授業研究で考える

昨日の日記の続きです(授業参観で学年の状況の違いを考える参照)。
研究授業は、3年生のTTでの英語でした。子どもたちと教師の人間関係のよさが随所に感じられました。この学年に至るまでに培ったものが大きいように感じました。

この日の課題は2年生の復習で、ゲームを通じて疑問文とその応答を練習するものでした。質問文は誕生日、好きな教科、好きな歌手、好きな季節、次の日曜買い物に出かけるか、昨日TVを見たか、・・・など、10文が用意されていました。「5W1H」「過去・現在・未来・進行形」「比較」などを含む文で、何を復習させたいかが明確になっているよいものでした。また、この時期ですので、エンカウンターを意識したものにもなっています。授業者の思いが感じられるものでした。
授業の展開は、ウォームアップで英語の歌を歌い、英語の係が音頭をとって全体で英文の音読練習をします。
この日の課題に入り、まず疑問文を全体で音読し、その意味を簡単に説明して個人で答を考えます。
その後、グループで変形のじゃんけんを使って問題文を選びます。1人が質問をして隣が答え、今度は答えた人が同じ質問を次の人にします。1周してまた初めから繰り返します。たくさんの質問に挑戦できることが目標でした。
その後、全体で今度はT2との1問1答です。誰が答えるかはゲームで決めます。音楽を鳴らし、人形を順番に手渡しでまわして、音楽が止まったときに人形を持っていた人が当たりです。 
確認として、全体に対してT1が質問し各自が自分の答を言い、最後に授業の振り返りを書いて終わりでした。

英語の係による音読の場面です。私の近くにいた生徒は授業で使うプリントを持っていませんでした。自分からは隣の生徒に見せてくれるようには頼みません。隣の生徒も自分からは見せようとしませんでした。そのことに気づいた授業者が2人をつなぎ、忘れた生徒は見せてもらいながら参加しました。プリントを音読するのですが、見せてもらっている生徒は途中で集中力を失くしました。見せている子はそれでもプリントを2人の真ん中に保持していましたが、それ以上の働きかけはできませんでした。
英語の質問に対する答えを書く場面では、先ほどのプリントを忘れた子どもはワークシートも持っていないので作業できません。授業者は机間指導をしていてそのことに気づくのに少し遅れました。しかし、気づくとすぐにその子どもところにとんでいき、ワークシートを渡しました。その生徒はやる気がないのかなかなか手がつきません。しばらくじっとしていました。それに気づいた授業者は、ワークシートの反対側にあるヒントを示しながら具体的にアドバイスをします。すると、その生徒の手が動き始めました。やる気がなかったのではないのです。手がかりがなくて手が止まっていたのです。いくつか答を埋めた後、また手が止まりました。今度も授業者が気づいてアドバイスをすると、また手が動き出します。結局最後まで、自分からまわりの子どもに聞くことはできませんでした。
ワークシートは手がつかない子どものためにヒントも用意してあります。自分で考えてほしいという思いが伝わります。友だちに聞いてもいいとすると、写すだけで考えない子どもが出てくると思ってのことでしょう。しかし、教師が用意したヒントを見てもわからない子どもは、結局教師が個別に対応することになります。たとえ2人いても活動が止まってしまう子どもが出てきます。それよりは、まず写すことでもいいから活動をさせることが大切です。その上で、友だちの答をただ写すのではなく、ヒントを友だちからもらおうとする、写してもどうしてそうなるのと聞ける関係をつくることです。そのためには自分から友だちに聞ける子どもにすることから始める必要があります。
グループでのゲームの場面は面白いことが起こりました。先ほどの生徒は自信がないのか、今一歩積極的に動こうとはしていなかったのですが、班長の子どもに声をかけられることで参加できたのです。その後だんだん表情もよくなり、満足した顔で活動を終えました。授業者が生活班の班長をグループ活動で活かそうとした理由がよくわかります。問題はこの授業が英語の授業なのか、学級活動のエンカウンターなのか位置づけがはっきりしないことです。後者であれば、これはとてもよい場面です。しかし、前者とすると疑問が起こるのです。先ほどの生徒は自分からかかわることができません。まわりの子どももその様子を見てかかわろうとはしていないのです。働きかけるのは班長というリーダーの仕事になっているのです。リーダーがいるために多くの子どもが自らかかわり合えなくなっているともいえるのです。自らかかわり、学び合おうとする子どもをつくるのであればこれはマイナスです。このことに注意しなければなりません。

授業は全体としてそのねらいがよくわからないものになってしまいました。グループ活動は英語と関係ないじゃんけんの場面でテンションが上がります。最初のうち、英語の場面になればテンションが落ちていたのですが、グループ間で進行がずれてくると英語の場面とじゃんけんの場面が重なります。こうなると高いテンションに引っ張られて全体のテンションも上がり、聞くことへの集中力が下がってしまいます。
また、全体でのT2との1問1答もゲーム的な要素でテンションが上がってしまいます。友だちの答を真剣に聞いている子どももいるのですが、自分には関係ないとそこでは集中力が落ちている子どもも目立ちました。質問と答の文をマスターさせるのがねらいなら、もっと英語に関する活動を増やす必要があります。友だちの答が何だったかを英語でたずねる、友だちと同じ答えの人はいないかたずねるといった、聞く必然性のある活動を加えていくことも必要です。ほとんどの子どもたちは最後まで、ワークシートを見ながら答えていました。英語でのコミュニケーションを目的とするならば、達成できていないということです。
全体での授業者の質問に答える場面で1人の生徒が、ワークシート見ないで答えていました。この生徒をほめることで、ワークシートに頼らず自分の耳で聞き、頭で考えて答えることを促したかったところです。

子どもたちの感想は、楽しかったが多かったのですが、学級活動的な楽しさを追求してしまい、学習としての楽しさはそこにはありませんでした。

授業検討会では、ベテランからはこの日のゴールとなる子どもの姿が不明確であることが指摘されました。若手からはワークシートを見ないで質問し答えられることを目標とすればよかったのではないかとの意見が出てきました。よい考えだと思いました。
T2の方からは、まだ子どもたち一人ひとりの力がわからないので、その子に応じた質問を選べなかった。どうすればいいのかということを話されました。その場ではお答えしなかったのですが、基本的にあまり気にしなくてもよいと思います。もし質問に答えられなかったとしても、まわりの子どもに「助けてくれる」とつなげば解決するからです。

私からは、友だちの発言を聞く必然性のある活動、課題を心がける必要があることや振り返りシートは感想を書くのではなく、この1時間で学んだこと、できるようになったこと、わかったことなど自身の変容を書かせるようにすることなどをお話しました。
その上で、別の学校でお話した資料をもとに、特にこの時期に心がけてほしいことを伝えました。

会の終了後、希望者と懇談しいくつかの質問にお答えしました。
その中に暴言を吐く子どもたちにどのように対処すればいいのかという質問がありました。これは、その子どもが家庭などで暴言を浴びて育っているため、その言葉がどれだけ人を傷つけるか理解できていないことが大きな要因だと思います。いじめ対応などでも使われる方法ですが、暴言そのものでなくてもいいので、言葉が人を傷つける場面を設定して、どう思うか、どう対応するかを聞き合うといいでしょう。そのとき、どんな考えが出ても一切評価してはいけません。何らかのコメントが入ると本音が出にくくなるからです。最後に、みんなの言葉を聞いてどんなことを考えたかを書かせて終わります。人によって感じ方が違うことに気づき、自分の言葉が人を傷つけているかもしれないことを知ることでその子どもたちが変わっていくことを期待するのです。また、このことに関連して、傷つけることがわかっていて敢えてそういう行動をとる子どもへの対処も聞かれました。こういう子どもたちは自分が愛されていないと感じているように思います。悪い行動は悪いとはっきり否定するとともに、「あなたのことを好きだよ」というメッセージをしっかり発することが大切です。指導した後に、「話を聞かせてくれてありがとう」「話ができてうれしかった」とIメッセージを送ってほしいのです。ある生活指導の先生の場合、問題行動を起こした子どもに対しての最初の一言は「気づけなくて、ごめん」だそうです。なるほどと思います。こういう姿勢を大切にしてほしいものです。

今年から担任になった先生からの質問は、できるだけほめて学級を育てていきたいと思うが、そうすると気になる子どもはほめられないのでひがむのではないか。そう考えると他の子どもへのほめ言葉も少なくなってしまい、困っているというものです。
まずは、普通の子どもをしっかりほめて人間関係をつくることから始めるべきです。気になる子どもへの対応はその後でよいのです。この回答に対して、よくない状態で夏休みを迎えることがこわいので気になる子どもたちとの関係を1学期中につくっておきたいということでした。厳しいようですが、それは「驕り」だと答えました。まだ経験の浅い教師が学級全体も気になる子どもも同時に対応できるわけがありません。気になる子どもに対しては、他の先生方の助けを借り、相談しながら対応することが大切です。担任が話しできなくても、部活動の顧問が対応できる場合もあります。その子どもと関係を持てている子どもとよい関係がつくれればそこからつながることもできます。自分一人で何とかしよう、解決しようと力まないでほしいことを伝えました。

私が余計な経験を話したので、時間が遅くなり質問を受けられなかった先生もいました。申し訳ないことです。次回訪問時には、もう少し多くの質問を受けられるようにしたいと思います。
昨年度に訪問したときと比べて、子どものよい姿が多く見られたと思います。この状態を起点として、うまく子どもとの人間関係、子ども同士の人間関係をつくることができれば、とてもよくなっていくことと思います。教科の内容面については、次回以降にどのような方向性を持てばよいか一緒に考えたいと思います。この日も多くのことを学ぶことができました。このような学びの機会をいただけていることに感謝です。

