おやじの会の皆さんに還暦を祝っていただく

昨日は、私が学校評議員をしている中学校のおやじの会の皆さんが、私の還暦を祝ってくれました。個人的には還暦になったことを素直に喜べないのですが、こうして縁のある方が祝ってくださることはとてもうれしいことです。

このおやじの会の皆さんと知り合って11年になります。当時の校長と一緒に懇親会に誘われるようになってからも、ずいぶん時間が経ちました。
学校と地域が協力する関係が大切だと言われます。しかし、その実態は、学校が地域の力を一方的に借りようとするものであったり、地域が学校に対して自分たちの要求を強く主張するものだったりすることが珍しくありません。協議会を作って一緒に学校を運営しているように見えても、形式的でだれが責任を持ってことにあたっているのだろうと疑問を持たざるを得ないような事例を目にすることもよくあります。学校と地域がどうすればよい形でかかわれるのか悩んでいました。そんな中で出会ったのがこのおやじの会です。
子どもたちを育てるために自分たちは何ができるだろうと、地域の住民の視点で真剣に考えています。学校と考えがぶつかる時もあります。そのことを恐れずに自分たちの考えをまっすぐに伝えます。子どもたちのためという点では、学校と一致していることがわかっているからです。学校と地域の協同のイベントに地域フェスティバルがあります。この変遷を10年以上にわたって間近で見ることができました。そこにあったのは、学校と地域が共に歩んでいくということは、単に仲良くやることでも対立することでもなく、互いに子どものために何ができるかを真剣に考え、相手に要求することより自分たちにできることを大切にすることだという姿勢です。その時々のフェスティバルには、形は違っても、その時点で子どもたちを育てるために何をしようとしているのかが伝わってくるものでした。学校と地域のかかわり方の答の一つをこの会の皆さんから教えてもらえたように思います。
また、この会の方々はこの中学校区のことだけではなく、市の児童館の運営など、市民として子どもたちの教育に積極的にかかわっておられます。地域が子どもたちを育てることにかかわるとはどういうことかを身を以て示していただいています。

このような方々と出会えた幸運に改めて感謝しています。そして、こんな皆さんに自身のことを祝っていただける幸せを心からかみしめた時間でした。本当にありがとうございました。

吉永幸司先生から学ぶ

今年度最後の教師力アップセミナーは元京都女子大学附属小学校長の吉永幸司先生の「国語力は人間力−言葉で考える子どもを育てる国語指導」というタイトルの講演でした。

国語の教科指導の話というよりは、国語指導を通じて子どもたちの人間関係をつくったお話しでした。吉永先生が校長に就任するまでは、「のびのび」をキーワードとしていたそうです。そのマイナス面として、まわりとの関係を考えずに好き勝手な態度をとるため、子どもたちの人間関係が悪かったようです。また、私立の小学校ということで、子どもたちは放課後住んでいる地域で他の子どもとの関係がありません。エネルギーの発散場所が学校に限定されていることが、子ども同士のトラブルを誘発しているようでした。吉永先生は、子どもたちが伝えるべきことをきちんと伝えることができていないことが、いろいろなトラブルの根底にあるとが感じられたようです。保護者とのトラブル一つとっても、子どもが保護者に状況を正しく伝えていないために行き違いが起こっているのです。そこで、子どもに「必要な時に必要なことを伝える力」をつけることに力を注がれました。
その第一歩は、日常の言葉をきちんとすることでした。まずは、教師が子どもをきちんと「さんづけ」で呼び、名前を呼ばれたら子どもが「はい」と返事をすることからです。「ていねい」をキーワードにすることで、まず先生の言葉づかいが変わりました。主語が「○○さん」に変わるとそれに伴って述語もていねいに変わっていきます。こうして、子どもにていねいな言葉で話をさせ、続いて正しく伝えることを徹底させました。保健室でも、きちんと伝えなければ利用させません。保健室をよく利用する子どもが、他の子どもに伝え方を教えるようになったそうです。子ども同士のけんかの聞き取りも、ていねいな言葉を使うように指導します。「○○が・・・」と言えば、「○○さんが・・・」と言い直させます。単文しか話さなければ、一つひとつ聞き返し、最後にそれをつなげて言い直させます。こうして、伝える力をつけていきました。
ノート指導も大切にされました。先生は子どものノートと同じように板書し、子どもがそれを同じように書くことを徹底しました。教師と同じということは、教師の指示を聞くことにつながります。ちゃんと聞けば上手くできる。そういう経験を積ませることで、達成感を持たせ、自己有用感につなげていったのです。
こうして子どもの伝える力をあげ、自己有用感を持たせることができるようになって、当然のことながらトラブルは減り、学校が変わっていったそうです。

吉永先生が最初にされたことは、コミュニケーションに関する基本的なことと、指示を聞かせるために具体的な活動と評価を意識することでした。こういった根っこの部分をまず徹底できでれば、その上に多くのものを見上げることができます。この後の京都女子大学附属小学校でのいろいろな取り組みは、まさにそのようなものであったと思います。
吉永先生の語り口は、「ていねい」をキーワードに学校の改革を進めたことがなるほど思えるものでした。この柔らかさで職員にも接したからこそ、学校を変えることができたのだと思います。吉永先生の姿から、学校を変えていくために大切なことをまた一つ教わったように思います。吉永先生ありがとうございました。

卒業式の「涙」に子どもたちの成長を見る

先週は、学校評議員をしている中学校の卒業式でした。

3年前の入学式で校長が、「涙をたくさん流せるような生活をしてください」という言葉を贈っていました。「うれし涙」「感動の涙」「悔し涙」をたくさん流せるように、一生懸命中学生活を送って欲しいとの願いです。
この日の卒業生の姿から、この言葉の通りの生活を彼らが送ってきたことがわかります。卒業生の「旅立ちの言葉」の中にも涙が何度も登場しました。3年間を振り返りながら感極まって涙を流す子どもがたくさんいます。子どもたちからの感謝の言葉に多くの先生が涙を流していました。
式後の校長の来賓への謝辞に、「教師の仕事は大変なことが多いが、いくつかのとても幸せな時がある。その一つが卒業式です」という一言がありました。その言葉に多くの来賓がうなずいていました。

ここ数年、以前と比べて卒業式の子どもたちの姿から3年間の成長を大きく感じるようになりました。卒業生の姿そのものが以前と比べて大きく変わっているようには思えません。ということは、入学時での姿が幼くなっているということなのでしょう。今年の卒業生についても、こんなことで大変だった、困った子たちだったという言葉が来賓控室で話題になります。それが、以前と比べて変わらないまでに成長するということは、先生をはじめとしてまわりの大人たちが本当によい形でかかわってきたのだと思います。
とかく私たち大人は「最近の子どもは・・・。若者は・・・」という言葉をよく使いがちです。しかし、彼らの姿は私たちがつくりあげているものでもあります。今の子どもたちの精神年齢は以前と比べて7掛けだという方もいます。例えそうだとして、私たちのかかわり方次第で大きく成長するはずです。その役割を学校にだけ求めるのではなく、この学校のように地域の方も一緒になって子どもたちの成長にかかわることが大切になります。文部科学省がコミュニティスクール(学校運営協議会制度)をより推進する姿勢を打ち出しました。子どもたちを多くの大人が見守り育てることはとても大切なことです。この制度がうまく機能するためには多くの課題があります。それぞれの地域で工夫をして、子どもたちがより成長できるような態勢が取れることを願っています。

ともあれ、子どもたちの3年間の成長を実感できた卒業式でした。毎年このような素晴らしい場に立ち会える機会をいただけていることに感謝です。

介護研修で賠償責任と過失について考える

先月に介護関係者向けに研修を行いました。今回から介護の仕事における法的なリスクのお話しです。

利用者が転倒したといった事故に対して、素早く正しい対応をすることはとても大切なことです。必要な技術や対応について十分身につけておく必要があります。特に訪問介護のヘルパーさんたちは、原則一人での訪問です。自分で的確に判断しなければなりません。プレッシャーのかかる仕事です。この日参加された方は意識の高い方ばかりで、事故の対応についての質問に対して的確なお答をいただけました。
しかし、事故に対して正しく対応できたからといって、法的な責任がないわけではありません。賠償責任を問われるケースもあります。具体的な例をもとに、どのような場合に賠償責任が発生するのか、説明させていただきました。
今回は主に不法行為に関連して、過失について詳しくお話ししました。過失に対しては、特に規定されていなければ刑事は問われませんが、民事上の賠償責任は問われる可能性があります。過失とは、「ある事実を認識・予見することができた(予見可能性)にもかかわらず、注意を怠って認識・予見しなかった心理状態、あるいは結果の回避が可能(結果回避可能性)だったにもかかわらず、回避するための行為を怠ったこと」をいいます。ここで、注意しなければならないのは、介護の専門職ではあれば予見可能性を厳しく問われることです。例え利用者が「大丈夫、介助はいらない」と言ったとしても、危険性を予見して説得して介助するか、しっかりと見守ることが必要になります。予見するために、利用者の既往症やその日の健康状態などの情報をきちんと把握しておくことも必要です。こういったことが厳しく問われるのです。
参加された皆さんは、漠然とは知っているのですが改めて問われるとあやふやな点もあったようです。この機会にしっかり学ぼうとする意欲を強く感じました。

賠償責任や過失についていえば、学校でも無縁のことではありません。事故を予見できたかどうか、結果を回避することができなかったのかが厳しく問われる事例を目にします。教師にとって、基本的な法知識も重要なものであることを改めて意識させられました。

子どもと教師の関係がよい学級で授業研究

昨日の日記の続きです。

授業研究は2年目の先生の2年生の国語の授業です。
授業者はちょっと緊張気味でしたが、子どもたちはとてもよい表情です。授業者が子どもたちのことをとてもよく見ているのが印象的でした。子どもと目が合うと優しくうなずきます。子どもたちの表情がよい理由がわかる気がします。子どもたちの挙手が少ない時には、いったん手を下げさせて考える時間を与えていました。子どもたちの全員参加を目指していることがよくわかります。
この学級では、4月から1年間「1分間スピーチ」を続けていますが、まだまだ体験だけを箇条書きにした話に留まっているそうです。今回はグループで友だちの文章を読み合って、もっと詳しく知りたいことを質問し、それに答えながらメモをして、文章につけ足していくという活動です。
授業者が自分の飼っている猫の話を例にして、全体の場で子どもたちに質問をさせて答えていきます。活動を具体的にやって見せることで何をすればいいのかよくわかりますし、意欲もわきます。子どもたちが素早くグループの隊形になったことでもそのことがよくわかります。タイマーを実物投影機で拡大して見せました。ちょっとした工夫ですが、時間が後どれだけ残っているかよくわかるよい方法です。子どもたちはとても集中して質問を聞いていました。ここで、質問される側には、質問に答えて自分の文章をよくするというモチベーションがありますが、質問する側はそういったものがないことが気になります。質問が止まっているグループがいくつかありました。質問をたくさんする、いくつ以上するといった目標を与えるとよかったように思います。
続いて質問をもとに文章を修正するのですが、授業者が修正例を見せるのではなく、授業者の答えをもとに、子どもに修正させてみるとやり方がよくわかったのではないかと思いました。また、全体でどんな質問があったかを少し共有する時間を取って、質問が少なかった子どものためにつけ足すネタを考えるヒントを与えてもよかったと思います。
下書きを友だちと見せ合い、必要に応じて修正して清書します。清書についての説明の時に子どもたちの集中力が他の場面と比べて低かったことが気になりました。これは想像ですが、うまくつけ足したり修正ができていなかったりしたため、書こうという意欲があまり湧かなかったためではないかと思います。
一連の活動で、子どもたちが書くことに抵抗がないことが印象的でした。実によく手が動きます。1年間よく鍛えられていることがわかります。子どもたちは、とても頑張ってくれましたが、活動の最終的な評価がはっきりとしませんでした。詳しい文にすることがゴールなのですが、具体的な目標が明確でないため、自己評価できないのです。あまりよい目標ではないかもしれませんが、長くする、文を増やすといった指標が必要だったように思います。
1時間を通じて子どもたちがとても安心して授業に参加していることがよくわかりました。学習規律が明確で次にどのような活動があるかがよくわかっていることが伝わります。この日見た中で、1、2を争うほど子どもとの人間関係がよい学級でした。

授業検討会は小グループで行われました。私も授業者や初任者のいるグループで一緒に話をしました。初任者が、先輩の授業から多くのことを学ぼうとしていることがよくわかりました。よく観察していて、子どもたちとのやり取りから授業規律がしっかりとできている理由をつかんでいました。
若手の授業でしたが、先生方にとってとても学びの多い授業だったと思います。この学級の子どもたちの姿から、1年間で目標とすべきものがはっきりとした方もたくさんいたのではないでしょうか。

