学校全体から元気をもらう

先月小学校で授業アドバイスと講演を行ってきました。ICT活用に積極的に取り組んでいる市の大規模な小学校です。5年生の担任の初任者と1年生の担任の若手の授業を見せていただきました。

初任者の授業は社会科で自動車の現地生産について、輸送コストを起点として考えさせる授業でした。ICTを提示で使うことはこの市では本当に当たり前のことになっています。初任者でも写真や動画の提示などに自然に活用しています。授業規律に関しても子どもたちをほめることでよく保たれていると感じました。子どもたちは指示によく従いますが、指示に従って動くことができるようになっているのですから、自分で判断して行動することを意識させたいところです。最初の内は「先生は次に何を言うと思う?」といった問いかけをし、「先生の考えていることがよくわかったね」「何も指示しなくてもちゃんと行動できたね」と、5年生ですから先を考えて行動できるようになることを意識した評価するようにしてほしいと思います。
また、答や結果を問いかけて挙手した子どもを指名する傾向が強いと感じました。その結果、「わかった」「できた」「知っていた」子どもがほめられ、反応の遅い子、自信のない子どもはほめられる機会が少なくなってしまいます。「想像して」と問いかけると子どもたちの手はよく挙がりますが、それは根拠が必要ないからだと思われます。そうではなく、子どもたちに答ではなく、困ったことやどのように取り組んだといった過程を問うことで、全員参加させることを意識するとよいと思います。
この日のめあては「日本の自動車が消費者にどのように届けられるのか考えよう」でした。ここで気になったのが「考えよう」という言葉でした。このめあては子どもたちが考えて答が出ることかどうか微妙です。本当に考えさせるのなら、鉄道、船、トラックの輸送コストや集積の必要性、スピード、自動車工場ごとの生産量や車の重量などの情報がなければ考えることができません。少なくとも、輸送手段とその特徴を知らなければ考えることはできないでしょう。実際には、子どもは想像で答えるか教科書や資料集の答を見つけることになってしまいます。そうであれば、「考えよう」ではなく「想像しよう」か「調べよう」です。ここをきちんと区別しておかなければ子どもたちの考える力につながっていきません。授業者は子どもたちに考える力をつけたいと意識していることはよくわかりましたが、実際には教師が求める答につながるような情報をテンポよく与え、その根拠も含めて授業者が答えを教えている授業になっていました。グラフなどの資料の読み取りも、読み取った結果が授業者の求めるものであった時だけ「そうだね」と評価して、解説します。資料を読み取るためにはどこを見ればよいのかといった視点を価値付けしません。読み取る力をつけるための「変化を見る」「変わらないところを見る」といった視点や、「変化した時に何かが起こっているはず」と同じ時期の出来事を調べるといった調べる力を意識することが大切です。
子どもたちは授業者の質問に単発で答を考えて、「あたり」か「はずれ」かを先生に判定してもらうというクイズに参加しているように見えます。また、最終的には授業者が答を解説してまとめてくれるので、子どもたちは深く考える必要はありません。
現地生産が日本と現地ともにメリットがあるという結論で終わりますが、教科書やリンクされている動画をみればそこに答があります。それでは考えが深まりませんし、考える力はつきません。「本当に日本は現地生産したかったの?」、「現地生産がそんなによいことなら、なぜこの年までほとんどなかったの?おかしくない?」といった揺さぶりをかけ、子どもたちに疑問を持たせたいところです。子どもが「えっ!」「どういうこと?」と声をだして初めて子どもたちの課題になり、考え始めると思います。考える力と疑問を持ち課題を見つける力は表裏一体です。子どもに疑問を持たせて自分の課題として考えさせる授業を目指してほしいことを伝えました。
とはいえ、初任者としては、学級経営の基本はできていて、目指す子どもたち姿もしっかりと意識できている先生です。だからこそ、少し厳しめに課題を指摘しました。面談の最後に「まだ質問があれば講演の後に相手するよ」と声をかけたところ、ちゃんと顔を出してたくさん質問をしてくれました。とても意欲的な先生でした。今後の成長がとても楽しみです。