授業参観で学年の状況の違いを考える

昨日は中学校の授業参観と授業研究に参加してきました。4月のこの時期、子どもたちのようすがとても楽しみでしたが、学年ごとの状況の違いがとても印象的でした。

3年生は、さすがによい姿をたくさん見ることができました。友だちの発言を聞こうとする姿勢ができています。発表者の方を向くことも自然にできます。また笑顔はどの学年よりもたくさん見ることができました。総じて教師と子どもの人間関係がよいことがうかがえます。国語の授業ではこの作品のジャンルは何かという問いをまわりと相談する場面がありました。子どもたちは、「詩だったら○○だから・・・」というように根拠を明らかにして話しています。根拠をもって話していますのでテンションは上がりません。とてもよい雰囲気です。この時期にこういう状態であるということは、根拠を持って話すことを1年や2年の時からきちんと指導してきているということです。きちんと育ててきていることがよくわかりました。
理科のグループでの発表も、子どもたちの聞く姿勢はとてもよいものでした。発表がよく見えない子どもが、何も言われなくても席を移動し体を伸ばすようにして聞いていました。発表後にはどのグループに対しても自然に拍手も起こります。授業者は異動したばかりの方です。この先生のよさもあるのですが、子どもが育っていることがここでもよくわかりました。ただ、どのグループにも拍手をすることでもわかりますが、形式的になっていることも否めません。礼儀として拍手をしているのでは、ちゃんと聞いて理解していなくても拍手をすればなんとなくそれでよいということにもなってしまいます。拍手をするのなら、その理由、何が素晴らしかったのかをきちんと問うことが大切です。また、1つのグループが、考えがまとまらずに発表することができませんでした。そのグループは他のグループの発表時にもまだ相談していました。わかりたい、自分たちの結論を出したいという思いの強さを感じます。このグループを活かすことを授業者には考えてほしいと思いました。答や結論を発表するものだという考え方がこの学校では強い傾向があります。そうなると答がわかった子どもたちしか発表はできません。そうではなく、困ったことから出発するという考え方も必要なのです。結論が出ていなければ、「どんなことを話したか、みんなに聞かせてくれる」「困ったことを教えてくれる」とたずね、「みんなで助けてあげて」「困ったことをみんなで解決しよう」とつないでいくのです(「わからないところ」から始める参照)。
グループの発表を順番におこなっているのも時間のムダに感じました。同じような発表が続くと集中力が切れてきます。1つの発表の後、「同じように考えたグループはある」「私たちは違うよというグループは?」とつなぎながら、同じところ、違うところを明確にして焦点化することを考えてもよいでしょう(グループ活動の後の発表参照)。
3年生に特に目立ったのですが、友だちとかかわれる子どもがいる反面、かかわろうとせずに1人で取り組む子どもがいることです。子どもが席を自由に立って教え合う場面で特に多く見られました。1人でやれるからかかわりたくない子ども、人間関係ができていない、自分から聞くことができないからかかわれない子ども、どちらもいるでしょう。後者の子どもをつくっている原因の1つは、わからない子どもに対してすぐに教師がミニ授業をしていることです。自分から友だちに聞かなくても、待っていれば教師の方から教えてくれるのですから、友だちとかかわる必要性はありません。教師は教えるのではなく、「友だちに聞いてごらん」とつなぎ役に徹することが大切です。わかるから、できるから1人でやりたいという子どもには、「助けてくれる?」と友だちの役に立つことに価値を見出すように働きかけることが大切です。「助けてくれてありがとう」、教師や友だちにそう言われることで自己有用感を持たせるのです。こういう子どもには、全体の場でも答を発表させるのではなく、考え方を説明させ、みんなが納得したかどうかで評価することや、友だちの考えを代わりに説明させたりすることが大切です。自分が正解できればいいという価値観を覆すことが求められるのです。

1年生は、指示を1つ1つ明確にし、全員ができるまでしっかりと待っている先生が多く見られました。この時期きちんと指示を通すことはとても大切です。「速いね」「○○してくれてありがとう」という子どものよい行動をうながし、ほめる・認める言葉をたくさん聞くことができました。子どもたちはやや緊張気味でしたが、集中して授業に参加していました。緊張気味なのは、教師の側にも理由があります。しつけようとする気持ちが強くなっているためか表情が硬いように感じました。この時期は特に笑顔が大切です。固有名詞でできるだけたくさんの子どもを笑顔でほめることで、子どもたちに認められている安心感が生まれ、緊張感も薄れるのです。また、今の時期はこれでよいのですが、5月に入れば指示を減らすことを意識してほしいと思います。言わずに行動できている子どもを見つけ、「○○さん、言われなくてもやっているね。うれしいな」とそのことをほめるのです。「こういう時はどうするんだっけ?」と具体的な指示をせずに、子どもたち自身で考えて行動するように促すのです。学年全体で取り組んでいけばきっと子どもたちが立派に育っていくと思います。

2年生は1学級40人構成で、教室は1年生時と比べて環境的にとても厳しい状況でした。子ども同士の距離が非常に短く、他の子どもの動きが気になるようでした。そのためか、教師の話を聞いているときの集中力が他の学年と比べて落ちるように感じました。授業規律等は1度リセットして作り直すチャンスなのですが、その意識は先生方からはあまり感じられませんでした。1年生の延長で授業を進めることを優先しているように感じました。昨年の悪い傾向が継続しています。指示が徹底していないのに次の場面に移っていく。子どもたちが聞く姿勢にまだなっていないのに話す。板書しながらしゃべるので、子どもたちが写すことを優先して話を聞かない。この学年だけというわけではないのですが、やや目立ちました。受け身の時間が長いので、グループ活動になると解放されてテンションが上がるか、集中力が切れてしまうことが多く見られました。ワークシートの穴うめをグループでおこなっていることも多く、考えることよりも答を出す、見つけることが優先されていました。
また、答を聞く場面では、ほとんどの子どもが書けているのにかかわらず、ほんの数人しか挙手しないことが気になりました。それでも教師は指名します。子どもに形式的に確認すると、「いいです」と返ってきます。このことをおかしい、まずいと思わないといけません。これは、子どもたちが発言することに価値を感じていないという状況です。間違えれば恥をかきます。正解でも、最終的には教師が言い直し、説明をするので自分が答えることには意味を感じません。これでは、あえて挙手して発言しようとしないのは当然です。子どもが安心して間違えられる教室、子どもの発言をもとにみんなが考える教室にする必要があります。たとえどんな内容であっても、子どもが発言してよかったと思えるようにすることが求められます。この学年に限ったことではありません。このことを大切にしてほしいと思いました。

学年ごとに異なる課題が見えてきました。今後どのようにこの課題を解決していくか、先生方の動きに期待したいと思います。

授業研究とその後の先生方との懇談については日を改めたいと思います(授業研究で考える)。

「楽しい授業研究」の研究が始まる

昨日は、愛される学校づくり研究会に参加してきました。今年度の第1回ということで、まずこの1年の活動予定についての説明がおこなわれました。今年度は楽しい授業研究をテーマに、授業研究の方法について研究していきます。具体的には、会員の代表がおこなう模擬授業に対して、毎回異なる方法で授業研究をおこない、その方法についてよさや課題を検討し合います。その成果を2月に開催するフォーラムで発表する予定です。

今回は、「3シーン授業検討法」で道徳の授業研究をおこないました。ここは参考にしたい、面白い、よくわからない、疑問だと参加者の心が動いた場面をその時間帯とともにメモします。どこで心が動いたかを挙手で確認し、多い順に3つを選び、その場面をビデオで確認しながら検討をします(「楽しく授業研究をしよう【第2回】3シーン授業検討法」参照)。
授業者はテンションを抑え気味にし、子どもの発言をしっかり受け止めています。子どもとのやり取りの基本がしっかりできています。そのためか取り上げられた3つのシーンはいずれも発問と焦点化にかかわることで授業技術に関することは話題になりませんでした。授業者の力量が安定していたことと、参加者の多くがそういった授業技術に関してよく理解していること。逆に、企業の方など授業技術に詳しくない方から見れば自然すぎて意識されなかったことが理由だと思います。
まず、挙手した方に理由を発表してもらい、その意見をもとに授業者、子ども役にも考えを聞きながら話し合いを深めていきます。3つの別々のシーンなのですが、論点は子どもがどのような立場で考えるか、いろいろな視点をどう焦点化していくのかという共通のものに向かっていきました。最後にどのように授業を変えればよりよくなるのかについて、それぞれまわりで話し合い、何人かが発表して終わりました。1時間の授業検討でしたが中身の濃いものになったと思います。しかし、ここまでの検討会になるには授業の質、コーディネータの取り回しの力や参加者の質の高さも大きく影響していることも否定できません。この授業でこのメンバーであればどんなやり方でもよい検討会になると言われれば、確かにその通りです。

「3シーン授業検討法」の検討は私がコーディネートさせていただきました。
今回の授業検討で出された意見は授業者にとっては納得できるものでした。参加者の多くは自分の学校でもやってみたいと思ってくれました。しかし、そうではないという方ももちろんいます。その方たちの意見はとても貴重なものでした。教師集団の質によっては授業者として名乗り出る人が出てこないのではないか。わざわざ挙手で進めなくても検討会の前に一部の人間でどの場面を話し合うか決めてもいいのではないか。なるほどと思います。この点について話し合うことで、授業を見る力もつけることができるというこの授業検討法の価値がより明確になったように思います。

模擬授業を含め、2時間余りの授業検討会とその検討でしたが、頭が休む暇がありませんでした。充実していただけでなく、もちろん楽しい時間であったことをお伝えします。この「3シーン授業検討法」に関する詳細は、5月27日(月)公開予定の、「楽しく授業研究をしよう【第3回】3シーン授業検討法は使えるのか?!」で。

