授業研究と事例発表会に参加

先日、私立の中学校高等学校の授業研究とICT活用の事例発表会に参加しました。今回の公開授業はどれも高等学校でした。

3年生の英語の授業は、成長というテーマでのプレゼンの発表でした。言葉だけでなくスライドの表現や動きを工夫して、とてもわかりやすく楽しめる発表でした。発表者が会場とやりとりをする場面もたくさんあり、発表者も聞いている子どもたちもどちらもとても楽しそうにしていたことが印象的でした。この素晴らしい発表と一体感を生み出した要因の一つに、本番の発表までに何度か中間発表を行い、そこで友だちからコメントもらってブラッシュアップしていることがあると思います。1学年2学級のコースなので3年間で率直に意見を伝え、それを受け入れる関係ができています。自分たちの意見がどのように反映されブラッシュアップされているのか興味を持って見ているので、より一体感が増すのでしょう。
2組の発表を見ましたが、どちらの子どもたちも個性的で素晴らしい表現力を持っていると感心しました。おそらくこの2組がたまたま素晴らしいのではなく、教室の雰囲気からどの子どもたちもこのレベルに育っていると感じました。3年間の積み重ねの成果でしょう。今までの学校教育ではなかなか付けることができない力をつけていることが素晴らしいと思いました。

1年生の数学は、ICTを活用して場合の数の問題を解決する授業でした。課題に対して思ったことをデジタルのワークシートに書かせ、それを基にグループで話し合うものでした。このコースでは他の教科でもグループで意見を交換することをよく行っているので、子どもたちはこういった活動に自然に取り組みます。グループ活動が活発になることで、面白い意見や考えを取り上げて全体で共有して深めていくことが次の課題となります。指名された子どもが考えを発表するのですが、発表者は先生に理解してもらおうとして前に向かって話します。他の子どもは発表者が書いたものを手元のタブレットで見ながら聞いていますが、その様子からは発表を理解しようとする意欲はあまり感じませんでした。グループではコミュニケーションをとれる子どもたちなので、この場面は先生と発表者の二人だけの時間だと思って積極的にかかわろうとしなかったのだと思います。ここは、先生にではなく学級のみんなに伝えることを意識させることが大切です。発表を聞くことを意識させ、発表に対していつも反応を求めることが必要です。慣れないうちは、自分の考えをスクリーンに映して、前に立って説明させることも必要かもしれません。授業者が中継点となって子ども同士をつなぐことを大切にしてほしいと思います。

1年生の国語は小説の授業でした。タブレットに配布したワークシートを基に子どもたちが6人グループで作業をしますが、相談する姿はあまり見られません。また、隣との会話がグループ全体に広がることもありませんでした。課題が予め準備されているので、子どもたちは授業者の求める答を探しています。それを助長するのが、授業者の与える情報(ヒント?)です。これがあるため余計に授業者の求めるものは何かと子どもたちが考えてしまうのです。登場人物の感情や考え、行動に対して子どもたちが疑問を持ったり感じたりしたことを出し合い、そこから授業の課題をつくり出すことをしてほしいと思います。

1年生の社会科は、税金に関する課題に対しICTを活用して考えを共有する場面でした。スクリーンに全員の書いたものを映していましたが、小さすぎて読むことはできません。これはあまり意味のあることではありません。もし全体の考えの傾向をつかむのであれば、文字の色や背景の色を立場によって変えるとよいでしょう。そうすれば全体を映すことで傾向を見ることができます。
子どもたちは友だちの書いたものを一つひとつ自分のタブレットで見ていますが、その間授業者はぼそぼそとコメントをしています。子どもたちの集中を妨げるだけで、聞き取ることはできません。聞かせるべきことであれば、ちゃんと作業を止めてから話すべきでしょう。また、共有を個人作業にするのではなく、全体の場でどう行うかが課題です。この授業に限らずICTを活用した授業では「共有幻想」と名付けたくなる共通の課題があります。ICTを使えば全員の意見を共有することができるという幻想です。たとえ全員が考えを書いたとしても、それを一つひとつ見る時間は取れません。どう焦点化していくかの手法が求められるのです。似た考えをまとめていったり、考えにタイトルをつけてそれを共有したりといった工夫が必要なのです。当面は過渡期だと思います。今後この課題に対してどのようなノウハウが溜まっていくか楽しみにしています。

