中学校で講演

昨日は中学校で講演をおこなってきました。学級経営を中心にこの時期チェックすべきことをお話しする予定でした。講演に先立ち学校全体の授業の様子を1時間参観させていただきました。

全体の印象は目指すべき授業規律を教師が具体的に意識できていないということでした。教師が黒板に向かって話す。子どもが板書を写しているのに話していたり、教科書を開くように指示しても全員がまだ開いていないのに指名したりといった場面を目にしました。子どもの話を聞く姿勢も気になりました。教師の方をしっかり見ている生徒が少なく、体が反っている子ども、取り敢えず体は起きているが教師の方を向いていない子どもが目立ちます。いわんや友だちの方を向いて話を聞いている姿はほぼ皆無です。子どもたちが話を聞くことに価値を見出していないことがよくわかります。一問一答形式で授業が進み、子どもが答えた後、すぐに教師が説明し、続いて板書します。最終的に板書を写せば困らないのですから、聞くことに意味がないのです。
先生方にやる気がない、いい加減というのではありません。どなたも一生懸命に授業に臨んでいることは伝わります。しかし、目指す子どもの姿が曖昧なまま授業を進めてしまっているのです。漠然と子どもが話を聞いてくれることを意識はしているのですが、子どもがどのような姿になっていればよいのかが明確になっていないのです。

今年度「生徒が主体的に活躍できる場を保障し、存在感や自己肯定感を育てる」ことを目標とされたそうですが、目標を達成する手立てもまだ共有化できていないと感じました。
そこで、講演は当初予定していた「この時期にチェックすべきこと」についての話を減らして、子どもが活躍できる場をどうつくるか、自己肯定感をどう育てるかについての基本的な部分をより多く話させていただきました。

まず第一歩は、安心して暮らせる学級をつくることです。その基本は学習・生活規律が守られていることです。そして、子どもが教師からも仲間からも認められことです。ここで気をつけなければいけないのは、教師が話して聞かせば規律が確立する、注意をすれば守られるようになるわけではないことです。ほんの少しでもできたことを認め、一人でもできればそれをチャンスととらえ広げる。足りないところを指摘するのではなく、進歩をほめる。こういう姿勢で臨むことが必要になります。また、教師だけでなく、友だちに認められる場面をつくることも大切です。
認められる場面をつくるには、子どもが外化してくれなければ話になりません。そのためには外化をうながすと同時に、外化したことに対してポジティブに評価することが必要です。常に、「わかった人」と問いかけられれば、わかった子どもしか答えられません。わからない子どもが発言できるような工夫が必要です。「困った人いない?」とわからない子どもに寄り添うことや、「今の○○さんの意見を聞いて、なるほどと思った人」と、わからなくてもちゃんと聞いていれば参加できるような問いかけが大切です。また、子どもが意を決して発言しても、誰も聞いていない、評価されなければ否定されたと感じます。まずは、子どもの発言をしっかり受け止めて、受容する雰囲気を学級全体につくる必要があります。子どもの発言に、教師が笑顔で「なるほど」とうなずく。指名する時も、「○○さん答えて」ではなく、「○○さんの考えをみんなで聞こう」と友だちの考えを聞くことをうながし、仲間が聞いてくれる環境をつくる。こういうことが大切になります。

時間の関係もあり、基本となることだけに絞りましたが、こういったことを意識するだけで子どもたちの表情は変わっていくはずです。まずは教室に安心感が生まれることを期待しています。

講演終了後、教頭と懇談する時間をいただけました。授業参観の時に同行いただいたのですが、その際に私が指摘したことに関することや講演の内容を具体化するための視点などをたくさん質問いただきました。また、担当教科が国語ということで、国語の授業の進め方についてもお話することができました。いろいろな研究会や研修に積極的に参加されている方です。私にとっても参考となる話をたくさん聞かせていただきました。今年度の異動で赴任されたのですが、この学校に新しい刺激を与えてくださることと思います。

次回訪問時に、学校にどのような変化が起こっているかとても楽しみです。学校の中に教師の笑顔も子どもの笑顔も増えていることを願っています。

用語や抽象的な概念を理解するための活動

子どもたちにとって、用語や抽象的な概念を言葉の定義だけから理解することはとても難しいことです。試験のために定義をそのまま覚える子どももいますが、それでは身についたとは言えません。本当に理解し活用できるようになるためにはどのような活動が必要なのでしょうか。

