私立高等学校での公開授業(その2)

私立の中学校高等学校の授業公開週間の第4日目です。この日も高等学校を中心に授業を参観しました。

若手の先生の2年生の英語の授業は、授業規律を含め全体的に緩い授業でした。作業中に一部の子どもがすぐに友だちと話を始めますが、授業内容にかかわることよりも雑談が中心のようです。この子どもたちのテンションが高いのですが、授業者は特に注意をしません。次の作業を指示するまでその状態が続きました。
次の指示は口頭で一方的に説明され、途中で立ち止まって整理したり、板書したりしないので子どもたちの意識に残らず流れてしまいます。これでは徹底されません。先ほどのテンションの高い子どもたちが指示に反応するので、授業者はその子たち向けて説明してしまいます。他の子どもたちも授業に参加する意欲はあるのに、授業者は目を向けてくれません。よく我慢しているなと思いました。このような状態が続くと授業者に対する子どもたちの信頼がなくなってしまいます。今のところ子どもたちのよさに救われていますが、授業規律を意識しないとこの先授業が成り立たなくなってしまう危険性があります。

もう一つの2年生の英語の授業では、授業者が本文を読みながら順に指名して、指示したフレーズを日本語に訳させていました。この時気になったのが、授業者が手元のiPadを見ていて、子どもを見ていないことでした。当然指名された子どもも、顔を上げて授業者を見ようとしません。手元にiPadがあっても昭和の授業です。
日本語と英語が関連づけられたチェックシートを使ってペアで活動をします。一方が日本語言うと他方が英語に直すというものですが、ほとんどの子どもはチェックシートを見て答えています。この活動をペアでする意味は何なのでしょうか。フラッシュカードでの全体練習との違いがあまり見えません。
授業全体が、日本語と英語を対応付けて覚えることが中心でした。自分の言葉で英語を話す活動をしないと使えるようにはなりません。覚えるだけの英語から脱却してほしいと思います。

2年生の古典の授業は唐の時代の有名な人物や出来事を調べる場面でした。子どもたちが期待通りの答にたどり着くか不安なのでしょうか、授業者は作業中にずっとヒントになりそうなことをしゃべり続けます。結果、子どもたちの集中力を乱しています。しつこく言われるので、子どもたちは先生の求める答を探そうとするようになってしまいます。どうしてもヒントを伝えたいのであれば、事前に整理しておいたものを必要なタイミングでiPadに配布すればよいと思います。
調べる活動は何を目的としているのかを明確にしておく必要があります。単に、授業者が古典で重要な人物や背景となる事実を知ってほしいのであれば、教えてしまえばよいと思います。実際に子どもに調べさせた後、授業者がしっかりと説明していました。調べることに意味を持たせるのであれば、どのような人物や事件が古典として重要なのかを意識させることが必要です。その時代の詩や物語を調べて、「どのような事件が扱われ、どのような人物が登場しているのかを調べる」「その中で扱われる頻度が高いものを調べる」ことで、重要度が高いと思われるものがわかる。こういった戦略を持たせたいものです。

2年生の現代文は、随筆をもとに子どもたちに書かせた文章を返却する場面でした。作品に対するコメントの量や花丸のあるなしにはあまり意味がないということをかなりの時間を使って子どもたちに説明しますが、子どもからすれば言い訳としか聞こえません。そのことに授業の大切な時間を使う意味はありません。コメントの量に差がつくことが気になるのなら、コメントに頼らない指導方法を考えればよいのです。
子どもたちの作品に対する講評をするのですが、抽象的です。「よくまとまっている」と評価しますが、具体的にどこがどうだからまとまっているということは説明されません。これでは、子どもたちがよくまとまった文章を書こうと思っても書けるようにはなりません。できるようになるための方法を気づかせる場面が必要です。
続いて、もし自分がこの随筆の主人公ならどのような行動をとるのかを考えさせました。自由に考えて書くように指示しますが、これでは道徳です。国語であれば、本文と関連づけて考えさせる必要があります。「本文の記述から主人公はこのような考えを持っている」「それと対比して自分はどう考えるのかを具体的に述べる」といった条件を付けなければ国語力はつきません。国語でどんな力をつける必要があるのかをしっかりと考える必要があるでしょう。

2年生の現代社会は基本的人権について考える授業でした。身分制の問題をもとに授業者が平等とは何かを子どもたちに一方的に教えます。差があることの何が問題かを子どもたちにしっかりと意識させる必要があります。例えば、「努力して、勉強して、よい仕事について、しっかりと稼いだ人と勉強せずに遊んでばかりいて、貧しい生活をしている人と差があって当然でしょう?何がいけないの?」と揺さぶって、「平等とは何?」と子どもたちに考えさせたいところです。
憲法第14条(法の下の平等)を解説し、ワークシートの穴を埋めるように指示します。与えられた言葉ではなく、子どもたちが自分の言葉で「法の下の平等」とは何かを説明できるようにすることが大切です。穴埋めした言葉は借り物で、自分の言葉でありません。穴埋めしただけでは使える、活きる知識にはならないのです。
続いて、男女平等を取り扱いましたが、ここでは子どもたちに考える時間を与えます。子どもたちは身近に感じることができるのでしょう。積極的に考えようとし始めました。しかし、考えるための足掛かりになるものは授業者からは与えられていません。ネットで調べることもできますが、ここでは、子どもたちが「これはおかしい」とか「何が問題なんだろう」と疑問に思うような新聞記事などの資料を与えると考えが広がり、深まると思います。
また、子どもたちから意見が出てきても、それを受けて授業者がすぐに説明してしまいます。もっと子ども同士をつないで、子どもの言葉で授業を進めてほしいと思います。

