道徳でどの人物にスポットを当てるかを考える

昨日の日記の続きです。

初任者が担任の5年生の授業は道徳でした。
重い病気のせいで体育を休まなければならず、顔色が悪くしゃべり方も元気がないことや、病気のことをみんなに伝えていないために学級で孤立している女の子が、手術することになった。その女の子と仲よくなっていた転校生がそのことを知って学級全員に事実を伝え、みんなが励ましの千羽鶴と色紙を送り、無事手術を終えたという読み物資料を利用をした授業でした。

内容確認を一問一答で行います。病気の女の子が嫌われていたことに対して、その理由を確認します。「もぞもぞしゃべっていたから」という理由にまわりの子どもは賛成の反応をしません。そこで、別の子どもを指名します。「体育の時間に参加しないから」という答に対しても全員が賛成の意志を示しません。「転校生とはしゃべっていたから」といった答も出てきますが、授業者はこれらの発言を評価しません。どれも理由の一つです。きちんと受容することが大切です。国語の授業ではないので読み取りに時間をかけるのはムダです。中途半端に問いかけるより、授業者がテンポよく押さえていってもよかったと思います。
授業者は「見た目で判断している」ことを言わせたかったようですが、病気の子どもにスポットを当ててもでてきません。もしそうなら、学級の子どもたちにスポットを当てるべきでしょう。結局授業者がその言葉を出しました。

「転校生はどんな人?」という質問に、「見た目で判断しない人」という意見が出てきます。授業者の言葉に引きずられています。この転校生にスポットを当ててもあまり意味はありません。一貫した行動をとる人物です。単純な質問しても子どもたちが揺さぶられることはないのです。
転校生が手術のことを知り、意を決して学級の全員の前に立った時、顔を真っ赤にしていた理由を問いかけます。子どもの反応が薄いので、「どんな時に真っ赤になる?」と質問を変えます。「恥ずかしい時」という答に「いいんですがー」と言葉をつなげ、「先生はどう思ったかと言うと……」とここも授業者が説明してしまいます。結局授業者が説明するのであれば子どもに問いかける意味はあまりありません。資料を読みながら授業者が解説すればいいのです。道徳の授業は読み取りが目的ではありません。子どもたちが、資料の世界にできるだけ早く入り込み、自分のこととして考える変容していくことが大切です。

登場人物の気持ちを考えるまでに、30分近くが過ぎました。じっくり考えを深める時間はもうありませんでした。
ワークシートの課題「転校生が顔を真っ赤にして立ち上がった時の気持ち」を考えさせますが、どんな時に顔を真っ赤にするかを問いかけた時に、授業者がほぼ説明してしまっています。子どもたちが自分のこととして考えることは難しくなっています。手がつかない子どもは資料を見ています。答探しをしているのです。
「一旦鉛筆を置いて、答を聞く時間です」と子どもに指示をだして、考えを発表させます。きちんとけじめをつけさせているのはよいことです。「共感できる考えを聞く」という言葉を授業者は使いました。共感できない考えは排除してよいようにも聞こえます。授業者にそのような意図はないのはわかりますが、こういった言葉づかいは気をつける必要があります。
次の発問は「病気の女の子はどんな思いがあったから手術を乗り越えられたのでしょうか?」というものでした。ちょっと気になる発問です。「思い」で手術が乗り越えられるとうことはそれほど納得感のあることのように思えないのです。この発問をするのであれば、手術前の不安な気持ちをもっとクローズアップしておかなければいけません。「こんな気持ちで手術が乗り切るのだろうか?」といったことを問いかけておかないと唐突に感じてしまいます。
子どもたちからは、「みんなと一緒に旅行に行きたい」「みんなが千羽鶴をつくってくれたから」といった答がでてきます。それを「仲間の支え」と授業者がまとめます。こういう展開をしているとたとえ道徳でも、「これが答なんだな」と答探しをするようになってしまいます。

友だちと支え合うことが大切として、この学級での出来事をスライド見せます。ここでは、子どもたちはとても集中していました。この後話をしている時に、一部の子どもがスライドに視線を残したままでした。授業者はそのことに気づいてディスプレイを消しました。子どもたちを見ることができていました。

この授業は考える立場や視点が揺れていたために、子どもたちが自分のこととして深く考えることがありませんでした。「転校生」が病気の女の子のことを学級に伝えた気持ち、「病気の女の子」が手術を乗り越えた思い、「仲間」の支えと一定していません。
道徳では、気持ちが大きく変化した者にスポットを当てるのが一つの方法です。この資料で一番気持ちが変わったの、実はその他大勢の「学級のみんな」なのです。その変化が「病気の女の子」の気持ちを変えたのです。そのきっかけとなったのが「転校生」です。
「学級のみんな」が「病気の女の子」を嫌っていた理由をただ考えるだけでなく、自分だったらどうかを、資料の読みを途中でいったん止めてたくさん話させます。「転校生」の話を聞いた後、同様に「学級のみんな」の気持ちの変化を問いかけ、その理由を考えさせます。「知っていたら、嫌わなかった?本当?」と揺さぶり、何がいけなかったのかを考えさせるのです。授業者がねらっていた「見た目で判断しない」といった言葉もここで出てくると思います。授業者が考えさせたかったこととずれるかもしれませんが、「相手のことを知ろうとする」「相手に伝えようとする」という、お互いが垣根なく言い合える聞きあえる関係の大切さを子どもたちが考えることができたのではないかと思います。

初任者で、まだまだ経験不足なので仕方がないと思いますが、道徳で子どもたちに何を考えさせたいのか、どんな言葉を引き出したいのかをしっかりと意識して授業を組み立ててほしいと思います。そうすることで、読み物資料で、どこに時間をかけ、誰にスポットをあてればいいかが見えてくると思います。

この続きは次回の日記で。
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