体育の授業はバドミントンでした。子どもたちがペアで打ち合っていますが、互いにアドバイスする声がこえないので何を意識して活動しているのかが見ていてよくわかりませんでした。ラケットを打ちにくい面を使って打ち返そうとしている子どもがいますが、まわりの子どもたちは余裕がないのかアドバイスすることができていません。また、飛んでくるシャトルをどの位置でむかえればいいのかが意識できていない子どもが多いようです。足が動いていないと言ってもよいでしょう。子どもたちは一生懸命に取り組んでいるので、この活動でクリアしたい課題を意識させ、そのために何に注意するとよいのかを明確にしてあげるとよいと思います。
印象的だったのが、子どもたちが振り返りをタブレットで入力する場面です。壁際の机に置いてある自分のタブレットを素早く見つけて、すぐに入力します。体育館はまだWi-Fiが上手く入らないので、提出は教室等に移動してからですが、そのことを含めて子どもたちは何のストレスもなく作業していきます。タブレットが文房具として日常化されているのを感じました。この学校ではタブレットは貸与の形をとっていますが、リースで3年間自分のものとして使えます。そのため、自分の好きなカバーを使ったり、シールを貼ったりしているので、どれ一つとして同じものがありません。自分のものという意識が強くなるので大切に使ことにつながります。そして、今回のように一か所に集めておいて取りに行くような場面では、すぐに自分の物を見つけることができます。これから一人一台を導入する学校では、タブレットをどのように区別できるようにするのかも考えることが必要でしょう。

午後からはICT活用の事例発表会がありました。想定より多くの参加者があり、関心の高さがうかがえました。主催者としては授業を中心とした活用のこれまでの取り組みを中心にお伝えしたかったのですが、これから本格的に導入を考えている学校の参加者からは、管理や運用面のことを知りたいという要望が多かったようです。そのため、前半は間口の広い話となり、授業での活用の話に深く入れませんでした。その中でも、高校1年生の生徒による自分たちのICTを活用した学びについての発表が圧巻でした。主に中学校時代の授業の様子を中心にした発表でしたが、内容以上に堂々とした発表態度と整理されたスライドの内容が素晴らしいものでした。要点を3つに絞って伝えるといったプレゼンの基本がしっかりと指導されてきていますが、型にはまったものではなく大人でもなかなかできないレベルの個性あるものでした。この子どもの姿がICTを取り入れた一番の成果だと言えます。このレベルの発表ができる子どもがかなり育っているという先生の誇らしげな言葉が印象的でした。
後半は3部制で、導入や環境整備、管理についての発表と自ら発表を希望した先生による授業や部活動での活用の紹介でした。若手を中心に多くの先生が自主的に発表されたことが素晴らしいと思います。学校で使い方を決めて強制するのではなく、各自で主体的に工夫して使っていることが素晴らしいと参加者から評価されていました。公立では異動があるため、学校としての使い方を決めていかないとなかなか活用は進みません。一方私立では先生方の多くはその学校にずっと務めるわけですから、活用することから逃げるわけにはいきません。学校としての方向性を明確にして先生方の意識を変えていくことができれば、主体的、継続的に取り組んでいただけます。私立の特性を活かしたマネジメントがされていると感じました。
この発表会の運営面でも仕事を強制的に割り振らずに進めたそうですが、人手が足りないことを伝えると、学期末の忙しい時期にもかかわらず多くの先生が自主的に手伝ってくださったそうです。こういったイベントを通じて先生方がチームとして育ってきていることを感じます。

ある先生から面白い報告を受けました。
学び合いや出力型の授業に対して批判的で、受験に対応した従来の知識主体の授業を望んでいる生徒が一部にいたそうです。共通テストでの記述式や英語の民間試験の導入が中止された時には、これから大切にしなければいけないと先生方が言っていた記述力や発信力は意味がなかったじゃないかと批判した生徒もいたそうです。しかし、そういった生徒も自己推薦やAO入試での面接や自己アピールを経験したあとで、今まで学んだ発表の力が役に立ったと素直に認めたそうです。小論文でも、要点の整理の仕方、まとめ方を学んでいたので簡単に対応できたと自慢げに報告してくる生徒もいたそうです。あれだけ反発していたのにと先生が苦笑していました。
新しい取り組みに対しての子どもたちからの反発に自信を失くす先生もいるかもしれません。子どもたちは、どうしても目先のことにとらわれてしまいます。大学入試でも受験生に求める力は確実に変わってきていますが、そのことになかなか気づけません。今学んでいることの価値に受験の時に気づければ、まだ早いほうなのかもしれません。大学入学後、いや社会人になってから気づくのがやっとかもしれません。先生方もあせらずいつか子どもたちが気づいてくれるはずだと信じて、自信をもって新しいことに取り組んでほしいと思います。

学校全体としていろいろな面で前向きに取り組む先生が増えてきています。しかし、残念ながらなかなか変われない先生、子どもたちが落ち着いている現状に甘えて以前の姿に戻ってしまっている先生も少なからず存在します。新型コロナウイルスによる変化は元に戻ることはないと思います。他の学校よりも一歩先に進んでいるからこそ、その歩みを止めずに、これからの学校のあるべき姿を模索し、その過程を多くの学校にむけて発信していってほしいと思います。