1年生の世界史は日本が韓国を併合していく過程についての学習の場面でした。
日本からの借款について疑問に思ったことを問いかけます。グループで自分の考えを発表させると、子ども同士の関係がよいのか楽しそうに発表する子どもが目立ちます。発表が終わると拍手も聞こえます。その一方で友だちの話を聞くことにはあまり関心を持っていないようでした。聞く姿勢をきちんと指導していないようです。発表者が楽しそうなのは、聞いてもらえるからというよりは拍手で認められることの影響の方が多いように感じました。
友だちと共通の考え、意見をワークシートに書かせます。意見が一致しなかった人には自分が納得した意見を書くように指示します。そうであれば、最初からみんなの意見を聞いて自分が納得した意見を書くようすればよいでしょう。他人と同じであることに価値を見いだすことより、自分で納得できる考えを持つことの方が大切だと思います。
授業者は子どもたち自身の考えをもたせようとしているのですが、結局はワークシートの穴を埋めながら自分が用意した流れで説明します。これでは、子どもたちが自分で考える意味を感じなくなります。授業者が穴埋めの答を板書すると子どもたちは説明を聞くより写すことに専念します。せめて説明を聞いて自分の考えと比較することをさせたいところです。板書の内容はiPadに配布してしまえばよいと思います。紙のワークシートと板書にこだわる意味がよくわかりませんでした。
考えるための課題や知識を必要とする問いを意識してほしいと思います。単に歴史の事実を追っていくのではなく、「なぜそうした?できた?」、「その結果どうなる?」といったことを問いかけてほしいと思います。

1年生の英語は3人グループで活動していました。グループにしてから活動内容を指示しますが、子どもたちの顔が授業者に向きません。指示はできるだけグループにする前にしておく方がよいでしょう。
穴埋めの形式のワークシートを個人作業しますが、問題ごとに全員の穴が埋まらなければ次の問題に進めないルールです。そのため、穴を埋め終わった子どもは次に進みたいので、できていない子どもに教え始めます。できた子どもが一方的に教えるのではなく、わからない子ども、困った子どもが教えてと言ってから初めて教えるようにしたいのですが、このルールでは難しくなります。せめて、答ではなく本文のどこを見るとよいといったヒントに留めるようにしてほしいと思います。
グループを指名して答を発表させますが、だれも発表者を見ようとはしません。発表の後、授業者が大きな声で説明してくれるので聞く必要はないのです。授業者が「いいですね」と正誤を判断するので、子どもたちはどうしても先生の求める答探しになってしまいます。最後スクリーンに答を映しますが、子どもたちはそれを見て○をつけていました。答を見て○をつければよいので、途中の活動の意味がなくなります。親切にしないことも大切なことと意識してほしいと思います。

1年生の現代文の授業はグループ活動をしていました。ここで気になったのは授業者のかかわり方でした。グループで子ども同士がかかわり合っているところに割って入ってしまうのです。結果その場の流れを授業者が持って行ってしまい、子ども同士のせっかくのかかわり合いが壊れてしまいます。
また、子どもを指名して答を板書させる場面がありました。一人一台のiPadがあるのですから、これは時間のムダです。環境を活かすことを意識してほしいと思います。

1年生の数学は確率の排反事象、積事象の授業でした。単純に和になる時、積になる時とパターンを覚える子どもが多いのですが、なぜそうなるのかがよくわからない子どもは、和か積か混乱することもよくあります。授業者はていねいに説明しますが、それだけで子どもが理解できるわけではありません。そこで、「確率が和になる問題、積になる問題をつくる」という課題を出しました。時間の関係でこの続きを見ることはできませんでしたが、子どもたちがつくる問題のありようで理解度が変わっていくので、どんな問題がつくられたが気になりました。教科書の問題を少し変えただけの類題であれば、結局はパターンで覚えることになってしまいます。身近な事象を問題にすることができれば確率の計算の意味を理解することにつながるはずです。クイズ番組、選挙、何でもいいので、身近なテーマを与えて問題をつくらせるとよいでしょう。子どもがつくった問題が排反事象なのか、積事象なのか、そのどちらでもないのかといったことを説明し合うような活動も入れたいところです。

4日間中学校、高等学校で授業を見ましたが、先生方が子どもたちのよさに助けられていると感じました。一方的な授業でも子どもたちがよく耐えてくれるので、工夫をしなくても破綻しないのです。もちろんその一方では、これからの時代に即した教育に挑戦している先生もいらっしゃいます。このままだと先生方の授業が大きく分かれていく心配があります。学級数の多いコースを2つの集団に分けて3年間別々に学級編成をすることになりましたが、先生方を一つのチームとして機能させるための施策です。互いに授業を見合って、意見を交換し刺激を受けて、よりよい授業を目指すような教師集団に変わっていくことが必要です。多くの主任はこのことの必要性を感じていると思います。主任たちミドルリーダーが、先生方のチーム意識が広がるような動きをしてくれることを期待しています。
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30