私立高等学校での公開授業(その2)

私立の中学校高等学校の授業公開週間の第4日目です。この日も高等学校を中心に授業を参観しました。

若手の先生の2年生の英語の授業は、授業規律を含め全体的に緩い授業でした。作業中に一部の子どもがすぐに友だちと話を始めますが、授業内容にかかわることよりも雑談が中心のようです。この子どもたちのテンションが高いのですが、授業者は特に注意をしません。次の作業を指示するまでその状態が続きました。
次の指示は口頭で一方的に説明され、途中で立ち止まって整理したり、板書したりしないので子どもたちの意識に残らず流れてしまいます。これでは徹底されません。先ほどのテンションの高い子どもたちが指示に反応するので、授業者はその子たち向けて説明してしまいます。他の子どもたちも授業に参加する意欲はあるのに、授業者は目を向けてくれません。よく我慢しているなと思いました。このような状態が続くと授業者に対する子どもたちの信頼がなくなってしまいます。今のところ子どもたちのよさに救われていますが、授業規律を意識しないとこの先授業が成り立たなくなってしまう危険性があります。

もう一つの2年生の英語の授業では、授業者が本文を読みながら順に指名して、指示したフレーズを日本語に訳させていました。この時気になったのが、授業者が手元のiPadを見ていて、子どもを見ていないことでした。当然指名された子どもも、顔を上げて授業者を見ようとしません。手元にiPadがあっても昭和の授業です。
日本語と英語が関連づけられたチェックシートを使ってペアで活動をします。一方が日本語言うと他方が英語に直すというものですが、ほとんどの子どもはチェックシートを見て答えています。この活動をペアでする意味は何なのでしょうか。フラッシュカードでの全体練習との違いがあまり見えません。
授業全体が、日本語と英語を対応付けて覚えることが中心でした。自分の言葉で英語を話す活動をしないと使えるようにはなりません。覚えるだけの英語から脱却してほしいと思います。

2年生の古典の授業は唐の時代の有名な人物や出来事を調べる場面でした。子どもたちが期待通りの答にたどり着くか不安なのでしょうか、授業者は作業中にずっとヒントになりそうなことをしゃべり続けます。結果、子どもたちの集中力を乱しています。しつこく言われるので、子どもたちは先生の求める答を探そうとするようになってしまいます。どうしてもヒントを伝えたいのであれば、事前に整理しておいたものを必要なタイミングでiPadに配布すればよいと思います。
調べる活動は何を目的としているのかを明確にしておく必要があります。単に、授業者が古典で重要な人物や背景となる事実を知ってほしいのであれば、教えてしまえばよいと思います。実際に子どもに調べさせた後、授業者がしっかりと説明していました。調べることに意味を持たせるのであれば、どのような人物や事件が古典として重要なのかを意識させることが必要です。その時代の詩や物語を調べて、「どのような事件が扱われ、どのような人物が登場しているのかを調べる」「その中で扱われる頻度が高いものを調べる」ことで、重要度が高いと思われるものがわかる。こういった戦略を持たせたいものです。

2年生の現代文は、随筆をもとに子どもたちに書かせた文章を返却する場面でした。作品に対するコメントの量や花丸のあるなしにはあまり意味がないということをかなりの時間を使って子どもたちに説明しますが、子どもからすれば言い訳としか聞こえません。そのことに授業の大切な時間を使う意味はありません。コメントの量に差がつくことが気になるのなら、コメントに頼らない指導方法を考えればよいのです。
子どもたちの作品に対する講評をするのですが、抽象的です。「よくまとまっている」と評価しますが、具体的にどこがどうだからまとまっているということは説明されません。これでは、子どもたちがよくまとまった文章を書こうと思っても書けるようにはなりません。できるようになるための方法を気づかせる場面が必要です。
続いて、もし自分がこの随筆の主人公ならどのような行動をとるのかを考えさせました。自由に考えて書くように指示しますが、これでは道徳です。国語であれば、本文と関連づけて考えさせる必要があります。「本文の記述から主人公はこのような考えを持っている」「それと対比して自分はどう考えるのかを具体的に述べる」といった条件を付けなければ国語力はつきません。国語でどんな力をつける必要があるのかをしっかりと考える必要があるでしょう。

2年生の現代社会は基本的人権について考える授業でした。身分制の問題をもとに授業者が平等とは何かを子どもたちに一方的に教えます。差があることの何が問題かを子どもたちにしっかりと意識させる必要があります。例えば、「努力して、勉強して、よい仕事について、しっかりと稼いだ人と勉強せずに遊んでばかりいて、貧しい生活をしている人と差があって当然でしょう?何がいけないの?」と揺さぶって、「平等とは何?」と子どもたちに考えさせたいところです。
憲法第14条(法の下の平等)を解説し、ワークシートの穴を埋めるように指示します。与えられた言葉ではなく、子どもたちが自分の言葉で「法の下の平等」とは何かを説明できるようにすることが大切です。穴埋めした言葉は借り物で、自分の言葉でありません。穴埋めしただけでは使える、活きる知識にはならないのです。
続いて、男女平等を取り扱いましたが、ここでは子どもたちに考える時間を与えます。子どもたちは身近に感じることができるのでしょう。積極的に考えようとし始めました。しかし、考えるための足掛かりになるものは授業者からは与えられていません。ネットで調べることもできますが、ここでは、子どもたちが「これはおかしい」とか「何が問題なんだろう」と疑問に思うような新聞記事などの資料を与えると考えが広がり、深まると思います。
また、子どもたちから意見が出てきても、それを受けて授業者がすぐに説明してしまいます。もっと子ども同士をつないで、子どもの言葉で授業を進めてほしいと思います。

1年生の世界史は日本が韓国を併合していく過程についての学習の場面でした。
日本からの借款について疑問に思ったことを問いかけます。グループで自分の考えを発表させると、子ども同士の関係がよいのか楽しそうに発表する子どもが目立ちます。発表が終わると拍手も聞こえます。その一方で友だちの話を聞くことにはあまり関心を持っていないようでした。聞く姿勢をきちんと指導していないようです。発表者が楽しそうなのは、聞いてもらえるからというよりは拍手で認められることの影響の方が多いように感じました。
友だちと共通の考え、意見をワークシートに書かせます。意見が一致しなかった人には自分が納得した意見を書くように指示します。そうであれば、最初からみんなの意見を聞いて自分が納得した意見を書くようすればよいでしょう。他人と同じであることに価値を見いだすことより、自分で納得できる考えを持つことの方が大切だと思います。
授業者は子どもたち自身の考えをもたせようとしているのですが、結局はワークシートの穴を埋めながら自分が用意した流れで説明します。これでは、子どもたちが自分で考える意味を感じなくなります。授業者が穴埋めの答を板書すると子どもたちは説明を聞くより写すことに専念します。せめて説明を聞いて自分の考えと比較することをさせたいところです。板書の内容はiPadに配布してしまえばよいと思います。紙のワークシートと板書にこだわる意味がよくわかりませんでした。
考えるための課題や知識を必要とする問いを意識してほしいと思います。単に歴史の事実を追っていくのではなく、「なぜそうした?できた?」、「その結果どうなる?」といったことを問いかけてほしいと思います。

1年生の英語は3人グループで活動していました。グループにしてから活動内容を指示しますが、子どもたちの顔が授業者に向きません。指示はできるだけグループにする前にしておく方がよいでしょう。
穴埋めの形式のワークシートを個人作業しますが、問題ごとに全員の穴が埋まらなければ次の問題に進めないルールです。そのため、穴を埋め終わった子どもは次に進みたいので、できていない子どもに教え始めます。できた子どもが一方的に教えるのではなく、わからない子ども、困った子どもが教えてと言ってから初めて教えるようにしたいのですが、このルールでは難しくなります。せめて、答ではなく本文のどこを見るとよいといったヒントに留めるようにしてほしいと思います。
グループを指名して答を発表させますが、だれも発表者を見ようとはしません。発表の後、授業者が大きな声で説明してくれるので聞く必要はないのです。授業者が「いいですね」と正誤を判断するので、子どもたちはどうしても先生の求める答探しになってしまいます。最後スクリーンに答を映しますが、子どもたちはそれを見て○をつけていました。答を見て○をつければよいので、途中の活動の意味がなくなります。親切にしないことも大切なことと意識してほしいと思います。