WITHコロナの授業の課題を感じる

昨年まで2年間授業アドバイスをさせていただいた中学校の校長より、子どもたちの様子を見てほしいとの依頼がありました。授業の様子が気になっているようです。

訪問して校長のお話を聞いた後、子どもたちの様子を見せていただきました。
子どもたちからは新型コロナウイルスの影響をあまり感じませんでした。グループ活動をさせれば、感染を怖がることもなくちゃんとかかわることができます。どの教室も落ち着いています。しかし、学校全体の雰囲気はどうにもピリッとしません。一言で言うと「ゆるい」のです。このことは、この学校にかかわらず新型コロナウイルスによる休校後に訪問した学校に共通するように思います。おそらく、授業の遅れを取り戻すことを優先して、子どもに考えることを迫ったり、深く追求することを求めたりしなくなったのではないかと思います。グループ活動にしても形だけで、求める答がでれば授業を先に進めるためにすぐに先生が自分で説明してまとめています。
ある授業でのことです。グループで相談した後、一人の子どもを指名して前で説明させました。その説明が終われば、そのあとすぐに子ども同士でこの説明について互いに確認させます。しかし、これでは子どもが先生の代わりになっただけで、先生の説明を聞いて理解しなさいと言っているのと変わりません。説明を途中で止めて、「どうしてこう考えたのかわかる?」「この後どう考えたと思う?」と他の子どもとつないで続きは各自で考えさせるとか、「同じように考えた人?」「ちょっと違うという人?」と聞きながら、考えを広げるといったことが必要です。一番の問題はこのような授業の進め方をすると先生も子どももとても楽なことです。子どもたちは取り敢えず話し合えばよいだけで、深く考えることを求められません。極論すれば、雑談していても答えは後から説明されるのでそれを聞くか黒板のまとめを写せば困らないのです。
2学期の終わりの時点で授業の進度はほぼ例年に追いついているようです。しかし、一度楽をしてしまうと先生も子どももなかなか元には戻れません。
子どもたちに深く考えさせるためには課題が重要です。そのような課題を考え準備するのは大変です。また、グループ活動に頼らず子ども同士をつなぎ考えを深めるためには、先生が中継役となって対話をうながす技術が必要です。この市では、小学校から一貫して学び合うことを重視し、子どもたちにグループで話し合う力をつけています。そのため、中学校の先生方は子どもたちの力を頼りにしたグループ活動を行って、自分で子ども同士をつなぐ技術を身につけていなかったようです。そのことが新型コロナウイルスの影響で露呈したように思います。

校長はこのことに気づいていたのですが、あまりに先生方に危機感がないことに不安を感じ、私が同様に感じるのかを聞きたかったようです。先生方は、「子どもたちは落ち着いていて、授業もちゃんと進んでいる」と問題を感じていないのです。この状態が続けば、子どもたちは自分たちで考えを深める意欲を失くしていくかもしれません。形式的な話し合いと受け身な姿勢になってしまうことが危惧されます。
ではどうすれば先生方の意識が変わるかと問われると、私にも明確な答はありません。校長といろいろな視点で話をしながら、人の意識を変えることの難しさを感じました。学び合いをどうすれば実現できるかと悪戦苦闘された先生方の努力の結果、今の授業の基本のスタイルがあり、子どもたちの姿があります。しかしいつの間にか結果としての形だけが残り、なぜこのようなスタイルをとっているのか、そこにどんな願いがあるのか、どこがポイントなのかといったことが継承されていないように思います。そのため、一度崩れたものを立て直す力がなくなっているようです。新型コロナウイルスがその問題をあぶりだしたように思います。

一朝一夕で解決する問題ではありませんが、そのことに校長が気づいているだけまだよいのかもしれません。高等学校で大学進学率が急激に上がった時に、「受験に出る」という言葉で子どもたちをコントロールするという楽を覚えた結果、先生方の授業力が低下したと言われたことを思い出しました。大学全入時代になっても以前と同じ知識の切り売りを続けて変わろうとしない先生がたくさんいるのです。
新型コロナウイルスの影響を乗り越えて、学校が前に進むことを願っています。