1つは具体例からその用語や概念の必要性に迫ることです。
たとえば、正三角形や二等辺三角形といった用語を教えるとき、いきなり定義から始めるのではなく、仲間分けから始めます。活動を通じて、いくつかのグループに分かれることに気づき、それぞれに特徴があることがわかります。これらを区別する必然性ができるので、用語を定義することが自然な流れとなります。子どもの視点で仲間分けの規則も見えているので、それを整理して用語を定義します。

ある学校で、野外活動にむけて、TPOを踏まえた行動をとることを考えさせる場面に出会いました。この時、TPOとは何かから始まっていたのですが、「時(Time)、場所(Place)、場合(Occasion)に応じたふさわしい服装(行動)を選ぶこと」といってもなかなかピンときません。「電車の中で友だちとおしゃべりするときはどんなことに気をつける?」「じゃあ、休み時間の教室では?」「何が違うのかな?」といった具体的な場面での行動を問いかけ、子どもたちが何を意識して行動を変えているかを取り上げます。自分たちが意識していることを整理していくことで「TPO」という考え方にたどり着けます。このようにすることで、自然に用語や考え方を理解することができるのです。

もう1つの方法は、逆に定義を具体的な場面に適用することです。
先ほどの三角形の例であれば、いろいろな三角形を提示してその名前を問います。ここで、大切なのは、ただ名前を言うだけでなくその根拠を示させることです。

「この三角形は何三角形? ○○さん」
「二等辺三角形です」
「理由は?」
「この辺とこの辺が同じだからです」
「何が同じなの?」
「長さ」
「もう一度言ってくれる」
「この辺とこの辺の長さが同じだから」
「同じだから?」
「二等辺三角形です」
「なるほど。だから二等辺三角形になるんだ」
「二等辺三角形ってどんな三角形のことだった? △△さん」
「2つの辺の長さが等しい三角形」
「なるほど、だからこの三角形は二等辺三角形になるんだ」
・・・

中学校の社会科で「ファシズム」の説明を求められた子どもが教科書をそのまま読んでいる場面に出合いました。「反民主主義、反自由主義を掲げる全体主義の政治」といった教科書の言葉を読むだけでは本当にわかっているかどうかは疑問です。こういう場合も、具体的にナチスやファシスト党のおこなったことを取り上げ、どれがファシズムと言えるものなのか、それはこの定義のどこがあてはまるかを考えさせることで、より理解が進みます。その上で、もう一度子どもの言葉で定義し直すと自分のものとなっていきます。抽象化された概念を具体に当てはめることで理解させ、自分の言葉で再構成するのです。

いずれにしても抽象と具体に関連をつけて行き来することがポイントとなります。具体例をもとに抽象化する、抽象的な概念を具体的な場面で活用する。このような活動を大切にしてほしいと思います。

授業参観での保護者の様子を考える

中学校での授業参観での保護者の様子がいくつかの学校のホームページで話題になっていました。廊下でおしゃべりをしてうるさいというのです。保護者に訴えるだけでなく、何らかの手立てが必要だとの意見も多くあります。先日訪問した学校でも、先生方の話題になっていました。どこの学校でも問題となっているようです。このことについて少し考えてみたいと思います。

小学校ではこのようなことはあまり話題になりません。子どもは自分の保護者に来てほしい、見てほしいと思っています。子どもの期待に応えるためにも保護者は教室に入って授業をしっかり見ようとします。また、子どもが活躍する場面が小学校は多いので、自分の子どもの活躍場面を見ようと集中して参観します。授業の内容も保護者に十分わかるものなので、余裕を持って参加することができます。
裏を返せば、中学校はこの条件を満たしていないということです。
思春期の子どもたちは保護者が来ると恥ずかしいから来ないでと言います。
一方通行の講義形式の授業では、保護者にとって興味のない、よくわからない教科の話を聞かされる時間がほとんどです。子どもたちも、一部の子どもが発言するだけで、あとは受け身で板書を写しているだけです。保護者が見たいと願う、子どもの活躍の場面はほとんどないのです。
教室に入らずに廊下でつい世間話をしてしまうのもむべなるかなという気がします。

では、どうすればいいのでしょうか。
子どもが来ないでと言うのを変えるのはなかなか難しいことです。教師が「君たちの授業での姿は素晴らしい。この素晴らしさを知ってもらおう」とできるだけ具体的に子どもたちのよい姿をほめ、その姿を見てもらいたいことを伝える。一方、保護者も「みんなの・・・している姿がすてきだったね。あなたも・・・を頑張っていたね」と、参観後できるだけ具体的にほめる。このとき、自分の子どもだけでなく、学級全体もほめるとよいでしょう。友だちと比較して悪い点を指摘するのではなく、両方をほめるようにします。この時期の子どもは友だちとの関係がとても大切です。共にほめられることで見られることに肯定的な気持ちになれるのです。こういうことを地道に続けていく以外によい方法はなかなか思いつきません。もちろん、子どもたちのよい姿が授業中に見られることが前提ですが・・・。