1年生の現代文の授業はグループ活動をしていました。ここで気になったのは授業者のかかわり方でした。グループで子ども同士がかかわり合っているところに割って入ってしまうのです。結果その場の流れを授業者が持って行ってしまい、子ども同士のせっかくのかかわり合いが壊れてしまいます。
また、子どもを指名して答を板書させる場面がありました。一人一台のiPadがあるのですから、これは時間のムダです。環境を活かすことを意識してほしいと思います。

1年生の数学は確率の排反事象、積事象の授業でした。単純に和になる時、積になる時とパターンを覚える子どもが多いのですが、なぜそうなるのかがよくわからない子どもは、和か積か混乱することもよくあります。授業者はていねいに説明しますが、それだけで子どもが理解できるわけではありません。そこで、「確率が和になる問題、積になる問題をつくる」という課題を出しました。時間の関係でこの続きを見ることはできませんでしたが、子どもたちがつくる問題のありようで理解度が変わっていくので、どんな問題がつくられたが気になりました。教科書の問題を少し変えただけの類題であれば、結局はパターンで覚えることになってしまいます。身近な事象を問題にすることができれば確率の計算の意味を理解することにつながるはずです。クイズ番組、選挙、何でもいいので、身近なテーマを与えて問題をつくらせるとよいでしょう。子どもがつくった問題が排反事象なのか、積事象なのか、そのどちらでもないのかといったことを説明し合うような活動も入れたいところです。

4日間中学校、高等学校で授業を見ましたが、先生方が子どもたちのよさに助けられていると感じました。一方的な授業でも子どもたちがよく耐えてくれるので、工夫をしなくても破綻しないのです。もちろんその一方では、これからの時代に即した教育に挑戦している先生もいらっしゃいます。このままだと先生方の授業が大きく分かれていく心配があります。学級数の多いコースを2つの集団に分けて3年間別々に学級編成をすることになりましたが、先生方を一つのチームとして機能させるための施策です。互いに授業を見合って、意見を交換し刺激を受けて、よりよい授業を目指すような教師集団に変わっていくことが必要です。多くの主任はこのことの必要性を感じていると思います。主任たちミドルリーダーが、先生方のチーム意識が広がるような動きをしてくれることを期待しています。

私立高等学校での公開授業(その1)

私立の中学校高等学校の授業公開週間の第3日目です。この日は高等学校を中心に授業を参観しました。

3年生の体育は選択で行われています。基本的に先生方は自分の得意な種目を教えるので、指示や練習の内容が的確だと感じました。
バドミントンでは、授業者がプレーを見せながら具体的にポイントを解説します。子どもたちが集中している姿から、上手くなりたいという意欲を感じました。続いてペアで打ち合う練習をするのですが、声が聞こえてきません。プレーに集中していて余裕がないのかもしれませんが、声をかけ合ったり、よいプレーをほめあったりといったコミュニケーションは必要だと思います。子どもたちが互いに学び合うためにも、コミュニケーションをとることを意識させることが大切です。
野球は試合を行っていました。ここでも子どもたちの意欲の高さを感じました。攻守交替の場面では素早く動きますし、攻撃チームのバッター以外もしっかりと試合に集中しています。声もよく出て、とてもよい雰囲気で試合は進んでいました。どのようなプレーを目指して試合をするのかを子どもたちが意識しているのかは外からではわかりませんでした。守備や攻撃に入る前にチームでプレーを確認する場面があるとよいと思いました。
女子のダンスはチームごとで練習をしていました。iPadで撮影した自分たちのダンスをチーム全員で見ながら修正していたり、互いのダンスを見合ってアドバイスしたりと練習の仕方はチームによって違います。iPadの画面を見ることで、動きを確認して踊っているチームもありました。この授業では、iPadが子どもたちの道具として自然に使われています。チームごとに自分たちで練習の仕方を工夫していることが印象的でした。
授業者がところどころ個別に指導していましたが、チーム間でアドバイスをし合ったり、練習の過程を共有したりする場面をつくるなど、チームを越えて学び合うことも意識してほしいと思います。

3年生の現代文の授業は本文の内容の読み取りでした。グループで内容をまとめるのですが、個人で作業をしていてグループで相談しようとはしません。発表のためのまとめをする時になって初めて子ども同士がかかわります。しかし、ここでのかかわりは、誰の答を選ぶのかという答の取捨選択で、互いの根拠を確認し意見を聞くことでよりよい答をつくっていくという、考えを深めることにはつながりません。単にまとめるだけの作業です。グループで結論を一つにまとめようとすると、その結論に対して個々が責任を持つ意識は薄くなってしまいます。そのため、結論にこだわって意見を戦わせることはしなくなります。互いの考えを深めるためのかかわり合いを意識させるような仕掛けが必要でしょう。そのためにも、グループで結論一つまとめることは避けた方がよいと思います。
授業者は「何でか」を書くことを指示することで、根拠を意識させようとしていました。しかし、この表現ですと、本文を根拠としない曖昧な理由になりやすいことに注意する必要があります。はっきりと「本文のどこでわかる?」と問いかけた方がよいでしょう。

別の3年生の現代文の授業は、授業は内容以前に授業規律や指示の仕方が気になりました。
子どもが聞く態勢ができていないのにしゃべりはじめ、「教科書を準備して」と言わずもがなのことを指示します。しかも子どもたちはなかなか動きません。紙のワークシートを配りますが、紙である理由がよくわからないものです。しかも、まず名前を書いてと高校3年生にもなっているのに小学校の低学年のような指示をします。中にはうっかり忘れる子どももいるとは思いますが、自分で修正させていかなければ育ちません。子どもを育てる意識を持ってほしいと思います。
授業者が本文を読みながら説明していきます。今何をやっているのか、何を考えればよいのか、授業の目指すところが子どもたちにわかりません。見通しの持てない授業です。読みながら「今からマイナスの理由が出てきます」と前置きします。文章の内容を授業者が教えるのが目的化しています。国語でどんな力をつけたいのかが、根本的にずれています。教材を通じて文章を読む力をつけるのが国語の授業であって、教材の内容を理解するのが目的ではないことに気づいてほしいと思います。

1年生の国語はグループでの発表の場面でした。グループごとに順番に発表させますが、iPad上で共有できているのですから、あえて口頭で順番に発表する意味はあまりありません。少し時間を与えて、自分たちと近い意見、違う意見を探させて、そのことをつなぎながら発表させるとよいとでしょう。
グループ内で一つにまとめることも、全体で一つにまとめることも、注意をする必要があります。どうしても同調圧力が働くのです。子どもたちから出た意見は、全体の場ではなく各自でまとめさせ、それを共有するとよいでしょう。収束させたいのであれば、答を提示するのではなく、いくつかを紹介するにとどめるとよいと思います。

3年生の英語の授業では、子どもたちがしっかりと課題に取り組んでいました。体育祭の翌日とは思えないほどよく集中していました。教室の雰囲気から人間関係のよさもが感じられますが、課題に行き詰まっている子どもが一人で考えようとしているのかがちょっと気になりました。まわりに助けを求めることもできる関係だと思えるのですが、友だちが自分の課題に集中しているので遠慮していたのかもしれません。
ペアで答え合わせをするのですが、答だけを確認し合って、理由を聞いたり説明したりする声が聞こえませんでした。答ではなく、説明やどうやって答を見つけたかを聞き合う習慣をつけたいところです。

別の3年生の英語の授業は、授業規律が素晴らしくしっかりしていました。ペアで説明を聞き合う場面では、子ども同士すぐに体の向きを変え、聞き合う姿勢をとります。説明時間も1分と指示し、きちんと守ります。子どもたちの表情もよく、むだのない素早い動きが印象的でした。一つひとつの活動がルーティン化して、子どもも何をすればよいか自分が何をすべきかをきちんと理解していました。指示を明確にし、できていることをほめて規律をつくってきたことがよくわかります。
子どもたちは授業者の指示に従って安心して活動していますが、次のステップは子どもたち自身で判断する場面を増やしていくことです。細かく区切っている活動をいくつかまとめ、その進め方や時間配分を子どもたちに決めさせるようなことをしていくとよいでしょう。