1年生の担任の先生の授業は道徳でした。「はしの うえの おおかみ」という読み物教材を使った授業です。授業者は緊張していたのかあまり表情がありませんでした。言葉づかいはていねいで優しいのですが、なぜが冷たく感じます。その理由は柔らかい口調であっても、「発表することはいいことです」というように発する言葉が第三者目線、上から目線なのです。「発表できるってすごいよね」、「発表してくれてありがとう」といった「Iメッセージ」を使うとよいと思います。授業後に話をした時には、とてもよい表情を見せてくれました。この表情を毎日の授業で子どもたちに見せているのならあまり心配はないと思いましたが、子どもたちに笑顔をたくさん見せてほしいことを指摘しまた。すると、以前に高学年の担任を持った時に学級崩壊した経験があり、自信を無くしていることを話してくれました。初対面の私にそのことを話してくれたということは、克服したいという思いがあるのだと思います。かつては、子どもたちと関係ができる前に指示に従わない子どもを力で押さえようとしたのではないかと思います。まずは「Iメッセージ」を多用して人間関係をつくることを優先し、その上で、子どもたちにとって判断基準がわかりやすい先生となることを意識するとよいことを伝えました。先生の表情から、変わるきっかけをつかんでくれたのではないかと感じました。
道徳の授業は、国語的な読み取りに多くの時間を使っていたのが残念でした。道徳は読み取る力をつけることが目的ではありません。できるだけ早く子どもたちを資料の世界に入らせることがポイントです。感情移入しやすいように抑揚をつけて登場人物の気持ちがわかりやすいような範読を心がけるとよいでしょう。1年生は読み終わった後まで話の内容をきちんと覚えていません。そこで「登場人物は?」といったことを聞いてもちゃんと答えられない子どもたくさんいます。細かい読み取りを子どもたちに問いかけるのではなく、範読をしながらその場その場で黒板に内容を整理すればよいのです。道徳では読み取りに時間をかけるのは無駄です。子どもたちが考える時間を少しでも多くとることが大切です。
指名した子どもにオオカミ役をさせて感情移入させようとします。しかし「意地悪なおおかみをやってくれる人?」と口にしました。おおかみは意地悪をしたのかもしれませんが、意地悪なおおかみとレッテルを貼ってしまうと、この後のおおかみの気持ちの変化に上手くつなげていけません。こういったところも意識をしてほしいと思います。
この教材では、おおかみの気持ちにどれだけ子どもたちを共感させるかが大切です。「砂場で遊ぼうとしたら、そこにいた小さな子どもが場所を譲ってくれたらどう?ちょっと偉くなった気がしない?」と、このおおかみと同じような気持ちに自分たちもなりうることを意識させたいところです。くまが現れたときの気持ちがおおかみに相対した時のうさぎの気持ちであることもしっかり押さえることで、この後のおおかみの気持ちの変化を実感できるのではないでしょうか。道徳の読み物は読み物として内容を理解するのではなく、自分の気持ちと同化させることが大切です。このことを意識すると授業の進め方がはっきりと見えてくると思います。

全体での講演は教科の「見方・考え方」を活かした授業についてお話させていただきました。「見方・考え方」は「主体的・対話的で深い学び」を実現するための根底にあるものであり、教科を学ぶことの本質につながるものとして捉えてほしいことをお伝えしました。今回の新型コロナウイルスのこともそうですが、想定外のことに対してこれが正解だという明確なものがあるわけではありません。その状況下でよりよい答を導き出すために必要となるのが「見方・考え方」です。日ごろの授業の中で答にいたる過程を大切にすることが、「見方・考え方」を育てることにつながります。このことを意識してほしいと思います。

ずいぶん以前にもこの学校でお話をする機会があったのですが、先生方の姿勢が当時とは変わっていたのが印象的でした。研修から学ぼうという前向きな気持ちを参加された先生方から強く感じました。授業を見せいただいた先生、校長や教務主任を含め、学校全体から元気をいただきました。またの機会があることを楽しみにしています。
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