2つ目の問題はどうでしょうか。授業の内容がわからないという点については、簡単な授業紹介や、授業の見どころを印刷して配るという対応をしているところもあります。教師が工夫しているところ、授業の内容をわかりやすく解説するなどしているのですが、はたから見ているとどうも効果はあまり感じられません。保護者は授業を受けに来ているわけでも、授業そのものを見に来ているわけでもありません。学校評価の一環で授業評価をするのならともかく、日ごろの授業参観では子どもたちの姿を見に来ているのです。保護者に伝えるべきなのは、授業のどの場面で、どのような子どもたちの素敵な姿が見られるのかではないでしょうか。授業参観で問われるのは、毎日の授業で、子どもたちのどのような姿が見られること目指しているのかだと思います。
しかし、学校として授業で目指している子どもの姿が、保護者の受けてきた授業と異なっている場合などは、外から見ただけではなかなか理解することができません。なぜこのような姿を目指しているか理解されないこともあるでしょう。日ごろから学校が目指す子どもの姿をホームページなどで発信して理解してもらうことが大切です。授業参観の時に、目指している子どもの姿と、そのために学校としてどのような工夫をしているのかについてミニ講演をしてもいいかもしれません。学校で取り組んでいる授業のよさを伝える一番簡単な方法は、保護者に生徒役になってもらい模擬授業をすることかもしれません。
実際に保護者対象に授業をした学校もあります。総合的な学習が導入された時に、その目指すものがどういうものかミニ講演をした例もあります。学校と保護者の見たい子どもの姿を共有する方法はたくさんあるのではないでしょうか。

授業参観で大切なことは、子どもの姿を通じて保護者と学校が理解し合うことだと思います。保護者と学校の見たい子どもの姿が一致すれば、その姿を見ようと積極的に参加してくれるのではないでしょうか。私はそのように考えています。

授業参観と現職教育

先週末、中学校で授業参観と現職教育でお話をさせていただきました。その前の週にも訪問した学校です(子どもたちの姿から多くのことに気づく参照)。

前回と大きく印象が変わることはありませんでしたが、授業者による子どもの姿の差がより大きくなっていたように感じました。この時期は、子どもたちは新鮮な気持ちで授業にのぞんでいるため、教師が身につけてほしい授業規律を意識して指導すると定着しやすい時です。そのため、わずか1週間あまりでも教師の意識の違いが子どもの姿の差となってあらわれていました。

若手の1年生の英語の授業です。子どもたちが素晴らしい姿勢で教科書を読んでいました。教科書の角度までそろっています。このことにこだわっているのがよくわかります。子どもたち全員にきちんと口を開けて読んでほしいという授業者の気持ちがうかがえます。授業者は自分の教科書を見てはいますが、必ず目を上げて子どものようすを見ています。子どもたちをしっかり見ているからこそ、徹底できているのです。

社会科の授業で机をコの字にして子ども同士に意見を言わせていました。授業者が子ども同士が互いを見ながら聞き合ってほしいと考えていることがよく伝わりました。この教室ではコの字にすると真ん中の間隔が狭く、教師が中に入ることができません。そこで授業者は自分の目線を下げて子どもの視線から外れるようにしていました。その上で、友だちを見ていない子どもには友だちを見るように、目線や手で指示をしています。子どもたちは互いを意識して聞きあえるようになりつつあります。意見に賛成の人は拍手するように指導していました。このとき、拍手しない子どもがいました。その中の一人を指名して、その理由を聞きました。友だちの説明の中の「ファシズム」という言葉がわからないということです。そこで授業者は、「説明できる人」と問いかけ、挙手した子どもに説明をさせました。わからない子どもとわかっている子どもをつなげようとするよい場面でした。
ここで、「ファシズムがわからない人、ほかにもいる?」とわからない子ども同士をつなぐことで、より多くの子どもが授業に参加しやすくなります。その上で「助けてくれる人」とつなぎたかったところです。また、ファシズムの説明をした子どもは、教科書(資料集?)を読み上げました。そうであるならば、「どこに書いてある」と聞き、わからない子ども自身に読んで理解させるようにするとよいでしょう。こうすることで、どうやって知識を得ればよいかがわかりますし、受け身で聞くより理解しやすくなります。その上で、「どう、ファシズムがわかった?」と確認し、まだわからないようであればどこがわからないかをたずね、また子ども同士で解決させるのです。
とはいえ、わからない子どもを大切にしよう、子ども同士をつなげようという意識があるので、授業は確実によくなっていくと思います。

