道徳の授業の進め方を考える

小学校で授業アドバイスを行ってきました。今年3回目の訪問です。今回は通常学級の6名と特別支援の先生の授業アドバイスと若手の授業研究でした。特別支援以外はすべて道徳の授業でした。

道徳の授業はどの学級も副読本の「明るい心」を使い、展開例に従って授業を進めていました。資料の読み取りを助ける、場面の絵が全学年分そろっているので、それを上手く活用していました。ただ、この副読本では最後に自分の経験を振り返って終わるというのが基本的な流れです。しかし、過去ではなく明日からどのように行動するかということが大切になります。このことを子どもに迫ることを意識してほしいと思います。

1年生はまだ経験の浅い講師の授業でした。しかし、子どもたちによい表情が見られます。授業者が笑顔で子どもたちと接することを意識するようになった結果でしょう。子どもたちが集中したよい状態で授業は始まりました。
私たちが見ているので緊張したのでしょうか。授業者はしゃべりが少し早く、子どもたちの理解を超えたスピードです。また、資料の読み取りで説明が続くのでせっかくの子どもたちの集中が切れてしまいました。特に1年生は受け身の時間が長いとだれてしまいます。子どもたちはよく反応してくれるので、子どもとのやり取りを増やし、子ども同士をつなぐことを意識するとよいと思います。

5年生の授業は、主人公と母親とのやり取りを何組かの子どもたちに前で実際に演じさせていました。子どもたちはとても楽しそうに、集中して見ています。演技終了後に主人公の気持ちを子ども役に聞きます。子どもたちに感情移入させるよい方法の一つでしょう。ただ注意したいのは、この時の主人公の気持ちを全員に考えさせたいのかどうかです。もし、全員に考えさせたいのであれば、何人も指名して意見を言わせたり、互いに聞き合ったりする場面が必要になると思います。
この授業のねらいとはずれるかもしれませんが、主人公以外の視点で考えることも子どもたちに客観的に自分を見つめさせる有効な方法です。この読み物の主人公は母親の言葉をちゃんと聞かずに約束を破ることになったのですが、母親はどんな気持ちで声をかけたかを考えさせるのです。
授業の一部分しか見ていないので何とも言えないのですが、授業者はどこに時間をかけたかったのか、ちょっと疑問に思いました。というのは、子どもたちが演技をしていたのは読み物の最初の方です。経過時間から言って、後半の場面について考えさせる時間が足りなくなるのではないかと思ったからです。道徳では、読み物の内容理解よりは、子どもが自分のこととして考える時間の方が大切です。限られた時間の中でどうバランスを取るかを意識してほしいと思います。
副読本の展開例を参考にしながらも演技をさせるといった独自の工夫をしていることはとてもよいことと思います。子どもたちとの人間関係がよいこともあって、こういう工夫が有効と感じることが多いと思いますが、それとは別の視点、この工夫が授業のねらいにつながっていったかどうかも意識することもできると、より有効な場面で活用できるようになると思います。

4年生は自らを律することを意識させる課題でした。
子どもが主人公の気持ちを考えて発表するのですが他人事のようです。この主人公はこう考えたという読み取りになっていて、自分のことになっていません。子どもたちの内面に迫ることが大切です。主人公のした行動にそって考えるだけでなく、「あなたならどうする?」と考えさせたり、「状況が違ったらどうだろう?」と別の条件で主人公の行動を想像させたりすることも視野に入れてほしいと思います。

3年生は、ちょっと落ち着かない子どもがいる学級です。面白いのは私たちの姿を見て、子どもたちの様子が変わったことです。見られていることを意識したようです。
授業者は子どもたちに作業をさせている問など、すぐに机間指導をします。落ち着かない子どもが気になりすぎて、その子に素早く対応できるようにしているのです。この学級の子どもたちと授業者の関係は悪くありません。子どもたちの多くは、それほど問題はないのです。過敏にならずにゆったりと構え、普通の子どもをしっかり見守ることの方を優先してほしいと思います。この学級の子どもたちは、受け身の時間が続くと集中力が切れます。反応はするので、どんどん指名して意見を言わせると積極的に参加するはずです。思い切って子どもたちにたくさん活動させることを意識するとよいと思います。

2年生の1つ目の学級は、子どもたちにとって、この課題が自分のものとなっていないことが気になりました。一部に友だちの意見をちゃんと聞いていない子どもがいるのです。
授業者は子どもの意見をしっかり聞くのですが、それを受けてすぐに板書をしてしまいます。授業者が板書して黒板に向いている時に子どもたちの集中力が切れることも気になります。道徳では板書を写す必要がないからでしょうか、板書中は子どもたちにとってはリラックスタイムになっています。もっと子どもを指名して意見を言わせ、その上で子どもたちを揺さぶって自分に引き寄せて考えさせることが必要です。自分のこととして考えると、友だちの意見が気になります。子どもたちは、表面的に主人公の気持ちをなぞっているだけだったのです。

2年生のもう1つの授業は、子どもたちと授業者の関係のよさが印象的でした。
子どもたちは一生懸命に意見を言います。どんな意見でも授業者が温かく受け止めるので、そのことで子どもたちは満足してしまいます。発表して先生に認めてもらうことが目的化しているのです。ただ受容するだけでなく評価することで、その中身を意識させることも大切になります。この授業は道徳ですので評価は必要ではありませんが、「○○さんと似た意見の人?」と子ども同士をつなぐなどするとよいでしょう。教師と子どもだけでなく、子ども同士で認められることを意識するようになり、子ども同士の関係もよくなります。また、友だちの意見を聞こうとするようになり、意見や考えがつながって深まるようになります。

特別支援は、算数の授業でした。授業者は根気よく笑顔で子どもに接しています。子どもは序数と基数の違いや関係がよく理解できていないようです。1、2と物の数を数えることはできるのですが、数の大小がよくわかりません。7と8ではどちらの数が大きいかわからないのです。授業者はどう教えればいいか悩んでいました。
物を数えることはできますから、7つと8つの物を用意して、1つ、2つと声を出しながらそれぞれから同時に移動させます。7つまで来たところで、一方が7つあることとどちらが多いかを確認します。確認したところで8と数え、8つあることを確認して、8の方が多いことを納得させます。この方法で上手くいくかどうかわかりませんが、実物を使いながら、序数と基数をつなぐことをする必要があると思います。

見せていた方々それぞれに進歩している部分があり、だからこそ個々の課題が明確になっているように思いました。

授業研究については明日の日記で。

北原延晃先生から学ぶ

先日、英語の授業実践で定評のある東京都港区立赤坂中学校の北原延晃先生の研修会に出かけました。3回シリーズの第3回目でやっと時間を取って参加することができました。

今回は、今までの研修をもとに若手が行った実践発表とそれを受けての北原先生の指導と講演でした。
3名の方の授業実践を見て感じたのが、北原先生の授業を参考にしたかどうかは置いておいて、子どもを見ていない、活動の目標が明確でないというように、授業の基本に関してできていないことが多かったことです。また、”situation”で理解させるのではなく、英語を日本語に対応させて教えていることも気になりました。子どもが英文をオウム返しで覚える活動が中心では、英語を使えるようにはなりません。自分の伝えたい”situation”を英語にすることが大切です。
北原先生は私が感じたことと近い視点で指導され、私にとってとても納得できるものでした。ということは、北原先生は活動の目標を明確にして、”situation”で理解させようとしているということです。前2回の研修で彼らは北原先生からそういったことを学べていなかったのです。話を聞いたり、実践を見たりしても、そこから何を学ぶかは人によって違います。表面的な技術ではなく、本質をつかみ取ることはそう簡単ではないようです。このことは私も授業アドバイスをする上で、心しておかなければいけないことです。

講演では、文法の導入と練習の授業をどうつくるかということを具体的に教えていただきました。
北原先生の授業では、子どもたちは英文を読みながらジェスチャをします。基本的に英単語とジェスチャは1対1です。こうすることで英語の構造が身につきます。田尻悟郎先生の単語と絵を対応させた英作文練習やGDMのライブに通じるものがあります。
また、次にどのような文の練習をするか予想させます。過去の学習内容から予想させるというのは、「次に先生は何て言うと思う?」といった子どもたちを能動的にするためによく使われる発問と似た発想です。教科を越えて使えるやり方がたくさんあることを実感します。また、復習している内容をどこで学習したかを意識させることもしています。これも、大切な発想です。答を聞くだけでは、「ああそうだった」と一瞬思い出すだけですぐに記憶から消えていきます。どこで学習したかを意識させそこに戻ることで、その文という点ではなく、そこで学習した一連のことを思いださせることができます。これも教科を越えてよく使われるやり方です。
“I ○ dinner every Sunday.”という文の○にあてはまる単語を考えさせます。”have”では日曜日にしか夕食を取らないことになりますから、ちょっと変です。”situation”を考えると、”cook”が答だとわかります。食事当番の表を与えて、文を作らせます。単に覚えさせる英語ではなく、”situation”と連動させています。基本的に優れた英語の授業に共通する考え方です。
考えてもわからないと時には、”Hint please.”と子どもに言わせ、わからなければ聞くという姿勢を身につけさせようとしています。これも、教科を越えて子どもたちに教えたいことです。また、できる子どもを活かしながら、最後の一人ができるまで待つという、全員参加の姿勢も素晴らしいと思います。

北原先生の授業は英語という教科面の工夫に目を奪われそうになりますが、教科を超えた基本的な姿勢にその本質があるように思いました。英語の授業としてだけでなく、子どもが全員参加し、考える授業はどうやってつくるのかという点でも大いに学ぶことができました。よい学びの機会を持てたことを感謝します。

授業アドバイスの手ごたえを感じる(長文)

先日、小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、今年度第2回目でした。

6年生の算数は、順列の学習でした。子どもの表情がとてもよいことが印象的でした。子どもたちと先生の関係がよいことがよくわかります。授業者は笑顔で、とにかく子どもたちをよく見ようとしています。子どもたちが安心して授業に参加している理由がよくわかります。
先輩に教わったということですが、算数の授業では子どもたちに「算数博士になる」という目標を意識させていました。「は」は「はや(速)く」、「か」は「かんたん(簡単)に」、「せ」は「せいかく(正確)に」で「はかせ」です。算数的なものの見方考え方を子どもたちに意識させるよい方法の一つだと思います。
子どもたちの考えを大切にして授業を進めていきます。3人がリレーをする時の走る順番が何通りあるかを個人で考えさせた後、グループで話し合わせます。グループになると止まっていた子どもも動き出します。どの考え方がいいかを「このやり方は速いけれど、簡単なのはこちらだ」と「は・か・せ」で議論しています。子どもたちが評価の基準を持っていることのよさを感じることができました。
指名した子どもに考え方を説明させます。子どもは友だちの説明に対してしっかり反応できます。授業者は上手く説明できない時には他の子どもに説明をさせますが、きちんと本人にそれでよいか確認します。基本がきちんと押さえられています。わからない子どもに対して、友だちの説明がわかったかの確認もしっかりします。「わかった」と答えたあと、「自分の言葉で言ってくれる?」と言わせました。一瞬緊張しましたが、たどたどしいながらもなんとか自分の言葉で説明し、終わったあと笑顔になったのが印象的でした。
3つの順列の適用題はすぐにできたのですが、4つの順列の問題で子どもたちがつまずいています。2番目がそれぞれ3つあるのに、2つになってしまっています。3番目で止まっている子どももいます。授業者には予想外だったようですが、できる子どもを指名して板書しながら説明させました。よいヒントになったのですが、指名された子どもは最後まで書いてしまいました。ここは、途中で止めた方がよかったでしょう。
子どもたちが4つの順列の樹形図を書けなかったのは、3つの順列の時に「は・か・せ」の「せ(正確)」を確認しなかったことが原因と思われます。授業者は、指導案では漏れがないか確認することを意識していたのですが、実際にはきちんと押さえませんでした。「正確であること」=「正しい」=「漏れがない」をきちんと確認する必要があったのです。第1走者をリストアップした時に、「これで全部?」「他にはない?」「絶対?」と確認し、理由を言わせます。第2走者でも同様です。1番目、2番目、3番目と順番を意識しながら、「これで全部か」をしつこく確認するのです。子どもたちは1番目、2番目、3番目と樹形図を横に追いかけて書いています。そうではなく、1番目はこれで全部、2番目は・・・と縦に書かせることが必要だったのです。一つひとつの順列を書くことではなく、もれなく書きだす書き方を意識させなければいけなかったのです。3つの場合で子どもたちがあまり抵抗なく正解を出せたので、授業者は確認を怠ってしまったようです。
とはいえ、子どもたちはとてもよい雰囲気で学習していました。だからこそ、教師が何を押さえ、焦点化し、共有するかが問われるのです。

