子どもが答えやすい発問、見通しを持つための足場が大切(長文)

昨日の日記の続きです。

4年生の算数は、少人数での小数の足し算の学習でした。
挨拶の前に筆算の問題練習をやっています。黒板で3人の子どもが答を書いていますが、それ以外にもう一人、正誤を判定する子どもがいました。書き終った答に○をつけていきます。3人目の子どもが書き終ると、「ちょっと違います」と何人もの手が挙がります。判定役に指名された子どもは、最初は修正しようとしましたが、結局消して書き直してしまいました。間違えた子どもはどのような気持ちになるでしょうか。「ちょっと違います」という言葉も、自分とは「違います」という意味で使うように指導しているのでしょうが、言われた方は、「あなたの答は違っていますよ」とダメ出しされているように感じるかもしれません。できればこのような進め方は避けたいところです。子どもの仕切りでは難しいでしょうが、「どこが○○さんと違うの?」と違ったところの指摘だけをさせて、「○○さん、どう?」と本人に修正させるとよいでしょう。「言ってもらえて気づけたね。いいね」とほめ、指摘した子どもには「△△さんの、言葉で気づいてもらえたね。ありがとう」と声をかけるといったこともすると子ども同士の関係がよくなると思います。

問題文を黒板に貼ります。途中で寄り道をした時の道のりを求める問題です。授業者は問題文を全体で読ませた後、一つひとつの道のりを確認します。距離を書いてある地図が見にくかったのか、挙手は半分くらいです。まだ読み取ろうとしている子どももいるようですが、授業者はすぐに指名します。指名された子どもが答えるとすぐに「いいです」のハンドサインです。答を聞いて「ああそうか」と思うような問題ではありません。ハンドサインを出す前に、答えようと挙手してほしいところです。
子どもたちが挙手したい、発表したいと思うために必要なことは何でしょうか。間違えると否定される可能性があると挙手しません。間違えても恥ずかしい思いをしないという保証が必要です。そして、もう一つ大切なのは発表すると人から認められることです。先ほどの発表者は友だちのハンドサインを見ずに授業者の方を見ていました。表情は変わりません。友だちの「いいです」はその子どもにとって認められた感につながらなかったのです。逆の立場で言えば、自分がハンドサインを出す時に、一緒の答でうれしいといった共感やなるほどと認めるという気持ちはなく、惰性で行っているということです。子どもが授業者を見ているということは、自分の発言をどのように評価してくれるのか気になっているのです。しかし、授業者は全員が「いいです」とハンドサインを出しているので、それでよしとして、先に進みます。子どもの気持ちとずれているのです。

授業者は問題を印刷した紙を配ってノートに貼らせます。全員がきちんと貼り終わるまで、子どもたちを見て待っています。子どもたちは授業者が見守っているので、落ち着いて遅い子どもを待てていました。全員が貼り終えるのを確認して、式を書くように指示を出します。子どもたちが育っていれば、すぐに顔を上げて聞きますが、残念ながらそこまでは育っていません。子どもたちの視線が授業者に集中しないままでした。まず、全体に対して「待っててくれてありがとう」、最後の子どもに「待っててもらってよかったね」と子どもたちの行動を評価して、その上で、「じゃあ、集中して聞いてね」と気持ちを切り替えさせて進めるとよかったでしょう。

式を書けた子どもが挙手をします。授業者は子どものノートを見て軽くうなずいて、すぐに次の子どもへと教室の中を行ったり来たりしています。挙手した子どものところに行くのはとても効率が悪いやり方です。また、授業者がうなずく時の表情がかたいのが気になります。時々「はい」という言葉も入りますが、基本は無言です。子どもたちの表情は変わりません。子どもたちは認められた感をあまり感じていません。というか、チェックに通ったと感じているのではないでしょうか。挙手した子どものノートしか見ないので、全員をチェックできていませんでした。この机間指導では、早くできる一部の子どもしか認められません(実際にはチェックされただけ)。続いて挙手で確認すれば、常にできる子どもが主導をする授業になってしまいます。こういった構造に気づいてほしいと思います。
机間指導で子どもノートを見るのなら、まず全員を見ることを意識してほしいと思います。特に全員にできてほしいと思う場面では、「○付け法」がお勧めです。教室の端から順番にノートを見ながら、一人ひとりに「いいね」「ばっちりだね」といった認める声かけと一緒に○をつけていくのです。違っていれば、あっているところまで、線を引いて「ここまであってるよ」と小さく○をつけてあげます。子どもを部分肯定しながら、困っている子どもには簡単なヒントをあげることや、まわりの子どもと相談するように促すことをして、後からもう一度回るのです。全員を○にすることが目標です。