2年生の英語は、ネイティブの授業者が英語で話すことを聞き取る授業でした。子どもたちはリアルタイムで話される内容を聞き取ろうと集中しています。授業者は話の途中で適宜質問をはさみます。質問に反応する子どもと受け答えをすると次に進んで行きます。しかし、これでは、反応できない子ども、よく理解できない子どもはそのやり取りに参加できません。他の子どもに反応を求めたり、反応した子どもの答を他の子どもにつないだりして少しでも全員が参加できることを意識してほしいと思います。

2年生の数学は演習の場面でした、子どもたちは指示されるとすぐにiPad上で問題を解き始めます。友だちの解いている様子をリアルタイムで見ることができるので、自信がなくても取り組みやすいようです。子ども同士で相談している姿も見られます。授業者は個々の取り組みを手元のiPad上で見ることができるので、困っている子どもが多いことに気づいています。そこで、作業を止めてもう一度自分で説明を始めました。わかっている子どもは必要がないので聞きませんし、わからない子どもも最初から同じ説明が繰り返されるので、自分がつまずいているところをピンポイントで意識することができません。自分たちで相談しながら解決しようとしている子どもたちもいるので、授業者がもう一度説明するのはあまり得策ではありません。困っていることやだれのどこが参考になったといったことを共有し、相談や友だちのノートを参考にすることで自分たちだけで問題を解決できるようにすることが重要です。
この授業では、別の先生が欠席者のために授業をライブ配信していました。学校に来られなくてもみんなと同じ授業にリアルタイムで参加できることはとても意味のあることだと思います。こういった新しい取り組みにどんどん挑戦し、広げていってほしいと思います。

1年生の数学は絶対値を使った問題の演習でした。子どもたちは友だちが答を説明しても発言者を見ようとしません。一方、授業者は子どもが発言するとすぐに説明を始めます。他の授業ではちゃんと発言者を見ることができる子どもたちですが、この授業では自分たちの発言が活かされないことを知っているので聞こうとしないのです。
また、授業者が解説をしても子どもたちは答を写すことを優先します。しかし、その板書は答だけで試行の過程やポイントとなる考えは残っていません。写すことにあまり意味はありません。数学において大切なのは考え方や解く過程であることがこの授業では意識されていませんでした。
授業者が「絶対値は何か?」と問いかけると「答が正」と返ってきました。「答」という表現からは、絶対値記号を演算子とみなして計算問題として考えていることがうかがわれます。授業者がそれで「よし」としていたことが気になりました。定義の持つ意味を考える意識がないのです。子どもたちを問題の答探しから解放してほしいと思います。

2年生の簿記の授業では、同じ勘定科目が借方になる場合、貸方になる場合を考えていました。子どもたちに考えさせたり、問いかけたりするのですが、反応があるとそれを受けてすぐに授業者が説明します。ペアで説明し合うなど、子どもたちの言葉で説明させたいところです。
子どもたちは経済活動と縁がないため、取引の実際のところがイメージしにくいかもしれません。仕訳例を与えて、その取引のシチュエーションを自分たちの身近な場面でつくるといったことも面白いかもしれません。同じ仕訳となるものでも、色々な取引が考えられます。多様な答が出てくるような課題に取り組むことで、子どもたちの考えが広がることが期待できます。

3年生の地理の授業は中国とタイの経済活動の似ているところ相違点を考えさせるものでした。子どもたちはiPadを活用して調べたデータをもとに考えますが、違いや共通点を見つけてそこで止まります。授業者が子どもたちの気づいたことをもとに半導体について調べるように指示しますが、指示しなくても自発的に関連した情報を集めたり、その理由を考えたりする姿勢を育てたいところです。

体育大会の翌日にもかかわらず、多くの子どもたちが授業にしっかりと向き合っている姿が印象的でした。一方授業の内容については、子どもたちをどう主体的にさせていくかという点が課題として感じられました。学校全体の課題として共有していく必要を感じました。

私立中学校での公開授業(その2)

私立の中学校高等学校の授業公開週間の第2日目です。この日も高等学校は体育祭でしたので、中学校の授業を参観しました。

1年生の社会科の授業では、1日目の他の授業と同じく、子どもがよく反応する反面、直接反応しない子どもに先生の視線が行かなくなっていることが気になりました。子どもたちからは友だちの発言を聞こうという意欲を感じるので、授業者がそういった子どもたちを授業の中に引き込むことを意識すれば、とてもよい授業に変わっていくと思います。具体的には、聞いている子どもたちに「よく聞いていたね。聞いていてどんなことを考えた?」「○○さんの意見、なるほどと思った?」と、聞いていてよかったと感じさせて、言葉を引き出せるとよいでしょう。

若手の1年生の国語の授業は、授業者の話したいことややりたいことだけで進む授業になっていました。授業者は子どもの顔が上がっていなくてもしゃべり、子どもの反応に関係なく先に進めていきます。そのため、授業者が一方的にしゃべり続けることになり、子どもたちは情報過多で処理しきれていませんでした。
作業の時間になると、順調に進む子どもと手が止まる子どもに分かれていきます。授業者は個別に困っていそうな子どもを指導しますが、全体を見ることができていません。手が止まる子どもをまわりの子どもにつなぐか、いったん作業を止めて困っていることを共有して、みんなの課題として考えることが大切です。
全体で作業の結果を発表させますが、指名されなかった子どもは全く発言者に注意を払いません。しかし、発言を受けて授業者がしゃべり始めるとそちらに目を向けます。授業者が結論をまとめるので、子どもたちはその結果だけを求めるようになっていました。自分たちの考えがその後の授業の展開に影響しないことを知っているので、友だちの発言を聞くことに興味がないのです。
できるだけ多くの子どもの考えをつなぎ、子どもの言葉を活かす授業を目指してほしいと思います。

中堅の1年生の国語の授業は、iPadを活用しながら進めていました。
共有ツールを使って、子どもの書いた物をもとに授業を進めています。授業者が子どもの書き込みをピックアップして、それをもとに授業を進めるのですが、iPadの画面を見たまま視線を上げないことが気になりました。子どもたちもその画面を見ているのでしょうが、授業者も子どもも視線が交わることがありません。それならば、スクリーンに大きく映して子どもの顔を上げればよいと思います。
また、リアルタイムに友だちの書き込みを見ることができる共有ツールを使っています。そうであれば、自然に友だちの書き込みが目に入るので、面白いと思うものや気になった書き込みを発表させ、そこから取り扱うものを子どもたちに選ばせると主体的に取り組んでくれると思います。
題材は別役実の「空中ブランコ乗りのキキ」でした。授業者が本文中のキーワードを指定して考えさせていましたが、子どもなりに疑問や気になる表現があったと思います。そこを取り上げて、子どもたちの疑問から授業を展開してほしいと思いました。
授業者にとって都合のよい子どもの考えを見つけるためにICTを使っているように感じました。もちろんそれを全面的に否定するつもりはありませんが、ICTが先生にとって都合のいい道具から、子どもたちが学ぶための道具になるよう意識して使ってほしいと思います。
また、子どもたちの書いたものを「けっこういい」と授業者が評価している場面がありました。授業者が上から目線で子どもを評価していることが気になりました。常に授業者が判断、評価すると、子どもたちは先生の求める答探しをするようになります。子ども同士が根拠を持って互いに評価できるように育てたいところです。

3年生の数学はグループで問題を解かせていました。個人作業のグループ化はよく使われる方法です。ここで授業者に意識してほしいのが、個のわからないことをグループ全体の課題にすることです。かかわり合っている子どもが少なく、相談しても2人で話していることがほとんどです。その傾向を助長しているのが、授業者のかかわり方です。せっかくグループにしているのに、困っている子がいると自分で個別に説明を始めてしまいます。授業者は説明するのではなく、困っている子どもをグループの他のメンバーにつなぐことが大切です。子どもから質問されたり困っている子どもを見つけたりすると、どうしても教えたくなりますが、そこをこらえて他の子どもにつなぐことを覚えてほしいと思います。

3年生の別の学級の数学は、タブレットで個別に問題演習をしていました。この授業者も、困っている子どもに説明することに時間を取られていました。そのため、教室全体の様子を把握してできていません。子どもたちの集中に差が出ているのに気づけず、適切な指導ができていませんでした。ずっと個別に問題を解かせているのなら、子どもたちが教室にいる意味はありません。子どもの困り感を共有して全体で考えるような場面をつくることが必要であることに気づいてほしいと思います。