3年生の体育の授業は、ポートボールでした。
子どもたちは準備運動をしっかりとやっています。集合解散も素早く行えます。次の練習のためにボールを取りに行かせたところ、かごへは素早く移動しましたがそこで困ってしまいました。ボールがどれだけ必要かわからなかったのです。指示があいまいでした。指示をし直した後、子どもがボールを持って戻ってくるのに、移動が遅くなっていました。子どもたちは、今度は早く移動することを意識していなかったようです。
これに限らず、授業者が明確に指示をしなかったことや、子どもにこうなってほしいと意識していないことを子どもたちはできません。あたりまえと言えばあたりまえですが、一つひとつの場面で目指す子どもの姿がはっきりさせることが大切です。
例えば、ドリブルの練習一つとっても、毬つきをしている子どもがほとんどです。ドリブルのポイントを意識して練習している子どもはいません。バウンズパスもどんな場面で利用するのかを教えていません。ただ、活動しているだけの練習でした。
この日は試合形式の練習です。ドリブルなしで全員がボールをキャッチするまで、シュートをしてはいけないという特別ルールですが、違反した時にどうやって再開するといったことは説明しません。子どもたちはゲーム中に戸惑ってしまいました。
子どもたちはやみくもに動いています。授業者は試合中に「シュート」といった指示を出しますが、子どもたちは指示されたことをとっさにやっているだけで、自分で判断したわけではありません。これでは技術は向上しません。また、試合のないチームの子どもはぼんやりとしているだけです。
最初に今日の試合形式の練習でのポイントが何かを説明することが必要です。もし説明しないのであれば、短い時間で全員に経験させ、他のチームのプレイも見せて、どうすればうまくゲームを進められるか相談させることが大切です。
授業者は自分が意識したことは子どもに徹底できる力はあると思います。要は、何が大切か、子どもたちにどうなってほしいかをきちんと意識することです。このことを強くお願いしました。

この市では5、6年生以外も外国活動を行っています。4年生の外国語活動を見ました。この日は家族を表わす単語を家族の写真や絵を使って”Who is this?”に答えることで練習するものでした。市全体で共通のカリキュラムがあるので、授業者の問題ではないのですが、英語を習得するという意味では、非常に問題のある授業でした。
語学の習得の初期段階では、「聞く話す」と「読む書く」は混在しない方がよいと言われています。単語書かれた絵で発音練習していることが気になります。文字を覚えてくれればラッキーという程度だとは思いますが、単語を覚えるのにはノイズとなります。また、Classroom Englishを使うのですが、肝心の言葉の説明は日本語でします。”brother”や”sister”は日本語で説明するとおかしくなります。兄と弟、姉と妹の区別がないからです。英語を日本語に1対1で対応付けることは避けるべきです。”situation”を理解することで身につけることが大切です。All Englishでねらうべきはこの部分なのです。ここで日本語を使ってしまっては意味がありません。
“What is this?”に対して”This is ○○.”という会話も気になります。確かに写真や絵を間にはさんでの会話は”this”でやり取りできますが通常は”situation”で変わります。”it”になることもあります。同じパターンだけで練習して習得してしまうと、混乱して修正しにくくなります。きちんと”this” ”that” “it”の違いを身につけさせる必要があります。
また、単語の練習で班ごとに列で順番に”father” “mother” と一つずつ順番に答えさせる場面がありました。一人が一つの単語言うだけです。他の班はそれすらもなく聞いているだけです。活動量の余りの低さにびっくりします
最後はいつものようにゲームです。この日は各自が描いた家族の絵をもとに、じゃんけんに勝った人が“What is this?”と絵を指さして、相手が”This is ○○.”と答えるものです。交代して終わりますが、ゲームのポイントを得るのはじゃんけんに勝った人だけです。英語の活用と関係のないところでゲームの勝敗が決まります。外国活動の目標が外国語と関係のないところに行ってしまいます。
担任がだれであっても外国語活動の授業ができることを目標にしたカリキュラムということはわかるのですが、ぼつぼつ次のフェーズに行くことを考えてほしいと思います。私が言うべきことではないかもしれませんが、そのことを教育委員会や校長会にはお願いしたいと思います。

6年生の音楽の授業は、かなり教材研究をしたと思わせるものでした。
授業の最初に全員で合唱しますが、歌う前にポイントを具体的に確認します。子どもたちは笑顔でとてもよい姿勢で歌っていました。ポイントを意識していることがよくわかるものでした。
この日はホルストの組曲惑星から木星の鑑賞でした。曲想の変化に注目させるのですが、「曲想」が何かが明確になっていません。この時間を通じて理解することでもよいのですが、音楽の用語をきちんと押さえながら進めることが大切です。曲を聞かせてから、子どもに感想を言わせます。つぶやきを拾ったときは、きちんと全体に対して発表をし直させます。とてもよい対応です。しかし、そこで自分で説明を始めてしまいます。もう少し他の子どもにつなぐことをしてほしいと思います。
ホルンの音が前に出ていることを説明して、再度聞かせます。説明で終わってしまっては気づけなかった子どもはそのままです。これもよい対応です。ただ、その場面を子どもたちで気づけるようにすることを意識するとよかったと思います。具体的には、ホルンの音が出てきたら手を挙げるといった指示です。
ホルンが6本と多いことを説明するのですが、子どもたちはピンときません。そもそも通常何本か知らないからです。教えてもいいですが、通常のオーケストラの写真と惑星を演奏しているオーケストラの写真を比べて見せても面白いかもしれません。特徴である、ホルンとティンパニーの構成の違いに気づくことができたかもしれません。
曲の感想をイメージで答えさせます。ここから音楽的な表現につなぎたいところです。子どもからは、「音が低いから」「ゆったり」という音楽表現につながる言葉が出てきますが、その場では深めたりつなげたりはしませんでした。
子どもたちの発言が終わったあと、そのイメージがどこから来ているか音楽表現に関する用語を出して、音楽的な根拠を求めました。視点を与えるのはいいのですが、用語の意味が全員に理解されていなければいけません。まずは、簡単に説明するか、子どもに確認したいところでした。何度も聞かせて鑑賞を深めさせようとしているのですが、友だちのイメージを聞くだけではなかなか深まりません。授業者は過程や根拠をつなぐことを意識せずに、子どもの感想を聞いては自分で説明をしてしまいます。結局教師がしゃべりすぎの授業になってしまいました。子どもはしっかりと感想を書いています。その感想をつなげることを意識すべきでした。
「同じような感想を持った人いる?」「それって曲のどういうところで感じた?」「同じようなことを感じた人いる?」「あなたはどんな感想を持った?」と根拠となる表現と感想をつないでいくのです。その上で、もう一度聞くと曲に対する理解が深くなったと思います。
どんなことを感じたというアプローチもいいのですが、逆に「作者は、木星はどんな星というイメージをもっているのか?」を課題としてもよかったかもしれません。より作者の表現を意識することになるからです。
「木星」という曲について本当によく教材研究をしていました。教材研究をするとどうしてもそのことをしゃべりたくなるのが人情です。そうではなく、子どもの言葉をつないだり深めたりする過程で教材研究を活かすという発想をしてほしいと思います。あくまで、子どもに気づかせることを基本とするのです。

授業後、個別に授業アドバイスをしました。どなたもとても素直に聞いていただけます。この姿勢であれば、必ず進歩すると思います。事実、前回に引き続き授業を見せていただいた方は、私のアドバイスを確実に自分のものにしていると感じました。私も自分のアドバイスに手ごたえを感じることのできた授業でした。こういう経験をさせていただくと私も元気が出ます。ありがとうございました。

介護研修で、チームと個の役割について考える

先日、介護現場で起こることとその対応について研修を行ってきました。

介護施設の職員で2グループ、訪問介護の職員で1グループの3グループでした。今回はグループごとにテーマを決めて、新人とベテラン、それぞれがする対応を代表者にロールプレイしていただきました。介護施設の職員グループには、「利用者がお風呂を利用中に動かなくなった」「食事中に下を向いて動かなくなった」、訪問介護の職員グループには「食事の準備をしていたら利用者が転んで、起き上がれなくなった」という設定です。どのグループも自分たちの経験を話し合いながら、しっかりと考えてくださいました。

面白かったのが、介護施設と訪問介護の状況の違いです。介護施設ではチームで仕事をしています。したがって、担当者が何もできなくてもだれかが気づいてくれることもありますし、助けを呼べば何とかなります。一方、訪問介護では基本は1人ですから個人で対応することになります。皆さんのロールプレイはその状況の違いの中で何が大切かを見事に浮かび上がらせます。
介護施設では、すぐに助けを呼ぶと同時に、今自分ができることを素早く実行します。そのとき他の職員は利用者さんの視線を現場から外れるように誘導したりして、できるだけ他に影響がないように動きます。それぞれの立場で自分がなすべきことをするのです。
一方、訪問介護では、料理をつくっている時から、利用者さんの状況を把握しようとしています。声をかけて会話をすることで、利用者さんの異変をすぐに察知できるようにしています。トラブルに対して素早く状況の把握をしますが、それと同時に本部に電話連絡し指示を仰ぎます。現場での対応は自分一人ですが、きちんとチームとして事にあたるようになっているのです。

チームだからこそ、協調的な個の判断が求められる。個人だからこそ連絡と相談が大切になる。このことは学校現場でも同じです。学級の問題を担任の責任として一人で対応していては、判断ミスや対応の間違いがあっても修正できません。ことが大きくなってから初めてまわりが知っては遅いのです。中学校では複数の教師が1つの学級に入るので、それぞれの役割を意識した協調的な指導が大切です。教科担任には学級担任とは違った視点でフォローすることが求められます。

こういった事故を予見するために必要なことは、利用者一人ひとりの情報の伝達、共有です。このことについても、グループで考えてもらいました。参加されている方は力のある方ばかりです。手にした情報を伝えることや自分が担当する利用者の情報を得ることをしっかり意識しできていました。しかし、リーダーに伝えた、連絡帳に記入したで終わってはいけません。残念ながら、すべての職員がここに参加された方と同じレベルに達しているわけではありません。情報がきちんと伝わっているかチェックする、担当者に任せっぱなしではなくそれとなく意識して見守るといったことも必要なのです。このことをお伝えしました。

今回は、介護施設と訪問介護、それぞれの状況の違いを理解し合うことができました。互いに学ぶべきことは多かったようです。人のお世話をするという点で、介護は教育と似たところがあります。私も研修を通じてよい学びをすることができました。ありがとうございました。

「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第8回公開

愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」の第8回「授業改善が上手く進む学校の特徴」が公開されました。

ぜひご一読ください。

個から始めるのか、全体で取り組むのかを考える

小学校で終日授業アドバイスをしてきました。この日は低学年を中心とした個別アドバイスと、全体に対してのアドバイスの時間を取っていただきました。

基本的に子どもたちは落ち着いています。前回訪問からそれほど時間は立っていないので大きな変化があるわけではありませんが、子どもたちを受容することや子どもたちが互いに聞き合うことを大切にしようとする姿勢が感じられました。しかし、その実現については学級差を感じます。子どもとの関係に苦労している学級も目にしました。個々の学級のよさが学校全体のものになっていません。授業研究などを通じて、気軽に授業について話し合う雰囲気をつくることで互いのよさを共有するとよいと思いました。