検討会終了後、数人と懇談をしました。学習規律がしっかりとできていた1年生の担任からの相談が具体的で印象に残りました。毎日の授業の中で常に課題を意識していることがよくわかります。中でも、計算だけが異常に苦手な子どもの対応について苦労しているようでした。何とかしてあげたくて、放課後残して補充をしているようですが、ちっともできるようにならないのでその子はつらい思いをしているようです。先生も効果がないのに無理やりやらせ続けていいものか悩んでいました。他の能力に問題がないことから、LDではないかと思われます。実際にその子どもの様子を直接見ているわけではないので、何とも言えませんが、ディスカリキュラス(計算障害)の可能性がありそうです。今は昔と違ってLD関連の情報も増えているので、少し勉強してみることを勧めました。素直で前向きな先生なので、きっと一歩前に進めると思います。

若手を中心として、よい変化が現れています。しかし、これを学校全体とするにはまだしばらく時間がかかりそうです。若手の成長を学校全体で共有できるような動きが来年度は必要になると思います。この日はたくさんの先生方の授業を見せていただきとても勉強になりました。ありがとうございました。

いろいろな課題が見えてきた授業アドバイス

昨日の日記の続きです。

5年生の理科の授業は、電磁石を永久磁石と比較する場面でした。
授業者は子どもを受容しながら進めようとはしていますが、子どもたちは今一つ集中しません。まだ板書を写している子どもがいるのに説明を始めてしまいます。一つひとつの活動のけじめがついていません。時間的な余裕がないのかもしれませんが、気をつけたいところです。
子どもたちに意見を言わせますが、「電池が通っていないから」といった間違いをそのままにしています。受容することと修正しないということは違います。「で、ん、ちが通っていないから」と復唱すれば、子どもが自分で修正すると思います。
何人かの意見が出た後、子どもたちの考えを授業者が解釈して授業者の言葉でまとめていきます。これだと、意見を言いたい子どもだけが無責任に発言し、他の子どもは授業者のまとめを待てばいいことになります。集中度が低いと感じた理由は、このあたりにありそうです。友だちの意見に対してどう思うかを問いかけたり、どんな考えが出てきたかを子どもたちにまとめさせたりすることが必要です。

5年生のもう一つの授業は、算数の円周率を求めて利用する場面でした。
円周を計測した結果をもとに、円周率が一定であることを確認するのですが、きちんと自分で計算していない子どもがいます。計測結果と円周率を計算した値を指名して聞いていきますが、授業者が表に答を書き込むとすぐにそれを写す子どもが目立ちました。自分の結果と同じになったかを確認するのですが、あらかじめ円周率は一定であることを知っているのか、写した子どもも「いいです」と挙手します。まず、隣同士で確認させたりすることで、きちんと参加させたいところです。
表を見て思うことを発表させます。3.15を「さんてんじゅうご」と読んだ子どもがいましたが、授業者はスルーしてしまいました。ここは「さんてんじゅうご?」と聞き返して修正させたいところです。誤差がありますので、円周率は一定にはなりません。しかし、「偶数のときに3.15」と直径の値が偶数のときに3.15になっていることに気づいた子どもがいます。子どもから「すげえ」といった反応が出ます。しかし、何が偶数かといったことが明確でないので、すべての子どもが理解したわけではありません。「それってどういうこと」と発表者に聞いたり、反応した子どもに「何がすげえの?」と聞いたりして直径の値が偶数のときに同じ値3.15になっていることを子どもの発言で共有したいところです。
子どもに気づいたことを言わせますが、円周率はどんな円でも一定であることを押さえる必要があります。このことを小学生に演繹的、論理的に説明することはできません。帰納的、感覚的に納得できれば、あとは知識として与えればいいのです。その上で、円周÷直径(=円周率)が一定であることがわかれば、どんなよいことあるのかを考えさせることが必要です。単純に公式として円周=直径×円周率を教えるのではなく、「みんながつくってくれた表を使えば、直径4cmの円の円周はすぐにわかるね」といったやり取りをして、「じゃあ、表にない大きさの円の円周はどうすれば求められる?」「すべての場合を表にできる?」と問いかけたりして、円周率の持つ意味やその使い方を子どもたちに気づかせたいところでした。
ADHDの子どもでしょうか、授業中にずっと足踏みをしている子どもがいました。まわりの子どもが我慢しているのですが、次第に動きが大きくなって、とうとう一人の子どもが「やめて」と強い口調で抗議しました。しかし、それで止めるわけではありません。その場の雰囲気が悪くなってきました。しばらくして、授業者が「足をパタパタしない」と強く何度も注意をして止めさせました。そのやり取りの間に子どもたちの集中力が落ちてしまいました。
こういった子どもにかかりきりでは授業は成り立ちません。とはいえ、ずっと無視しているわけにもいきません。どこまで、放っておくのか難しいところです。大切にしてほしいのは、影響を受けるまわりの子どもたちのことです。「君たちが我慢しているのを知っているよ」「我慢してくれてありがとう」というメッセージを、先生がまわりの子どもたちに与えることが大切になります。また、足踏みが大きくなってきたことは相手をしてほしいという欲求が高まってきたことの表れかもしれません。うまくいくという保証はありませんが、そばに行って、言葉ではなく手でそっと体を押さえて落ち着くように伝えながら授業を続け、もし落ち着いたら声に出してほめる、といったペアレントトレーニングの手法をとるとよいでしょう。

6年生の家庭科の授業は暖房や照明の工夫についての授業でした。
グループで相談した後の発表場面でした。どんな暖房器具があるかを問いかけていきます。中には「床暖房」のように子どもたちがよく知らないものもあります。知っている子どもに説明させるのですが、こたつと間違えていました。知識ですので難しいところです。このあと長所と短所を整理させるのですが、器具そのものを調べさせる時間がないので、この流れであれば軽く流したいところでした。
長所と短所の発表はいろいろな意見が出てきましたが、視点がばらばらで議論を焦点化しづらい状態でした。こういう場合の進め方はいくつかあります。最初にどんなところに注目するか視点を出し合って共有してから考える。途中でいくつか発表させて、出てきた意見から視点を整理して、再度考えさせる。自由に考えたあとで議論させ、最後に子どもたちが考えた視点を別の場面でも活かせるようにまとめて終わる。どのやり方がよいという訳ではありませんが、ある程度経験を積んでいれば、今までの活動を振り返らせて最初に視点を整理することも難しくはないと思います。

6年生のもう一つの授業は、算数の図形の学習のまとめでした。
授業者の視線が子どもたちに向かっていないことが気になりました。子どもたちから意見が出ないことに対して「あれだけ話し合ってこれだけ?」と挑発します。挑発は、考えさせたり、活動させたりするためによく使う手法なのですが、使い方を間違えると子どもたちをネガティブに評価していることになってしまいます。ちょっとした違いなのですが、「きっとまだあるはずだよね。聞かせてほしいな」というような言葉を付け加えるとずいぶん印象が変わると思います。
子どもに意見を発表させるのですが、自分の求める答を導き出そうとしているように感じます。合同な2つの図形を頂点の記号を対応させずに表現した子どもがいましたが、すぐにその子どもに問い返します。そうではなく、他の子どもに聞けば必ず違う答がでてくるはずです。その違いを焦点化することで、合同な図形を表現する時のルールを子どもたちで思い出すことができます。先生が切り返して考えを修正させようとしすぎると、子どもは先生の求める答探しをするようになる危険性があります。このことを意識してほしいと思います。

特別支援学級を2つ見ました。
共通していたのは子どもをほめる言葉が少なかったことです。子どもたちの表情がかたいことが気になりました。正解にいたってなくても、途中までできていれば、そこまでを部分肯定する姿勢が大切です。特別支援教育では、子どもたちが将来社会に出て自立することを考えてコミュニケーション能力をつけることが重要になります。そのためにも、教師が子どもたちと常にポジティブなかかわりを持つことを意識してほしいと思います。

授業研究については、明日の日記で。

小学校での授業アドバイス

ずいぶん遅くなりましたが、先月訪問した小学校での授業アドバイスと授業研究の話です。

学校全体として見ると若手の成長を感じることができました。子どもたちとの関係ができていて、授業規律もよい状態です。この日見た中で子どもたちの状態がとてもよいと感じたのは、2年目の若手2人の授業でした。一方ベテランの中には、叱って授業規律を保とうとしている方もいました。子どもたちが面従腹背しているのが感じられます。子どもたちとの接し方を工夫してほしいと思いました。

若手の1年生の国語の授業は、授業者に余裕が出てきたのを感じました。子どもたちをよく見ています。指示に対して素早く動ける子どもが増えていました。動きの遅い子どもも作業の指示があればすぐに取り組みます。
音読の場面では、子どもたちは一生懸命に取り組んでいましたが、音読のルールを明確にするとよいと思いました。表題や作者名を読む時の声の大きさ、間の空け方、地の文と会話文の区別などを指導するとよいでしょう。

1年生のベテランの先生はよい表情で授業を進めていました。
「何でもいいから思ったことを書いて」という指示のあと、子どもたちはまわりを覗いていました。何を書いていいのかよくわからなかったのでしょう。具体的な指示をしないと子どもたちは「何でもいい」では動くことができません。「どんなことを思った?」と何人かを指名して、具体例を出させるといったことをしてから、書かせるとよいでしょう。
子どもたちに集中させる場面で、ちょっと高圧的に「まだ、声がするんだけど」「鉛筆を置いてください」と声をかけていました。「おしゃべりしないで」「黙って書いて」といった言葉で子どもたちにプレッシャーをかける場面もありました。せっかくよい表情で子どもたちに接しているので、もう少し柔らかい、ポジティブな言葉で声かけをしてほしいところです。
「○○さん、すぐに書き始めている」と固有名詞で行動をほめている場面もありました。これはよいことなのですが、この場面では、「○○を書いているね」と中身をほめることで、まわりの子どもたちにどんなことを書けばよいかを知らせるともっとよかったでしょう。

初任者の2年生の算数は、子どもたちが落ち着いて授業に参加していました。指名して正解であっても必ずあと2人は指名します。子どもたちはそのことを知っているので、落ち着いて友だちの答を聞いています。ただ、毎回挙手させるので、テンポが悪くなってしまいます。最初に指名した後は、挙手に頼らなくてもよいでしょう。意図的に、挙手していなかった子どもを指名することも大切です。
3200は100がいくつかを問います。3人の子どもの答は「32個」「32枚」「32」でした。とてもよい場面ですが、授業者はその違いにこだわりません。それぞれ、100の「束」「お金(?)」「数」としていくつあるかを答えています。その違いを明確にしておきたかったところです。「個」を強調して、「32個!何が?」いうように問い返したいところでした。いきなり100が32ではなく、「3は1000が3ある」「1000は100が10あるから、10が3つで100が30」といった確認も必要だったかもしれません。
言葉の使い方が雑なことが気になりました。「○○が○○、○○が○○であわせて○○」の○○に数を入れるのですが、次の別のことを問う問題では「○○は○○こ、○○は○○こ、あわせて○○」です。子どもたちにはこの違いはよく判りません。もちろん問題そのものの説明も解答も口頭では終わっていて、最後に書き込ませるのですが、前の問題と同じように解答する子どもがかなりいました。子どもの視点で明確に違いがわかるように意識することが大切です。

2年生の他の学級は国語の漢字の練習の場面でした。練習問題が終わった子どもが手持ち無沙汰で遊んでいます。それに気づいて授業者が書き順の練習をするように指示をしました。ところが子どもたちは、やろうとはしません。やっても2、3回で止めてしまいます。追加の活動は子どもたちにとって評価されない活動という意識があるようです。活動が終わった時に、書き順の練習を何回したかを聞くといったことが必要になりそうです。これに限らず、子どもの発言や活動に対する評価が少ないように感じました。子ども同士が認め合う場面もありませんでした。子どもから友だちに対してネガティブな言葉が発せられていたのも気になりました。また、授業者が板書中に子どもたちの集中力が明らかに落ちていました。教師が子どもたちを見る、認める、子ども同士が認めあうことを意識することが必要です。