2年生の数学は同じ授業者の多角形の和を考える授業を2つの学級で見ました。
授業は子どもの既存の知識を確認する場面から始まります。四角形の内角の和を答えさせ、その理由を問いました。子どもたちは360°という結果はよく覚えていますが、その根拠をあまり意識はできていません。反応した子どもを指名して説明させますが、どちらの学級でも、指名した子どもとのやり取りに終始し、その後は授業者が説明してしまいます。この考えをもとにして、この後多角形の内角の和を考えるのですから、全員にきちんと考えさせる必要があります。他の子どもにも説明させたり、まわりと確認させたりしてしっかりと押さえたいところでした。
多角形の内角の和を子どもたちが帰納的に見つけていきます。子どもたちは180°の何倍かになっていることを見つけても、その根拠を明確にすることができません。ここを焦点化して子どもたちに追究させたいのですが、授業者は自分で説明してしまいます。
一つの学級で、多角形の内角の和は180°ずつ増えるという言葉が出ましたが、授業者は自分が準備した三角形に分割する方法で説明しました。ここは、四角形に三角形を足すと五角形になる、逆に五角形の頂点とそこから一つとんだ頂点を結ぶと四角形と三角形ができるといったことから考えを深めてほしいところでした。
教科書に付属している動画も使って子どもたちにわかりやすい授業をつくることはできています。もう一歩進んで、子どもから出てきた言葉から授業をつくることを意識してほしいと思います。
授業者は指摘されたことを素直に受け止めることができます。新人のころからコツコツと地道に授業改善を重ねています。きっと今回のアドバイスも活かして、ステップアップしてくれると思います。

この日は、子どもたちが自分たちで学ぶのではなく、授業者が教えようとする授業が目につきました。子どもたちの主体性を意識した、子どもたち目線の授業がまだまだ広がっていないことが残念です。互いに授業を見合いながら地道に改善を続けてほしいと思います。

私立中学校での公開授業(その1)

私立の中学校高等学校の授業公開週間に参加しました。その第1日目です。高等学校はこの日体育祭でしたので、中学校の授業を参観しました。

1年生の理科の授業は物質の分類を考える場面でした。子どもたちが事前に行なった分類を見合って「気づいたこと」「感じたこと」を指名して発表させますが、何を言えばよいのかわからず、なかなか発言することができません。「気づいたこと」「感じたこと」という問いかけは先生からすれば何を言ってもよいので答えやすいように思いますが、実はそうではありません。子どもたちは、先生が求める答があることを知っているからです。ここでも、何人かの発言に対して授業者は否定しませんがすぐに次の子どもを指名します。ところが、「見た目で分けている」という答に対しては「あっ、そうだよね」と同意を示します。結果子どもたちは、それが先生の求めている答だったんだと思うことになります。たとえ授業者が期待した答や反応でなくても、「なるほどね」としっかりと受け止め、「いいね」といった評価は子どもたちから出させるようにする必要があります。「今の意見をどう思う?」「似た意見の人いない?」と他の子どもにつなぐことが大切です。
金属、化合物、有機物といった教科書に書かれている物質の分類を与えて、その説明(定義)をするスライドづくりをするのがメインの活動でした。グループごとに分類を与えて1枚のスライドにまとめて発表します。子どもたちは個別に教科書やネットで調べれば情報が出てきますので、友だちと相談する必要を感じていないようでした。子どもたちがかかわりだしたのはスライドつくりに入ってからです。グループで1枚にするのでかかわらざるを得ません。1枚としたのは分担作業にしないための方策としては有効だと思います。スライドの見せ方に工夫するグループもあれば、文字情報をのせずに口頭で説明するグループもありますが、どのグループも説明の中身についてはあまり深く考えていません。調べた内容を整理してみせるだけで、その中身をきちんと理解しようとはしません。意味がようわかっていないのに「周期表」という言葉使っているグループもありました。そもそも物質の正確な分類の定義など中学生の知識では無理です。調べれば調べるほど疑問や理解できないことが増えるはずですが、子どもたちからは困り感が感じられません。とりあえず答がみつかったからそれでよいのです。調べ学習で注意すべきはこの答探しに陥ることです。また、金属は磁石にくっつくという自分の経験からの誤った知識を発表するグループもあります。授業者は子どもたちからの異論を期待して、自分からは特に訂正をしませんでしたが、反応はありませんでした。それぞれのグループが自分たちの課題の発表しか考えていないことがわかります。グループ活動での注意点が明確になった授業でした。
授業者もこれらの課題に気づいて、その日の夜に他の学級での授業の課題や流れを考え直したそうです。具体的には、物質の分類に入る前に、いくつかのごみを分別するというグループ活動を導入しました。分別のルールが住んでいる地域によって異なるため意見が分かれ、子ども同士が頭を寄せ合って相談する姿が見られました。この単元での目的は、物質の詳しい定義を知ることではなく、分類の必然性とその視点(性質、構成…)を理解することです。そこに気づかせるきっかけとなる面白い活動でした。授業が思い通りにいかないことはよくあることです。そこで止まるのではなく、新たな工夫をすることで授業は改善されていきます。いろいろと挑戦し、たくさんの失敗をするからこそ、授業はどんどん進化するのです。

この日いくつかの英語の授業を見たのですが、共通していたのは、反応する子どもとだけで授業が進んでいることでした。以前と比べて学力的に高い子ども、意欲のある子どもが増えたせいでしょうか、授業者の問いかけに子どもたちがよく反応します。子どもが反応してくれると授業者もそれを取り上げますが、その子どもたちとだけのやり取りになっていました。他の子どもにつながず授業者だけが受け止めるので、反応しない、できない子どもはそこに参加できません。どのような問いかけをし、どう全体を巻き込むのかを意識することが大切です。
「鶴」を英語で何と言うか問いかける場面がありましたが、知識を問いかけることに意味はあまりありません。考えて答が出るわけではないので、教えるか調べればよいのです。鶴が”crane”だと調べた子どもやあらかじめ知っている子どもがいて答えてくれたのは悪いことではないですが、他の子どもにも、「調べた?」「それでいい?」と問いかけ、知識を他から与えられてよしとしないようにさせたいところです。
ワークシートをiPadに配信して利用したりと、ICTの活用が進んでいます。しかし、子どもたちがiPadの画面を見続けていることが多いことが気になりました。友だちが話していても、自分のiPadを見続けている子どもが目立ちました。ペアでの会話練習もiPadの画面を見て話しています。紙のワークシートでも同じことが起こりますが、あらかじめ決められたパターンの文で会話するにしても、話す時は相手の顔を見て話させることが大切です。そうでなければ、音読の練習と何ら変わりはありません。
iPadを見るのをやめさせようとすると、「画面を閉じて」「iPadを片付けて」と注意をする先生が多いのですが、そうではなく今の場面にふさわしい行動を考えるよう求めるのが大切です。ICT機器をどう使うべきかを子どもたち自身が正しく判断できるようにしたいものです。

2年生の社会は、白地図に日本の旧国名を書き込む作業でした。子どもたちは黙々と作業をしていましたが、授業者がどのような力をつけたいのかがよくわかりませんでした。これから歴史の中で旧国名が出た時に困らないようにしたいというのはわからないわけではありませんが、47都道府県よりはるかに多いものを一度写したからといって名前と位置を覚えられるわけではありません。「近江」「遠江」、「上総」「下総」といった関連のありそうな国名を見つけてその由来を調べさせたりする方が子どもたちの記憶にも残るでしょう。大切なことは、知識は使わなければ身につかないことです。旧国名が出てきた時にストレスなく調べられる状態にし、わからなければすぐに調べる習慣をつけることです。何度も調べる旧国名は自然に身に付くはずです。これからの時代に合った発想をしてもらえればと思います。