「楽しく授業研究をしよう」第2回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第2回「3シーン授業検討法」が公開されました。
ぜひご一読ください。

「フォロー」という言葉を使わない理由

発言や行動など、子どもが外化した時には必ずポジティブに評価することをお願いしています。たとえ、間違えた発言であっても、「なるほど、そう考えたんだ」と受容し、認めることが大切です。よい行動をほめて強化することや、子どもの失敗をポジティブにとらえて認めるといったことを、「フォロー」という言葉で表現される方がいらっしゃいます。耳にする機会も増えてきたように思います。しかし、私はこの「フォロー」という言葉を使わないようにしています。それに代わる言葉を持っていませんので、子どもの発言や行動を「受容する」「認める」というように具体的に伝えています。特に「受容する」「受け止める」という表現をよく使うようにしています。教師の行動としては同じなのですから、どんな言葉でもよいように思われるかもしれませんが、あえてそうしています。このことについて少し述べたいと思います。

一番気になるのが「フォロー」という言葉が、私にはやや上から目線のように感じることです。「フォローした」という言い方には「してあげた」という気持ちが付随しているように思うのです。間違えた発言に「なるほど、そう考えたんだ。○○さんの考えが聞けてうれしいな」といった言葉を返すことを「フォロー」と表現すると、間違えた発言だけれど子どもが傷つかないように気を使ってあげた。そのように感じるのです。一方、同じ対応でも、子どもを「受容した」「認めた」と表現すると同じ目線で子どもの存在を抱きかかえるように受け止めているように感じるのです。
教師はいつも目下の子どもを相手にしているため、無意識のうちに上から目線で接してしまうことがあるように思います。同じ対応に見えても、目線の高さは微妙な言葉の調子や表情の違いなどで伝わるように感じます。

どのような気持ちで接するかは子どもとの関係においてとても大切だと思います。「フォロー」という言葉を用語として正しくない、「フォロー」という言葉を使われる方が上から目線だと言っているわけではありません。「フォロー」という言葉に感じるニュアンスも人によって違うと思います。ただ、先生方に自然に子どもと同じ目線の高さを意識してもらいたい、子どもを受け止めるという姿勢を持ってもらいたい。そんな私の思いを「受容する」という表現に込めているのです。そして、いや何よりも自分自身が受容する気持ちを忘れないように、自戒の気持ちを込めて使っているのです。私が「フォロー」という言葉を使わない理由です。

塾での子どもの姿の変化に考える

先日、塾の経営者とお話する機会がありました。難関大学を目指す高校生対象の塾です。
最近は以前とは生徒の授業に対する考え方が変わってきたということを聞きました。受験には直接関係はないが、教科の内容に付随して視野を広げるような話をしても、反応が薄いというのです。というか、ムダな話はいいから早く試験に出ることを教えてくれという態度なのです。問題の考え方、アプローチの仕方といったことよりも、解き方そのものを知りたがる、知識を広げることよりも、試験に出ることだけをムダなく覚えようとする。そういう傾向が年々強くなっているというのです。

この話には少なからぬショックを受けました。この塾の対象となっている生徒は、学ぶことに前向きで、たとえ受験勉強といえども興味関心を持って取り組んでいたという印象があったからです。受験に必要な情報をお金で買う。そういう消費者的な態度が学力の上位の生徒にも広がってきているということです。では、学力をつけ、自らを高めるために学ぶという層はどこにいったのでしょうか。
試験に出ることだけを覚えればいいという傾向は、推薦入試の増加とも関係しているように思えます。推薦入試での進学を考えている生徒は、学校での定期試験での成績が重要になります。定期試験はその時授業で習った狭い範囲から出題されますので、塾などで対策を立てることで点数を取ることが容易になります。塾に期待するものは、即効性のある定期試験対策になるわけです。

小中学校では子どもたちが興味関心を持ち、自ら学ぶことを大切にした授業に変えていこうという試みが広がっています。また、そうしないと授業が成り立たないという背景もあります。大学も学生にどのような力をつけたのか社会から問われるようになり、授業評価を導入したりして講義の質を変えようとしています。ところが、多くの高等学校はいまだに出口の大学受験を自らの評価としています。希望の大学にできるだけ楽をして効率的に入りたいという生徒の消費者的な態度と相まって、そこでは本来の学ぶということがおざなりにされているのです。推薦入試も受験対策に追われることなく、自ら興味関心を持って意欲的に学ぶ人材を大切にしたいというのが本来の趣旨だと思うのですが、どうもそのようには機能していないようです。入試の内容が変われば高等学校も変わるとよく言われますが、AO入試などの昨今の大学側の入試改革もあまり効果は表れていないようです。

根本的な解決の方法が私にあるわけではありませんが、少なくとも高等学校の教師が子どもたちのこの状態に危機感持つことが必要だと思います。最も身近に接する教師が何とかしようと思わないことには何も変わりません。
かつて教壇に立っていた時、私は子どもたちから見れば自分の思いを繰り返し話す暑苦しい教師だったに違いありません。私が話すことが子どもたちによい影響を与えていたという自信はありません。今なら、もっとうまい方法を考えることもできたでしょう。しかし、そういう思いもなく子どもたちに接するよりは、まだましだったのではないかと思っています。
危機感を持っていても打つ手がないのかもしれません。しかし、子どもたちに学ぶことの大切さを伝えようと努力し工夫を続けることで、ほんの少しかもしれませんが、この状況を変えることができるのではないでしょうか。これは、高等学校に限らず、どの学校にでも当てはまることです。教師が、目指す姿を明確に持って日々子どもたちと接すれば、きっとその姿を見ることができる。そう私は信じています。

小中合同研修会で考えを伝えあう子どもをどう育てるかを考える

昨日の日記の続きです(授業参観で子どもたちの目指す姿を考える参照)。
小中学校の合同の授業研修会は、小学校の先生方を中心とした生徒役と中学校の研修主任による模擬授業と私の解説、講演でした。小中学校で連携して、考えを伝えあう子どもを育てようという試みです。小学校の先生方に今中学校が目指している授業を体験してもらうことで、そのよさを肌で感じてもらおうというわけです。

模擬授業は昨年この先生に講師をお願いした研修と同じ数学の相似の課題でおこないました(参加者も講師も多くのことが学べた研修参照)。
子ども役の先生方は、実に素直な反応をしてくれます。課題がよく理解できなければグループの人にたずねます。以前の研修会での子ども役と同じように反応します。この授業が対象によって変わらない安定したものであることがわかります。
5つの例をワークシートで埋めさせますが、発表は7人を指名して異なるものを黒板に書かせます。この数もよく考えられています。必ず自分のものと異なるものを書く人がいるわけです。こういうちょっとした仕掛けが、子ども同士のかかわりを作り出します。どの子ども役も、どのようなものが書かれるか真剣に見つめています。書き終わった後、それ以外のものを書いた人がいないかを挙手で確認しました。一つひとつを取り上げなくてもこうすることで子どもは認められたと感じます。

説明をさせる場面では、子ども役は面白いほど実際の子どもと同じ行動をとります。指名されると自分の席で授業者の方を向いて発言します。図で説明するために黒板の前に立っても、横にいる授業者に向かって説明します。発言は先生にわかってもらうことが目的になっているのです。子ども役の先生方の授業でも、同じことが起こっていると想像できます。授業者は、みんなの方を向いて話すように指示し自分は椅子に座りました。もちろん休むためではありません。子どもの視線から外れることで、発表者と聞いている子ども役とが互いに相手を見て話す、聞くことをねらっているのです。この場面が、子どもがだれに伝えようと話をしているのか、だれの話を聞こうとしているのかを、先生方が意識するきっかけになってくれることを期待しています。

指名された子ども役が自分の席で発言するときも、子ども役は授業者を向いて聞いています。授業者が指示して初めて発言者の方を向きます。ところが、次の発言者になると、またかなりの数の子ども役が授業者を見ます。今度は言葉でなく、目があった子ども役に対して身振りや目の動きで発言者を見るように伝えます。これも大切なポイントです。同じことを何度も注意されると嫌になりますし、また一部のできていない人のために注意されると、「彼らのせいでちゃんとやっている自分たちまでしかられた」とできている子どもは悪感情を持ちます。人間関係も悪くなってしまうのです。「○○さん、ちゃんと△△さんの方を向いて聞いているね。いいね、ありがとう」というようによい行動をほめて広げる方法もあるのですが、発言をする前にしないと、子どもの言葉を中断させることになってしまいます。言葉でなくジェスチャーで指示したのはとてもよい判断です。

子ども役の説明が不十分でもそのことを授業者は指摘しません。「納得した人?」と聞くことで、子ども役に判断を委ねます。この時、一部の子ども役が手を挙げませんでした。よくわからなかったのか、説明に欠けているところがあると考えたのか、どちらでしょう。本人に聞くのが早いのですが、この時は後者であることがすぐにわかりました。それは、挙手をしないのが特定のグループの子ども役だったからです。グループの中で共通のことがあるということです。このグループの1人を指名すると、説明に欠けていた言葉「相似」が出てきました。確認したところ、このグループの話し合いで「相似」という言葉が出てきていたそうです。授業者に、もし子ども役から「相似」という言葉が出てこなかったらどうするかをたずねました。「どうして、○○になるのかよくわからないんだけれど、だれか教えてくれる?」と物わかりの悪い教師を演じて、子どもに「教えて」と低い目線で問いかけるということでした。子どもに委ねるということは、思ったような考えがうまく出てこない可能性もあるということです。その時にどう対応するかはしっかり考えておく必要があります。教師が一方的に説明するのであれば、1本の線で授業を考えておけばよいのですが、子どもに寄り添い、子どもの考えや発言から授業をつくろうと思うといくつもの展開を考えておく必要があります。その多くは実際には使われず、授業に現れることはありません。教師の活躍が少なく見える授業は、教師主導の授業よりもより多くの教材研究を必要とするのです。

