子どもに考えさせるのは何かを意識することが大切

小学校で若手6人の授業アドバイスと授業研究に参加してきました。

若手の授業を見ると、多くのことが共通していました。廊下から見る他の先生方の授業からも同じような印象を受けたので、学校全体のことのように思います。
子どもたちは、落ち着いて指示されたことには従います。しかし、姿勢を正したからといって、集中しているかというと別問題です。常に指示をし、それを受けて子どもが動くという図式になっています。
子どもに対する言葉づかいが、命令口調なのが気になります。子どもを見る目がチェックになっているようにも感じました。表情がかたい方も目立ちます。できないことをチェックして減らすのではなく、子どもを笑顔で受容して、できることを認め、ほめることでよい行動を増やすという発想が必要です。このことと、指示されたことしか子どもがしないことと無関係ではないと思います。
ハンドサインを使う方が多いのですが、全員きちんと反応しないのにそれで進んでいく場面が多いのも特徴です。ハンドサインを使うのであれば、徹底することが必要です。また、ハンドサインを出した子どもに発言を求めることをしないと空気を読んで手を挙げる子どもが増えてしまいます。いろいろなことが形式的になっているように思いました。
この市は、ICT環境がよく整備されています。電子黒板を活用する方も多いのですが、直接指で画面を指して、画面を見ながらしゃべっていたのが気になりました。この市の研究指定校では全員が指示棒を使っているのですが、きちんと伝わっていないことが残念でした。電子黒板の利用場面に限らず、子どもの様子を見ようとする意識が少し低いように感じました。

4年生の担任の初任者の授業は社会科の水の学習でした。
声は大きいのですが、表情がかたいことが気になりました。見られているので緊張していることもあったかもしれませんが、もう少し柔らかく子どもたちと接するようにするとよいと思いました。
前時の学習内容を問いかけた時に、子どもたちに動きがありません。「不安な人はノートを見ましょう」と授業者が指示をすると一斉にノートを広げました。思い出せなければ自分で判断してノートを開く子どもたちに育ててほしいと思います。誰も自分からノートを見なかったのですが、「不安な人はどうする?」と問いかけ、ノートを開く子どもがいれば、「○○さんノートを見ているね。ノートを見ると確認できるね。いいよ」と固有名詞で指摘し、続く子どもがいれば、「あっ、△△さんも開いたね」と真似した子どももほめることで、よい行動を広げるといったことが必要です。
子どもの手が挙がりましたが、まだ1/4ほどです。ノートを見て挙手できないということがおかしい状況だと気づいてほしいと思います。指名された子どもが「水の循環」と答えると「いいです」とハンドサインを出します。しかし、全員ではありません。手が挙がらない子どもがちらほら目につきます。この子どもたち目を向けることが必要です。「手が挙がらない人は、納得していないの?」と問いかけることや、もし、よく理解できていないようなら、手を挙げている子どもに「もう一度言ってくれる」と言わせて、再度わかったかどうか問いかけるといったことが必要になります。

電子黒板を使って水の循環の説明を授業者がします。前時の復習なのですから子どもたちに説明させたいところでした。
この日の学習内容について授業者が説明を始めますが、視線が子どもたち一人ひとりに落ちないのが気になります。視線が固定されてしゃべります。集中していない子どもが目につくのですが、授業者はその子どもたちに気づいていないようでした。
この市で使われている水がどこから来るのかと子どもたちに問いかけますが、どう答えていいのかよくわからない質問です。子どもたちは、不安げにまわりを見ています。授業者は水源がどの川かを答えてほしいのでしょうが、先ほどの水の循環を意識すると、「海から」「空から」とどこでも正解になってしまいます。また、水源のことを問われているとわかっても、どの川かは知識ですので知らないと答えられません。
「海」「水道水」とつぶやく子どもがいましたが、授業者は「手を挙げてください」とスルーしました。ちょっとしたニュアンスの差ですが、「手を挙げて答えようね」といった表現にするだけでずいぶん子どもたち与える印象が変わると思います。また、先ほど説明に使った画面が電子黒板に表示され続けています。中には、まだそれを見ている子どもがいます。必要がない場面では画面を消すようにしてほしいと思います。