3年生の体育は卓球の授業でした。授業者は子どもたちをしっかりと集中させて説明を聞かせます。グループで練習している時でも、指示を出す時は活動をきちんと止め、必要に応じて集合させたりして、集中して聞かせることができていました。体育の先生にとっては基本ですが、それを徹底することはとても大切なことです。毎時間の振り返りシートの書き方の説明もわかりやすく、しっかりと聞かせていました。ただ、残念だったことはその目的を明確にして伝えていなかったことです。評価に使うことは伝えたのですが、それでは本来の目的からずれてしまいます。上手になるためのサイクルを回すという目的と、具体的にどう活用すれば上手くなるかといったことを伝えてほしいと思います。
子どもたちは積極的に活動しますが、卓球台に限りがあるので全員が一度にできるわけではありません。体育の授業では子どもたちの活動量を増やすのが大切ですが、場所や道具の制約でどうしても順番を待つ場面がでてきます。身体を動かすだけが活動ではありません。友だちのプレーを見たりアドバイスをしたりすることも立派な活動です。待っている時や見学している時に友だちのプレーに対して声をかけたり、プレー後にアドバイスをしたりする役割を与えるとよいでしょう。iPadを使って友だちのプレーを撮影するといった役割を与えるのもよいでしょう。漫然と撮影するのではなく「よい」「参考になる」プレーを撮るといった目的意識を持たせるのがポイントです。

中学校では子どもたちが意欲的に学習に取り組む姿をたくさん見ることができました。だからこそ、彼らをどうやって伸ばすかが今後大きな課題となってきます。授業改善のハードルが実は一段と高くなっていることを感じました。

授業参観から子どもたちの現状と課題を考える

私立の中学校高等学校で、新しく赴任された先生、若手の先生と授業参観を行い、その後面談を行いました。

授業中の子どもたちの様子を同行の先生と確認しながら、現状と課題についてお話ししました。
高等1年生はとても落ち着いていました。先生の一方的な講義に対しても、ごそごそしたりする子どもはほとんど見当たりません。ただよく観察すると、同じ受け身でも子どもの姿がバラバラの教室と、そうでないが教室があることに気づきます。バラバラな教室では授業者が子どもたちとのコミュニケーションを意識していません。子どもたちと目を合わせず、ひどい時は誰もいないところを見て話し続けていました。たとえ一方的に話し続ける状況でも授業者が子どもと目を合わせようとしていれば、子どもたちの集中は続いていました。また、子どもたちが積極的にかかわりあう場面では、よい表情で授業に参加する姿を見ることができます。子どもたちが活動する場面、かかわり合う場面を意識してつくってほしいと思います。

キャリアを意識したコースの1年生では、授業中の子どもたちが分断されているように感じる場面が多くありました。どの子どもも授業に参加しようとはしているのですが、授業者が正解を求めるので、わかる子どもしか手が挙がりません。挙手した子どもとしかやり取りをしないので、そこに参加できない子どものエネルギーが下がっていくのです。その一方で、反応する子どもは先生とのやり取りでテンションが上がり、ますます参加できない子どもとの差が広がっていきます。参加できない子どもたちは、仕方がないので発言のやり取りを聞かずに、写す意味のない板書を写していました。先生のまとめの説明をしっかり聞くのですが、それを聞いても一部の子どもは理解できずに困っていました。こういった状態が続くと、参加できない子どもがしだいに授業から離れていってしまいます。子どもたちの困ったこと、わからないことを取り上げ、全体で解決するような授業が求められていると思います。

高校2、3年生の授業ではICTを活用する場面が増えています。しかし残念ながら、従来の講義型の授業の一部をICTに置き換えているものがまだ主流です。スクリーンにスライドを映して説明する授業や、タブレットに配信したワークシートでの個人作業をスクリーンに映し出して発表するといったものです。もちろん授業が効率化され、共有もしやすいので価値のある使い方なのですが、ここからさらに進んで、子どもたちが主体的に学ぶための道具としての活用が増えてほしいと思います。もちろん、タブレットが個人作業から共同作業の道具となっている授業もあります。クラウド上に先生が用意した資料や説明動画をアップして、困った時に子どもたちがすぐに見られる環境をつくっている先生もいらっしゃいます。今後こういった実践を学校全体で共有する場面をつくっていくことが課題です。
ちょっと気になる授業がありました。スクリーンに映した動画を一斉に見ながらワークシートの穴埋めをするというものです。子どもたちの視線は、スクリーンと自分の手元を行ったり来たりしています。一斉に見せるのは授業者にとって効率的かもしれませんが、子どもたちが見逃したり、気づけなかったりしたことは振り返って確認することができません。また、ワークシートを使うとどうしても穴を埋めるための、答探しになってしまいます。一斉に見せるのであれば、見落としたことや気づけなかったことに気づく手段を用意することが必要になります。たとえば、ワークシートの穴を埋めるのではなく、動画を見て気づいたことをメモさせて、リアルタイムに見合えるようにするのも一つの方法です。少し時間はかかりますが、動画を各自のタブレットでイヤホンを使って視聴させると、気になったところを見返すこともできますし、友だちのメモに書いてあることを確認することもできます。ワークシートの穴埋めは自分なりの整理できた後で使えばよいと思います。こうすることで、教材としての学び以外にも、情報を読み取り整理する力がつくと思います。
もう一つ気になったのが、ICTの活用が増えるにつれて、子どもたちがかかわる場面が減っていることです。ICTを活用して答や考えが共有できるからといって、互いに質問したり相談したりする必要がなくなるわけではありません。オンライン上でのやりとりも可能ですが、まだまだうまく機能しているようには見えません。新型コロナウイルス対策の問題もありますが、どのような形にせよ、子ども同士が聞き合う場面は確保してほしいと思います。

中学校は全体的に落ち着いていました。1年生は例年と比べても学習意欲が高い子どもが多いように思います。子どもたちが話を聞いてくれるので、わかる子ども、反応する子どもとのやり取りだけで進んで行く授業が多いようです。また、学力差もあるようなので、反応できない、参加できない子どもたちをどうやって授業に引き込むかが課題です。答ではなく、困っていること、わからないことを発言させ、全体で共有し、子ども同士で学び合うような場面を増やすことが求められます。困っている子どもと他の子どもをつなぐことをこれまで以上に意識してほしいと思います。
3年生は以前と比べて授業規律が格段によくなっていました。子どもたちが3年生であることを意識して変わろうとしたことと、新しく来た先生が担任として加わったことがよいきっかけになったようです。ただ気になったのが、先生がやや上から目線で指示を出し子どもたちをコントロールしていることでした。新学年当初はこれでもよいのですが、子どもたちがきちんと指示に従えるようになっているので、ここからはできるだけ指示がなくても自分たちで判断して行動できるようにしてほしいと思います。この点を伝えたところ先生方もそのことは次のステップとして意識しているようでした。次回の訪問で子どもたちがどう変化しているか楽しみにしたいと思います。

高校の一般のコースの先生から進路指導について相談を受けました。初めての3年生の担任ということで、どのように指導すればよいか悩んでいるようでした。まわりの担任の先生は子どもたちを引っぱっていこうとするタイプが多いようですが、この先生のスタイルとは合わないようです。短期的に見れば、「こうやって勉強しよう」「成績を上げよう」「頑張ってよい大学へ行こう」といった言葉で子どもたちに勉強をやらせようとするのは効果があるように見えます。しかし、このコースでは評定を上げて推薦で進学しようという子どもが多数です。絶対評価とはいえ、推薦に関しては相対評価の面もあります。学校の仲間がライバルとなり、同じように頑張っても相対的な位置は簡単には変わらないため、結果が出ずに苦しんだりします。担任として自分の学級の成績を上げることは相対的に他の学級の成績を下げることにつながったりします。コース全体から見れば苦しい子どもや孤立する子どもを増やすことにつながりかねません。また、大学へ行くことが目的化して、推薦が決まればそれで学習意欲を失くしてしまうこともよくあります。そうではなく、自分の将来を意識して何を学びたいのか、そのためにどのような進学先を選ぶのか、だから今何を頑張るのかといったことを意識させることが先決です。本来であれば1、2年生で考えておくべきことですが、まだまだそこには至っていないようです。
子ども同士で互いに将来のことをどう考えているのか聞き合う機会をつくることを提案しました。自分の言葉で自分の将来や、進学の理由を語ることは自分の意志を明確にすることにもなります。進路意識がしっかりすれば学習意欲も高まります。深く考えている子どももそうでない子どももいるでしょう。だからこそ聞き合うことで刺激し合え、仲間として支え合える関係がつくられていきます。上から子どもを引っぱるのではなく、子どもたちが孤立しないような関係をつくることに注力してほしいと思います。苦しんでいる子どもを他の子どもにつなぐことや、子どもの苦しさに寄り添って下から支えることを大切にする。このようなスタイルがこの先生には合うのではないかとお話ししました。

