新たな一歩を踏み出そうとした数学の授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。授業者は他府県で2年間勤めた後、愛知県に来られて3年目の先生です。2年ぶりに授業を見せていただきました。3年生の数学で、幾何ツールを使った重心の授業でした。

授業者は、今回の課題で初めて幾何ツールを活用した授業に挑戦しました。指導案を見る限り、コンピュータを活用した授業にまだ慣れていないと感じました。そのことを事前に校長にお伝えしたところ、「普通の授業ならもう安心して任せられる。だから今回は、あえて挑戦させたかった」ということでした。

授業の第一印象は先生も子どもも笑顔が多いということでした。指示もきちんと通ります。子ども同士の関係も良好で、友だちと相談する姿がよく見られます。授業規律も人間関係もしっかりとできています。日ごろから、基本的なことがしっかりできていることがよくわかります。この日の授業は、教科面に集中してアドバイスすることにしました。

最初に紙で作った三角形のある点P(重心)にコンパスの針を刺して回転させます。クルクルと回ります。この点がどんな点かがこの日の課題です。「どんな点」という言葉は明確ではありません。この言葉を使うのなら、より明確な言葉に変えていく活動が必要です。しかし、考えるための材料が全くありません。「どのような性質があるのか」「どうやれば見つけることができるのか」といったところに視点をもっていきたいのですが、全く手がかりがありません。子どもの中から「実はどこでも回る」というつぶやきが出てきました。とてもよいつぶやきです。本来なら、他の点ではうまくいかないことを確かめて、クルクル回る点の秘密を知ろうと進めたいところです。しかし、この「クルクル回る」を追究しても、数学としてはうまく扱えません。「クルクル回る」という物理的な性質を条件として重心を導き出そうというのは、中学生ではまず無理だからです。この導入は数学的につなげることはとても難しいのです。

考えやすいようにと、二等辺三角形でまず考えます。なぜ二等辺三角形だと考えやすいのでしょうか?そのことには全く触れられません。点Pについて一切の情報がないのですから、おかしな話です。「一般ではよくわからない時には特殊な場合を考えて見通しを持つ」というメタな考え方を過去の授業で経験しているのでしょうか。もし、そうならその場面を思い出させることが必要です。そういった経験がないのなら、そのことに気づかせる活動が必要です。二等辺三角形にこだわらず、幾何ツールで「自由に変形させて、手が出ない」「意図的に動かしたら何かに気づいた」といった経験をすることが必要なのです。

「頂点を底面と平行に動かすと、点Pも平行に動く」「点Pを底辺と垂直に動かすと点Pも垂直に動く」「頂点を底辺の中点から底辺と垂直に動かすと点Pもその垂線上にある」「点Pをまっすぐ(直線上を)動かすと、点Pもまっすぐ(直線と平行な直線上を)動く」といった気づきを子どもから引き出し、そのように動かした理由を聞いて、そのことを価値づけするのです。結論だけに注目しては、数学的なものの見方・考え方は身につきません。
点Pと頂点を結びたい。3つの頂点と結びたい。長さを測りたい。子どもからいろんな欲求が出てきます。そこで、考えを広げ、思考を深めるのです。頂点と点Pを結ぶと必ず底辺の中点を通ることに気づきます。点Pが中線を一定の比(2:1)に分けることに気づきます。3つの頂点と点Pを結んだ子どもは、すべて中線になっていることに気づくかもしれません。数学の授業としては、ここからです。やっと課題が見つかったのです。3つの中線が1点で交わること。どちらかから、他の性質が成り立つこと。こういったことを課題として数学的な探求をするのです。