3年生の調べ学習の発表の場面です。
発表者の声が小さいことに対して「大きくないと聞こえない」と注意をします。こういう指摘の仕方では、子どもはプレッシャーを感じます。また、このように教師目線で注意をすると、聞き手ではなく教師を意識して話すようになります。こういった場面では、「後ろの人、聞こえる?」と確認した上で、「聞こえないようだから、大きい声をだそう」とすることで、聞き手を意識するようになり、また気持ちも前向きになりやすくなります。
発表が終わったあと形式的に拍手しますが、発表者の表情はうれしそうではありません。発表することに対して前向きにするためには、ポジティブな評価が必要です。発表を評価する観点を明確にして、できるだけ即時に評価することが大切です。ここで、「声『は』大きかった」という授業者の評価ありました。確かに即時の評価ですが、この言い方では他は悪かったと言わんばかりです。足りないことを指摘されていることになってしまいます。子ども同士でよかったことを評価させたいところです。出てこなければ、「声の大きさどうだった?先生は、大きくてよかったと思ったんだけど、どう?」と子どもに振ってもよいでしょう。
発表の場面では、発表の目的、目標と評価の基準を意識して、子どもたちを前向きにさせたいものです。

3年生の初任者の授業は算数の授業でした。
以前にアドバイスしたことを意識してくれていることがわかる授業でした。板書をして説明する場面で、子どもたちは写さずに聞いています。指示がなければ写さないことが授業規律となっています。板書を写すタイミングをコントロールできていました。他の場面でも、こういった授業規律が意識されているのを感じました。子ども同士で、相手のよいところを言わせるということもできています。着実に進歩していることを感じました。
「しかたを説明する」場面がありました。手順そのものではなく、その手順でよい理由を問う必要があります。手順と理由の関係を意識して問いかけ、きちんと理由を説明できるようになることを目指してほしいと思いました。

4年生は理科の金属の熱の伝わり方の実験でした。
子どもがきちんと集中できていないのに、説明が進んでいきます。子どもたちは、集中していなくても注意されないことを知っているようです。子どもたちは授業者がこういった場面で集中を求めていないと思っているようでした。
実験の説明をしてすぐに子どもたちを動かします。しかし、何のための実験か、その目的が明確になっていません。子どもたちにとってこの実験をする必然性がないのです。極端に言えば実験の結果は参加しなくてもわかるから、意欲的に取り組まないのです。「ろうを指示された順番に溶けるようにするためにはアルコールランプをどこにおけばいいだろうか?」といった課題の工夫が必要でしょう。
実験の方法や注意事項についてもきちんと確認をしませんでした。板書にも残っていません。火を使う実験なので、くどいくらいの確認でもよいと思います。また、子どもたちの実験中に板書をしていたのも気になります。実験中はできるだけ子どもたちから目を離さないようにする必要があります。板書するにしても、子どもたちに対する注意を怠らないようにしてほしいと思いました。

この続きは、明日の日記で。

愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その3)

愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その2)」の続きです。

フォーラムの最後は、模擬授業の授業者と玉置先生と私の4人がパネラーになって、石川先生の司会で午後の授業検討の振り返りと授業改善についてのまとめを行いました。

「3+1授業検討法」については、玉置先生から道徳の授業にもかかわらず道徳に関することが発表されなかったことが指摘されました。「3+1」の3(よいところ、参考になる所)の中に必ず1つ入れるようにというルールを設けたらよいのではないかという提案もされました。会場からは、これに関連して教科に関することは1(疑問点、改善点)の中に出てくるのではないかという意見が出てきました。授業検討としては疑問点や改善点こそ増やすべきではないかと考えられたのかもしれません。なるほどと思います。私の経験では、グループでの検討はそのメンバーが関心を持っているところが話題になります。今回の授業で言えば、授業者の山田先生の範読や子ども役との受け、返しといった授業技術が見事だったのでどうしてもそこに魅かれた話し合いになったのだと思います。これは、山田先生が日ごろから意図的にこういった授業技術をわかりやすい形で見せて、先生方に学んでもらおうとしていることと無関係ではないでしょう。
また、学校でその時課題となっていることが異なれば、検討会の内容も変わっていきます。例えば、学習規律が課題であった学校では、最初の内は授業規律についての話題が多く出ました。しかし、学校内の授業規律が確立してくると、授業規律はしっかりできていることの確認で終わり、教科内容が話題の中心となるようになりました。ある意味、この検討法は先生方の今を映し出すものでもあります。
検討会におけるルールの追加は、学校の状況に応じて自由に考えればいいものだと思います。学校の研究テーマや授業者がこだわったことにかかわることを必ず1つは入れるといったようにすればいいのです。グループも異質なメンバーで構成した方よいでしょう。年齢、学年、教科を変えることで、いろいろな視点での気づきが語られることになります。異なった視点に触れることが学びを深めることになるのです。

ICTを活用した「授業検討ツール」での授業検討については、いきなり玉置先生が「司会が悪い」と強烈な一言を浴びせました。あとで参加者に聞いたところ、これにはびっくりしたそうです。公開研究会ですから、普段の研究会と同じように率直なところを述べたのです。反論を期待してのことなのですが、指摘された石川先生はこのディスカッションの司会者でもあったので、特に反論されませんでした。石川先生としては、このツールを使った授業検討法を理解してもらいたいという思いも強かったので、どうしても解説的になってしまったのでしょう。会場からは、「いいね」「疑問」の両方のボタンがたくさん押されていた場面を再生して検討すべきだったという意見が出てきました。その通りだと思います。おそらく、その場面を再生して議論することで「授業検討ツール」のよさも実感できたはずです。
授業検討において話題となる授業場面を即再生できることのメリットは大きなものがあります。それを手軽に実現させたことは大きな評価をいただけたと思います。また、授業者は、ボタンの押された場面を確認して授業を見なおすことで、より深い振り返りをすることができます。このことを授業者の小西先生はフォーラム終了後に実感されたようです。また、昨年も参加された方から、ボタンの押された回数の表示を数字からグラフすることでとても見やすく使いやすいものになったと評価いただけました。

私以外の登壇者はみな校長です。学校長として先生方の授業改善にどのように取り組んでいるか話題になりました。授業研究を充実させているのは共通していますが、そのほかにも若手を中心として先生方の授業を見てのアドバイスを日常的に行っているそうです。ホームページを使って授業の学ぶべき点を共有したり、授業風景の写真をもとに具体的に個別アドバイスをされたりするようです。授業検討ツールは、簡単にねらった場面を再生できるので、個別の授業アドバイスにも役立つ可能性がありそうです。
こういった授業を見ることに関連して、玉置先生から実際に私がどのようにして授業を見ているかという質問がありました。壇上で、日ごろ私が、どこから何を見ているのかを実演させていただきました。1時間じっくり見る時は別ですが、ほとんどの場合、廊下から見せていただきます。前の扉の窓から教室を覗くと子どもたちの反応や様子がよくわかります。授業は授業者ではなく子どもの姿にその本質が現れると思っています。授業者を特に見なくても、子どもたちの様子から授業で何が起こっているのかがわかります。子どもたちの様子がばらばらであれば、授業者が子どもたちどうなってほしいのかが明確になっていないことの現れです。そういう時は、位置を変えて授業者の様子を見るようにしています。
日々の学校の授業改善につながるまとめの話し合いができたと思います。

あっという間にフォーラムの終了時間となっていました。今回のコンセプト、「研究会を公開する」が参加者の皆さんにどのように受け止められるか不安な面もありました。自画自賛になりますが、私たち研究会員から見ても、学ぶべきことが多いとても楽しいフォーラムになったと思います。帰り際の参加者の方々の満足そうな表情をとてもうれしく思いました。
最後になりましたが、(株)EDUCOM様には、会場の準備から当日の運営まですべてにわたって多大な協力をいただきました。私たち登壇者が自分の役割だけに集中できるのも、陰で支えてくださるEDUCOMの皆さんのおかげです。心より感謝いたします。ありがとうございました。

愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その2)

愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その1)」の続きです。

続いては、新城市立作手小学校の小西祥二校長の算数の模擬授業を、小牧市立岩崎中学校の石川学校長のコーディネートでICTを活用した授業検討ツールを使って検討を行いました。
授業は小学校6年生の最後のまとめでした。
授業の導入は道の両側に柵のある写真を見せて始まりました。これが何の写真かを問いかけます。実はこれは鹿よけの柵だったのです。人よりも鹿や猪の数が多いということを、不等号を使って表わします。ここで、不等号をいつ学習したかを問います。子ども役に、それとなく今日は小学校で6年間学習してきたことを復習するんだなと気づかせる導入でした。
正三角形の3辺の中点を結んだ、正三角形の中に4つの正三角形がある図形を4隅に向きを変えて置いてある図を見せます。ここから「見つけてください」という発問をします。子ども役はわけがわからないのですが、取り敢えず取りかかろうとします。子どもなら、わけがわからなくて、質問するところです。授業者も、質問が出ないので内心困ったのではないでしょうか。子ども役の一人が何を見つけるのかを問いかけます。この問いかけでねらいを明確にする機会をつくり、授業者を助けようという思いがあったのかもしれません。しかし、授業者はそこをあいまいにしたまま進めていきます。おそらく子ども相手の授業ではこのような進め方はしないと思います。子ども役や参加者にストレスをかけ、展開を読ませないためにあえてわかりにくくしたのでしょう。
プリントをもとに、見つけたことを書かせ、隣と確かめ合わせます。しかし、ねらいがわからないので、互いに評価はできません。会場全体にストレスがたまっていきます。続いて全体での発表です。「正三角形が3つ」という言葉から、「ひし形」「台形」「小さな三角形」とつないでいきます。形を見つけるのかと思うと、数にもこだわります。長さに視点が行くこともあります。角度も出てきます。こちらの方向かなと思うと別のところに向かい、はぐらかされます。子ども役の姿勢が悪くなっていきます。方向性が見えずに集中力が切れかかっているのです。授業者は、出てきた言葉を板書します。カテゴリーに分かれているようなのですが、わざとわかりにくく書いているようにも思えます。大きな三角形と三角形の間の何もないところに図形が見えるという発言がありました。「線を引くと新しいものが見える」という言葉が授業者からでてきます。子どもからいろいろな意見が出てきましたが、発散し続けます。最後に授業者がいろいろな見方をすることで「見えないものを見ることができる」とまとめて終わりました。この言葉で、なんとなくゴールはこれだったのかと、会場全体の緊張が弛んだように感じました。

授業検討会は授業検討ツールを活用して行われます。授業中に検討者が押した端末の「いいね」「疑問」の2つのボタンがどの時点で押されたかがグラフとなって示されます。今までこのツールを使って検討会を行ったどの授業とも違って、ボタンを押されたピークが細かく現れます。コーディネーターの石川先生は、かなり戸惑ったようです。石川先生としては、通常みられる、前半はボタンがたくさん押されるが後半はあまり押されないという現象を意識して、その点に触れながらの検討を考えていたようです。一方授業者の小西先生は、授業の流れが見えてしまうとボタンが押されなくなることを嫌って、ボタンがたくさん押され続けるように、先の見えにくいストレスのかかる展開を考えられました。授業検討ツールの活用を互いに意識し合った結果、ずれが生じてしまいました。小西先生の予定通りにボタンは押され続けましたが、授業としては疑問の残るものになってしまいました。
石川先生は、たくさんのピークの中でも一番大きなピークに目をつけました。授業の最後の場面、授業者がこの日のまとめを行ったところです。ビデオを再生して、授業検討者の意見を聞きます。どなたも授業のねらいがわからなくて困惑したことが語られます。この後、ビデオを見ずに、授業全体についての意見やどういう時にボタンを押したのかを問いかけますが、よく覚えていなかったりで、中々議論が明確になりませんでした。コーディネーターとしては、あまりにピークが多すぎて、どこと絞ることができなかったかもしれません。グラフの意味することを考えたり、授業検討ツールやその使い方の解説になったりが続きました。
ボタンが押されたのは、子どもと授業者のやりとりがあったところのように思います。そこで必ずボタンが押されるのは、そのやり取りから授業者のねらいが見えたように思ったからではないでしょうか。授業者が視点を変化させたところでは、「いいね」「疑問」が混在しています。授業検討ツールでは、ビデオを再生すると、自分がボタンを押した場面でそのボタンが光りますので、その時の気持ちを思い出すことができます。この場面を再生して検討をすれば、授業者の意図や課題が明確になり、そこから授業の改善の方向が見えてきたと思います。

フォーラム後、授業者はこの授業を振り返って新しい指導案をつくりました。今度は正三角柱の側面を下にして4つ積み上げ、大きな正三角柱をつくります。底面はフォーラムで使った正三角形の中に正三角形が4つある形になります。最初の課題は、小学校で学習したことをたくさん使って説明をしよう(※1時間で「10個以上」使おう)です。「正三角形」「長方形」「側面」「底面」「高さ」「台形」「ひし形」といった学習用語をたくさん引き出し、例えば、「三角形の底辺がひし形の対角線になっている」といった説明をさせようというのです。この課題を行った後に、フォーラムで使った図形を使い、この図からどのような説明ができるかを問いかけるという展開です。1ステップ入れることで何をすればよいのか明確になり、活動のねらいがはっきりしてきます。授業検討することによって、授業が進化することがよくわかるものでした。