学年毎の課題を見る

先月中学校で授業アドバイスを行ってきました。各学年の様子を学年の先生と一緒に観察しました。

何と言っても驚いたのが3年生の様子です。前回も驚かされたのですが、今回はそれ以上に子どもたちのよい変化を見ることができました。3年生のこの時期です。学習面で厳しい子どもが授業に参加できなっているのを見ることがよくあります。しかし、この日はどの学級でもそのような子どもが見当たらないのです。はたからでも授業の内容についていけていないことがわかる子どもも、何とか理解しようと食らいついているのです。また、受験が近づくにつれ、自分のことに精一杯で友だちのことをかまっていられないという空気が教室に漂ってくるものなのですが、みじんも感じられません。子ども同士が支え合っているように見えます。この直前に修学旅行があったそうですが、時期外れの修学旅行が子どもたちの関係をよりよくしてくれたようです。修学旅行があったからと言って、必ずしもこのような効果があるわけではありません。短い準備期間の中、先生方がしっかりと目標を定めて子どもたちと共に真剣に取り組んだ結果だと思います。
とはいえ、今後受験が近づいてくるにつれて精神的に苦しくなる子どもが出てくると思います。先生方が支えることはとても大切ですが、この学年集団であれば子どもたちが互いに支え合うことを信じてよいと思います。子どもたちのさらなる成長を信じて見守ってほしいと思います。

2年生は、落ち着いているのですが、学習に向かうエネルギーが低いというか、集中力が続かない傾向を感じました。別の視点で見ると、ちょっと集中が切れた時の子どもたちは先生が自分たちにどう対応するかを見ているようにも感じられます。どこまでやると注意されるかを探っているように見えるのです。注意するのではなく、「どうしての?困っている?」と見守っていることを伝えるような声かけをしてほしいと思います。
似たようなことが友だちとの関係にも見て取れます。積極的に意見を言おうか、それとも様子を見ておこうかというように、自分の立ち位置を探っているように感じるのです。野外学習教室が少し前に行われたようですが、その際に子どもたちの中でリーダーが育ってきた、育ててきたという話もうかがいました。ひょっとすると、そんなことが自分は学級の中でどのようにふるまおうかといったことを意識するきっかけになったのかもしれません。この感覚が授業にも持ち込まれているのであれば、先生方は子どもたちにどうなってほしいかを意図的に伝える必要があると思います。挙手に頼らず発言を求めたり、友だちの発言に対してどのように考えるかを問いかけたりして、意識的に発言させたり、友だちとかかわらせたりすることが必要です。

1年生は新型コロナウイルスの影響をもろに受けているように思います。この時期になっても小学生のように幼く見えます。小学校の延長のままに行動し、そのことを指摘されないのでそれでよいと思ってしまっているのです。また、4月5月の大切な時期に先生と子どもの縦の関係をしっかり作れないまま時間が過ぎ、相対的に子ども同士の横の関係が強くなってしまったようにも思います。先生方が意識して子どもとの関係を作り直さないと、今後行事や学級活動で子ども同士の関係が強化されていくにつれて、コントロールが効かなくなるように思います。4月5月でするはずだった、中学生として目指す姿をしっかり伝えることからやり直すことが必要です。学年の先生方とこのことを共有するように学年主任にはお願いしました。

全体に対しては、各学年の状況と一人一台のPC環境に対しての心構えについてお話ししました。教務・校務主任、学年主任などのミドルリーダーが育ってきている学校です。新型コロナウイルスやGIGAスクールといった学校を取り巻く環境変化への対応を通じてより一層先生方が成長することを期待しています。

学校全体から元気をもらう

先月小学校で授業アドバイスと講演を行ってきました。ICT活用に積極的に取り組んでいる市の大規模な小学校です。5年生の担任の初任者と1年生の担任の若手の授業を見せていただきました。

