予定外の形になったミニ講演(長文)

前回の日記の続きです(若手からもベテランからも刺激を受けた1日(長文)参照)。この日は授業参観の後、「授業力向上のために」と題したミニ講演をおこなう予定でした。しかし、終日授業参観に同行していただいた教務主任から、授業を見ていて課題だと感じたこと、私の話を聞いてもう少し聞きたいと思ったことについて、講演の代わりに質問に答えてほしいとのリクエストがありました。事前の予定を変えるように学校側から要請されることはめったにありません。自校の授業を見て教務主任に思うところがたくさんあったということです。これはとても素晴らしいことです。ともすると、講師に依頼した段階で自分の仕事は終わりという方もいらっしゃる中、自校の先生方の授業力向上を自分の役割として強く意識されていることがよくわかります。私としても、質問に答える形で進めることはとてもやりやすいので、喜んでお引き受けしました。せっかくなので、机の配置もコの字型にすることをお願いしました。

用意された質問は9つありました。それらに一つずつ答える形で話を進めました。

1.授業中に子どもたちを集中させるには?
先生方に、子どもが集中しているかはどこでわかるかをたずねました。別に正解を求めているわけではありませんし、またあるわけでもありません。先生方の発言から話を進めたかったのです。「子どもと目があった時」という答が返ってきました。確かにそうです。子どもと目があうためには、教師が子どもを見なければいけません。目をあわせようとしなければいけません。まずそこから始めることが大切だとお伝えしました。目の他にも子どもの姿勢からもわかります。体が前かがみになっている時が、集中力が高いときです。子どもが教師の話を聞いているが、体が後ろに反っていることがあります。これはどういうことかというと、聞き流している状態です。友だちの発言であればその後教師がまとめるからそれを聞けばいい。教師の説明であれば、その後必ず板書するからそれを写せばいい。そういうことなのです。子どもの発言を教師がまとめない。子どもの発言が終わるまでは、板書しない。子どもたちで、まとめさせる。板書したければ子どもにまとめを発表させて、それを書く。子どもたちが参加する必然性のある活動にすることが大切です。

2.手を挙げる子どもが増えるためには?
ノートを見るとちゃんと答が書いてあるのに、子どもが挙手しないことがたくさんあります。その理由を質問しました。「自信がない」「間違えたら恥ずかしい」という答が返ってきました。確かにその通りだと思います。では、どうすればいいのでしょうか。多くの場合、自信を持たせるという発想になります。そのために○をつけるというのもよい方法ですが、○をつけても挙手してくれないこともあります。隣同士で確認しあうことで、自信を持たせたり、答を修正する機会を与えたりすることができます。この後挙手させると明らかに挙手が増えます。しかし、発想を変えて、間違えても恥ずかしくない、安心して間違えることができる雰囲気を学級につくるという方法もあります。
そのためには、子どもが「否定されない保証が必要」です。正解、不正解を教師や友だちに判断されないようにする。自分で間違いに気づかせ、自分で修正して最後は正解を発表して終わるようにするのです。教師はどんな発言でも必ずポジティブに評価する姿勢を持たなければいけません。教師が子どもの悪いところを見つけようとするチェックする目ではなく、よいところを見つけて伸ばそうとする育てる目で見ることが大切です。また、わかった人と聞けば、わかった子どもしか参加できません。「困ったことない」「どんなことを試してみた」「今の説明聞いてどう、なるほどと思った?」というように、わからない子ども、聞いている子どもが参加できるような問いかけが必要です。