まとめのディスカッションは、「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その3)」で。

愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その1)

愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その2)」の続きです。

午後の部は「楽しく、手軽に授業研究しよう」で会員の模擬授業をもとに授業研究を行います。子ども役は、会員と会場から抽選で選ばれた先生方です。最初は、一宮市立大和中学校の山田貞二校長の道徳の模擬授業と「3+1授業検討法」による公開授業検討です。コーディネーターは私が務めました。
「いつわりのバイオリン」という資料を利用した「人の支えによって生きる喜び」を考える授業です。いつわりのバイオリンというタイトルを示し、「いつわり」という言葉から連想するものを問います。子ども役から出てくる「うそ」「だます」といった言葉を柔らかく受け止め、何人にもたずねます。「うそをついたことがあるか?」と確認したあとで、その時の気持ちを問います。「しまった」といった子ども役の言葉を上手く引き出し、罪悪感につなげていきます。「そんな時に自分を元気づける」と続けてから、この日の授業のめあて「生きる喜びについて考える」を示しました。罪悪感に対して「元気づける」と前向きな言葉でつないでいることが素晴らしいと思いました。道徳はともすると振り返って反省をさせるばかりになりがちなのですが、そうではなく、その後どうするかが大切です。さりげない一言でしたが、残る言葉でした。短い時間で子ども役にしっかりと活動させ、ゴールのイメージと期待感を持たせる導入でした。
資料は与えずに、山田先生が範読します。実に見事な読みです。地の文は抑え気味に、感情や会話は少しテンション上げます。基本はゆったりですが、場面によってテンポを速くして飽きさせません。しかし、山田先生は読むことに集中しているわけではありません。常に子ども役に視線を送っています。子ども役は受け身で聞いているだけですので、集中力が落ちやすくなります。そこで、しっかり見るだけでなく、ICTも効果的に活用します。ディスプレイに挿絵を映しているのですが、実にタイミングよく切り替え、適度な刺激を与えます。
バイオリンづくりの名人が有名なバイオリニストに依頼を受けたが期限に間に合わせることができずに、優秀な弟子の作品を自分のものと偽ってしまいます。ここで弟子の作品に手を伸ばした時の主人公の気持ちを子ども役に問いかけます。1分間目をつぶらせることで、集中させます。上手に活動を入れます。子ども役に発言をさせますが、ここは、あまり時間をかけずに次に進みます。
作品を偽られた弟子は、バイオリンの音を聞いてそれが自分のものだと気づきますが何も言いません。自分のしたことに悶々とした日々を送る師を見て、自分の存在が師を苦しめていると気づき工房を去ります。やがてほかの弟子たちもいなくなって、主人公の工房は活気を失くしてしまいました。ここで、主人公はどのようなことを考えているかが次の発問です。子ども役の発言を受容し、「裏切ってしまった」といった足りない言葉には、「だれを?」と問い返します。「後悔の念」「さびしさ」「告白しよう」といったことが、子ども役それぞれの言葉で語られます。ここでは、主人公が嘘をついたためにつらい状況になっていることをできるだけ自分に引き寄せてもらいたい場面です。山田先生は、あえて板書や整理をせずに次々指名していきます。しっかりと聞いているので、集中力を乱したくないからです。発表が終わってから整理をして板書しました。
主人公のもとに、成功した弟子から1通の手紙が届きます。師が自分の作品を偽ったことには触れず、師のバイオリンが今でも自分の目標であることを伝えるものです。その手紙を読んで涙を流した主人公の気持ちを考えるのが最後の発問でした。
自分の考えを持たせる時間をじっくりと取ったあと、4人グループで聞き合います。大人ということもありますが、素早くグループ活動に入り、落ち着いたテンションで聞き合います。この展開であれば課題にしっかりと入り込めるので、おそらく子どもたちでも同じような姿になったと思います。グループ活動を終えても、後ろ向いて話している子ども役がいますが、「体をこちらに向けましょう」と優しく声をかけます。決して否定的な言葉を使いません。子ども役にどのようなことを話したかを聞きます。子ども役の発表に対して、「力いっぱい言ってくれた」「自分の気持ちになっている」と評価します。道徳ですので、考えた内容の是非を評価するのは危険ですが、こういった態度面や視点を評価することは有効です。子ども役から「本当のことを言ってもう一度やり直す」「自分のバイオリンを評価してくれてうれしい」といった言葉が出てきます。中には「・・・澄み切った音は心が澄み切った人が・・・」といった、ちょっと子どもからはでてきそうもない言葉もあります。一つひとつの発言がある程度完結していることもあり、つなぐ場面はあまりありませんでした。途中から子どもの発言に対して、「謝って、前に進みたい」という言葉でまとめることが続きました。ちょっと強引に感じます。ここは、最後に子どもたちに言わせたいところです。時間があまりなかったこともあって、少し焦ったのだと思います。
「謝罪」「感謝」「希望」という3つにまとめられましたが、今回のねらい「人の支えによって生きる喜び」の「人の支え」がまだ弱いように感じました。本来の授業であれば、この後弟子へ手紙を書くのですが、時間がないため省略されました。おそらく、そこで弟子への思いの形で「人の支え」が浮かび上がったのだと思います。
最後に、1編の詩を朗読して終わりました。人の支えや感謝の気持ちが伝わるよい詩です。この詩が、欠けたピースを埋めてくれました。
普段から校長自ら道徳授業を行っているということです。子どもたちを自らの授業で育てたいという思いがこの授業からも感じられました。一方で、これは校長の授業だとも思いました。先生方に、授業技術を伝えることが意識されているのです。「子どもたちを見る」「子どもたちを受容する」「発言を深める」といったことの大切さや、そのための技術が明示的に示されているように思ったのです。

今回は、授業検討を会場の皆さんにもまわりの方と行ってもらいました。授業が素晴らしかったこともあり、どなたも本当に熱心に検討されていました。
壇上での検討は、研究会の会員で行いました。あらかじめ配られた2色の付箋紙に気づいたことを「よかったこと、参考になったこと」と「疑問点、改善点」に分けて書き、模造紙に貼りながら検討して、よい点を3つ、改善を1つ(3+1)に絞ってまとめます。今回の検討会は、模造紙を前に貼ってもらい、それをもとに私が質問する形で進めました。よい点はたくさんありますが、「資料の範読」「子どもたちの受容」「言葉の切り返し」といった授業技術に偏りました。改善点はほとんどないという意見でしたが、子どもの言葉を「謝って、前に進みたい」と教師がまとめようとしていたことが挙げられました。模造紙に書かれていることについて、そのグループでどんなことが話されたかを個別に聞きました。発表のための整理された言葉ではないので、話し合いの内容や考えがより具体的に伝わってきます。他のグループでも同様のことが話されていれば、それを聞くことで学びが深まっていきます。代表が全体で発表する以外にも、このような進め方もあることを知ってもらおうとこの方法をとりました。参考になれば幸いです。
この検討会では、道徳の授業にもかかわらず道徳の話題は上がってきませんでした。このことが、最後のまとめのパネルディスカッションで話題になりました。次回以降で触れたいと思います。

続きは、「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その2)」で。

愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その2)

愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その1)」の続きです。

4人目は、知多市立八幡小学校の山田純一郎校長の「授業を基盤とした学校づくり」でした。山田先生の考える愛される学校とは、「子どもが通いたい」「保護者が通わせたい」「教職員が勤めたい」と思う学校です。授業を基盤として愛される学校をつくろうと、リーダーシップを発揮されます。今年度異動して来られた山田先生は、まず学校の実態把握に取り組まれました。4月の最初の2週間、毎日学級を巡回したり、先生方と話したりしたのです。異動直後は様子見の校長が多い中、素早く行動を起こすというのはなかなかできることではありません。山田先生は、こうして学校の実態把握を行った結果、授業の課題を2つに絞り込んだのです。1つは、学習規律が先生によって違い、学校として統一されていないこと。もう1つは文章の読み取りの弱さでした。
学習規律については、全体の問題点を把握できているのはこの時点で校長しかいません。そこで、全体で話し合うということをせずに、自らルールを決めました。発達障害の子どもが多いこともあり、ユニバーサルデザインの考えを取り入れて次の5点に絞ります。
・机の中、机のまわり、ロッカーの整理整頓をする。
・授業中の机上の整理をする。
・授業を進めるにあたり、「単元」「めあて」を記入する。
・全面黒板に授業以外のことを書かない。
・背面黒板を活用する。
この内容がよかったかどうかは問題ではありません。校長が素早く判断して、この学習規律を示したことが素晴らしいのです。4月のスタート時点で共通のルールをつくらなければ間に合いません。先生方に諮って検討していては大切な時期を逃してしまいます。独善と見えても校長がリーダーシップを取ることが必要になることがあるのです。
一方、文章の読み取りの弱さの克服は、赴任以前に決まっていた現職教育のテーマ「読みを深め、自分の考えを表現する児童の育成」とも合致していたので、現職教育推進委員会に任せました。この使い分けが見事です。先生方の組織に任せられることは任せてしまうことも大切です。ここでは、校長はアドバイスだけに徹しています。そして、先生方のアシストをするために、外部の研究会や講習会、書籍の紹介を行います。また、必要に応じて外部講師を招くこともしています。先生方の学びを助けるための動きを行っています。講師の話を聞いて、すぐに活かそうとする先生がたくさんいたことに驚いたそうです。先生方は授業が上手くなりたいと思っているのです。
赴任1年目から素早く学校の課題を把握し、すぐにリーダーシップを発揮した行動力に感心すると共に、先生方のやる気を引き出そうとするきめの細やかさにも学ぶことが多い発表でした。

最後は、元校長で津市立倭小学校・拠点校初任者指導員の中林則孝先生の初任者指導の発表でした。
有田先生の「材料3分、腕7分」に対して、初任者に「腕3分、根気7分」と説かれています。小学校の初任者が対象です。小学校では、子どもたちに1度指示をしたからといってすぐに徹底できることはあり得ません。「繰り返しの言葉かけ」とその「確認」が大切になります。根気よく繰り返させることが大切だということです。このことについては、全く同感です。中林先生は、「教材研究が不十分では授業ができない」という論調に対して、痛烈な一撃を与えます。教材研究の仕方も教えずにやれと言うのはナンセンスだというのです。教材研究の大切さもやり方もわからない初任者を追い詰めても潰すだけです。バランスを意識し、まずは日常授業の質を高めることから始めるべきです。聞いていて私も大きくうなずきました。
中林先生がこだわる「全員参加の授業」「発問より受け」「子どもを常に見る」「無理のないICT活用」、どれも本当に大切なことです。中林先生の素晴らしいところは、これらを単に言葉で説明するのではなく、視覚に訴えて伝えることです。授業中にデジカメで撮った写真を見せて、どこに問題があるのかを伝えるのです。例として見せられた写真は、どれも一目で問題に気づけるものでした。教師の視線が向いている子どもたちはしっかり聞いているが、死角にいる子どもはだれている様子。教師がICT機器を使って一生懸命説明しているが、スクリーンを指さしているため、子どもを見ることができていない姿。子どもと教師の姿を見事にとらえている写真ばかりです。私は先生方のアドバイスに写真は使いませんが、利用を検討しなければいけないかと考えさせられるものでした。会場の先生方も、写真を見てうなずいています。午前の部は学校経営に関する発表が多かったので、参加された若い先生方には興味を持てなかったかもしれませんが、この発表はとても参考になったと思います。
さらに中林先生の素晴らしいところは、指導している4人の初任者をつないでいることです。こういった写真を他の初任者にも見せて考えさせます。それぞれの様子を「教室はドラマ」という新聞にして共有します。4人が仲間として一緒に成長しているのです。ともすると若い先生は孤独になりやすいのですが、そこのところも意識されています。時には、4人一緒に食事に出かけたりもしているのです。多くの若い先生が、こんな指導員に出会えていたらと思っていたことでしょう。
進行役の玉置先生は、毎回発表の後にツッコミを入れますが、中林先生には、初任者指導員で集まった時に初任者指導の仕方を話したりするのかとたずねました。残念ながら答は「ノー」です。幸いにも私は中林先生と知合いですので、しっかりとノウハウをいただいているのですが、初任者指導員が共有していないのはもったいない話です。