授業者は二等辺三角形で頂点と点Pを結び、底辺との交点をDとした二等辺三角形を電子黒板に提示します。これも天下りです。また、点を結ぶことと延長することは、別の発想です。その必然性を考える必要があります。続いて、線分ADがどんな線分か考えさせます。考えるといっても、根拠がありません。見た目での想像でしかありません。しかし「考えて」と言います。数学としては違和感のある言葉です。子どもにたちに実際に幾何ツールを使って「調べさせたい」ところです。
子どもからは、「垂直二等分線」「中点と頂点を結んだ線」「二等分線」「線対称の線」といった言葉が出ます。授業者はそのまま進んだり、自分で「∠BACの」二等分線と足したりします。物わかりのよすぎる先生です。「二等辺三角形」の線対称の「軸」とは修正しませんでした。授業者は数学的な言葉に非常に鈍感です。主語がよく抜けます。数学ではありえないことです。「二等分線」と子どもが言ったら、「何の?」「どこの?」と問い返すことが必要です。教師が意識していないので、子どもも用語をきちんと使えません。1年生からしっかりと育てることが大切です。
子どもから言葉を引き出してから、幾何ツールで確かめました。全体で進めるのなら、「考えて」の前に、「どこを調べたい」「何を測りたい」と子どもに問いかけてから測るべきでしょう。「○○が言えそうだね」「予想がつくね」と「予想」であることを強調し、「予想」は確かめなければいけないと、次の活動につなげるのです。

「ADがどんな線か考えよう」と個別のパソコンで、どれが成り立つかを確認させようとします。課題が「点Pがどういう点か」から「ADはどんな線か」に変わっています。子どもたちは、その関連が今ひとつわかっていないようです。初めてのソフトの利用で戸惑う子どももいますが、まわりの子どもが助けています。戦略的に動かす子どももいますが、思いつきで動かしている子どもが目立ちます。本来はグループで探求させたいのですが、パソコンの配置が横にずらりと並んでいるのでグループ活動がやりにくいのです。環境面のハンディがあったことが残念です。
全体で何が言えそうで、何がダメかを確認します。指名した子どもに、ダメなことがわかるように頂点を動かすように指示します。感覚的にダメで終わりますが。1つでいいので測定して、否定すべきでしょう。「いつも」「絶対」成り立つは、1つでも反例をあげればいいことを押さえたいところです。

画面を見て、気づくことがないかと子どもたちに問います。点Pが中点を2:1に分けることを言わせたいのですが、ただ画面を見て気づくのなら、幾何ツールはいりません。黒板に図を貼っても同じです。子どもたちにどのような活動をさせて、どんな力をつけたいのかが、明確になっていません。
3つの頂点と点Pを結んだ図を指示に従って動かし、気づくことをワークシートに書かせます。このことにも違和感があります。自由に動かせるから幾何ツールです。自由に動かすことで発見があるのです。
全体で、気づいたことを発表させます。「頂点と点Pを結んだ線がすべて中線になっている」「点Pは中線を2:1に分けている」といったことが出てきます。これらの性質の因果関係は明確ではありません。条件や定義が明確ではないからです。「どうやったら作れる?」といった発問で、条件や定義を意識することができますが、もう時間がありません。
1人だけ中線で分けられた6つの三角形の面積が等しいと言った子どもがいました。どうやって気づいたのかは問いません。3つの線分が中線になっていることから気づいたのかもしれません。なんとなくかもしれません。そのことを確認せずに、幾何ツールで面積を測りました。
結局最後まで、根拠が語られることのない授業でした。ここまでを15分以内で終わり、出てきた課題を追究することに時間を使うべきでしょう。気づいたことから課題をつくり、それを追究することが数学では大切なのです。

厳しいことをたくさん書きましたが、授業者は数学の教師として大きな一歩を踏み出そうとしています。最初からうまくいくわけはありません。挑戦し続けることで初めてできるようになるのです。授業の基本は、本当によくできていました。2年前に指摘されたことを愚直にやり続けてきたことがよくわかります。そのことを本当にうれしく思いました。

授業アドバイスの後、何人かの若手の授業を見せていただきました。
挙手した子どもだけで進む授業が目につきました。一見すると子どもをよくほめているように見えますが、「いいですね」「素晴らしい」と抽象的にほめているだけなので、子どもにとってリアリティがなくなっている方もいました。子どもの方を向いているのですが、視線が子どもに落ちない方もいます。子どもが作業している時に、作業を止めずにしゃべる方も目立ちます。
机間指導をしても、本当に支援が必要な子どものところにいかず、自分から教師に声をかける子どもとばかり話している先生もいました。上手くかかわれる子どもとだけ関係をつくっています。こういう先生の学級は崩れやすい傾向があります。要注意です。