3.「発問」で一問一答を脱するには?
教師が「正解」と言えばそれで終わってしまいます。一問一答では、指名されなければ自分の活躍の機会はなくなります。これでは、ほとんどの子どもは傍観者になってしまいます。
まずは「なるほど」と受け止めて、何人も指名すればいいのです。子どもの答がぶれなければ最後に全員に確認して次に進めていきます。子どもの意見が分かれても、多くの場合正解に収束していきます。この時、間違えていた子どもに再度、「あなたと違う答の人がいるけど、どう?」と問いかけることで、修正する機会を与えることが大切です。修正すれば、「友だちの説明を聞いて、考えを修正したんだね、偉いね」そのことをほめることも忘れません。もし、意見が分かれて収束しなければ、一度まわりと相談して、再度仕切り直せばいいのです。
復習の場面であれば、必ず教科書やノートに正解があるはずです。もし、教科書やノートをめくっている子どもがあれば、「ノート見ている子どもがいるね」とほめて、他の子どもにも行動をうながします。「ノート見ていない人はばっちりわかっているんだね」と動かない子どもにはプレッシャーをかけます。すぐに答を聞くのではなく、教科書であれば「どこに書いてある?」、ノートであれば「いつ学習したっけ?」と問いかけることで、見つからない子どもも見つけられるようにします。最後の方に見つけた子どもを指名して、「なんて書いてあった」とたずねればいいのです。あきらめずに参加すれば評価されることで、低位の子どもにも参加意欲を与えます。ここで、何も見ずに最初に手を挙げた子どもに、「何も見ずにすぐに手を挙げてくれたけれど、さっきの答でいい?」と確認をします。最初に手を挙げた子どもの役割をつくることで、「せっかくすぐに手を挙げたのに」と彼らの意欲が低下しないようにしておくのです。

4.教材研究のポイントは?
小学校では、ほとんど全教科、毎日異なった教材を扱います。教材研究の負担はとても大きいと思います。できるだけ負担が少ない方法である必要があります。そのためには、まず教科書を活用することです。最近の教科書はとてもよく考えて作られています。指導書を頼るより、教科書を読み込むことの方が有効だと思います。たとえば算数でいえば、なぜこれを例にしているのか、なぜこの数値を使うのか、2つの問いの違いは何かといったことを考えるのです。教科書作成者の意図を理解しようとして読むことで、何を大切にすればいいかが見えてきます。
また、教科ごとにスタイルを持つことで、教材研究がスムーズに進みます。教材をスタイルにあてはめようとすることで、どういう流れにすればいいか、どういう発問をすればよいかが見えてきます。たとえば国語であれば、物語を読むときは主人公の気持ちが変わったのはどの場面かを問う、どのように変わったかを問う、どこに書いてあるかを問うといったものです。私がいろいろな教科の授業アドバイスをすることができるのも、教科ごとの基本のスタイルを持っているからです。

5.ペア学習・グループ学習のポイントは?
ペア学習は1対1の関係ですから、逃げられないものです。自我が芽生えてくる中・高学年では人間関係ができていない学級では苦しいことがあります。人間関係をつくることとあわせて考える必要があります。そのためには受け側の活動を意識することが大切です。たとえば、ペアで音読であれば、読み手が意識すべきことを明確にし、それを受け手がチェックする。行や段落単位で、できていればOKサインを出す。読めない文字があったり、詰まったりしたら助ける。また、活動終了後、上手く読めていれば、受け手の子どもが挙手をする。受け手が助けてくれたり、自分を評価したりしてくれるので、人間関係もよくなります。
一方グループ学習は、全員と関係がつくれなくても、かかわり合うことができます。直接関係をつくれない子ども同士を別の子どもが間にはいってつないでくれることもあります。グループ学習では話し合うように指示すると子どもは自分が話し終わると役割が終わったと集中力を失くしてしまうことがよくあります。「聞き合おう」と聞くことを意識させると、常に活動しなければいけないので集中力が持続します。また、一部の子どもがすぐにできるような課題でグループ活動をおこなうと、できた子どもが先生役となって一方的に説明してしまったりします。グループで活動する必然性のある課題であることが求められます。一人ではなかなか解決できないようなジャンプの課題。友だちの助けが必要になる、たくさん探すというような、数を問う課題。こういった課題を工夫する必要があります。
このような課題とは別に、作業のグループ化という発想もあります。グループの形になって、個人作業をおこない、もしわからなければ聞いてもいい、友だちの答を写してもいいとするのです。ただし、友だちに聞かれないのに教えない、聞かれたらわかるまで責任を持って教えることがルールです。手がつかないままで時間が経つのを待っているより、聞いたり写したりでも活動する方がよほどましです。個人で解くことにこだわりすぎないことが大切です。

