子どもの活躍の場面を意識したい

昨日の日記の続きです。

2年生の社会の授業は明治の新政府の学習でした。
たまたまなのかもしれませんが、この日見た授業では、授業者がまとめを板書し、子どもたちがそれを写すという場面が中心でした。用語などを「覚えておくといいでしょう」と授業者が説明しますが、なぜそれを覚えておくとよいのかはわかりません。資料集を開かせて、印をつけておくように指示もします。「試験に出るから覚えておきましょう」と言っているのと変わりません。また、資料集を開かせる指示をしても、まだ板書を写している子どもが目につきます。一つひとつの指示がきちんと徹底されません。
資料を見る場面でも、子どもがまだ探しているのに次の場面に移っていることがありました。

残念ながら、子どもたちが考える場面はこの日の授業ではほとんどありませんでした。問いかける場面はあるのですが、一人答えれば、その後一気に授業者が説明をし始めます。その説明も板書がまだ写せていない子どもは、写すことに精一杯でよく聞いていません。子どもたちの顔が上がらないまま、授業者がしゃべる場面が多くありました。結局反応してくれる数人とだけで授業が進んでいきます。
進度の関係で時間がないため、焦っていたのかもしれません。メモを見ながら板書をしているのですが、思い切って板書の内容を印刷して配ってもよかったかもしれません。必要に応じてその一部を実物投影機などで写して顔を上げさせ、最後に印刷した物を配るのです。

授業者が一方的に説明するような授業では子どもたちの表情はよくないのが普通なのですが、この学級ではとてもよい表情です。子どもたちとの関係がよいことがわかります。だからこそ、子どもたちを活躍させる場面を意識してつくってほしいと思います。中学校や高等学校では進度のことがあるため、そのような時間をつくることは難しいと言われますが、決してそうではありません。「板書を写すような単純な場面を極力減らす」「子どもたちでまとめたことを授業者が再度解説しない」といった工夫をすることで時間をつくることができるはずです。
授業者からは、授業へのエネルギーを感じます。意識を少し変えるだけでよい方向に授業は変わると思います。

この続きは明日の日記で。
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