えたいことを伝えるということを意識して読むように指導しました。

体育館でマイクを使っての練習では、ずいぶんよくなってきました。
送辞は、文をカットしてもらったこともあり、かなり自然に伝えたい文を強調できるようになってきました。ずいぶん進歩しました。
答辞は、マイクとの位置を調節して、大きな声で読むようにしたところずいぶん力強いものに変わってきました。アナウンサーの方に姿勢や原稿の持ち方も指導していただいた結果、よそいきの読み方ではなく、本来の彼女のよさが伝わるものに変わってきました。このことを意識して練習をすればきっと素晴らしいものになると思いました。

ある意味対称的な2つの学校の答辞・送辞でした。今回はそれぞれの学校で指導をしましたが、来年は合同でおこなうことになりそうです。子どもも教師も互いに見合うことでより多くのことを学び合えるからです。

アナウンサーの方はプロですから、上手な読み方の見本を見せることはたやすいことです。でも、彼女は決してそのようなことはしません。大切なことは、一人ひとりの個性、よさを出すことだからです。そのためのアドバイスに徹しているのです。彼女の指導のおかげで、毎年、その子だからこそできる答辞・送辞になっています。今年も4人が誰とも似ていない自分のものを見せてくれるようになりました。育てるということはどういうことかを、また教えていただきました。
子どもたち、先生方、アナウンサーの方、皆さんから多くのことを学ぶことができた1日でした。ありがとうございます。
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