辺の比を求めるときどうすればいいのかを子どもの言葉でまとめさせます。このような問いかけはどの教科でも大切なものです。この問題、この教材、この場面でしか使えないものではなく、より汎用性の高いメタな考えへと、学んだことを昇華させる問いかけです。
ここで、ねらっていたのと違う発言がでてきました。授業者は問い返しても期待するものが出ないと判断して、受容した上でその考えを板書しました。ねらったことでなくても板書したのは、ねらいに近い発言を板書で取り上げながら深めるつもりだったからです。もし、板書したりしなかったりがあれば、されなかった子どもは自分の発言は間違いだった、教師がのぞんでいた答ではなかった、価値がなかったと思います。いくら言葉で認めてもそのことに気づきます。板書するのなら原則どの発言も板書する必要があります。少なくとも、板書するかしないかを教師が判断している、と子どもたちに感じさせないように注意をしなければなりません。そうしないと、子どもは自分が思ったこと、考えたことを言おうとせずに教師の求めることを発言しようとするようになるからです。
ねらいに近い発言に対しては、「どいうこと」と問い返し、深めていきます。1人のよい発言を受けてすぐに教師が説明するのではなく、続けて何人にも発言させます。同じことでも発言を重ねると何かしら付け足されていきます。こうして、教師が自分の言葉でまとめようとしなくても、子どもたちの言葉でまとめていくことができます。

子どもの言葉を活かし、子ども同士が伝え合う授業をつくっていくために大切なことが、実に自然に伝わる授業でした。この時期に大切にすべきことをたくさん共有することができました。これに続いて私からは、「この時期に大切にしてほしいこと」をテーマにお話をさせていただきました。

子どもたちの目指す姿を明確にして、それを子どもたち伝える時期であること。その姿をできるだけ具体的な場面で伝えてほしいこと。そして、ほんの少しでもできればそれを認め、ほめ、喜ぶことをお願いしました(この時期に子どもに伝えてほしいこと参照)。
また、学校全体で取り組むことが明確になっているのですが、形だけではのぞむ姿になるわけではないことを強く伝えました。別の学校でもお話しましたが(学習会で「コの字の机配置」「4人グループ」について話す参照)、友だちを見ていれば話を聞けるようになるわけではありません。コの字にすれば互いに相手を意識して聞きあえるようになるわけでもありません。もちろんグループにすれば学び合うようになるわけではないのです。あくまでも手段であって、目指すことを意識した教師のかかわり方が大切なのです。
また、互いにかかわり合って学んだ経験が少ない子どもたちであれば、今まで持っていた価値観を変えていくことも必要です。わからなければ友だちに聞く。上から目線でわかった人が説得するのではなく、聞かれたら相手が納得してくれるまで説明する。答が出せることではなく、人の考えを理解する、人に自分の考えを伝えることを大切にする。こういうことに価値があるのだと、子どもたちに伝えることが求められます。そのために教師がどう働きかければいいのかを意識して授業をすることが大切なのです。

先生方はとてもよく反応しながら話を聞いていただけました。この研修会を前向きにとらえていることがよくわかります。小学校と中学校が連携することで子どもたちの成長は加速します。先生方の取り組みの成果は子どもたちの姿となって表れます。今年の11月に研究発表会があります。「見てもらいたいのは先生方ではなく子どもの姿です」と言える学校になっていることと楽しみにしています。

授業参観で子どもたちの目指す姿を考える

昨日は、中学校で授業参観と小学校と合同の授業研修会をおこないました。
この学校は互いに伝え合い学び合う子どもたちを育てることを意識し、コの字の机配置による授業、グループの活動を取り入れようとしています。

授業参観は異動者、若手を中心に4時間おこないました。その際空き時間の先生が何人も同行してくれました。解説をしながら子どもたちのようすを観察しました。
まだ授業が開始されてから3、4日しか経っていないこの時期は、先生方がどのような授業を目指しているかを一番発信するときです。その目指すものを知ることを一番のねらいとしました。
コの字型の机配置にすることは互いに伝え合うためで、反応しながら聞くことが大切であると説明している授業がありました。教師の願いを伝えることはよいことです。しかし、その後の授業は教師が黒板の前で説明をし続けるものでした。子どもの発言の場面はほとんどありません。子どもは体をひねって教師の方を向いています。また、教師の言葉に反応してくれる子どもがいます。ところが、授業者はそのことに気づかなかったのか、何の反応もしませんでした。これでは、先ほど伝えた願いは絵空事です。目指す姿が現れるような授業展開を考える必要がありますし、その姿が見られれば特にこの時期は大げさに聞こえる程に認め、ほめることをしてほしいと思います。教師の願いは建前で、実際には授業を変える気持ちがないと子どもは思ってしまいます。

子どもに友だちの意見を聞いてほしいと願いながら、それと逆行するような教師の動きも目立ちました。

・子どもの発言が終わるや否や説明を始める。
教師の説明を聞けばいいのですから、友だちの発言を聞く必要はありません。
・子どもが発言している途中ですでにチョークを持って板書する準備をしている。
教師の板書は写さなければと思っているので、教師が何を書くかそちらに気持ちがいってしまいます。
・答え合わせで、子どもに発表させて、もう一度正解を教師が言い直す。
これでは、答を発表する子どもの役割は教師に正解か間違いを判定されるだけです。正解でもほめられもしなければ、間違って恥をかくリスク以外何もありません。もちろん、子どもたちは教師の判定を待って、正解だけを効率的に聞けばよいので、真剣に友だちの答を聞きません。

最後の例のように、発言しても間違えて恥をかくリスクが高ければ、積極的に挙手をしようとはしなくなります。実際に多く見られたのが、質問に挙手をする子どもが数人なのに、発表後同じことを考えた人と聞くとたくさん手が挙がるという場面です。この状態をよくないものと認識する感覚が必要です。まず子どもたちが安心して発言できる、間違えることができる雰囲気をつくる必要があります。ここから始めなければ互いに伝え合う以前に誰も積極的に発言しなくなってしまうのです。
残念ながら、この日見た授業は、先生方がどのような子どもの姿目指しているかは伝わらないものがほとんどでした。学校として目指す姿はあり、それを伝えることもしようとしていると思います。しかし、その姿を本当に見たいと思い、その姿をつくるための活動をする。その姿を見つけてほめ、広げる。そういったことが意識されて授業が進められていないのです。

異動したばかりの先生で、グループを使いながら子どもの発言を他の子どもにつなごうとしている方がいらっしゃいました。どんな子どもの姿を目指しているかはよくわかります。しかし、子どもが課題に食いついてくれなかったり、なかなか思うように活動しなかったりすると、子どもたちを動かそうと声が大きくなり自身のテンションを上げてしまいます。苦しみながらも子どもの意見を拾い上げ、いくつかに焦点化していきました。次第に子どもたちが友だちの意見について考え始めました。集中度がぐっと上がってきました。ところが、ここで、要点を教師が説明し板書してしまったのです。とても惜しい場面でした。ここでは、これらの意見についてもう一度グループに戻せば、今度はより多くの子どもがかかわり合えたと思います。
子どもの考えをつなごうとするのは、それまで経験したことのない方にとってはなかなか難しいことです。おそらく以前から意識して実践していたのだと思っていました。ところが、この学校に来て初めて挑戦しているということでした。これにはちょっとびっくりしました。実は研修主任が今年度の授業が始まると同時に自分の授業を公開したそうです。その授業を参考にして挑戦していたというのです。教科も違いますのでそのまま真似をすることはできません。子どもの発言を活かすポイントをその授業からつかんでいたということです。これから工夫をしながら授業を続けていけばきっと大きく成長すると思います。次回の訪問がとても楽しみです。
グループにしたからといって子どもがすぐにかかわり合えるようになるわけではありません。最初の内は、「○○を10見つける」といったたくさん見つけるような課題でグループをつくるとよいでしょう。力のある子どもでも1人では難しいので、友だちの力を借りる必然性があり、かかわり合うよさを実感しやすいからです。このようなことをお話しました。

また、今年異動してきた別の先生は、子どもの発言を笑顔で積極的に評価していました。とてもよい姿勢です。子どものよい発言を他の子どもに復唱させるなどつなぐことも意識していましたが、復唱できなかった時に自分が説明をしてしまいました。惜しい場面でした。ここは、元の発言者にもう一度話してもらうか、他の子どもに復唱してもらい、言えなかった子どもにもう一度復唱させたいところです。最後はちゃんとできたねとほめて終わりたいところでした。まだまだ、1人の子どもが発言するとそれを受けて教師がすぐに説明する1問1答が多かったのですが、子どもたちに求めている姿は伝わってきます。今後よい変化が期待できると思いました。
この先生は次の時間、私と一緒に授業参観してくれましたが、他の先生の授業からとても多くを学んでいました。自分の授業に欠けているところをたくさん見つけたようです。向上心がある先生にとって、この学校はとてもよい機会に恵まれています。グングン成長していくことでしょう。

全体での研修終了後、この日参観した先生方全員に対して1時間ほど話をしました。目指す姿が具体的になっていないことを強く指摘しました。自分の教科では子どもたちにどうなってほしいのか、それはこの授業ではどの場面でどのように行動することなのかと常に具体的にしていくことが大切です。楽しい授業を目指すという先生がいらっしゃいました。しかし、楽しいとは授業のどのような場面でどのようになることかは明確になっていませんでした。楽しい授業を目指すことがいけないのではなく、それが具体化できないところが問題なのです。厳しい言葉が多くなりましたが、この時期だからこそ真剣に受け止めてほしかったのです。