一方、発問や授業の進め方、教材研究といったことについては、甘いと感じる授業が多くありました。特に気になったのが、目標や評価を教師自身が意識していない活動が目立ったことでした。当然子どもたちにも目標や評価の基準は明確になっていません。活動そのものが目的となり、よく言われる「活動あって学びなし」となってしまいます。また、目標がある程度明確になっていても、その達成のために何が必要なのかを意識していないため、子どもがうまく活動できない場面も目にします。例えば、「資料を見て気づいたこと」と問いかけても、子どもの活動はシャープになりません。資料から気づくためには、資料には何が書かれているかを確認したり、○○と比較するといった視点を明確にしたりすることが必要です。どのような視点を持つ必要があるのか、それは教えるのか気づかせるのかといったことを意識して授業を組み立てる必要があるのです。
今回は、このような子どもの活動に関することについて、全体に対してお話をさせていただきました。

「個々の教師を伸ばすことから始めるのか」「学校全体で取り組むことを明確にして推し進めるのか」といった方向性を学校としてはっきりさせることが必要だと感じました。前者であれば、「個々の教師の成長を全体のものとするために、共有する場面をつくる」、後者であれば、「4月のスタート時点で今年度学校として取り組むことが具体的になっている」ことが必要になります。このようなことを校長にはお伝えしました。
どのような判断をされたのか教えていただく機会を楽しみにしています。

中学校長会で講演

市立中学校の校長会で「みんなが元気になる学校づくり」と題した講演を行いました。校長がどのような動きや仕掛けをすると学校が元気になるかということを具体的な事例をもとにお話しさせていただきました。

あたりまえのことですが、校長の仕事の第一は学校として何を目指していくのかをできるだけ具体的にすることです。「自ら進んで学ぶ子」というような抽象的な表現ではなく、「わからないときに、教えてと聞ける子」というような具体的に評価しやすい行動で表現することが大切です。また、こういう目指す子どもの姿が校内の誰に聞いてもぶれることがないことも大切です。機会を見ては校長が発信し続けることを意識してほしいと思います。
学校ホームページは校長が発信するための大きな武器となります。外向きだけでなく先生方に対しても校長が目指すものを伝える有効な手段です。目指す子どもの具体的な姿や学校のよい取り組みを発信することは、先生方にどのような子どもを育ててほしいかを伝えると同時に、こういうことをしてほしいというよい意味でのプレッシャーを与えることになります。

学校がよい方向に変わる条件として、「戦略性がある」「授業を大切にしている」「管理職・主任が授業をたくさん見ている」「同僚性がある」が挙げられます。何を変えるか、どこから始めるかというゴールとステップが明確であること。子どもたちが過ごす時間の大半を占める授業を大切にし、そこで生活指導や人間関係づくりをすること。学校の授業の実態を把握し、具体的な場面で先生方に寄り添って指導すること。先生方を孤立させないように、互いに支え合い、相談し合い、一緒に考え合える人間関係をつくること。こういうことが大切です。
特に若手を育てるためには、以前のように「自分で盗みなさい」ではうまくいきません。管理職や主任の働きかけが大切になります。個別に対応するのか、小グループで育てるのか。小グループは若手だけなのか、ベテランも加えるのか。いくつかのやり方がありますが、どれが正解というわけではありません。学校規模や人事構成によって適切な方法は違ってくるのです。大切にしてほしいことは、メンタルケアです。一緒に考える仲間、寄り添ってくれる先輩、見守ってくれる管理職の存在が必要です。そして、言葉で言ってもなかなか伝わりませんから、実際の場面を見せてあげることも必要です。グループで指導案を検討し、授業研究を行うといった方法は、主体的に考えた授業を客観的に見ることができるので有効な方法の一つです。また、先生方もある意味子どもと同じです。成果を認めてほめることが大切です。しかし、必ずしも結果がすぐに出てくるわけではありません。取り組もうとしている意欲を認めてはげますことも校長の大切な仕事です。
ベテランを変えることはとても難しいと感じている方が多いと思います。確かに、長年やってきたことを変えさえようとしても抵抗があります。しかし、ちょっとしたきっかけで大きく変わるのもベテランです。自信を持っているベテランばかりではありません。ベテランであるが故に、授業はうまくなければいけない、指導ができなければいけないというプレッシャーがあります。自分の課題を指摘されることに若者以上に過敏な方もたくさんいるのです。ベテランには直接指導するのではなく、他の先生の授業を見せることが効果的です。他の先生の授業の課題に気づくことで、自分の授業を振り返ることができるからです。また、ベテランに変わってほしい時は、まずベテランのよいところを認めてほめることが大切です。その上で、新しいことに挑戦しましょうと次のステップを提示するのです。「新しいこと」「挑戦」という言葉を使って、欠点の改善ではなくレベルアップという肯定的なイメージで前向きになってもらうのです。「上手くいかなければまた以前のようにやれば大丈夫ですから」と失うものがないことを伝えておくのもよいでしょう。もともと、若手と違って基本的な力はあるのですから、新しいやり方を上手く取り入れることができれば素早く変化するのです。

こういった学校の取り組みを支える要は教務主任です。校長が直接指導するとある意味命令になってしまいます。そこで教務主任の出番です。教務主任が上手く機能するためには、校長が目指しているものをきちんと伝えることが大切です。言葉で伝えるだけでなく、一緒に学校を回り、授業を見ながら感想を言い合うといったことも理解してもらう一つの方法です。そして、教務主任には若手に寄り添う、支えることを求めます。学級の問題や授業に関してこうしなさいと指導するのではなく、どうしたらいいだろうか一緒に考える姿勢を持ってもらうのです。規模の大きい中学校などでは、この役割の一部を学年主任に求めることになるかもしれません。校長は、教務主任や学年主任に対して、どのような役割を求めているかをしっかり伝えることが必要です。

時間の関係で地域とのかかわりについてあまりお話はできませんでしたが、学校のことをまずよく知ってもらうことと、相談する姿勢が大切であることをお伝えしました。「○○してください」「手伝ってください」とお願いするのではなく、「○○について困っています」といった本当のことを伝え、どうすればいいのか一緒に考えてくださいと相談するのです。学校に対する要望については、真摯に受け止めていることを伝えることが大切です。結論に時間がかかるのであれば、いつまでに出すと伝える。要望に応えられなければその理由をていねいに説明する。こういうことが学校に対する信頼につながり、一緒に子どもを育てるという関係を構築することになるのです。

どなたもとても熱心に話を聞いていただけました。明日から早速やってみたいことが見つかったという言葉をいただけたことをとてもうれしく思いました。みなさんにとっても何か一つでも得るものがあったのであれば幸いです。

私立学校の研修で、新しい授業スタイルへの思いを新たにする

私立の中高等学校の研修で講師を務めました。模擬授業を行ない、私が解説をする形式です。
今回は若手の英語の先生が授業者をかってでてくださいました。自分の授業の今を伝えようという意欲的なものでした。

子どもたちの活動量を大切にしています。面白いのが、子ども役の先生たちです。子どもたちの実態を意識してのことでしょうか、授業に集中しない方、それこそ真剣に参加する方いろいろです。これだけバラエティにあふれる子ども役に出会ったのは初めてです。先生方の温度差の現れなのかもしれません。
授業者は実際の授業でもそうなのでしょう、子どもたちを叱るようなことはしません。明るい表情で、次々に活動を仕掛けます。簡単な確認は何人にも指名し、学力低位の子どもも聞いていれば答えられるようにします。答えられなかった子どもはまた指名して、挽回する機会を与えます。子どもたちに対する姿勢のよさがよく出ていました。
今回の授業は、基本となる英文をもとにペアでオリジナルの対話をつくり実演することが主活動です。あまり授業に参加しなかった方も、相手がいなければできない活動ですからちゃんと参加します。子どもたちの実際の動きとよく似ています。もちろん実際の子どもたちは本当にわからなくて参加できないこともありますので、そのような子どものために基本的な文も準備されています。基本パターンを崩して新しい要素を入れると評価が高いといった基準も示されています。
この学校の英語科で行おうとしている授業改革の一つの形を見せてくれました。
手慣れた授業に見えますが、その裏では授業者はいろいろと思考錯誤していることがよくわかります。よりよい授業を目指して日々工夫を重ねていることがよくわかります。ちょっとした場面にも授業者のオリジナリティを感じました。

うれしかったのが、今回子ども役にならなったかった方です。皆さん1度は模擬授業形式の研修に参加されていたのですが、若手の授業を非常に真剣に見ておられたのです。授業改善に前向きな先生がたくさんおられることを心強く感じました。

最後に、この授業を見て学んだことをグループで話し合っていただきました。中には、子どもたちがこのように活動する授業は楽しそうだが、学力がつくのかといった疑問を持たれる方がいました。特に高等学校ではこのような授業観が多いようです。しかし、このような授業が楽しいと思っていただけただけで今回の模擬授業はよかったと思います。教師が一方的に説明する授業や子どもたちが寝ている授業で学力がつくことはありません。教師が説明をしたというのは、自己満足であり、それでできないのは子どもが悪いという言い訳の授業です。そのことを実はおそらく気づいているのではないかと思います。だからこそ、そのことを認めたくないのではないでしょうか。
大学受験者の急増時期に、高等学校の教師は受験に必要な知識を伝えれば授業が成り立つことを知りました。これが受験に役立つという言葉で子どもを引っぱることができたからです。そのため、授業に対する工夫や授業技術の習得をほとんどしなくなってしまいました。小中高大で一番変わっていないのは高等学校という説もうなずけます。しかし、大学入試制度が変わることはほぼ間違いないようです。文部科学省も高等学校の授業改革に本腰を入れるようです。変化の波は確実に高等学校にも押し寄せてきています。新しい学力観、授業観に変わることが求められているのです。
高等学校でも子ども同士がかかわり合う授業に取り組む学校が増えています。そのことが学力向上に有効であるという報告も目にするようになりました。この学校にあった、新しい授業スタイル、学習スタイルをつくりだしてほしいと思っています。そのために少しでもお力になれればという思いを新たにしました。

授業力向上に前向きな先生方

中学校で、授業アドバイスを行いました。この日は国語の授業研究がありましたが、その前に学校全体の様子を見せていただきました。うれしかったのが、たくさんの先生が私と一緒に授業を参観してくれたことでした。他の先生方の授業、特に子どもの姿から学ぼうとする姿勢はこの学校の授業力向上への意欲の強さの表れでもあります。授業を見ることでたくさんのことが学べたとの感想を聞くことができました。次のステップとして、私の解説抜きでも、互いに授業を見あって学び合うようになってくれることを願っています。

全体的に感じたのは、以前と比べて2年生がずいぶん落ち着いたことです。教師と子どもの関係もぐっとよくなったと感じました。懇親会でその秘密がわかりました。以前私がアドバイスした、「気になる子どもではなく、きちんとできている子どもたちとかかわることを優先すること」を2学期は意識したそうです。体育大会では全体から外れた行動をとる子どもにはかかわらず、そのほかの普通の子どもを大切にしたそうです。結果的には外れた行動をとる子どもも、みんなの様子が気になるのか、どこかへ行ってしまうのではなく、次第に集団の中に入るようになったそうです。その結果、合唱大会では、そういった子どもも口を開けて参加するようになったとのことでした。私のアドバイスがよかったということではありません。あくまでも私は、方向性を示しただけです。先生方が自分たちで考えて行動し、修正していったことが上手くいったのです。外部の意見を参考にする素直さと、子どもたちの実際の様子を見ながら学年で歩調をそろえて指導することができたチームワークが決め手です。次の課題も視野に入れています。子どもたちが3年生になれば、今よりもっと素晴らしい姿を見せてくれることでしょう。
もちろん、3年生も1年生もよい姿を見せてくれました。先生方の柔らかい雰囲気が子どもたちを包んでいることを感じます。