授業後、新しく赴任した先生方を集めてお話ししました。この学校で今目指しているのは、主体的に学びに向かう子どもたちを育てることです。子どもたちが疑問を持ったり、もっと知りたいと思ったりするようなテーマや課題が主体性を引き出すためには大切です。教えること中心の授業から、子どもたちが自ら動き出すきっかけをつくる授業へとパラダイムシフトすることが求められます。口で言うのは簡単ですが、実際にはなかなか難しいことです。このことを歴史の課題を例にしてお話させていただきました。どの先生もとても前向きで、この学校に新しい風が吹くことが期待できそうです。これからこの先生方がどのような授業をされていくのかとても楽しみです。

子どもを見る

小学校で若手の先生4人への授業アドバイスと現職教育の講演を行ってきました。

2年生の担任は初任者ですが、講師経験は豊富な方でした。気温が高い中、学級の子どもたちは昼休みに元気に遊んだようです。授業の始まりの挨拶後、授業者は子どもたちに水筒の水を飲むように指示しました。これからの季節、このような配慮はとても大切なことです。
少し動きの遅い子どもがいます。授業者は優しく「飲んだら早く戻ってきてね」と声をかけました。一見何も問題ないようにも見えるのですが、ちょっと上から目線のように感じました。そのことをより強く感じた場面がありました。授業中、子どもたちの集中が切れて何人かが勝手にしゃべりだした時です。優しく注意してもなかなか静かにならないので、とうとう授業者は、「もうやめよ!」と強い口調でしました。最終的に上から力で押さえると、子どもたちは厳しく言われるまでは従わなくてもよいと思うようになります。どこまで許されるか、先生を試すようになります。上から目線で注意するのではなく、「集中しよう」とよい行動を促し、「○○さん集中しているね」「△△さんすぐに口を閉じたね、えらいね」とできた子どもをほめ、よい行動を広げるようにしてほしいと思います。
「たんぽぽのちえ」という教材の導入です。たんぽぽの花、綿毛、葉の写真見せて共通していることは何かを聞きます。子どもたちのテンションは上がりますが、その一方でそのテンションについていけない子どもは授業から離れていきます。授業者は何人かに発表させたあと、「たんぽぽが正解」と言います。正解と言った瞬間、また子どもたちのテンションが上がりますが、その後一気に集中力がなくなりました。思いついた答を発表するだけのクイズでは考える場面がありません。どうしてもテンションが上がります。導入で子どもたちを授業に引き込むのが目的であれば、あまり時間をかける必要はありません。子どもたちが喰いついたら、すぐに次に進みましょう。根拠を問うことや、考えを深めることに時間をかけるよう意識してほしいと思います。

5年生の学級は家庭科の授業でした。子どもたちに「これは、どういう意味か知っている?」と問いかける場面がありました。授業者は、指名するたびに発言した子どもを名票でチェックしていました。平等に指名するためかもしれませんが、主体性を発言で評価しているのかもしれません。「知っている?」と知識を問えば、知っている子どもしか活躍できません。子どもたちの発言で授業をつくろうとしているのですが、一部の子どもの発言だけで進んでいます。参加できない子どもは発言者や授業者を見て話しを聞くのではなく、写す必要がない板書を写していました。授業に参加したいと思っていても、他にやれることがなかったのでしょう。だれもが参加できることを意識して発問を工夫することが必要です。授業者は挙手する子どもだけに目が行って、こういった苦しい子どもの姿が見えていないようでした。
知識は基本的に教えるか調べるしかありません。この学校では一人一台のタブレットも導入されています。タブレットの利用も視野に入れるとよいでしょう。単に調べさせて結果を発表するだけでなく、どうやって調べたかを発表させたり、調べたことをもとにまわりとかかわらせたりといろいろな活用が考えられます。
また、わからない子どもでも授業に参加しやすくするためには、答でなく困っていることを聞くようにすることが有効です。子どもが安心して「わからない」と言える雰囲気が醸成され、全員が授業に参加できる土台をつくることができます。
こういった授業の課題は子どもたちの様子に気づくことで見えてきます。授業改善の第一歩は、子どもたち一人ひとりの状況を意識して見ることだとお伝えしました。

特別支援学級は、たまたま授業者と子どもが一対一の場面でした。授業者からは、「わからないとすぐに先生に質問して、粘り強く考えられないこと」がこの子どもの課題だと聞きました。しかし、授業者は、子どもが考えに詰まったと感じると、すぐに、何に困っているのかと声をかけたりヒントを出したりします。子どもが困っているのをほっとけないのでしょう。特別支援に限らず個別指導を行う時によくあることです。粘り強く考えてほしいのであれば、ここはぐっと我慢するところです。また、授業者は子どもと正対して声をかけていました。正面ではなく横に座って寄り添うようにして、「頑張って考えているね」とその姿勢をほめるようにするとよいでしょう。

4年生の算数の授業は、担任を初めて持つ講師の先生でした。初めての担任ということでとても意欲的に授業に向かっているのを感じました。しかし、授業者のエネルギーは解き方を教えることに向かっていました。
割り算の筆算の場面でした。筆算の板書を前に「答は?」と、筆算のどこが答えになるのかを問いかけました。指名した子どもは「23あまり1」ですと答えた後「、どうですか?」と問いかけ、子どもたちからは「いいです」と声が上がりました。ここで注意してほしいのは、形式的な「いいです」には意味がないことです。子どもたちは理解していなくても「わかりません」とは言わないので、結果「いいです」の声しか上がりません。しかし、それでよいことにして、そのまま授業が先に進むことがよくあります。この場面では、単純に筆算のどこが商で、どこがあまりかもよくわかっていない子どももいるでしょう。授業者は最後のあまりの部分を「あまり」と板書しますが、「いいです」と言っているのですから、「あまりはどこになるの?」と子どもに答えさせるとよいでしょう。
また、ここにあまりが出てくる理由は確認しませんでした。整数の割り算のあまりを考える時に大切なのは、「これ以上割れない」、言い換えれば「あまりが除数よりも小さい」ことです。このことを元に、桁ごとに割ってはあまりを計算し、順番にあまりを小さくしていっていることが割り算の筆算の本質です。やり方を教えるだけでなく、その根拠を考えることを大切にしてほしいと思います。
ペアで計算の説明する場面がありましたが、子どもは相手の話を聞いていません。ペア活動のゴールが不明確で聞くことに意味がないからです。ペア活動では聞き手側の役割を明確にする必要があります。単に説明を聞いてわかったかどうかではなく、相手の説明のよかったところを発表させたり、相手の考えを代わりに説明したりすることをゴールとして求めるとよいでしょう。
指名した子どもを黒板の前で発表させる場面がありました。授業者は教室の後ろから発表者を見ていましたが、これでは全体の様子を見ることができません。誰がよく聞いていたか、理解できていたか、どこがよくわかっていなかったか、といった子どもたちの反応をしっかりとらえて、次の展開を考える必要があります。教室の前の入口側か窓側に立つようにすると発表者も聞いている子どもも同時に見ることができます。ここをホームポジションにするとよいことをお伝えしました。

この日授業を見た先生方に共通していた課題は、子どもを見るということでした。決してよそ見をしているわけではないのですが、子どもの反応を見て次の展開につなげることができていないのです。自分の考える授業展開に沿って進めようとして、子どもの状況によって授業を変えることができていないのです。別の視点で言えば、「この場面で子どもたちにどうあってほしい」が意識されていないのです。そのため、子どもたちの様子が気にならないのです。
こういったことをお話しさせていただきましたが、どなたも素直に受け止めてくれました。次回の訪問が楽しみです。