6.道徳の授業の基本形は?
資料を使った道徳では、資料の読み取りに時間をかけるのはナンセンスです。できるだけ早く資料の世界に子どもが入れるように、時には教師が解説することも必要になります。大切なのは自分の問題としてとらえ、自分ならどうするか素直に言えるようにすることです。万引きを犯罪と知らない子どもはいません。問題は知っていてもやってしまうことです。ルールを教えることよりも、ルールを守れる子どもに育てることです。これは、いくら口で言っても仕方がありません。教師が建前を振りかざしても子どもの心には届きません。たとえモラル的に低い考えでも、教師がそれはよくないと判断したりせずに、受け止めることが大切です。多様な考えに触れ、子どもが自分自身としっかり対話することを積み重ねていって初めて、心は育っていくものだと思います。

7.算数の文章題の指導のポイントは?
教師が一方的に説明してもなかなか解けるようにはなりません。先ほどのグループ学習でも述べましたが、互いの考えを聞き合い、自分たちで解いていくことが大切です。教師の説明は無批判で受け入れなければいけません。友だちの説明は正しいかどうかわかりません。まずは自ら理解し、正しいかどうか判断しようとすることで、力がついてくるのです。わからなければ友だちに聞ける子どもに育てておくことが前提です。

8.子どもたちが授業に意欲的に取り組むためには?
「2.手を挙げることどもを増やす」と基本的には同じことです。子どもたちが安心して授業に参加できる雰囲気づくりが大切です。どんな発言でも、周りから否定されない。教師からポジティブな評価をされる。わからなくても参加できる。こういったことが大切です。

9.前にノートを持ってこさせて○をつけるな、のは?
○つけを教師が前でしている場面をかなり目にしました。前で○つけをしていると、教師は学級全体を把握でなくなります。順番を待っている子どもはすることがないのでまだできていない子どもに余計なちょっかいをかけたりします。学級がざわつく原因です。
また、できない子どもはいつまでもほったらかしのままです。同じ○をつけるのであれば、出前方式で子どもたちのところへ行って、全員にきちんと○をつけるようにしたいものです。

時間の関係もあり、詳しく答えられないものもありましたが、とても楽しく話をすることができました。多くの先生が質問に答えてくれたり、反応したりしてくださいました。予想以上によい雰囲気です。校長も授業にこだわる方で、その日見た授業について本音で話をすることができました。
あと1回訪問の予定があります。子どもたちと先生がどのような姿で私を迎えてくれるのかとても楽しみです。この日もたくさんのことが学べたことを感謝します。

若手からもベテランからも刺激を受けた1日(長文)

昨日は終日授業参観の後、ミニ講演をおこなってきました。これまでの2回の訪問は若手中心でしたが、今回はほぼ全員の先生の授業を見せていただきました。

全体的に子どもは落ち着いていましたが、子どもの集中力が持続しない学級が多いように感じました。当然のことですが、教師が話している時間が長くなるほど集中力が下がる傾向にあります。また1問1答形式の展開も多く目にしました。他の子どもの発言を聞く必然性がないので、聞くことができていない子どもが目立ちます。一方、個々にはとてもよい場面や興味深い場面がいくつもありました。