一言ずつ子どもと確認しながらこの日のめあてを板書します。「1/100の位までの小数の」「足し算を」と続き、「どうしましょう?」と子どもたちに考えさせようと問いかけます。しかし、この問いかけに反応して考えている子どもはごくわずかです。ほとんどの子どもは、板書に書かれたことを写すことに専念していました。反応する子どもとのやり取りだけで進んでしまいます。
授業者はめあてを書き終ると子どもたちが写すのを見守っていましたが、途中で「どうやってやるといいのか、書きながら考えてみて」と言葉を発します。写している途中で指示してもちゃんと伝わりません。また、写しながら考えるというのは、子どもたちにとってそれほど簡単なことではありません。めあてを写す前に、「早く書いてね。書き終った人は、どうやってやるといいのか考えて」と指示をしておくとよかったでしょう。

子どもたちがめあてを書き終わった後、「4.72+3.17は、どうやって考えたらよいか?」と問いかけます。すぐに反応して手を挙げた子どもに、「おっ、書いてみましょう」と返し、全体に対して指示をしました。最後に「やり方を書いてみましょう」と言葉を足しましたが、「どうやって考える」から「やり方」に言葉が変わってしまいました。大人であれば、このくらいの言葉の変化はたいしたことはないのですが、子どもたちであれば混乱する危険性があります。言葉の揺れに注意をすることが必要です。
鉛筆を持ったまま手が動かない子どもが何人かいます。隣同士で顔を見あって困っている子どももいます。授業者はすぐに机間指導を行い個別に指導しますが、目の前の子どもの手元しか見ていないので全体が見えていません。手のつかない子どもはほっておかれたままです。すぐに机間指導をするのは避けた方が賢明です。指示をしたら机間指導と単純に考えるのではなく、まず手がついているかどうか、全体の様子を確認して、それからどう対応するかを判断する必要があります。この場面では、いったん作業を止めて、子どもに見通しを持たせる必要があったと思います。また、ちょっと気になることがありました。授業者がノートを見ようとした瞬間に消しゴムで自分の書いたものを消している子どもがいたのです。そのあと、鉛筆を持ったまま手が動きませんでした。見られて指導されたくなかったのかもしれません。
手のつかない子どもが多かったのは、この場面で必要になる内容を事前に復習していなかったので、見通しを持てていなかったためだと思います。復習の問題を解きながらポイントを確認して、それを黒板の隅にまとめておくだけで、子どもたちの動きは大きく変わったと思います。

子どもたちに発表させようとしますが、なかなか手は挙がりません。1/3ほど手が挙がったところで指名しました。指名された子どもはノートを読み上げ、授業者はすぐに黒板の方を向いて板書を始めます。半分くらいの子どもは黒板を見ますが、残りは手元を見ていたり、聞き流したりしています。発表者を見ている子どもは一人もいません。授業者はすぐに板書するのではなく、子どもたちの様子を見ながらしっかりと聞くことから始める必要があります。他の子どもが発表を聞いてどのような反応しているかを把握しないと、次の展開を考えることができないからです。
授業者が「これわかる?」と板書を指しながら聞いても、「わかる」と反応する子どもはわずかです。何も考えずに板書を写す子どもも目立ちます。
授業者は子どもたちに付け足しを求めますが、手が挙がるのは数人です。その説明を聞いても、他の子どもたちは何を言われているかよくわかりません。何人か説明させるのですが、一気にノートを見て読むので、頭に入っていきません。授業者も説明をさせた後、聞き返すことや、どこがわかって、どこがわからないかといった確認をしません。発表しっぱなしです。結局、最後は授業者が説明を始めました。子どもたちは友だちの説明がよくわからないまま、授業者の説明を聞くのですが、集中力は失くしていました。
発言を途中で区切って、そこまでの内容を確認し、どこがよくわからないのか、問題なのかを焦点化する必要があります。ポイントとなるところを全体で確認したり、まわりと相談させたりすることが必要です。一人がしゃべる、わかったかを授業者が問う、また次を指名するといったことの繰り返しでは、新しい情報が入ってくるばかりで整理することができないのです。