初任者の授業は社会科で自動車の現地生産について、輸送コストを起点として考えさせる授業でした。ICTを提示で使うことはこの市では本当に当たり前のことになっています。初任者でも写真や動画の提示などに自然に活用しています。授業規律に関しても子どもたちをほめることでよく保たれていると感じました。子どもたちは指示によく従いますが、指示に従って動くことができるようになっているのですから、自分で判断して行動することを意識させたいところです。最初の内は「先生は次に何を言うと思う?」といった問いかけをし、「先生の考えていることがよくわかったね」「何も指示しなくてもちゃんと行動できたね」と、5年生ですから先を考えて行動できるようになることを意識した評価するようにしてほしいと思います。
また、答や結果を問いかけて挙手した子どもを指名する傾向が強いと感じました。その結果、「わかった」「できた」「知っていた」子どもがほめられ、反応の遅い子、自信のない子どもはほめられる機会が少なくなってしまいます。「想像して」と問いかけると子どもたちの手はよく挙がりますが、それは根拠が必要ないからだと思われます。そうではなく、子どもたちに答ではなく、困ったことやどのように取り組んだといった過程を問うことで、全員参加させることを意識するとよいと思います。
この日のめあては「日本の自動車が消費者にどのように届けられるのか考えよう」でした。ここで気になったのが「考えよう」という言葉でした。このめあては子どもたちが考えて答が出ることかどうか微妙です。本当に考えさせるのなら、鉄道、船、トラックの輸送コストや集積の必要性、スピード、自動車工場ごとの生産量や車の重量などの情報がなければ考えることができません。少なくとも、輸送手段とその特徴を知らなければ考えることはできないでしょう。実際には、子どもは想像で答えるか教科書や資料集の答を見つけることになってしまいます。そうであれば、「考えよう」ではなく「想像しよう」か「調べよう」です。ここをきちんと区別しておかなければ子どもたちの考える力につながっていきません。授業者は子どもたちに考える力をつけたいと意識していることはよくわかりましたが、実際には教師が求める答につながるような情報をテンポよく与え、その根拠も含めて授業者が答えを教えている授業になっていました。グラフなどの資料の読み取りも、読み取った結果が授業者の求めるものであった時だけ「そうだね」と評価して、解説します。資料を読み取るためにはどこを見ればよいのかといった視点を価値付けしません。読み取る力をつけるための「変化を見る」「変わらないところを見る」といった視点や、「変化した時に何かが起こっているはず」と同じ時期の出来事を調べるといった調べる力を意識することが大切です。
子どもたちは授業者の質問に単発で答を考えて、「あたり」か「はずれ」かを先生に判定してもらうというクイズに参加しているように見えます。また、最終的には授業者が答を解説してまとめてくれるので、子どもたちは深く考える必要はありません。
現地生産が日本と現地ともにメリットがあるという結論で終わりますが、教科書やリンクされている動画をみればそこに答があります。それでは考えが深まりませんし、考える力はつきません。「本当に日本は現地生産したかったの?」、「現地生産がそんなによいことなら、なぜこの年までほとんどなかったの?おかしくない?」といった揺さぶりをかけ、子どもたちに疑問を持たせたいところです。子どもが「えっ!」「どういうこと?」と声をだして初めて子どもたちの課題になり、考え始めると思います。考える力と疑問を持ち課題を見つける力は表裏一体です。子どもに疑問を持たせて自分の課題として考えさせる授業を目指してほしいことを伝えました。
とはいえ、初任者としては、学級経営の基本はできていて、目指す子どもたち姿もしっかりと意識できている先生です。だからこそ、少し厳しめに課題を指摘しました。面談の最後に「まだ質問があれば講演の後に相手するよ」と声をかけたところ、ちゃんと顔を出してたくさん質問をしてくれました。とても意欲的な先生でした。今後の成長がとても楽しみです。

1年生の担任の先生の授業は道徳でした。「はしの うえの おおかみ」という読み物教材を使った授業です。授業者は緊張していたのかあまり表情がありませんでした。言葉づかいはていねいで優しいのですが、なぜが冷たく感じます。その理由は柔らかい口調であっても、「発表することはいいことです」というように発する言葉が第三者目線、上から目線なのです。「発表できるってすごいよね」、「発表してくれてありがとう」といった「Iメッセージ」を使うとよいと思います。授業後に話をした時には、とてもよい表情を見せてくれました。この表情を毎日の授業で子どもたちに見せているのならあまり心配はないと思いましたが、子どもたちに笑顔をたくさん見せてほしいことを指摘しまた。すると、以前に高学年の担任を持った時に学級崩壊した経験があり、自信を無くしていることを話してくれました。初対面の私にそのことを話してくれたということは、克服したいという思いがあるのだと思います。かつては、子どもたちと関係ができる前に指示に従わない子どもを力で押さえようとしたのではないかと思います。まずは「Iメッセージ」を多用して人間関係をつくることを優先し、その上で、子どもたちにとって判断基準がわかりやすい先生となることを意識するとよいことを伝えました。先生の表情から、変わるきっかけをつかんでくれたのではないかと感じました。
道徳の授業は、国語的な読み取りに多くの時間を使っていたのが残念でした。道徳は読み取る力をつけることが目的ではありません。できるだけ早く子どもたちを資料の世界に入らせることがポイントです。感情移入しやすいように抑揚をつけて登場人物の気持ちがわかりやすいような範読を心がけるとよいでしょう。1年生は読み終わった後まで話の内容をきちんと覚えていません。そこで「登場人物は?」といったことを聞いてもちゃんと答えられない子どもたくさんいます。細かい読み取りを子どもたちに問いかけるのではなく、範読をしながらその場その場で黒板に内容を整理すればよいのです。道徳では読み取りに時間をかけるのは無駄です。子どもたちが考える時間を少しでも多くとることが大切です。
指名した子どもにオオカミ役をさせて感情移入させようとします。しかし「意地悪なおおかみをやってくれる人?」と口にしました。おおかみは意地悪をしたのかもしれませんが、意地悪なおおかみとレッテルを貼ってしまうと、この後のおおかみの気持ちの変化に上手くつなげていけません。こういったところも意識をしてほしいと思います。
この教材では、おおかみの気持ちにどれだけ子どもたちを共感させるかが大切です。「砂場で遊ぼうとしたら、そこにいた小さな子どもが場所を譲ってくれたらどう?ちょっと偉くなった気がしない?」と、このおおかみと同じような気持ちに自分たちもなりうることを意識させたいところです。くまが現れたときの気持ちがおおかみに相対した時のうさぎの気持ちであることもしっかり押さえることで、この後のおおかみの気持ちの変化を実感できるのではないでしょうか。道徳の読み物は読み物として内容を理解するのではなく、自分の気持ちと同化させることが大切です。このことを意識すると授業の進め方がはっきりと見えてくると思います。

