授業名人を前に力不足を感じる(愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京 午後の部)(長文)

大盛況に終わった「愛される学校づくりフォーラム2012 in 東京」ですが、午後の部は私にとって伝えるべきことをきちんと伝えられたか自信の持てない状態です。授業名人のメッセージが強すぎて、それをちゃんと受け止めきれていなかった、それに対してICTのよさをちゃんと伝えられなかったと感じているからです。

午後の部は、「若手がICTを活用して名人に挑戦」という企画を中心としたものです。堀田龍也先生のアイデアをきっかけとして、1年間かけて3つの地区で取り組みました。そこであらためてわかったことは、授業名人の授業をつくり上げている大きな要素は子どもたちとのやり取りの技術であるということです。たとえ同じ指導案で実践しても、子どもの反応をどう引き出すか、どう受けるかといった力がなければあの授業は再現できないのです。この事実を前にした時、授業づくりの多くの時間は、ICTをどう活用するという部分より、子どもたちを活かす授業の進め方、技術を身につけてもらうことにシフトしていったのです。

では、ICTは何だったのでしょうか。

算数では、子どもたちが作った三角形と同じものを写真に撮って、仲間分けの整理をする場面で活用しました。全体追究で、よりスムーズにわかりやすく考えを整理するための道具でした。算数の授業名人志水廣先生からの指摘の一つに、「紙でもできるのでは」ということがありました。名人の授業の追試ですから、もともと紙でやっていたものです。その部分をICTに置き換えることで変わるものは何かを明確にできませんでした。このソフトのよさを志水先生は認めてくださいました。が、コメントの多くは授業における子どもとのやり取りにかかわるものでした。非常に単純なソフトでしたが、回転させるといった簡単な機能を使うにしても、立ち止まって子どもに問いかけることが必要だとの指摘もありました。逆に言えば、こういうソフトの使い方を意識すれば、授業における大切なポイントが意識されると言ってもいいと思います。「ICTそのものではなく、その活用の仕方を意識することで、名人の授業に近づける」ことを最後のパネルディスカッションで整理してぶつけるべきでした。

社会科では、コンビニのようすを店員の目線で360°撮影した画像を使って、子どもたちの興味を引き付けるものを利用しました。社会科の授業名人有田和正先生の「バスの運転手はどこを見ているか」の授業に対して、この学級の子どもたちはバスを使わないので「コンビニの店員はどこを見ているか」と置き換えた授業です。子どもたちにコンビニのことを質問し興味を持たせ、そこからコンビニの店員がどこを見ているか、視点を働く人に変える場面での利用です。映像を見ながら、落ちている商品に気づいた子どもは、商品の整理に気づきます。棚に隙間があれば商品の補充に気づきます。子どもたちの視点を広げるために利用しました。授業はそこから、みんなの言ったことは本当だろうか、どうすれば本当のことがわかるだろうか、という流れで、調べる、コンビニに聞きに行くといったところへつなげていきました。
社会科のコーディネーターであった私は、有田先生が目指した子どもの姿と今回の子どもの姿は同じだったのかをたずねました。先生の答えは「似ているようで違う。違うようで似ている」という答えでした。知りたい、追究したいという点では同じだが、なぜだろう、とじっくり立ち止まって考え、子どもたちが「?」を持つ姿がなかったということだと思います。それを踏まえて、資料は見せすぎてはいけない、何枚もあってもただ見て終わってしまう。1枚か2枚でじっくり考えさせるべきである。コンビニであれば、マグネットと呼ばれる4隅の商品、カレンダーと呼ばれる棚の横に掛けてある商品が子どもの視点を変え、「?」を持たせるポイントであると、有田ワールド全開でした。有田先生の教材研究、教科知識は半端でありません。その点では若手だけではなくベテランでも歯が立ちません。そこをICTはカバーできるわけはないのです。野中信行先生ではありませんが、「ごちそう授業」ではなく、「味噌汁ご飯」にもう1品つけたレベルで授業名人に近づけないかということを目指していたのです。今回の授業であれば、単に調べに行こうでは子どもたちはただ見るだけで終わってしまう可能性があります。事前にこのソフトを使って自分たちの仮説を持ち、それをもとに実際に自分の目と耳で確かめる。その集めた情報から、なぜ、どうしてと考えていく。有田先生の大切にしている「?」をあとにまわしたのです。そのために、あえてコンビニ全体のようすをソフトにすることで、子どもたちの視野を広げようとしたのです。
壇上では、中立であろうとして私がこのことを説明せずに、授業者とアドバイザーの先生に無責任にふってしまいました。が、なかなかうまく説明しきれませんでした。いや、中立であろうとしては言い訳ですね。有田先生の強烈なメッセージに、真っ向からぶつかることを避けたのです。授業者とアドバイザーの先生に申し訳がありません。