子どもたちは、授業者の説明の合間の「これは何の位?」といった問いかけには答えられますが、見通しを持って考えることはできていません。よくわからないと、隣同士で顔を見合わせている子どもの姿が印象に残っています。

1/10の位の数、7と1を足す説明を7+1ではなく0.7+0.1と修正します。目の前にある数字は7と1です。かえって難しくしているように思います。「7は何が7あるのか?」といった位取り記数法の意味を問いかけて、7+1=8の8は何が8あるのかで考えた方が、スッキリするのではないと思います。子どもたちは質問された変換はできますが、なぜ、このように直すのかということがよくわからないようでした。

他の考え方を発表させます。指名された子どもは筆算で解きました。授業者は「何をやっている?」子どもたち問いかけます。当然返ってくる答えは「筆算」です。「どうやって計算している?」と返すと、「足し算」と返ってきます。子どもたちの反応は至極当然です。「足し算、どうやっているの?」と問いかけると数人が挙手しますが、ほとんどの子どもは何を聞かれているのかわかっていないことに気づいてほしいと思います。
指名された子どもは、「1/100の位を足して……」と位ごとに足すことを説明します。子どもたちの反応は今一つです。授業者は、「同じことでいいからあの筆算説明できる人?」と子どもの考えをつなごうとしました。つなごうとするのはよい姿勢ですが、ここでも「どうやっている」から「説明」に言葉が変わっていたことが問題でした。
「分けて足し算ました」という説明に、「どういう風に何を足したの?」問い返します。「1/100の位の0.02と0.07を足して……」と、先ほどの数字を小数に変換した影響が出ていました。同じ位の数を足す、足せるといった考えをもとに「1/100の位の数が2と7だから、1/100が9になる」といった言葉を引き出したいところでした。

授業者は、筆算と筆算を使わないやり方のどちらが速いかを子どもたちに問いかけますが「筆算」と反応するのは2、3人です。他の子どもはよくわからないという顔をしています。しかし、授業者はすぐに「筆算が速い」と「筆算で計算できるようにしよう」とまとめました。
この後、(足し算・引き算の)筆算のポイントである位をそろえて書くことを確認して、練習問題を一つやります。この答を確認した後、いったんまとめました。気になったのは「1/100の位の小数の……」と限定をしたことです。ここは、1/100にこだわる必要はないはずです。足し算・引き算の筆算は、桁や小数であるかどうかにかかわらず、位をそろえることさえすれば、同じです。意図的に「1/100の位」は外した方がよいように思いました。「位をそろえて……」の前にどんな言葉を入れたらよいか考えさせます。「最近まとめで使ってきた言葉、何だった?」と問いかけて、子どもから「整数と同じように」という言葉を引き出します。この言葉を意識するのはとてもよいことなのですが、数人がつぶやいたらすぐそれを受けて板書しました。「整数と何が同じなの?」と返したりしながら、位取り記数法の意味と筆算の関係をしっかりと全体で共有したいところでした。

練習問題に取り組んだ後、指名した子どもに答を書かせます。6.03+2.97の筆算で、9.00の0を消すかどうかを確認します。「0は数がないから消していい」という意見が出ます。授業者はこの言葉を復唱するだけで、次の子どもを指名しましたが、この言葉を活かしたいところでした。位を表わすためには0が必要な場合があります。その違いを考えさせるとよかったでしょう。「9.00の0を消しても数は9で変わらない」という意見がでると、授業者はこの意見をもとに説明を始めました。同じ数を表すことを確認して、0を線で消すのがよいのか消しゴムで消すのがよいのかを子どもたちに問いかけます。
これは子どもたちに考えて答を出させるようなものではないように思います。計算の過程や根拠を残すことの大切さの例として、説明すべきところです。
また、9と同じなら9.00でもよいはずです。これは位取り記数法のルールとして教えるべきだと思います。210−190といった筆算で100の位の0を書かなかったのと同じ理由です。
このあたりがきちんと子どもの腑に落ちていなかったのか、6.03の0を消した子どもがいたのが印象的でした。

子どもに発言させて、子どもの言葉で授業を進めようとしているのは好感が持てました。しかし、発問が練られておらず、また言葉が揺れるので何を答えればよいのか子どもがよくわからないことや、子どもが考えるための足場を意識して事前に整理をしていないので見通しを持てていなかったことが課題です。子どもの視点に立って、必要な知識の整理や言葉を選んでほしいと思いました。

この続きは明日の日記で。
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