全体での講演は教科の「見方・考え方」を活かした授業についてお話させていただきました。「見方・考え方」は「主体的・対話的で深い学び」を実現するための根底にあるものであり、教科を学ぶことの本質につながるものとして捉えてほしいことをお伝えしました。今回の新型コロナウイルスのこともそうですが、想定外のことに対してこれが正解だという明確なものがあるわけではありません。その状況下でよりよい答を導き出すために必要となるのが「見方・考え方」です。日ごろの授業の中で答にいたる過程を大切にすることが、「見方・考え方」を育てることにつながります。このことを意識してほしいと思います。

ずいぶん以前にもこの学校でお話をする機会があったのですが、先生方の姿勢が当時とは変わっていたのが印象的でした。研修から学ぼうという前向きな気持ちを参加された先生方から強く感じました。授業を見せいただいた先生、校長や教務主任を含め、学校全体から元気をいただきました。またの機会があることを楽しみにしています。

オンライン研修を行うことから学ぶ

最近は研修をオンラインで行なうことも増えてきました。講演型のオンライン研修であれば、参加者の表情や反応をどう感じ取るかがポイントになります。意図的に反応を求めたりすることが通常の講演以上に重要です。また、参加者同士のかかわり合いを意識しないと受け身の状態がずっと続くので、集中力が切れてしまいます。これらのことはオンラインで授業する場合にも共通だと思います。

特に難しいと感じるのは授業研修です。現地に行って授業研究をおこなっていた他府県の学校では、今年度は新型コロナウイルスの影響でオンラインでの研修となりました。通常であれば授業を見てすぐに検討会を行いますが、私の準備も含めて数週間のタイムラグがあります。時間が経てば印象は薄れてしまいますので、デジタルデータで送ってもらった授業のビデオをポイントごとに編集し、それを配信しながら解説することにしました。
授業のビデオは教室の後ろから先生の動きを撮ったものと正面から子どもたちの動きを撮ったものを用意していただきました。それを視聴しながら授業の解説を考えていきます。
今回の研修は高校の物理の波の導入場面でした。波は変化するのでイメージしづらいので、動画やアニメーションを多用してわかりやすく教える授業でした。一通り視聴した後、授業者のねらいと授業のポイントを箇条書きで整理し、それを元に授業の場面を切り取っていく作業を行います。子どもたちが集中する場面や集中が切れる場面などを切り取るように意識しました。
編集しながら思ったのは、動画やアニメーションを上手く選び、柔らかい口調の解説と合わせてとてもわかりやすい授業なので、このまま分割してキーワードを字幕にして入れれば立派なオンデマンドの教材となりそうだということです。昨今の授業は「主体的・対話的で深い学び」が問われていますが、ベテランの講義型で教えるテクニックはオンデマンドでまだまだいかせると思います。日ごろの授業を録画して、うまく編集すれば立派なオンライン教材ができそうです。
一人一台の環境がもうすぐこの学校でも整いますが、今のうちに授業を撮りためてコンテンツ化するとよいと思いました。最近の編集ソフトはとても使いやすくなっていますので、ポイントごとに短くカットしてオンデマンド教材にするのであれば、すぐにでも手がつくと思います。すべての場面が利用できなくても、いくつかの場面だけでもコンテンツ化できればととても意味のあることだと思います。また、編集作業をすることで、授業のねらいやポイントとなる場面が明確になり、授業改善にもつながっていきます。ぜひ、挑戦してほしいと思います。

手前味噌ですが、ポイントを絞った場面を動画で見てもらいながら解説するので、通常の検討会よりも伝わりやすかったと思います。動画で事実を見せると説得力が違います。画面越しに見える先生方の視線は思った以上に集中していました。また、私にとっても事前にビデオでじっくりと授業と向き合うことで新たな発見がたくさんありました。事前準備は大変ですが、私にとっても参加者にとっても意味のある研修になったと思いました。