5年生の社会科で、子どもたちが商店街をつくるという課題に取り組んでいました。班ごとに「老人を大切にする」「エコな商店街」といったテーマを掲げ、模型を作っていました。この時間は子どもたちが互いに他の班の作品を見て気づいたことをメモして発表する場面でした。テーマを元に考えさせることに授業者がこだわって授業を進めたことがよくわかります。作品を見あう場面の指示でも、「テーマ」にそって工夫をしたことで気づいたことを書くように何度も強調します。
残念なことは授業者の思いが強いためか、多くの指示と注意点、ポイントが整理されないままに何度も繰り返されたことです。子どもたちは早く見に行きたいのですが、なかなか話が終わらないので集中力を失くしていきます。最後に今から始めるけど大丈夫かと確認します。質問はとたずねると、1人の子どもが手を挙げました。全体で取り上げる必要のないものだったようなので、授業者はその子どもに対して説明をします。全体の場で話をするのなら、まず全員に質問の内容を共有させてから、全体で説明するなり解決する必要があります。そうでなければ、後で個人的に説明すればいいことです。せっかくやる気を出していたのに、出鼻をくじかれました。そのあとすぐ始めるかと思ったのですが、もう一度いくつか確認をしました。不安であれば、説明した後に板書しておくといった工夫をして、話す量を減らせばよかったと思います。
子どもたちは模型作りに意欲的に取り組んだのでしょう、他の班の作品をだれもが真剣に見ています。テーマにこだわらせたことがよい方向に作用していると感じました。ただ、気づいたことを後で発表させることは伝えられていましたが、その発表の目的がはっきりしません。発表の前に示されるのかもしれませんが、子どもたちはこの時点では意識しないまま他の班の作品を見ています。発表の仕方も含めて明確にしておくべきでしょう。自分たちの発表が他者によい影響を与えるような目的・目標を設定することが大切です。このことを意識して活動を組み立てると素晴らしい取り組みになると思います。

6年生の2学級は算数の比の場面でした。たまたま同じ課題に取り組む場面だったので、その違いをとても興味深く見ることができました。
1つの学級は教科書にあるつばささん、みらいさんの2つの考え方の意味を友だちと協力して読み解くという課題でした。教師ができるだけ説明せずに、子どもたちの説明で進めようという試みです。子どもたちは友だちの説明を一所懸命聞いています。とても集中していました。教師も余計な説明は加えません。協力してということで、何人にも説明させます。ただ気になるのは、発言が必ずしも前の子どもの説明とつながっていないことです。教科書の解き方を理解することと友だちの説明を理解することは必ずしもイコールではありません。わからない子どもは、友だちの説明を理解しようとしているうちに、異なった説明に出会うのでかえって混乱する可能性があります。「○○さんの説明」を補足するのか、「異なった説明」なのか、明確にして指名する必要があります。1人の説明をできるだけ多くの子どもが理解することを目指し、確認をしたうえで、「じゃあ、他の説明できる人」と問い直す必要があると思います。
授業者は、子どもの説明に対してできるだけ介入しないようにしていました。とてもよい姿勢です。しかし、時には「ちょっと待ってね」と途中で止めて「ここまで納得できた」と確認したり、「この数は図のどこにあるの」と問いかけたりして子どもの考えを整理することも必要になります。ポイントはどこかを明確にし、そこを子どもたちの説明で理解させるためのかかわり方にどのようなものがあるかを考えておくことが求められます。これも大切な教材研究です。もちろんかかわる必要がなければそのまま子どもに任せておけばよいのです。
また、授業者は、友だちの説明に対してうなずいたり、首をかしげたりして反応するようにうながしています。子どもに外化をうながし、聞く姿勢を育てることはとても重要なことです。まだまだ子どもたちの反応は少ないのですが、だからこそ、反応した子どもを見つけて「今、うなずいてくれたね。ありがとう」とほめたり、「それって、どういうことか聞かせて」と活躍させたりする場面をつくって評価し、よい態度を強化することが必要です。
何人目かの説明で多くの子どもは納得したようです。自然に拍手が上がりました。とてもよい場面です。だからこそ、ここですぐに次に進むのではなく、「どこがよかった」「どこでわかった」と何人かの子どもに聞く必要があります。拍手という評価をより具体的な評価に置き換え、価値づけをすることが大切です。また、中にはまだわからなかった子どももいるかもしれません。理解できたかどうかを確認した上で、彼らがわかるための活動が必要なのです。授業者は、拍手のあと自分でまとめました。できれば子どもの説明だけで納得させて終わりたいものです。もし、まとめるのであれば、できるだけ、「○○さんが言ってくれた・・・」と子どもの言葉をそのまま使うことを意識してほしいと思いました。
今回は、教科書の子どもの考えを理解するという課題だったので、子どもたちの説明がそれでよいかどうか確認する相手がいないのが難しいところでした。学級の子どもの中から出てきた考えを他の子どもが理解する活動であれば、より子ども同士のかかわりが深くなったと思います。
とはいえ、このような授業に挑戦しているというのはとても素晴らしいことです。挑戦するからこそ、新しい課題が見つかっていくのです。この授業者の意欲と向上心にはいつも感心させられます。私にとっても学びの多い授業でした。