授業研究は2年生の国語で、古典の扇の的でした。
音読の練習場面では、子どもたちは大きな声を出して読みます。ペアで交互に音読したりしますが、そのことの良し悪しは別として、音読に何を求めているのかがはっきりしませんでした。単語や文節の区切りを意識して読むのか、仮名遣いや言い回しを意識して読むのかといったことがよくわからないのです。前時までに意識すべきことを指導してあったのかもしれませんが、子どもたちの音読からはそれがわかりませんでした。音読する前に確認をすべきでした。
この日の主課題は、与一が扇を射た後に平家の男を射ぬいたことに対するまわりの反応、「あ、射たり」と「情けなし」に込められた「その時代の人の思い」を考えるというものです。考える前に登場人物の関係を図示し、与一が義経の命に従って男を射ぬいたことを確認しました。
個人で考えた後、グループで意見を聞き合います。子どもたちは意見を言いますが、その根拠を明確にした議論はできません。「その時代の人の思い」といっても、当時の人の思想を子どもたちはわかっていないからです。「あ、射たり」には、与一の腕前のすごさ、源氏を勢いづけたことを称賛するといった意見が、「情けなし」には、自分のために舞ってくれた人にそこまでしなくてもいい、与一がためらないなく殺したのはひどいといった意見が出てきました。が、どれも根拠が明確になっていません。本文を読み取ることと関係なしに、現代語訳から子どもたちが想像した以上のものにはなっていないのです。
ここでは、「あ、射たり」「情けなし」という言葉から当時の人の考え方を知ろうといった課題にすることで、子どもの意見はかなり違ったものになったと思います。今の時代ならこの行為はどう評価されるかを考えさせれば、それと比べることで当時の人の考え方を明確にすることもできます。作品を通じて当時の人の考え方を知るという古典の学習の目的の1つがが明確になります。また、当時の人の考え方を知るのであれば、それ以前に、平家が扇を的として源氏を挑発した場面や与一が扇を射た時に敵も味方も称賛した場面も押さえておかなければなりません。それを踏まえた上でこの場面を考えることで、当時の人の考えがより明確になるはずです。何を目標とする活動かが明確でないため、子どもたちがただ想像するだけのものになってしまい、読みが深まっていかないのです。
グループの活動で、ワークシートを回し読みしている姿が見られました。ワークシートに頼りすぎるとこのようなことが起こります。ワークシートを見せたり読んだりするのではなく、必ず自分の口でしゃべらせてかかわり合わせることが大切です。話し合いを深めるためには、1つの意見をもとにして、その場で質問したり、自分の考えを述べたりすることが必要なのです。
全体追究の場面では授業者は子どもの意見をすぐに板書します。よいと思ったら写すようと言いますが、子どもたちは板書されると条件反射的に写します。板書に頼らず、なるほどと思った、似た意見だという子どもを指名してつなげていくことが必要です。
指名した子どもの説明がちょっと混乱してよくわからない場面がありました。「どういうこと?」と子どもから声が上がります。自然にこういう疑問を口に出せるのは学級の雰囲気がよい証拠です。授業者はまわりの人と相談させ、他の子どもに説明をさせました。子どもたちは納得したのか、拍手が起こりました。子どもたちが安心して暮らせる学級になっています。
最後に意見を聞いて、もう一度自分の考えをまとめます。発表に対して授業者がいい意見と評価すると、子どもたちが拍手をします、しかし、子どもたちは何がいい意見かを判断する基準を持っていないので、教師の判断に従って拍手をしただけです。結局、現代人が当時の人を非難しているだけの意見のように感じられました。
子どもたちはとても集中して授業に参加していました。だからこそ、教材研究の大切さを強く感じることになりました。

授業検討会では、若手が積極的に意見を発表してくれます。授業検討会が機能しています。互いに学ぼうとする雰囲気を感じることができます。私からは、全体に共通の課題として、活動に対して目標とその評価基準が子どもにわかる言葉で伝えられていないことを指摘しました。このことが課題となるということは、授業規律がしっかりしてきて、子どもたちが集中して授業に参加できるようになってきているということです。

懇親会では、この日授業を見せていただいたほとんどの先生がアドバイスを聞きにきてくれました。授業力の向上に前向きな先生ばかりです。休む間もなく先生方とお話ができとても楽しい時間を過ごすことができました。
研究発表まであと2年ですが、素直で前向きな先生方ばかりなので、この先がとても楽しみです。

養護教諭の授業から「思いが伝わる授業」という視点に気づく

市の養護教諭の研修会の授業研究でアドバイスを行いました。養護教諭の授業力向上のための研修です。

授業は1年生のストレスの学習です。保健・体育の教師がT2として参加しています。
授業者を縛っていたのが、保健には試験があることでした。試験に出る言葉の説明や定義を押さえておかなければいけないという意識があるため、目指すものと活動にずれが生じていたのです。例えば、ストレスに積極的に対処できることを最終ゴールにして、どのような活動をして何を考えさせればいいのかだけを考えると授業がすっきりしたのです。教科書に縛られず、養護教諭だからこそ伝えたいことを中心にして、そのことを説明するのではなく、子どもたちに考えさせ気づかせたいところでした。

どんな時にストレスを感じるかということを子どもたちに聞きます。「テストの時」といった言葉が出てきます。この後、ストレスとストレッサーの定義をして、ストレスには適度なストレスと過度なストレスがあること、ストレスによる心と体への影響について授業者が主体となって説明します。その上で、ストレスがあるとどうなるかを子どもたちに聞き、授業者がそれを心と体のどちらかに分類していきます。確かに教科書的な「ストレスとは、・・・心と体に負担がかかった状態」といった定義を知識として教えることから出発してもよいことなのですが、子どもたちがストレスを感じると言えるのですから、そこを起点として子どもたちに考えさせてもよかったでしょう。具体的には、「ストレスがかかっているってどうしてわかるの?」といった質問をすることで、ストレスによる心身の影響を子どもたちに気づかせることができます。「ストレスがなければいいよね。試験がなければ最高だね」とゆさぶって、適度なストレスの必要性に気づかせることもできると思います。ストレスへの対処を自分の身近な問題とするためには、教師から情報を与えるのではなく、子どもの体験から出発させることが大切です。その上で、定義を押さえればいいのです。

用語の説明を写させますが、そのねらいは何でしょう。大切だからとノートに写しても、覚えるのは試験前でしょう。教科書に線を引くことと変わりありません。覚えさせたければ、できるだけ教科書や黒板を見ずに写させるという方法もありますが、ここにあまり時間を使うのは意味があることには思えません。定義を知ったからといって、ストレスに対応できるようになるわけではないのです。

子どもたちにストレスへの対処法を考えさせるために事例が用意してありました。
同じ学級のAさんとBさんは仲のよい友だちです。Bさんに同じ学級で部活動が同じCさんという友だちができ、3人で行動するようになりました。Aさんは、BさんとCさんの部活動の話についていけなかったりします。Bさんが自分から離れていくのではないかと不安になりました。Cさんをじゃまに思ってしまう自分が嫌で仕方なくなり、腹痛などの体調不良が出てきました。

このような事例で、「ストレッサーは何?」問いかけたところ、すぐに「Cさん」という声が上がりました。授業者は思わず「そうだね」と答えて、そのまま、Aさんだったらどのように行動すればよいかを考えさせました。授業者としては、Cさんと仲よくするBさん、Cさんをじゃまに思う自分の気持ちなど、他のストレッサーも想定していたようでしたが、とっさのことで上手く広げることができなかったようです。
自分の考えを持たせてから、グループで話し合わせます。ここで、1つに絞るように指示します。1つに絞ることでよい考えが消えてしまう可能性が高くなります。ストレッサーをCさんとしたため、子どもたちの発表は、「Cさんのよいところを見つける」といったCさんとの関係をどうするかがほとんどでした。話を聞いてもらうといった、別の視点の対処もあったのですが、埋もれてしまいました。
こういう場合、グループでは友だちの考えでなるほどと思ったもの書き加えさせ、個人で一番納得したものを発表させるとよいでしょう。似た意見、ちょっと違うよという意見をつなぎながら焦点化したいところです。

子どもたちの発表を授業者がいいねと認めていくのですが、すぐに拍手をさせます。子どもたちは、拍手をすることでその意見を無批判で受け入れてしまい、考えを深めることをしなくなります。「どう、これでストレスは解消される?」といったゆさぶりが必要です。
発表が終わったあと、自分にストレスがたまったらどうするかという対処法を考えて発表させます。ストレッサーが具体的でないので、どうしても「素振りをする」「大きな声を出す」といった、気分転換、逃避的なものになってしまいます。試験のようにストレッサーが時間の経過で消えるものはいいのですが、乗り越えない限り逃れられないものはこういった対処ではなかなかうまくいきません。逆に言えば、こうすればうまく対処できるという万能の方法はないのです。その中で、解決に向かう可能性の高い方法の1つが「相談する」です。誰かに寄り添ってもらうことでストレスの負担が減ることが多いのです。授業者はこのことを子どもたちに話しました。しかし、教師からの説明なので子どもたちはあまり実感が持てなかったように見えました。子どもたちから言葉を引き出し、深めたかったところです。「いい対処法が見つからなかったからどうする?」「素振りをしてすっきりしても、すぐまたストレスがたまらない?」といったゆさぶりをすることで、「相談する」といった他の視点を引き出すことができたと思います。

授業後は時間の関係で検討会をせずに、私の解説が中心でした。場面ごとに授業技術と授業構成の両面から話しましたが、日ごろ授業をする機会の少ない方たちからすると、個々の要求度が高いように感じられたようです。いつも前向きに参加してくださる方たちなので、できるだけ参考になる情報を提供しようとしたのですが、参加者の声をもっと拾いながら、疑問に答える形にすべきだったのでしょう。養護教諭の方々は、日ごろから子どもたちの心と体の問題に直面されているので、伝えたい思いがたくさんあります。どのようにすればそれが伝わるのか、その視点で授業を解説することが必要だったと思います。授業者が私の話を前向きに受け止めてくれたことが救いでした。
毎日授業をしている一般の教諭でも授業力向上はそれほど簡単ではありません。養護教諭ではなおさらです。上手い授業ではなく、思いが伝わる授業という視点も必要であることにあらためて気づかせていただきました。よい機会をいただいたことに感謝です。

松浦克己先生の授業から、子どもの学習意欲の原動力を学ぶ

先日、小牧市立小牧西中学校の松浦克己先生にお願いして、GDMを活用した英語の授業を公開していただきました。私のかかわっている学校や知り合いの先生方に声をかけさせていただいたところ、20人ほどの方が参加してくださいました。

久しぶりに見せていただいた松浦先生の授業は、以前と同じくどの子どもも真剣に集中して授業に参加していました。基本的に”All English”の授業ですが、活動の指示の一部に日本語を使うこともあります。まだ学習していない言葉や言い方を無理に使う必要はないという考えです。大切なのは英語を日本語で理解するのではなく、”situation”で理解することです。”All English”の授業といっても、教え方や内容は従来と全く同じで、指示だけを英語に変えたものとは全く異なる考え方のものです。

松浦先生の授業は、大きく3つで構成されます。最初は実物を使いながら学習するライブです。できるだけ具体的な場面を何度も英語で表現し、その意味するところ、使い方を子どもたちが理解します。続いて、その状況を簡単な絵で表わし、英語で表現する練習をします。理解したことを活用する場面です。最後はワークシートを使って、個人で復習と書く練習です。基本的に、1時間の授業で学習する事項は1つのことです。場面を変えながら同じことを何度も繰り返して学習するのです。
また、GDMの手法を支えているのは、子どもたちが理解できなくても終始笑顔で受容的に接する松浦先生の姿勢と、子ども同士が聞きあい、助け合うことです。教室の中に広がる安心感が子どもたちの学習を下支えしているのです。うっかりすると見逃してしまいますが、GDMといった指導法とは別の、どんな授業にも共通の大切な要素です。

“All English”で、日本語による訳や説明が全くない授業なので、”Slow Lerner”の子どもは学習についていけないように思われがちなのですが、明らかに理解できていないと思える子どもも最後まで頑張っています。子どもたちは、今理解できなくても授業のどこかで理解できる瞬間が必ずくることを信じています。だから、最後まで集中して参加するのです。
子どもたちはわかりたい、できるようになりたいのです。しかし、努力しても結果がでなければ、すぐにあきらめてしまいます。教師が「やればできる」と言っても、その実感がなければ続きません。結果のでる努力をさせる必要があります。松浦先生の授業では、全員同時ではありませんが、どの子どもにも1時間のどこかで「わかる」瞬間が訪れます。そのことを経験的に知っている子どもたちは、学習から脱落しないのです。ですから、”Slow Lerner”の子どもたちにも学力がつくのです。そのことは、データにも表れています。ある年の3年生の標準テストの評定を見ると、3以下の子どもはほんの数人だけです。5の生徒が過半数で、残りが4の生徒です。
子どもたちが自分でわかろうとする意欲を英語の授業で持ち続けることが、他の教科にもよい影響を与えています。やればできるという自信が他の教科の学習意欲にもつながっていくのです。この学校では、他の教科の成績も確実に伸びているようです。