学級活動の時間でも、授業者の差はあらわれます。子どもたちに任せていても、教師が子どもを見ているかどうかは大きな影響があります。教師が何も言わなくても、子どもたちを笑顔で見ているだけで集中力が違います。この時期、子どもが育つまでの間は教師が見守ることがとても大切なことがよくわります。
1年生全体の部活動の人数調整の場面で、直接指導をしていないときもずっと笑顔の若手の教師がいました。簡単なようでなかなかできることではありません。目に入る姿がいつも笑顔であれば、子どもたちはその教師が自分たちを笑顔で受け止めていると感じます。教師が自分たちを受容していると感じ、安心と信頼感を持ちます。実はその教師は学年の生活指導担当です。若い生活指導の教師は、力で押さえようとする傾向が強いのですが、それでは反発を生んでしまいます。まず笑顔で受容しているからこそ、いざというときの指導に従ってくれるのです。このことをわかっているからこそ、意識して笑顔でいたのだと思います。

現職教育は、校務主任の道徳の模擬授業を研修主任がコーディネートして、この学校で大切にしているものを伝える試みでした。授業者は意図的によくない場面もつくり、コーディネータは参加者の気づきを拾い上げていきます。息の合った展開でした。道徳の教科内容ではなく、子どもを見ることにスポットを当てた研修となりました。生徒役の先生も、最初はぎこちなかったのですが、次第に集中しなかったり、おしゃべりをしたりして生徒の気持ちになって参加してくれました。答えられない生徒役に対して、授業者は否定せずにしっかりと受け止めてくれます。感想を聞いたところ、「受容してもらえると安心する」と答えてくれました。この学校で目指していることを肌で感じていただけたのではないでしょうか。おしゃべりをしていた生徒に対しての指導も、一律に注意するのではなく、状況をまず見極めたうえで対応することなども示していただけました。

最後に私の方から、この学校が目指しているものとそのために今の時期に大切にすべきことをお話させていただきました。
この学校で見られる「子どもが笑顔で集中する姿」というのは、なかなか他の学校では見られないものです。そのためには、子どもをしっかりと受容し、子どものよい姿を認めること。できないことを指摘するのではなくできたことをほめること。ほめるためには、そのような姿が見られるような活動をする必要があることなどを、前回と今回見たよい場面を例にして伝えました。具体的な例をこの学校の先生方の授業場面で伝えることができるのはとても素晴らしいことです。研究指定を受けたときに校長がおっしゃっていた「新しい伝統をつくる」ことができつつあるのだと思います。
今年この学校に赴任した方にとっては、この学校が目指すものを言葉で聞くだけでなく模擬授業でも見ることができて、とてもわかりやすかったのではないかと思います。皆さんがとても真剣に参加されているのがよくわかりました。この時期にこのような現職教育を企画した教務主任は立派だと思います。新しく異動して来た方が戸惑うことが多いことを予想した上で予定に組み込んでいたのです。その細かい内容は前回私が訪問した時の学校全体の様子をもとに企画されました。急なお願いにもかかわらず快く模擬授業を引き受け見事にこなした校務主任とそのよさを引き出した研修主任。ベテランだからこその力を見せてくれました。
人事的に厳しい状況ですが、新しい力を加えてよりよい伝統をつくり続けくれるものと期待しています。次回訪問時に子どもたちがどのような姿を見せてくれるのか、とても楽しみです。

寝ている子どもへの対応を考える

授業中に子どもが机にふせって寝ていることがあります。中学校では時々目にする光景です。その時の教師の対応はまちまちです。みんなの前で注意して起こす。その時、「朝ですよ〜」などと笑いを取って、あまり気まずい思いをさせないように気を使う方もいます。机間指導の時にそっと肩をたたいて起こす。その時、「体調が悪いの?」と優しく聞く方もいます。中には、何も声をかけずに無視をする方もいます。
起こされた子どもは、ほとんどの場合そのまま授業に参加し続けます。しかし、中にはまたすぐに寝てしまう子どももいます。そのような場合、単に眠たくて寝ていたのではないでしょう。授業がわからない、やる気がないといった別の要因があるはずです。起こせばよいわけではありません。教師が声をかけないのは、その子には声をかけても無駄だと思っているのかもしれません。どうするのがよいのでしょうか。