先ほどの数学の授業者のように、基本がしっかりとできている先生もいる反面、基本がまだ徹底できていない方もいます。このギャップを学校としてどう埋めていくかが大きな課題でしょう。互いに授業を見せあって学ぶような機会をもっとつくる必要あるのかもしれません。

小学校で授業研究(長文)

小学校の現職教育に参加しました。今年度2回目の訪問です。

授業研究に先立って全学級の様子を参観しました。全体的に感じるのが、授業規律がまだ確立できていないことです。作業が終わった時には鉛筆を置いて姿勢を正すように指示します。しかし、全員が姿勢を正さないままに教師は話し始めてしまいます。友だちの話を聞く姿勢もできていません。発表を聞く子どもたちの視線はなかなか安定しません。また、せっかく子どもが友だちの話を聞こうとしていても、教師が板書することで、子どもの視線を奪ってしまいます。一方、教師の視線も子どもたちの上を流れていきます。子どもたちに視線を送ることができません(視線を送る参照)。机間指導も、漫然と歩いているだけで何を指導するのか明確に感じられません。まわりを見ながら歩くだけなので、全体を見ることはできません。教師の死角で起こっていることに気づくことができないのです。
子どもたちの作業中に追加の指示や説明が目立ちます。なかなかきちんと止めることができません。教師が子どもたちの集中を乱すのです。
子どもの発言や活動に対する評価も、あまりありません。「いいです」以外の評価を聞くことはほとんどありませんでした。
挙手した子どもだけを指名して授業が進むので、わかる子、発言できる子どもしか参加できません。子どもたちは、教師がまとめてくれることを知っているので、それを写せば困りません。友だちの発言を聞くことの必然性がないのです。同じ考えの子どもを発言させる。それを聞いて納得したかどうかを確認し、その根拠を聞く。納得しなかった子どもに、納得したか再度聞く。納得できない子どもに、どこが納得できないのかをたずねる。このような活動が必要です。また、まとめは、常に教師がするのではなく、子どもにまとめさせ、板書が必要であれば子どもの言葉をそのまま使う。こういった工夫が必要です。
子どもはまじめに作業に取り組みます。板書も写します。しかし、先生の話は聞きません。子どもの作業をする姿と、教師が一方的にしゃべる姿を見ることがほとんどでした。
基本的な授業技術が身についていないように感じます。必要性を感じていないのかもしれません。学校全体で取り組むべき基本を具体的にして共有することが大切です。
その点でキーとなるのは教務主任です。授業参観に同行した教務主任は、私の指摘に納得して同意はするのですが、「今日はたまたま」という言葉を何度も使いました。しかし、では普段は具体的にどうなのかは一度も語られませんでした。残念ながらこの言葉を聞く限り、教務主任主導での改善はあまり期待できません。なぜなら日ごろから授業を見ていて「たまたま」と言うのなら、具体的にそうではない場面を伝えることができるはずです。「たまたま」という言葉の裏には、本当は「できていることもある」「できているはず」が隠れています。これは事実を認めたくない、言い訳の気持ちです。自分の意志で、改善のための具体的な行動を起こすとは思えないのです。
とはいえ、以前に訪問した時と比べて表情のかたい先生が減ったように感じます。子どもを受容しようとする意識がでてきたようです。管理職やリーダーに求められるのは、その次のステップを具体化することです。
また、算数では手順を教えて確認するだけの授業が目立ちました。子どもが思考する場面がないのです。これでは算数は解き方を覚える教科になってしまいます。教科の学習の基本は何かもしっかり共有してほしいところです。
もう一つ気になったのが、実物投影機を使わないことです。この学校はフューチャースクールでICT環境は整っています。タブレットを使わないまでも、実物投影機を使った方がよさそうな場面がたくさんありました。しかし、ほとんどの教師が使わないのです。