授業後も長時間にわたり参加者からの質問に熱心に答えてくださいました。1度見れば誰でもできるというものではありませんが、その考え方は他教科であってもとても役に立つものです。
松浦先生は、自分が実践の中で培い得てきたものを惜しげもなく提供してくださいます。今回の授業公開にあたってもたくさんの資料を事前に参加者に送ってくださいました。簡単にまねのできる授業ではありませんが、中学校のカリキュラムの中できちんと体系化されています。やる気さえあればだれもが実践できるような材料が用意されています。
今年度いっぱいで退職されるので、このような教室での実践を見せていただく機会はもうないかもしれません。しかし、松浦先生の蒔かれた種は確実に芽吹いています。この芽が大きく育つよう、また、もっともっと広がるようにお手伝いをしたいと思っています。
貴重な時間を割いてたくさんのことを教えていただいたことを感謝します。松浦先生、本当にありがとうございました。

地域と子どもたちのかかわり方を考えさせられたフェスティバル

先日、学校評議員をさせていただいている中学校で行われた「地域ふれあい学びフェスティバル」を見学してきました。このフェスティバルを見学するのも11年目です。形を変えながらもこれだけの長きにわたって続いているのは、地域の方が自分たちの行事だと意識してくれているからに違いありません。

すぐに気づいたのは、模擬店の数が増えていることです。子ども目線の食べ物が増えています。これに限らず、展示なども全体的に子ども目線のものが増えているように思います。中学生の目線で、お客として来てくれる小さな子どもたちを意識しているといった感じです。子どもたちに楽しんでもらいたいという気持ちを強く感じました。それと合わせて、会場で出会う中学生の姿に、自分たちも楽しもうという気持ちが以前よりも強いように思いました。このフェスティバルの目指すところが、「楽しむこと」に変わっているのかはわかりませんが、以前と比べると楽しむという要素が強くなっているように感じました。

フェスティバルの企画は地域の方と中学生で会議を持って行うのですが、中学生の考えが以前より強く反映されているように感じました。昨年は、地域の方が一歩下がって子どもたちを前面で活躍させ後ろを支えているという構図を感じましたが、今年度はちょっと違う空気を感じました。気のせいかもしれませんが、子どもたちを育てるために一歩下がっているというよりも、自分たちに割り当てられた仕事をこなしているように感じたのです。これは全くの想像ですが、中学生が積極的になり、自分たちの考える企画をやりたいという気持ちが強くなった結果、地域の方が子どもたちのやりたいようにやらせてやろうとしたように見えました。「フェスティバルの趣旨からいってこの企画はどうだろうか?」といった地域の方と中学生がぶつかる場面が減っているのではないかと感じたのです。

また、先生方が裏方で子どもたち以上に働いているように見える場面もいくつか目にしました。先生もこのフェスティバルを支える一員であることは間違いないのですが、そのそばで中学生がおしゃべりをしているのを見ると、どうあるべきなのかちょっと考えてしまいます。それぞれの役割が割り振られているのですから、その役割を果たせばいいという考えもあります。先生もこのフェスティバルに関しては、指導者というよりは生徒たちと同じ立場と考えているのかもしれません。このフェスティバルで目指すものは何かを考えさせられました。
このフェスティバルを通じて、地域と学校が一体となってどう子どもたちをどう育てていくのか?いや子どもたち自身で成長していくのだから、育てるという発想ではなく、子どもたちに場を与えて見守ればいい。いろいろな考えがあると思います。このフェスティバルの目指すところを再度確認することが必要な時期になったのかもしれません。

介護の仕事と授業の共通点を考える

先日、介護関係の研修の打ち合わせを行いました。研修の参加者に考えてもらう内容を検討していると、介護の仕事には授業と共通のことがたくさんあることに気づきます。

介護では、利用者の身にどんなことが起きるか、予想して行動することが大切になります。今の状況にどんな危険があるかを想像することが重要です。授業でも、子どもたちがどのような行動をとるか、どのようなことを考えるか、どのようなことでつまずくか、常に考えておく必要があります。
また、介護の現場では予想もしない事故が起こることもあります。そんな時も素早く正しい対応が求められます。授業中に事故ということはあまりありませんが(もちろんないわけではありません)、こちらが全く予想もしない反応を子どもがすることがあります。そんな時にも、その反応をきちんと受け止めることが大切です。これもよく似ています。

さて、介護施設の利用者は、一人ひとりその状況は異なります。全員を同じように扱うことありません。食事一つとっても、個別の対応が求められます。一人ひとりの利用者の状況をしっかりと把握していないととんでもない事故が起こってしまいます。常にそういう緊張を持って仕事をしているのです。学校でも、子どもたち一人ひとりの状況は違います。「みんな」という言葉で同じように対応をすることは、一人ひとりの成長を考えたときにとても危険です。子どもたちの能力や発達に応じて柔軟な対応が教師には求められますが、その対応が間違っていても介護現場のように目に見える事故は起こりません。その結果は子どもたちに学力がつかないといった形で現れますが、教師はそれを自分のせいだとはあまり思いません。子どもの能力の問題だと考えてしまうのです。そうではなく、自分の授業が原因だと認識することが必要です。

介護職員と同じように、教師もよい意味での緊張と責任を感じて教壇に立ってほしいと思いました。

教科の先生同士が学び合う

昨日の日記の続きです。

英語の授業研究は、3年生の間接疑問文の学習の最初の時間でした。
とにかく子どもたちが楽しそうに授業に参加しているのが印象的でした。一つひとつの活動における授業者のねらいが明確です。いろいろな音読の活動をすることで基本表現を定着させたいと考えていました。
”We Are The World”を聞いてウォームアップします。退屈そうにしている子どもほとんどいません。歌詞をしっかり目で追っている子ども、一緒に口ずさむ子ども、それぞれのやり方でしっかりと聞いていました。
続いてこの日の主となる文章のリスニングです。1回聞かせて何語聞き取れたかを隣同士で確認し合います。一連の活動の後、再度リスニングした時に自分たちが進歩していることを感じ取るための布石です。
単語の読みをフラッシュカードで練習します。子どもたちがしっかりと口を開けています。ペアでの練習も、男女の組み合わせであってもすぐに取り組みます。これに限らず授業者の指示に子どもが素早く動きます。よい意味でのワンパターンで、一連の学習の進め方を子どもがしっかりと理解しているので、安心して学習に取り組んでいることがよい状況をつくっています。基本的に全体練習とペア練習を組み合わせて、子どもたちの活動量を確保しようとしています。
一方が日本語の文を言って、相手がそれに対応する基本英文を答えるペア練習がありました。訳と英文を対応付けるにはよい練習なのですが、子どもたちは覚えることに注力してしまいます。英文と日本語訳が1対1に対応してしまいます。関節疑問文を教えるのであれば、”What is ○○?” に対して、”I don’t know what ○○ is.” “Oh, you don’t know what ○○ is.” といったやり取りの練習を取り入れると、日本語訳に頼らなくても意味の理解ができると思います。
どの子どもも授業に参加しようとしています。子どもたちの活動量を確保しようとする授業者の意図は達成されていると思いました。
英語の教科部会での授業検討では、子どもたちがしっかり育っていることが話題になりました。4月からきちんと育ててきているからこそ、今のこの状態があることが確認されました。互いによさを認め合いながら、授業について忌憚のない意見を出し合えるとてもよい雰囲気の検討会でした。
私からは、次のステップとして、子どもたちの英語力をつけるための活動を工夫することを指摘させていただきました。日本語と英語を対応させて覚えるのではなく、実際の“situation”に応じて英語を使う活動をどう組み込むかが課題だと思います。互いに学び合える先生方なので、きっと更なる進化を見せてくれることと思います

経験2年目の先生の数学の授業研究は1年生の反比例の導入部分でした。
子どもたちとの関係ができていることが感じられました。比例で「何をやってきた?」と問いかけて子どもたちに思いつくことを発表させます。テンポよく進めたいのでしょうが、1人発表させては、先生がそれを拾って説明します。ここは復習です。同じ答が何度出てもいいのでどんどん指名して活動させたいところです。また、教科書やノートを見て調べている子どももいます。こういった子どもを評価することも大切です。
続いて「比例以外の関係あるかな?」と問いかけます。ここは「関係」と問いかけるのではなく、「関数」と問いかけなければいけません。そのためには、関数とは何かをきちんと押さえる必要があるのですが、押さえが甘いままです。
反比例を導入するために、1cmきざみの方眼を配り、「面積が6cm2 になる長方形を探してみてください」と課題を提示しました。探すという言葉では、方眼紙の中で見つけるというようにも取れますし、目盛りが1cm刻みですので、辺の長さが整数のものしか見つけない可能性もあります。教科書は頂点を方眼紙の左下に固定して長方形を書かせます。グラフを意識してのことです。授業者は次の時間に長方形を貼ってグラフをつくるつもりでこのように変えたようです。しかし、この課題では長方形を方眼紙でつくる必然性がありません。面積が6cm2 の長方形の2辺は計算ですぐに出せます。連続性を意識させることも考えると、「(辺の長さが異なる長方形を)できるだけたくさんつくって」といった発問にすべきだったかもしれません。たくさんの値が出てくることで、見つけた規則性が「いつでも」成り立っていることを実感できますが、逆に規則性を見つけにくくなる可能性もあります。しかし、小学校で反比例は扱っているので、ハードルを少し上げてもよいとは思います。
いろいろな場面で子どもがつぶやいたことをよく拾うのですが、それをすぐに自分で説明してしまいます。一部の子どもの発言で授業が進んでしまいます。いかに、発言を他の子どもにつなぐかが課題です。「同じように考えた人」「なるほどと思った人」「ちょっと違うよという人」とつなぐことで、考えを広げたり、深めたりする必要があります。
また、数学用語の使い方が少し雑なことが気になります。反比例の定義を「y=a/xの関係があるとき、yはxに反比例する」と定義します。一番肝心の「yがxの関数であるとき」が抜け落ちています。また、小学校では、xが2倍、3倍、・・・となる時、yが1/2倍、1/3倍、・・・となるものを反比例と定義しています。この違いを整理しておく必要があります。y=a/xの関係があれば、xが2倍、3倍、・・・となればyが1/2倍、1/3倍、・・・と必ずなることを押さえることで、小学校での学習とつなげ、関係式を使って定義することのよさを感じさせることが大切です。反比例のように小学校で学習した事項は、その内容を踏まえた上で授業を構成する必要があります。小学校の学習内容を授業者は確認していなかったのかもしれません。何をもとにして、何をつけ足す、変えていくのかを意識することが大切です。
いろいろと課題はたくさんありますが、1年前と比べればずいぶん進歩したと思います。板書も自分なりのポイントを意識できるようになってきました。子どもの発言を受け止めることができるようになっただけでも、子どもとの関係が変わってきます。次の課題として子ども同士をつなげること意識してほしいと思います。
教科内容の点では、まずは基本事項を自分できちんと整理することが必要です。合わせて、子どもの今までの学習の軌跡をしっかりと意識することが大切です。特に小学校の教科書の関連部分はしっかり押さえておく必要があります。

今回の3つの授業研究はそれぞれの教科の先生方を中心に行っていました。検討会終了後に、数学の1年生担当が授業者と共に教務主任の指導を受けていました。こういった互いに学ぼうとする姿勢が見られることはとてもよいことです。
同じ教科の先生同士の結びつきが以前と比べて強くなってきているように感じます。教科として、授業力向上の意識が高まってくれることを期待します。