一方もう1つの学級は、2つの考えを別々に取り組んでいました。2つ目の比の値を使う考え方を扱う場面を参観しました。準備段階として、まず2:5=□:10、2:5=4:□といった問題(数字はうろ覚えですが)を教師の主導で解いていきます。比の値2/5を5の下に書き、2と5を線で結びます。2/5の左に×と書いて向きはどっちかと問いかけます。2に2/5をかけると5になるのか、5に2/5をかけると2になるのかを聞いているのです。比の値の基準になる5に2/5をかけると比の一方2が出てくることを意識させようというわけです。矢印を5から2に向かうように付け加えて、反対側の辺にも同じ矢印と×2/5を書きます。これを元に□を求めます。比の関係を表わすことができれば、「与えられた数×比の値=□」という形か、「□×比の値=与えられた数」か、どちらかのより簡単な問題に帰着できます。算数・数学的に汎用性のあるよい考え方です。
1つひとつのステップを授業者が子どもに確認してから、□を求める。続いて説明なしで、自力で解かせる。スモールステップを意識しています。自力で解かせる問題は2:5=□:15です。本時の中心となる課題は、砂糖と小麦粉が2:5で、小麦粉150グラムのときの砂糖の量を求めるものです。よく考えて数も決めています。教材研究をしっかりしていることがよくわかります。
ただ、「×比の値」のところを、もう少していねいに説明してほしいと思いました。比の値は後ろの数を基準に考えて、前の数を後ろの数で割ったものが定義です。そのことから「基準×比の値」で前の数が出ることを意識させたいのです。この後で学習する速さは、進んだ距離とかかった時間の比の問題と考えることができます。時間を基準にしたときの比の値が速さなので、比の応用的な問題と考えることができるのです。比の値の定義と基本的な式の関係を意識しておさえておくことで、うまく比と速さをつなぐことができると思います。
子どもの手があまり挙がらなかった場面がありました。一般的には、挙手の数が少なければ、まず相談させてから再び聞くことが多いと思います。しかし、授業者は1人を指名して答えさせた後、隣同士で相談させました。子どもたちは発言をよく聞いていたのでしょう。しっかりと話し合っていました。また、先に隣同士で相談させてから、挙手させる場面もありました。この時は、多くの手が挙がりました。授業者はそれぞれの場面でどのようなことを意図して進め方を選んだのでしょうか。直接聞くことはできませんでしたが、興味のあるところです。
先ほどの授業とはアプローチは全く違いますが、この授業もとてもよく考えられた、授業者の意気込みが感じられるものでした。
このような授業を比較して見られる機会はめったにありません。とても幸運でした。この2人は、きっと互いに高め合う関係になれると思います。今後の成長が楽しみです。