授業研究は2年目の先生の国語の授業でした。5年生の「大造じいさんとガン」の話のあらすじをつかむ場面でした。
授業者は少々緊張気味でしたが、笑顔を絶やさないように意識していました。子どもを受容しようという意識を感じます。前回通読した感想をたずねます。「長い」「感動した」といった言葉が出てきましたが、授業者は「感動した」だけを拾いました。こういうことが続くと、子どもは授業者が求めることを言おうとするようになります。無視されたということはその言葉は不正解です。子どもは挙手をして発言することを避けるようになります。不正解で恥をかくリスクがあるからです。それでも発言したければ、挙手せずにつぶやきます。この場面では、「長い」もきちんと拾うべきだったのです。「長い」はあらすじにつなぐことができる言葉です。長いからこそ、あらすじを追って整理する意味があるのです。
前時の復習の場面で、挙手しない子どもが多いことが気になります。中にはノートを開く子どもがいるのですが、そのことを取り上げません。挙手した子どもだけで進みます。ノートを開いている子どもを評価し、挙手していないのにノートを開かない子どもに参加を促すことが大切です。
この日の授業のめあては「大造じいさんとガンの話のあらすじをつかもう」です。
板書を写すのに「素早く、ていねいに」と指示します。評価の視点が具体的になっています。しかし、実際にどうだったかは評価しません。「○○さん、早いね」「△△さん、ていねいに書けたね」と評価しなければ定着しません。
机間指導しながら、「書けた人は自分の好きな場面を読んでください」と追加の指示をします。作業を止めずに指示しても通りません。「まだ、書いている人」と時間が来ても延長してしまいました。手を挙げたのは2人だけです。しかし、教科者を読んでいるのはほんの数人です。指示されたことにあまり意味があると思えないこともあり、ほとんどの子どもが無視したのです。この間、子どもの集中力は下がり、ざわつきます。最初の「素早く」という指示が全く意味を成しません。
気持ちの変化をとらえるために、2つの段落で、それぞれ大造じいさんの気持ちに線を引かせます。ここで、ただ気持ちに線を引いて、それを発表するだけでは意味がありません。どのようにして見つけたか、何に注目するのかといったメタを意識する必要があります。小学校の低学年では、「思った」「考えた」と直接的表現から見つけます。学年が上がると、「表情」「行動」といったもので表現されるようになります。高学年になると、「情景描写」で表現されるようになります。天気、色、音といったものが何度も出てくると、その変化が読み解くカギになります。そういうことを意識して読むことが必要になります。過去にどんなことに注目したか復習してから始める。発表をただ板書するのではなく、「どのような言葉」「どのような表現」に注目したかを明確にして整理する。そういう場面が必要になります。しかし、授業者は、そのどちらもせずに、ただ発表させるだけです。そして、大造じいさんの残雪に対する気持ちに点数をつけるように求めます。子どもたちは反応できません。当然です。基準がないからです。基準がないからわからないと話している子どももいます。なかなか答えてくれませんが、1人が点数を言うと、今度はテンションが上がります。一つの例が基準となると言いやすくなります。しかも、根拠は必要ありません。無責任に考えられるので、テンションが上がりだすのです。
続いて次の場面に移ります。せめて、今発表した気持ちがどう変わるか、対比することを意識して線を引かせたいところです。例えば「たかが鳥」という言葉に対する表現はあるかと問うのです。こういう視点を意識して文を読む訓練が必要なのです。
授業者は、点数をつけることで、大造じいさんの残雪に対する気持ちの変化をわかりやすく意識させたいと思ったのでしょう。再び点数をつけて、点数が上がったことを根拠に気持ちが変わったことを説明しはじめました。感覚的に点数をつけて、それを根拠に説明しても読解力はつきません。素直に本文の表現を対比することで明確にすることができたはずです。国語として大切な活動は何かを考える必要があります。
続いて、大造じいさんがガンを捕まえようとした3つの方法に名前をつけるように指示します。この活動の意味がわかりません。名前をつけることよりも、大造じいさんの気持ちの変化とこの3回の挑戦の関係の方が大切です。そのことをしっかりと押さえる必要があります。必然性が必要なのです。また、授業者は3つの方法と言っただけで、具体的に確認しませんでした。これも要注意です。3つを全員が納得してから取りかかる必要があるのです。
子どもたちを3つにグループに分けて、それぞれにとらえ方を割り振り、名前をつけさせます。各自に渡した短冊に書かせて、黒板に並べて貼ります。
ここで、子どもたちにあらすじを書くように指示します。「えーっ」という声が上がります。当然でしょう。一つひとつ指示に従って作業しただけで、あらすじについては何も考えていません。そもそもあらすじとは何かということがきちんと定義されていません。「大造じいさんとガンは・・・お話しです」と文頭と文末を指定し、大造じいさんの残雪に対する初めの気持ちと終わりの気持ち、3つの方法を入れることを条件にします。なぜ、あらすじにこのことが必要なのでしょうか。これがわからなければこの活動に意味はありません。
国語の授業としては???が並ぶものでした。