教師ではなくまわりの子どもに声をかけてもらうのが一つの方法です。「起こしてあげて」と優しく頼み、子どもが起きれば「顔上げてくれて、ありがとう」「起こしてもらえてよかったね」と笑顔で声をかけ、起こしてくれた子どもにも「ありがとう」と一声かけておきます。叱ることなく、子ども同士の関係をつくることにもつながりますので、どの子どもに対しても有効な方法です。友だちがかかわることで、やる気のない子どもも参加しようという気持ちになってくれます。とはいえ、またすぐに寝てしまうこともよくあります。そういう子どもの場合、その時間だけで解決することはできません。時間をかけて、他の子どもとかかわりながらわかる経験を積むことや、自分の居場所があることに気づかせることが大切です。
子ども同士のかかわりをつくるのにはグループ活動が有効です。グループの形をつくるためには机の移動が必要です。机の移動は参加につながります。友だちから、「○○さんはどう思う」と聞かれることで、たとえわからなくても友だちとのかかわりが生まれます。誰でも意見が言えるような課題であれば、答えてくれるかもしれません。「○○さんはそう考えたんだ」と受け止めてもらえれば、自分の居場所ができたように感じます。聞き合うといった、どの子どもにも声がかけられるような活動が子どもの関係をつくり、発言を認めてもらうことが居場所をつくることにつながります。

ある学校では、「授業中に寝ている子どもをなくす」を目標にしていました。レベルの低い目標ですが」と謙遜されていましたが、決してそうではありません。先生方はただ起こすだけではダメなことをよく知っていました。子どもたちの関係をつくり、居場所をつくることに学校全体で取り組まれました。もちろん今では、そんなことがあったことに誰も気づかないような学校になっています。
寝ている子どもへの対応とその反応から、教師と子どもの関係、子ども同士の関係といった学校の現実が見えてきます。子どもたちが「寝てるなんてもったいない」と思うような教室であってほしいと思います。

作業中に集中力を切らさないために

学級によって、子どもたちに作業をさせているときの集中力の違いがあります。課題の内容や学級の特性だけでなく、教師がその時どのようにしているかが大きく影響しています。

子どもが課題に取り組めていることを確認した後、教師が教卓で次の準備をしていたりするとどうでしょう。子どもの集中力が一時的に切れることはよくあります。顔を上げてまわりを見たときに、教師が他のことをしていて自分を見ていないことに気づくと、この状況を追認されたように感じ、しばらく集中力は戻りません。次に集中力を切らした子どもは、他の子どもも集中力を失くしていることに気づき、安心して息を抜きます。集中力を切らす子どもが次第に増え、学級全体の集中力が落ちてくるのです。

では、机間指導をしている場合はどうでしょうか。子どもたちのそばにて、よい意味でプレッシャーをかけているのですから集中力は持続されるように思います。しかし、机間指導のやり方が問題です。子どもたちの手元を見ながら漫然と移動しているのでは(俗にいう「机間散歩」)、先ほどの例と状況はあまり変わりません。教師のいる位置から離れている子どもには、プレッシャーはかかりません。集中力が切れたとき、子どもが顔を上げても教師の姿は目に入りませんし、その子どもに教師も気づきません。
集中力が切れている子ども、困っている子どもに対してその場で指導すればよいのでしょうか。教師が1か所に留まってミニ授業を始めてしまえば、どうしてもその子どもに集中してしまいます。他の子どもは目に入りません。また、わからなくて集中力を失くしている子どもは、教師が他の子どもを教えているのを見ると、自分も教えてもらうことを期待して自分のところに来るのを待ってしまいます。すぐに教師が気づいてくれればいいのですが、そうでないとおとなしく待っていることができなくなり、ごそごそしてしまいます。
机間指導は教師の死角を増やします。意識しないと全体の様子を把握することはできません。

大切なのは、机間指導をする、しないにかかわらず、全員をしっかりと見守ることです。集中力を切らした子どもがいれば、目で問いかけます。教師が見守ってくれることがわかれば、また課題に取り組みます。もし困っているようであれば、その子どもに対して友だちに聞くように指導したりします。この時、指導にあまり時間をかけないようにします。常に子どもたち全員を見守ることを意識します。このことを意識している教師は、机間指導で子どもの手元を見ていても、次の子どもへ移動する際に必ず死角をつくらないように全体を見回しています。個別に指導していても時々顔を上げて全体を見ています。

子どもたちは、自分が教師に見守られていることを感じることで安心して過ごすことができます。このことが子どもたちの集中力を持続させるのに大切です。子どもが作業に集中しているように見えても、気を許さず、全員を見守ることを意識してほしいと思います。
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31