先生方にはこの授業のよさやICTを活用することでわかりやすい授業とするポイントを話させていただきましたが、オンデマンドの教材の充実と反転授業の可能性についても意識してほしいとお願いしました。質の高いオンデマンド教材を前提とすることで、教室では対話を重視した深い学びが実現できるはずです。これからの時代に対応する、新しい授業(学び)の形を視野に入れてほしいことをお伝えしました。

オンラインの研修を通じて、新たな発見がたくさんありました。新型コロナウイルスも負の側面ばかりでないことを感じました。

先生方の成長と挑戦意欲を感じる

小学校で先生方全員に授業アドバイスを行ってきました。1年ほど訪問しない時期がありましたが、7年間かかわらせていただいている学校です。今年度初めての訪問でした。

何よりうれしかったのが、どの学級の子どもたちも落ち着いて授業に参加していたことです。新型コロナウイルスの影響で、子どもたちの机の距離が空いていたり、気軽にまわりと相談する雰囲気がなかったりと気になるところもありますが、先生と子どもたちの関係は良好でした。学級づくりの基本が学校全体に浸透しているのを感じました。

初めての訪問の時はまだ講師だった先生が1年生の担任をされていました。見せていただいたのはこの先生の7年間の成長を本当に感じさせてくれる算数の授業でした。
△を移動して組み合わせを変えて別の形にする課題で、黒板に貼った△を、指名した子どもに移動させました。発表者ではなく、他の子どもにその動作を言葉で説明させます。1年生なので拙い言葉ですが、授業者は柔らかい表情で受け止めながら、他の子どもが聞けているかを見ています。どの場面でも一人ひとりの子どもたちの様子をしっかりと見ようとしています。2人目の子どもの説明の後に、「違った表現をしてくれたね」と表現の違いを意識させ、授業者が黒板の図形を動かしながら発表者がどんな表現をしたかを思い出させます。「ずらす」という言葉をキーワードとして共有した後、「○○さんが言ってくれた『ずらす』」とキーワードの前に発言者の名前をつけて、何度も利用しました。子どもの自己有用感と子どもの言葉で授業をつくることを大切にしていることがよくわかりました。
1年生ですので指示を徹底させるのも大変です。これからやる作業を簡潔に説明して見通しを持たせた後、「まず○○をして」と最初の活動だけを指示し説明を止めます。全体の動きを見ながらスモールステップで指示を出しながら子どもたちを活動させました。指示や行動一つひとつに明確な意図が感じられました。
教師としての基本的な力量も姿勢も十分に育っていることがわかります。自分自身で学び成長ができる先生です。今後どのような先生になっていくのか将来がとても楽しみです。

初任から4年目の5年生の担任もずいぶん成長していました。社会科の自動車産業の現地生産の授業でしたが、日本メーカーの海外でのCMを見せて商品に求められるものが市場によって異なることに気づかせようとしていました。学年主任の先生と一緒に教材研究をしっかりしていることがよくわかるものでした。初任のころは、一方的にしゃべったり、表情が動かなかったりと子どもたちとのやり取りが上手くできていませんでしたが、この授業では子どもの反応を笑顔で待つ余裕もありました。子どもたちもよく反応し、子どもたちとのやり取りで楽しく授業が進んでいます。心配なのは授業者の体の向きがほぼ固定されていたことでした。どうしてもよく反応をする関係のよい子どもたちのいる方向を向いてしまうのです。子どもたちとたくさんやり取りをする活発な授業に見えるのですが、参加できていない子どもが一定数いることを意識してほしいと思います。ペアやグループの活動が制限されているので、授業中に参加できない子どもがどうしても増えてしまいます。そういった子どもたちに意識を向け、全員参加を目指すことが大切です。関係のいい子どもたちとだけで授業をつくれば表面的には活発で楽しいものになりますが、それではいけないのです。このことを意識すれば次のステップにレベルアップできると思います。今後の成長を見守りたいと思います。