授業検討はグループを活用した「3+1」で行いました。この授業をつくるにあたって、指導案の検討を全体で行い、模擬授業も事前に行ったそうです。参加者も、自分たちの授業として見ていたように思います。そのためか、模擬授業時点ではなかった、気持ちに点数をつけるがかなり話題になったようです。
今回、この市内の大学の学生も20人ほど参加しました。教員志望の学生に少しでも現場で学ばせたいという試みです。そのため、1グループの人数が多く、全員が意見を言うだけで、じっくり話し合って考えを深める時間を取ることができませんでした。気づいたことをあらかじめ付箋紙にまとめ、全員で模造紙にグルーピングするといった方法をとる必要があったように思います。
皆さんからでてきた意見は、どれもなるほどと思うものでした。私からは、皆さんから出てこなかった視点から、2点お話をさせていただきました。1つは授業の進め方にについて、全員参加を意識してほしいこと、もう1つは国語の授業として、教材を超えて共通な見方・考え方、メタな視点を意識してほしいことです。

今回の授業研究では、授業の準備段階から皆さんが前向きにかかわってくれていました。とてもよいことです。今後意識してほしいことは、授業改善の方向性です。中途半端にいろいろと手を出すのではなく、ポイントを絞って取り組む必要があります。本当に基本的なことでいいのです。まずは、全員が同じように取り組むことで、次のステップが見えてくるのです。授業改善のスモールステップを意識してほしいと思います。

「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の申込み開始

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「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の申込みがいよいよ開始されました。愛される学校づくり研究会の会員が前回に引き続き「校務の情報化」のポイントを劇で伝える午前の部と、「楽しく授業研究」するための方法について、会員の模擬授業をもとに考える午後の部の2本立てです。

午前の部は、昨年以上にシャープに校務の情報化のノウハウ、活用のポイントをお伝えしよう、更なるバージョンアップに取り組んでいます。

午後の部は、私たち会員の選りすぐりの授業者による、国語、社会、理科のミニ提案模擬授業を3つの授業検討法を活用して、授業研究を行います。提案授業を見るだけでも損はさせませんが、私たちの提案する授業検討法で授業研究を行うことでより深く授業から学ぶことができることを実感してもらえると思っています。

・授業研究は活性化するために何が大切なのか
・どんな提案授業でも、どんな司会者でも、参加者が「よかった」「勉強になった」「楽しかった」と言える授業研究は可能なのか
・ICTは授業研究に活かすことができるのか

このようなことを参加者の皆さんと一緒に考えながら、楽しく授業研究をするポイントは何かをお伝えします。事前に、私が連載している教育コラム「楽しく授業研究をしよう」をお読みいただければ、当日はより楽しめることと思います。

なお、昨年度は申込み締め切り前に定員となりました。お早目の申込みをお勧めします。

日 時  平成26年2月9日(日) 10:00〜16:30(受付開始 9:30)
会 場  ホテルグランヴィア京都(5F「古今の間」)
参加費  1人 3,000円

なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2014」の招待券が届きます。この招待券は、当日昼食券と引き換えができます。

詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPフォーラムのコーナーをご覧ください。

「楽しく授業研究をしよう」第8回、第9回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第8回授業研究にとって大切なこと、第9回授業研究の何を解決するのかが公開されました。

ぜひご一読ください。
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