先生方からは知識をどう教えるかが質問として出てきました。試験に出ることを覚えさせなければいけない。そういう言葉も出てきます。「これは試験に出るから大切だよ」という言葉も授業の中では使われているようです。早く簡単に必要な情報を手に入れるという消費者的な態度を助長する言葉です。自分で考えるのは時間のムダで、早く解き方を聞いて覚えることが効率的だ。そう考える子どもをつくってしまうことにもつながります。何が大切か自分でちゃんと考えられる子どもにしてほしいと思います(何が大切か判断する力をつける参照)。
知識は原則として教えるか調べるしかありません。課題を解決するためには必要な知識を身に着けていなければなりません。そのことを教師は意識して、教えるのか調べさせるのか考える必要があります。調べるにしても、考える過程で知識が必要だと気づき、自分で調べる場合もあります。こういうことも考慮して授業を組みてることが大切です。
先生方の話を聞いていて感じたのが、教師が教えないと覚えない、試験に出ると言わなければ定着しないと信じているということです。もしそうなら、知識の定着はとても簡単です。試験に出ると言い続ければいいのです。「あれだけ試験に出るといったのにできていない人がいた」といった試験後のコメントが出てくるわけです。できないのは子どもが悪いと言っているのです。そうではありません。間違いなく授業が悪いのです。知識を定着させる方法を完全に見誤っているのです。学び方を知らないままに教師になったと言われても仕方ありません。今までに受けた授業が悪かったのでしょうか。
教科書に書いてあることを教師が説明しなければいけないということはありません。子どもたちが必要に応じて自分で理解してもよいのです。教師が説明しなければわからないというのは教師の驕りです。教師が説明しなくても自分で知識を得る子どもをつくることが大切なのです。知識は、覚えようとすることで定着するのではありません。利用することで定着するのです。運動で考えればわかるはずです。フォームをいくら教えても実際にやってみなければ身につきません。知識も同じです。定着させるためにはそれを活用する場面をつくることが大切なのです。

終了後も残って質問をしてくれた方が何にもいました。授業がうまくなりたいという思いを感じます。この日見た授業は、課題がたくさんあったかもしれませんが、それだけよくなる可能性もたくさんあるということです。この時期は修正もしやすいときです。よい方向に授業が変わっていくことを期待しています。

小中合同の授業研修については日を改めたいと思います(小中合同研修会で考えを伝えあう子どもをどう育てるかを考える)。

この時期に子どもに伝えてほしいこと

大体どの学校も授業が始まって最初の土日が終わったところでしょう。忙しい毎日を過ごしている先生方も、ちょっと一息入れて新しい週の始めを迎えていることと思います。ゴールデンウイークまでは、もう少し時間があります。大切なこの時期、もうひと踏ん張りして、それまでに子どもたちに最低限のことを伝えておく必要があります。

一つは子どもたちにどうなってほしいかという目指す姿です。学級、授業の規律と言い換えてもいいかもしれません。チャイムが鳴る前に席につく、話し手の方を向いてうなずきながら聞くといった具体的な場面での行動です(目指す学級の姿を具体的にする参照)。わずかな間に完璧にできるようになるわけではありません。時間をかける必要があります。あせって、できていないことを指摘し続けるのではなく、わずかでもできたことを認めることで伝えていきます。できること、できる人を少しずつ増やしていくのです。大切なのは、できる、できないにかかわらず、4月の内にまずその目指す姿を子どもたち全員が理解することです。4月は子どもたちも緊張していますし、今年は頑張ろうと意欲的になる時期でもあります。これがゴールデンウイークで緊張がゆるんだ後ではなかなか浸透しません。また、最初から多くは無理だからと伝える中身を絞るという発想もありますが、今まで許されていたこと、指摘されなかったことが後になってダメと言われても子どもたちは釈然としません。目指すものだけは明確に伝えておくことが大切なのです。

もう一つ伝えてほしいのは、子どもたちの目指す姿を見ることが教師にとって喜びだということです。子どもたちのよい姿に対して、「えらい」「いいね」「すばらしい」とほめて認めるのはよいことなのですが、こういう言い方はどうしても上から目線にも聞こえます。「うれしい」「ありがとう」といった言葉に変えたり、付け加えたりすることで、子どもたちのよい姿を教師がうれしく思っていることを笑顔と共に伝えるのです(主語を意識する参照)。このことを伝えることで、よい行動がほめられるためのものでなく、喜んでもらうためのものに変わります。教師が自分を一人の人間として受容し認めていると感じ、自己有用感が増すのです。今後1年間の学級経営や授業を支えてくることになります。
注意してほしいのは、このことがきちんとできるようになれば、次は、友だちに認められる、友だちの役に立つ、友だちに喜ばれるといった場面をつくることが必要になることです。自己有用感を持つための対象を教師から友だちに変えていくのです。そうしないと子どもの意識が教師にばかり向いて、友だちとうまくかかわり合えなくなってしまうからです。

何かと忙しいこの時期ですが、1年間の学級経営、授業づくりを考えると手が抜けないときです。今子どもたちに伝えておかなければならないことは何かを意識して子どもたちと接してほしいと思います。

いろいろな場面での姿を知ることの大切さを実感する

先日の新卒対象の企業研修の後に懇親会とカラオケの2次会があり、私も参加させていただきました。まる1日の研修でしたので、一人ひとりの個性やよさをかなり把握することができたと思っていたのですが、懇親会や特に2次会でまた別の面にたくさん気づきました。研修ではぐいぐいとグループをリードしていた人が、2次会ではちょっと控えめでそれでも笑顔で場を盛り上げようとしていたり、逆に研修の時はおとなしく見えていた人が、積極的に場を作ってみんなが楽しめるように動いたりする姿を見ることができました。こういう場が得意ではないように見える人も、場の雰囲気を壊さないように自分にできるやり方で上手に参加していました。彼らのよいところをたくさん発見すると同時に、人の姿は場面によって変わることをあらためて感じました。

教師時代は教室で見せる姿と部活動や家庭での姿が異なることはよくわかっていたはずなのですが、研修や授業といった特定の場面でしか接することがなくなって、いつの間にかそのことを忘れていたようです。また、研修中と2次会での印象の差が大きかった人は、後日話を聞くとその日の午前中は体調が悪かったそうです。今回は2次会でその差に気づくことができましたが、もしこういう機会がなければ第一印象が変わることはまずなかったでしょう。第一印象で人を判断することがとても危険だということがよくわかります。人の姿は、場面でもその日の体調によっても変わります。人が見せる姿は常に一面でしかないことを肝に銘じておく必要があります。

このことは、教師にとっては特に大切なことだと思います。授業中の姿一つとっても、教科や授業者によっても大きく変わります。授業研究で自分の授業とは違った子どもの姿を見て驚いたという感想もよく聞きます。部活動や家庭ではなおさらでしょう。学級担任が時間をつくって、自分の授業以外での子どもの姿を見たり、部活動のようすみたりすることはとても大切です。教科担任の先生や部活動の顧問、保護者から子どもの姿を教えてもらうことも、日常的におこなう必要があります。小学校の先生は中学校や高校と違って、学級の子どもに触れる時間が多いため、子どものいろいろな姿を知っています。それでも、いやそれだからこそ、自分の印象に縛られずに、他の視点での子どもの姿を知る努力をしてほしいと思います。
いろいろな場面での子どもたちの姿を知ることの大切さを実感させていただきました。

新卒対象の企業研修で刺激を受ける

昨日は、企業の社内研修の講師を務めました。対象は新卒を中心とした方たちです。
2週間の研修期間の2週目でした。互いの人間関係もできあがってきた段階でしたので、グループワークもとてもよい状態でおこなうことができました。
この企業で、昨年度にもほぼ同内容の研修を実務経験のある方を対象におこなっているのですが、その時と比べて興味深い相違点がありました。
経験者から出る意見は、経験者であるからこその深いものがあったのですが、その反面自分の実務上の立場からの視点に固定されやすい傾向にありました。それに対して新卒の方たちからは、柔軟な視点での意見が多く出てきました。経験を積むことはよいことなのですが、慣れてしまうことが視点の固定化につながっているようです。
また、経験者では、個人の意見を発表する際、ともすると自分の考えを主張しようとして、他者の意見を受け入れない方が多い傾向がありました。企業ですので評価に対する意識も強いのかもしれません。それに対して、新卒の方たちは非常に素直に他者の意見を受け入れようとします。表には出さないがきっと負けず嫌いだろうと思える人も、予想外に素直に受け止めます。経験がなくまだ何もわからないので、謙虚な気持ちになれるのかもしれません。グループワークでも、仲間の発言をしっかり受け止めようとする受容的な態度が多く見られました。
最後に各グループの代表に対して、私が相手役となってロールプレイをおこないました。それぞれに対してパターンを変えながら、対応に困る状況を意図的に作りました。うまくいかない代表者を批判的な目で見ている人は皆無です。「頑張って」と応援しながら、「どう対応しよう」と自分を重ね合わせながら見ていることがひしひしと伝わってきます。わからない者同士だからこそ、助け合おう、一緒に考えようという気持ちが強いのかもしれません。経験がないことがよい研修につながったように感じました。

これは、新卒であることより参加者の個性の問題だと思われるかもしれません。しかし、私には、新卒で経験は少ないがモチベーションが高いことがよい方向に働いているように思えたのです。
基本的に、経験を積むことは人を成長させますが、マンネリとなって考え方が固定化するといったマイナス面も出てきます。経験がないからこそ学べること、よくわかっていないからこその新鮮な視点もあると感じました。これは教師の世界でも同様だと思います。経験を積み、見なれた子どもたちの反応や行動に潜む問題に、経験の少ない者だからこそ気づけることもあるのです。