同じ5年生の学年主任の授業は社会科の自動車産業の工夫についての授業でした。これからの自動車はどのようなっていくのかを一人一台のタブレットを使って学習する場面です。GIGAスクールを視野に入れた挑戦的な授業でした。
子どもたちにこれからの自動車はどのようになるかについてネットで調べさせます。環境にやさしい自動車の特徴などをタブレット上でまとめ、ネット上にアップして互いに見られるようにします。授業者としてはこれを見ることで子どもたちが情報を共有し、考えを深めていくことをねらっていたのですが、この場面にたどり着くまでに時間を使いすぎて情報を共有するための時間を十分にとれません。そこで、授業者が子どもの書いたものをいくつか選び、それを全員で見ながら共有します。例えば、水素自動車について調べた子どもは、二酸化炭素を出さないので環境に優しいと書いていましたが、二酸化炭素を出さないとは何を意味するのか、それがなぜ環境に優しいのかはわかっていません。結局授業者がそのことを説明することになります。ハイブリッド車を取り上げた子どもはインフラの整備が必要ないことを長所として取り上げていますが、そもそも「インフラ」という言葉を、他の子どもはもとより本人もわかっていません。残念ながら子どもたちはネットで見つけたものをコピー&ペーストして解答をつくる作業をしているだけで、自分の課題や疑問として考えてはいないのです。作業に多くの時間をかけていたのですが、全員が提出できる状態になるのを待っているからです。一定数の子どもは作業を終えてネットを見ていますが、疑問を持ったり課題意識を持ったりして考えを深めているわけではありません。手がかりがつかめず動き出すのに時間がかかる子どもと、答を書き終って時間をつぶしてい子どもに分かれていて、ともに無駄な時間が多いのです。
今後、一人一台のタブレットが普及すると、子どもが調べたことをまとめて共有するという授業が多く行われることになりそうです。この授業でもわかるように単に調べたことをまとめて共有するというだけでは上手くいきません。その理由は大きく二つあります。
一つは、子どもたちはよほど鍛えていないと答らしきものが見つかるとそれで満足してしまい、それ以上は深く考えようとしないからです。とりあえず調べればわかるようなものに時間をかける必要はありません。今回の例でいえば、水素自動車やハイブリッド車の表面的な情報はできるだけ早く発表させるか、全体の場で授業者が調べて見せて共有するのです。その後、そこから見つかる新たな疑問や課題の解決に時間をかけるのです。「二酸化炭素を出さないってどういうこと?」「二酸化炭素を出さないことがどうして環境に優しいの?」「環境に優しいとどういうこと?」「ガソリンでなくて水素を燃料にするっていうけど、水素はどこにあるの?」・・・といったことを子どもたちの疑問として引き出し、「水素をつくるにもエネルギーがいるけど、本当にそれで環境に優しいの?」といった課題について考えさせることに時間を使うのです。
もう一つは共有の仕方です。学級全員の考えをネットにアップして見ようとしても、一つひとつチェックするのに時間がとてもかかります。一人一台のタブレットがあれば考えの共有が簡単にできるというのは幻想なのです。全員の考えを共有したいのであれば、一度に全部を公開するのではなく、一人の考えを全体で共有し、「○○さんと似た考えの人提出してくれるかな?」として、同じような考えを共有し違いがあればそれを確認するとよいでしょう。他の意見や考えも同様にして、取り上げていくことで効率的に考えを共有することができます。提出箱を複数作れるような環境であれば、近い考えごとに同じ提出箱に提出させるという方法もあります。書き終えた子どもからネット上に提出して少しずつでも見られるようにするという方法もあります。単に一斉に提出して共有しようというのは現実には難しいので、いろいろな工夫が必要になります。
結果ではなく、作業過程を逐次共有する発想もあります。リアルタイムに他のメンバーが書いているものを見ることができるようなサービス(ソフト)もあります。手がかりが見つからずなかなか手がつかない子どもにとって、友だちがどのような資料を見ているのか、どうやって見つけたのかといった情報はとても重要です。結果だけを共有しても、自分で結論を導き出すことができるようにはなりません。友だちの手元を覗いたりして情報を集めることもできますが、一人一台のタブレット環境ではそれもなかなかかないません。作業の途中で、「困っていることない?」「どうやって調べている?」と、手がかりになる情報を共有する時間をとることで、困っている子どもが動き出す助けになります。

今回このような授業に挑戦したことで、授業者は大切なポイントに気づくことができたようです。自分の授業を反省しながら、次の時間の授業をどのようにしようかとその場でいろいろと考えてくれました。こういう姿勢で毎日の授業に臨めば確実に力がついてきます。この経験が学校全体にとっても大きな財産となってくれると思います。

この学校では、毎回全員の授業を見せていただきます。一人わずか10分足らずしか見ることができないのですが、事前に学年の先生同士でどんな授業にしようかと相談して毎回工夫してくれています。私が授業を見てアドバイスすること以上に、これを機会に全員の先生方が毎回授業を工夫してくれることが校長のねらいのようです。私を上手く使っていただけることがありがたいです。
授業後に全員とお話をさせていただきますが、学年の先生は必ず同席して全員の話を聞ききます。先生同士の壁をなくし、チームとして学年で授業改善に取り組む雰囲気を醸成しています。ベテランも若手も関係なく、互いに学び合う姿勢ができてきているのが、この学校のよさだと思います。

次回の訪問も挑戦的で意欲的な授業をたくさん見せていただけることと楽しみにしています。
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