全体の場では、子どもたちの主体性をどう育てるかについてお話させていただきました。
主体性を育てるためには、安心安全な教室になっていることが大前提です。安心安全な教室をつくることについては、前回訪問時にお話しさせていただいているのですが、新学年ということで再度確認させていただきました。
「先生の指示に従える(規律)」「指示しなくても行動できる(自主)」「自分で行動を決定する(主体)」の3つの段階を意識することをお願いしました。子どもたちが指示に従えるようになると、かえって指示が増える先生もいらっしゃいます。指示に従えるようになったら、指示を減らすようにすることが大切です。「次の指示を想像させる」「AかBか選択させる」「どうなりたいかを意識させ、その達成方法を考えさせる」といった段階を踏むことで次第に主体的に行動ができるようになると思います。
授業に関しては、子どもたちが興味を持って「やりたい」と思ってくれば、主体性という点ではほぼ解決です。大切なのはどのような課題を準備してどのように提示をするかです。「えー?」「あれっ?」「どういうこと?」といった言葉が子どもたちの口から上がってくれば最高です。
また、自分たちの考えで授業が進むことが子どもたちの自己有用感を育て、主体性につながっていきます。そのためには子どもたちの言葉で授業をつくることが重要になります。特に意識してほしいのが授業のまとめを先生がしないことです。せっかく自分の考えを持てたのに、最後は先生がまとめてしまっては、自分たちのやってきたことの意味がなくなってしまいます。「子ども自身にまとめさせる」、「子どもの言葉をそのまま板書する」ことを基本にしてほしいと思います。
限られた時間で先生方にどの程度伝わったかはわかりませんが、私の言葉に反応しながら真剣に聞いていただけました。次回訪問時の子どもたちの様子を楽しみにしたいと思います。

「EDUCOM 元気な学校づくりフォーラム2021」のお知らせ

画像1 画像1
株式会社EDUCOM主催でオンラインフォーラム「EDUCOM 元気な学校づくりフォーラム2021」が6月20日(日)午後1時より開催されます。
今回のテーマは1人1台の端末活用をテーマに、多くの実践エピソードを講演とパネルディスカッションで紹介していきます。「1人1台端末の活用をこれからどうしていこうか? これでよいのだろうか?」といった先生方の悩みの解決に大いに役立つはずです。
各セクションは25分ずつのオンラインなので、興味のあるセクションだけでも気軽に参加することができます。(どのセクションもお勧めですが・・・)

無料ですが、事前に申し込みが必要です。
詳しくは株式会社EDUCOMのWEBをご覧ください。

新年度の子どもたちの姿から見えた課題

連休前に中学校で授業参観を行ってきました。

昨年と違って今年度は対面で新年度を迎えることができました。それだけでも、よかったと思えます。

1年生は、授業規律が学級によって差があるように感じました。3学級合同の体育の集団行動の練習では、子どもたちの動きが明らかに学級によって異なっていました。体育の着替えに使用した教室の様子も、学級ごとに大きく異なっていました。同行した先生方には、廊下を歩く時でも教室の様子を見ることを意識するようお願いしました。4月当初の緊張が弛んできていることが心配です。
個人作業の場面ではよく集中していても、全体で先生の話を聞く場面では緊張が続かない学級も目に付きました。先生が話し始める時はどちらかと言えば緊張過多気味なのですが、すぐに集中が切れてしまうのです。これは先生が瞬間的な規律を求めていることが要因の一つだと思います。とりあえずよい姿勢を取ればそれでよく、あとは子どもの姿を気にせずに一方的に授業を進めているのです。特に1年生の最初は、真剣に話を聞いている子どもを認め、子どもとの対話(キャッチボール)を意識することが大切です。子どもたちが柔らかい状態で授業に集中することを目指してほしいと思います。
授業後、毎回学年主任とお話しするのですが、1年生は若手を中心に希望者も一緒に話を聞いてくれました。意欲的であることをとてもうれしく思いました。話をする中で、自身の授業規律の目指すべき姿が意識できていないと感じることがありました。学ぶ気持ちのある先生方なので、学年会などで気軽に困ったことや疑問を聞き合えるようになってほしいと思います。若い先生は成長も早いので、今後を楽しみにしたいと思います。

2年生は昨年度、新型コロナの影響で子どもたちの人間関係がうまく構築できていなかったのですが、今年度はかなり変化が見られました。年度末に先生方が意識して関係をつくろうとした結果だと思います。ただ、授業を通じた人間関係よりも生活面での人間関係が強くなっているように感じました。授業では誰とでもかかわることができることが大切ですが、普段仲のよい子どもとつながろうとする様子が見られるのです。グループでの活動が始まる前や停滞した時に、グループ以外の友だちに話しかける姿を目にします。よい意味で緩い、肩の力が抜けた状態でグループ活動ができている反面、テンションが上がりすぎたり授業と関係のないことで盛り上がったりする姿も見られます。先生方にはこれを悪い状態ととらえるのではなく、子どもたちが成長していく過程ととらえ、次のステップに向けて動き始めてほしいと思います。
また、子どもたちへの指示について気になる場面がありました。小テストが終わった後、教科書を出す、ノートを出すといったことをいちいち指示しているのです。新年度が始まったばかりなので、授業ルールを徹底させたい気持ちはわかりますが、中学2年生です。指示しなくても動けるようにすることが大切です。主体性を育てることが強く求められていますが、その前の段階として何をするべきかを考えて行動する自主性を育てることが必要です。その結果、「調べていいですか?」「相談していいですか?」と主体的な姿勢への変化が子どもたちに見られるようになり、最終的に先生に聞かなくても自分で判断して行動できるようになることが理想です。

3年生は、最上級生らしい素晴らしい姿を見ることができました。英語の授業で、授業者がスクリーンに教科書の本文を映しながら、子どもたちと英文を読んでいきます。「○○」と言ったんだねと、文章の内容は説明せずに、会話のシチュエーションだけを伝えていきます。子どもたちは内容を理解しようと集中して聞いていました。本文読み終った後、どんな内容だったかを子どもたちに問いかけます。子どもたちはわかったことを一生懸命に伝え合います。何人かを指名しますが、授業者は「なるほどね」「どう、同じ?」とつないでいくだけです。最後まで何も教えずに「じゃ今からしっかり読んで行こうか」と先に進めました。子どもたちは授業者が教えないことを知っているため、自分たちで理解しようと一生懸命頑張ります。しかし、表情はとても柔らかく終始笑顔で楽しそうです。友だちと学ぶことが楽しいのです。時間があればずっと子どもたちの様子を見ていたい授業でした。授業者はどちらかというと説明したいタイプの方でしたが、しゃべりたいのをずっと我慢して笑顔で対話することを心がけていました。授業改善を常に意識している方ですが、ここでまた大きく進化したようです。成長をとてもうれしく思いました。ただ残念だったのは、これからていねいに文章を読んで行こうという時に、本文のキーワードに色をつけたものを提示したことです。せっかく子どもたちが前のめりに参加しているので、「困ったところ、友だちと話してもよくわからなかったところない?」と子どもたちからキーワードを出させるとよかったと思います。
全体の場でこの授業での子どもたちの姿のよさを伝えたところ、早速その先生の授業を見るツアーを主任が組んだようです。こういった素早い動きがあることがこの学校のよさだと思います。
しかし、この日見た3年生の他の授業では子どもたちの笑顔を見ることがありませんでした。3年生ということもあり、受験を意識したワークシートなどを使った答探しと解説の授業がほとんどだったのです。子どもたちは集中して課題取り組みますが、どうしても受け身です。先ほどの英語の授業ではとても素晴らしい姿を見せてくれるような子どもたちです。授業者の意識ひとつで、姿は大きく変わると思います。
実はこのような傾向は3年生の授業に限りません。ベテランの先生などはとても話がうまく、わかりやすい説明もされるのですが、積極的に挙手する子どもたけを指名し、すぐに先生が解説する、できる子どもだけが活躍する授業になっています。昨年度の休校の影響で授業を進めることが強く意識されたことと、それでも子どもたちがちゃんと授業に参加していたことで、先生が楽することを覚えてしまったように思えます。この点を改善していくことが学校としての課題でしょう。