中学校で学年の課題について考える

先週末に中学校で授業アドバイスを行ってきました。合唱祭が終わったばかりだったので、子どもたちがどんな様子か楽しみでした。

1時間学校全体の様子を見た後、3つの授業研究に参加しました。
3年生はさすがに見事に切り替えができていました。どの学級も圧巻の歌声を聴かせてくれたそうですが、力を出し切ったからこそ学習に集中できていたのだと思います。
2年生は、学校全体を見た時の授業についてはとてもよい状態でした。3年生と比べても遜色ないように見えます。授業者が教室を離れなければならないことがあった学級がありましたが、子どもたちは全員きちんと自習をしていました。しかし、同じ学級でも、授業によってこれとはまったく違う姿を見せることが気になります。一部の教師と人間関係ができていないことが色々なところで目につきます。これが担任とであると学級経営にも大きな影響が出てきます。こういった場合、授業に入っている先生で人間関係がうまくいっている方が、担任の子どもたちへの思いなどを伝えて子どもとの間をつなぐような働きかけをすることが有効なのですが、他の先生方にも余裕がないため、なかなかこのような動きが見られません。苦しいことも多いでしょうが、チームワークで乗り切ってほしいと思います。また、基本的に子ども同士の関係はよいのですが、一部の子どもと他の子どもがうまくかかわれていないことも課題です。子ども同士がかかわる機会が多い教科の時間になると保健室で過ごす子どももいます。普通の子どもたちが意識せずに友だちを傷つけるような言葉を発していたり、参加できない友だちに対してかかわろうとしなかったりしている可能性があります。子どもたちの関係づくり、ソーシャルスキルのトレーニングなどが必要になるように思えます。
1年生は、合唱祭の疲れが出たのでしょうか、集中力を失くしている子どもが少し目につきました。とはいえ、全体としてはそれほどではありません。気持ちの切り替えをうまくうながせば、またよい姿を見せてくれると思います。

2年生の理科での授業研究は、回路図の学習場面でした。授業者は参観者がいるのでちょっと緊張していたのでしょうか、表情がかたいことが気になりました。
回路図は技術の時間でも一部学習しています。子どもたちに知識があるので、復習をうまくいれながら授業をすることになります。知識の確認で、子どもを1人指名して正解であれば、それで終わってしまいます。時間が気になるかもしれませんが、テンポよく何人にも答えさせて子どもの発言機会を増やしたいところです。
電池を直列につないだ時にどのように書くかを問いかけました。子どもが電源を直列につなぐ図を考えました。答は、電池をいくつつないでも電源は1つです。授業者はいくつつないでも1つしか書かないと説明します。子どもの中では電池と電源の意味が混乱したままです。電池がいくつあっても電源としては1つだからと、電源と電池の関係を説明して、納得させる必要があると思いました。
実物を使って回路図の書き方と実際の関係を説明しますが、後ろの方の子どもには小さくてよく見えません。せっかく大型のディスプレイがあるのですから、実物投影機を使って大きく見せたいところです。ちょっとしたことですが、子どもたちの目線で授業を考える必要があります。
回路図を見ながら、電流計を入れることのできるところが何か所あるかたずねます。指名した子どもは3か所と答えました。授業者は「ありがとう」と言ってどこに入れられるかを説明し始めました。子どもを受容はしているのですが、具体的にどこかはまだ子どもに聞いていません。3か所はあっていても、入れる場所を間違えている可能性だってあります。「それはどこ?」と本人に確認したり、「○○さんは3か所と言ってくれたけれど、どこかわかる?」と他の子どもに問いかけたりして、確認することや考えさせることが必要です。挙手しない子どもは、先生が答を説明してくれるので友だちの発言を聞く必要がありません。全員参加させることをもっと意識する必要があります。
電流計のつなぎ方を変えて測定する実験をしますが、実験そのものが目的なのか、回路図から正しく配線できることが目的なのかがはっきりしません。後者であれば、グループで誰かが仕切ってつないでしまえば、他の子どもは考えることができないので注意が必要です。3回測定するのですから、毎回人を変えて配線し直すといったことを考えてもよかったと思います。前者であれば、実験の目的・目標を明確にすることや、前回までにやったモデルを使って結果を予想させることなどをして、実験する必然性を子どもたちに与える必要があります。そうでないと指示に従って実験をするだけになってしまいます。
どちらも意識したいのであれば、活動を2段階に分けるとよいでしょう。回路図をもとに実験器具を配線した段階でいったん活動を止め、正しくできたかどうか評価してから、実験に入るのです。
また、目盛りは1/10まで読むようにと指示しますが、後から結果は3桁で書くようにと注意します。よくわかっていない子どもは、別の指示をされたように思います。小数点以下1桁まで書くようにと言った方が混乱を少なくできるでしょう。
一つひとつの場面を取り上げてみれば、ていねいに指示をして子どもたちを受容しているのですが、全員を参加させることや子ども目線で授業を組み立てる意識が弱いように感じました。子どもたち一人ひとりに寄り添えていないと言ってもいいでしょう。
授業者と学級経営について少し話す時間がありました。合唱大会の練習の時に、関係がうまくつくれなかった子どもたちと積極的に話すようにしたそうです。その結果すこし関係が改善されてきたそうです。自分で課題がどこにあったのか気づけたようです。授業でも同じです。漠然とした「みんな」に対して授業を進めていくのではなく、一人ひとりの子どもを意識して授業を進めていくことが大切です。ここに気づいてくれることを期待したいと思います。

他の2つの授業研究については明日の日記で。

授業評価アンケートの打ち合わせ

私立の中高等学校で、授業評価のためのアンケートに関する打ち合わせを行ってきました。
今までは他の会社が引き受けていたのですが、今年度から私どもでやらせていただくことになりました。昨年度までとの比較もあるので、今年度は大きく変えることはしませんが、今進めている授業改善に関連した項目をいくつか入れさせていただきました。評価は目指すものがあって活きてくるものです。逆に、学校として目指すべき授業像を今後明確にしていくためにも、このアンケートの結果を活かしたいと考えています。

今回検討に参加された先生から、従来の授業評価アンケートの分析に対する問題点がいくつか指摘されました。「表面的な数値だけを見て、いい悪い云々されても受け入れがたい」「設問を単独で見るのではなく、他の設問と組み合わせて分析する必要がある」など、どれも納得のできることです。数値をどのように読み取るかは、実態と合わせて考える必要があります。先生方に考える資料を提示させていただき、一緒に考えるスタンスを大事にしていきたいと思っています。
学校評議員としてこういった授業評価にもかかわっていますが、アンケートの結果で気になることを先生方におたずねすると、間違いなくその原因や隠れている課題を教えていただくことができます。先生方が子どもたちの実態をよく把握しているからです。今回の学校でも、データを前にして先生方とこのようなやり取りができる関係をつくりたいと思っています。以前は指摘だけで、具体的な解決方法は提示されなかったようです。スコアが悪かった時に解決方法がわからないような設問を入れても、改善にはつながりません。アンケートを意味のあるものにするためにも、出てきた課題を先生方と一緒に解決することを目指していきます。
先生方にとって納得性がある、授業改善につながっていくような授業評価アンケートにしたいと思います。

若手の授業で考える

小学校で授業アドバイスを行ってきました。3週間前に引き続き2回目の訪問です。体育の授業研究と前回見た2人の授業の参観でした。

1年生の授業は国語です。前回訪問から日が浅いのですから大きな変化は望めません。というか、期間というよりも、前回の私の指摘を含めやらなければいけないと思うことが頭の中で整理できていないことが問題と感じました。子どもをほめる、受容することをしたり、指示を徹底させようとしたりする場面があるのですが、それが一過性に終わってしまうのです。笑顔をつくることや子どもたちを見ることをしても、次の場面ではそれを忘れてしまいます。授業を進めることで手一杯で、視線が指導書からなかなか離れません。意識することを絞って、まずはそれを徹底することから始めることが必要でしょう。
「かばんのなかにかばがいる」というように言葉の中に隠れた言葉を探すのですが、教科書の問題には、「○○がいる」と「○○がある」となっているものが混じっています。授業者はこのことに触れずに子どもたち取り組ませます。「いる」と「ある」の違いに頓着しない子どもと、意識する子どもがいます。授業者は、「いる」「ある」という言葉を無視し、隠れている言葉だけを発表させていきます。その後で、「いる」と「ある」の違いについて考えさせますが、そうであれば、教科書をそのまま使ってはいけません。意識しなかった子どもは、最初は正解だと思っていたのに、あとから不正解になってしまい、釈然としないことになります。言葉だけを書いたワークシートか黒板で取り組ませるとよかったでしょう。
授業の構成が、教師の都合で考えられています。子どもの目線で課題や活動を見直す必要があります。教材研究では、子どもはどう思うか、子どもはどんな反応をするかを想像するようにしてほしいと思います。

3年生の国語は、同じ音の言葉を漢字で書くことで状況を明確にできることの学習でした。前回見たように、授業規律や指示の出し方には素晴らしいものがあります。
子どもの発表場面では、しっかりと受容して何人も指名するのですが、その言葉を他の子どもにつなぐことはまだできません。授業者が納得すればそれでよいと子どもが思っています。友だちに伝えようとするのではなく、先生にわかってもらおうとしています。
私たちが見た場面は、同じ読みをする漢字を区別がつくように伝える場面でした。「はっぱの葉」「はごいたの羽」に続いて「ひにあたるのひ」と答えた子どもがいました。授業者は「火」も「陽」も使えるから「ひにあたるではわかりません」と優しく言いました。しかし、言い方が優しくても否定は否定です。発言した子どもは場面が変わるまで下を向いていました。こういう場合は、授業者が判断するのではなく、「どう、どんな漢字かわかるかな?」と他の子どもたちに問い返し、これではわからないことを指摘させてから「区別がつかないって。どう言えば、区別ができるかな?」と本人に修正させるのです。そうすれば、決して否定された気持ちにはなりません。
授業の前半では、「人形に、はながついている」という表記では「花」のことか「鼻」のことかよくわからないが、漢字を使えば区別がはっきりつくことを学習しています。今度はどのように表現すれば、区別がつくかを考えます。「顔にある鼻」「髪の毛に花をつける」といった言葉を子どもたちから出させました。ねらいが、漢字を使うよさから、どの漢字なのかの伝え方、情報を付加することで正しく伝えることに変わっていきました。漢字は音だけでなく意味があるのでよく伝わることと、情報を付け加えて正しく伝えることの2つのことが同じ「人形のはな」を使って学習しています。ねらいの違いが明確になっていいなかったので、子どもたちは今何を学習しているのかよくわからなかったように思いました。授業者としては、このあと同じ読みの漢字を調べさせて、次時に正しい漢字を入れるクイズをつくらせるので、そのための布石と考えていたようですが、それならそれで、そのことをはっきりさせて見通しを持たせた方がよかったと思います。
同じ読みの漢字調べは、教科書についている漢字の一覧を使っても、漢字字典を使ってもよかったのですが、ほとんどの子どもは漢字字典を使っていませんでした。せっかくですから、試しに1回漢字字典を全体で使ってから課題に取り組ませてもよかっと思います。漢字字典はどのようなことに役に立つか、そのよさを共有したいところでした。活動の後、いくつ見つけたか数を確認し、たくさん見つけた子どもに拍手をします。しかし、活動の前に目標は明確にされていません。中には、1つの読みに対して異なる漢字をたくさん見つけようとした子どももいるでしょう。いろいろな観点で評価することを含め、目標や評価の基準を明確にしてから活動させたいところでした。
2年目の先生ですが、基本がかなりできています。だからこそ、課題もたくさん浮かび上がります。前向きに一つひとつ課題をクリアしていってほしいと思います。