懇親会の席では、「1+1はなぜ2になるのか?」といった子どものころからの疑問をたずねてくれる方がいました。子どものころの疑問はそのうち忘れてしまう人がほとんどです。それを持ち続けているというのはとても素晴らしいことです。そういう方に出会えてとてもうれしく思いました。どなたも、目にすること、耳にすることを何でも吸収しようとするエネルギーにあふれている方でした。
彼らの意欲的な姿にとてもよい刺激を受け、私も彼らから多くのことを楽しく学ぶことができました。ありがとうございました。彼らに出会えたことと、その機会を与えてくれた企業に感謝です。

「自主か強制か」で考える

教師に対して保護者から宿題を出してほしいという要望が上がることがあります。中学校では、毎週課題を課している学校も多いのではないでしょうか。その一方で、学習は自主的にやるものなので、子どもたちに強制的な宿題や課題を出さずに、自分で計画的に学習させるべきだという意見もあります。学校や学年によっては両者の間で熱い議論が交わされることもあるようです。最近身近でもそういう話を聞くことがありました。

自主的に学習するようになるのが理想ですが、ほっておいても自主的に学習する習慣はつきません。どうしても、宿題などで強制する必要があります。しかし、宿題をすることが学習であり、宿題をやったから十分と思うようになる心配があります。学習塾に通っている子どもの中には、勉強は塾でやっているからと家庭ではほとんど学習しない者もたくさんいるようです。自主的に勉強しないのですから、学年が上がっていくにしたがって宿題や課題が増やされることになります。塾だって宿題を課したりします。そうなると宿題や課題をこなすことで精一杯になり、自主的に学習する時間すら無くなってしまいます。悪循環です。学習は課せられたものを受け身でこなすものだと体にしみついてしまい、高校生になっても課題だ、補習だと強制されなければ学習しない子どもができあがるのです。理想とは程遠いことになります。
自主性を重んじる方は、だから宿題や課題を課すことはよくないと言うわけです。しかし、そういってほっておいたり、自分で学習しなさいと言ったりするだけでは、自主的に学習するようにはなりません。ほっておいてもする子はする。個人の問題だと言ってしまうのはあまりにも無責任です。宿題や課題に代わる方法が提示されなければいけません。ほっておいてもする子はなぜ自主的に学習するのでしょう。目的や目標が明確にあるからでしょうか。それとも学習そのものが楽しいからでしょうか。わかる、できるから楽しいのでしょうか。それとも、評価されることがうれしいのでしょうか。こういう仮説を立てながら、そのための方法を具体的にする必要があります。目的意識を持たせるための手立てはとっているのか。授業で学習が楽しくなるような課題を与えているのか。子どもたちに力をつけて問題を解けるようにしているのか。子どもたちの努力や頑張りをほめているのか。そういうことが問われるのです。

自主か強制か、いずれにしても究極は自主的にやれることです。とりあえず目先を何とかするために強制しても、自主というゴールにたどり着く道筋をきちんと見すえないと全く違うところに行ってしまいます。自主という理想を言うだけで歩き出さなければ、いつまでたってもゴールにたどり着くことはできません。自主か強制かという問題に限らず、ゴールにはどうやってたどり着くかという見通しを明確に示した議論が必要なのです。

学習会で「コの字の机配置」「4人グループ」について話す

先日、学び合いに取り組んでいる市の中学校で学習会の講師をしました。若い職員が増え、「改めて、足下を見つめ直そう」ということで、「なぜコの字の机の配置なのか?」「なぜ4人グループなのか?」ということについて、4月のこの時期にお話をさせていただくことになりました。

コの字の机の配置のよさについては皆さんきちんと理解されているようでした。子どもが友だちを聞き手と意識して話す。聞き手が話し手をしっかり見て聞く。そのような子どもの姿をつくるためには、子ども同士が向き合うコの字の配置が優れているのです。その目指すところを活かすためのポイントをいくつかお話しました。
子どもの視線が子どもに向かなければコの字にする意味がありません。子どもが話しているときに、視線を他に奪うような行為は避ける必要があります。
教師が教室の前に立つと子どもどうしてもそちらを見ます。発言者が教師の方を向いて話し始めたら、友だちの方を向くように指示します。発言中に他の子どもの視線を感じたら、子どもの発言をじゃましないように目や手を使って、話し手の方を向くよう促します。教師がコの字の中に入ることで、視線を中に向けるようにするのもよいでしょう。子どもたちの姿勢を変えることなくやり取りができます。子どもと同じ目の高さまで教師が姿勢を低くすることも有効です。こうすることで、子どもの目線は教師ではなく友だちに向きやすくなります。
話している途中に教師が板書すると、子どもの視線は黒板に移ります(子どもの発言、意見をすぐに板書しない参照)。途中で問い返したりすることもできるだけ避け、途中で言葉をはさむ場合は、視線が大きく動かないようにコの字の中に入るようにします。
もう一つ大切なのが、聞き手が反応することです。友だちを見て話すということは、その反応を見るということでもあります。子どもたちが、うなずきながら聞く、よくわからなければ首をかしげるといった反応をする聞き手に育っていることが大切です。子どもの発表場面だけでなく、教師が話をする場面、授業以外の場面などいろいろな場面で、「○○さん、うなずきながら聞いていたね。△△さん、気づいていた? どんな気持ちがした?」「今うなずいてくれた人がいるね。納得した?」「首をかしげてくれたね。反応するのはとてもいいことだね。何か困ったことがあったのかな? 聞かせてくれる」と反応することを価値づけして聞く姿勢を育てる必要があります。
机をコの字の配置にすれば、子ども同士がかかわり合って話す、聞くようになるわけではありません。教師の意図的なかかわり方が必要になるのです。

4人グループについて、ペア活動との違いをお話ししました。ペアは1対1ですので逃げられない関係です。小学校の低学年では抵抗がありませんが、自我が発達してくる中学年以降はうまく成立しないこともよくあります。その点4人グループはペアよりも緩い関係です。子どもたちにとってよりかかわりやすい場となります。中学校ではペアよりも4人グループの方が使いやすいのです。
4人グループに限らず、学び合いを成立させるためのポイントは「聞く」ことです。一方的に教える、教えられる関係になってはいけません。子どもがわからなければ自分から聞き、聞かれたら一生懸命教える、こういうかかわり方が大切です。友だちに聞ける子を育てるためには、教わることへの抵抗感をなくすことが必要です。その第一歩として、個人作業の共同化があります。聞けなくても、友だちの手元を覗くだけでもよいのです。こうしてわかる経験を積むことで友だちに頼る、聞くことへの抵抗感をなくしていくのです。
4人グループのよさの1つに、活動量の確保ということがあります。子どもたちが活発に活動しているように見えても、実は発言しているのは一部の子どもだけで、多くの子どもは傍観者になっていることもよくあります。4人グループにすることで、子どもたちが積極的に参加する機会を増やすことができます。とはいえ、何でも4人グループにすればうまくいくわけではありません。課題の内容、課題の把握や出力、教師のかかわり方など、4人グループを活かすためにはたくさんの要素を考える必要があります(グループ活動を活かすために参照)。

先生方の考えを拾いながら進めたかったのですが、時間の関係もあり後半は一方的な講義になってしまいました。それでも、皆さん集中して話を聞いていただけ、とてもうれしく思いました。

学習会終了後、英語の若手教師が質問に来てくれました。GDM(「GDM英語教授法研究会」参照)を取り入れている方です。GDMのように、1時間に1つのことをいろいろな形で考え、基本的に個人で取り組むものであれば、最後まで頑張って理解することができる子どもも、教科書や問題演習のように一定時間でこなさなければいけない課題のときに、うまくまわりとかかわれなくて、結局教師が個別に対応しなければならなくなることがあるそうです。どう対応すればよいかという質問です。GDMのようにすべて英語で進む授業でも、最後まで頑張ればわかるという成功体験をしていれば頑張れるものです(子どもが積極的になるには参照)。しかし、限られた時間の中でこなす課題の時には、なかなかそうはいきません。自力では解決できない、うまく友だちとかかわれないのであればどうしても教師が助けてしまうことになります。しかし、教師に教えてもらって解決する経験を積むと、ますます教師に頼り友だちとかかわれなくなります。なんとか友だちとかかわれるようにする必要があります。「聞いてごらん」と友だちにつなぐことはきっとしているのだと思いますが、聞かれた側にわかるまでしっかり説明することを徹底することが必要かもしれません。先ほども述べましたが、最初は友だちの答を覗く、写すところから始めてもよいかもしれません。友だちとかかわることでうまくいくという成功体験を、まず積ませるのです。
とても真剣に授業に取り組んでいるからこそ出てくる質問でした。明確な答を出すことができなくて申し訳なかったのですが、私にとってはかかわれない子どもにどう対応するかを考えるよい具体例になりました。ありがとうございました。

いつものことですが、私がお話する以上に先生方から学ぶことが多い1日でした。先生方に感謝です。

入学式で思う

昨日は、中学校の入学式に来賓として参加しました。

いつものように式に参加する子どもたちのようすを観察していたのですが、校長式辞の際に面白いことに気づきました。式辞ですので、最初は型通りの言葉が並びます。続いて本題に入りました。中学生活を楽しいものにしてほしいという言葉に続き、その楽しさとは何かについての話になりました。そこで子どもたちの集中が明らかに上がるのを感じました。それまでも決して悪い態度であったというわけではありません。静かに聞いていたのですが、顔がより上がる、姿勢を直すというようにしっかり聞こうという姿勢を見せたのです。在校生だけでなく新入生も同様です。子どもたちは、話のどの部分が大切なのかちゃんと聞き分けているということです。優秀な子どもたちです。大切なことに集中するというのはとてもよいことです。その一方で、最近の子どもに感じる功利性にもつながることではないかと懸念を持ちました。過程を省いて早く結果をほしがる。コストをかけずに早くよいものを手に入れたいという消費者的な行動につながることのように感じたのです。実際のところはわかりませんが、このことを心にとめて彼らを見ていこうと思います。