続いて、発表者にパネラーを加えて協議が始まります。ここからが面白いところです。進行役の玉置先生が、いきなりゲストの小牧市立小牧中学校のPTA会長の斎藤早苗さんに振ります。保護者として選べるならどの校長の学校がいいかという質問です。流石に斎藤さん、全部が一つになった学校と答えます。欲張りな答えです。でも、それが本音です。もう1人のゲストの大阪市教育委員会の山本圭作さんには、行政として校長を1人選ぶならだれかと問います。容赦ありません。新城市立千郷中学校の川本篤史先生には、どの校長のもとで働きたいか、国際大学GLOCOMの豊福晋平先生には学校評価の視点で、(株)EDUCOMの柳瀬貴夫社長には企業の経営者の視点で、津島市立南小学校の浅井厚視校長には同じ校長の視点で誰がよいか、共感するかといったことが問われます。
アンケートの理不尽な回答を公開するかどうか、学校評価の専門家である豊福先生に問いかけます。それぞれのメリット、デメリットを挙げて、素直に難しいと答えます。専門家でも即答できないことを校長は自ら判断しているのです。こういったやり取りを通じてそれぞれの取り組みのよさや独自性を価値づけしていきます。
玉置先生は、ストレートな質問で、曖昧な答は許しません。ズバリと答えてもらうことで議論がシャープになるからです。まな板に載せられる発表者も普通ならたまらないでしょう。しかし、人間関係ができているからこそ、比較されたり、切られたりしても笑顔で対応できるのです。もちろん日ごろの会で鍛えられていることもありますが・・・。いずれにしても、この研究会の素晴らしいところです。
いつも通り笑いの絶えない絶妙な玉置先生の進行で、あっという間に時間が来ました。校長や管理職だけでなく、参加されたどなたも楽しみながらいろいろなことを考えることができたパネルディスカッションでした。知り合いの若い先生方も、面白かった、勉強になったと感想を述べてくださいました。
実は、今回のフォーラムの午前の部に私の出番はありませんでした。こんなこと初めてです。純粋に観客として参加することでたっぷり2時間、本当に楽しむことができました。途中メモも忘れて聞き入っていました。多くのリピーターがいる理由を理解できた気がします。

午後の部については、「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その1)」で。

愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その1)

先週末に「愛される学校づくりフォーラム2015 in大阪」が開催されました。今回は愛される学校づくり研究会の日ごろの研究の様子を見ていただくという、公開研究会というコンセプトでした。
午前の部は、「愛される学校のつくり方」と題して、会員代表の5人による提案とそれを受けてのパネルディスカッションでした。小牧市立小牧中学校の玉置崇校長の絶妙な進行で進んでいきます。

1人目の岩倉市立岩倉中学校の野木森広校長の発表は、「まずは従業員満足度」と子どもたちや保護者ではなく、教職員にスポットを当てて愛される学校づくりに取り組んだというものです。「教職員」と言わずあえて「従業員」としているところに、野木森先生の思いがあります。教師には子どものためにはどれだけでも頑張らなければならないというプレッシャーがあるように思います。これは私の想像ですが、「教師なんだから頑張ってほしい」という校長の甘えを排除し、純粋に自分のもとで学校を支えてくれる大切なスタッフ(=従業員)に「頑張ろう」と思ってもらえるような学校づくりを意識して、あえて従業員としたのではないでしょうか。
先生方の多忙感を解消して、授業を中心とした教育活動に専念してもらう。先生方の努力を発信することで、肯定的な評価を得て広げていく。公募のプロジェクトを立ち上げ参画意識を高める。こういったことに取り組んだそうです。ボトムアップを意識した公募のプロジェクトは、昨年度は「生産性向上」、今年度は「ICT活用」「将来ビジョンの作成」と続いていますが、若手を含む多くの先生方が手を挙げて参加しています。
野木森先生は教師の「多忙」ではなく、あえて「多忙感」としています。それは先生方が自分のやっていることが子どもたちのために役立っていると感じれば、どれだけ忙しくても苦にならない、逆に教育以外のことに時間をつぶされれば実際に以上に多忙を感じるからだと思います。自分の仕事に満足していれば、頑張れと言わなくても頑張るものです。教師の満足度が上がることが、教育の質の向上という形で子どもたちに還元され、愛される学校につながっていくと考えてのことだと思います。
多くの方に新しい視点を与える発表だったと思います。

続いて登場した一宮市立木曽川中学校の平林哲也校長は、校長になって現在3校目ですが、その10年間1日も欠かさず学校ホームページを更新し続けた方です。「発信なければ受信なし」が平林先生のモットーです。学校の目指す方向をシンプルな言葉で示すことが大切だと主張します。木曽川中学校では、「凡事徹底」「参画」「千人力(生徒数が約千人なので)」です。こういったキーワードは、ともするとお題目に止まり具体化されないで終わってしまうことがよくあります。その具体的なイメージを共有するためには「見える化」が必要です。平林先生はそのツールとして学校ホームページを活用されているのです。
更新されない学校ホームページは、繰り返し見てもらえません。見てもらうためには毎日更新することが欠かせません。情報発信がなく、学校の様子が見えなければ保護者や地域の信頼を得ることもできません。学校の日常の地味でベタな情報を発信し続けることが大切になります。そこに、平林先生は1つの工夫をしています。学校ホームページのトップにそれまでに発信した記事が、先ほどの3つのキーワードでまとめられているのです。それぞれについてすぐに閲覧できるので、学校の目指しているところが具体的によくわかるようになっています。学校が何を考え、何を求めているかを保護者や地域の方に理解していただくことで、平林先生の願いである「サポーターからパートナー」が実現するということです。
また、保護者や地域の方が学校に肯定的になれば、当然子どもたちにもそのことが伝わります。学校への肯定は子どもたちに対する肯定につながります。子どもたちの自発的な行動や社会参画への動きは、価値づけをして行動を強化することが大切です。その様子を発信することで子どもたちを取り囲む大人たちがそのことを認めてくれます。こういったことが安心感や自信につながり、子どもたちの意識を高めてくれるのです。
平林先生が学校ホームページの活用を通じて何を目指してきたのかがよくわかる発表でした。

3人目は一宮市立尾西第三中学校の長谷川濃里校長の学校の見える化への取り組みでした。
学校が愛されるためにはまず信頼されることが大切です。そのために、学校に対して「やや批判的な層」や「どちらでもなり層」な保護者に対して、「ああ、そうだったのか」と学校のことを「理解してくれる層」になってもらうのです。長谷川先生が考える従来の保護者は、協力層1割、理解層2割、どちらでもない4割、やや批判層2割、批判層1割という分布です。それを協力層1割、理解層6割、どちらでもない2割、批判層1割にすることを目指すというものです。保護者に、学校の子どもに対する思いは保護者と同じであることを理解してもらい、学校のことをよく知ってもらいたい。そして、職員にありがとうと言ってもらえるようになりたい。それを実現するための見える化です。特に意識をされたことが、保護者に見えないものを見える化するということです。別の言い方をするとネガティブなこともすべて公開するということです。
子どもたちの学校生活の様子などを日常的に学校ホームページやたよりで紹介するのは当然として、行事の度にメールを使ったアンケートを実施し、選択肢の集計だけでなく記述内容もすべて公開しています。ポジティブな意見ばかりではありません。ネガティブなものもあえて公開し、その上で学校の考えを示しています(すべての意見を公開することは事前に了承を取ってあります)。一宮市はコミュニティスクールとなっていますので、学校運営協議会があります。その内容も個人情報にかかわること以外はすべて公開しています。PTAや地域の会合では、学校活動の様子だけでなく、現在の問題点や困っていることも伝えています。学校ホームページでも、学校経営の考え方すなわち学校の願いを見える化することを大切にしています。
学校に対する疑問や問題提起、課題に対して改善への取り組みを見える化することで理解が深まっていきます。その結果、行事アンケートで先生方へのねぎらいの言葉も見られるようになってきたそうです。多様な意見が出て楽しいといったすべての意見を公開することに対する肯定的な言葉も見られるようです。問題点を厳しく指摘する言葉もありますが、それを「説明するチャンスととらえる」という長谷川先生の言葉が印象的でした。
学校に対するネガティブを学校の改善への取り組みも含めて公開することで、信頼を得るというのは、口で言うほど簡単なことではありません。しかし、それを実行することで保護者の目が変わってきたという発表は、先生方に一歩踏み出す勇気を与えるものだったと思います。

この続きは「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その2)」で。

課題のよさを活かす難しさを感じる授業

前回の日記の続きです。

3年生の社会科は、経済分野のまとめ的な授業でした。
子どもたちは授業者の言葉によく反応します。授業への参加意欲を感じます。この日の課題は「日本の国別幸福度ランキングの順位を上げるためにどうするか」です。国連とOECDの国別幸福度の日本のランキングを示し、経済力に対してその低さを意識させます。
「どんな国なら幸せ?」という問いに対して、「信号の長さ(間隔?)が程よい」「就職しやすい」「税が少ない」「人間として生きていける」「助け合いができる国」というように、子どもたちは自由な発想で発言します。どの子どもも安心して発言できる雰囲気が学級にあります。ここで、国連、OECDそれぞれの幸福度を測る視点を提示します。ランキングを上げるのが目的ですから、これが考えるための根拠となります。しかし、日本に関して、各視点のどこの評価が高いのか低いのかについては、あまり詳しく触れませんでした。
グループで相談しますが、子どもたちの動きがあまりよくありません。考える手がかりがはっきりしないようです。ランキングを上げるためには、「何を」「どうやって」という2つのステップがあります。これを一度に扱っているので、少し混乱しているようです。まずどこを改善したらよいかを出し合ってから考えるとずいぶん違ったのではないかと思います。
子どもたちに発表させます。「少子高齢化の解消」という意見に対して、他の子どもとつなごうとします。それに対して、「子どもをたくさん産めない」という原因を言う子どもや「保育園をつくる」という解決策を言う子どもがいます。意見の視点がばらばらです。一部の子どもの意見が続き、どんどん拡散していきます。他の子どもは、何を話していいのかわからずに、参加できない状態です。そもそも、「少子高齢化」を解消すれば国別幸福度のランキングが上がるのでしょうか?そういった議論もありません。子どもの発表を受容するだけでは、考えは深まりません。そこに教師の適切なかかわりが必要なのです。続いて、「観光客を増やす」「就職難を解消する」といった各グループでの話し合いの結果を発表しますが、お互いの考えがつながることはありません。子どもたちは自分たちが考える幸福という視点で考えていたので、共通に議論する根拠がなかったのです。
この授業であれば、日本の幸福度が低いのは、どこに原因があるのかを考える。それに対して今まで学習したことをもとに、どのような政策がとられているかを確認する。それでうまくいくのか、それではまだ足りないのか、足りなければ何をすればよいのかを考える。こういうステップが必要です。子どもたちが育っていれば、これらのステップをまとめてジャンプの課題とできるのですが、そこにはまだ至っていないようです。
また、子どもたちは自分の視点で幸福度をとらえていました。もう少し発想を変えて、「子ども」「若者」「子育て世代」「子育てが終わった世代」「高齢者」にとって「幸福な国とは?」というように、立場を明確にして考えさせる方法もあったかもしれません。
課題は面白かったのですが、その後の展開をもう少し工夫するとよかったように思います。
授業者は初任者のころと比べるとムダな話も減り、子どもたちが考える社会科を目指して課題も工夫しています。この学校の社会科は、教科で指導案を検討します。今回ベテランからこんな課題はどうかと提示されたのですが、自分で考えたいと教材研究してこの国別幸福度に行き着いたそうです。その姿勢は素晴らしいと思います。検討会では、他の先生方もやってみたい課題だと言っていました。しかし、たくさんの視点が出てくるので、1時間で扱うのは難しいという意見もありました。それよりも、単元の導入場面で扱って、経済や福祉などの課題や政策などを学習する動機づけとした方が面白いのではないかということです。互いの授業が見て学びあっています。教科の先生方全員の力が伸びていく環境になってきたと思います。