ベテランの1年生の担任の、国語の授業のことです。好きなものとその理由を話型に従って書くという場面でした。授業者は終始柔らかい表情で、子どもたちをとてもよく見ています。授業者がつくった例文を、はっきりした声でゆっくりと、文節と句点ではしっかり間を取って読みます。お手本のような読み方です。子どもたちが理解する時間をおいてからもう一度読みました。1年生ですのでこのぐらいていねいにする必要があるのでしょう。子どもたちがしっかり聞き取れていたことがこの後よくわかりました。授業の目当てを板書し、続いて話型を書いた紙を黒板に貼ったあと、先ほどの例文では空欄に何が入るか問いかけました。例文を聞いた後に、目当ての確認という別の活動が入ったため、子どもの記憶は薄れる可能性があります。こういう場合はもう一度例文を確認してから問いかけるのが普通です。しかし、子どもたちは、「先生」は「うさぎ」が好きです。「小さくて、かわいい」からです、と大きな声で言えました。授業者はよく覚えていたと子どもたちをほめました。授業者の例文の読み方がよかったから、しっかり理解されて子どもたちの記憶に残っていたのです。
この後続いて、子どもたちに好きなものとその理由を言わせます。発表を子どもたちは集中して聞いています。授業者は子どもの発言をしっかりと復唱します。子どもを受容すると同時に、学級全体に発言を共有させていました。ある子どもが、うさぎが好きだと答えました。その理由は小さくてふわふわしているからでした。授業者の例と同じうさぎであることを共感しながら、その理由の違い「ふわふわ」をしっかりと押さえました。とてもよい対応です。理由をうまく説明できない子どもに対しては、復唱しながら言葉を整理させていきました。さすがベテラン、見事なものでした。
たまたま同じうさぎが出てきた時に共感してみせましたが、「○○さんと同じ△△が好きな人はいる?」と意図的につないでもよかったでしょう。子どもの聞く姿勢もよかったので、そのことをほめたり、よく聞いている子を活躍させたりする場面をつくってもよかったでしょう。
面白かったのが、授業者が黒板の方を向いている時に子どもの集中力が明らかに落ちることです。1年生なので特にその傾向が強いのでしょう。教師が子どもをしっかり見ることが子どもの集中力に影響があることがよくわかります。

6年生の音楽の授業で、全体で次々に曲を変えながら歌うこととリコーダーの演奏とを切り替えていく場面がありました。子どもはよく鍛えられていて、テンポよく進んでいきます。必要に応じて的確な指示が具体的にされます。指導技術の高さがうかがえます。ただ、曲の変わり目や、歌うことからリコーダーの演奏に切り替わるときに、遅れてしまう子どもがいます。全員の準備が整うまで、間奏を続けることをしてもよいのではと思いました。この授業者ならできるはずです。
この場面の前に鑑賞の場面がありました。何人かの子どもに発表させて終わるのですが、発表者の気づいたことに気づけなかった子どももいるはずです。できれば、友だちの気づきを全員が共有できるように、もう一度聞く機会があってもよいと思いました。
残念だったのは、授業者の表情がかたかったことです。私たちが見ているので授業者も緊張していたのかもしれません。子どもたちが緊張気味だったことと授業者の表情との間に何らかの相関性があるように感じました。この授業者が笑顔で授業している場面を見たいと思いました。

ICTを活用している場面で、いくつかの面白い場面がありました。
1つは、副読本を子どもたちに広げさせた後、そのページを実物投影機で映している場面です。地図上の施設を探させるのですが、子どもは自分の手元を見ます。「ここにある」と授業者がスクリーンで示しますが、子どもの顔はあまりあがりません。授業者は見つけたら指で押さえるように指示しましたが、この活動のねらいが今一つよくわかりませんでした。自分で見つけることを大切にしたいのであれば、スクリーンに映して答を示すのではなく、指で押さえて隣同士で確認し合えばよいでしょう。見つけることよりも確認することが大切だと思うのであれば、副読本を開かずに全員に顔を上げてスクリーンを見させた方がより集中できたと思います。
一方、全員に教科書を閉じさせてから、スクリーンに映している授業もありました。子どもたちの集中度が一気に高まったのがわかります。ICTのよさがよくわかる場面でした。
もう1つは、実物投影機を使って作業の手順を説明する場面でした。見事だと思ったのは、手元をほとんど見ずに子どもの方をずっと見ながら、作業を進め、説明していたことです。実物投影機を使い慣れている方でも、なかなか手元を見ずに使うことはできません。そもそも子どもを見ることをよほど意識していないと、手元を見ずに使おうとは思わないものです。ベテランの方でしたが、授業に対する姿勢がそこに現れていると思いました。そのあとすぐに子どもたちは教室の外で活動しましたが、教室での授業場面をもっと見たいと思わせるものでした。