入学式に続いて始業式です。私たち来賓は入学式で退場ですが、この市独自の制度である地域コーディネーターの方はそのまま始業式も参観されました。毎年のことです。機会があれば、少しでも学校の情報を得よう、子どもたちのようすを見ようという姿勢の表れなのでしょう。地域がかかわるといっても、決められた会議等に参加するだけという形式的な役職も目にします。そうではなく、本当に自分にできること、自分がなすべきことを考えて子どもたちのために、学校のために何ができるかを考えていることがよくわかります。保護者や教師だけでなく、こういう方々の支えがあってこそ、子どもたちがよりよく育っていくのです。私も微力ながら少しでもお役に立てるように努力したいとあらためて思いました。

介護に携わる方から学ぶ

昨日、介護に携わっている方とお話をする機会がありました。そこで、「いろいろな施設をまわったがその施設が一番自分にあう」といってくださる利用者が多いということを聞きました。「○○(施設名)だから、行く」。そう言ってもらえる施設だということです。学校も同じですね。「行かなければならないから行く」のではなく、「行きたいから行く」。そうありたいものです。
どうして、そう言っていただけるのか聞いてみると、雰囲気がよいということでした。笑顔がとても多い施設なのです。もう少し具体的に聞くと、職員と利用者だけでなく、利用者同士の関係もよいということです。新しく来られた方に対しても、利用者の方が積極的に声をかけてくださるというのです。なるほど、納得させられます。こういう話を聞くと、この雰囲気がどのようにしてつくられているのか気になります。さらに聞くと、利用者同士の相性なども考慮して座席も決めるなど、人間関係にとても配慮しているそうです。もう一つは、ムードメーカーになる職員の存在でした。この方は、「○○さんすごい」「すばらしい」「○○さんきれいだね」と、とにかく利用者をほめるのだそうです。介護施設の利用者は家族の世話になることが多く、家庭では肩身の狭い思いをしているのだと思います。だからこそ、ほめられることはとても力づけられることに違いありません。この方に、「どうして、ほめようと思ったのですか。教えてもらったのですか?」とたずねてみました。すると、「いろいろやってみて、利用者さんが一番笑顔になるのはほめたときだったから」という答でした。これには感動しました。「利用者さんの笑顔が見たい」という思いで接することで、「利用者から学ぶ」ことができるのです。この姿勢であれば、利用者に選ばれる、愛される施設になるのもうなずけます。

ここでの話は、学級経営や授業にもつながることです。介護の職員を教師に、利用者を子どもに置き換えるとよくわかります。教師と子どもだけでなく、子ども同士の関係をよくする。認め、ほめることで子どもたちに自己有用感を与える。目指す子どもの姿を明確にして、その姿が見られるように工夫し、子どもの姿から教師も学ぶ。異業種とはいえ、その構図はとてもよく似ていました。介護も教育も「人を前向きにする」という意味では同じなのです。

この日お話を聞いた方は、どなたも介護の仕事に対して誇りと熱い思いを持っておられました。こういう方々に介護の現場は支えられているのだと実感しました。学校現場も同じですね。素敵な方々からとても大切なことを学ぶことができました。ありがとうございました。

年度当初の動きを整理する

この時期学校ではいろいろな会議が続いていると思います。職員会議では担当者からの諸連絡やそれに伴う印刷物がたくさん配られます。入学式や始業式に続く何日は、検診など日ごろとは異なる日程で動きます。子どもへの連絡事項も多くなります。
ここで、勧めたいのが情報の整理です。年度当初の動きに関する情報の中から自分の学年・学級に関係するものだけを抜き出し、子どもに伝えるもの、保護者に伝えるものをそれぞれまとめるのです。日程と場所、移動の方法、提出する書類。新入生であれば、式での並び方も示しておくとよいでしょう。日ごとの持ち物(翌日の分も合わせて書いておく)など、連絡すべきこと、伝えたいことを別の紙に書き出すのです。それと同時に自分のためのチェックシートもつくり、期限などもあわせて書いておきます。パソコンやスマートフォンのスケジュラーなどを利用してもよいでしょう。
年度当初はあわただしく、確認もおろそかになりやすいときです。自分の手で作り直すことで、子どもや自身の動きを見通せます。情報をコンパクトにしたものを印刷して配っておけば、確認も容易で連絡漏れも防げるのです。

年度の初めは、学級づくりにとって一番大切な時です。黄金の3日間、1週間という言葉もあります。一方でイレギュラーな日程で落ち着かないときでもあります。できるだけ落ち着いて学級づくりに専念するためにも、それ以外のことに教師も子どもも振り回されないようにしたいものです。余裕を持ってスムーズに動くためにも、スタート前に少し時間をかけてこの時期の日程、連絡事項などの年度当初の動きを整理しておくことを強く勧めます。

グループ活動を活かすために

グループ活動を取り入れる授業が増えてきています。グループ活動を活かす場面やポイントについて考えてみたいと思います。

まず、どのような課題に取り組むのかが大きく影響します。
課題は何を求めているのかゴールがはっきりしている必要があります。授業者自身がゴールを明確に意識できていないまま、「○○についてグループで考えて」と指示する場面によく出合います。それまでの活動で、「考える」に対してどのようにアプローチして、何を出力すればよいかを子どもたちがわかっていればいいのですが、そうでなければ、ただ「思いついたこと」をおしゃべりするだけの活動になってしまいます。解決すべきものが何かがはっきりしていなければなりません。「○○についてどう思う。自分の考えを発表し合って」といった問いかけも同様です。「私はこう思う。あなたはどう?」と、ただ、発表するだけで考えが深まる活動にはなりません。根拠を求める課題、根拠を聞きあう必然性のある課題でなければなりません。子どもが育つまでは、「友だちの考えを聞いて、なるほどと思った意見をメモして」「自分の考えにつけ加えて」「一番納得した意見に印をつけて」「納得した理由を聞かせて」といった指示や、働きかけも必要になります。

数学などで「問題を解く」ことはゴールが明確で取り組みやすいものです。個人で問題を解くとき、グループにして「わからなかったら友だちに聞いてもいいよ」とすることで、かかわりあいながら取り組むこともできます。個人作業の共同化です。それに対して、グループで1つの問題を解くときには注意が必要です。比較的易しい問題だと、すぐに答がわかる子どもができます。額を寄せて考え合うことなく、わかった子どもがミニ教師となって教え始めます。聞く側が説明を聞いて、自分の言葉で説明できることを目指せばよいのですが、友だちの答を写して満足してしまうこともよくあります。全員が悩むような、ジャンプの課題を用意できればよいのですが、毎回それも難しいことです。答を出すことではなく、説明できることをゴールとする必要があります。グループ活動のあとは、答そのものではなく、どう考えたかといった過程や解き方の説明を発表させるようにすることが大切です。そうすることで、説明に対して、「それってどういうこと?」「よくわからない。助けて」と聞き返す場面が生まれてくるのです。

「○○って何?」と知識を問う場面で、グループ活動をおこなうこともよくあります。知識ですから考えても仕方がありません。調べることが活動になります。ゴールがはっきりしているので、取り組みやすい活動です。これも、個人で調べて見つからなければ友だちに聞くという個人作業の共同化とグループで1つのことを調べる場合があります。前者は、友だちの調べた結果を写すのではなく、どうやって見つけたか、どこでわかったのかということを大切にする必要があります。学び合うためには、単に結果を問うのではなく、そこに至る過程を共有することを意識させなければなりません。一方後者は、それぞれが調べたことを持ち寄って、それをもとにまとめるようなものである必要があります。資料や事典などで調べればその説明が載っていて、それを写せば終わるようなものではいけません。いくつかの知識をもとに、自分たちの言葉で説明するようなものである必要があります。
また、効率的に調べさせるためにグループを活用することもあります。考えるためには根拠となる知識が必要です。素早く必要とする知識を集めて全体で共有化し、今度はそれをもとに考える課題にグループで取り組むのです。

グループ活動に入る前の子どもの状態も大切な要素です。
課題を提示して、全体で子どもに問いかけても反応がない場合があります。意見が出なくて授業を進められなくて「じゃあグループで考えて」とすぐにグループ活動に移ることがあります。子どもたちがグループ活動になれていると、それらしく話し始めたりします。しかし、こういう場面では、子どもがどういう状態なのかをしっかり把握したうえでグループ活動に入るべきかどうか判断する必要があります。
子どもが反応しないのは、課題をきちんと把握できていないことが原因であることが多いようです。何をすればいいのか、何を答えればいいのかよくわからないので、反応できないのです。このような状態でグループ活動に入っても、何をしていいのかわからないのですからうまくいきません。それでも子どもたちが育っている学校では、何をすればよいのかを自分たちで考えることから活動を始めます。子どもたちに救われている授業です。子どもは立派ですが、授業としては「???」です。
また、課題が自分たちのものになっていないときも、子どもたちの反応は薄くなります。なぜこの課題に取り組むのかわからない、子どもたちとって必然性のない課題であれば、課題に対して意欲的にならないのです。この状態でグループ活動に入ると、課題自体は把握できているので活動は進みますが、何らかの答がでるとそれ以上追究しようとはしません。教師が一方的に課題を提示するのではなく、子どもとのやり取りの中から課題が生まれてくるように働きかける必要があります。
逆に、子どもが課題を自分のものとして真剣に考えているときにも、反応が現れないことがあります。すぐに答が出ないような課題に対して深く考えていれば、すぐに反応できないのです。こういう状態であれば、できるだけ早くグループ活動に入るべきです。すぐに口を開かないかもしれませんが、次第に額を寄せ合って相談し始めます。
子どものようすから課題に対する状態を把握することが大切です。見てわからなければ、確認するための方法を用意する必要があります。「わかった?」と聞いてもあまり意味はありません。もし聞くのなら「困ったことない?」と答えやすい言葉を選びます。「何を求めればいいのか」とゴールを確認する。「どうすればうまくいきそう」と見通しを全体で共有するといったことが必要です。