この日は、全体に対して、私がこの学校の現状をどうとらえているかをお話ししました。
子どもの見せる姿が、学年で違うことが気になります。大規模校ですので、学年ごとに別の学校のようになってしまうことはやむを得ないところがあります。どんな教師が授業をしてもしっかり集中して授業に参加する学年もあれば、逆に教師によってその様子が大きく変わる学年もあります。そういった学年ごとの課題を客観的事実として受け止め、どう対応すればよいのかを学校として考えることが大切です。他の学年ことだからとかかわらなかったり、問題点の指摘ばかりだったりではなく、こうしたらどうだろうと互いにアドバイスしてほしいと思います。一方、他の学年からの指摘は非難されているように感じやすいものです。反論や反発をするのではなく、まず素直に受け止める姿勢が必要です。こういったことは、学級経営にも言えることです。ある学級が上手くいってない時に、あなたの学級はよくない状態だと指摘するだけでなく、どうすればよいのかを一緒に考えることもしてほしいと思います。その学級に授業に行っているのであれば、フォローすることもできるはずです。教科内も同じです。教師同士がしっかり支え合うことが大切です。
子どもたちを受容できる教師が増えています。しかし、授業の中で子ども同士をつなぐ場面がまだ少ないように思います。教師が友だちの言葉をしっかり聞くことを求め、聞いたことを評価することが必要です。子どもが友だちの考えをポジティブに評価する場面をつくることも大切です。人事異動で教師の入れ替わりが多かったため、学校全体としてこういう基本に対する意識が薄れてきているようです。

いろいろな意味で、来年度のスタートが勝負となるように思っています。そのことを意識して、残り1か月を大切にしてほしいと思います。

活動に対する評価の大切さを感じた授業

中学校で3つの授業研究へのアドバイスと全体に対して学校の課題についておお話をさせていただきました。

3年生の美術は、ピカソの絵の鑑賞でした。
ピカソについてのビデオを子どもたちに見せます。どの子どもも集中して見ています。3年生のこの時期は受験の合間で、精神的に苦しい子どもが目立つのですが、そのような様子は見えません。子どもたちの表情が明るいことが印象的です。子ども同士が支え合っているように見えました。
青の時代とバラ色の時代の絵の変化の理由を子どもたちに問います。答えづらい発問です。ピカソに限定せず、一般論として「表現が変化するのはどんな時?」と気持ちや、生活、社会情勢などに視点を向け、じゃあ「ピカソにはどんなことがあったのだろうね?想像してみようか?」と問いかけ、「こういうことを考えるのも面白いね」といったつなぎをして、鑑賞の面白さに迫ってもよかったと思います。
子どもたちは頑張って意見を言ってくれます。聞いている子どもたちも聞こうとしていますし、反応もします。しかし、授業者はつなぐことをしませんでした。
鑑賞の中心は「ゲルニカ」です。資料集からその大きさを調べさせますが、巨大さは実感できません。授業者はこのくらいだねと、教室の壁のこのあたりからこのあたりと説明するのですが、今一つピンときません。ちょっと手間かもしれませんが、ビニールテープのようなものを使って美術教室の壁に枠をつくって見せると巨大さがわかったと思います。巨大さと制作期間の短さも大切な視点です。
「ゲルニカ」を描くきっかけになったゲルニカへの空爆の話をビデオで確認してから、「ゲルニカ」に何が描いてあるかを問います。子どもたちには、この発問が鑑賞にどうつながるかがわかりません。3年生ですので、今までの鑑賞の経験とつなげたいところです。絵のどんなところに着目したかを復習するのです。「好きなもの、伝えたいものが大きい」「注目させたいところが明るい、コントラストをはっきりさせる」「その時(代)に何があった」「誰に見せる」といった過去の鑑賞での視点を確認してから、「ピカソはこの絵で何を伝えたいのだろう?」「何に着目してそう思ったか聞かせて?」といった課題にするとわかりやすかったと思います。色に着目した子どもがいれば、「色に着目した人、他にもいる?」「あなたは、色の何に着目した?」「○○さんはここに着目したそうだけれど、そこに着目しなかった人、そこから今どんなことを思った?」というようにつなげていくのです。また、子どもたちは社会科でスペインの内戦やフランコ政権のことは学習していません。ゲルニカを理解するには、この知識も必要だったように思います。
子どもが気づいたものを発表します。黒板に「ゲルニカ」の絵を貼っていますが、子どもたちは手元の資料集で確認します。顔を上げさせたければ資料集をいったん閉じさせて黒板の絵を使って進める必要があります。資料集を使うのであれば、共有できているかどうかまわりと確認するとよいでしょう。
ピカソが何を言いたかったのかを問います。子どもたちは色々と意見を言いますが、それがつながりません。どこでそう思ったかの根拠を共有しないからです。
授業者は、人間がたくさん描かれているが、その口がみんな開いていることに注目させます。何を表わしているのか子どもの考えを聞いたところ「叫んでいる」という答が出ました。授業者は「それもいい」と返しました。否定する気持ちはなかったのでしょうが、子どもからすれば明らかに他に教師が求める答があると感じられる言葉です。「なるほど、いいね。ドンドン聞いていこう」と指名していけばよかったのです。
子どもたちは授業者の指示に従って、いろいろと活動しましたが、その活動を評価される場面がほとんどありませんでした。子どもたちは一生懸命参加していたので、子ども同士をつなぎながらお互いの考えを共有し評価し合いたいところでした。

2年生の体育は、女子の剣道でした。外部講師とのTTでした。
防具をつけるのを競争させます。早くできた子どもから1番、2番と声をかけますが、10番くらいまで終わったあとは、遅い子どもへの対応に追われてうやむやになりました。早くできた子どもはただ待っているだけです。こういう場合は、何秒でできたかを記録していくとよいでしょう。最小は何秒だったが、次は何秒になったという進歩を評価できます。全体のスピードアップを意識して、早くできた子どもが手伝ってもよいでしょう。進歩を評価できるような取り組みにすることが大切です。
これまでやってきた、踏み込み面、踏み込み胴の復習から始めます。それぞれのポイントを授業者がしゃべって説明します。復習なので子どもたちで確認させたいところです。ペアでの練習は、これまではできいたのかもしれませんが、足の構え、さばき、踏み込みなどがきちんとできていない子どもが目立ちました。ポイントができているか評価して伝え合わなければ、修正されません。悪い形で練習を続けるので、間違った形が定着していきます。打ち込む相手が人間である意味がありません。これならば、先生か人形を相手にして、順番に並んで打ち込んでいった方がよいでしょう。見ている時に、どこがいいか、どこを直せばいいのかを指摘し合えます。
ぬき胴の見本を見せるために、集合させます。子どもたちがまわりに集まりますが、場所によってはよく見えません。どこから見せるのかを意識する必要があります。子どもたちが見る準備ができていないのに見本が始まりました。ぬき胴の足さばきを何度か説明しますが、なんとなく見ていても足の動きはわかりません。足の向きや動きが見やすい場所に移動させるか、互いの位置を少しずつ変えて、どの子どもも一度ははっきりと確認できるようにしなければいけません。「わかった?」と問いかけますが、返事がありません。漫然と数回見ただけではわからないのです。見ている子どもに前でやらせて、そこで修正して見せるとわかりやすかったと思います。
ペアで練習を始めましたが、やはり子どもたちの足の運びがばらばらです。授業者も外部講師も個別に指導していますが、とても回り切れません。体育では、子どもたち自身で修正できるような仕組みを作る必要があるのです。
最後に地稽古(対等に攻め合う)に挑戦しますが、恐いのか竹刀を立てた手打ちになっています。打った後に後ろに下がって、打ち抜くことができていません。これまでの練習が活かされていませんでした。地稽古に入る前に、係り稽古や打ち込み稽古(共に攻守の役割がはっきり決まっている)で、連続的に攻める練習をする必要があったと思いました。少なくとも、早い段階で一度止めて、実際にいくつかのペアに前でやらせて、どこがいいか、どこが課題かを共有する必要がありました。
最後にもう一度踏み込み面、踏み込み胴の練習をしましたが、地稽古で悪い癖がついてしまって、かえって悪くなっていました。
この授業も活動の中に評価をどう組み込むかが課題の授業でした。

この続きは次回の日記で。

学び合いが定着した後のことを考える

市の校務主任の研修で講師を務めました。この市では学び合いを取り入れようとしています。前回教務主任対象に行ったのと同じ話を校務主任にもという依頼でした。

学び合いが成立するためには教師と子どもたちの人間関係、子ども同士の人間関係が大切になります。逆に学び合いを通じて人間関係ができるという側面があります。学級づくり学校づくりの基本の一つがここにあると思います。話の具体的内容は、前回の日記を参考にしていただければと思います。

学び合いについて市全体で取り組んだ場合の課題として最近強く感じるのが、定着したあとどうするかです。市全体で取り組むよさは、子どもたちが9年間同じように学ぶことができることです。小学校と中学校のギャップも小さくなります。どの学校でも基本的に同じように取り組んでいるので、市内で異動した先生方が戸惑うこともありません。安定して学び合いを続けることができるのです。ところが、市内全体での取り組みが軌道に乗ったあとに採用された先生方の授業がどうにも気になります。子どもたちが育って人間関係もできているので、いい加減な課題でもグループ活動は真剣に取り組みます。先生が一方的にしゃべっていても、子どもたちは、集中力は失くしますが大きく崩れません。教師の未熟さを子どもたちがカバーしてくれるのです。教師としての基本的な力がついていないのにそのことを認識できないのです。
また、学び合いをつくり上げてきた先生方の多くも、子どもたちが育ってきたので今までやってきたことが緩くなってきているように感じます。学び合いの形が定着したからこそ、これから授業の質を上げていくべき時なのですが、そこにエネルギーが向かっていないのです。教師が工夫しなくても、授業が成り立っているように見えてしまうので、問題を感じないのです。
管理職多くの方は危機感を持っていますが、一般の先生方との温度差があります。市として取り組んできたからこそ、次の目標、ビジョンを市として明確に打ち出す必要があります。
これは、学び合いに限らず目標を持って取り組んできた場合に常にぶつかる問題です。研究指定を受けて一定の成果が見られたのに、発表をした後、それまで取り組んできたことが緩くなって、数年後には元に戻っていたという学校をよく目にします。目標を達成した後、成果が上がった後に、大きな落とし穴が待っているのです。

今回お話しさせていただいた市でよい成果が出ることを期待すると同時に、その後のビジョンもしっかりつくっていただけることを願っています。

先生方の成長に立ち会えた3年間

昨日の日記の続きです。

4年生の音楽の授業は強弱を活かして歌う場面でした。
音楽記号にどんなものがあるかを子どもたちに問います。子どもの発言を受けてすぐに板書します。授業者はおそらく気づいていると思うのですが、挙手しない子どもがちょっと目立ちます。ここは復習場面なので、挙手に頼らず、同じ答がかぶってもいいのでテンポよく何人も指名したいところです。板書に残したければ、そのあとで「まとめてみようか?」とでてきたものを全員に言わせながら書けばいいでしょう。
「ドレミの歌」の楽譜から強弱に関する記号を探させます。「隣同士で相談して」と指示しますが、あまり相談する意味のない問題です。見つかった記号に○をつけて、いくつ見つかったか隣同士で聞き合って確認するといった活動がよいでしょう。
実物投影機を使って、指名した子どもに指で記号を指示させます。発表のさせ方、実物投影機の使い方として悪くはないのですが、ここは確認だけの場面です。あまり時間をかけたくないので、「何小節目の○○」と口頭で発表させて、教師が実物投影機で確認してもよかったと思います。
強弱を意識して歌う練習をさせるのですが、変化がよくわかりません。「メゾフォルテで歌って」と言っても比較の対象がないからよくわからないのです。全体を2つに分けて、「はい、フォルテで」「はい、メゾフォルテ」「はい、ピアノ」「はいメゾピアノ」とちょっとゲーム的に指示に合わせて強弱を変えて歌うといった活動をするとよいでしょう。半分が歌っているのを残りの半分が聞いていて、ちゃんとそう聞こえたか確認するのです。
ほとんどの子どもたちは一生懸命に歌うのですが、中には口がしっかり開いていない子どももいます。授業者はピアノを立って弾いて、子どもたちを見ていましたが、何も言いませんでした。気づいていたと思いますが、どう注意してよいかわからなかったのでしょう。注意ではなく「口をしっかり開けよう。全員だよ」といった声かけで口を開けることをうながすとよかったと思います。なかなか指示が聞けないようであれば、半分ずつ向き合ってお互いの口を確認しながら歌わせるといったやり方もあります。人間関係が悪くない学級なので、子ども同士で意識し合うようにするだけで状況は改善すると思います。

1年生の算数は、(何十)−(何十)の計算をする場面でした。
昨年異動して来た先生です。子どもたちを認めて学級規律をつくるこの学校のやり方を高いレベルで実行しています。驚いたのが子どもたちのノートです。1年生と思えないほどきちんとかけています。どの子も同じようにマスの中にしっかりとした字で書いているのです。その秘密は、実物投影機でした。子どもたちと同じノートを使って先生が書いて見せます。それを実物投影機で見せるのです。これならば、どの子どもにもどう書けばよいのか確実に伝わります。とても有効な使い方でした。
70−20で、答が50になることを「どうして?」問いかけます。1年生には答えにくい発問です。「7は何が7つあるの?」「2は何が2つあるの?」といった発問を重ねて、最後に「じゃあ、今までのことをまとめて言えるかな?」として、「70は10が7あって、20は10が2あって、だから7から2を引くと5になるから、10が5で、50」というような言葉を子どもから引き出すのです。その上で、「よく説明できたね」とほめて、説明するとはどういうことかを教えるとよいでしょう。