また、あるブログで、子どもたちが挙手もせずに勝手に発言してテンションを上げている。授業規律のない授業とのコメントがありました。この授業では、あえて挙手させずにとにかく自由に言わせることでたくさんの意見を出させる。そうすることで、子どもの視点を広げることねらっていました。「今日は挙手しなくていい」とう授業者の言葉を編集で残し、あれだけテンションが上がっていた子どもが、授業者の言葉ですぐに静かになって集中する場面を見せたのですが、伝わっていなかったようです。やはり、授業の場面の解説を入れるべきだったのか。私の準備不足、力不足を感じました。

国語では、子どもたちが知らない鵜という鳥を見せる。学習用語の定着を過去に学習した教材を見せてその学習場面を想起することを図るという使い方でした。
授業は有名な「うとてとこと」の追試です。詩の音読にスポットを当て、昇調・降調、強弱などの学習用語とリンクした授業を目指しました。鵜を見せるなら写真でもいいのですが、大きく映せるメリットがICTにはあります。この点に関しては、写真だけではなく、鵜がどういう鳥か、大きい、獰猛であるといったことも大切であると国語の授業名人野口芳宏先生は指摘します。何をどれだけ示すかは大切なことです。この授業で扱っている詩は、言葉の遊びなので、鵜という鳥がいることを知れば十分ということで、簡単に扱いました。説明文であればまた扱いは違ったでしょう。このあたりのことをきちんと会場と共有するのは難しいことです。
学習用語の説明で、学習した時の本文を提示することは評価していただけましたが、逆にICTとして評価できるのはそれだけというコメントでした。これをポジティブと捉えるかネガティブと捉えるかは難しいところです。今までの学習を蓄積して、必要な時に利用するという発想は紙ベースよりもはるかにICTが向いています。その可能性を伝えきれたかどうか、提案授業に深くかかわった者としては悩ましいところです。

最後の授業名人とのパネルディスカッションは、堀田先生の見事な取り回しで進みました。授業名人のコメントを受けてICTの道具としてのよさを活かすための発想・視点を整理したつもりでしたが、名人の発言とうまくかみ合っていたか自信がもてません。3人とも、自分の授業観・世界観がはっきりあり、そこはICTが関わろうが関わるまいが揺るぎません。私のように、学校の目指す姿を実現するという視点に立って、その姿によってコメントが変わる者とは違います。だからこそ名人なのです。会場の方々にICTの持つよさ、可能性を伝えることができたかどうか自分としては心もとない状態です。

フォーラム終了後の懇親会では、今回の授業者がそれぞれ名人から直接指導を受けている姿が見られました。名人のファンが見たらうらやむような話です。彼らは、直接指導を受けたことをとても喜んでくれました。私ができなかったフォローは授業名人にやっていただけました。私自身まだ整理できないほどたくさんのことを学んだ1日でした。授業名人に近づくための道具の一つとしてICTは有効ではあると思いますが、授業の本質はICTにあるのではなく、その活用にあることをあらためて教えられた気がします。
「よかった」「おもしろかった」「勉強になった」との声をいただけたことを糧として、自分の足りないところを自覚して、前へ向かっていきたいと思います。
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