これとは逆に、グループ活動に入る前に子どものテンションが上がっていることがあります。子どもが課題に対して意欲的になっているのですから、グループ活動に早く移ればよいように思いますが、往々にして危険な状態であることがよくあります。子どもたちのテンションが上がるのは、根拠を求められない無責任な状態であることが多いからです。英語の授業で寸劇をグループでおこなう、つくるといった活動などでよく見られます。課題の提示で教師が見本を面白く見せます。活動が見えやすいので子どもたちは興味を持ってくれます。見本と同じ寸劇をやらせるのであれば、ただやればいいだけです。そこに、考えたり工夫したりする余地はありません。寸劇をつくる場合はどうでしょうか。この場合はその内容を考えるのですから、学び合いが成立するように思います。しかし、寸劇の内容を決める段階では、「面白そう」「こんなのはどう」と根拠なく思いつきで意見を言うことができます。内容を決めて英語に訳する段階では落ち着きますが、それまではテンションが上がるだけの、教科としてはあまり意味のない活動になっているのです。
先ほどの課題の話とも重なりますが、ただ活動するのではなく、発音やイントネーションの目標を設定することや、寸劇の流れはこちらで決めておいて英語に訳するところから始め、教科の内容と直接関係ない活動は省くといった工夫が必要になります。
テンションが高いことは、意欲的でよいことではありません。根拠を必要としないグループ活動は子どもを無責任な状態にしてテンションを上げるだけです。根拠がなければ足が地についた議論をすることもできません。そこでは学び合いは起こらないことを強く意識しておく必要があります。

全体での追究場面で、意見が分かれることがあります。子どもから出た意見が焦点化され、新たな課題が生まれてくる場面です。こういうときの子どもたちのようすは様々です。議論が白熱してきて活発に意見が飛び交うこともあります。自分の考えは持っていたのだが、話を聞いているうちに「わからなくなっちゃった」と混乱してしまう子どもも出てきます。子どもたちが考え込んで意見が出なくなることもあります。意見が飛び交っていればいいように思うかもしれませんが、議論についていけない子どももできます。次第に一部の子どもだけで議論が進んでしまいがちです。混乱しているということは、考えているということです。しかし、整理できていないわけですから挙手して発言することはできません。こういう場面は全体での話し合いをいったん止めてグループに戻すことが有効です。自分たちから出てきた考えや意見から課題が生まれているのですから必然性もあります。グループにすることで気軽に考えを聞きあえ、考えを深めていくことができます。
また、グループや個人の活動の後の発表で、考えてもいない視点や事柄に基づいた意見が出たときもグループ活動に移るとよい場面です。今までそのような視点で考えていなかったのですから、考える時間が必要です。その視点や事柄をもとにドンドン進まれても、ついていけません。「同じところに線を引いたグループはいる? いないね。すごいね。もう一度グループになってこの図で考えてみて」とその視点をもとに考える場をつくるのです。

発表の仕方もグループ活動のあり方に影響します。答をグループで一つにまとめる形をとると、どうしても力の強い子の意見が通ってしまいます。納得できない子どもに無理やり従わせることは意味がありません。意見の対立があってもそれが学級全体に広がることもありません。また、発表者を事前に決めると他の子どもが傍観者になってしまうこともよくあります。結論は極力各個人に任せるようにしてほしいと思います。グループの考えを聞くのであれば、あらかじめ発表者を決めるのではなく、その場で指名するようにするとよいでしょう(グループ活動の後の発表参照)。小型のホワイトボードなどを使って発表させるのであれば、ペンを何本も用意することで、みんなで書き込むようにすると共同の作業となります。発表もみんなでつくるような工夫が必要です。

グループ活動は、子どもたちが中心となっておこなうので、教師のコントロールはおよばないように思うかもしれません。しかし、課題の設定や発問の「てにをは」一つでも子どものたちの動きは変わっていきます。子どもたちの学び合いが生まれるようにするためには、細かな指示や直接教えること以外に、本当に多くの仕掛けや働きかけが必要なのです。ここに書いたことはグループ活動を活かすためのほんの一部分です。この他にも大切なことはたくさんあります。グループ活動を活かすために必要なことは何かを常に意識し、工夫し続けてほしいと思います。

子どもの発言、意見をすぐに板書しない

子どもの考えや意見、答などを発表させたあと、すぐにその内容をまとめて板書をする場面を目にします。中には、発言の途中で板書を始める方もいます。長い発言なので忘れてしまわないようにということなのでしょう。しかし、教師が板書することで、子どもは友だちの考えを聞いて理解しようとするのをやめ、板書されたことで理解しようとするようになります。教師がまとめてしまえば、不完全な発言を子どもの言葉で修正するという活動もなくなってしまいます。友だちの方を見て話を聞いていたのに、教師が板書を始めると黒板の方を向いて目で追う、ノートに写し出すといったこともよくあります。また、板書したりしなかったりすると、子どもは板書される考えがよいと判断します。ますます板書を写そうとするようになります。どのようにするとよいのでしょうか。

まず原則として、子どもが発言している途中では板書をしません。もし、発言が長いようであれば言い終わってから、「なるほど、しっかり話してくれたね。どう、みんな○○さんの考えわかった」と確認します。何人かが理解できているようであればその子どもに、ほとんどなければ本人に、もう一度説明させます。まずは子どもが友だちの発言を理解すること、理解してもらおうとすることを大切にするのです。その上で、もう一度説明させることで、じっくりと理解する機会をつくるのです。今度は、一度聞いた後ですから、途中で止めながら、「ここまで、どう? 納得した」と確認してもよいのです。
どうしても板書したいことがあれば(「何を板書するか」参照)、「ちょっと待って」と発言を止めておこないます。時間をかけずに、メモでよいのでポイントを絞り、できるだけ子どもの言葉をそのまま書くようにします。時間をかけると子どもの聞く意欲も、発言意欲も低下します。また、子どもの言葉を修正したり、まとめたりすると、子どもは自分の発言がまずかったのかと考えたり、教師の言葉を使って言い直そうとしたりして、子どもが混乱するからです。
いずれにしても、板書を見る、写すといった作業と友だちの発言を聞く場面ははっきりと分けることが大切です。

発言が終わったあとすぐには板書せずに、まずその考えを他の子どもにつなぐこと意識します。先ほども述べたように、教師が板書をすると子どもの思考は途切れます。「なるほど、今の○○さんの考えどう。なるほどと思った?」と学級全体に広げ、つないでいくのです。子ども同士でその意見をもとに発言を続けることで、板書に頼らず自分たちで理解し、納得することを目指すのです。こうなれば、あえてまとめを板書する必要はありません。もし、まとめが必要だと思えば、ノートに自分でまとめさせればよいのです。子どもが育っていないので、不安だというのであれば、まとめを子どもに発言させる方法もあります。何人かに発表させて確認するのです。「みんなの意見でいいと思ったところはどこ」と発言のよかったところやポントンに絞って確認するのもよいでしょう。板書をするのなら、できるだけ子どもの言葉のまま、もし修正するのなら「今言ってくれたことは、△△ということでいいかな」と子どもに確認をしながら書くようにします。

子どもの発言をすぐに板書することは、子どもの考えや発言を教師の言葉に置き換えることにつながります。自分たちで理解し考えを深めることを大切にするならば、子どもの発言や意見をすぐに板書しないとう判断もあるのです。

実物投影機でノートを映す(その2)

実物投影機でノートを映すときは、作業が終わったあとが多いと思いますが(「実物投影機でノートを映す(その1)」参照)、途中で使う方法もあります。子どもたちの多くが見通しを持てていないときや、作業の途中で手が止まっているときにヒントとなりそうなノートを見せるのです。このとき、ノートの内容の説明をする必要はありません。作業をやめさせてノートを見せるだけでいいのです。見せるノートはまだ途中でもかまいません。また、全体を見せる必要もありません。「ちょっと作業をやめて。○○さんのノートを映すよ」とポイントなる部分だけをズームアップして見せればいいのです。何人かのノートを見せたあと、「自分のやり方でもいいし、みんなのノートを参考にしてもいいからね」と作業を続けさせます。余計な説明を加えないことで、自分の力で情報を読み取ろうとするようになります。もちろん「よくわからなければ、友だちに聞いてもいいよ」とすることで、かかわりあうきっかけとすることもできます。

子どもたちが自分で読み取る力がまだ育っていないならば、「こんな図を描いているよ。このあと、○○さんはどうするのかな?」「最初に、こんな式を書いているね。これは何を計算しているのかな?」「これは、どの資料を見たのかな?」と、読み取る視点だけを示してもよいかもしれません。
本人に説明させるのも悪くはないのですが、どうしても時間がかかります。映されたノートを見て見通しを持てた子どもは早く作業に戻りたいと思います。ここは、テンポよく進めたいところです。

「わからなければ、友だちに聞いてもいい」といっても、なかなか聞けない子どももいます。まずは、友だちのノートを覗き込むことができるだけでもOKです。映されたノートを見ることで、友だちのノートを見るよさを知ればそのきっかけとなります。説明せずにただ見せることには、こういうねらいもあるのです。

意図的に使うことで、実物投影機でただノートを映すことも、とても効果的な手法となります。ICT機器は、こういう手間がかからず、効果的な場面で利用することを心がけたいものです。

新年度になりました

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