初任者の授業研究は4年生の分母が同じ分数の計算の仕方でした。
授業者が緊張しているのが伝わってきます。子どもたちもつられて緊張していますが、先生のためにも頑張ろうとしているのがわかります。
3/5は何のいくつ分かを聞いて、板書にしておきます。この後に扱う、4/5+3/5を意識した復習です。小学生であれば、露骨に4/5も確認しておいてもいいかもしれません。
4/5mと3/5mのテープを合わせると何mになるかが問題です。授業者は4/5mのテープをつくるのに「4/5mは1をいくつに分けますか?」と問いました。ちょっとわかりにくい表現です。1ステップ跳んでいるのです。まず、「4/5(m)は何(m)のいくつ分?」と聞いて復習とつなげます。「1/5(m)の3つ分」という答を引き出してから、「1/5(m)はどうやってつくる?」と確認すればいいでしょう。
テープを準備して、数直線の上に並べて問題の把握をさせます。式をノートに書かせて、指名して答えさせました。一人に答えさせてすぐに次へ進みます。せっかくノートに書かせたので、何人か続けて指名するか、隣同士で確認させるかして、子どもたちの活動を評価する場面にしたいところでした。
グループで計算の仕方を考えてホワイトボードに書くことが課題です。グループで1つの答にするのではなく、グループで相談して答を自分のノートに書かせるとよいでしょう。ホワイトボードではなく、ノートを実物投影機で映して発表するという方法もあります。
どのグループもペンを持った子どもが場を仕切っています。ホワイトボードを使うのなら、ペンを複数用意して、みんなの考えを書き足していくというやり方があります。発表は代表者でも、他の子どもが発言を補う場面をつくることも必要です。図を使って説明するといった条件にして、すべてのグループの図を黒板に貼り、似たもの違うものに分けて、説明を聞くというやり方もあります。ただ発表するのではなく、子ども同士のかかわりを意識することが大切です。
黒板の数直線にテープを貼った時点で答はわかっています。「計算の仕方を考える」と言われても、何を書けばいいのかわかりにくい課題です。子どもたちの発表は、計算の仕方が手順になっています。「4/5は1/5が4つ」「3/5は1/5が3つ」という説明は出てくるのですが、その後すぐに7/5がでてきます。授業者は、子どもの書いた言葉から自分に都合のよい言葉を拾って説明していました。この場面では、「4と3は足していいの?」といった揺さぶりがほしいところです。「分母が同じだから」「1/5が4つと3つで同じだから」と同じを押さえることで、これが異分母の足し算での通分の考え方につながっていきます。
図で答がわかっているので、逆に「図を見ないで答が出せる?」と手順を考えさせ、その上で、図を使ってその手順で計算ができることの説明をさせるといった展開もあります。この方が子どもたちも考えやすかったのではないかと思います。

検討会で授業者は、開口一番、1/5の押さえが甘かったことを反省しました。仲間との事前検討できっとここを大切にしようと話し合っていたのだと思います。自分たちでしっかり考えていたのはうれしいことです。初めての大舞台で緊張したのでしょう。
この学校の検討会はとても前向きなものになっています。学級のよいところや授業から学ぶべきところが、グループでたくさん話されます。課題についても、批判ではなく自分たちのものとしてどうしたらよいかを考えるようになってきました。
先生同士で学び合うことができる学校になってきたことをとてもうれしく思います。子どもたちとのかかわり方については、先生方の間にしっかりとコンセンサスができています。年度が替わり学級や担任が変わっても、子どもたちが安心して生活のスタートを切れるようになっています。若手を中心に互いに助け合い学び合う雰囲気ができてきました。自分たちの力で授業改善ができるようになったと思います。
この学校との3年間は私にとってもとても素晴らしい経験でした。若手、ベテランの別なく、多くの先生方の成長を間近で見られてとても幸せでした。先生方との出会合いに感謝です。

どの学級も授業規律がしっかりしている小学校

3年間授業アドバイスをしていた小学校への最後の訪問を行いました。6人の先生への授業アドバイスと新任の先生の授業研究でした。今回はすべて算数の授業でした。

4年生のベテランの先生の授業は、表から規則を見つける場面でした。授業者が子どもたちをよく見ています。子どもたちは先生と視線があうのでよく集中しています。授業者の声が小さくても素早く指示に従います。
表から規則を見つけた子どもが挙手をします。早く見つけたことを評価しますが、まだ見て考えている子どもがいるからと待たせています。全員を参加させようという姿勢が見てとれます。子どもの発言を繰り返して確認したり、別の子どもに言わせたりと考えを共有することを大切にしています。「1、2、3、4と・・・」という子どもの発言を授業者が「1ずつ増える」と修正しました。算数の表現として引き出したい言葉ですが、「そうだね、1、2、3、4となっているね。このことを一言で説明できるかな?」というようにして、ここは子ども自身に修正させたいところでした。
前時までに表を縦に見る、横に見るといったこと経験をして整理していたそうです。ここは子どもの意見を「表を横に見たんだね」と算数的なものの見方で評価したいところです。
縦に足して同じ数になるという意見に対して、「すべて?」と強調していました。いつも成り立つかどうかというのは大切な算数の視点です。こういったところをはずないのはさすがです。大切なことなので、たくさんの子どもに直接確認したいところでした。
一問一答ではなく次々と指名して子どもたちの発言の機会を保障しています。ただ、挙手に頼っているので、挙手しない子どもが参加していません。挙手に頼らない指名や、まわりと確認する場面を増やすとよいと思いました。

特別支援学級は、繰り上がりのない足し算の練習場面でした。
2人の子どもが一緒に学習しています。子ども同士の関係がよいことが印象的でした。特別支援の子どもにとって、コミュニケーションを取れることは今後社会に出て生活する上でとても大切なことです。こういった関係性はとても大切です。授業者は、子どもの反応を笑顔で受け止め、ほめることを意識しています。子どもたちは意欲的に取り組むことができていました。ただ、子どもが想定外の反応をした時に、どう対応しようかと考えて表情がかたくなります。柔らかい表情を見慣れているので、子どもの目には恐く見えてしまうかもしれません。こういう時にも意識して笑顔をつくれるとよいと思いました。

1年生は2桁+1桁、2桁−1桁の計算練習の場面でした。
以前見た時と比べて授業規律がしっかりしています。子どもをほめて指示を徹底させることが意識されていました。しかし、子どもたちが従ってくれるので、指示が増えています。子どもたちに考えさせる場面を増やす必要があります。
算数の授業としては、手順を教えることが中心になっていたのが気になります。子どもに説明を求めるのですが、その説明は手順のことです。手順と説明を分けて考える必要があります。例えば43−7であれば、「10から7を引いて3、・・・」という手順ではなく、「1位の数3から7は引けないから、・・・」と10から引く理由を説明させたいのです。このことを意識してほしいと思いました。

5年生は、表を使って円と円周率の関係を考える場面でした。
子どもたちの授業規律はしっかりできています。授業者との関係もよく、子どもたちが素早く行動します。
関係を調べる時にどのようにするとよいかを問いかけますが、考えようとしない子どももいます。以前に関係を調べた単元を思い出させて教科書やノートを調べさせたり、「○○を調べた時、何をしたっけ?」と問いかけたりして、過去の学習とつなげることを意識してほしいと思います。
表を使うことになりましたが、授業者が用意した表は項目がすでに書き込まれたものでした。項目をどうするかから子どもに考えさせたいところです。
関係を見つけるという課題ですが、子どもは何か1つ見つけたらそれで満足してしまいます。「できるだけたくさん見つけよう」といった課題するとよいでしょう。
意見を発表させますが、後に回したい意見もあります。受容して終わりではなく、後でこの意見について考えることを言っておくと納得すると思います。
子どもの意見を「そうなっている?」と全体に確認しますが、気づいていない子どもはすぐには反応できません。大事なことであれば、個人で確認する時間を取ることも必要です。内容や状況に応じてどういった確認の仕方がよいか判断することが大切です。

この日見たどの学級も、授業規律がしっかりとできていました。だからこそ、課題が明確でした。
この続きは明日の日記で。

子どものよさを活かせていない授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。学び合いを大切にしている学校です。子どもたちの様子は決して悪くはないのですが、授業の質という点では課題が多いように思いました。

1年生の数学はTTによる立体の演習の場面でした。
多面体とはどんなものか思い出すように指示しますが、子どもは動きません。わかっているのかわかっていないのか反応しないのです。授業者がプリントに書いてあると言うと、やっと過去の学習プリントをめくりだしました。
「平面で囲まれている」という答に対して、子どもたちは「いいと思います」と答えます。あまり意味のないやり取りです。立方体は多面体の仲間だと思うかと問いかけますが、定義を満たしていることの確認はしません。数学で結果だけを問うても意味がありません。「1番面の数が少ない多面体は?理由は?」と問い返したり、升のような入れ物は多面体であるかと揺さぶったりして、定義を言葉として覚えるのではなく、その意味するところを理解しているかを確認する必要があると思います。
柱の定義で授業者が「多面体を平行に移動してできた」と平面図形(自己交差しない閉曲線)を多面体と言い間違えています。T2も気づきません。子どももあえて異を唱えません。垂直にという言葉を付け加えますが、何に対して垂直か明確にしません。数学の教師は国語の教師と並んで言葉にこだわらなければいけないのですが、余りにも雑すぎます。
「右のように直方体から三角柱を切り取った図形について・・・」という問題がありました。教科書の見取り図をデジタル教科書の3D表示をいきなり見せてから、平行な直線やねじれの位置の直線を見つけさせます。感覚だけで解かせて、解答を確認して終わります。根拠が一切説明されません。こんな感覚だけの授業は数学ではありません。問題文はわざわざ直方体、三角柱という言葉を使っています。このことを根拠にして説明することが必要です。結果だけを教師が教えているだけです。子どもたちは、かかわり合って考える場面では、いきいきとしますが、論理的に考える視点を身につけていません。子どもたちのよさを教師が活かすことができていないのです。この子どもたちが高等学校で数学に再度出会った時にとても戸惑うことが想像できます。

2年生の数学は、TTによる平行四辺形の定義と性質、その逆の学習でした。新任がT1でした。
指示をしたあと、指示に全員が従うまで待とうとしています。一見すると授業規律ができているように見えるのですが、形だけです。顔が上がっていても教師の方を見ていない子どもがたくさんいるのです。子どもたちは集中していません。授業者が視線を合わせ、話をしっかり聞くことを求めていないので、子どもたちはやらないのです。
この授業も先ほどの立体の授業と同じく、結論や結果しかない授業でした。数学的な根拠を共有しない授業です。平行四辺形の性質を使って線分の長さを求める問題では、性質を感覚的に使って長さを求めています。図を見ればどの長さが等しいかは小学生でもわかります。それを与えられた条件をもとに因果関係を明確にしながら説明するのが数学です。答が正しければいいという発想では困ります。「試験でねらわれやすい」といった発言もありました。試験に出るから勉強しなさいなどと言うのは、教師として恥ずべき発言だと私は思います。
「平行四辺形を書くのにどんな方法があるかな?たくさん描いて」という課題を提示して子どもたちに取り組ませます。参観していた私にも、何をすればよいのかわかりません。子どもたちは、このような発問に慣れていて理解できるのかもしれないと思いましたが、やはりすぐに手がつかない子どもがたくさんいました。子どもは友だちに聞いたり、まわりを見たりして確認しています。しかし、授業者は子どもをちゃんと見ていないので、発問がよくなかったことに気づきません。T2も個別の子どもに対応するだけで何もアクションを起こしません。いったん作業を止めて、具体的にやって見せる必要があったでしょう。また、なぜこんなことをするのか理由もわからないまま作業をさせても子どもたちの学びにつながりません。
子どもたちに発表させますが、平行四辺形の描き方の説明を子どもたちはなかなか理解できません。手順はわかっても、それでなぜ平行四辺形になるのかは説明がありません。子どもたちの頭の中がモヤモヤしているのがわかります。ほんとどの子どもは参加できず、一部の子どもと授業者だけで進んでいきます。
子どもの発想にはとても面白いものがあります。円を描き、2本の直径を引き円周との交点を結ぶ子どもがいます。長方形になりますが、これも立派な平行四辺形です。これを見て同心円を使って平行四辺形をつくった子どもがいました。前の考えを発展させています。どのように考えたのかを共有したいのですが、取り上げられることはありません。結局、ほとんどの子どもは結果を写して終わっていました。達成感のない授業です。子どもたちの持つよさを教師が引き出せていないことが残念で仕方ありませんでした。