指名された子どもは「水道局」と答えました。半分近くの子どもが賛成のハンドサインを示します。授業者は「ほう、水道局、なるほど」と復唱して、「もっともっと元をたどると」と問い返します。「元をたどると」言う前に、水道局はどういうところかをきちんと確認することが必要です。「水道局ってどういうところ?」と確認した上で、「水道局(正しくは浄水場?)から水が来ているんだね」と認め、「水道局へはどこから水が来ているのかな?」と問いかけるとよかったでしょう。
次に指名した子どもは「海から」と答えます。授業者は「そうだね」と認めて海から雲になって山へきていると電子黒板で確認します。自分の期待する答でなくても、受容することができるのは立派ですが、この質問ではどうしてもこういう展開になってしまいます。
まず、水の循環の説明に自分たちが使っている水が入っていないことに気づかせます。「じゃあ、みんなは水道から水を使って、いろんなことに使っているね」「飲む」「水をまく」「洗い物に使う」「工場で使う」といったことを確認して、その水が循環しているかを聞いた上で、先ほどの水の循環の説明の、どことつながるかを考えさせるのです。「水道水は海からもってくるのかな?雲から?……」と問いかけ、まわりと相談させ、その理由を考えさせると面白かったでしょう。「海の水はどうしてだめ?」「雲は?」「雨は?」と問いかけることで、川が水源として最適であることが納得できると思います。

授業者は山からどこに水が行くのかを子どもたちに問いかけます。数人の子どもしか手が挙がりません。この流れに思考がついていけないのです。指名された子どもは「ダム」と答えます。授業者は「そうだよね」と言いながら、「どこのダムから水が来ているか知ってる?」と問いかけます。山から水がダムに流れることを言っただけで、まだそこから私たちのところへ水が来ているかについては何も話していません。結論が明確にならないまま、問いが別のものにすり替わってしまいました。
この質問の答は、知識がないと答えられません。子どもが戸惑っていると、「その前に、今度はダムから川を通って私たちのところに来るけれど、どこの川か知ってる?」とまた別の質問に変わっていきますが、これも知識がなければ答えられません。数人の子どもが挙手をして答えます。「庄内川」という答が出てきます。1/4位が賛成しますが、根拠がありません。授業者は「一番近くの川って庄内川だね」と受けますが、子どもは一番近くだからとも何とも言っていません。授業者の論理で進んでいきます。庄内川は元をたどるとどこに行くのかを今度は聞きます。「海です」と次に指名された子どもは答えます。ドンドン迷走していきます。授業者は子どもの答を受容しますが、どう焦点化していけばよいのかわからないようでした。子どもは根拠を持って考えるのではなく、授業者のヒントに従って答探しをしているだけです。これは知識ですから、調べるか教えるかしかありません。どうすればわかるのかを考えさせ、子ども自身で資料を見て調べさせればいいのです。
授業者は自分たちのまわりの川がどこにつながっているのか資料から調べるように指示しました。当初の水がどこから来るのかという問いとずれています。川に○をつけるといった作業の細かい指示をするときに「元をたどるとどこの川から水が来ている」とまた、問いが変わってしまいました。

作業が終わって子どもたちに発表させます。最初に指名した子どもは「庄内川」と答えますが、先ほどのやり取りから、これはおかしいと気づきます。賛成する子どもは少数です。しかし、授業者はいつもと同じように受容して進めます。子どもたちの反応が全く授業に反映されません。手を挙げていない子どもに理由を聞くといったことが必要でしょう。
「木曽川」という正解が出ましたが、子どもたちはほとんど反応しません。授業者は「賛成の人しっかり手を挙げてください」と誘導します。ハンドサインが、みんなが賛成したというアリバイづくりに使われてしまいました。
結局黒板にプロジェクターで映した地図を授業者がたどりながら、木曽川にたどり着くことを説明しました。

子どもを受容できるのですが、子どもに何を考えさせるの、そもそも考えて結論が出ることなのかといったことをしっかりと教材研究する必要があります。子どもの思考に寄り添った発問や、考えるために何が必要かといったことをしっかりと意識して授業をつくってほしいと思います。

この続きは次回の日記で。
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