この日は、若手の頑張りとベテランの素晴らしさをたくさん見ることができました。とても刺激的で学びの多い1日でした。
ミニ講演については、日を改めて(「予定外の形になったミニ講演(長文)」)。

伸びる先生の条件(その3)

以前に伸びる先生の条件について書かせていただきました(伸びる先生の条件伸びる先生の条件(その2)参照)。「素直」「謙虚」「向上心」といった資質や「目指す教師像」を明確に持つことが大切であることをお伝えしました。私の授業アドバイスや授業研究をきっかけに伸びる先生は、先ほどの条件を満たしていることはもちろんですが、そのほかにも共通していることがあります。「非日常を日常に変える役割」でも書きましたが、私のアドバイスや授業研究は非日常です。それをきっかけに、指摘されたことを意識して毎日の授業をおこなっていることです。非日常を日常に変えているのです。

わずかな期間で授業がよい方向へ変わった先生に、どのようなことに気をつけたかを聞くと、多くの場合、ほんの1つか2つのことだけを意識したと返事が返ってきます。たとえ「子どもの言葉を否定しない」「いつも笑顔を忘れない」「指示は必ず確認する」といった基本的なことであっても、たくさんのものが上がってくることは稀です。今自分に必要なこと、やれそうなことを地道に毎日続けているのです。
複数の先生方に同時にアドバイスしても、何が残るかは人によって異なります。大切なことは何が残るのかではなく、続くかです。指摘されたことを全部「よし、明日からきちんとやるぞ」と意気込んでも3日坊主では何も変わりません。続けられそうなことに絞って、やり続けていくことが大切です。
意識しておこなっていることもやがては習慣となり、無意識におこなえるようになります。無意識にできるようになれば、次のことを意識しておこなう余力が生まれます。こうして少しずつ、しかし確実に進歩していくのです。

もう一つ共通していることは、子どもをよく見ているということです。意識しておこなっているからといって、実行することが目的ではありません。その先に必ず子どもの姿があります。彼らはどのような子どもの姿を見たいかも意識できています。人は、見たい、見ようと思っていないことには気づけません。漠然と子どもを眺めていても何も情報は入ってきません。意識して見ることが必要なのです。
最近よく例に出すのが信号の赤は右か左かです。これに即答できる人は意外と少ないのです。生まれて今まで何千回と見ているはずなのにです。しかし、意識して見れば誰でもすぐにわかります。子どもを見るということもこれと似ています。おこなっていることと見たい姿が対になって、子どもが見えるようになるのです。子どもを集中させたいと思って顔を上げるように指示したのなら、子どもが集中しているかどうか意識して見ます。集中していることがわかれば、自分の対応はよかったのだと自信がついてきます。集中していなければ、どこがいけなかったか、どうすればよいかを考えます。新たな工夫を自然にするようになります。子どもを見るというのはこういうことなのです。

授業では「一時に一事の原則」と言われるものがあります。指示はいくつかをまとめるのではなく、1つ1つに分けて、できたことを確認してから次の指示をするというものです。教師の成長もこれと似ているのかもしれません。自分にやれることを1つずつ地道に取り組み、確実にできるようにしていく。このことの積み重ねです。伸びる先生は、非日常で得たことを意識して日常に変え続けているのです。
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