進路担当の先生から、今年の公立高校入試で定員割れが続出したことについて相談を受けました。この学校の周辺でもかなりの公立高校が定員割れを起こしたようで、3年生の子どもたちが受験を安直に考えて学習意欲が落ちることを懸念されていました。高校に合格することが目的の学習から、将来を意識した学習へと意識を変えていくことが必要と思われます。とは言え、10年後20年後どのような人生を送りたいかといったことを今考えるのは多くの子どもにとっては難しいことだと思います。まずは自分の興味や関心と向き合う時間を取ることから始めるとよいでしょう。また、3年生では各高校の特色を調べる活動の時間があると思います。そこで、ただ調べるのではなく、その高校がどんな人に向いているかを発表させることを提案しました。進学した後の生活や進路、将来を意識させるためです。「単に高校に進学できればよい」から「この学校に行きたい」と気持ちが変化することで、学習意欲も高まっていくと思います。
2年後には愛知県の公立高校の選抜方法も変わる予定ですし、私学は1年前倒しで新しい選抜が導入されそうです。おそらく学ぶ意欲のある子どもを選抜するような変更があると思います。中学校現場も、主体的に学ぼうとする子どもを育てることがより一層重要になると思います。

新型コロナウイルスへの対応で、まだまだ学校現場は厳しい状況が続くと思いますが、子どもたちへのかかわりがおろそかにならないことを願っています。

評価について先生方と打ち合わせ

私立の中学校高等学校で教科主任の先生方と打ち合わせを行ってきました。

先生方の共通の課題としては、新学習指導要領下での評価があげられます。これまで観点別評価を行ってこなかった高等学校では来年度に向けてどのようにしていけばよいのか多くの方が悩んでおられました。評価と合わせてそれに連動する評定も悩みの種です。
評価は子どもたちが成長するための気づきにつながることが基本です。特に主体的に学習に取り組む態度の評価は子どもたちの調整力を働かせることにつなげることが強く求められます。先生からの評価だけでなく子ども自身が自己評価しメタ認知を働かせることも重要です。先生からの評価は子どもの成長のためのサイクルの一部でしかありません。このことを意識していただくようにお願いしました。
実技教科などでは、先生がグループや個人の活動場面で個別に観察指導しているので評価は特に困らないと考える方もいるかもしれません。しかし、子どもたちが指導や仲間とのかかわりを通じてどのように自己の学びを調整していったかは、外部からでは見えにくいところがあります。単に言われたことを実施してスキルアップしたのか、自分なりに解釈を加えて工夫をしたのかは本人にしか、いや本人でも明確に認識するのは難しいと思います。そういった点を認識するためには、メタ認知を働かせることが有効になります。毎時間ごとに振り返りを書き、単元の最後などにそれまでの振り返りを振り返ることがメタ認知を促します。この学校では一人一台のタブレットが導入されていますので、うまく活用して、振り返りを活動の記録(実技であればプレイや演技の動画や写真)と合わせてポートフォリオとして蓄積することが望まれます。細かい運用は教科に任せるとしても、今から学校全体で基本となる仕組みを作ることが必要です。このことを検討するようお願いしました。
また、今後評価をもとに評定をどうつけるかが大きな問題となってきます。学習指導要領では評価と評定の関係は明確に示されていません。評定をどのようにしてつけるかを学校として明確にすることが求められます。大学推薦の基準では評定が利用されます。保護者や生徒の関心が高いだけに、客観的な事実をもとに誰に対しても明確に説明できる透明性が重要になります。具体的にどうやって評定をつけるべきかは私から提案することではありませんが、このことを意識することだけは強くお願いしました。

新学習指導要領を受けて授業をどのように変えていくのかについても、いろいろとお話することができました。既に授業改善への取り組みが進んでいる教科や、求められていることは理解していてもなかなかその一歩が踏み出せない教科と状況は様々です。進んでいる教科も個々での取り組みが主で、教科全体としての方向性までには至っていないようです。新学習指導要領をきっかけに教科としての取り組む方向が明確になることを願います。
一人一台のタブレットの活用も日常的になってきました。今後、新学習指導要領への対応も含め、どのように活用するかがより一層問われるようになってきます。より深い学びにつながる道具として、子どもたち自身が判断して活用する場面が増えることを意識してほしいと思います。

3年生の主任から、志望大学に関して、で少しでも偏差値の高いところを目指そうとしている生徒への対応について相談を受けました。偏差値が低い大学に入ってまわりからバカにされたくない、大学のランクが自分のランクになるので偏差値が高い大学に進学したい。そういった考えが志望動機のようです。自分が何を勉強したいか、どうなりたいかでなく、大学に入ることが目的化しているようです。もちろんこういった生徒は一部なのですが、保護者も含めて大学ランキングにのみ意識が行ってしまい、将来の進路設計を考えようとしないことに先生は危機感を持っていました。社会に出れば、どの大学を出たかではなく、何を学んだか、何ができるかが問われるのですが、そのことを伝えてもなかなか理解してもらえないようです。保護者がかつての出身大学で就職が決まっていた時代の感覚から抜け出せないのも大きな理由でしょう。無理をして合格可能性の低い大学を目指すことを否定するわけではありませんが、例え合格してもその後が続かなくなることが心配です。目先の見栄ではなく、将来について真剣に考えてほしいのです。
私からは、進路について考える時間をとることを提案しました。先生が何かを話すのではなく、子ども同士で志望理由を聞き合わせるのです。偏差値やランキングではなく、自分の学びたいことや大学の特色をもとに志望校を考えている子どもも一定数いるはずです、友だちの考えを聞き合うことで彼らの視野が広がることを期待したいところです。

英語の授業に関連して、リスニングの取り組み方について提案をさせていただきました。子どもたちはイヤホンを持っているので、個別にリスニングの音源を何度も聞くことができます。また、この学校ではリアルタイムに書き込みを共有できるアプリが導入されています。そこで聞き取れたことをネット上に書き込み、リアルタイムで共有するのです。聞き取れるまで繰り返し聞くことと合わせて、友だちの聞き取れたことをすぐにヒントにして聞くことで自分の耳で聞き取るチャンスが増え、聞く力をつけることにつながります。リスニングでは試験の形式を意識してか一斉に聞いて解答する授業が多いのですが、聞く力をつけるためには一人ひとりの聞き取りを大切にする工夫が大切だと思います。こう提案したところ、やってみたいと前向きなお答をいただけました。結果の報告を聞くのが楽しみです。

この日は、高校1年生の授業の様子と中学校全体で取り組むゼミの様子を参観しました。高校1年生は例年と比べて子ども同士の人間関係が柔らかく見えました。先生との関係も良好で、家庭的な雰囲気を感じさせる学級が多くありました。今年度8学級あるコースを2つのグループに分けて、3年間その枠を崩さないことにして実質4学級ずつの2つのコースに分けたことも影響しているかもしれません。この後実施されるオリエンテーション合宿では、子ども同士の関係が既にできているので、人間関係づくりのプログラムで子ども同士がなれ合い状態にならないように気をつける必要があるかもしれません。規律を守るべき場面と、かかわりを大切にする場面とのメリハリを意識してほしいとお伝えしました。
中学校のゼミはテーマごとに学年を越えて集まった小集団で活動を行うのですが、ゼミによって生徒の様子が大きく異なることが気になりました。担当の先生がどのような子どもの姿を望んでいるかの違いというか、そのことを意識しているかどうかの違いのように思われます。床に座り込んでタブレットで作業しているようなグループも目に付きます。まだ学習規律が整っていない1年生がこのような状況で活動することはちょっと心配です。また、男子同士、女子同士になっているグループばかりのゼミがあることも気になりました。中学校では意図的に男女が交わるグループにした方がよいように思います。中学校としてゼミの持ち方、進め方を再度すり合わせる必要を感じました。

学校全体としては学級数も毎年増え、入学者の学力も上昇傾向にあります。この状況を「これから3年間はもっと大変になる」ととらえている先生が何人かいらっしゃいました。その通りだと思います。入学者の質が高ければ、今まで以上に成長させて卒業させることが期待されます。学校がよい方向に向かっているのでこれでよいと気を緩めるのではなく、カリキュラムの充実や授業改善などの学校改革がより一層重要になります。これまでと同じではダメなのです。このことを意識されている先生がいることはとても心強いことです。この意識を学校全体で持つことができれば、この学校の未来は明るいと思います。そうなるように、私もできる限りの支援をしたいと思います。

新年度になりました

日記のページが新年度になりました。2020年度(令和2年度)以前に掲載された記事に関しましては、ホームページ左下の◇過去の記事「○○年度」メニューをクリックすると閲覧が可能となっています。
また、ホームページ右上のカレンダーを操作することで、過去の記事をご覧いただくこともできますので、ぜひご利用ください。

これからもご愛読をよろしくお願いします。
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31