授業研究は5年生の体育の授業でした。短距離走でリレーのタッチの練習が活動の中心でした。
子どもたちは走って集合ができます。授業規律がきちんとしているようですが、話をしている時に顔が上がらない子どもがいることが気になります。授業者は一連の指示をしても確認をしません。ちゃんと聞かなくてもまわりを見て行動すれば何とかなるのでしょう。そのせいもあってか、単純な集合の時には走って移動するのですが、何かを取ってくるというように移動以外にいくつかの指示が組み合わさると走らない子どもが目につきます。子どもが指示を実行することで手一杯になっているのでしょう。指示した後に「今から何をするか、言ってくれるかな?」と指名をし、もし言えなければ他の子どもに説明させてから、もう一度確認するといったことが必要になります。頭の中に次の行動がはっきり意識できていれば、走って移動することに気がつくと思います。
3秒と時間決めて、自分がゴールできそうなギリギリまでスタート位置を下げて走る。腕を大きく振って走る。足を高く上げて走るといった、バリエーション豊富なウォームアップをします。子どもたちは意欲的に取り組みますが、友だちの走っているところを見ている子どもはあまりいません。活動そのものが目的化しているので、その目標や評価がはっきせず、自分の順番でない時の役割がはっきりしていないのです。授業者は、「○○さん腕の振りがいいよ」と評価していますが、本人は全力疾走しているので、なかなか伝わりません。観点を明確にして子ども同士で評価し合うことでちゃんと伝わりますし、自分が走る時にもポイントを意識できます。また授業者は、どうしても走っている子どもに目がいきますので、待っている時の子どもの様子まではなかなか把握できていません。順番を待っている時の様子も評価したいところです。
バトンタッチの練習はチームごとに前の走者がどこまで近づいたらスタートすればよいかを見つける活動です。スタートする目安のマークを調整しながら互いの速度をバトンゾーンの中で合わせる練習をします。子どもたちはスタートの位置ばかりに気がいっています。絶対的な速度差があるため、ギリギリまで待っても瞬間的に置いて行かれ、上手くタッチできないペアもあります。腕を振って走るので、後ろの走者が手を伸ばしているのに腕が逃げてタッチできないペアもあります。しかし、なかなか修正することができません。友だちの走りに意見を言う子どもと何も言わずにぼうっとしている子どもがいます。見ている時の役割が明確ではないのです。
授業者はチームの中に入って指導をしたりしていますが、全体の課題に気づけていません。活動を一度止め、困っていることを共有させて、どうすればいいか考える時間を与える必要があったと思います。上手くいっていないペアと上手くいっているペアを比較させたりして、どこを改善したらいいか意見を出し合うといった活動です。また、一連のウォームアップとバトンタッチの練習との関連をはっきりさせておくとよかったでしょう。その場で高速で足踏みをしてダッシュすることが、遅い相手にスピードを合わせてもすぐにトップスピードにもっていけることにつながるとを知っていれば、自分たちで修正することができます。走る順番は子どもたちで決めていましたが、どういう順番にすればいいのかも共有しておく必要があったでしょう。子どもたちが考えるための材料を意識しておくことが大切なのです。
最後に目標タイムを意識してチームごとに順番に走ります。タイムは結果なので、何に注意すればいいのかの確認が必要です。子どもたちはこの日練習したタッチ以外はあまり意識していなかったようです。走り終わった子どもたちがリラックスしています。中には、マーク用のコーンで遊んでいる子どももいます。友だちのチームの走りを見ていません。こういった場面では、他のチームのタイムアップのためにどんなアドバイスをすればいいのかを考えさせるといったことが必要なのです。コーナーで体が外に振られている。トップスピードでのタッチを意識すぎて、タッチが終わった時にはすぐにコーナーが近づいてしまい、大きく膨らんでしまっている。改善点がたくさん見つかるはずです。こういう子ども同士がかかわり合えるような課題を、見ている子どもに与えることが体育では大切なのです。

全体に対しては、考えるための材料、知識を意識することを中心にアドバイスさせていただきました。その知識を「教えるのか」「調べさせるのか」「復習するのか」と、考えるための足場をどのようにしてつくるのかを考えておくことが必要です。また、活動中に子どもの差が広がっていきます。途中で困っていることを共有して、全体で解決する時間を取ることも有効です。スモールステップを意識しながら、少し高いところに足場をそろえるのです。

この2回の訪問では若手の授業しか見なかったので、私のアドバイスがこの学校全体に対して有効なものであったかは確信が持てません。しかし、多くの先生方がしっかり聞いてくださっていました。何か1つでも参考になるものがあれば幸いです。
今回も若手の授業からたくさんのことを考え学ぶことができました。ありがとうございました。

課題が明確で学びが多かった研修会

市の授業力向上研修会でアドバイスを行ってきました。夏休みに行なった研修での模擬授業の本番です。指導案がどのように変わっているのか、子どもたちの反応はどうか、楽しみにして参加しました。

中学校3年生の理科で、流星群が毎年同じ時期にやってくることを考える授業でした。
子どもたちの表情がとてもよいことが印象的でした。この学級に限らず廊下で出会った子どもたちの挨拶と表情はとても素晴らしいと感じました。学校全体がよい状態にあるようです。
これまでにどのような学習をしてきたか復習をします。子どもたちは全員が手を挙げました。指名した子どもが答えると、パソコンに打ち込みディスプレイに残します。子どもに発言させるのですが、出てきた用語については授業者が説明します。これだけ挙手しているのですから、子どもに説明させたり、まわりと確認したりして、もっと子どもに活動させてもよかったと思います。子どもたちがよく聞いてくれるので、どうしても教師のしゃべりが多くなります。

この日の課題である流れ星をディスプレイで見せます。瞬間的なので見落とした子どももいます。どこで光ったかを見えた子どもに確認して、そこを見るようにと言って再度見せました。何気ない対応ですが、とても大切なことです。観察や実験は自分の目で見ることが大切です。見えなかった者にも自分の目で確認する機会を与えることが必要です。授業者は流れ星の正体を宇宙の「塵」だと言って説明します。知識ですのでムダな問答は避けて説明しました。よい判断です。塵が地球の引力に引かれて落ちてくることを地球の模型と塵に見立てたプラスチックを使って説明し、塵が引かれた先に何があるかを問いかけます。前時までに惑星についてグループごとに学習して発表しています。子どもたちが知っているはずの知識です。しかし、数人しか挙手しません。指名された子どもは「磁場」と答えました。授業者は「もちろんあるけど」と他の答を求めます。子どもからすると、これは教師の求める答ではなかったと感じます。ここは、「そうだね。磁場があるね。よく覚えていたね」と認め、他に挙手している子どもに「同じ?」と問いかけるといった対応がよいでしょう。ここで、ノートを見ている子どもが増えました。よいことなのですから、挙手していなくても「ノートを見ているね、いいね。何が書いてあった?」と問いかけて認めることで、よい行動を広げるようにしたいところです。
「大気」が子どもから出てきたところで、流れ星が光るのは塵と大気がぶつかって起こる現象だと伝え、黒板に図を描いてまとめました。子どもたちは、授業者の指示がなくても板書をすぐに写します。この知識そのものはそれほど大切なことではありません。この日の課題を考えるための手掛かりです。自分の手でノートに写す意味はあまりありません。板書も図を手で描くので時間がかかっています。あらかじめ用意しておいたものをディスプレイに映して時間を節約したかったところです。
ふたご座流星群をディスプレイで見せて、この流星群が現れた時期を数年にわたって示し、予測できそうなことに気づかせます。そこで、この日の課題である、「流星群が毎年同じ時期に発生するのはなぜか?」と「たくさん見えるのはなぜか?」が示されました。ここまでに、授業時間の半分ほどを使っています。以前の指導案と比べてずいぶん簡略されていましたが、まだムダが多いようです。この課題の解決に必要な情報は、流れ星の正体が宇宙にある「塵」であることと、それが地球の引力に引かれて大気とぶつかって光ることです。先ほど述べたようにICTを活用したり、説明をまとめたものを課題提示の後に配ったりすることで時間をもっと節約できたと思います。

個人で考えをまとめさせた後に、グループで考えさせます。子どもたちの関係がよいのでしょう。個人でと言われても、自然にまわりに相談する子どもがいます。グループ活動に移ってから、子どもたちから最初に出させてまとめた、これまで学習した知識をディスプレイに映します。「困ったら画面を見るように」とヒントを出します。ヒントをディスプレイに提示するのはいいのですが、活動中に示すよりは、活動の前に整理しておくとよかったでしょう。また、根拠となるものがディスプレイと黒板に分かれていたので、「みんなが根拠として使える知識は」と、最初の復習と今日学習した流れ星に関する知識を同時に表示して根拠となる材料をまとめて見られるようにするとよかったと思います。
グループになると子どもの活性度が上がりました。個人ではなかなか考えをまとめることができなかったことと、子ども同士の関係がよいからでしょう。しかし、テンションが高めです。何となく思いついたことを話すのですが、根拠を持って説明ができていないようです。いくつかのグループは以前に学習した彗星にこだわっているようでした。子どもたちは、「塵」の正体がとても小さいものであるといった、流れ星の情報をあまり意識した話し合いをしていませんでした。ディスプレイと板書に情報が分かれていたことと無関係ではないように思います。根拠となる情報が多いので、議論が拡散していきます。地球や塵の模型も与えるのですが、考えを絞り切れません。

時間がきて発表です。各グループの考えを書いたパネルを黒板に貼って、子どもたちを前に集合させます。距離が近いので子ども同士がかかわりやすくなります。その場で指名して考えを発表させます。小惑星が引力でぶつかってできた塵が地球に引き寄せられるという考えが出てきます。説明したのがよくできる子どもだったので子どもたちはゆさぶられます。しかし言っていることがよくわかりません。授業者が補足して、次のグループに発表させます。時間がないために、一つひとつの発表について、納得したかどうか深く検討できません。「彗星が毎年同じ時期に近づく」というように、いろいろな考えが出てきます。全部のグループに発表させる時間がなくなりました。結論は、次回ということになったのですが、子どもたちは早く知りたそうでした。

モデルを考える時には、そのモデルで何を説明できる必要があるかを明確にしなければいけません。今回であれば、「毎年同じ時期」「たくさんの流れ星」を説明できることです。「毎年同じ時期であることが納得できた?」「流れ星がたくさんできることは?」と子どもたちの説明に問い返すことが必要です。そうすることで、考えを整理でき議論を焦点化できます。他のグループの発表に対して子どもたちはいろいろと考えているようでしたが、自分でも整理できていないのでなかなか言葉になりませんでした。多様な考えが出て来て非常に面白かったのですが、時間がないためここで終わったのは残念でした。

授業検討は3つのグループに分かれて行いました。子どもたちを中心に見てもらっていたのですが、議論はどのグループもほぼ同じところに集約されました。復習した内容が多かったため、子どもたちが手掛かりを絞り切れなかったことです。小学校の先生が多いこともあり、今回の授業で必要な内容に絞って復習すれば見通しを持ちやすかったのではないかという意見が多く出ました。皆さんよく子どもたちの状況を把握しています。対応策もその通りだと思います。しかし、授業者はあえていろいろな知識から必要な情報を選んで課題を解決してほしいと思ったのです。この情報選択能力も大切な能力です。中学校の3年生であれば、これもねらいとしては妥当だと思います。では、どうすればよかったのでしょうか?方法の一つは、一度中間で発表させて議論を焦点化させることです。途中で発表させた後、「同じ時期」「たくさん」に注目して、「小惑星がぶつかって塵ができたらたくさんできそうだけど、毎年同じ時期に流星が見える?」「彗星と地球が毎年同じ時期に出会うなら、彗星の公転周期はどうなる?」といった疑問を子どもから引き出します。いろいろな考えに出会わせてからもう一度グループで考えさせるのです。考えを整理できない時は、全体で発表できなくても、グループでは相談できます。グル―で考えを整理し深めることができるのです。そのためには、導入と課題設定までの時間を極力短くする必要があります。グループ活動は、1度発表して全体で追究して終わりではなく、もう1度戻す時間を確保することも考えておく必要があります。
授業者は、次の時間各グループの発表をもとにもう1度考えさせたいと言ってくれました。子どもたちの考えがどう深まるか楽しみです。

指導案を見る限り、夏の模擬授業と比べてあまり変わっていないようでしたが、ムダを省き、教えることと考えさせたいことがずいぶん整理されていました。他の学級で授業をしたフィードバックも入っているのでしょう。そのおかげで今回の授業の課題がとても明確になったと思います。授業検討も質の高いものだったと思います。
私にとってもとても楽しく、考えること、学ぶことの多かった研修でした。
この授業力向上研修会は来年度も継続されるようです。どのような先生方と出会えるか、今からとても楽しみです。