1年生の美術は色々な技法を使った作品作りの下絵を描く場面でした。授業者は講師で来年度小学校に採用が決まっています。
他の学級の作品を示しながら、下絵のスケッチを描けたら先生に見せるように指示します。OKがでたら、紙をもらって下絵を描き、色塗りするようです。しかし、何をチェックされるのか具体的に明らかにはなっていません。子どもたちは目標や評価基準がわからないまま作業をしています。集中度が低いことが気になりました。隣とおしゃべりしながら挙手をして教師を呼ぶ子どもがいます。考えているわけでもないのに手が動いていない子どもがいます。スケッチが描けているのに教師を呼ばない子どもがいます。教師からアドバイスをもらったのに、しばらく遊んでいる子どももいます。しかし、ずっと何もしない、遊んでいるわけではないのです。これは一体どういうことでしょうか?
授業者は机間指導しながら、挙手をした子どものところへ行ってアドバイスをしたり、次のステップへの指示をしたりしていますが、教室全体をほとんど見ていません。挙手する子どもに気づかず何分もそのままです。「しゃべっていると間に合わないよ」という注意が途中でありました。どうやらここにこの状態を理解する鍵がありそうです。
作品作りの明確な目標や評価基準、どうすればそれが達成できるかといった手段という要素がこの授業には欠けているのです。その代りに、期限までに仕上げるという時間の目標だけが設定されているのです。だから子どもたちは、よりよい作品に仕上げるために時間を使うのではなく、期限に間に合わせることだけを考え、余った時間を遊んでいるのです。これがこの教室のだれた雰囲気の正体のようです。
授業者にはこのことを伝えましたが、それよりも4月からの小学校での学級経営が心配です。この中学校だからこの程度で済んでいますが、一人で学級のほとんどの授業を受け持つ小学校では、学級経営が立ち行かない可能性があります。小学校の学級経営に関して必要な人間関係や授業規律のつくり方についてできるだけ具体的に伝えました。少しでも役立ててくれることを願っています。

この学校で、子どもたちのよさを活かしきれていない授業が多いことが気になります。以前と比べて、学級担任や授業者によって学級の状態の揺れ幅が少しずつ大きくなっているように感じることも問題です。こういった課題に管理職や教務主任は気づいています。とはいえ、有効な手立てを考えることがなかなか難しいことも事実です。先生方が授業について互いに学び合う雰囲気をつくることからもう一度やり直す必要があるのかもしれません。次回訪問時、来年度に向けて教務主任とじっくりと相談したいと思います。

子どものよい考えを活かしたかった授業

昨日の日記の続きです。

5年生の授業は、理科の食塩水から水を蒸発させて再度取り出す実験でした。
この学級も子どもたちと先生の関係がよいことが、子どもたちの視線がしっかりと授業者に向いていることでよくわかります。
食塩水から食塩を取り出す方法を子どもたちにたずねます。「水を蒸発させる」という答が出ます。子どもたちは「いいです」と反応します。このやり取りに違和感を覚えます。実験前から子どもたちは知識としては既に知っているのです。だからすぐに蒸発させるという考えが出て、それに対して「いいです」という反応が返ってくるのです。そのことを実験して確かめるだけであれば、意欲的に取り組むことはできません。何らかの揺さぶりが必要です。授業者は、蒸発で満足せずに他の子どもを指名します。「乾燥させる」という言葉がでます。こういう言葉が出てくることはとてもよいことです。授業者も違った意見を待っていたと思ったのですが、「蒸発ということだね」と蒸発にまとめてしまいました。子どもは蒸発と同じ意味で使ったのかもしれませんが、異なっていた可能性もあります。教師が勝手に解釈して変えてしまうのではなく、「それってどういうこと?」「蒸発とどう違うの?」と本人に問い返したいところです。乾燥は「水を全部なくすこと」「蒸発は水を減らすこと」と使い分けていた可能性があります。続けて、「水の量を減らす」という意見が出てきましたが、そのまま認めるだけで、特につなぐことはしませんでした。蒸発は、水が減ることも、全部なくなることもあります。子どもたちの言葉から、蒸発の過程を意識させることができただけに、残念でした。

続いて、グループで前時までに学習したモデル図を使って、食塩ができる状態を書かせました。子どもたちは、それぞれの考えをしっかり聞き合っていました。子どもの考えは、大きく3つありました。「水が少し減って、水の中に食塩が溶けている図」「水がかなり減って、食塩が溶けているが一部沈殿している図」「水が完全に無くなって、食塩だけが残っている図」です。水が完全に無くなっている図でも、食塩が山のようになっているものと底に平らになっているものがあります。水が残っているものには湯気のようなものが書かれています。
素晴らしい子どもたちです。先ほどの子どもたちの発言が効いていたので、水が減っている状態と、完全に無くなっている状態に考えが分かれたのです。ここは一つひとつ、その違いを確認しながら、「じゃあ本当にそうなっているかちゃんと実験で確認したいね」「いつ食塩が出てくるかな?」と実験につなげ、途中の経過を観察することをしっかり意識させたいところでした。また、湯気のようなものは、「これは何?」と確認して「水」「水蒸気」という答に対して、「本当?食塩も混ざっているんじゃない?」と揺さぶりたいところです。「どうしたら食塩が混ざっていないかどうかがわかる?」とどんな実験をすればよいか考えさせたいところです。小学校では定量的な実験はしませんが、定量の食塩を溶かした食塩水を用意し、水を完全に蒸発させて重さを確認するといったことをさせることで、理科的なものの見方・考え方を育てるよい機会だったように思います。

授業者は用意した食塩水がどのようなものかをはっきりさせていませんでした。食塩が抽出するということは飽和と関連の深いことです。前時までに学習した飽和について押さえておきたいところです。もうこれ以上溶けないところまで溶かして飽和させた食塩水と少しだけ溶かした食塩水を用意して、食塩の出方がどう違うかを比較させるといったことをしても面白いかもしれません。子どもたちは真剣に取り組んでいましたが、予想通りだったという満足感や、予想と違ったという驚きを見せてはくれませんでした。

実験に移る前に机の上をきれいに片づけさせました。火を使う実験なので正しい指示ですが、黒板には実験の手順や注意事項は書かれていません。片づけたので手元にも情報は残りません。実験の手順や注意事項をきちんと確認するか、黒板に掲示して、わからなくなってもすぐに確認できるようにしておくことが必要だったと思います。
授業者は、実験が始まってから、「すぐに変化が現れます」と子どもたちに注意を促します。変化がすぐに現れるかどうかの観察も含めて実験です。教師が指摘するのではなく、見逃さないような動機づけをモデル図のところでしておくべきだったでしょう。

子どもたちは、安心していろいろな考えを発表することができています。とてもよく育っていると思います。その子どもたちのよさを授業者が活かしきれなかったのが残念でした。

先生方全員に対して、子どもたちを先生方がよく受容できていて関係がよいのだが、先生方の物わかりがよすぎることが気になったことを伝えました。先生が何でも受け止めてくれるので安心して話せます。しかし、不完全な発言も修正してもらえるので思いつきで発言する子どもが目立つのです。問い返すなどして、考えを深めることも必要です。また、発言を受容するのですが、「前の時間に学習したことを上手く使ったね」「○○に目をつけたんだ」といった価値づけが少ないことも気になりました。子どもの考えを他の子どもにつなぐことができていないことも課題です。教師と発言者だけのやり取りで終わってしまうことが多いのです。同じ考えの人に発言を求める。発言内容を他の子どもに説明させる。こういう活動も大切です。
子どもたちを受容できるようになりました。次は、深めることや価値づけ、そして子ども同士をつなぐことを意識してほしいと思います。

この市での授業アドバイスはこの学校で最後でした。1校当たり2回の訪問ですが、どの学校も想像以上によい変化が見られました。先生方がとても素直なことと、管理職の方がこの機会を上手く活かして先生方を指導されたことがよい結果につながったと思います。来年度はさらに高いところに向かっていくことが期待できます。先生方の成長は、私にとってもとてもよい経験でした。ありがとうございました。

子どもの関係がよいからこそ、考えを深めたい

前回の日記の続きです。

4年生の授業は社会科の愛知県についての学習で、住みたいところランキングを行う場面でした。授業者は明るいキャラクターで、楽しい雰囲気で授業を進めていきます。
黒板に愛知県の白地図を貼って、前時までにどんなことを学習したか子どもたちに問いかけます。初めのうちはあまり手が挙がりませんが、「知多半島」といった単語だけでの答も受容するので、最後はほぼ全員の手が挙がりました。最後まで手の挙がらなかった子どももいましたが、授業者に確認したところ、発表するのが苦手な子どものようです。こういった子どもの活躍の場面をどう確保するかも意識したいところです。
思い出すことが目的なので、時間を使いたくないのはわかるのですが、「交通」といった発言に対して、「それってどういうこと?」「交通って何?」といった切り返しも必要でしょう。
教科書やノートで確認しようとしている子どもに対して、「カンニングなし」と制しました。しかし、思い出せない時にはノートを確認するのは悪いことではありません。過去の学習とつなげることは大切なことです。ここは、「いいね」とほめて、他の子どもにも広げたいところでした。

ワークシートを使って、これまで学習した4つの地域から住みたいところの1位と2位決めて、その理由を書きだします。ワークシートの説明が不足していたので、作業を止めて注目させてから補足しました。作業を続けている状態で指示をしないことは大切ですが、これは意外とできないものです。若い先生ですが基本ができています。
机間指導しながら、子どもたちをよくほめます。明るいキャラクターと相まって、学級の雰囲気をよくすることにつながっています。

グループで友だちの考えを聞き合う場面では、子どもたちは素早くグループをつくります。グループ活動に積極的です。友だちの発表を、賛成○、反対×、ちょっと疑問△の記号で評価するのですが、淡々と進んでいきます。ほとんどの子どもは○しかつけません。ある意味これは当然です。個人の嗜好ですから、基本納得するしかありません。これに対して疑問や反対を言うようであれば、人間関係が悪くなります。子どもたちはただ発表するだけで、聞き合う意味はあまりありませんでした。

全体での発表場面は、発表者にきちんと視線が集まります。人間関係のよさを感じます。子どもの発表する選んだ理由を、あらかじめ用意したカードの中から貼ります。こういうことが続くと、子どもたちは教師のねらいを読もうとします。用意したものと違う理由を言ってくれたことを「予想していなかった」と評価していましたが、このことを子どもたちがポジティブにとらえたかどうかは、よくわかりませんでした。「都会だから」といった簡単な言葉でもそれ以上は問いかけません。拍手をして終わります。発表することが目的となっています。「それってどういうことかもう少し聞かせて?」と詳しく聞きたいところでした。発表することで深まる場面がありませんでした。
発表を聞いている子どもたちの役割がありません。発表が続くうちに子どもたちの視線が下がっていきました。住みたいというのは個人的なことですから、「そうなんだ」としか反応できないからです。友だちの発表を聞いて、ランキングを再度付け直すのですが、あまり意味のある活動とは思えませんでした。

最後に、子どもたち一人ひとりに磁石を持たせ、ランキング1位にした地域の地図の上に置かせます。思った以上に偏りがありました。実際の人口分布と比較しながらまとめるつもりだったようですが、時間が足りないために次の時間に残しました。
実際の人口分布と比較するのであれば、自分が住みたいところではなく、世代ごとに住みたい地域とするとよいと思います。子育て世代であれば、「職場と少し離れていて、交通の便がよいところ」に住む、お年寄りであれば、「気候のよいところ」「便利な都会」といった根拠に基づいて話し合えます。最後に、実際の地域ごとの世代別人口と比べることで、自分たちの考えを検証することができます。
「自分が住みたいところ」という課題を活かすのであれば、単元の最初の課題として、自分たちで資料を調べさせてもよいでしょう。調べることに必然性がでてきます。子どもたちが調べたことの視点を整理したあとで、最後に世代別に住みたいところとしてまとめにつなげるとすっきりすると思います。

この学級も子どもたちの関係がよく、発表で失敗しても笑い飛ばせていました。くどいですが、だからこそ子どもの発言を受容するだけでなく、切り返し、つなげることで考えを深めることを目指す必要があります。そのためにも、より深い教材研究が求められるのです。

最後の授業と全体へのお話しは、明日の日記で。
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