中学校で授業アドバイス

中学校で授業アドバイスを行ってきました。先週に続き2週連続での訪問です。

今年異動してきたばかりの、経験6年目の先生の理科の授業です。3年生の天体の年周運動の学習でした。子どもたちとの人間関係は悪くはないのですが、接し方がやや高圧的で先生のテンションが高めの傾向があります。子どもの発言を聞いている時には柔らかい表情もでますが、全体に話す時はやや表情が硬いようです。
定期試験が近いことや受験のことを意識しているのか、日周、年周運動に関する問題の解き方を教師が説明して教えています。日周運動や年周運動の問題は、天体の動きを理解してもそれが地球からどのように見えるかを理解することにギャップがあります。空間を相対的に見ることは難しいのです。特に年周運動は、時刻の定義や地球の自転周期と1日の長さ(南中から南中までの時間)の違いを子どもたちが理解する必要があります。このこと自体が難しい上に、そのことを根拠として実際に夜空の星がどのように動くかを想像することも簡単ではありません。子どもにとっては理解しにくい学習内容の一つです。とにかく点数を取らせたいという思いが強いため、根拠をもとに子どもたちが解き方を考えるのではなく、教師が一方的に解き方を教える授業になってしまいました。3年生のこの時期ですから、授業者の気持ちもわかります。子どもたちは頑張って食いついているのですがよくわからないのでしょう、問題の答を写すことで解き方を覚えている子どもの姿が目につきました。授業が終わった瞬間、大きく伸びをしたり体を動かしたりする子どもが目立ったことからも、受け身で苦しい子どもがいたことがわかります。
以前の学校では授業規律を維持させることにエネルギーを使わなければいけない状態だったようです。決して力がない先生ではありません。この学校では、威圧的でなくても授業規律を維持させることができます。子どもたちを活躍させ、子どもたちの言葉で進める授業に挑戦することをお願いしました。

2年生の理科の電力の学習の授業は、実験結果から発熱と電力の関係を考える場面でした。子どもたちは何を知るための実験をしたかがよくわかっていません。指示されたことを実験しただけです。仮説や予想といったことが全くないまま実験しているので、考察を書けと言われても何を書いていいのかわからないのです。いや、そもそも考察とは何かがしっかりと押さえられていないのです。結局、授業者が実験とは関係なく電力や電気による発熱について説明をして、その説明と実験の結果が一致していることを確認することの繰り返しになってしまいました。子どもたちから、電力についての説明の板書を考察のところに書くかどうかを質問する声が上がりました。今何をしているのかよくわかっていなかったのです。
子どもたちの多くが、何を考えればいいのかわからないために参加しなくなっていきます。結局板書を写すだけの活動になっていました。
授業者は、子どもをあまり見ていません。この授業を通じて子どもたちにどうなってほしいかという目標や求める子どもの姿がはっきりしていないのです。子どもを見るという行為は、子どもにどうなってほしいかということと対になっています。授業で目指すものを明確にすることをお願いしました。

前回アドバイスした数学の初任者と一緒に3年生の数学の授業を見ました。前回、玉置崇先生の「スペシャリスト直伝!中学校数学科授業成功の極意」「わかる!楽しい!中学校数学授業のネタ100」を紹介したところ、この学校で既に購入されていました。それからすぐにこの本を読んでくれたようです。この先生が自分の授業を考え直すきっかけになったようです。
今回は、子どもの姿を見ながら、どの子どもが参加できているのか、どのような場面であれば参加するのかといったことを解説し、子どもを受容することや子ども同士をつなぐことの大切さを伝えました。「グループで考えて」と言っても、簡単な問題であればすぐにできた子どもが説明を始め、他の子どもに教えてしまいます。グループ活動に適した課題を与える必要もあります。練習問題程度であれば、グループの隊形のまま個人で解かせればいいのです。「わからなければ聞いてもいいよ」とするだけで、子どもは自力で問題に挑戦し、困れば友だちに聞きます。こういったグループ活動のポイントについても、実際の子どもの姿をもとに伝えました。
第三者の視点で授業中の子どもたちの様子を見ることが新鮮だったようです。子どもたちの様子から多くのことがわかることに気づいてくれたようです。年明け後にまた訪問する予定です。進歩を見せてくれることを期待しています。

前回授業を見ただけで、アドバイスをできなかった2人とも話すことができました。特にGDMを取り入れている先生からは、「何とか全員が落ちずについてきているが、書くことが苦手な子どもをどうしたらよいか」という相談をされました。話すことはできるようになっても試験などで英文を書けないというのです。
子どもの状態をきちんと把握する必要がありそうです。ワークシートに書けないのは、英文が浮かばないのか、文字にすることができないのかを明確にするのです。例えば、正解を板書する前に、答の英文を話す時間をとってみるのです。ペアで確認してもいいでしょう。言えるようになってから、再度書く時間を取ります。それで、書けるのなら、まだこの日の学習事項の理解が足りなかったのです。英文を理解しても書けないのであれば、単語を知らないといった問題があります。中間段階として、必要な単語を黒板に貼っておくといった方法もあります。「できるだけ見ないで書くように」といった指示をしておくことで、子どもたちがどれくらい単語を書けるのかも把握出ます。このようなことを一緒に考えました。
授業にとても真摯に向き合っている先生です。こうして一緒に授業を考えることは、私にとってもよい刺激になります。この日もとてもよい学びをさせていただきました。

校長、教務主任と現状の課題とそれをどう解決していくかについて少し話す時間がありました。小さい学校なので教員の異動で学校の様子が大きく変わることもあります。今年度は、この点に関して対応が少し遅れてしまったようです。来年に向けて、今から少しずつ手を打っていく必要がありそうです。学校としてどんな授業を目指すのかについて、授業研究などを通じてもう一度全体で共有するといったことから始めることが必要でしょう。
校長や教務主任が学校の課題を理解されているので、きっとよい方向に動き出すと思います。

和田裕枝先生から、多くのことを学ぶ

先週末は、今年度第5回の教師力アップセミナーでした。豊田市立小清水小学校長の和田裕枝先生の「45分の授業モデルを作ろう」という講演です。和田先生は私の算数の授業の師匠のような方です。

今回はどのようにして算数の授業を組み立てるかというお話が中心でした。
和田先生は、授業の時間配分と流れを、導入は7分で子どもたちにこの日の自力解決の見通しを持たせ、5分程度で自力解決、集団解決を20分〜23分程度で行い、最後に10分間の振り返りの時間を持つといった構成で考えられています。
導入では、本時の課題解決に必要な基礎・基本を確認し、そことつなげることで、自力解決の見通しを持たせます。和田先生のすごいところは、5分程度の自力解決の場面で個別指導を行ってしまうところです。課題に対する子どもの実態把握をしながら、つまずきを見つけ、短い言葉で支援の言葉をかけます。これを全員に行うのです。私はあまり個人指導にエネルギーをかけないように先生方にアドバイスをしています。それは、多くの場合1人の子どもに時間をかけすぎて、全体を見ることができなくなるからです。和田先生は、必ず全員に声をかけます。そのためには、子どものつまずきを予想し、それに対して短い言葉でどのような声かけをするのかを考えておくことが必要になります。こういった教材研究と子どもたちの実態を素早く把握してどの言葉をかけるかを即時に判断する力があってはじめて授業時間中に個人指導が可能になるのです。
集団解決では、「学び合い」を強く意識されています。最近よく行われているグループやペア活動を活かした学び合いではありません。形や仕掛けに頼らず、子どもの言葉を拾い、つなげ、深めていくことで確かな学び合いを実現されています。ここで大切になるのは教師の方針です。どの考えを活かして授業を進めるのか?どの考えとどの考えを比較するのか?どの考えを次回に回すのか?また、受容だけして扱わないのか?こういった方向性を予め持っていないと、即時に子どもの発言を評価して、切り返したりつなげたりすることはできないのです。すぐに和田先生のような即時判断ができるようにはなりませんが、このことを意識して毎日の授業に臨むことが大切だと思います。
振り返りの時間が足りなくなる授業によく出会いますが、この日の学習内容を定着させるためにも、適用問題の演習や課題に対するまとめの時間を確保することが大切になります。数学的な思考を身につけさせるために、本時の課題に対してのまとめを「書く」ことを習慣づけることが大切です。課題からわかったことを整理、補充し、その前提となる条件や一般化などの数学的な思考をすることを求めます。具体的な数値や図を入れて「算数のノートだとわかるように書く」ことを求めるのです。高学力の子どもには、そういった数値などを使わず、より抽象化された、メタなものを書くこと求めていきます。和田先生は、全員に同じ高さを求めません。一人ひとりが成長することを求めます。低位の子どもには低位の子どもに応じたものを求めるのです。学び合いを意識される方に共通の発想のように思います。

子どもたちの実態に応じた対応することが、和田先生が授業の流れをつくる基本的な発想になっています。具体的には、その日の課題に出会った時に子どもたちがどのように考え、反応するかを予想することから始まります。その反応が授業を進めるうえで障害になるようなものであればそういったことを起こさないですむような導入を考える。本時で活かしたい考え、見通しにつながるものであれば、それをより引き出しやすいような活動を導入で行う。こういう考え方です。自力解決に取り組んだ時にどの子どもも鉛筆が動くような導入を心がけておられます。
集団解決の方向性は、子どもに言わせたい言葉は何かを意識することで決めていきます。振り返りで子どもに書かせたいことと言ってもいいでしょう。そのために、何を共有し、どこに時間をかけるかを考えるのです。解き方そのものではなく、どのような考え方をすれば解くことができるかということを子どもに身につけさせるのです。「授業でやっていないからできません」と言わせない授業、見たことにない問題を解ける力をつけることを目指すのです。

こういった話に続いて、5年「整数」の単元の最小公倍数の応用の問題をもとに具体的な授業のつくり方を考えました。教科書の課題をもとに、参加者に子どもの実態を予想してもらったうえで、和田先生の考える授業を模擬授業で教えていただきました。
今回改めて学ばせていただいたのは、子どもの学力差に応じた対応の仕方です。和田先生は全員参加を大切にされますが、それは全員が同じことをすることではありません。例えば、子どもの発言への対応であれば、言葉が足りない、上手く説明できないのが低位の子どもの場合には、質問を返したりはしません。他の子どもに言葉を足させます。中高位の子どもであれば、発言に責任を持たせます。他の子どもを納得させることを求めるのです。補助線の説明であればその説明をもう一度言わせて、それに合わせて他の子ども(低位の子どもを活躍させる)に書かせたりします。自分が考えた線を他の子どもでも書くことができるような説明を求めることで、説明する力をつけるのです。低位の子どもには、説明を理解することを求めます。高位の子どもには考え方の説明や他の子どもを助けることを求めます。それぞれに応じた役割を与えるのです。
また、和田先生の授業では常に子どもに反応を求めます。その反応を拾い、共有し、価値づけをします。「大切なことは子どもに言わせたい」のなら、子どもが反応することが必要だからです。首をかしげるといった些細な反応でも、それを拾い「どういうこと?」「何か困った?」と問いかけることで、子どもの言葉を引き出せます。その言葉をつないでいくことで、目指す考えに近づけていくのです。

今回、課題の与え方についてもよい視点をいただきました。教科書では、長方形のタイルを並べて、「できるだけ小さい」正方形をつくることが課題となっています。「できるだけ小さい」という条件は、「最小」公倍数を考えるためのものですが、この条件を空欄にした課題にまず取り組むことで、いろいろな大きさの正方形を考えさせることができます。1辺の長さが「公倍数」であればいいことに気づかせることができます。正方形をつくることは縦と横の公倍数(縦と横の長さが整数の場合)を1辺とすればいいことが基本であって、そこに「できるだけ小さい」という条件をあたえることで、「最小」公倍数の必然性が生まれてくるのです。2段階の課題とすることで、公倍数は最小公倍数の倍数になっていることも実感させることができます。条件を順番に与えることで思考を広げることができるのです。

お話を聞くたびに新たな視点が加わっていることや説明の言葉がより明解になっていることを感じます。管理職として日々先生方を育てることを通じて、ご自身のこれまでの授業を客観的に見つめて整理されていることがよくわかります。和田先生と出会ってからもう10数年になります。未だお会いするたびに新たな学びがあります。この日も、いつも以上に多くのことを学ばせていただきました。本当にありがとうございました。
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